サッカー日本代表

サッカー日本代表の監督まとめ!歴代人気ランキングTOP14

2018年6月15日から開催の2018FIFAワールドカップロシア大会。直前の4月9日にハリルホジッチ監督が解任され、西野朗さんが後継監督として発表されるなど波紋を呼びました。

 

今回は、これまでのサッカー日本代表の歴代監督についてランキング形式で総まとめしましたのでご紹介しましょう。

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング TOP14

 

歴代日本代表監督で一番人気は誰?

2018年4月現在までに国内外で多くの監督が日本代表チームの采配を振るってきましたが、そのおかげで日本のサッカーは確実に世界に通用するようになってきました。どの監督が最も日本で愛されたのかTOP14に総まとめしました。

 

サッカー日本代表チームの監督を人気順にランキングを作成するにあたり、下記のサイト様を参考にさせていただきました。

 

 

RANK1 – サッカー日本代表監督!歴代人気ランキングTOP14【最新版】
Number Web – 歴代のサッカー日本代表監督で、一番好きな監督は?

サッカープレイヤーズドットコム – サッカー日本代表歴代監督ランキング!年俸と各戦術を徹底調査!
サッカー日本代表 歴代監督ランキング

 

各サイト様のランキングを参考にしつつ、ユーザーの声などを反映させて誰が最も愛された監督なのかを決定しました。

 

それでは、あなたが好きなサッカー日本代表監督が何位にランクインしているかぜひ確認してみてください!

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 14位 西野朗

 

2018年4月、日本代表新監督に就任した西野朗

2015年からサッカー日本代表チームを率いてきたハリルホジッチ監督が2018年4月9日に電撃解任され、その退任発表と同時に新監督として選ばれたのが西野朗さんでした。2018年ロシアW杯まで残り2ヶ月程度となりましたが、短期間でサムライジャパンをまとめあげるために最適な人物だと言われています。

 

西野朗さんについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 西野 朗(にしの あきら)
生年月日 1955年4月7日
出身地 埼玉県浦和市 (現:さいたま市)
身長 182cm
体重 72kg


監督歴
1991-1992 日本 U-20
1994-1996 日本 U-23
1998-2001 柏レイソル
2002-2011 ガンバ大阪
2012 ヴィッセル神戸
2014-2015 名古屋グランパス
2018- 日本の旗 日本

 

引用:Wikipedia – 西野朗

 

西野朗さんのこれまでの監督歴としては、1991年のU-20日本代表監督に始まり、1994年に率いたU-23日本代表チームを28年ぶりにアトランタオリンピックに導き、強豪ブラジルに勝利を挙げた「マイアミの奇跡」として知られています。

 

西野朗さんは2016年3月より日本サッカー協会(JFA)の理事に就任していましたが、2018年4月9日にワールドカップロシア大会目前に電撃退任が発表されたハリルホジッチ前監督を引き継ぐ形で日本代表新監督として発表されました。

 

 

西野朗さんは日本代表チームを率いるのは今回が初めてですが、再び「マイアミの奇跡」を起こすことをサッカーファンは大いに期待しています。

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 13位 石井義信

 

サッカーブーム以前に日本代表監督を務めた石井義信

石井義信さんはサッカーの才能に溢れ、高校からサッカーを始めたにもかかわらず卒業後にはマツダ自動車の前身である東洋工業に入社し、プロサッカー選手として活躍しました。その後、藤和不動産に移籍しましたが1975年から監督業に転身しています。

 

石井義信さんについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 石井 義信(いしい よしのぶ)
生年月日 1939年3月13日
出身地 広島県福山市


監督歴
1975-1980 フジタ工業
1986-1987 日本代表
1988-1990 フジタ工業 (総監督)

 

引用:Wikipedia – 石井義信

 

石井義信さんはJSLが開設した日本サッカープロリーグのプロジェクトに中心的人物として関わり、Jリーグの発足に尽力しました。

 

