元サッカー日本代表で「左足の魔術師」と称されるフリーキックの神様・中村俊輔選手。
長年横浜マリノスの顔としてプレーし、2017年にジュビロ磐田に移籍したことが話題となりました。
中村俊輔選手の現在までの活躍やサッカー人生、そして結婚した嫁や子供の情報についてまとめたのでご紹介します。
中村俊輔のプロフィール&生い立ち
中村俊輔のプロフィール
海外では”東洋の芸術”と言われる中村俊輔
中村俊輔選手といえば第一に上がるのがそのキック精度ですが、フリーキックを始め針の穴を通すキラーパスや神クロスなど狙った位置に的確にボールを蹴る技術では間違いなく世界トップクラスでしょう。気になる中村俊輔選手の活躍と嫁、子供など家族についてまとめました。
中村俊輔選手のプロフィールはこちら。
本名: 中村 俊輔(なかむら しゅんすけ)
生年月日: 1978年6月24日
出身地: 神奈川県横浜市戸塚区
身長: 178cm
体重: 70kg
在籍チーム: ジュビロ磐田
引用:Wikipedia – 中村俊輔
中村俊輔選手は冒頭の”フリーキックの神様”以外にも、”アルテ・オリエンタル(東洋の芸術)”、”天才レフティー”と呼ばれています。
その神がかった中村俊輔選手のフリーキックの動画がこちら。
2017年から古巣の横浜F・マリノスからジュビロ磐田へ移籍した中村俊輔選手ですが、そこには”鬱”になるほどの決断があったという。
中村俊輔選手の現在までの活躍と、嫁や子供など家族についてまとめたのでご紹介していきましょう。
中村俊輔の生い立ち&経歴
中村俊輔は”サッカーの虫”だった
中村俊輔選手の母親が言うには、中村俊輔選手は寝ても覚めてもサッカーのことばかり考えていたようで、練習が終わってからも消灯される22時頃までずっとボールを蹴っていたそうです。
中村俊輔選手は1978年6月24日に横浜市瀬谷区で誕生しました。
4人兄弟の末っ子で、俊輔の名前は母親が命名したそうです。
サッカーをしていた兄の影響で3歳の頃からボールを蹴り始めた中村俊輔選手は、小学校に上がる頃に横浜深園サッカークラブに入団。
前述の通り”サッカーの虫”となり誰よりも膨大な練習に明け暮れた中村俊輔選手は、誰も追従できないほどの技術を身に付けます。
小学校時代に地元でサッカーに興味がある人の間では知らない人がいないくらい有名だったそうです。
横浜市立深谷中学校時代に横浜マリノス・ジュニアユースに入団
中村俊輔選手は50倍の競争を勝ち抜き当時日産だった横浜マリノスのジュニアユースに入団。ここでも誰よりも練習に明け暮れトップ選手になりましたが、そのことで天狗になってしまい初めての挫折を味わいます。
2度の全国制覇を果たすなど結果を出していた中村俊輔選手ですが、周りから技術が抜きん出ていたことから天狗になり高慢な態度をとっていたようで、ある日監督からレギュラーはもちろんベンチからも外されてしまったそうです。
中村俊輔選手にとって初めての挫折だったようで、この監督の判断により自分自身を見つめ直すきっかけになったと後に感謝したそうです。
ユースへの昇格が認められなかった中村俊輔選手は、サッカーの名門・桐光学園高校に進学しサッカー部に入部しました。
中村俊輔選手はチームを牽引し、2年生の頃に第74回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、3年生の頃に第75回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を果たしました。
中村俊輔、横浜マリノスに入団
1997年に横浜マリノスに入団した中村俊輔
中村俊輔選手は1997年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に入団し、その年の「Jリーグ優秀新人賞」を受賞しました。
中村俊輔選手の背番号といえば10番ですが、マリノスへの入団直後は25番でした。
しかし中村俊輔選手の活躍ぶりから、1999年のシーズンから10番を背負うようになり、「Jリーグベストイレブン」を初受賞しました。
