元日本代表ディフェンダーとして、2010FIFAワールドカップ(南アフリカ大会)などで活躍した田中マルクス闘莉王さんが2016年3月に結婚したことが話題となりました。
この記事では、闘莉王さんの嫁や子供に関する情報、名古屋グランパスや京都サンガF.C.を退団で引退に至った理由と現在などについてまとめています。
この記事の目次
田中マルクス闘莉王のプロフィール
出典:http://nagoya-grampus.jp/
名前:田中マルクス闘莉王
(たなか まるくす とぅーりお)
生年月日:1981年4月24日
出生地:ブラジル・サンパウロ州
身長:185cm
体重:82kg
職業:プロサッカー選手
ポジション:ディフェンダー
所属クラブ:サンフレッチェ広島
→浦和レッズ→名古屋グランパス
→京都サンガF.C.
1998年1月、母国ブラジルのサッカークラブ・ミラソウFCを視察中であった渋谷教育学園幕張高等学校サッカー部監督の宗像マルコス望により才能を見出され、日本への留学を打診されたことがきっっかけとなり来日(当時16歳)。
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2001年に高校を卒業後、サンフレッチェ広島に入団。しかし、翌年広島がJ2に降格。外国籍選手の枠に入ることができず、水戸ホーリーホックにレンタル移籍の形で加入することとなりました。
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水戸ホーリーホックでは、ディフェンダーながら10得点を挙げる活躍をみせ、その才能を開花させることに成功。2004年には浦和レッズへ完全移籍を果たし、レギュラーとして活躍し、チームのステージ優勝に大きく貢献しました。
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移籍以降、約5年間に渡ってチームの黄金期を支える要として活躍し、浦和レッズ在籍中の6シーズン全てにおいてJリーグベストイレブンに選出されるなど、充実した時期を送りました。
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2010年、名古屋グランパスへ移籍。優勝請負人として名古屋を初優勝に導く活躍を見せましたが、「サッカー人生で一番重視していたワールドカップイヤーで、しかも名古屋に移籍して優勝すると公言したから100%以上の気持ちでやった」結果、終盤は故障に悩まされる事態に。
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翌年以降は、自身の怪我による離脱などもありチームは低迷。2015年までシーズンを通してレギュラーとして出場されたものの、2016年1月9日付で名古屋グランパスを退団することが所属クラブにより発表されました。
名古屋退団後は、一時ブラジルに帰国、2017年1月6日に正式に京都へ加入する事が発表されました。
しかし、2019年12月1日、現役を引退することを発表しています。
田中マルクス闘莉王が2016年3月に結婚!嫁はブラジル人美女
嫁はブラジル在住のアリエレ・ゾッピさん
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名古屋グランパスを退団してから2ヶ月後の2016年3月14日、田中マルクス闘莉王さんが結婚したとのニュースが報じられました。
お相手はブラジル在住のアリエレ・ゾッピさんで、ゾッピさんがインスタグラムで「私たちの結婚式。2016年3月14日。二人だけで」と告白。多くの友人から「おめでとう」という祝福の言葉が寄せられた。
闘莉王はブラジル1部リーグのクラブと加入寸前までこぎ着けたが、条件面で合意に至らず破談。
来季は日本に戻ってプレーする希望を持っており、しばらくは一家が所有するガソリンスタンドなどの経営に携わりながらコンディション維持に努めるという。
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残念ながら、奥さまであるアリエレ・ゾッピさんのインスタグラムは現在非公開(プライベート)とされているようです。
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身重の妻をブラジルに残し、再び単身日本へ
結婚からわずか5ヶ月しか経っていない2016年8月26日、古巣・名古屋グランパスの新監督となったジュロヴスキー氏から頼まれて単身日本へと戻ってきた闘莉王さん。
名古屋は第2ステージは2分け7敗の最下位で、年間順位はJ2降格圏の16位に沈んでいる。ジュロブスキー監督から正式な復帰要請の電話を受けたのは22日。精肉店で買い物をしていた。
妻アリエリさんは9月11日に第1子を出産予定。「大変だよ。相~当怒ってるね。説得どころじゃないね。とりあえず出てきた」。激怒する新妻をブラジルに置いて、飛行機に飛び乗った。
シーズン終了までという異例の短期契約ではあったものの、打診を受けてからわずか数日で、地球の真裏であるブラジルに身重の妻を残して再来日する覚悟にファンは胸を打たれました。
子供誕生
残念ながら、名古屋グランパスはJ2への降格が決定してしまいましたが、シーズン終盤の2016年10月に無事第1子となるお子さま(性別:女)が誕生したことが報告されています。
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闘莉王さんは出産に立ち会うことができなかったそうです。
ブラジルで自主トレを行っていた闘将は8月に、ボスコ・ジュロヴスキー監督から直接電話を受けた。「自分たちが間違っていた。申し訳ない」との謝罪を受け、身重の夫人の反対を押し切り、スーツケース1つで単身で緊急来日。長女の出産に立ち会うことはできなかった。
田中マルクス闘莉王の名古屋グランパス退団の理由は?