1986年から1987年まで石井義信さんは日本代表監督を務め、鉄壁の守備を武器とする”勝てるチーム”作りを進め、速攻とセットプレーを生かしたスタイルで日本代表チームを強くしていきました。

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 12位 川淵三郎

 

自ら日本代表選手だった名監督・川淵三郎

川淵三郎さんは自身が現役サッカー選手だった頃には7年間日本代表選手を務めるなど名プレーヤーとして知られていましたが、1980年から1981年まで日本代表監督を務め、当時の発展途上の日本サッカー界に大きく貢献しました。

 

川淵三郎さんについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 川淵 三郎(かわぶち さぶろう)
愛称: キャプテン,槍の川淵
生年月日: 1936年12月3日
出身地: 大阪府高石市
身長: 不明
体重: 不明

 

監督歴
1972-1975 古河電工
1980-1981 日本代表

引用:Wikipedia – 川淵三郎

 

川淵三郎さんのプレーヤーとしての実績は、早稲田大学ア式蹴球部でプレーをしており、関東大学リーグ優勝の立役者となりました。

 

その後1958年に日本代表選手に選抜され、同時に関東大学リーグを2連覇しています。

 

1959年にはローマ五輪アジア予選に出場し、翌年に第七回チリワールドカップアジア予選への出場とともに関東大学リーグを3連覇しました。

 

川淵三郎さんは大学卒業後は古河電気工業から横浜電線製作所を経て同社でプロサッカー選手として活躍する中、1964年に日本代表選手として東京オリンピックにも出場し強豪アルゼンチン相手にゴールを奪いました。

 

その後監督として川淵三郎さんは1980年にLA五輪強化部長への就任を経て日本代表監督になりました。

 

川淵三郎さんは日本代表監督退任後は日本サッカー協会理事に就任し、Jリーグ開幕の際に国立競技場で開幕宣言を務めています。

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 11位 森孝慈

 

浦和レッズダイヤモンズの生みの親・森孝慈

森孝慈さんは2011年7月17日に逝去しましたが、生前は1981年から1985年まで日本代表監督として指揮を振るい、その後「浦和レッドダイヤモンズ」や「アビスパ福岡」などJリーグチームの監督を務めていました。森孝慈さんは2度のオリンピック出場経験を持ち、メキシコシティオリンピックでは銅メダルを獲得した名監督です。

 

森孝慈さんについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 森 孝慈(もり たかじ)
生年月日: 1943年11月24日
出身地: 広島県福山市
没年月日: 2011年7月17日(67歳没)
没地: 東京都目黒区
身長: 173cm
体重: 65kg

 

監督歴
1981-1985 日本代表
1992-1993 浦和レッドダイヤモンズ
1998 アビスパ福岡

 

引用:Wikipedia – 森孝慈

 

森孝慈さんは現役時代の知性派のプレースタイルから早くから監督の才能を見込まれており、引退後すぐに日本サッカー協会の指導者として辣腕を振るいました。

 

 

森孝慈さんは「浦和レッドダイヤモンズ」の創設期から監督として携わったことから「浦和レッドダイヤモンズの父」「浦和レッズ生みの親」と呼ばれています。

 

1980年10月に日本代表監督を務めていた渡辺正さんが倒れたため、11月より川淵三郎さんが監督を受け継ぎ森孝慈さんはコーチとして就任しましたがチームの指揮を務めていました。

 

 

森孝慈さんは1981年4月に正式に日本代表監督に就任し、国外で初めて韓国を破り、Jリーグ創設の重要性を説くなど日本のサッカー史において重要な役割を担いました。

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 10位 横山謙三

 

第3回日本サッカー殿堂入りをした横山謙三

横山謙三さんは1988年から1991年まで日本代表監督を務め、輝かしい実績は残せなかったものの日本の新しいプレースタイルを投入し新たな可能性を見出した監督でした。現在は日本オリンピアンズ協会の理事を務めています。

 

横山謙三さんについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 横山 謙三(よこやま けんぞう)
生年月日: 1943年1月21日(75歳)
出身地: 埼玉県浦和市(現さいたま市)
身長: 175cm
体重: 72kg

