フィリップ・トルシエさんは1998年から2002年までサッカー日本代表の監督を務めていました。
今回は、トルシエ監督の戦術から評価、中村俊輔選手外しの真相、またフランスでワイン造りをしている現在について情報を詳しくまとめました。
この記事の目次
トルシエ監督プロフィール
名前:フィリップ・トルシエ(Philippe Troussier)
本名:オマル・トルシエ
愛称:フィフィ/白い呪術師/赤鬼
生年月日:1955年3月21日
出身地:パリ
トルシエ監督は6人兄弟の長男
トルシエ監督は1955年、フランス・パリで6人兄弟の長男として生まれ、14歳離れた末弟のリュドヴィクも後にトルシエ監督の助力によりラヴァルでプロのゴールキーパーとなっています。
パリではASフレヌというクラブに入り、初めてサッカークラブに所属しました。1968年にはRATP(パリ交通公団)が運営するUSメトロというクラブに加入し13歳から19歳までプレー、中学を卒業後はトルシエはRATPの専門学校に進学、1974年にRATPに就職し自動券売機のメンテナンスを担当していました。
サッカーは公団のアマチュアクラブで続けながら、プロサッカー選手となることを夢見ていたそうです。
トルシエ監督の選手としての経歴
トルシエ監督は選手としては、目立った成績を残していません。
アマチュアクラブのショワジー・ル・ロワとパリ・ジョアンヴィルでプレーした後、1976年7月にフランス2部リーグのアングレームと契約を交わします。
1977年、トルシエを見出したアンリ・スキバがクラブを去ると、トルシエは後任監督のポール・レヴァンとそりが合わず1977年11月にロジェ・ルメールが監督を務めるフランス2部のレッドスターに移籍します。
1978年にトルシエはルーアンに移籍し、3シーズンで79試合に出場、8ゴールを挙げ、選手生活と並行して学業にも励み、1981年には運動療法士の資格を得ました。
1981年にはスタッド・ランスに移籍し、1983年には初級の指導者ライセンスを取得して国立サッカー研究所からU-15フランス代表の指導を打診されたトルシエは、ランスとの間に残っている1シーズンの契約を破棄して、28歳でサッカー選手から指導者へと転じることになりました。
トルシエ監督の指導者として経歴
そして1984年、フランス4部リーグ所属のアマチュアクラブ・アランソン監督に就任し、3年間、1987年にはフランス3部リーグのASレッドスター93の監督に就任しました。
1989年12月には場所をコートジボワールに移し、コートジボワールのASECミモザ・アビジャン監督に就任します。
当時選手たちが「甘やかされている」と感じたトルシエ監督は、遅刻禁止、食事管理の徹底をはじめとする厳しい規律をクラブにもたらし、不敗のまま3シーズン連続の国内リーグ優勝、1990年に国際大会UFOAカップ優勝に導きました。
更に1993年4月には1994 FIFAワールドカップ出場を目指すコートジボワール代表の監督に就任し、それに先立ってコートジボワールの国籍も取得しました。
次の拠点は南アフリカとなり、1994年1月に南アフリカ共和国のカイザー・チーフスFCの監督に就任し、8ヵ月間指揮を執ります。しかし、南アフリカでの生活に馴染むことができず、契約を延長しせず、1995年には拠点をモロッコに移しモロッコ1部リーグのCAラバト監督にシーズン途中から就任し、下位に低迷していたチームを最終的に5位に引き上げます。
1997年3月には1998 FIFAワールドカップ・アフリカ予選途中に成績不振で解任されたナイジェリア人のシャイブ・アモドゥの後任として、ナイジェリア代表監督に就任、更に1997年10月にはブルキナファソ代表監督に就任しました。
更にブルキナファソ代表監督退任後、1998 FIFAワールドカップ出場を控えた南アフリカ共和国代表監督にも就任しています。
トルシエ監督の日本代表監督として活躍
日本代表監督となったのは1998年9月20日、フランスワールドカップ終了後です。
就任当初は解任の噂が出るほどでしたが、2000年10月レバノンで開催されたアジアカップ2000では、グループリーグ第1戦・第2戦で圧勝して決勝トーナメントへあがります。
そして、決勝トーナメントでも攻撃的なサッカーを貫きイラク、中国、サウジアラビアを撃破し、1992年大会以来のアウェイ色の強い中東開催のアジア杯において東アジア勢としては初めての優勝を果たしました。そこでは2000年度のAFC年間最優秀監督を受賞しています。
しかし2002年6月の日韓ワールドカップでは決勝トーナメントで敗退の後に監督を退任してしまいます。
トルシエ監督の評価はどうだったのか?
最近では解任され話題になっているハリルホジッチ監督とトルシエ監督に関しては似ている部分があるようです。ハリルホジッチ監督同様にトルシエ監督に対しても当時はあまり良い評価はありませんでした。
トルシエ監督の評価に関してはサッカーファンは現在どのように思っているのか見てみましょう。
でもほんとトルシエがやってたことが10年後やっと評価され、オシムがやってたことが数年後に評価され、岡田監督のことは結果が出た途端手のひら返し、ザックが抱えていた問題が数年後明らかになり、アギーレがやってたことが今は評価されてるんだから、ハリルホジッチ叩く前に勉強しようぜ。
— リベロの河童 (@55ft) 2017年8月31日
日本代表監督で一番良かったのはトルシエさんだと思うのは僕だけか?