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1度目の退団
2016年シーズンを「改革の年」と位置づけ、チーム内のメンバーを一新する方針を打ち出していた小倉隆史新監督。フロントの意向もあり、年俸がチーム内でも特に高かった闘莉王さんにも大幅な年俸ダウンが提示されることとなりました。
今季から小倉隆史新監督に率いられる名古屋は、2016年を改革の年と位置付けており、人件費のスリム化と選手層の見直しを進めていた。
昨年11月には、FWノヴァコヴィッチ(36歳)、MFレアンドロ・ドミンゲス(29歳)、MFダニルソン(29歳)ら7選手との契約満了を発表。さらにレギュラーを務めたDF牟田雄祐(25歳)、DF本多勇喜(24歳)を京都に移籍させるなど、多くの主力を放出してきた。
闘莉王は契約延長のオファーを受けていたが、その額は約1億円のダウン提示だったという。
引用:【J1・J2移籍動向】闘莉王が名古屋を退団。「私自身が変わらなければいけない」(闘莉王) | サッカーダイジェストWeb
日刊スポーツのインタビューで当時の心境を語っています。
「非常に悔しいし、失礼なことをしてしまったと思っています。キチンと感謝の気持ちを伝えて、話すことができなかった。特に名古屋のサポーターには、本当に6年間幸せだったと伝えたい。1度しかタイトル取れなかったので、本当に申し訳なく思っている。俺はタイトル取るために来た人だと思っているから。最後の方はふがいない成績だったし。でも、精いっぱいやったし、一瞬たりとも妥協することなく6年間やったと胸を張って言える。1年くらいブラジルに戻って、本場のプレーを肌で感じてくる。どんな形ででも帰って来て、この日本でやってきた人生への感謝、自分の日本に対する感謝を、どんな形が一番いいか考えて伝えに帰ってきたい」
ジュロヴスキー新監督の打診によりチームに復帰
2016年8月26日、再び名古屋グランパスに戻るため再来日を果たした闘莉王さん。
J2降格圏の16位に低迷する名古屋は23日、小倉隆史GM兼監督(43)の休養を発表した。事実上の解任でアシスタントコーチのボスコ・ジュロブスキー氏(54)が後任に就任する。さらに昨季まで在籍した元日本代表DF田中マルクス闘莉王(35)が復帰することも発表。10年のリーグ初制覇に貢献した闘将を呼び戻し、J1残留を目指す。
引用:小倉監督“解任”名古屋に闘莉王が復帰!J1残留へ最後の一手だ ― スポニチ Sponichi Annex サッカー
闘莉王さんの復帰はファンのみならず関係者からも好意的に受け止められました。
いまだ予断を許さない、非常に厳しい状況が続く名古屋だが、ジュロヴスキー監督の就任と闘莉王の加入でJ1残留への道には光が差してきた感もある。就任時に「選手に自信を取り戻させたい」と語った指揮官は、緻密な指導をしつつ「これをやってダメなら監督のせいだ」と問いかけ、不安を取り除くことで選手たちの自信回復につなげてきた。
采配初戦のリーグ10節FC東京戦は引き分けたが、それまで5バックで引きこもって失点を食い止めていたチームが、わずか4日間の指導で攻撃的に1-1の結果を出すまでに変貌した。今までにない手応えを監督の指導力で手にしたことで、チームには「次は勝てる」という確信にも似た自信が芽生え始めている。闘莉王の加入はそれを促進させる、加速装置のような役割を果たすことだろう。
2度目の退団
