ある日突然、過呼吸や強いめまいなどにより恐怖心に苛まれるパニック障害。
いつ発作が起こるか分からず私生活をまともに送れなくなる怖い病気がパニック障害です。
芸能界で、パニック障害の症状と戦った芸能人について総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人1 堂本剛
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人2 安西ひろこ
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人3 円広志
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人4 YUI
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人5 星野源
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人6 大場久美子
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人7 長嶋一茂
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人8 ユースケ・サンタマリア
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人9 中川剛
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人10 畠田理恵
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人11 岡村隆史
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人12 高木美保
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人13 小林麻耶
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人14 アン・ルイス
- パニック障害の症状で悩まされた芸能人15 相川茉穂
- パニック障害の症状と戦った芸能人についてまとめると・・・
パニック障害の症状で悩まされた芸能人
パニック障害の症状は「死の恐怖」もある
一般的にパニック障害と聞くと「パニックに陥る病気」だという曖昧な認識しかないと思いますが、パニック発作を起こした多くの人は「このまま死んでしまうのでは?」という強い恐怖感に襲われるそうです。
しばしばテレビやネットで登場する”パニック障害”という病名ですが、詳しく症状を知る人は少ないでしょう。
パニック障害は突然発作的に激しい動悸やめまい、過呼吸などの呼吸困難、大量の発汗などを起こすもので、あまりに突発的な苦しい症状に死の危険も感じる病気です。
出典:www.shaho-net.co.jp
パニック発作、予期不安、広場恐怖はパニック障害の3大症状と言われる特徴的な症状であり、これらの症状は悪循環となることでパニック障害をさらに悪化させてしまいます。
パニック障害が悪化すると、人前に出ることを嫌うあまり、部屋に閉じこもりがちになり、正常な社会生活が維持できなくなり、最悪の場合うつ病を併発することもあるとされています。
実際にパニック障害が原因で死に直結することはありませんが、本人は死の恐怖を感じるほどの症状を感じているということです。
病理学的にはノルアドレナリンという恐怖や不安を司る神経伝達物質と、興奮を抑えるセロトニンが、ある特定の場面に遭遇して過度の緊張を引き金に均衡が崩れ発症すると言われています。
この苦しいパニック障害の症状で苦しみながらも第一線で活躍する芸能人をご紹介していきましょう。
パニック障害の症状で悩まされた芸能人1 堂本剛
2003年にパニック障害を告白した堂本剛
堂本剛さんは15歳で単身上京し、堂本光一さんと「Kinki Kids(キンキキッズ)」としてデビューしてから、周囲の大人やファンの期待とは裏腹に本当の自分とのギャップに苦しむようになりパニック障害を発症してしまいました。
堂本剛さんについてのプロフィールはこちら。
堂本 剛(どうもと つよし、1979年4月10日 – )は、日本のアイドル、歌手、俳優、タレントである。KinKi Kidsのメンバーである。 奈良県奈良市出身。ジャニーズ事務所所属。身長166cm。血液型はAB型。 KinKi Kidsのメンバー・堂本光一と同姓だが、縁戚関係はない。
堂本剛さんは元々人見知りでシャイな性格で、人前に出ることが苦手な性格をしていたためジャニーズ事務所に入るつもりは無かったところ、デビュー前に見た光GENJIの横浜アリーナコンサートで偶然堂本光一さんと出会い入所を決意したそうです。
全く血縁関係も無いのに二人の本名が偶然”堂本”だったことも運命のように思えますが、堂本剛さんは堂本光一さんとならやっていけそうだと思ったのでしょう。
しかし、いざ人前に出るようになると堂本剛さんは胃痛などから胃薬を常用するようになり、過換気症候群やパニック障害を発症するようになってしまいました。
堂本剛がパニック障害の症状と戦った過去
18歳の頃から5年間ほど”死にたい”と想い続けた堂本剛
堂本剛さんはラジオでも自身が闘病中のパニック障害について語っていますが、1997年の『硝子の少年』でデビューした頃は寝る間も無い忙しい日々と病気との戦いで死にたいと思っていたようです。
堂本剛さんは大ヒットした『硝子の少年』をリリースした直後から過呼吸などパニック障害の症状が出始め、苦しい闘病の日々が始まります。
そして堂本剛さんはついに、2000年にナゴヤドームで開催されたコンサートツアーの第一部公演中に過呼吸による発作でステージ上で倒れてしまいます。
この騒動により堂本剛さんは後日ジャニーズ事務所の携帯サイト「Johnny’s web」で、自身が患っている過換気症候群とパニック障害についてファンへ明かしました。
それ以降、堂本光一さんの献身的なサポートの甲斐もあり、現在までおよそ20年に渡って堂本剛さんは「Kinki Kids」として活動を続けてこられました。
堂本剛さんも堂本光一さんもなかなか結婚しないのは、すでにベストパートナーがいるからなのかもしれませんね。
突発性難聴も発症した堂本剛
堂本剛さんは2017年6月から突発性難聴により左耳が聞こえにくくなることがあるようですが、10月29日より音楽活動を再開しています。
堂本剛さんは多感な10代で商業主義の汚い大人たちにもたくさん翻弄されてきたと思いますので、現在もその後遺症が続いているのかもしれません。
堂本剛さんは「音楽やギターに出会えたからここまでやって来れた」として、もし音楽が無かったら死んでいたと語っています。
KinKi Kidsの堂本光一くんと堂本剛くん2人は、やっぱり付き合ってる…
— ****三浦春馬**** (@basin99forest) 2017年10月31日
パニック障害の症状で悩まされた芸能人2 安西ひろこ
パニック障害を13年かけて克服し復帰した安西ひろこ
安西ひろこさんは女優・タレントとして活躍していましたが、パニック障害により2001年から芸能活動を休止していました。その間、対人恐怖症や公共機関をまともに利用できないなど苦しい13年間を語っています。
安西ひろこさんについてのプロフィールはこちら。
安西 ひろこ(あんざい ひろこ、1979年2月9日 – )は、日本の女優、タレント、モデル。株式会社エイジアプロモーション所属。神奈川県相模原市出身。最終学歴は、北豊島高等学校(通信制)卒業。1998年度のフジテレビビジュアルクイーン。 特技は柔道(初段)と水泳。柔道は中学時代、神奈川県大会ベスト8まで進んだ実力の持ち主。 本名;安西 紘子(読み同じ)。
グラビアアイドルとしてデビューし、ギャルのカリスマとして若い世代の女性から圧倒的な支持を得ていた安西ひろこさん。
モデル、女優としても活躍していましたが、ある日ドラマの撮影現場で倒れてしまい病院に搬送されてしまいます。
医師の診断ではパニック障害だと言われ、それから長いパニック障害との戦いが始まったようです。
安西ひろこがパニック障害の症状と戦った過去
壮絶すぎた安西ひろこのパニック障害闘病生活
安西ひろこさんが語った”地獄のような日々”はまさに眉をしかめてしまうような壮絶な日々だったようです。
安西ひろこさんはパニック障害により芸能活動を休止してからどんどん症状は悪化していったようです。
それまで”カリスマ”だと呼ばれ絶大な人気を誇っていたにも関わらず、パニック障害により外出が怖くなり部屋に引きこもる生活が続いたそうです。
食事もまともに摂ることができないため体重は30キロ台にまで減少し、平衡感覚の崩壊と筋力低下から歩くこともままならず床を這うようにして移動していました。
パニック障害により部屋から出るのも恐怖を感じた安西ひろこさんは糞尿を部屋で垂れ流しの状態の時もあったということです。
安西ひろこは統合失調症も併発していた?
