元「JUDY AND MARY」のYUKIさんは、現在の旦那であるYO-KING(倉持陽一)さんと結婚し出産しましたが、子供の死去という辛い過去を体験しています。
YUKIさんの夫や子供情報、そして契約終了で再燃したパクリ疑惑の真相まで総まとめしました。
この記事の目次
YUKIのプロフィール
日本の女性POPシンガーの礎を切り開いた立役者・YUKI
YUKIさんはJ-POPバンド「JUDY AND MARY(ジュディ アンド マリー)」のボーカルとして、その個性的な甘くかわいい声を武器に後の多くの女性シンガーに影響を与えてきました。
2001年に多くのファンから惜しまれつつJAMは解散し、翌年からソロシンガーとしてデビューしたYUKIさんですが、現在もなお人気が衰えずカリスマであり続けています。YUKIさんの現在までの活躍について総まとめしました。
YUKIさんについてのプロフィールはこちら。
出生名: 磯谷 有希(いそや ゆき)
生誕: 1972年2月17日
出身地: 北海道函館市
学歴: 函館市立深堀中学校、遺愛女子高等学校、函館大谷短期大学卒業
ジャンル: J-POP,GiRLPOP
職業: 歌手、シンガーソングライター
担当楽器: ボーカル、ギター、ドラム
活動期間: 1992年 –
レーベル: エピックレコードジャパン
共同作業者: agehasprings、玉井健二、蔦谷好位置、JUDY AND MARY
引用:Wikipedia – YUKI
YUKIさんの身長は156cmで、体重は詳しくは不明ですが、過去にラジオで45kgがベスト体重だと語っていたことからキープし続けているかもしれません。
YUKIさんは幼少期から絵画を習っていたこともあってイラストを描くことが現在でも好きなようで、散歩も趣味のようです。
YUKIさんは1990年代に絶大な人気を誇った「JUDY AND MARY」のボーカルとして、社会現象を巻き起こしてきたカリスマ的な存在ですが、現在もソロ歌手として高い人気を誇っています。
YUKIさんの生い立ちから学生時代、そして旦那であるYO-KING(倉持陽一)さんとの結婚、子供の出産など半生について詳しくまとめましたのでご紹介していきましょう。
YUKIの生い立ち
YUKIの破天荒な性格は北海道函館で育まれた
YUKIさんはJAMのボーカルとしてデビュー以降、魅惑的で挑発的なライブパフォーマンスや、ラジオでの奔放すぎる発言など常に話題を振りまいてきました。その破天荒すぎる性格は北海道の地で育まれたようです。
YUKI(磯谷有希)さんは1972年2月17日に北海道函館市深堀町で生まれました。
名前の由来は「この子の前途に希望が有りますように」というもので、祖父が名付けたそうです。
YUKIさんの父親は現役の小学校校長を務めており、同校でYUKIさんのサイン会をしたり、ラジオにも生出演させるなど仲が良いようです。
引用:YouTube「YUKIの父親がラジオに生出演www有り得ない学校の教師のエピソードを語る」より
YUKIさんの父親の名前は磯谷猛さんですが、読みは「たける」だと思いますが、ネット検索では「Mo」となっていますので「もう」さんなのかもしれません。
YUKIさんの母親は磯谷亮子さんで、バスガイドをしていたことからYUKIさんも影響を受けて高校卒業後に地元函館の「北都交通」でバスガイドをしていましたが、運転手のセクハラに耐えられなくなり研修生で辞めています。
YUKIさんの姉は磯谷由佳里さんで看護師をしており、弟の民教さんは司法書士を目指していたと言われていますが現在は不明です。
民教さん生まれてすぐに海沿いの湯浜町に引っ越しています。
YUKI、絵画教室に通っていた
YUKIさんは趣味にイラストを描くことを挙げていますが、絵画教室は入って3回程度で辞めているようですが、その後絵を描き続けていたようです。
YUKIさんは絵画教室でみんな同じテーマで描かないといけないことが嫌でやめたそうです。
幼少期から「人と同じ」が嫌いだったYUKIさんは、超のつく目立ちたがりで自信家だったそうで、父親の猛さんはYUKIさんの強すぎる我が心配だったそうです。
YUKIさんは駒場小学校に入学しています。
YUKI、小学校2年生の頃(7歳)
YUKIの音楽の原点はピアノだった?
