2001年にリリースした「涙そうそう」で大ヒットを飛ばし一躍人気歌手となった夏川りみさん。
確かな歌唱力で沖縄民謡をはじめとした名曲をカバーし、『紅白歌合戦』の常連でもありました。
夏川りみさんのタトゥーの柄や意味、そして結婚した旦那や子供の情報など現在までの活躍について総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
夏川りみのプロフィール&生い立ち
人の心を癒すことができる歌手・夏川りみ
夏川りみさんの歌声は特徴的な美しい響きをしており、人の心に強く響かせることができる確かな歌唱力を持っています。
「涙そうそう」は不朽の名曲として現在までに歌い継がれていますが、夏川りみさんという人物について総まとめしましたのでご紹介します。
夏川りみさんについてのプロフィールはこちら。
出生名: 兼久 りみ(かねく りみ)
本名: 玉木 りみ(たまき りみ)
別名: 星 美里
生誕: 1973年10月9日
出身地: 沖縄県石垣市
ジャンル: J-POP、フォークソング、民謡、演歌
活動期間: 1986年 –
レーベル: ポニーキャニオン(1989年 – 1992年)、ビクターエンタテインメント(1999年 – )
引用:Wikipedia – 夏川りみ
夏川りみさんは世間的には大ヒットした名曲「涙そうそう」を歌っている歌手という認識しかありませんが、古謝美佐子さんの「童神 ~ヤマトグチ~」や中孝介さんの「花」などもカバーして話題となりました。
夏川りみさんの歌唱力は群を抜いていますが、そのクリアーで類まれな倍音は人の心を動かし、癒す歌声だと言われています。
夏川りみさんの現在までの活躍について総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
夏川りみさんの代表曲「涙そうそう」のYouTube動画。
夏川りみの生い立ち&経歴
夏川りみは幼少期から歌が好きだった
夏川りみさんの父親は公務員でありながら八重山民謡(石垣島の民謡)が非常にうまかったようで、その影響で夏川りみさんも歌が好きになったそうです。
夏川りみさんは5人姉妹の三女として生まれましたが、物心つく前から歌が好きだったようです。
小学校2年生の頃から中学校1年生の頃まで、夏川りみさんは父親の指導で毎晩2時間歌の練習をしていたそうで、大きな歌詞カードを壁に貼って感情の込め方などを学んでいました。
そのため夏川りみさんは姉妹の中で一番歌が上手くなり、その分父親がから溺愛されていました。
父親は夏川りみさんには一番甘かったためこっそりお小遣いをくれたりしたそうですが、夏川りみさんは自分だけ得をしたくなかったため後で姉妹で分配していたそうです。
夏川りみさんは父親と「将来歌手になって紅白歌合戦に出場する」という約束をしていましたが、後に常連歌手になっていますので見事に約束を叶えています。
夏川りみ、「のど自慢大会」で優勝を始める
夏川りみさんは9歳の頃から全国各地での「のど自慢大会」で優勝常連者となっていきました。
夏川りみさんは9歳の頃に出場した石垣ケーブルテレビの『第1回ちびっこのど自慢大会』で初代優勝者となると、『素人名人会ちびっ子大会』など全国の大会で優勝をさらい、中学校1年生の頃に出場した『第10回長崎歌謡祭』では史上最年少でのグランプリを獲得しました。
これにより夏川りみさんはレコード会社からスカウトをされ、単身上京して田辺エージェンシーに所属しました。
学校は杉並区立阿佐ヶ谷中学校に転入し、その後夏川りみさんは芸能コースがある芸能人御用達学校である堀越高等学校に入学しました。
夏川りみ、演歌歌手デビューを果たす
「星美里」の名義で演歌歌手デビュー
夏川りみさんは高校1年生くらいの時に「星美里(ほし みさと)」の芸名で演歌歌手としてデビューしました。
「美里」という名前は逆にすると夏川りみさんの本名の「りみ」と呼べますが、これが名前の由来かどうかは不明です。
夏川りみさんはファーストシングル「しほり」をリリースしましたが、歌手で作曲家の藤山一郎さんから「40年に一度出るか出ないかの歌手」と高評価を受けながらもヒットにはつながりませんでした。
デビューから4年後の1993年に「第3回NHK新人歌謡コンテスト」に出場しましたが、夏川りみさんはまさかの予選敗退をしてしまいました。
夏川りみさんは決勝戦まで本命の「港雨情」を残し、予選をカップリング曲で臨んだことが仇となってしまいましたが、夏川りみさんの歌唱力が足りなかったというよりは選曲が良くなかったのかもしれません。
