歌手の辺見マリさんですが、西郷輝彦さんとの結婚と離婚、その後の再婚と離婚、そして拝み屋に洗脳された過去など波乱万丈な人生を送っています。
辺見マリさんの旦那や子供(息子・娘)の情報、そして洗脳事件など現在までを総まとめしました。
この記事の目次
辺見マリのプロフィール
名前:辺見マリ(へんみ まり)
本名:逸見万里(へんみ まり)
生年月日:1950年10月5日
学歴:平安女学院高校卒業
出身地:神奈川県逗子市/京都府京都市
身長:162cm
デビュー年:1969年
所属事務所:辺見プロモーション
辺見マリはスペイン系アメリカ人と日本人のハーフ
日本の芸能界におけるハーフ芸能人の走りでもあった辺見マリさんでしたが、実はかなり複雑な家庭に生まれました。
辺見さんは、1950年10月に、神奈川県逗子市(当時横須賀市)に生まれて、父親は米軍将校だったスペイン系アメリカ人の男性でした。
俗に言うGIベビーの1人だった辺見さんでしたが、母・美保子さんと実父は、辺見さんが誕生してから2ヶ月後には離別をしております。
日本が連合国軍占領下にあった1945年9月2日から1952年4月27日までの間、日本の占領にあたったアメリカ軍を中心とする連合国軍の占領軍兵士との間に生まれた混血児のこと。戦後の落とし子、と呼ばれ、1953年に厚生省が行った調査によると、国内で4972人のGIベビーが確認されている。
引用:GIベビー
その後京都府京都市に移住した美保子さんは逸見覃(ひろし)さんという男性と再婚し、覃さんが辺見さんの育ての父となりました。
覃さんは辺見さんのことを我が子同然に育てたため、辺見さんは自分と父親に血縁関係がないことにはまったく気が付かないまま育ったそうです。
辺見さんが自身の生い立ちのことを知ったのは、芸能デビューを目指して上京し、渡辺プロに入社をしてレッスンに励んでいた1967年10月のことでした。
京都から上京してきた美保子さんにより、初めて自身の生い立ちを知らされた時はショックを受けたという辺見さんでしたが、同時に自分の父は覃さんしかいないという感情にも気がついたそうです。
辺見マリ、「経験」のヒットで紅白歌合戦に出場
1969年にシングル「ダニエル・モナムール」で歌手デビューを果たした辺見マリさんですが、1970年にリリースした2ndシングル「経験」がオリコン週間チャートで2位に入り、ブレイクを果たします。
「経験」はその後ロングセラー化して、最終的には1970年の年間シングルランキングで13位に輝く大ヒットとなりました。
辺見さんは、「経験」のヒットにより1970年のレコード大賞新人賞を受賞した他、同年の紅白歌合戦にも出場するなど、一躍一流歌手の仲間入りを果たしました。
辺見マリと西郷輝彦との結婚と離婚~子供は息子と娘が1人ずつ
辺見マリ、1972年に西郷輝彦と結婚
辺見マリさんはデビュー4年目となる1972年に、歌手兼俳優の西郷輝彦さんと結婚をしております。
西郷さんは1960年代に歌手として一世を風靡しており、橋幸夫さんや舟木一夫さんらと並び御三家と称されたこともありました。
西郷さんの主なヒット曲には、「君だけを」や「星のフラメンコ」などがあります。
西郷さんが俳優として頭角を現したきっかけは、1973年から1977年にかけて放映されたドラマ「どてらい男(ヤツ)」シリーズの主役・山下猛造役がきっかけとなります。
以降は俳優としての活躍がメインとなった西郷さんは、1975年から1981年にかけて、「江戸を斬る」シリーズの主役・遠山金四郎役を演じ、人気を博したことでも知られています。
ちなみに、西郷さんとの結婚後の辺見さんは芸能界を引退し、家庭に入ることになりました。
辺見マリ、西郷輝彦との間に2人の子供を授かる
辺見マリさん・西郷輝彦さん夫妻には、1973年10月になると、第1子となる長男の辺見鑑孝さんが生まれております。
鑑孝さんは、「Changin’ My Life」や「爆音カフェ」といったバンドで活躍した後、現在は辺見さんも所属する芸能事務所「辺見プロモーション」の社長として活動中です。
辺見さん・西郷さん夫妻には、1976年12月になると第2子である長女の辺見えみりさんも生まれました。
辺見えみりの離婚理由&元旦那・松田賢二や子供の情報まとめ
1993年に女優として芸能界デビューを果たしたえみりさんは、1990年代中盤以降は「スーパーJOCKEY」や「ワンダフル」といったバラエティ番組で活躍をしており、バラドルとして一世を風靡することになりました。
結婚早々に子宝にも恵まれた辺見さん・西郷さん夫妻でしたが、夫婦生活は長くは続かずに、結婚10年目となる1981年に離婚へと追い込まれています。
辺見マリ、旦那・西郷輝彦とはすれ違いで離婚?
