野球界の伝説的存在の野村克也さんと、”サッチー”こと故・野村沙知代さんとの子供であり、現在東京ヤクルトスワローズの一軍バッテリーコーチを務めている野村克則さん。
2017年12月に母・野村沙知代さんが亡くなり、母への想いを語っていました。
フライデーで野村克則さんの不倫現場がスクープされましたが、野村克則さんのプロフィールや経歴、結婚した嫁と子供、また浮気相手や現在について情報をまとめました。
野村克則のプロフィールや経歴
野村克則の父は野村克也、母は野村沙知代
超個性的な両親を持つ野村克則
野村克則さんの父親は野球界のレジェンドである野村克也さんで、母親は2017年12月に急逝したタレントの”サッチー”こと野村沙知代さんでした。現在は東京ヤクルトスワローズの一軍バッテリーコーチを務めていますが、母の死からわずか4ヶ月で不倫が報じられて話題になっています。
野村克也の嫁・野村沙知代が死去…息子3人や現在まで総まとめ
野村克則さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 野村 克則(のむら かつのり)
出身地: 東京都目黒区(大阪府豊中市生まれ)
生年月日: 1973年7月23日
身長: 178 cm
体重: 84 kg
選手歴
堀越高等学校
明治大学
ヤクルトスワローズ (1996 – 1999)
阪神タイガース (2000 – 2003)
読売ジャイアンツ (2004)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2005 – 2006)
コーチ歴
東北楽天ゴールデンイーグルス (2007 – 2009)
読売ジャイアンツ (2010 – 2013)
東京ヤクルトスワローズ (2014 – )
引用:Wikipedia – 野村克則
野村克則の最愛の母・野村沙知代は2017年末に急逝
野村克則さんの母親の野村沙知代さんは2017年12月8日未明に虚血性心不全のため急逝してしまいました。
享年85歳で、野村沙知代さんのお別れ会は2018年1月25日に都内・紀尾井町のホテルニューオータニで執り行われ、野球界や芸能界など関係者が1000人ほど参列しました。
野村克則さんは父親・野村克也さんと母親・野村沙知代さんについて以下のように語っています。
「本当にプラス思考で、父がマイナス思考。すごくバランスのとれた、いい夫婦だったと思う」と亡き母への思い。その一方で、残された父への心配も尽きない。「僕たちが、サポートしていかないといけない。もう『素晴らしい野球人生だった』みたいなことを言っていますけど、まだまだこれから。もっともっと野球界に貢献してほしい」と願った。
野村沙知代さんから溺愛されていた野村克則さん。そんな最愛の母の死から数ヶ月後の2018年4月13日に写真週刊誌「FRYDAY(フライデー)」により不倫疑惑が報じられてしまいました。
【ヤクルト】
— いけっち(24)☆生涯虎党宣言☆#25 (@HTno1_) 2017年12月8日
野村克則コーチ
母・沙知代さんの死にコメント
「突然のことで受け入れられず、今は悲しい気持ちではありますが、ここまで育ててくれた母に感謝しかありません。最後はしっかり見送りたいと思います。偉大な母でした」
(ニッカン)
野村克則は野村克也の愛人の子供として出生
野村克則は野村克也の愛人の子として生まれた
野村克則さんは当時南海ホークスの選手兼任監督だった野村克也さんと、愛人だった芳枝さん(野村沙知代)との間に1973年7月23日に大阪府豊中市で生まれました。
当時野村克也さんは野村沙知代さんとの子供である野村克則さんを認知せずにいたため、野村沙知代さんは自身の父親と養子縁組させることを考えていたそうです。
しかし、野村克也さんは前妻と離婚し、野村沙知代さんと1978年に結婚したことで野村克則さんは正式に子供として認知されて家族となりました。
野村沙知代さんは離婚したユダヤ系アメリカ人の前夫との間にふたりの子供である団野村さんとケニー野村さんがいたため、野村克則さんとは異父兄弟となりました。
野村克則は堀越高校から明治大学へ進学
堀越高等学校に進学した野村克則
野村克則さんの出身小学校や中学校は不明ですが、堀越高等学校に通って野球部に所属し、アマチュア野球選手の桑原秀範さんの指導を受けて一塁手、主将として活躍していました。
野村克則さんは堀越高校野球部を率い、1991年春の東京大会で準決勝まで進みましたが、修徳高校との試合で本塁打を放つも敗戦してしまいました。
同年夏には甲子園西東京予選で準決勝で世田谷学園に延長11回の接戦の末に敗退し、野村克則さんの高校野球は無念のままに幕を下ろしました。
堀越高校卒業後は父親の野村克也さんからの「大学へ進んで広い見識を身につけて欲しい」という希望もあり野村克則さんは明治大学に進学しました。