安西ひろこさんは次第に幻聴が聞こえるようになったそうで、「もう死んじゃえばいいじゃん」と言った自殺を後押しするような声がずっと聞こえていたそうです。
安西ひろこさんは2014年7月1日に放送された番組『解決!ナイナイアンサー(日本テレビ系)』で完全復帰を果たし、パニック障害での地獄のような闘病生活を語っています。
安西ひろこさんがパニック障害を克服できたのは母親の献身的な支えがあったからで、パニック障害の症状が出て3年経った頃からようやく外出の練習ができるようになりました。
しかし、始めは5分でいける駅にも1時間かかったり、発作が起こるのが怖くて人目を避けたり、電車内で恐怖感に襲われたりと、パニック障害の症状との戦いは困難を極めたようです。
外出ができるようになってくると人とのコミュニケーションの練習も始め、安西ひろこさんは次第にパニック障害の症状を緩和していくことができたようです。
ナイナイアンサーにて、復帰宣言をした安西ひろこさん(35)
— tama (@yohmo1214) 2014年7月1日
パニック障害で復帰まで13年もかかったとの事。まともに電車に乗れなかったり、人が怖かったとのエピソード。しかし35歳になり、色気が出て、今の方がいいですね。 pic.twitter.com/vuUOWfG9Po
パニック障害の症状で悩まされた芸能人3 円広志
人を元気づける歌を歌ってきた円広志がパニック障害で15年間苦しんだ
円広志さんは「とんでとんでとんで…」の名曲『夢想花』でブレークしたシンガーソングライターですが、パニック障害の症状で15年間苦しんだ経験から「パニック障害、僕はこうして脱出した」という著書を出版しています。
円広志さんについてのプロフィールはこちら。
円 広志(まどか ひろし、1953年8月21日 – )は、日本のシンガーソングライター、タレント、作曲家。本名:篠原 義彦(しのはら よしひこ)。本人設立の個人事務所「オフィスとんで」所属。
円広志さんがパニック障害の症状が現れるようになった原因はその多忙すぎる生活と不規則で乱れた食生活にあったようです。
円広志さんは『夢想花』でブレークをしたものの、元々ロックシンガーだったことからファンはついてこずに完全に一発屋で終わりました。
そのためパチンコと酒に溺れる日々が続きますが、ひょんなことから制作した演歌が森昌子さんの代表曲となった『越冬つばめ』で、円広志さんは再び脚光を浴びたようです。
その後円広志さんは財テクにも力を入れ、音楽スタジオの経営や投資などもしていたようで多忙な日々を過ごす中でパニック障害の症状があらわれ始めたということです。
円広志がパニック障害の症状と戦った過去
パニック障害で「50までは生きられない」と思った
円広志さんはパニック障害の症状について、「死んだほうが楽だと思った」とし、「僕は50までは生きられないと思っていた」と語りました。
円広志さんは仕事の多忙から次第にめまいや不安感に襲われるようになり、医師には「疲労」による体調不良だと診断されたものの、その症状はどんどん悪化していきました。
高速道路ではスピードに恐怖して暴れたり、トイレで用を足せば流した時の渦に吸い込まれそうな不安に襲われたり、エレベーターに乗れば箱が落ちると恐怖するようになったそうです。
意味もなく不安から号泣したり会話ができない日々が続いたものの、マネージャーやスタッフに支えられて番組出演は続けていました。
収録中もパニック障害の不安感から目の前がぐるぐると回る症状に襲われて汗だくになることもあり、限界を迎えた円広志さんはマネージャーに「もう許してくれ、これ以上責めないでくれ」と懇願して芸能活動を休止して15年に及ぶ闘病生活が始まったそうです。
元々”鉄人”と呼ばれた円広志でもパニック障害に陥る
円広志さんは心身共に頑強で不眠不休で働き続けることから”鉄人”と呼ばれていたようですが、自分の知らない間に体は蝕まれていたようです。
円広志さんは芸能活動を休止するために出演していた番組『クイズ! 紳助くん(朝日放送系)』の降板のお願いをしに島田紳助さんの自宅を訪れたそうです。
そこで親友である島田紳助さんは快諾して「席は空けておく」といつでも復帰できるように約束してくれたそうです。
帰り途中に島田紳助さんに貰った励ましメールに円広志さんはとても心を救われたと語っています。
また、円広志さんはライブ活動だけは続け、代表曲『夢想花』を熱唱している時はパニック障害の症状から解放されていたようで、音楽にも救われていたようですね。
円広志もパニック障害あったのか
— non (@non_2530) 2017年7月24日
療養に仕事を一切降板て書いてるから 治すの難しいんだな
パニック障害の症状で悩まされた芸能人4 YUI
YUI、パニック障害によりフェスが中止に
シンガーソングライターとしてデビューし、そのクリアーで独特の歌唱法から絶大な人気を誇るYUIさん。しかし、2014年にバンド「FLOWER FLOWER」として出演予定だった屋内フェス「VIVA LA ROCK」をパニック障害により急遽中止となりました。
YUIさんについてのプロフィールはこちら。
YUI、yui(ユイ、本名は吉岡 唯。1987年3月26日 – )は、日本の女性ミュージシャン。2004年から2012年まではソロのシンガーソングライターとして活動し、2013年からはロックバンド『FLOWER FLOWER(フラワーフラワー)』のボーカリスト兼ギタリストとして活動している。
YUIさんは医師からパニック障害だと診断されたことをブログで公表しました。
処方された安定剤とお酒を一緒に飲んでしまい意識障害を起こして救急車で運ばれたこともあったそうです。
YUIさんはかねてから過呼吸の症状で苦しむことがあったようで、ブログでは「ゆっくり治っていく病気なので焦らずに治したい」と語っており、「27歳の内に治してツアーをしたい」と意気込みも語っていました。
YUIがパニック障害の症状と戦った過去
YUIは事務所のやり方にストレスを感じていた
YUIさんは事務所からやりたくも無いのに女優デビューをさせられたり、ドラマのタイアップ用の曲を作らされたりと望まない活動をしていたことにストレスを感じていたそうです。