YUKIさんは小学校2年生の頃から姉の由佳里さんと一緒にピアノ教室に通い始めたようです。
ピアノの練習に励んだYUKIさんは、ピアノ発表会で初めて函館市民会館で披露し、人前で演奏をしました。
姉の由佳里さんと連弾で「キラキラ星」を演奏し、その次にピアノではなくYUKIさんは童謡の「つりかわさん」を熱唱したという。
YUKIさんの歌手の原点はここだったのでしょう。
YUKI、小学校3年生の頃(8歳)
YUKI、小学校3年生で人生初ライブ
YUKIさんは函館で開催された五輪まゆみさんのコンサートに父親の猛さんに連れていってもらったそうです。
YUKIさんはこの頃に音楽に芽生えたようで、「横浜銀蝿」とその弟分バンド「紅麗威甦(グリース)」のアルバムを買っています。
YUKIさんはアイドル歌手よりもバリバリのロックから入ったようですね。
YUKI、小学校4年生の頃(9歳)
YUKIは始めて音楽で挫折を経験
YUKIさんはピアノが上手く引けなかったことから、教室で習っていた歌も一緒に辞めてしまいます。
YUKIさんがピアノを投げ出してしまったのは、ボーカルとして目覚めるひとつのきっかけだったのかもしれませんね。
YUKI、小学校6年生の頃(11歳)
YUKI、いじめに遭う
YUKIさんは生来の目立ちたがりな性格が災いして小学校6年生の頃にいじめられていたそうです。
出る杭は打たれるとは言いますが、YUKIさんの目立ちたがり屋な性格と自意識過剰さは父親・猛さんを悩ませるものだったようで、小学6年生でいじめに遭ってしまいます。
それでも、YUKIさんはマイペースを貫き、卒業制作の原画を務めた他、卒業作文では長渕剛さんの曲『乾杯』に似せて書き、それをみんなの前で読まれたそうです。
YUKI、中学校1年生の頃(12歳)
YUKI、函館市立深堀中学校に入学
YUKIさんは小学校時代からお尻あたりまであったロングヘア―を中学校に上がるとバッサリカットしてショートカットにしたようです。
YUKIさんは中学校に入学して数か月後にバレー部に入り、同じバレー部に所属する同級生の橘君に恋をしたそうです。
この橘君との恋愛はのちに「JUDY AND MARY」の曲「帰れない2人」の歌詞に想いが込められているという。
友達の誘いでなんとなくバレー部に入ったYUKIさんは、最初はついていけずに先輩部員から叱責を受けたりしていたようですが、そんな苦しい中で男子バレー部の橘君のプレーを目で追うようになっていったそうです。
始めは距離があったものの、YUKIさんはバレンタインデーに橘君にチョコレートをあげ、ふたりは付き合うようになったそうです。
YUKIさんと橘君は地元函館の大森浜に学校帰りにいつも行って遊んでいたようで、夜になっても別れるのが名残惜しく、中々ふたりとも「さよなら」を言えずにいたという。
YUKIさんはその頃の甘酸っぱい青春のエピソードを「帰れない2人」という歌詞に込めたようです。
YUKI、中学校2年生の頃(13歳)
YUKI、後に結成するバンド「アブノーマル」のメンバー・ソボと出会う
YUKIさんとソボさんは中学校2年生の頃に塾をサボって行った乃木神社の夏祭りで出会ったそうです。
YUKIさんはクリスマスのダブルデートで彼氏・橘君とのファーストキスに失敗し、大晦日には亀田八幡宮に橘君を含めた友達らで参拝しているようです。
開けっぴろげで押しの強いイメージのYUKIさんですが、女子中学生時代にはかわいい恥じらいがあったようです。
YUKI、中学校3年生の頃(14歳)
YUKI、彼氏の橘君と別れる
YUKIさんは中学3年生の卒業式の後に橘君とふたりだけで教室でお祝いをしたそうですが、学校が終わり高校が始まるまでの春休みの間に橘君から電話で別れを告げられたようです。
高校進学にあたり、YUKIさんと橘君は進学先が離れたことで別れざるを得なかったのかもしれませんね。
YUKIさんの初めての甘酸っぱい恋愛だったようで、そのことからもJAMとしてデビュー後に「帰れない2人」に美しい思い出としてしたためておきたかったのでしょう。
YUKI、高校1年生の頃(15歳)
YUKI、遺愛女子高等学校に進学