 

監督歴
1976-1983 三菱重工
1988-1991 日本代表
1994 浦和レッドダイヤモンズ
2000 浦和レッドダイヤモンズ

 

引用:Wikipedia – 横山謙三

 

横山謙三さんは1988年に日本代表監督に就任しましたが、それまでの日本のスタイルから一変して世界のサッカーで最先端のフォーメーションだった3-5-2システムを導入しました。

 

それまで馴染みの無いフォーメーションだったことから就任直後のW杯イタリア大会アジア予選では一次予選で敗退するなど結果は残せずサッカーファンの批判を浴びましたが、その後三浦知良さん、ラモス瑠偉さん、北澤豪さんなどスター選手を登用したチームで1991年のキリンカップに初優勝を飾っています。

 

横山謙三さんは日本代表監督退任後に浦和レッズダイヤモンズの監督を務めてJ1復帰に尽力しています。

 

 

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 9位 ハリルホジッチ

 

ワールドカップロシア大会出場を実現したハリルホジッチ

ハリルホジッチは母国ボスニアでサッカー選手として活躍し、1990年から監督として各国を巡り、2015年からは日本代表監督に就任しました。2018年のワールドカップロシア大会への出場を実現したのもハリルホジッチ監督の手腕によるものでしたが、開幕直前にしてチーム不和から監督を解任されてしまいました。

【無能】ハリルホジッチ監督の解任理由!家族&評価や戦術も総まとめ

 

ハリルホジッチについて詳しいプロフィールはこちら。

 


本名 ヴァヒド・ハリルホジッチ
愛称 Coach Vahid(ヴァイッド先生)、ワハ
国籍 ボスニア・ヘルツェゴビナ、フランス
生年月日 1952年5月15日(65歳)
出身地 ユーゴスラビア ボスニア・ヘルツェゴビナ ヘルツェゴビナ=ネレトヴァ県ヤブラニツァ
身長 182cm
体重 不明

 

監督歴
1990-1992 ユーゴスラビア ヴェレジュ・モスタル
1993-1994 フランス ボーヴェ
1997-1998 モロッコ ラジャ・カサブランカ
1998-2002 フランス リール
2002-2003 フランス レンヌ
2003-2005 フランス パリ・サンジェルマン
2005-2006 トルコ トラブゾンスポル
2006 サウジアラビア アル・イテハド
2008-2010 コートジボワール コートジボワール
2010-2011 クロアチア ディナモ・ザグレブ
2011-2014 アルジェリア アルジェリア
2014 トルコ トラブゾンスポル
2015-2018 日本

 

引用:Wikipedia – ヴァヒド・ハリルホジッチ

 

 

ハリルホジッチは2018年4月7日に日本サッカー協会の田嶋幸三会長から日本代表監督から解任する旨を通達され、同月9日に会見を開いてハリルホジッチさんの退任を発表しました。

 

日本の歴代監督の中でもワールドカップ出場を決めた後の解任は初のことであり世間に衝撃を与えました。

 

 

ハリルホジッチの退任後は技術委員長を務めていた西野朗さんが引き継ぐことも合わせて発表されました。

 

ハリルホジッチが日本代表監督をW杯直前であっても解任された原因については、選手とのコミュニケーションに不和が生じたことだとされています。

 

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 8位 ファルカン

 

「20世紀の偉大なサッカー選手100人」で85位の監督・ファルカン

ファルカンは1990年から監督として活動を始め、1994年に日本代表監督を務めていましたが、ファルカンの指導方法は選手の自主性を重視したものだったことからそれまでの日本代表監督の中で異色の存在だと言われています。

 

ファルカンについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 パウロ・ロベルト・ファルカン
国籍 ブラジル
生年月日 1953年10月16日(64歳)
出身地 アベラルド・ルス
身長 183cm
体重 73kg

 

監督歴
1990-1991  ブラジル代表
1991-1993 メキシコ クラブ・アメリカ
1993 ブラジル インテルナシオナル
1994 日本代表
2011 ブラジル インテルナシオナル
2012 ブラジル  バイーア
2015-2016 ブラジル スポルチ
2016 ブラジル インテルナシオナル