YUIさんが所属している事務所は大手のスターダストプロモーションですが、YUIさんの意思に関係なく女優デビューさせたり、ドラマのタイアップ曲を書かせたりしていたようです。
とはいえ、これは仕事であるためしょうがない面が強いですが、YUIさんにとっては大きなストレスになっていたようですね。
YUIさんは事務所を辞めたいとも思っていたそうですが、一度10ヶ月の充電期間を設けこの頃に激太りしたとも言われていました。
積もり積もったストレスが2014年にパニック障害という形で現れる
YUIさんは2007年7月2日に12枚目のシングル『SUMMER SONG』でヒットを飛ばし、その後制作活動に専念するという理由で約10ヶ月間の充電期間に入りましたが、事務所と揉めた結果だったのかもしれません。
YUIさんは音楽に対してストイックなアーティストであることから、例え事務所であっても創作活動を阻害されることは多大なストレスになっていたようです。
その結果としてパニック障害の症状に苦しむようになったようですが、現在は闘病しながらも2016年には双子を出産して2児の母として幸せを手にしています。
YUI、パニック障害も抱えているのにひとりで子育てとか大丈夫なんだろうか…
— ユウ (@take_a_breath25) 2017年10月25日
パニック障害の症状で悩まされた芸能人5 星野源
星野源はいじめが原因でパニック障害に陥った
星野源さんのパニック障害との戦いは大人になってからではなく小年時代のいじめが原因だったようで、学生時代はパニック障害の症状との戦いだったそうです。
星野源さんについてのプロフィールはこちら。
星野 源(ほしの げん、1981年1月28日 – )は、日本のシンガーソングライター、俳優、文筆家。埼玉県蕨市出身。 インストゥルメンタルバンド「SAKEROCK」(2015年に解散)のリーダーとして、主にギターとマリンバを担当していたほか、エッセイストやコラムニストとしての顔も持ち、複数の連載や刊行物を著しているマルチタレントである。所属事務所はアミューズ(音楽業)、大人計画(俳優業)。
星野源さんは俳優としてもミュージシャンとしても高い人気を誇り、文筆家としても活動するマルチな才能を持ったタレントで知られています。
特に2016年には新垣結衣さんとW主演をしたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ(TBS系)』では主題歌の『恋』と合わせて社会現象を巻き起こしました。
まさに時の人である星野源さんですが、少年時代にはいじめによるパニック障害で苦しんだ過去があったようです。
星野源がパニック障害の症状と戦った過去
いじめによるパニック障害で精神安定剤を飲んでいた星野源
星野源さんの顔は現在ブーム中の塩顔でモテていますが、小学校ではいじめに遭っていたようでパニック障害を引き起こしたそうです。
星野源さんは小学校時代に学校でおもらしをしてしまったことがあり、それが下でパニック障害の症状で苦しむようになったと言われています。
おそらく、星野源さんはおもらしをしたことからいじめられるようになり、不登校になり引きこもっていったということでしょう。
星野源さんは学校に行っても「おもらしをしたらどうしよう」という不安感から次第にパニック障害の症状が出始めたようです。
星野源さんは精神安定剤を飲んでいたようで、その症状は高校生の頃まで続いたようですが、どんどん頭がおかしくなっていくと感じていた頃にクレイジーキャッツの曲『だまって俺についてこい』に出会ってから「そのうちなんとかなるだろう」という歌詞に勇気づけられたそうです。
この言葉を命綱のようなつもりで頑張り続けた星野源さんはパニック障害を克服できたということです。
星野源は二度のくも膜下出血で死にかけている
星野源さんは過密スケジュールの芸能生活を送る中で、2012年12月22日にくも膜下出血により倒れてしまいました。
楽曲のレコーディングを終えてスタッフと拍手をしていたところ、星野源さんはバットで頭部を殴られたような激痛と共に目の前が突然ぐにゃりと曲がり倒れてしまったそうです。
救急搬送されて担当医には「絶対助かります」と命の保証はされたものの、後遺症により完全に元の状態に戻ることは難しいとされていたようです。
星野源さんは「早く死んでしまいたい」と思うような過酷なリハビリを終え復帰するも、再発して2度目の手術を受け、「2度目の方が過酷だった」と後に語っています。
星野源さんの闘病の話は、芸能人の仕事の大変さを物語るエピソードですね。
中高この容姿で、当時はパニック障害の引きこもりで、さらに数年後くも膜下出血で生死さまようところまでいったのに、35歳にしてガッキーとキスできた星野源の大逆転人生すごいわ pic.twitter.com/2r5o3yNuZE
— 動画 De 笑 (@douga_dsy_aaa) 2017年10月27日
パニック障害の症状で悩まされた芸能人6 大場久美子
8年間パニック障害の症状に苦しんだ大場久美子
女優、歌手として活躍してきた大場久美子さんですが、2008年1月に番組でパニック障害の症状で苦しんでいた過去を明かしました。
大場久美子さんについてのプロフィールはこちら。
大場 久美子(おおば くみこ、1960年1月6日午前4時27分 – )は、日本の女優、歌手(70年代アイドル)、心理カウンセラー。埼玉県川口市出身。三人兄妹の長女(兄一人、弟一人)。オフィスキコ所属。
売れっ子アイドル歌手から女優に転身し活躍してきた大場久美子さんですが、1999年6月18日に母親のタカ子さんが死去したことのショックによりパニック障害の症状に苦しむようになったと語っています。
大場久美子さんは2000年にはダンサーで振付師の高橋てつやさんと結婚しましたが、5年後に私生活のすれ違いやパニック障害の症状が原因で離婚しています。
大場久美子さんの闘病生活は8年におよぶものでしたが、克服した理由は認知行動療法だったと語っています。
大場久美子がパニック障害の症状と戦った過去
パニック障害の体験から心理カウンセラーになった大場久美子