その後も快進撃は続き、中村俊輔選手は22歳で「Jリーグ最優秀選手賞」、「日本年間最優秀選手賞」をJリーグ史上最年少で受賞しました。
日本サッカー史における”天才レフティー”・中村俊輔選手の華やかな幕開けとなりました。
中村俊輔、セリエA・レッジーナに移籍
中村俊輔、2002年にセリエA・レッジーナへ移籍
中村俊輔選手は2002年に横浜マリノスからイタリアのセリエA・レッジーナへ移籍しましたが、この年のFIFAワールドカップへは足首の怪我や日本代表監督だったトルシエ監督から選抜されませんでした。これが中村俊輔選手のワールドカップとの悪縁の始まりだったようです。
世間は中村俊輔選手が2002年FIFAワールドカップの日本代表に当然の如く召集されるものと思っていたようですが、トルシエ監督の考え方に中村俊輔選手のプレースタイルが合わなかったため選抜されませんでした。
そして、痛めていた足首が完治した中村俊輔選手はイタリア・セリエAの名門チーム、レッジーナへ移籍しました。
中村俊輔選手はレギュラー出場で移籍後のシーズンから7得点を上げて同チームのセリエA残留に貢献しています。
しかし2003年には故障を繰り返してしまった結果、中村俊輔選手の出場機会は激減してしまいました。
中村俊輔選手はこの翌年2月に横浜マリノス時代のチームメートだった故・奥大介選手の元嫁・佐伯日菜子さんの紹介で現嫁である今井まなみさんと結婚しました。
2004年のアジアカップでは最優秀選手に選ばれた中村俊輔
2004年に中国で行われたアジアカップで、中村俊輔選手は日本代表選手として出場し、最優秀選手に選ばれました。
2004~2005年のシーズンには、中村俊輔選手はセリエA入り3年目にしてレッジーナをクラブ創設以来最高順位になることに貢献しています。
そのため、2005年3月に発売されたイタリアのスポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」では、中村俊輔選手はレッジーナの歴代ベストイレブンに選ばれています。
そして、中村俊輔選手のプレーを高く評価したスコットランドの名門クラブ・セルティックFCの監督・ストラカンのオファーでセルティックFCへの移籍が決定しました。
中村俊輔、セルティックに移籍
中村俊輔、セルティックへ移籍
セリエAで3年間プレーした中村俊輔選手はスコットランドのリーグ、スコティッシュ・プレミアリーグ(SPL)の名門クラブ・セルティックへ約4億9千万円の移籍金で契約し移籍しました。
中村俊輔選手はセルティックで目覚しい活躍を見せ、リーグ優勝と国内カップ戦優勝の2冠に貢献しています。
また、2006年のUEFAチャンピオンズリーグでは、マンチェスター・ユナイテッド戦で得意のフリーキックを決めて得点をあげましたが、これは同リーグでは日本人初得点となりました。
そして決勝トーナメント進出を果たしていますが、これはセルティックにとっても初であり、中村俊輔選手にとっても日本人として初の快挙でした。
2007年4月にセルティックのリーグ戦2連覇が決定したことで、中村俊輔選手は日本人として初めて欧州リーグで連覇を経験した選手となりました。
中村俊輔選手が連覇までに獲得した賞としては、2006~2007年シーズンでリーグ最多となる12アシストをあげたことで「スコットランドPFA年間最優秀選手賞」を受賞。そして、他にも「スコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン」、「スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞」、「年間ベストゴール賞」などを受賞しました。
これはアジア人選手が欧州リーグでMVPを獲得するのは中村俊輔選手が初めてのことでした。
中村俊輔、エスパニョールに移籍
マリノスのオファーを断り欧州リーグに残った中村俊輔
中村俊輔選手がセルティックの次の戦場に選んだのは、オファーをくれた古巣、横浜F・マリノスではなくスペイン1部リーグであるRCDエスパニョールでした。
