石井慧さんは、北京オリンピック柔道男子100kg超級の金メダリストで、現在総合格闘家として活動しています。2010年に1回目の結婚をし、2016年には2回目の離婚をしています。
この記事では、石井慧さんの結婚歴を、元嫁や子供、離婚原因とともにまとめています。
この記事の目次
石井慧のプロフィール
名前:石井慧(いしいさとし)
出身地:大阪府茨木市
生年月日:1986年12月19日
身長:181cm
出身高校:国士舘高校
最終学歴:国士舘大学体育学部武道学科卒業
北京オリンピック柔道男子100kg超級の金メダリスト
石井慧さんは、北京オリンピック柔道男子100kg超級の金メダリストで、現在総合格闘家として活動しています。
金メダルを獲得した時の衝撃的なインタビューで、流行語にノミネートされたこともあります。
「五輪なんて、斉藤先生のプレッシャーに比べれば、屁の突っ張りにもなりません」
柔道では2007年に100kg超越に転向してからは無敗のまま、2008年11月にプロ転向し、総合格闘家になりました。現在も総合格闘家として活躍しています。
石井慧の元嫁① 女子大生・志賀美香とスピード離婚【結婚歴1回目】
石井慧、女子大生・志賀美香とスピード結婚
石井慧さんと元嫁の美香夫人
石井慧さんは、2010年4月に女子大生と交際3ヶ月のスピード結婚をしています。
2010年1月にハワイで知り合い、2月から交際開始、3月にプロポーズ、そして4月に婚姻届提出という流れでした。
女子大生だった元嫁は当時都内の大学に通っていた志賀美香さんで、石井慧さんからプロポーズしたようです。
総合格闘家・石井慧(23=アイダッシュ)が、都内の大学に通う美香夫人(19=旧姓志賀)との結婚を公表した。
後日、2人はハワイで食事を約束して急接近した。美香夫人が帰国から1週間後、再びハワイを電撃訪問したことをきっかけに交際がスタートした。同夫人が日本-ハワイを何度も往復する形で愛をはぐくみ続けると、3月に入って石井が「今、結婚しないと、もうしないよ」とせかすようにプロポーズ。まだ大学生で19歳の美香夫人だが「いつも引っ張ってくれるから」と安心して結婚を決意したという。
2008年の北京オリンピック後の総合格闘家転身に続き、ビックリな石井慧さんのスピード結婚でした。
石井慧、元嫁と秒殺離婚!離婚原因とは【子供はいない】
2011年の元嫁美香さんの大学卒業を待ってから挙式を考えていたようですが、二人の関係はそれすら迎えられずに終わりを迎えました。
2010年4月に婚姻届、その9ヶ月後の2011年1月に離婚届けを提出しました。結婚生活わずか9ヶ月のスピード離婚です。石井慧さんは「もっと結婚に慎重になるべきだった」と語っています。
わずか9カ月でのスピード離婚となった。
たそがれの六本木に姿を現した石井は、淡々とした表情で「結婚はもっと慎重に行うべきでした。反省しています」と、短い結婚生活を短く総括した。
離婚原因については、遠距離生活からのすれ違いが原因だったとみられています。
石井が単身での米ロサンゼルス修行を決断した後、都内の大学に通う同夫人との遠距離生活が始まると、時差もあってすれ違いの日々が続いた。石井は「ロス行きも猛反対されていました。自分が細かくメールなどで連絡しないタイプだったので、秋ごろから少しずつ距離ができました」と後悔した。
元嫁が恐妻だとテレビで愚痴っていた?