YUKIさんは共学校の北海道函館西高等学校に行きたかったそうですが、落ちたため仕方がなくミッション系の女子高である遺愛女子高等学校に進学しました。
YUKIさんは高校での彼氏作りに共学が良かったのかもしれませんが、女子高に通い始めた影響からなのか不良になってしまいます。
YUKIさんは高校では周囲の信頼も高かったことからバレー部キャプテンを務めていたようですが、サボってばかりで不良として遊んでばかりいたようです。
YUKIさんは髪を紫に染めたり、ディスコに通いつめるなどして停学処分を受けています。
YUKIさんはバレー部に顔を出さずにディスコ「ハッピーバレー」によく行っていたそうですが、同店は火事で全焼したという。
YUKI、悪友らとつるんでシンナーを吸う
YUKIさんは高校時代にグレてしまい家に帰らずに不良仲間の家にたむろするなどしてシンナーを吸っていたようですが、父親の猛さんにバレて失神するほど殴られた経験があるそうです。
また、タバコを吸ったり万引きをして補導されるなどYUKIさんは相当高校時代に荒れていたようですね。
その理由としてYUKIさんは両親の結婚生活が幸せそうに見えず、鬱屈した生活環境に嫌気がさしていたそうで家族も大嫌いだったと語っています。
YUKIさんは高校卒業して早く家を出て上京し、東京で自由気ままな生活をしたいと夢見ていたそうです。
YUKIさんの父親は小学校の校長先生なのでかなり堅い人物だったと思われ、YUKIさんの求める人生とは正反対だと思えたのでしょう。
YUKI、高校2年生の頃(16歳)
YUKI、バンド「アブノーマル」を結成
YUKIさんは高校の夏の文化祭に出演するためのバンドをソボさんから誘われて「アブノーマル」を結成しました。
YUKIさんがボーカルを務めるガールズバンド「アブノーマル」ではブルーハーツの曲『リンダリンダ』などをコピーしていたようで、そのクオリティの高さからラジオなどにも出演していたそうです。
YUKIさんはGLAYのJIROさんとは同郷であり、その繋がりでGLAYの主催するライブに「アブノーマル」として参加し「かまって」「モノクロームの思い出」という曲を作り披露しています。
その頃からGLAYのほかのメンバーであるTERUさんやTAKUROさんらとも交流があるようです。
YUKI、高校3年生の頃(17歳)
YUKI、バンド「アブノーマル」が解散し就職
高校を卒業したYUKIさんやソボさんらは社会人となり「アブノーマル」は解散しました。
YUKIさんは高校を卒業するまでイベントでは度々ライブをしていましたが、卒業後に「アブノーマル」は解散してしまいました。
その後、前述の通りYUKIさんは母親の亮子さんの影響から「北都交通」でバスガイドをするもセクハラから研修生で辞めています。
ちなみに、入社試験では歌を歌うテストがあり、他の新入生はいわゆる”バスガイドが歌う程度の歌唱”をしていましたが、YUKIさんは本気で松村和子さんの曲『帰ってこいよ』を熱唱してドン引きさせてしまったという。
YUKI、短大1年生の頃(18歳)
YUKI、函館大谷女子短期大学に入りなおす
一度就職しかけたYUKIさんでしたが、セクハラによる退社をして函館大谷女子短期大学に入り学生に戻っています。
この頃のYUKIさんはワンレンにサーファーメイクだったという。
YUKIさんは短大に通いながらも地元函館に唯一あったレンタルスタジオ「サウンドパパ」に通いつめ、自作曲の制作に没頭したそうです。
その頃にプロを目指していた高校生3年生のバンドマンと出会い恋に落ちたYUKIさんは、彼氏が卒業して上京した後も手紙のやり取りをして遠距離恋愛をしていたそうです。
また、YUKIさんは自動車免許を取得し、愛車第一号となるミラをアルバイトで貯めた資金で購入しています。
YUKI、短大2年生の頃(19歳)
YUKI、恩田快人と出会って後に「JUDY AND MARY」を結成
YUKIさんは1991年6月に映画『いつかギラギラする日』のロケで函館を訪れていたヘヴィメタルバンド「JACKS’N’JOKER」のベーシストだった恩田快人さんと出会い、のちに「JUDY AND MARY」を結成します。