— atsushi (@at13sportsmania) 2018年4月29日
なんで解説者の間であんなに評価が低いのか分からん❗ https://t.co/icmyZZJom3
あの当時メディアがボロクソ叩いてたことで評価を低くされている方がいるかもしれませんけど、日本の歴代監督で最高だったのは今でもトルシエだと思っています。
— リベロの河童 (@55ft) 2016年8月13日
2020年東京五輪のサッカー男子日本代表監督は誰だ ≫河童戦術 https://t.co/lb0BPXu0ig
状況は似てますね。違いがあるとすればトルシエはあそこから割と大きく舵を切ったけど、ハリルホジッチは基本方向性を変えずに選手を活気づけて立て直したところでしょうか。選手の試合後コメントもブラジル戦より具体的になっていました。まだまだ強化の過程、今全て評価するのは難しい。 https://t.co/yvmQYwlVZs
— 河治良幸 (@y_kawaji) 2017年11月16日
やはりハリルホジッチ監督の解任によってトルシエ監督時代と比べられることが多くあるようですが、ハリルホジッチ監督よりもトルシエ監督の方が評価が高いことがわかります。
しかしコメントでもあるようにトルシエ監督が評価されるには時間がかかっているので、ハリルホジッチ監督もいつか評価される日が来るのかもしれませんね。
トルシエ監督の戦術とは?
トルシエ監督はとにかく組織的なチームプレーを重視するタイプで、本人は「例え世界最高のギタリストであるジミ・ヘンドリックスが自分のバンドにいても、40秒間のソロプレーは許さない。成功は組織的な戦いから生まれるのだ」まで語っています。
トルシエ監督の戦術① フラットスリー
トルシエ監督はどのチームに赴いてもフラットスリーと言われる3-5-2(3-4-1-2)システムを軸にしてきました。
フラットスリーの主な特徴は
・オフサイドエリアを相手フォワードを牽制するための手段として使う
・守備的な選手を配置した厚い中盤でプレッシャーをかける
・中央型のMFを両サイドに配置する
トルシエ監督の戦術② オートマティズム
更にトルシエ監督はオートマティズムを重要視し、ボールの位置や状況に応じて選手が自動的に動けることを理想としていました。
シャドートレーニングに主眼が置かれたために練習では紅白戦が極端に少なくなってしまったものの、これは練習中の怪我といったアクシデントが起きやすいといったトルシエ監督の配慮でもあったそうです。
このメリットとしてはメンバーが入れ替わってもチームの質が大きく変化しないこと、デメリットとしてはその機構に縛られ、試合のリズムに変化をつけるのに交代選手の個性に頼らざるを得ないことが挙げられています。
トルシエ監督が行った中村俊輔外しの意図は?
トルシエ監督のW杯直前の「中村俊輔外し」の真相
トルシエ監督と言えば2002年6月の日韓ワールドカップで、中村俊輔選手を代表から外したことで話題を呼びました。
そのた中村俊輔選手の意図に関してはケガの影響、トルシエ監督の戦術に合わなかった、トルシエ監督好みの選手ではなかったなど様々な説がありますが、その真相をトルシエ監督がコメントしています。
「俊輔についてハッキリ言いたいのは、02年当時と今では全く比較にならないということだ」とし、試合に出場させなかったことや代表から外した理由として「そのポストには中田英もいたし、森島(寛晃)、小野(伸二)、名波(浩)もいたんだよ。彼以上に成熟した選手がたくさんいた」「もちろん、ポテンシャルを買ってメンバーに選ぶこともあり得た。ただ、彼は(足首)を故障していた。W杯直前に3週間のスペイン合宿に彼を連れて行ったが、一度もみんなと同じ練習メニューができなかった」
このコメントを見る限りやはり怪我が大きく原因の一つになっているようです。当時は悔しさを感じていた中村俊輔選手ですが、今当時を振り返ると、中村俊輔選手も納得しているようです。
元日本代表MF中村俊輔は「落ちるのは当然だったと思う」と2002年日韓大会に味わった失意の落選を振り返っている。
中村俊輔選手も納得しているということから、いがみあっているということもなさそうです。当時は理解されなかった中村俊輔外しも、しっかりトルシエ監督の中では考えが固まっていたということですね。
トルシエ監督の現在は?~ワイナリーのオーナーに転身していた
トルシエ監督はフランスでワイン造りをしていた
トルシエ監督がワイナリーのオーナーに
気になるトルシエ監督の現在ですが、なんとフランスのサン・テミリオンで2014年からワイン造りを開始。
ワインの産地で有名なボルドーの右岸に位置する場所で1.1haの畑を所有し、ワイン造っているそうです。
そんなトルシエ監督のワインは日本でも購入可能で『ソル ベニ(SOL BÉNI)』という銘柄の1種類のみ。
調べたところ楽天市場やamazonで1本8千円台後半~1万円の単価で販売していました。
気になる方はぜひチェックしてみてください。
トルシエ監督の総まとめ
・トルシエ監督は就任当初の評価はいまいちだったが、2002年にはレーティングでは日本代表チーム史上最高位となる8位にまで押し上げた名監督である。
・トルシエ監督はW杯の2か月前に日本のエースである中村俊輔を代表メンバーから外したことで話題となった。
・トルシエ監督は現在、フランスのサン・テミリオンでワイン造りをしている。
トルシエジャパンに関しては賛否両論でしたが、現在になってトルシエ監督の評価が高まっています。
そして、気になる現在はなんとワイナリーのオーナーと驚くべき転身を遂げていました。
日本でも購入可能なのでワイン好きの方は要チェックですね!