完全に歌手としての自信を失った夏川りみさんは1996年に見切りをつけて引退し、沖縄県那覇市に戻って姉が経営していたラウンジ「花あかり」で手伝いをしながらお店で歌っていました。
夏川りみさんはトップクラスの歌唱力を持つ歌手であるため、お店には夏川りみさんの歌を聴きに来る客が増えて話題となっていました。
そうした影響から、夏川りみさんは1998年には琉球放送のラジオ番組『岩ちゃんのビタミンラジオ』に本名の”兼久りみ”としてアシスタントとして出演を始めました。
夏川りみ、再デビューで「涙そうそう」が大ヒット
再デビューで大ブレークした夏川りみ
夏川りみさんは前の名義”星美里”から”夏川りみ”に変えて1999年に再び歌手として再デビューしたところ「涙そうそう」がロングランセールスとなり大ヒットを飛ばしました。
夏川りみさんのデビューの話は、ポニーキャニオンでディレクターをしていた三井健生さんが夏川りみさんのために音楽事務所・三井エージェンシーを立ち上げてのスタートでした。
夏川りみさんは再び沖縄から上京し、1999年にリリースした「夕映えにゆれて」で再デビューを果たしました。
それでも夏川りみさんはヒット曲が出ない状態が続きましたが、2001年に発売した森山良子さん作詞、BEGIN作曲の「涙そうそう」が少しずつヒットし始め、オリコンチャートに116週連続でランクインするなどロングランセールスとなり累計100万枚以上出荷するミリオンヒットとなりました。
夏川りみさんは2002年には「涙そうそう」が『第44回日本レコード大賞』で金賞を受賞し、年末の『第53回NHK紅白歌合戦』にも同曲で出場しました。
楽曲提供をしたBEGINも夏川りみさんと一緒に出場したため、故郷石垣島では夏川りみさんのために「出場おめでとう」の横断幕が島中に飾られて大騒ぎとなっていたそうです。
この時、夏川りみさんは石垣市の伝統であるミンサー織りを着て出場していました。
夏川りみさんは2005年まで4年連続で『紅白歌合戦』に出場して「涙そうそう」を歌いました。
また、2003年には古謝美佐子さんの名曲「童神」を夏川りみさんがカバーし、『第45回日本レコード大賞』で再び金賞を受賞しました。
古謝美佐子さんの曲「童神」をカバーした夏川りみさんのYouTube動画。
続く翌年2004年にも夏川りみさんの7枚目のシングル「愛よ愛よ」で『第46回日本レコード大賞』において最優秀歌唱賞を受賞するなど、夏川りみさんは日本を代表する歌手のひとりとなりました。
2005年には愛知万博のNHK番組で夏川りみさんの「ココロツタエ」がテーマ曲として使用され、アニメ『ドラえもん』のオープニングソングとして「ハグしちゃお」を発表し、26年ぶりの主題歌変更の節目を担うことになりました。
同年10月には夏川りみさんは「オーロラ基金」が主催したコンサートで初めて海外進出を果たしました。
同年8月6日にはこうした歌手としての輝かしい功績を築いてきた夏川りみさんに、石垣市を広くアピールした功績が讃えられて「石垣市市民栄誉章」が贈られました。
夏川りみさん、歌声が好きです。#のど自慢
— ぐらび (@1980_seyakate) 2017年12月3日
夏川りみ、女優デビューのオファーもあった
夏川りみは女優デビューを断っていた
夏川りみさんは2005年までの活躍から映画「涙そうそう」の制作が決まり、女優として出演オファーが来ていましたが断っています。
夏川りみさんは2006年に公開された映画『涙そうそう』に学校の先生役としてオファーが来ていたそうです。
しかし、夏川りみさんは「私は歌しかできない」として断ったそうです。
同映画は主演が妻夫木聡さんと長澤まさみさんのW主演で、もし夏川りみさんが出演していたら長澤まさみさんの役の先生をする予定だったようです。
夏川りみのミンサー柄の刺青に込められた想いとは?
夏川りみのタトゥーが話題となった
夏川りみさんは「涙そうそう」でブレーク後にメディアによく出演するようになったことから手首と足首に入れられたタトゥーが話題となりました。
ミュージシャンでタトゥーを入れている人は多いですが、沖縄の素朴な歌手である夏川りみさんがタトゥーを入れていたとあってネットでは話題となりました。
一般的にたとえミュージシャンであっても刺青に良いイメージを持っている人は少なく、特にヤクザを彷彿とさせてしまうため刺青が入っているだけでファンをやめてしまう人もいるほどのようです。
夏川りみさんは入れているタトゥーの柄は石垣島に伝わる伝統のミンサー柄で、沖縄出身のミュージシャンはタトゥーを入れている人が多いとも言われますが、何か特別な意味があるのでしょうか?