大場久美子さんはパニック障害を認知行動療法で克服したそうですが、その経験から心理カウンセラーの資格を取得しています。
大場久美子さんが苦しんだパニック障害の主な症状は、突然の動悸や息切れ、めまい、発汗だったようですが、特に動機と息切れに悩んだそうです。
大場久美子さんはパニック障害の症状が進行してくると人の多い公共の場にも出て行きづらくなっていったようで、発作が起こればすぐに逃げられるように出先のトイレは事前に調べていたそうです。
それでも芸能界の仕事を続けていた大場久美子さんは、テレビ番組の収録中にパニック障害の発作が起こることもあったそうです。
しかしお尻をつねったり、大きく深呼吸をするなどして症状を緩和させていたということです。
大場久美子は自ら認知行動療法を実践していた
大場久美子さんは心理カウンセラーの資格を取得する前からパニック障害の症状を緩和するために認知行動療法を自然と行っていたそうです。
大場久美子さんは外でパニック障害の症状が起きた時のために「安心アイテム」を増やすことで克服していったそうです。
この「安心アイテム」はパニック障害の症状が出た時の対処法をまとめたメモだったり、緊急連絡先のカードだったりするようですが、場面やパニック障害の症状に合わせて「安心アイテム」を揃えることで徐々に克服していけたそうです。
今日の講演会で大場久美子さんが来てました(^^) 紹介された8分のビデオで泣きました。もっとパニック症のことが正しく理解されるといいな。
— ○まめ大福○ (@kokoro_kokia) 2017年10月22日
パニック障害の症状で悩まされた芸能人7 長嶋一茂
プレッシャーに負けてパニック障害を発症した長嶋一茂
長嶋一茂さんは野球界のレジェンドである長嶋茂雄さんの息子ですが、そのため多大なプレッシャーを抱えていたようです。ある日、いつものように練習に向かうため車に乗り込んだところ過呼吸に陥ってパニック障害を発症し、そのまま引退となりました。
長嶋一茂さんについてのプロフィールはこちら。
長嶋 一茂(ながしま かずしげ、1966年1月26日 – )は、日本の元プロ野球選手(内野手)、タレント、スポーツキャスター、野球評論家、俳優。現在は読売ジャイアンツ野球振興アドバイザー。本人はフリーターと語っている。 東京都大田区田園調布出身。ナガシマ企画所属。血液型B型。父は元プロ野球選手・監督の長嶋茂雄。4人兄弟の長男(第一子)で、弟はレーシングドライバーの長島正興、妹はキャスターの長島三奈。
長嶋一茂さんは伝説的な野球選手である長嶋茂雄さんの息子だということから、ほかの二世タレント以上に色眼鏡で見られていたことでしょう。
そして長嶋茂雄さんの名に恥じないデビュー戦を飾っており、”ミスター二世”と呼ばれたことでより長嶋茂雄さんのようなプレーヤーに育っていくことが期待されていました。
しかし、父・長嶋茂雄さんが監督を務めた時代の読売ジャイアンツに移籍後にパニック障害を発症。
長嶋一茂さんは実の父から戦力外通告を受けることになり引退してしまいました。
長嶋一茂がパニック障害の症状と戦った過去
長嶋一茂は二世タレントの色眼鏡でパニック障害になった?
長嶋一茂さんがパニック障害の症状で苦しんだ原因の中に偉大すぎる父・長嶋茂雄さんの存在があったことは否めないでしょう。
長嶋一茂さんの歯車が狂い始めたのは1995年からで、この年は右肘の故障で1軍での出場機会がゼロでした。
翌年になるとジェフ・マントの成績不振から代わりに長嶋一茂さんが起用されるようになりましたが成績は低迷していました。
その折に守備コーチの土井正三さんから厳しいバント練習をされて苛立った長嶋一茂さんは暴言を吐いてしまい、球団から50万円の罰金と二軍降格、試合出場停止命令という厳しい措置をとりました。
父・長嶋茂雄さんからも「来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告を受け、長嶋一茂さんは2軍での練習に明け暮れる日々が始まります。
精神的ストレスを抱えた長嶋一茂さんはある日ホテルでパニック障害の発作を起こして倒れてしまい救急搬送、医師からはパニック障害だと診断されました。
長嶋一茂、ある日練習に行けなくなり引退
それ以降パニック障害の症状に苦しむようになった長嶋一茂さんはある日2軍の練習に行くために車に乗り込んだところ過呼吸を起こしてしまいます。
結局その日の練習はマネージャーに連絡して休みを貰った長嶋一茂さんでしたが、その後二度とユニフォームを着る日が来ることは無かったそうです。
野球界を引退する直前に長嶋一茂さんは偶然明石家さんまさんとゴルフをする機会があり、その時に「引退した時は俺の全部の番組に来い」と言われていたそうです。
その当時は本気にしていなかったものの、長嶋一茂さんはパニック障害から引退することなり、明石家さんまさんの言うとおり全て番組に出させて貰ったことで芸能界で食べていく下地ができたようです。
そのため長嶋一茂さんは明石家さんまさんを「大恩人」だと語っているそうです。
長嶋一茂さんは確かパニック障害を患ってたんですよね。さすが、自分をコントロールする方法を色々知ってるんだなぁと思った。サラッと食事の問題にも触れてたし。武道で鍛えたりもしているらしい。
— ゆるふあ@腸内環境が大事🌼✨ (@yuru_fua) 2017年10月20日
パニック障害の症状で悩まされた芸能人8 ユースケ・サンタマリア
うつ病を煩い、パニック障害予備軍だったユースケ・サンタマリア
めっきりテレビで姿を見なくなったことから「干された」とも言われているユースケ・サンタマリアさん。過去に8年におよぶうつ病闘病をしていたことを明かし、番組『SmaSTATION-3』での「Smaクリニック」ではパニック障害予備軍だと診断されました。
ユースケ・サンタマリアさんについてのプロフィールはこちら。
ユースケ・サンタマリア(1971年3月12日 – )は、日本の俳優、タレント、司会者、歌手。本名、中山 裕介(なかやま ゆうすけ)。 大分県出身[1]。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。愛称はユースケ。ラテンロックバンドのヴォーカル&MCでデビューし、現在は俳優、タレント、司会者をメインに活躍している。