引用:Wikipedia – パウロ・ロベルト・ファルカン

 

ファルカンは1990年にブラジル代表監督を務めていましたが、その後1994年にハンス・オフトの後任として日本代表監督に就任しました。

 

ファルカンは前監督であるオフトの細かい指示を出す指導方法から一転して、ほとんど選手の自主性に任せた指導方法を取ったため対応に戸惑った選手は難色を示したと言われています。

 

「オフトと違う」と世間からも批判の声が上がり始め、ファルカンが日本代表監督に就任直後のキリンカップでフランスに惨敗し、アジア大会でも韓国に破れたことで解任されました。

 

 

しかし、ファルカンの長い目で選手を育てようとした育成方法は一方で評価する声も少なくなく、若手中心に起用したそれまでの選抜の仕方に新鮮さを感じていたファンも多かったようです。

 

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 7位 ジーコ

 

「サッカーの神様」と言われたジーコ

ジーコと言えば「サッカーの神様」として有名ですが、日本代表監督としては2002年から2006年まで務めました。Jリーグ発足当時のサッカーブームが興った1991年に鹿島アントラーズの選手として活躍し、アルシンドとともに同チームをJリーグの常勝強豪チームへ導きました。ジーコは現在も監督として海外で活躍しています。

 

ジーコについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 アルトゥール・アントゥネス・コインブラ
国籍 ブラジル
生年月日 1953年3月3日
出身地 リオデジャネイロ州リオデジャネイロ市
身長 172cm
体重 72kg

 

監督歴
1999 日本 鹿島アントラーズ (代行)
2000–2002 ブラジル CFZ
2002–2006 日本代表
2006–2008 トルコ フェネルバフチェ
2008 ウズベキスタン ブニョドコル
2009 ロシア CSKAモスクワ
2009–2010 ギリシャ オリンピアコス
2011–2012 イラク代表
2013-2014 カタール アル・ガラファ
2014-2016 インド ゴア

 

引用:Wikipedia – ジーコ

 

ジーコはブラジルサッカー界の英雄であり、「白いペレ」と呼ばれて尊敬されています。

 

そしてジーコは日本においてもJリーグ創設期からサッカー文化を日本に根付かせたスター選手のひとりとして「サッカーの神様」と呼ばれました。

 

ジーコはプレーヤー時代から鹿島アントラーズにおいて監督のような指導も行って選手の技術向上に貢献し、カシマスタジアムの芝の長さも適正に指示するなどジーコの存在は非常に大きなものでした。

 

 

ジーコは弱小チームだった鹿島アントラーズをJリーグ発足元年に優勝に導き、黄金期を牽引した伝説的なプレーヤーでした。

 

引退後は、2002年にFIFAワールドカップ終了とともに退任したフィリップ・トルシエ監督の後を引き継いでジーコは日本代表監督に就任しました。

 

ジーコはAFCアジアカップ2004で日本代表チームを優勝に導くと、翌年FIFAコンフェデレーションズカップ2005で初戦のメキシコに敗れましたが続くギリシャを撃破し、ブラジルと2-2で引き分けるという日本サッカー史上でも希に見る好成績を収めました。

 

ジーコが日本代表監督として収めた国際Aマッチの勝利数は71試合中38勝と歴代監督の中で1位となっており、監督としてもどれほどすごい存在だったかが伺えます。

 

 

 

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 6位 加茂周

 

2018年W杯直前の監督入れ替えを彷彿とさせる加茂周

加茂周さんはJリーグブーム真っ只中の1994年から1997年まで日本代表監督を務めましたが、現役としてプレーしていた頃は後のセレッソ大阪であるヤンマーディーゼルサッカー部に所属していました。

 

加茂周さんについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 加茂 周(かも しゅう)
生年月日 1939年10月29日
出身地 兵庫県芦屋市
身長 178cm
体重 不明

 