子宝に恵まれながらも、結婚10年目となる1981年に破局を迎えた辺見マリさん・西郷輝彦さん夫妻ですが、その原因は西郷さんの仕事の好調さだったようですね。
結婚後、「どてらい男(ヤツ)」シリーズや「江戸を斬る」シリーズなどの長期レギュラーの仕事に恵まれた西郷さんは、その後も「新幹線公安官」や「刑事鉄平」といった人気ドラマの主役が次々と舞い込んで来る状況でした。
そのため、西郷さんが辺見さんの待つ自宅へ帰ってくるのは、週1日程度というすれ違いの日々が続きました。
その結果、性格の不一致という建前で離婚することになった2人でしたが、子供の親権は辺見さん側が持つこととなり、辺見さんは子供たちを養うために芸能界復帰を果たすことにもなりました。
辺見マリ、娘・辺見えみりに父親を西城秀樹と勘違いされた過去も
離婚後の辺見マリさんと西郷輝彦さんですが、ほとんど没交渉状態だったようですね。
そのため、4歳の時に西郷さんと別れた辺見えみりさんは父親の顔も覚えておらず、「(父親は)『西』っていう漢字が付く、歌を歌ってる人」という辺見さんからの情報のせいで、歌手の西城秀樹さんのことを実父と勘違いしていた時期があったそうです。
4歳で父親と別れた子供時代のえみりは、西郷について「ほとんど写真も見てなかったし、記憶がない」状態。「『西』っていう漢字が付く、歌を歌ってる人と聞いていた」ため、「知りたいからテレビを見て、どの人だろうと思ってたら、西城秀樹さんが歌を歌ってらっしゃって、みんなに『キャ~ッ!』って(騒がれていた)。『すっげえ人気あるじゃん』(と思って)めっちゃうれしかった」と、西城さんが父親だと思い込んだという。
母・マリに「お父さんすごいね」といった話をしたところ、マリに「はっ!?お父さん、時代劇に出てる人だよ」と真相を教えられ、「子供から見たら『こっち?あ、そっか』。(時代劇は)派手さに欠ける」と、盛り上がりが冷めたという。
近年ですと、離婚した父娘がまったくの没交渉というのは珍しい話にも思えますが、1980年代は写真週刊誌などが猛威を奮っていた時代でもあったため、西郷さん的には気軽に娘に会いに行けなかったという事情でもあったのかもしれませんね。
辺見マリと宝石デザイナーとの再婚と離婚
辺見マリ、宝石デザイナー・河澄信介さんと再婚するもわずか4年で離婚
辺見マリさんは、2001年10月に、14歳年下の宝石デザイナー・河澄信介さんと再婚したものの、結婚生活5年目となる2005年10月に離婚をしています。
2人の離婚原因に関しては、辺見さん曰く「彼がだんだん忙しくなって私をかえりみなくなった」ことが大きかったようですね。
元々、夫の方が14歳年下という年齢的な問題もあり、短い結婚期間内でも河澄さん側に2度の浮気があったとか。
その他にも、河澄さんには金銭トラブルなども報じられていたため、2度目の結婚生活も幸せなものにはならなかったと言える辺見さん。
2005年11月に行われた離婚記者会見の場では、ひたすら河澄さんのフォローをしていた辺見さんですが、年の差カップル特有のパートナーへの負い目により、対等な関係が築きにくい状況だったのかもしれません。
辺見マリ洗脳事件とは?拝み屋に約5億円むしり取られて自宅も売却
辺見マリ、マネージャーに拝み屋Kを紹介される
辺見マリさんといえば、現在では歌手としての実績以上に洗脳騒動でお馴染みの存在となります。
辺見さんが、洗脳騒動に巻き込まれたきっかけに関しては、マネージャーに紹介された拝み屋Kと出会ったことが原因だったりします。