「干された」という疑惑が浮上しているユースケ・サンタマリアさんですが、『『ぷっ』すま(テレビ朝日系)』を始め5本のレギュラー番組に出演中のため変わらず活躍中だと言っていいでしょう。
ユースケ・サンタマリアさんがうつ病を発症した原因は、本当の自分と芸能界で活躍する”ユースケ・サンタマリア”という人間とのギャップだったようです。
ユースケ・サンタマリアさんは元々ミュージシャンであり、音楽での成功を目指していましたが、ロックバンド「BINGO BONGO」でボーカルと合わせてMCを担当していたことからその名司会ぶりは話題となっていたようです。
その後番組出演が増えてドラマ『踊る大捜査線』で俳優デビューをしたり、篠原ともえさんとの音楽ユニット「カロゴンズ」や、ビートたけしさん・トータス松本さんとの音楽ユニット「ぢ・大黒堂」により全国的な認知度を獲得したユースケ・サンタマリアさん。
しかし、いきなりブレークしたことでどうしても”一般人が芸能界に紛れ込んでる感”を払拭できずにいたことをユースケ・サンタマリアさんは語っています。
ユースケ・サンタマリアがパニック障害の症状と戦った過去
ユースケ・サンタマリアの症状は主にうつ病
ユースケ・サンタマリアさんはパニック障害の予備軍ではあるものの発症していた症状はうつ病のそれだったようです。
ユースケ・サンタマリアさんがうつ病を発症した原因については、プロインタビュアーの吉田豪さんが取材したことから語っています。
ユースケ・サンタマリアさんは俳優としてブレークし、司会業やCM出演など多忙を極める中で、やりたくない仕事もたくさんあったようでストレスから心身を壊していったようです。
表向きは明るい振る舞いをしているものの、元来非常に繊細な性格をしているユースケ・サンタマリアさんは常に健康状態がボロボロだったそうです。
ユースケ・サンタマリアさんは常に気だるさと吐き気に悩まされ、症状がひどい時は仕事場に嘔吐用のバケツを持っていったそうです。
ネット上では大泉洋さんがブレークしたことで仕事を奪われうつ病を発症したとも言われていますが、これは信ぴょう性のない噂に過ぎないようです。
ユースケ・サンタマリア、パニック障害にはギリギリならなかった?
前述のとおり、ユースケ・サンタマリアさんは『SmaSTATION-3』での「Smaクリニック」ではパニック障害予備軍だと診断されていました。
ユースケ・サンタマリアさんはこの回の番組について後に『『ぷっ』すま』で共演している草なぎ剛さんと笑い話にしていますが、ユースケ・サンタマリアさんが当時パニック障害を発症してもおかしくない状態にあったことが伺えます。
現在はうつ病も克服して元気に仕事をしているようですが、確かに全盛期に比べたら「干された」という噂を信じてしまうほどユースケ・サンタマリアさんを見る機会が減ったので、仕事を選ぶようになったのかもしれませんね。
ユースケ・サンタマリアもうつ病経験者
— ぼく うつ病=ボクウツ (@omouhamaneku777) 2016年4月10日
それを知る前はユースケってなんかいい加減で優柔不断だなぁって思ってたんだけど
長い間うつ病で苦しんだ後、人の意見に左右されるのがバカらしくなって、そこから治り始めたらしい
明るくヘラヘラしてる人ほどもしかしたら凄い人なのかもしれないね
パニック障害の症状で悩まされた芸能人9 中川剛
兄弟で乗り越えたパニック障害
中川剛さんは弟の中川礼二さんと共にお笑いコンビ「中川家」を結成し第一回M-1グランプリで優勝をしてブレークします。しかし、それ以前に中川剛さんはパニック障害を発症しており、弟・中川礼二さんの協力もあって克服しました。
中川剛さんについてのプロフィールはこちら。
中川 剛(なかがわ つよし、1970年12月4日 – )は、日本のお笑い芸人。コンビを組む中川礼二は実弟。 大阪府守口市出身。吉本興業(東京本社)所属。吉本総合芸能学院(NSC)11期生。血液型はB型。弟と一緒に活動していることがほとんどのため、周囲からは「お兄ちゃん」と呼ばれることがある。
中川剛さんは1997年頃にパニック障害の症状に苦しみ始め、ある日中川礼二さんに打ち明けたそうです。
しかし、中川礼二さんは「気持ちの問題」とパニック障害がどういうものか理解できなかったようですが、中川剛さんは弟に打ち明けたことで少し楽になったそうです。
中川剛がパニック障害の症状と戦った過去
中川剛のパニック障害が原因でレギュラーがゼロに
1996年に「第17回ABCお笑い新人グランプリ」で最優秀新人賞を受賞してローカル番組のレギュラーをいくつか持っていた中川家は中川剛さんのパニック障害によりレギュラーがゼロになったものの中川礼二さんは責めなかったそうです。
電車に乗れば中川剛さんはパニック障害の症状で苦しくなり、特急などは特に顕著に症状が出たため各駅停車に乗るなどしていたそうです。
中川剛さんがパニック障害のため満足に行動できないことからレギュラーを全て失った中川家は、中川礼二さんがピン芸人として出演することになりました。
中川剛さんは弟のお笑いの才能を埋もれさせたくないと感じて自身はお笑いを辞めることを話したそうです。
しかし、中川礼二さんは兄弟揃ってやっていくことを望み、1年やってダメならお笑いの道を諦めようと約束したそうです。
パニック障害から生まれたコントスタイル
きっちり台本を用意してしまうと中川剛さんが不安からパニック障害を引き起こす可能性があったため、中川家のコントはスタイルとゴールだけを決めておいて、中川礼二さんがリードする形で中川剛さんを自由にさせることで成功しました。
このコントスタイルがウケて、2001年には第一回M-1グランプリで優勝し、多くのレギュラー番組を獲得することになり中川家は成功しました。
まさに兄弟二人三脚で乗り越えたパニック障害だったようです。
久しぶりに世界仰天ニュースみた。俺もある条件を満たすとパニック障害になって死にたくなる。中川剛ほどじゃないけどホントに辛い。
— 麻婆豆腐 (@MasaDrop) 2014年11月19日
俺の場合は冷静を装ってるから多分信じてもらえないと思うな。