監督歴
1974-1989 日産自動車
1991-1994 全日空 / 横浜フリューゲルス
1994-1997 日本代表
1999-2000 京都パープルサンガ
2007-2009 関西学院大学

 

引用:Wikipedia – 加茂周

 

加茂周さんは前監督のパウロ・ロベルト・ファルカンが選手とのコミュニケーション不足が問題視されたことから後継監督として抜擢されました。

 

監督就任直後の1995年1月にインターコンチネンタル選手権が控えていたことから、加茂周さんはチームの体制を急ごしらえで構築することを求められ、ファルカンの頃には外されていたラモス瑠偉選手などの経験豊かなスター選手を中心に据えて、その後若手選手への入れ替えを行っていきました。

 

しかし、加茂周さんはチームをまとめあげることができずに1998年のFIFAワールドカップ・アジア最終予選中に解されて、後継監督としてコーチを務めていた岡田武史さんが引き継ぎました。

 

この流れは2018年現在ハリルホジッチ前監督が解任されて西野朗さんが引き継いだ形にも似ているでしょう。

 

 

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 5位 岡田武史

 

日本人監督で最も人気がある岡田武史

岡田武史さんは現役サッカー選手だった頃は古河電気工業サッカー部に所属しており、引退後は1997年から監督として活動を始めました。1997年から1998年、2007年から2010年までの2回に渡り日本代表監督を務め上げています。「岡ちゃん」の愛称で親しまれる最も人気な日本人監督でしょう。

 

岡田武史さんについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名: 岡田 武史(おかだ たけし)
愛称: 岡ちゃん
生年月日: 1956年8月25日
出身地: 大阪府大阪市
身長: 175cm
体重: 70kg

 

監督歴
1997-1998 日本代表
1999-2001 コンサドーレ札幌
2003-2006 横浜F・マリノス
2007-2010 日本代表
2012-2013 杭州緑城

 

引用:Wikipedia – 岡田武史

 

岡田武史さんは1995年に日本代表チームのコーチに就任しましたが、先述の通り前監督の加茂周さんがフランスW杯最終予選中に解任されたことから後継監督として就任しました。

 

岡田武史さんは勢いのある中山雅史選手などを入れてチームの入れ替えを行ったことが功を奏して日本代表チームの立て直しに成功しました。

 

日本代表チームは岡田武史さんの采配によりギリギリで予選突破を果たして本戦出場を果たし、これは「ジョホールバルの歓喜」と語り継がれることになりました。

 

 

しかし、その後の本線で決勝トーナメント入りを目指した岡田武史さんでしたが、3戦全敗したことで敗退しそのまま責任を取る形で退任となりました。

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 4位 ザッケローニ

 

少年サッカーチーム監督だったザッケローニ

ザッケローニは地元イタリアでサッカー選手として活躍していましたが20歳になる前に引退して一般企業に務めていました。そして少年サッカーチームの監督をするようになり次第に監督としての才能を開花させて、1983年にセリエC2のチェゼナティコの監督に就任以降、イタリアの名門チームを渡り歩いた後に日本代表監督に就任した異例の経歴を持っています。

 

ザッケローニについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 アルベルト・ザッケローニ
愛称 ザック(Zac)、ザッキ
国籍 イタリア
生年月日 1953年4月1日
出身地 メルドラ
身長 176cm
体重 不明

 

監督歴
1983-1985 イタリア チェゼナティコ
1985-1987 イタリア リッチョーネ
1987-1988 イタリア ボカ・サンラッツァーロ
1988-1990 イタリア バラッカ・ルーゴ
1990-1993 イタリア ヴェネツィア
1993-1994 イタリア ボローニャ
1994-1995 イタリア コゼンツァ
1995-1998 イタリア ウディネーゼ
1998-2001 イタリア ミラン
2001-2002 イタリア ラツィオ
2003-2004 イタリア インテル
2006-2007 イタリア トリノ
2010 イタリア ユヴェントス
2010-2014 日本代表
2016 中華人民共和国 北京国安
2017- アラブ首長国連邦代表

 