YUKIさんと恩田快人さんの出会いは偶然だったようで、YUKIさんが映画撮影の打ち上げで自作のデモテープを恩田快人さんに渡し、後のJAMの結成に繋がることになります。
YUKIさんと恩田快人さんらは意気投合して、ハセガワストアでお酒を大量に買い込み、旅館で朝まで飲み会をしていたという。
この頃さんはカフェバーや運転代行のアルバイトをしていたそうです。
YUKI「JUDY AND MARY」結成と解散まで
YUKI、20歳で「JUDY AND MARY」結成
YUKI、恩田快人から声がかかり上京して「JUDY AND MARY」を結成
YUKIさんのデモテープに動かされた恩田快人さんはYUKIさんを東京に呼び寄せて「JUDY AND MARY」を結成します。
1992年2月にYUKIさんをボーカルに恩田快人さん、五十嵐公太さん、ギターのサポートメンバーとともに「JUDY AND MARY」を結成しました。
YUKIさんは地元函館の函館市民体育館で成人式に参加した後上京し、大手エステ会社でエステティシャンをするも研修生で辞め、ボロアパートに住み当時は極貧生活をしていたそうです。
この頃YUKIさんは交際していた彼氏から左耳にピアス穴を開けてもらったそうですが、代表曲『そばかす』の歌詞にあるように”笑えないエピソード”があるのかもしれません。
YUKI、函館では有名人だったが…
YUKIさんは地元函館では有名人で街中でも目立っていたそうですが、上京してすぐに誰も自分を見ないことに「へ~」と思ったそうです。まだJAMがデビューしたてで知られる前なので当然ですが、YUKIさんの自意識過剰ぶりが伺えるエピソードでしょう。
YUKIさんはJAMのデビューしたての頃は毎日100円のパン1個で生活していたそうで、交通費が無いため路上駐車されていた自転車を盗んで使用していたそうです。
さらに、YUKIさんは雑居ビルの階段に無造作に置かれていた酒瓶のケースからビールを拝借して仲間と飲み会をしていたという。
YUKIさんのこの頃の好物は豚の生ひき肉だったそうですが、かなりの貧乏生活を送っていたようで牛乳が腐ってパックが膨張しても飲んでいたそうです。
YUKI、21歳で「JUDY AND MARY」デビュー
YUKI、ついに「JUDY AND MARY」でデビュー
サポートギターの枠にTAKUYAさんが正式メンバーとしてJAMに加入し、1993年9月にエピックレコードジャパンからデビューシングル『POWER OF LOVE』でYUKIさんはデビューしました。
YUKIさんは「JUDY AND MARY」としてデビューし、忙しさに追われて昼夜逆転生活となり毎日の食事は外食で済ませて帰ったら寝るだけの生活をスタートさせました。
デビューシングル『POWER OF LOVE』はオリコンチャートで最高95位、3枚目のシングル『DAYDREAM』は58位、4枚目のシングル『Hello! Orange Sunshine』は22位、7枚目のシングル『Over Drive』は4位と徐々に順位を上げ、9枚目のシングル『そばかす』で初の1位を記録してJAMは社会現象を起こすトップバンドへと昇華しました。
引用:YouTube「JUDYANDMARY そばかす」より
YUKIさんは同時に若さにものを言わせて寝る間も惜しんで遊んでいたようですが、1997年には喉の酷使のし過ぎから声帯ポリープができて手術しており、これをきっかけに健康面でも気をつけるようになったという。
JAMは黄金期を超えて徐々に失速し、2001年3月9日に発売された22枚目のシングル『PEACE -strings version-』を最後に創作活動を終え、バンドは解散してしまいました。
洗濯物を干すのがめんどくさすぎて、やる気を出すためにJUDY&MARY流してたらテンション上がりすぎて眠気ふっとんだし、名曲多過ぎて止まらない😭わくわく感がすごい。特に好きなのは、ひとつだけ、motto、Over Drive、小さな頃から #ジュディマリ#JUDY&MARY
— まっちゃん (@umeatsushu) 2017年10月8日
YUKI、「JUDY AND MARY」が解散