結婚生活わずか9ヶ月でしたが、石井慧さんはその間出演したテレビ番組などで、元嫁美香さんの恐妻ぶりを語ることがありました。
たとえば、物を石井慧さんに投げつけたりとなかなか暴力的。
トレーニングでロサンゼルスに行った際、石井が浮気をしていると勘違いした美香さんは、食器を壁に叩きつけ続けるという暴挙に――。また、車内でケンカになるとホットの缶コーヒーをかけたり、石井の愛車にジャムの瓶を投げつけるなど(これは石井が身を呈して防いだという)
さらに、石井は「グラビアアイドルと写真撮って貰った。それを何気なく見ていたら、後ろから見られたんです。その時もたいがいヤバかった。暴れ出しました。クーラーが3台あるんですけど、リモコンは1台しかない。2台壊しちゃったんですよ。投げて」と明かした。
なかなか激しい方のようですが、同番組内では元嫁が石井慧さんの不満について語る場面もありました。
電話のインタビューに登場した美香さんは、「彼が現地での生活を全然教えてくれないので、それが不安の原因。メールは結構毎日寝る前にしてくれるんですけど、しょうもない内容ばかり。彼からも一切(電話は)かかってこない。多分練習に一生懸命な方なので、私の存在っていうのはない。(食器を投げたのは)彼の方が口が上手なので、手で投げることしかできない。彼自身は基本いつも嘘ばっかり、あんまり信用できない」と反論。
これらはまだ婚姻中の出来事ですが、少なからず離婚原因ともリンクしていそうな話題ですね。
なお元嫁美香さんとの間に子供はいませんでした。
石井慧の元嫁② 歌手・林明日香との離婚原因や子供【結婚歴2回目】
石井慧、歌手・林明日香と再婚
石井慧さんと元嫁の林明日香さん。
出典:csr.bz
林明日香さんのプロフィール
本名:林明日香(はやしあすか)
生誕:1989年5月28日
出身地:大阪府大阪市
身長:157cm
学歴:クラーク記念国際高等学校
ジャンル:J-POP
職業:歌手
活動期間:2003年 –
石井慧さんは1回目の離婚後に「結婚に慎重になるべきだった」と語っていますが、2回目の結婚もスピード婚でした。二人目の嫁は歌手の林明日香さんで、石井慧さんは高校時代から彼女のファンだったそうです。
二人は2012年8月に知人を通じて出会い、2013年1月から交際が始まり、3月末にプロポーズ、そして7月に婚姻届を提出。2015年には第一子男児も誕生しています。
石井は高校時代からのファンだったという林と2013年7月に交際半年で再婚。15年2月に第1子となる男児が誕生したばかりだった。
結婚後には、嫁に対する石井慧さんの溺愛ぶりが話題(?)にもなりました。
高校時代から10年間、林のファンだったという石井は、「10年間ファンでいて追っかけだったので、一緒に住むとその反動が出てきて・・・・・・」と切り出すと、「奥さんがお風呂に入ってる時にパンツを毎日集めてたんです」とまさかの告白。「自分のカンカンに(入れて、集めていた)」と続け、周囲のゲスト、スタジオの観覧者はドン引きし、悲鳴の声が挙がった。
後藤輝基から「(それを)どうするの?」と訊かれると「匂います」と明かした石井は、再び悲鳴を浴びると、番組レギュラーの北村晴男弁護士は「窃盗罪は本来成立するが、日本の刑法では刑を免除される、ご夫婦間では。残念ですね」と呟いた。
石井慧、林明日香との離婚原因とは?
2015年には子供も生まれている二人、うまくいっているのかと思いきや、2016年8月に石井慧さんは、出演した「行列のできる法律相談所」において、突然林明日香さんとの離婚を発表。
あわせて離婚原因についても言及し、海外と日本での遠距離生活がきっかけだったと匂わせています。
石井は番組内で「実は私、離婚いたしました」と衝撃告白。「申し訳ないです」と苦笑いした。離婚原因については「今、流行(はやり)の浮気ではないです」とし、「(練習などで自分が)海外に行って離ればなれになって…。お互いのために別れた方がええんちゃうか、と」と決断したことを説明。「2回目(バツ2)」と笑い、「今後は360度、心を入れ替えて…」と石井らしい天然発言を繰り出した。
その後更新された林明日香さんのブログでは、「離れ離れになって」ということだけが離婚原因ではないというコメントもありました。詳細には触れられていませんが、何か匂わすような発言ですね。
海外生活で離れる事が多くてなど簡単な思いでの決断ではなかった事をお伝えさせて下さい。
離婚後も良好な関係だと強調していましたが、二人が選んだのは別離の道だったようです。
帰国した時には会うつもりらしく、「仲は良いです。すごく」と今でも良好な関係だという。
石井慧、林明日香との間には子供が1人(孟沙孜)
石井慧さんと林明日香さんには、2015年2月に生まれた子供がいます。
名前は「孟沙孜(むさし)」、英語表記ではMOUSASI。
第1子の長男を「孟沙孜(むさし)」と命名したことを明かした。
命名は尊敬するオランダの格闘家・ゲガール・ムサシにあやかり英語表記は「MOUSASI」。漢字表記は字画など熟考。当初は「孜」は「子」だったが女の子のような名前に夫人が「それだけはやめて」と反対。「小野妹子とか男だし…」と石井は思いながらも「孟は1番、沙は美しい、孜は毎日努力するの意味」とこん身の3字に落ち着いた。
石井慧さんといえば、柔道時代から練習量の多さで知られていて、才能よりも努力をすることで実力を上げてきたとも自負しています。ですので自身の”努力”にもちなんだ命名だったのかもしれませんね。それにしてもキラキラネームですが…。
そんな孟沙孜くんは、離婚後、母親の林明日香さんが親権を取っています。
息子の親権は林さん、石井選手が養育費を支払うそうです
石井慧の2度の離婚原因は本人にあり?