引用:Wikipedia – アルベルト・ザッケローニ

 

ザッケローニは2010年8月30日に日本代表監督に就任すると、元々はACミランなど名門クラブを率いた名将とは言えナショナルチームの監督を務めるのは初めてでした。

 

就任翌年の2011年にAFCアジアカップで優勝に導くと、その後1年間は国際試合で無敗という快挙を成し遂げ、ザッケローニは日本のサッカーファンを熱狂の渦に巻き込みました。

 

 

2014年にワールドカップで結果を残せなかったことから監督退任したザッケローニでしたが、アメリカのスポーツサイト「FOXスポーツ」が発表した「2011年サッカーベスト指導者TOP10」では10位に選ばれたほどの名監督でした。

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 3位 トルシエ

 

日本を最も飛躍させた名将、フィリップ・トルシエ

多くの国で監督を務めてきたトルシエ監督は、1998年から2002年まで日本代表監督を務めていました。日韓で開催され、日本でも大いに盛り上がったワールドカップでも監督を務めたため、サッカーをよく知らない人も、トルシエ監督を知っているほどの知名度があります。

日本代表監督を退任後も、サッカー業界で活躍中です。

 

トルシエについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 オマル・トルシエ(ムスリム名、旧名:フィリップ=ベルナール・ヴィクトル・トルシエ)
愛称 フィフィ、白い呪術師、赤鬼
国籍 フランス、コートジボワール
生年月日 1955年3月21日
出身地 パリ


監督歴
1983-1984 フランス U-15
1984-1987 フランス アランソン
1987-1989 フランス レッドスター
1989 フランス クレテイユ
1989-1992 コートジボワール ASECミモザ
1993 コートジボワール コートジボワール代表
1994 南アフリカ共和国 カイザー・チーフス
1995 モロッコ  CAラバト
1995-1997 モロッコ FUSラバト
1997 ナイジェリア ナイジェリア代表
1997-1998 ブルキナファソ ブルキナファソ代表
1998 南アフリカ共和国 南アフリカ共和国代表
1998-2002 日本 日本代表
1999 日本 U-20日本代表
1999-2000 日本 U-23日本代表
2003-2004 カタール カタール代表
2004-2005 フランス マルセイユ
2005 モロッコ モロッコ代表
2008-2010 日本 FC琉球 (総監督)
2011-2013 中華人民共和国 深圳紅鑽
2014 チュニジア CSスファクシアン
2015 中華人民共和国 杭州緑城足球倶楽部

引用:Wikipedia – フィリップ・トルシエ

 

トルシエはフランスワールドカップ直後の1998年9月20日に日本代表監督に就任しましたが、ファルカン以来3人目となる外国人監督でした。

 

 

1999年にトルシエはU-20代表監督を兼任してFIFAワールドユース・ナイジェリア大会で準優勝に導き、FIFA主催の国際大会で日本代表チームが決勝戦に進んだのはこれが初めてでした。

 

そして同年秋にはU-22にエースの中田英寿選手も合流し、トルシエ采配の下、2大会連続で五輪出場を獲得しました。

 

2001年6月に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップでは再び決勝戦に進出するという異例の快挙を成し遂げ、決勝戦でフランスに敗れはしたもののトルシエの名監督ぶりは疑う余地はありませんでした。

 

日本の国際的な評価は飛躍的に高まり、2001年8月、翌年3月のレーティングでは日本代表チーム史上最高位となる8位を記録しています。

 

 

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 2位 オフト

 

Jリーグ開幕時に日本代表監督を務めたハンス・オフト

オフトは1976年からオランダ代表監督を務めていましたが、1982年から来日して日本のサッカーチームの監督を渡り歩いた日本サッカー界を盛り上げた立役者のひとりです。1992年から1993年まで日本代表チームの監督を務めましたが、ワールドカップ本戦出場を賭けた戦いに敗れ「ドーハの悲劇」として語り継がれることになりました。

 

オフトについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 マリウス・ヨハン・オフト
国籍 オランダ
生年月日 1947年6月27日

 