パニック障害の症状で悩まされた芸能人10 畠田理恵
マスコミのせいで統合失調症になった畠田理恵
アイドル歌手として人気だった畠田理恵さんは将棋界の天才棋士・羽生善治さんの絶頂期に結婚したことでマスコミから「玉の輿婚」と煽られて、その影響で心身を壊した畠田理恵さんは統合失調症を患っています。
畠田理恵さんについてのプロフィールはこちら。
畠田 理恵(はただ りえ、1970年11月10日 – )は、日本の元歌手、元女優。戸籍名、羽生 理恵(はぶ りえ)。旧姓、畠田。「恵」の右上に「`」をつけた表記(本名で本来の表記)だった時期がある。
当時、畠田理恵さんは競馬ジョッキーの武豊さんに交際を迫っていたと報じられていましたが、武豊さんが佐野量子さんと交際をスタートさせていたことから、当時絶頂期で高収入だった羽生善治さんに乗り換えたと根も葉もないでっち上げをされたそうです。
そのため「玉の輿」を狙ったとマスコミが報じたことから、畠田理恵さんは世間から「ズル賢い女」「羽生善治に巣食う寄生虫」などあらぬバッシングを受けることになってしまいます。
完全に人間不信に陥った畠田理恵さんは心身のバランスが壊れ、統合失調症を患ったと言われています。
畠田理恵がパニック障害の症状と戦った過去
ツイッターで真相を語った畠田理恵
畠田理恵さんはマスコミのでっち上げ報道で統合失調症を自身のツイッターで真相を語っていましたが、2017年2月8日に閉鎖されてしまいました。
畠田理恵さんは統合失調症の症状に苦しんだことで体重が34キロまで激減してしまったと語っています。
パニック障害のような症状にも苦しんでいたようで、畠田理恵さんは完全に人間不信になっていたようです。
その後、畠田理恵さんは完全無農薬米を使ったおにぎり店「リトルキッチン」を開店するも母親がC型肝炎に罹ってしまったことで介護のために閉店させています。
こうした心労も重なり一時は激太りしたようですが、現在は統合失調症も寛解しているようです。
マスコミへの心労が絶えない畠田理恵
2016年に発生した三浦弘行九段による「将棋ソフト不正使用疑惑」により、マスコミが「羽生善治も告発に加担した」とでっち上げの記事を書いたため畠田理恵さんはツイッターで19回連投して弁解し、話題となりました。
事の発端は羽生善治さんが三浦弘行九段による「将棋ソフト不正使用疑惑」についてインタビューされ「グレー」だと答えたことから、マスコミは話を勝手に膨らませて「羽生善治は三浦弘行を告発したひとりではないか?」と報じました。
これにより妻の畠田理恵さんはツイッターを使った連投による弁明を行い話題となりましたが、畠田理恵さんはマスコミを心底憎んでいることでしょう。
パニック障害の症状で悩まされた芸能人11 岡村隆史
岡村隆史はうつ病の症状でパニックだった?
『めちゃ2イケてるッ!(フジテレビ系)』を中心に活躍するお笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史さんはパニック障害を発症したというよりも、うつ病の症状から記憶障害を起こしてパニック状態だったというのが正解のようです。
岡村隆史さんについてのプロフィールはこちら。
岡村 隆史(おかむら たかし、1970年7月3日 – )は、日本のお笑いタレント、俳優であり、お笑いコンビ・ナインティナインのボケ担当。相方は矢部浩之。 大阪府大阪市東淀川区出身。吉本興業(東京本社)所属。独身。吉本総合芸能学院 (NSC) の第9期生(ただし、授業料未納により退所)。身体能力の高さを生かしたコミカルな動きや顔芸などビジュアル的な笑いを得意とする。
岡村隆史さんは2010年11月26日から体調不良により約5ヶ月間の芸能活動休止をしましたが、2013年11月5日に放送された番組『解決!ナイナイアンサー』で岡村隆史さんがうつ病だった可能師が明るみになりました。
ゲスト出演した丸岡いずみさんがうつ病だった頃に不眠症を患ったことに便乗して岡村隆史さんも「(うつ病だった頃は)一睡もできんかった。それが何ヶ月も続いて…」と明かしたことで世間でも「岡村さんはうつ病だった」と囁かれるようになりました。
一方で岡村隆史さんのパニック障害が噂されたきっかけは、そのうつ病の当時に仕事中常にパニック状態だったことを同番組で伝えたことや、岡村隆史さんの語る症状がパニック障害の症状に似ていることによるようです。
岡村隆史がパニック障害の症状と戦った過去
岡村隆史は真面目すぎてうつ病になった
当時うつ病を患っていた頃の岡村隆史さんはその真面目すぎる性格ゆえに「滑ったらだめだ」と厳しい姿勢で番組に臨んでおり、うつ病闘病中にその考えが和らいで「滑ってもいいか」と思えるようになったきっかけは相方の矢部浩之さんだったそうです。
岡村隆史さんはうつ病により重度の睡眠障害に陥り、数ヶ月間ほとんど寝れない状態が続いたようです。
そのため気力や体力はもとより記憶力も著しく低下して、ラジオのリスナーから届いた大量の手紙を仕分けしている内にどれを読むのかわからなくなったり、ファンにサインを求められてもサインの仕方も忘れるなど岡村隆史さん自身も戸惑ってしまうような状態にあったようです。
その姿を見かねた相方の矢部浩之さんが「休みましょう」と休みたがらない岡村隆史さんを説得して約5ヶ月間の療養をしたおかげでうつ病を克服できたそうです。
気持ちが楽になったことで本調子になった岡村隆史
岡村隆史さんは芸能活動を休止すると仕事が無くなる恐怖から頑なに療養を拒んでいたようですが、思い切って療養したことで長いキャリアで見ればひとつの転換点になったようですね。
岡村隆史さんは矢部浩之さんの説得がなければ休まずに症状を悪化させ続け、さらに自律神経がやられてパニック障害や統合失調症などになっていた可能性があるでしょう。
また、岡村隆史さんの様子がおかしいといち早く気づいたのは大泉洋さんだと言われています。
岡村隆史さんは芸人として肩の荷が下りたことで今後は伸び伸びと仕事ができるかもしれませんね。
ニッポン放送「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」狭所恐怖症っていうより、パニック障害じゃね?