中村俊輔選手はまだ欧州リーグで自分の可能性を試したいと思い古巣マリノスのオファーを蹴って残留を決めましたが、この時点で31歳くらいなので体力的にも落ち目だったのでしょう。
結果は最初のシーズンで結果を出せずにエスパニョールのサポーターの期待に応えることはできませんでした。
中村俊輔選手は翌2010年2月28日に横浜F・マリノスに移籍が決まり帰国しました。
中村俊輔、横浜F・マリノスに復帰
古巣マリノスに帰ってきた中村俊輔
欧州リーグで活躍した中村俊輔選手は2010年シーズンから2002年以来となるJリーグ復帰をしました。
中村俊輔選手は2010年シーズンは全34試合のうち32試合に出場し、翌2011年には横浜F・マリノスのキャプテンを務めました。
その期待に応えるように中村俊輔選手は自身やJリーグの記録を塗り替えていきます。
2013年に中村俊輔選手は自身初となるリーグ年間2桁得点を記録し、さらにJ1で遠藤保仁選手が持っていたフリーキック最多得点記録を塗り替えました。
中村俊輔選手は2016年までに6季連続でキャプテンを務め、J1の直接フリーキック得点ランキングで単独1位を獲得しています。
その他、最年長MVPを獲るなど横浜F・マリノスで目覚しい活躍を見せてきた中村俊輔選手は、長年ホームとして身を置いてきた古巣を離れる決断を迫られます。
中村俊輔、ジュビロ磐田に移籍
40歳を迎えるジュビロ磐田での引退も視野に移籍した中村俊輔
横浜F・マリノスの運営陣の体制が変わったことで支えてきた古株をどんどん契約満了で追い出していったことに不信感を覚えた中村俊輔選手は、ついに長年ホームにしてきた横浜F・マリノスと縁を切ることを決断しました。
新体制の横浜F・マリノスはチームを強化するためにずっとチームを支えてきた古株メンバーを次々と契約満了を通告して追い出していく姿に憤慨した中村俊輔選手は、モンバエルツ監督と対話を望んできましたがそれも満足に叶わずチームを出ていくことを考えます。
中村俊輔選手は横浜F・マリノスと契約更新せずに、ジュビロ磐田からのオファーを受けて推定年棒8,000万円の2年契約の条件で移籍を決めました。
この判断を下すまでに、中村俊輔選手は「鬱になる」という発言をしたことから、ネット上で話題となりました。
俊輔が鬱になるって言ったのはマジなのか?だとしたらいよいよヤバいぞ
— 七瀬ツンツンおじさん (@noginana1994525) 2017年1月7日
そんなレジェンドの引き出しを「鬱」状態にしたって……
— たっつー@fmarinos (@ManCityJapanese) 2017年1月7日
俊輔のクラブ愛が爆弾に変わったよねたぶん。
この最後の爆発がクラブを変えるかもしれないって。
まだ何も明らかになってないけど、そうじゃない選択を待ちたい。
フロントじゃなくて俊輔、マリノスを信じて祈って待ちたい。
中村俊輔の移籍の後押しをしたのはかつての戦友・名波浩だった
中村俊輔選手がマリノスからの移籍に悩んでいる時に背中を押したのは日本代表メンバーとして共に戦い現在はジュビロ磐田の監督を務める名波浩さんでした。
どれだけ名波浩さんの歓迎が中村俊輔選手にとって心強かったかはインタビューでのコメントを見れば一目瞭然でしょう。
「基本は元いるチーム(マリノス)で(やる)っていうのがあった。だけど、単純なものがそうでなくなった時、今まで普通だったものが普通じゃなくなった時に、普通のサッカーがしたいと。その矢先に名波さんがすぐ駆けつけてくれたのは大きかった。『(トップ下を)空けてる』『人間性を重視する』『年齢は関係ない』という3つを言われただけで十分だった」と俊輔はしみじみと胸の内を吐露していた。
名波浩さんもともに日本代表選手として戦った中村俊輔選手に全幅の信頼を寄せているようで、ベテランにしかできないゲームメイクに期待しているようです。
磐田の名波監督は中村のコンディションが万全ならトップ下を任せピッチ上の全権を託す方針。