野村克則さんは在学中に東京六大学野球リーグで4度の優勝を経験し、1993年秋のリーグにおいては首位打者で打点王という二冠を達成し、ベストナインに選ばれるなど活躍を見せていました。
野村克則さんは大学最後の1995年秋のリーグでも優勝を飾り、明治神宮野球大会でも決勝で青山学院大学を制して優勝を飾るなど大学時代の活躍は目覚しいものがありました。
野村克則、父・野村克也が監督を務めるヤクルトに入団
父・野村克也が監督を務めるヤクルトに入団した野村克則
野村克則さんは大学最後の年である1995年のドラフト会議で、父・野村克也さんが監督を務めていた東京ヤクルトスワローズから3巡目で指名を受けて捕手として入団しました。野村克也さんと名前が似ているため分かりやすいように登録名を「カツノリ」としていました。
野村克則さんは2011年に自叙伝となる『プロ失格』を日本文芸社より出版しましたが、プロ野球選手時代に父親の野村克也さんから受けていたダメだしの様子が書かれています。
先述の通り、野村克也さんは明治大学野球部時代には優勝を重ねて二冠を達成するなどチームの主力だったことは間違いありませんが、捕手としての経験は大学2年生の頃からと浅かったため守備において不安視されていました。
野村克則さんがヤクルトスワローズに入団する前に野村克也さんにプロ野球への道を選ぶことを明かしましたが、野村克也さんは「プロに入れば苦労するのは目に見えている。会社に務めて安定した道を選べ」という旨を厳しく伝えました。
しかし、野村克則さんは「プロに憧れて野球を始めたんだから失敗しても後悔しない」と反発し、「オヤジだってテスト入団で野球界に入り、浮き沈みを経て”まさか”の成功を収めた」という旨を母・野村沙知代さん譲りの強気の口調で返して野村克也さんを黙らせて納得させてしまったようです。
野村克也さんは息子の覚悟を買ってヤクルトスワローズに指名して貰うようにお願いしたようで、野村克則さんは無事プロ野球界に入ることができました。
野村克則さんは”まさか”を起こすために、野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんに倣って背番号は”33”を選びました。
「プロに入るのは、大学に行ってからの方がいい」と言うのです。見聞が広がる、友人関係、交友関係が広がるから、と何度も言われました。おやじ自身は高校を出てすぐプロになって(京都・峰山高→南海)、大学に行けなかったからなのかもしれません。
野村克也さんはぶっきらぼうな印象が強いですが、子供に対しては非常に深い教育の目を持っていたようですね。
野村克則、プロ野球選手としては大成せず
父・野村克也の言う通りプロの道は厳しかった
晴れてプロ野球選手になった野村克則さんでしたが、早速絶望したそうです。捕手とヤクルトに入団したものの当時は野球界きっての捕手として知られる古田敦也さんが活躍しており、野村克則さんが一軍で捕手を務めるチャンスは皆無に等しかったようです。
追い打ちをかけるように当時のヤクルトの第2捕手にも野口寿浩さんという後に北海道日本ハムファイターズに移籍してオールスター戦に出場した名捕手がいました。
ヤクルトの捕手層の厚さに野村克則さんの一軍での活躍の場はありませんでした。
さらに野村克則さんを苦しめたのは母・野村沙知代さんの”サッチー問題”であり、当時野村沙知代さんは野村克也さんの毒妻として有名タレントになっており、バラエティ番組に引っ張りだこになっていました。
そのため野村克則さんが二軍戦に出場すると観客席からは冷やかすようなヤジが飛んできたそうです。
野村克則さんは父・野村克也さんが野球界のレジェンドであることから「親の七光り」と批判され、母・野村沙知代さんが超個性的なタレントであったことからマスコミ各社に好き放題書かれていました。
野村克則の不遇のプロ野球人生を支えた父・野村克也
野村克則の心の支えは父・野村克也だった
野村克則さんは非常に不遇なプロ野球人生を送っていましたが、その中でも折れずに頑張れたのは”野村克也の息子”という誇りだったそうです。
野村克則さんが偉大な野球選手・監督である野村克也さんを”父親”としても尊敬していたからこそでしょう。
成人してからも、よく言われました。「何をするにも、自分の力だけではできない。『おかげさま』という気持ちを忘れるな、謙虚な気持ちを忘れるな」。なるほどな、というか、今でもその言葉は大切にしています。
おやじは「全てのことは野球に通じている」というスタンス。持論ですね。その人が何を考えているかは、取り組む姿勢で分かると。「評価は自己評価じゃ駄目なんだ。周りの人が評価してくれて、初めて評価になるんだ」とも言われました。
野村克則さんは2000年には父・野村克也さんを追いかけるように阪神タイガースに移籍しました。