— modena (@stefanomodena8) 2017年7月27日
パニック障害の症状で悩まされた芸能人12 高木美保
高木美保は女優を辞めてパニック障害、うつ病を克服した
現在『羽鳥慎一モーニングショー(テレビ朝日系)』にコメンテーターとしてレギュラー出演している高木美保さんですが、ある日電車で発作を起こしてパニック障害を発症し、日常生活に支障をきたし始めたことからうつ病になりました。
高木美保さんについてのプロフィールはこちら。
高木美保(たかぎ みほ、1962年7月29日 – )は、日本の女優、コメンテーター、エッセイスト、農業従事者、タレント。東京都葛飾区出身、千葉県松戸市育ち。和洋女子大学中退。
映画『Wの悲劇』やドラマ『華の嵐』で注目を集めた女優・高木美保さんですが、世間の「出来たお嬢様」という評価と自分の内面に強いギャップを感じて女優業に苦手意識を抱いていたようです。
そうしたストレスが積み重なり、ある時電車内でパニック発作を起こしパニック障害の症状で悩まされるようになったそうです。
高木美保がパニック障害の症状と戦った過去
不安が不安を呼びパニック障害からうつ病を発症した高木美保
高木美保さんは電車でのパニック発作の体験への恐怖心から、いつまたどこで発作が起きるかと考えると日常生活の全ての行動に不安を抱えるようになっていったそうです。
高木美保さんは「このままだと将来どうなってしまうのか」と先の不安が募るばかりでだんだんとうつ病が進行していいくものの、病気だと気付かなかったため家族には打ち明けずひとりで悩んでいたそうです。
高木美保さんは真面目すぎる性格が災いして自宅すらも安らぎの場所ではなくなり、仕事のストレスも相まって自分を追い詰めていってしまったということです。
なんとか突破口を切り開こうともがいていた高木美保さんは、将来の悲観をするよりも現在を大切にするということに気づきます。
かねてから女優が向いていないと感じていた高木美保さんは思い切って女優業を辞め、那須塩原市に移住してタレント活動を続けながらも農業を始め心の平安を取り戻していったそうです。
パニック障害をダシになじられる高木美保
高木美保さんは2016年に『羽鳥慎一モーニングショー』でのコメントからネットでパニック障害をダシになじられる事態が起きています。
高木美保さんはうつ病を克服して以降、現在まで『羽鳥慎一モーニングショー』のコメンテーターとしてレギュラー出演しています。
しかし、過去にパニック障害を患ったことを引き合いに、関連した事件が起こると高木美保さんのコメントをなじるような声がネットで噴出するようです。
女優の高木美保さんがパニック障害になった原因について「亡くなった女優仲間の分まで頑張ろうとしてた。人は二人分の人生は生きれない」言ってました
— 麦わら (@yamamasa01234) 2017年6月3日
同じ事をやっさんが言ってるのがきになります&痩せていくやっさんが心配です
今はそっと見守って気にかけてあげてください
同じ病気の者より
パニック障害の症状で悩まされた芸能人13 小林麻耶
『バイキング』収録中に倒れた小林麻耶
小林麻耶さんは2016年5月19日に収録されたレギュラー出演していた『バイキング』で、収録中に倒れ救急搬送されました。過呼吸を起こしていたことからパニック障害だと言われています。
小林麻耶さんについてのプロフィールはこちら。
小林 麻耶(こばやし まや、1979年7月12日 – )は、日本の女性フリーアナウンサー、キャスター。元TBSアナウンサー。新潟県小千谷市生まれ。身長157cm。血液型A型。セント・フォース所属。 妹はタレントの小林麻央。
小林麻耶さんは今年、最愛の妹である小林麻央さんを乳がんで亡くすという人生で最大の悲しいを体験しました。
小林麻央さんも過労により倒れて検査の結果乳がんだと診断されていますが、小林麻耶さんもまた過労により『バイキング』収録中に体調が悪くなり途中退席しています。
倒れた時は小林麻耶さんは過呼吸を起こしていて救急搬送されたようですが、その症状がパニック障害の症状に似ていたためネットで話題となりましたが、実際にはパニック障害ではなかったと言われています。
小林麻耶がパニック障害の症状と戦った過去
小林麻耶は芸能生活で長らくストレスを抱えていた
小林麻耶さんが倒れる前日に綴ったブログからは芸能生活がいかにストレスの多かったものかが伺える内容だったようです。
小林麻耶さんは倒れる前日のブログで、芸能界に入ってから苦しかった過去を綴っています。
「前日に更新されたブログで小林は『毎日、一生懸命、必死に頑張っている…そんな彼女が愛おしい。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、たくさんあるだろうに』『わたし、社会人になってからは、友達できなかったから泣。寂しかった。悲しかった。ずっとお友達欲しかった』など、友人の誕生日会の記事にもかかわらず、どこか心の闇を感じさせるかのような記述が続きました。そのためファンから『無理をしすぎているのでは?』と彼女の心身を心配する声が多く上がっていたのです」
小林麻耶さんは非常に真面目な性格をしていたことから、周囲が求めるままぶりっ子キャラを続けてきたとも言われており、そのストレスから過労で倒れてしまったとも言われています。
小林麻耶の過労の原因は妹・小林麻央の乳がんだった
小林麻耶さんが倒れた約1ヶ月後に市川海老蔵さんにより小林麻央さんの乳がん闘病が公表されました。
小林麻耶さんは確かに仕事や芸能界でのストレスもあったと思いますが、それ以上に最愛の妹・小林麻央さんの乳がん闘病による心労が直接的な原因だと分かりました。
小林麻耶さんはすぐに復帰すると発表していたものの、その後事務所から無期限の休養を取ることが発表され、それは小林麻央さんの傍で看病をするためでした。
小林麻央さんの闘病中に小林麻耶さんがパニック障害に陥ったという情報は無いようなので、イメージよりもとても強い女性なのかもしれません。
つくづく小林麻耶さん、大変だったんだなあ。パニック障害に妹さんの事に #so954
— くまこ (@goodblue980) 2017年10月13日
パニック障害の症状で悩まされた芸能人14 アン・ルイス