夏川りみの刺青に込められた意味
夏川りみの刺青に込められた深遠な意味とは?
夏川りみさんのタトゥーの”ミンサー”は400年前から続く伝統的な織物のことで「綿(ミン)で織られた幅の狭(サー)い帯」という沖縄の言葉から生まれたものでした。
夏川りみさんは手首と足首にブレスレットのようなタトゥーを入れていますが、石垣島に伝わるミンサーの柄をそのまま入れたものでした。
ミンサーに込められた意味は「いつの世までも末永く」「いつも世までも変わらぬ愛」と言われており、幾重にも重ねて織ることから「愛を重ねる」という意味も込められているそうです。
夏川りみさんは故郷の石垣市ひいては沖縄を背負って歌っていたと思いますので、東京に行っても故郷への強い想いを忘れないように体にタトゥーとして刻み込んだのかもしれませんね。
実は夏川りみも手首にタトュー入れてるという事実
— えるて (@eltixxmixi) 2018年1月18日
夏川りみの実家と家族(旦那・子供)について
夏川りみは2009年1月1日にパーカッション奏者・玉木正昭と結婚した
そして夏川りみさんは2010年8月20日に第一子となる男児を出産しています。切迫流産の危険があったものの無事元気な男の子を出産したそうです。
夏川りみさんの夫・玉木正昭さんはパーカッション奏者で、TUBEのサポートメンバーをしています。
夏川りみさんと玉木正昭さんの馴れ初めは、2007年に開催されたツアーライブで、サポートメンバーとして入った玉木正昭さんと意気投合し、約2年間の交際を経て結婚しました。
夏川りみさんと玉木正昭さんの子供の名前は「音来」と書いて「にらい」と呼ぶようで、ミュージシャン夫婦らしい名前だと言えるでしょう。
音来君の名前の由来は沖縄の言い伝えから来ており、「遥か東の海にある豊穣や生命の源の異郷”ニライカナイ”」からちなんでつけられたようです。
夏川りみの実家や家族は?
夏川りみさんの実家の女衆は五女以外全員ラウンジ「花あかり」で働いている
先述の通り夏川りみさんの実家は石垣市でラウンジ「花あかり」を経営しており、五女以外は全員ここで働いているそうです。
ラウンジ「花あかり」のママは夏川りみさんの母親が務め、長女、次女、四女が手伝っているそうです。
夏川りみさんも先述の通り再デビュー以前にはこのお店を手伝いながら歌手として歌っており、現在も帰郷した折には歌っているそうです。
お店の壁には夏川りみさんのポスターがたくさん貼られているそうで、お店の佇まいもとても素朴な感じだということです。
夏川りみさんの効果で繁盛しているようで、本店の近くに2号店が開店しているようです。
夏川りみは現在何をしている?
夏川りみは現在もバリバリ歌手として活動している
夏川りみさんは全国区のテレビにこそ出演する機会は少ないですが、全国でイベントやライブに出演するなど歌手として精力的に活動しています。
夏川りみさんのオフィシャルサイトを覗けば、現在もとても精力的に活動していることが分かり、2017年12月には4回もライブを行っていたようです。
2017.12.27 live ケアリイ・レイシェルのジャパンツアーゲスト出演決定!
2017.12.21 live 岳南法人会チャリティーコンサート2018
2017.12.16 live 出演決定!琉神フェスティバル「チカラ」2018 in SHIZUOKA
2017.12.15 live (開催決定) 夏川りみコンサート 愛知県日進市民会館
夏川りみさんは2017年12月だけでも4回のライブを開催しており、年末以外にも毎月2、3回はライブやイベントを開催しているようです。
夏川りみめっちゃ好きなんだがわかる奴おらんか
— じゃむぱん (@jam2bun) 2017年12月17日
やっぱり夏川りみさんいい声してるわ…、大好きや
— ピーヒョロロ(命名ツッコミ) (@Reon_inugami) 2018年1月18日
夏川りみについて総まとめすると・・・
2001年に発売した「涙そうそう」で大ブレークを果たし、現在まで歌手として活躍している沖縄県石垣市出身の夏川りみさんについて総まとめしてきました。
沖縄出身の歌手は魅力的な人が多いものの、夏川りみさんの歌声は特に人の心に響かせるものがあります。
歌唱力の高い歌手としても名前を挙げられることがある夏川りみさんですが、これからも感動するような名曲を世に送り出して欲しいですね。