始まりは1988年。「知り合いに神様と話せる人がいる。会ってみませんか?」と当時の男性マネージャーに誘われたのがきっかけだった。「コイツ、何言うてんねん!?」と心の中で半笑いしていたというのだが…。
当初は霊感商法を信用していなかった辺見さんが、マネージャーの誘いに乗って拝み屋Kの元を訪ねた理由は、離婚後に女手1つで子供2人と両親の生活を見続ける日々への疲れが大きかったとか。
意外なことに、西郷輝彦さんとの離婚時の慰謝料は0円だったようで、1988年当時の辺見さんは、一家の大黒柱としての責任感に加え、復帰後ヒット曲がない歌手活動への行き詰まり感などで、精神的にかなりまいっていたそうです。
そのため、誰か相談相手を欲していた辺見さんは、実際に会ってみると胡散臭い部分も少ないように見えた拝み屋Kに対して、日々の悩みを相談するようになっていったとか。
辺見が紹介されたのは、祈祷や霊視などで人の悩みを解決する「拝み屋」のKという女性だった。指定された都内ホテルに赴いた辺見を、Kは夫と子供と共に家族で出迎えたという。「Kは当時42才くらい。普通のおばさんでした。私は構えていました。壺を買わされる? お札を買わされる? でも、実際は違いました」
この時、Kは神様のことは一切口に出さず、辺見の悩みや不安に黙って耳を傾けた。安心した辺見はKに頻繁に相談するようになっていった。感謝の気持ちとしてお金を渡そうとしても、Kは拒否し続けたという。
辺見さんは、この段階で既に洗脳プロセスの第一歩である「安心」状況に陥ってわけですが、拝み屋Kの洗脳テクニックはここから本領が発揮されることになりました。
辺見マリ、マネージャーも拝み屋一派とグルだった
拝み屋Kの洗脳テクニックに乗ってしまい、まんまと彼女に悩みを相談する状況へと誘い込まれてしまった辺見マリさんですが、娘である辺見えみりさんを利用されて、さらなる洗脳の深みにハマって行くことになりました。
やがて女性は「神様の声が聞こえた。娘のえみりさんの目が見えなくなりますよ」などと“お告げ”をするように。辺見は「ありえない」と思って帰宅し、えみりに聞くと視力が1・5が0・1に低下していたことを知って驚いた。
やがて辺見は「この方は神様の声が聞こえているかもしれない」と信じるようになったという。
洗脳プロセスの「驚き」の部分に該当する「神のお告げの的中」となりますが、もちろん本当に心霊的な要素のあるものではありませんでした。
辺見さんに拝み屋Kを紹介したマネージャーが彼女の一派だったらしく、辺見さん一家の個人情報を横流していたようですね。
こうして神のお告げを信じ込まされることとなった辺見さんは、拝み屋Kからお金をせびり取られるようになり、地獄のような日々が始まることとなります。
この時を境にKの金銭要求が始まった。「他ならぬ神様がお金を欲している」──。相談のたびに1万~2万円を払わされるようになり、いつしか要求される金額も跳ね上がっていった。「このままだと子供がグレる。10万円払えば救える」と言われれば、あっさり支払うほど心酔していた。
辺見マリ、拝み屋Kに生活をコントロールされる
辺見マリさんが、拝み屋Kの元で修行と称した集団生活を送るきっかけとなったのは、下記の記事のような出来事があったそうですね。
さらに、Kの元には辺見以外の女性相談者Aが訪れていた。KはAとお祈りなどの「修行」に励んでいた。最初は傍観者として修行を眺めていた辺見だが、やがて「仲間外れ」にされていると嫉妬するようになる。
「彼女たちがうらやましい、私だけ入れないのは悔しいっていう心境になって…。そんな嫉妬心に耐えられず、ついに私の方から“修行させてください”と言ってしまったんです」