ファンに惜しまれつつ「JUDY AND MARY」は2001年1月9日に解散を発表
バンドを継続して行けなくなったことから2001年1月9日に解散を発表し、「JUDY AND MARY」は2001年3月8日に解散しました。
「JUDY AND MARY」の解散の理由は、メンバー間での創作活動が徐々に難しい状態になっていたようです。
難産となった『POP LIFE』製作の時点で、アルバムを作り上げるプロセスに無理が生じていることをメンバーが認識するようになった。1999年の活動休止期間中にメンバーそれぞれがバンド外で音楽活動をした上で、『Brand New Wave Upper Ground』リリース後に恩田からメンバーに「このまま続けて行くことはできない」旨の申し出があった。恩田は自分の脱退後も残った3人、もしくは新しいベーシストを加えてJUDY AND MARYを続けてほしい意向を持っていたが、結果として解散を前提に『WARP』製作がなされることになった。
恩田快人さんは自身が抜けても残りのメンバーで続けて欲しいと思っていたようですが、YUKIさんはこの当時に「誰かひとりでもいなくなったらダメ」「JAMがやってこれたのは3人のおかげ」と、メンバーが抜けての続行は無いと感じていたようです。
YUKIさんはJAMの解散後にインタビューで下記のように答えています。
こんないいバンドはなかったと思うし、きっとこれからもないと思うんだけど、すごく誇りに思ってるから。 (2月号:ワッツイン)
引用:YUKIの言葉達
また、YUKIさんのJAM解散後のインタビューでは、それぞれのメンバーが音楽活動を続けていくためには解散が一番の”カンフル剤”だったと答えていることや、ギターのTAKUYAさんが活動の中で求める音楽性が変わってきたことに合わなくなってきたと答えていることからも、それぞれの音楽を始めるための解散だったようです。
YUKIさんは誰かが抜けて新しくメンバーを補充する形でのJAMは望んでいなかったようで、「最後まであたしの好きなJAMで嬉しかった」と語っています。
中高生のころ、いっつも聞いてたのはJAMの曲。働きだしたら自分の金でこの人らのライブに行くんや!って思てたら3月に解散ライブ…w
— シリュミナ (@shiryumina) 2017年10月2日
ソロになってからは初期しか聞いてなかったけど今でもYUKIの声が聞こえてくるとやっぱりちょっと聞き耳たてるよねw
YUKIのソロ歌手デビュー
YUKI、ソロ歌手デビューでも成功を掴む
この頃のバンドで解散してソロ歌手デビューしても成功を収めていたアーティストとしては「LUNA SEA」の河村隆一さんなどがいますが、YUKIさんもまたソロ歌手として成功しました。
YUKIさんは30歳となる2002年2月6日にソロデビューシングル『The end of shite』をリリースしました。
オリコンチャート最高6位というまずまずの滑り出しをしており、発売の2日後に『ミュージックステーション』にソロ歌手デビュー初の生出演したのも功を奏したようです。
2002年3月6日にセカンドシングル『プリズム』、2002年6月5日に3枚目のシングル『66db』を発売し、2005年2月23日に発売したサードアルバム『joy』ではオリコン初登場で13.6万枚を売り上げて1位を記録し、累計で34万枚のセールスを記録しJAM以降の人気の健在ぶりを見せつけています。
歌手・YUKIの2年半ぶりとなるオリジナルアルバム『まばたき』(15日発売)が初週3.0万枚を売り上げ、3/27付オリコン週間アルバムランキングで1位に初登場した。
ソロ歌手としても順風満帆なYUKIさんですが、JAM時代の楽曲には自身が作詞した曲に”パクリ疑惑”もありました。
そして、現在事務所の契約終了に伴って何故かパクリ疑惑が再燃しています。
YUKIが契約終了で「パクリ疑惑」が再燃
「JUDY AND MARY」時代のYUKIの作詞にパクリ疑惑
YUKIさんが作詞したJAMのいくつかの曲がレベッカのNOKKOさんの作詞と酷似したものがあり”パクリ疑惑”が囁かれていましたが、事務所との契約終了に伴い再燃しています。