2010年に最初の結婚をし、2016年には2回目の離婚を経験した石井慧さん。その上、いずれも離婚原因には「遠距離生活によるすれ違い」をあげています。
特に1回目の元嫁美香さんは、石井慧さんについて「ウソばっかりついている」と非難していることもありますし、短期間での2回の結婚・離婚という結果からみても石井慧さん側に何らかの原因がありそうです。
柔道時代の話になりますが、その練習量の多さからこんなエピソードが言われることもある石井慧さん。
練習の虫として知られ、特にウエイトトレーニングは寝る間を惜しむほど行い、ベンチプレス200kg以上を挙げることができる。非常に努力家であり、オーバーワークによる怪我を恐れてコーチが練習を止めると、泣いて「練習させてくれ」と懇願することもあったという。自身を「一本をとる技はない」「才能はない」と認めており、その分を人一倍の努力(練習による筋力増強と研究熱心さ)で補っている。全日本男子監督の斉藤仁も「世界一」と認める練習の虫である。
柔道だけでなく、レスリングやブラジリアン柔術の道場にも1人で出かけて腕を磨く。積極的に他競技の技術も学んでいる。ブラジリアン柔術では茶帯(黒帯に次ぐ位)を取得している。
引用:石井慧 wiki
総合格闘家として活躍する現在も、格闘技に対する熱の入れようは並々ならぬものが続いていることでしょう。
アーネスト・ホースト先生も大絶賛の石井選手の努力を惜しまない姿、とても必見です‼︎☻ pic.twitter.com/IFk6QN1hKv
— SUPER KETSUO RUN (@ken_verdict) 2015年12月21日
実際に、1回目の元嫁の時には「頻繁には連絡をとらない」ということもいっていますが、結婚してからの石井慧さんの家庭と格闘技とのバランスからも、すれ違いが生まれてしまったという面も考えられそうですね。
石井慧の現在~クロアチア人になり総合格闘技で活躍
2019年7月、石井慧の現在が報じられましたが、現在はクロアチア人になり総合格闘技で活躍しています。
ネットニュースで紹介された石井選手のインタビューの中で東欧のクロアチアに住んで2年半だと語りつつ、
〈あ。国籍とりましたよ〉
〈いまはクロアチア人です〉
と、平然と言ってのけたのだった。
格闘技に詳しいライターが解説する。
「石井はクロアチア出身の格闘家ミルコ・クロコップと14年に2度対戦し、負けています。その後、17年になって、“なぜそんなに強いのか”と指導を求めてクロアチアに渡り、ミルコの練習場を拠点にしていました。本人のツイッターでは最近、クロアチアに墓を買ったことも明かしています」
石井慧さんがクロアチア人になったきっかけはクロアチア人の格闘家ミルコ・クロコップさんとの対戦でした。
石井慧さんはミルコ・クロコップさんに敗北をしましたが、2017年になってミルコ・クロコップさんに指導を求めてクロアチアに渡っています。
石井慧さんがクロアチア国籍を取得したのは、ミルコ・クロコップさんのもとでずっとトレーニングをしたい気持ちの表れだといいます。
今後に期待したいですね。