もちろん、拝み屋Kとその弟子Aは共犯者であり、上記の光景は辺見さんを洗脳プロセスの「嫉妬」段階に追いやるための罠だったわけですが、当時の辺見さんがそれに気がつくことはありませんでした。
辺見さんをほぼ洗脳状況へと追いやった拝み屋Kは、総仕上げとして辺見さんに自宅とは別にマンションを用意させ、修行のためにそこで集団生活を送ることを強要しました。
マンションにて辺見さんが生活を共にすることとなった人間たちは、拝み屋Kの家族やその信者たちだったようで、そこには拝み屋Kの弟子Aの姿もありました。
その後、「神からのお告げ」により拝み屋Kから芸能関連の仕事を辞めさせられてしまった辺見さんは、世間から隔離されることとなり、洗脳プロセスの最終段階である「囲い込み」状況に追い込まれました。
この時期の辺見さんは、洗脳度のチェックのためか、拝み屋Kに食事量までコントロールされた結果、体重が72kgまで激太りすることになりました。
母の異変に関しては、娘である辺見えみりさんも気がついてはいたようで、別人のように変わり果てた辺見さんの姿を前に、戸惑いを覚えていたとか。
これに関してえみりは、「私は歌っている母親が大好きで尊敬していたので、なんてそれを捨ててそっちに行くんだろう?」と疑問を持ったと語り、「いろいろやりだしたころから『ヤバイな』」と危惧したという。
ちなみに、辺見さんが完全洗脳されるまでにかかった期間はわずか1年程だったようで、辺見さんの洗脳を終えた拝み屋Kは、その半年後に「神のお告げが聞こえなくなった」と言って失踪しました。
この間に、辺見さんが拝み屋Kに搾取されたお金は1000万円ほどだったようですね。
辺見マリ、拝み屋Aの登場で自宅まで売却する羽目になる
拝み屋Kが失踪して以降の辺見マリさんですが、拝み屋Kの弟子Aが突然「神の声が聞こえるようになった!」と言い出し、新たな拝み屋となりました。
普通に考えるといかにも怪しい展開となりますが、拝み屋Kの失踪以来、依存先を失い焦燥感にかられていた辺見さんは、拝み屋Aの言葉をそのまま信用して言いなりとなってしまいます。
拝み屋Kが洗脳担当だったならば、拝み屋Aの担当は財産を搾取する役割だったようで、辺見さんに対して「金は汚いから全て捨てて浄化しなさい」と言い出します。
既に洗脳が完成していた状況だった辺見さんは、拝み屋Aの言うことに何の疑問も抱かずに、マカオやラスベガスのカジノに行っては散財を繰り返すことになります。
ちなみに、実際のところはカジノで負けて財産を失ったというよりは、拝み屋A一派がルールの分からない辺見さんに「負けた」という嘘の報告をして騙したうえ、こっそりとコインを換金して自分の懐に入れていたようですね。
拝み屋Aは、元カジノディーラーという変わった経歴の持ち主でもあったため、カジノにて素人をはめ込んで搾取する手腕に長けていたのかも知れませんね。
カジノを利用したマネーロンダリングに利用されてしまった辺見さんの貯金は瞬く間になくなっていきますが、拝み屋A一派が辺見さんに対する搾取の手を緩めることはありませんでした。
そのため辺見さんは、拝み屋Aに渡すお金を捻出するために、生命保険の解約や宝石の売却だけでは収まらずに、家族の住む自宅まで売却する羽目になったとか。
この時の辺見家の惨状に関しては、娘の辺見えみりさんが下記の記事のように振り返っています。
そして、母が自宅を売却してしまうと、えみりは「ああ、お母さんじゃなくなっちゃったな。小さい頃のお母さんはもういなくなっちゃった。辺見マリさんではなかった」とその時の心境を語った。
辺見マリ、拝み屋Aにヌード写真集まで出版させられる