監督歴
1976 オランダ オランダ代表 (Youth)
1982 日本 ヤマハ (Assistant)
1984-1987 日本 マツダ (Assistant)
1987-1988 日本 マツダ
1992-1993 日本代表
1994-1996 日本 ジュビロ磐田
1998 日本 京都パープルサンガ
2002-2003 日本 浦和レッズ
2008 日本 ジュビロ磐田

 

引用:Wikipedia – ハンス・オフト

 

オフトは初の外国人監督であり、Jリーグ開幕直前の1992年に日本代表監督に就任したこともあり非常に注目されていました。

 

同年夏のダイナスティカップで優勝を飾ると、秋のAFCアジアカップでも優勝するなど、オフトはまだ未熟だった日本サッカー文化を大きく向上させることに貢献しました。

 

 

オフトはJリーグブームと共に日本サッカーファンの期待を一身に背負い、1993年のワールドカップアメリカ大会アジア最終予選に臨みましたが、驚異的な視聴率を獲得する中でイラクを下せば本戦出場が決まるという大舞台で同点ゴールを喫してしまい日本全国のため息が漏れた「ドーハの悲劇」が起こりました。

 

 

オフトの名将ぶりはその後「ジュビロ磐田」、「京都パープルサンガ」、「浦和レッズダイヤモンズ」などで発揮され、日本のサッカー界を大いに盛り上げ続けてくれました。

 

 

 

 

 

サッカー日本代表監督 歴代人気ランキング 1位 オシム 

 

オシムは1959年からサッカー選手として活躍し、1978年から監督へ転身して旧ユーゴスラビア代表の最後の監督も務めました。日本代表監督には2006年から2007年までという非常に短い期間ではあったものの「オシム節」と呼ばれるユーモア溢れるコメントが多く愛された監督でした。

 

オシムについて詳しいプロフィールはこちら。

 

本名 イヴァン・オシム
愛称 イヴィツァ(イビチャ)、シュワーボ、(グルバビツァの)シュトラウス
国籍 ボスニア・ヘルツェゴビナ、 オーストリア
生年月日 1941年5月6日
出身地 ユーゴスラビア ボスニア・ヘルツェゴビナ・サラエヴォ県サラエヴォ
身長 191cm
体重 108kg


監督歴
1978-1986 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 ジェリェズニチャル
1986-1992 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 ユーゴスラビア
1991-1992 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 パルチザン・ベオグラード
1992-1994 ギリシャ パナシナイコス
1994-2002 オーストリア シュトゥルム・グラーツ
2003-2006 日本 ジェフ千葉
2006-2007 日本代表

 

引用:Wikipedia – イビチャ・オシム

 

オシムは海外のクラブチームの監督を渡り歩いた後に2003年から日本でジェフユナイテッド市原の監督に就任し、2005年にはJリーグヤマザキナビスコカップで優勝に導くなど名将ぶりを発揮していました。

 

その監督としての腕が買われて2006年に日本代表監督に就任したオシムでしたが、2007年11月に千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れてしまい、一命はとりとめたものの監督復帰は不可能だとして再び岡田武史さんが後継として監督を引き継ぎました。

 

オシムが残した戦績は通算20試合中12勝5分3敗と非常に優秀なもので、2007年のAFCアジアカップでは4位に入りました。

 

試合後の記者会見などでオシムのコメントは非常にユニークなものが多く、「オシム語録」として現在も語り継がれていますが、その言葉には哲学的な深いものも多く、サッカー界のみならず教育界など幅広い分野に影響を与えてきました。

 

 

 

 

 

 

サッカー日本代表監督歴代人気ランキングについて総まとめすると・・・

ワールドカップロシア大会を目前に控える2018年4月現在までのサッカー日本代表監督についてランキング形式でご紹介してきました。

 

ランキングトップに入った監督はいずれも好成績を残しながらも人柄も愛された人が多かったようです。

 

ハリルホジッチの後継として現監督の西野朗さんがワールドカップロシア大会でどれほどの成績を残せるのか注目が集まるでしょう。

 

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