ライブ前の過度な緊張感からパニック障害に陥ったアン・ルイス
『グッド・バイ・マイ・ラブ』『六本木心中』など名曲で知られる歌手、アン・ルイスさんですが、記者会見で自らパニック障害であることを打ち明けています。
アン・ルイスさんについてのプロフィールはこちら。
アン・ルイス(Ann Lewis、1956年6月5日 – )は、日本の元歌手。本名、アン・リンダ・ルイス。兵庫県神戸市出身。その楽曲は多くの音楽家にカバーされている。
アン・ルイスさんのパニック障害の症状は悪化し続け、ライブ前になると極度の緊張状態からめまいや激しい動悸で倒れたりするようになり、毎回ライブ前には不安感が募るようになります。
アン・ルイスがパニック障害の症状と戦った過去
ライブへの緊張感からパニック障害を発症
アン・ルイスさんは1997年頃からライブ前になると吐き気を覚えるなど徐々にパニック障害の症状が出るようになり、悪化していったことから芸能界を引退することになります。
また倒れたらどうしよう、ここで死んだらどうしようという恐怖心からアン・ルイスさんのパニック障害の症状はどんどん重くなっていったそうです。
当時は現在ほどパニック障害が知られていなかったため、アン・ルイスさんは日本での芸能活動を辞めて、父親の母国であるアメリカ・ロサンゼルスに移住しました。
アン・ルイスさんはそこで初めて医師にパニック障害だと診断されたそうです。
アン・ルイスの芸能界復帰
アン・ルイスさんはアメリカで療養してパニック障害が落ち着くと、2005年にセルフカバーアルバム『REBIRTH』をリリースし約6年ぶりに芸能活動を再開させました。
アン・ルイスさんはアメリカで落ち着いた生活をすることでパニック障害を克服し、日本で芸能活動を再開させた後は歌手業以外にもファッションやペットグッズなどのプロデュース業でも活躍しました。
アン・ルイスさんは2013年4月6日には元旦那の桑名正博さんと息子の美勇士さんの二人とCDをリリースし、それを最後に芸能界を引退しています。
アン・ルイスもパニック障害だったんだよね。芸能人でこの病気になるのは日韓ともに結構いるね。
— じょでぃ🐄12/10企画LIVE (@tvfxq_j11) 2017年9月13日
かわいかずみ(字忘れた)は自ら命を絶ってしまったけど、その数年後に自分もなるとは思わなかったよ。
今は乗り物さえ選べば1人で出かけられるけど、死にたくなる気持ちもわかるよ。。。
パニック障害の症状で悩まされた芸能人15 相川茉穂
パニック障害でアイドル活動ができなくなった相川茉穂
アイドルグループ「アンジュルム」のメンバーの相川茉穂さんが2017年1月11日にパニック障害により活動休止を発表して話題を呼びました。
相川茉穂さんについてのプロフィールはこちら。
相川茉穂(あいかわ まほ、1999年3月26日 – )は、神奈川県出身の日本のアイドル及びタレントであり、日本のアイドルグループ・アンジュルム(旧・スマイレージ)のメンバーである。公式ニックネームは、あいあい。メンバーカラーは、緑。
メジャーではないもののアイドルグループ「アンジュルム」のメンバーである相川茉穂さんがパニック障害の症状でアイドル活動ができなくなり芸能活動休止を発表しました。
華やかなように見えて過酷だと思われるアイドル業界にはまだまだこうした症状で苦しんでいる人がいるでしょう。
相川茉穂がパニック障害の症状と戦った過去
相川茉穂のパニック障害はアイドル業界で氷山の一角?
近年の日本のアイドル業界で現在パニック障害で休養した人は相川茉穂さんが有名になっていますが、影にはまだまだ多くいる可能性が高いでしょう。
過去には元AKB48のメンバーで”スーパー研究生”と呼ばれ注目されていた女優の光宗薫さんも、2017年10月から強迫性障害により無期限の長期療養に入りました。
AKBグループのアイドルには他にもパニック障害が疑われるアイドルとして松井珠理奈さん、生駒里奈さん、岡田奈々さんなどが挙げられ、他にも表に出ていないだけでパニック障害の症状で苦しんでいるアイドルはいると思われます。
今回話題になっている相川茉穂さんはステージ中に過呼吸や吐き気、恐怖感から活動の続行ができなくなったことを明かしています。
パニック障害は脳の病気
パニック障害に理解の無い人からしてみると「気持ちの問題」だと切り捨てられることもありますが、パニック障害は脳の伝達の異常であるため、こうした公表により理解が進んでいくでしょう。
相川茉穂さんは自身のパニック障害についてファンに理解を求めるコメントを発表しました。
「パニック障害」について「少し偏見があるかもしれないのですが、脳の病気でもあるので、その偏見を少しでも減らして私と同じパニック障害の人達とも一緒に闘っていきたい」と思いをつづり、「今は治療に専念して、私なりに頑張るので待っていて下さると嬉しいです」と呼びかけている。
アイドル戦国時代と言って差し支えない現代で相川茉穂さんのようにパニック障害の症状で苦しむアイドルは多いと思いますので、運営やファンの寛容な姿勢が問われていくでしょう。
れなこの「不安神経症」、ググってみたらあいあいの「パニック障害」に近い病気であるらしい。ハロメンであり続けることへの心神のストレスというのは余人には計り知れないものなのだろう。多少時間が掛かってもいいから完璧に治して戻ってきてほしい。#小川麗奈 #相川茉穂 pic.twitter.com/V1yzYI322t
— ts-dra-4568🐶11/26岐阜 (@4568Ts) 2017年7月13日
パニック障害の症状と戦った芸能人についてまとめると・・・
過去・現在においてパニック障害の症状と戦ってきた芸能人について総まとめしてきました。
パニック障害はうつ病や統合失調症など症状が重複する部分もあり、放っておくと重篤化して取り返しのつかない状態になることも少なくないようです。
特にパニック障害の症状は死に直結はしないものの苦しんでいる本人は「死の危険」や「精神崩壊の危険」を感じているため、人前に出る芸能人の恐怖は想像を絶するものでしょう。
芸能界には隠れパニック障害持ち、パニック障害予備軍は多数いると思われ、今後も「まさかこの人が」という芸能人がカミングアウトするかもしれませんね。