拝み屋Aのせいですべての財産を失った辺見マリさんですが、1993年になると、新たな資金捻出方法として芸能界復帰を促され、ヌード写真集「INFINITO」を出版させられることになりました。
「INFINITO」撮影当時、長女である辺見えみりさんは16歳だったため、多感な時期の少女にとって母親がヌード写真集を発売することは、かなり複雑な思いがあったようですね。
借金返済に困ったマリは、ついに拝み屋Aの提案でヘアヌード写真集の出版を画策。だが撮影当日、えみりは「絶対的に嫌だったから止めた」と語った。それでも仕事だからと送り出したえみりだったが、「素敵なママを撮ってくれればという思いもあったものの、お金のためっていうのが引っ掛かる」とわだかまりを抱いていたという。
娘の反対を押し切ってまで出版した「INFINITO」のおかげで、2000万円の臨時収入を得た辺見さんでしたが、当然ながらそのお金も拝み屋Aに搾取されることになりました。
辺見マリ、娘の芸能デビューの契約金と給料にまで手を付ける
辺見マリさんが洗脳されて以降は家庭がメチャクチャになってしまった辺見家でしたが、明るい話題もありました。
それは、1993年に長女・辺見えみりさんが16歳の若さで芸能デビューを果たしたという、芸能一家らしい話題だったわけですが、えみりさんの稼いだ給料1年分と契約金が辺見さんによって持ち出されて、拝み屋Aの懐の中へ消えたという新たなトラブルも発生しました。
このことは少女時代のえみりさんにとっては大変にショックな出来事だったらしく、本格的に母子の仲が破綻する原因となってしまったようですね。
その後、えみりは芸能界に入るが、その時の数千万円という契約金も母に使い込まれており、「それも使っちゃったんだ。すっごい……最低だな」と思ったそう。洗脳が解けても、えみりは母に裏切られたという思いがあるため、すぐには仲良くなれることもなく、関係の修復には時間がかかったという。
娘の稼ぎにまで手を出しても金策が追いつかなかった辺見さんは、この時期になると消費者金融相手に多額の借金までする状況にもなっていたとか。
ちなみに、そんな母親の状況に嫌気がさしたえみりさんは、19歳の時に家を出ていってしまいました。
えみりは18日、ブログを更新。「しくじり先生」は騒動の間もずっと家族一緒に暮らしていたようにとれる放送内容だったが、自身は19歳で家を出ていると補足した。
辺見マリ、ダイエット教室の学費まで着服され洗脳が解ける
拝み屋Aに好き放題に翻弄されていた辺見マリさんでしたが、洗脳生活13年目に呪縛から解き放される瞬間がやって来ました。
拝み屋Aの命令でダイエットを強要された辺見さんは、その成功談を元にダイエット教室を開催させられました。
元々歌手時代に絶大な知名度を誇っていた辺見さんが主催したダイエット教室は、多くの生徒を集めて大成功を収めたのですが、拝み屋Aがその学費を着服していたことが発覚します。
歌手時代からファンを大切にしていた辺見さんにとって、自分を信じて集まってくれた生徒を食い物にした拝み屋Aの行為は許せるものではなかったようで、怒りのあまり洗脳が解けるという副産物を生むことになりました。
以降は、拝み屋Aとはきっぱりと縁切りをした辺見さんでしたが、それまでに搾取されたお金は総額4億9000万円にも及び、当然ながら1円も手元に戻ってきていないようですね。
ちなみに、着服してしまった辺見えみりさんの契約金や1年分のギャラに関しては、洗脳から解き放されて以降にこつこつと娘に返済しているそうです。
辺見マリを洗脳した犯人たちの名前は神田と安藤?