YUKIさんは2017年9月30日付けで「JUDY AND MARY」時代から24年間所属していた事務所ソニー・ミュージックアーティスツとの契約終了を迎えて円満に契約を終了したことを発表しました。
事務所との契約終了したことで未だ片付いていないYUKIさんの作詞の”パクリ疑惑”がネット上で再燃しているようです。
10年以上前から言われ続けていることですが、パクリ疑惑が再燃しているんです。ネットで『YUKI』と入力すると、予測変換で『歌詞』『パクリ』と出てきてしまうほどの状況で、特に80年代に大ブレイクしたレベッカのボーカルでシンガーソングライターのNOKKOが書いた歌詞との類似点が指摘されています。
このYUKIさんの”パクリ疑惑”が浮上するきっかけとなったのは2006年11月に発売された『婦人公論』でレベッカのNOKKOさんが歌詞が盗まれたことや多忙を極めたことで心が消耗し歌えなかったことを告白したことによります。
そこでネット上で特定の動きがあり、同じ事務所の後輩であるJAMのYUKIさんに白羽の矢が立ちました。
下記にJAMのYUKIさんが作詞した曲と、レベッカのNOKKOさんが作詞した曲の類似点を比較してみましょう。
上:レベッカ「Cheap Hippis」 下:JUDY AND MARY「BABY”Q”」
「憧れはスリムでSexyなBodyなのにミントチョコがやめられなかった」
「憧れはsexyなbodyみがかれたhipを揺らしてbabyface大好きなチョコもアイスクリームも目もくらむ女夢見て今は我慢するのよ 」
このふたつの曲の歌詞はかなり類似していると言ってもいいでしょう。
「憧れはsexyなbody」なんてフレーズは中々出て来ない上に、言い回しは違うもののニュアンスはほぼ同じになっています。
上:レベッカ「リトルダーリン」 下:JUDY AND MARY「あいたくて」
レベッカ『リトルダーリン』 ♪疲れを知らない二人だから諦めきれない夢を追うの~
JAM『あいたくて』 ♪疲れを知らない二人だから諦めきれない夢を追う~
引用:ROCK NOTE – YUKIのパクリ疑惑はガセ?歌詞一覧(nokko・銀色夏生・ビョーク・Piffu亜美)。ライブグッズとセトリとチケット(DVD動画)
これに至っては語尾が違うだけでほぼ一緒ですね。
YUKIさんは学生時代からレベッカ、NOKKOさんに非常に強い憧れを抱いていたようで、自身のラジオ番組にゲストとして招いた時には「レベッカの歌は全部歌える」と豪語してNOKKOさんを感激させていたようです。
しかし、YUKIさんはあまりに憧れが強すぎてNOKKOさんの歌詞の印象をそのままフィードバックしてしまっている印象がありますね。
無意識なのかもしれませんが、これはパクリだと言われてもしょうがないかもしれません。
YUKIの旦那は「真心ブラザーズ」のYO-KINGこと倉持陽一
YUKI、「真心ブラザーズ」のYO-KINGと結婚
YUKIさんは2000年9月に「真心ブラザーズ」のボーカル・YO-KINGこと倉持陽一さんと結婚して子供も出産しています。
YUKIさんは過去にファッション雑誌『nonno(ノンノ)』のインタビューで「自分は結婚しないだろう」と思っていたことを明かしています。
また、それ以前にも家族が嫌いで子供も嫌いだということを語っており、YUKIさんは独身を通そうと思っていたのかもしれません。
しかし、「真心ブラザーズ」のボーカルを務めるYO-KINGさんに心から惚れてしまったことで猛アタックし、YUKIさんは憧れだった人と結婚することができたようです。
YUKIさんはもしかしたらYO-KINGさんでなければ結婚しなかったかもしれませんね。
ふたりの馴れ初めは何だったのかご紹介しましょう。
突然思い出したから書くけど、俺YO-KINGの「きれいな水」って曲が大好きなんですよね。割とマジで人生の指針的な曲。みんな聴け。天才。ヨーキンにならYUKIは譲る。 – きれいな水 by YO-KING https://t.co/zvvYOmB5j3
— ゅぅゃ (@you_yah) 2017年8月8日
YUKI、旦那・倉持陽一との馴れ初めは?