中村俊輔選手は横浜F・マリノスからは1億2,000万円で契約の条件を提示されていましたが、8,000万円と年棒は下がるもののジュビロ磐田へ移籍することを決めました。
そのことについて中村俊輔選手は以下のようにコメントしています。
「お金じゃない。最後はサッカーだけに向き合い、燃え尽きたい」と、日本代表でともにプレーした名波監督が率いる磐田を選んだ。
幼少期から”サッカーの虫”だった中村俊輔選手は、現在もその精神は少しも変わっていないようですね。
そうした情熱の高い中村俊輔選手だからこそ応援するファンも多く、未だに日本代表への復帰を望む声もあるようです。
中村俊輔が結婚した嫁・今井まなみがかわいい!子供は4人
中村俊輔と嫁・今井まなみの馴れ初めや結婚について
元女優でタレントだった今井まなみと結婚した中村俊輔
横浜F・マリノスで同僚だった故・奥大介選手の嫁だった佐伯日菜子さんから紹介されて交際し、結婚したと言われています。一説ではお互い両親が創価学会だったからその繋がりで知り合ったとも言われていますがガセネタでしょう。
中村俊輔選手の嫁である今井まなみさんは元々女優やタレントとして活動していたようですが、花開くことは無かったようでペットショップで働いていたところ中村俊輔選手と知り合ったようです。
今井まなみさんはヤングジャンプが主催した「 全国女子高生制服コレクション」で準グランプリを獲得したことで芸能界デビューを果たしています。
その後、映画 『ねらわれた学園 THE MESSIAH FROM THE FUTURE(1997)』 『物陰に足拍子』 の2作品に出演。
他にもゲスト出演的なチョイ役ではあるものの、ドラマ『ガラスの仮面(テレビ朝日)』や特撮ドラマ『超光戦士シャンゼリオン(テレビ東京)』にも女優として出演しています。
さらに、お笑いコンビ・CHA-菓子を結成して『爆笑オンエアバトル(NHK)』にも出演していたようです。
中村俊輔は4人の子供を持つイクメンパパ
中村俊輔は4人の子供のイクメンパパ
中村俊輔選手は子供の名前や画像は公開していないため詳細は不明ですが、嫁・今井まなみさんとの間に4人の子供をもうけています。
中村俊輔選手と嫁の今井まなみさんは、2004年のセリエA・レッジーナに所属していた頃に第一子、そして2008年に第二子、2010年に第三子、2011年に第四子が生まれています。
中村俊輔選手の一番の元気の素だとも語っており、休みの日には子供たちと遊ぶのが楽しみになっているそうです。
4人の子供をもうけてイクメンぶりを発揮している中村俊輔選手なので、当然嫁の今井まなみさんともおしどり夫婦なのでしょう。
中村俊輔の現在の年収について
現在の中村俊輔の年収は8,000万円
中村俊輔選手は2017年から年棒8,000万円でジュビロ磐田でプレーしていますので、税金を引いた年収はおよそ4,000万円くらいでしょう。月収換算にすると330万円くらいなのでかなり裕福な生活が可能ですね。
中村俊輔選手はJリーグで活躍する選手の中での年棒ランキングは14位にランクインしています。
ちなみに、中村俊輔選手が所属してきた歴代チームでの年棒は以下のとおりとなります。
セリエA・レッジーナ…約5,500万円(移籍金が約4億円なので年換算で約1億8,000万円)
セルティック…約2億4,000万円
エスパニョール…1億6,000万円
横浜F・マリノス…1億3,000~1億5,000万円で推移
現在、ジュビロ磐田では年棒8,000万円とこれまでで最も低いですが、代わりに盟友・名波浩監督の下で心機なく引退まで戦える場所を得て、中村俊輔選手は気持ちよく選手人生の終わりを迎えられそうですね。
中村俊輔についてまとめると…
”フリーキックの天才”と称され、世界で活躍し続けてきた日本を代表するサッカー選手である中村俊輔選手についてまとめてきました。
嫁の今井まなみさんもとても美人な方なので、4人の子供たちもイケメンもしくは美人かもしれませんね。
そのうち中村俊輔選手の子供もサッカー選手として脚光を浴びる日が来るかもしれません。
そうなると父親譲りの”フリーキックの天才”となることでしょう。