しかし、2001年に野村沙知代さんの脱税問題を受けて野村克也さんが監督を辞任し、野村克則さんは後任監督の星野仙一さんの采配により出場機会が無くなったため2004年には読売ジャイアンツに移籍しました。
野村克則さんは移籍をしたものの戦力外となり1年後には東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍をしましたが、偶然にも父・野村克也さんが監督に迎え入れられて再び肩を並べることになりました。
野村克則さんは全くの偶然から父・野村克也さんと同じユニフォームを3度着ることになりましたが、2006年にプロ野球界を引退しました。
その後、野村克則さんは古巣のヤクルトスワローズにバッテリーコーチとして迎え入れられましたが、2020年2月に死去しました。
そういえば野村克則コーチいたな。仕事は誠実だよな
— さくらみん2 (@sakuramin0925) 2018年4月20日
野村克則が結婚した嫁と子供情報まとめ
野村克則の嫁は堀越高校時代からの付き合い
野村克則さんの嫁である1歳年上の野村有紀子さんとは堀越高校時代の同級生で当時から交際していたようです。
野村克則の結婚した嫁は有紀子さん
野村克則さんは2001年1月に堀越高校時代か11年間交際していた有紀子さんと結婚。
当時、野村克也さんはまだヤクルトスワローズの監督に就任する前だったため野村有紀子さんは野村克則さんが野球界の名監督の息子だとは知らなかったようです。
1999年に野村克則さんは家族旅行中に野村有紀子さんとの結婚を考えていることを切り出したそうですが、野村沙知代さんに猛反対を受けたそうです。
その後、野村有紀子さんは野村沙知代さんと会って質問攻めを受けましたが認められたようで、その一週間後に両家で会食をした際に結婚式の日取りや式場に至るまで決定し、結婚に至ったそうです。
野村克則に子供は2人(1男1女)
引退試合での野村克則さんと子供たち
野村克則さんと有紀子さんの間には2人の子供がいます。
2006年の引退試合の時にも2人の子供たちがセレモニーに参加。あれから12年近くたっているので、すでに子供たちは中学生か高校生ぐらいになっているでしょうか。
今回の父親である野村克則さんの不倫疑惑騒動は年頃の子供たちにとってはショックだったでしょうね。
野村克則の現在~FRIDAYに不倫現場をスクープされる
野村克則の不倫相手は日テレ美人番記者
2018年4月13日のフライデーで不倫が報じられた野村克則
野村克則さんは2018年4月3日発売のフライデーで不倫疑惑が報じられて話題となっています。
野村克則さんの不倫相手と思われる女性は、20代後半の日本テレビのディレクターで巨人の番記者だそうで、かつてはヤクルトスワローズを担当していたようです。
その時に野村克則さんと知り合ったようですが、2018年4月3日に食事をした後にホテルに入っていく様子をフライデーにスクープされました。
同月13日に放送されたバラエティ番組『バイキング(フジテレビ系)』では、野村克則さんが相手の女性と食事後にホテルに入る姿を映像で公開し、直撃取材をした時の様子も流しました。
野村克則さんは相手の女性との交際を否定し、ホテルに一緒に入ったことは認めたものの「僕は朝出ましたけど」「(二人で)泊まってないですね」と苦しい言い訳をしていたようです。
この野村克則さんの不倫疑惑を受けて野村克也さんにも突撃取材を敢行しましたが「知らない」とコメントし、「俺独身だけど誰か紹介してくれ」といつものように茶化していたようです。
親も親なら子も子も
— 天使なん?悪魔なん? (@Ku2gaaaaa) 2018年4月14日
「40にもなって、彼は彼なりの人生を
楽しめばいいんだよ。俺、独身だけど誰か
紹介してくれ」はぁああ?
不倫略奪した沙知代夫人を看病してきた
嫁の気持ちは?孫の気持ちは?#不倫は心を殺す#野村克則 pic.twitter.com/2sJKCBwhaZ
野村克則の不倫とか心底どうでもいいし時間割きすぎ!いい加減不倫報道やめようや…外野がとやかく言う事じゃないし、スクープしたマスコミが正義のドヤ顔してるのを想像してクソきも吐きそうになる
— カヱル王子 (@frog_ohji) 2018年4月13日
野村克則について総まとめすると・・・
・野村克則は2018年4月13日、FRIDAYに日本テレビのディレクターで巨人軍の番記者の女性とのホテル密会不倫現場をスクープされた。
野球界のレジェンドである野村克也さんを父親に持ち、故・野村沙知代さんを母親に持つプロ野球コーチ・野村克則さんについて総まとめしてきました。
野村沙知代さんが亡くなってからわずか4ヶ月で不倫が報じられてしまった野村克則さんですが、不思議と他の芸能人ほど意外性は無いようです。
野村克則さんが愛人の女性と子供をもうけてしまえば、尊敬する父親と同じように離婚から再婚の流れに進むかもしれませんね。