YUKIは真心ブラザーズのファンだった
元々YUKIさんは真心ブラザーズのファンで、旦那の倉持陽一さんの姿を見ている内に憧れが強くなっていって猛アタックをしたようですね。
YUKIさんと倉持陽一さんが出会ったきっかけは、YUKIさんが友人のcharaさんと一緒にパーソナリティを務めていた番組「eZ a GO!GO!(テレビ東京系)」で1992年に共演したことによります。
YUKIさんと倉持陽一さんはこの共演により距離が近くなり、同じレーベル会社に所属していることもあって仲良くなっていったそうです。
1994年以降からYUKIさんは真心ブラザーズのライブに行くようになってファンになり、どんどん倉持陽一さんの魅力に引き込まれていきました。
YUKIさんがパーソナリティを務めるラジオ番組『YUKIのオールナイトニッポン』では、番組開始当時から倉持陽一さんが大好きであることを豪語しており、本人がゲスト出演したこともありました。
倉持陽一さんの持っているポジティブな雰囲気やルックス、考え方に共感したYUKIさんは当時付き合っていた彼氏がいたにも関わらず内心は倉持陽一さんが好きでアタックし続けていましたが、倉持陽一さんにも学生時代から長く付き合っていた彼女がいたため交際には発展せずにいました。
しかし、倉持陽一さんがその彼女と別れることになったようで、晴れてYUKIさんと交際がスタートし、結婚に至ったようですね。
YUKI、旦那・倉持陽一はどんな性格の人?
YUKIの旦那・倉持陽一は一度もネガティブになったことがない
人は誰しも落ち込んでネガティブな思考に囚われることが一度はありますが、倉持陽一さんは”YO-KING”の名前の通り生まれて一度もくよくよしたことがないそうです。
天真爛漫で破天荒な性格をしていたYUKIさんの旦那となった倉持陽一さんもまた根っからのポジティブシンキングの持ち主だったようです。
普段は口数が多い方ではなくクールで、あまり他人に干渉しない性格をしているようですが、一度ステージに立つと心の底からロックを楽しむかのように奔放なパフォーマンスを見せてくれます。
倉持陽一さんは過去に番組で「一度もネガティブになったことがない」と語っていることから、超のつく楽天家なのかもしれませんが、YUKIさんとは性格的相性がピッタリなようです。
YUKIの子供は3人~長男が亡くなった悲劇も
YUKI、3人の子供を出産
YUKI、長男を「乳幼児突然死症候群」で亡くす
主に1歳未満の赤ちゃんに発症すると言われる乳幼児突然死症候群(SIDS)ですが、YUKIさんの長男もこれにより1歳11ヶ月で亡くなっています。
YUKIさんの長男は旦那・倉持陽一さんとの結婚から約3年後となる2003年4月18日に誕生し、2005年に1歳11ヵ月で突然死してしまいました。
乳幼児突然死症候群は1歳以上の乳幼児に発症するのは稀だということです。
それまで元気で、ミルクの飲みもよく、すくすく育っていた赤ちゃんが、ある日突然死亡する。これが乳幼児突然死症候群(Sudden Infant Death Syndrome-SIDS)という病気です。
突然深い悲しみの底に落とされたYUKIさんは
こんにちわ。
今日は、かなしいお知らせをしなければなりません。
先日、私たちの息子が安らかな永い眠りに就きました。
いつも通り元気に過ごし、いつも通りきげん良く、
いつも通り「おやすみ」と言ったままの
突然のお別れでした。
1年と11ヶ月の間、私たち3人は本当に幸せでした。
私たちは息子を、精一杯愛しました。
これからもずっと、愛しています。