霊感商法の場合でも刑事事件化するケースが多い日本ではありますが、辺見マリさんを陥れた拝み屋Kも拝み屋Aも残念ながら現在までに逮捕はされていないようですね。
ちなみに、拝み屋Kは神田、拝み屋Aは安藤という名字を名乗っていたようですが、辺見さんをはめ込んだ手口を見るとこの手の霊感商法の常習者であることは間違いないため、恐らくは偽名を使っていたものと思われます。
霊感商法に関しては一度関わったら最後、辺見さんのように骨の髄までしゃぶられてしまうことになりますから、読者のみなさんもくれぐれも怪しい誘いには乗らないようにお気をつけ下さい。
辺見マリの現在~元旦那・西郷輝彦との関係も修復
長女・辺見えみりに子供が生まれるもバツ2になっていた
13年に及ぶ洗脳地獄からようやく抜け出せた辺見マリさんには、2006年1月になると、長女・辺見えみりさんがお笑い芸人兼放送作家である木村祐一さんと結婚をするという朗報が届きます。
しかしながら、えみりさん最初の結婚生活は木村さんの浮気などが原因となり、結婚4年目となる2008年4月に離婚の憂き目となりました。
【キム兄】木村祐一と辺見えみりの離婚理由と子供!旦那の浮気や嫁へのDVの噂もまとめ【結婚歴4回】
続く2011年3月に、今度は俳優の松田賢二さんと再婚をしたえみりさんには、2013年6月に第一子となる長女が誕生しております。
この頃には、洗脳騒動で出来た軋轢を乗り越えてえみりさんとの仲も修復していた辺見さんは、大喜びで孫の面倒を見ていました。
一方で、松田さんとの夫婦生活も仕事観の違いで破綻してしまったえみりさんは、2018年2月になると2度目の離婚を公表しており、母子揃ってバツ2という状況に陥っております。
辺見マリ、現在は元夫・西郷輝彦とも交流がある
人並み外れて苦労が重なる人生を送って来たと言える辺見マリさんでしたが、70歳も間近に迫ってきている現在では、元夫である西郷輝彦さんとの関係も修復しているようですね。
西郷さんは1990年に再婚しており別の家庭がある身の上なため、辺見さんとは距離を置いた関係が続いていたようですが、お互い終活が身近になってくる年齢ということもあり、娘の辺見えみりさんが音頭を取り、近年は3人で会う機会も増えているとか。
母・辺見マリと3人で会うことも最近はあるそうで、「みんな最期に向かっていく年齢だし、わだかまりはない方がいい」とえみり自らが音頭を取って親子の触れ合う機会を作っているのだとか。
親にとっては、何歳になっても子供はかすがいということなのかもしれませんね。
辺見マリについて総まとめをすると…
・辺見マリは2001年10月に、14歳年下の宝石デザイナー・河澄信介さんと再婚するも、2005年10月に離婚した。
・辺見マリは1988年頃から拝み屋に洗脳され、総額5億円もの大金をむしり取られ自宅まで売却した。
・辺見マリは洗脳13年目に、ファン向けダイエット教室の学費まで着服した拝み屋に疑問を持ち、怒りのあまり洗脳が解けた。
長い人生色々とあったものの、現在は娘や孫に囲まれて楽しい人生を送っているように見える辺見マリさん。
洗脳騒動により奪われた財産や時間は戻っては来ませんが、女性の平均年齢が87歳を超える日本だけに、失った幸せを取り戻せる時間は十分残っていることでしょうね。
辺見さんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。