息子の誕生から今日まで
いろいろと気にかけて頂き、ありがとうございました。
これからも私たちは、いつも息子と一緒です。
そして彼の分までしっかりと、生きていこうと思います。
よろしくお願いします。
2005年3月17日 YO-KING
YUKI (原文ママ)
引用:YUKIさんの報告原文
YUKIさんは悲しみに暮れ、最愛の息子との突然の別れに涙が止まらずに、ツアーを目前に控えていましたが開催できないと思っていたようです。
しかし、YUKIさんは悲しみを乗り越えるためにもツアーを開催してファンに報告することを選択し、ツアー初日から「33年間生きてきた中で1番辛かった」とファンに報告しています。
その後、YUKIさんと旦那・倉持陽一さんの間には2006年8月に次男が誕生、そして2009年5月に三男が誕生しています。
YUKIさんは子供たちの名前も画像も公開していないようですが、現在も亡くなった長男の分まで幸せに暮らしているようです。
YUKIは劣化知らず?アラフィフでもかわいいと絶賛
40代後半に突入しても20代のようだと言われるYUKI
YUKIさんはJAM時代からファッションリーダーとしてもカリスマ的な人気を得てきましたが、現在もその若々しさに「かわいい」と声が上がっています。
「40代の希望」と言われるYUKI
YUKIさんは40代に見えない若々しいルックスを維持ていることから、ネット上で「40代の希望」だと言われているようです。
デビューから24年経過しても変わらないYUKI
YUKIさんは「JUDY AND MARY」としてデビューしてから24年あまりが経ちますが、未だ劣化知らずの容姿に注目が集っています。
厚化粧でごまかさないナチュラルメイクなYUKI
YUKIさんは昔は派手なメイクをすることも多かったようですが、現在はもっぱらナチュラルメイクのようで肌が劣化していないことが伺えます。
劣化するアーティストが多い中劣化知らずなYUKI
最近では若い女性にカリスマ的な人気を誇った大塚愛さんがショートカットにしておばちゃん感満載な劣化を見せていますが、YUKIさんは相変わらずなかわいい姿を維持しており劣化知らずなようです。
YUKI、驚異的なアラフィフに突入?
YUKIさんはこの見た目のままアラフィフに突入したら美魔女の歴史を塗り替えそうですね。
そう!!!あれ?YUKIちゃん、COTより…DOPEより…若い…てかJAMと変わらないじゃん!と毎回思います(*´ー`*)
— 腰が治ってきたKIYORA (@skylineGc1218) 2017年7月23日
同い年\(^^)/意外と少ないのよね!!九州の同い年ってめっちゃ親近感わく
(*´ー`*)👍
やっぱりYUKIは日本一若い同級生だな。スゲー45歳。 #YUKI #JUDYANDMARY #JAM
— westside〜 (@arukodou) 2017年2月3日
YUKIについてまとめると・・・
「JUDY AND MARY」として一時代を築き、その後もソロ歌手として衰えない人気の高さを見せてきたYUKIさんについて総まとめしてきました。
2001年に解散したJAMの歴史は浅いものの、YUKIさんは現在もなおオリコン1位を記録するなど全く色あせていません。
真心ブラザーズのYO-KINGさんと結婚して第一子は乳幼児突然死症候群で亡くすという不幸に見舞われていますが、その後二人の息子に恵まれて現在は幸せに生活しています。
事務所と契約終了で個人事務所を立ち上げるのかもしれませんが、YUKIさんは今後も音楽業界の第一線で活躍していくことでしょう。