もともと「今シーズン終了まで」という異例の超短期契約だった闘莉王さんですが、残念ながらチームがJ2に降格することが決定したこともあり、再びチームを退団することとなりました。
ジュロブスキー監督も契約満了で退任する名古屋。「今のグランパスを仕切っている人たちが何を考えているのかと思いながら、この何日かを過ごしてきた。どこに向かって走っているのか、本当に誰もが分からないまま、この状況が続いている。“また同じ失敗を繰り返すのかな”と、しみじみ感じてます」。愛するクラブの現状を憂い、闘将は機上の人になった。
運営方針のはっきりしないフロント陣に対してのうっぷんを晴らすかのように、報道陣の取材に答えていた姿が印象的でした。
「去年の間違いを反省して、次に進むべきじゃないか。方向性が見えてこない」。継続路線で1年でのJ1復帰を果たした広島(07年に降格)やG大阪(12年に降格)の例を挙げ「そういったところを勉強してないな、と改めて思う」と親会社のトヨタ自動車のやり方を嘆いた。
今回の降格は親会社から出向する幹部らと久米社長らのあつれきが招いた。指導者経験ゼロの小倉前監督をリーグ戦17試合連続勝ちなしでも交代をせずにいた。小倉前監督からジュロブスキー監督に交代し、闘莉王が復帰したのは残り8試合の時点。妊娠中の新妻をブラジルに置いて復帰した。その後3勝1分け3敗と最終戦まで残留争いをした。そんな闘将の気持ちを踏みにじるように契約を打ち切る通告に「心がズタズタです」とうつむいた。
「去年もいろんな選手を取りにいって来なかった。そういう情報は選手間で流れる。選手が出ていくのも引き留められない。このままではJ1に戻ってこれない」。あまりにも身勝手なクラブのやり方を最後まで危惧していた。
引用:闘莉王 一方的退団に怒り…2度目の“肩叩き”で「心ズタズタ」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー
退団に際して、名古屋グランパスサポーターへの感謝の言葉が語られています。
闘莉王はクラブを通じてコメントを発表。「最高の仲間に出会い、共に闘うことができた僕は本当に幸せ者です。常に背中を押してくれた心強いファン・サポーターの方々には心から感謝しています」とした上で「僕の力不足で名古屋グランパスをJ1残留に導くことが出来なくて、本当に申し訳ないです」と謝罪。
引用:名古屋 闘莉王退団を正式発表 それでもチーム愛不変 サポには「心から感謝」 ― スポニチ Sponichi Annex サッカー
田中マルクス闘莉王の現在~2019シーズンで引退しブラジルで牧場経営
2019年に現役を引退
一時はブラジルに帰国し、闘莉王さんは日本のサッカー界から完全に離れてしまったと思われましたが、京都サンガF.C.からの熱心な誘いに心をうたれ、2017年に京都サンガF.C.に電撃加入が発表されました。
2017シーズンは明治安田生命J2リーグで31試合に出場し、15得点を記録。第37節のロアッソ熊本戦では得意のヘディングで逆転ゴールを挙げ、Jリーグ通算100ゴールを達成した。DF登録の選手が100得点を記録するのは、Jリーグ始まって以降初めての偉業となった。
京都は14勝15分け13敗の12位で2017シーズンのJ2を終えている。
2017年シーズンにはJリーグ通算100ゴールを達成するなど、30代後半となっても活躍を続けていました。
しかし、2019年シーズンでの退団と引退が発表されました。
引退を決めた理由について、「少しでもこの炎が消えかかりそうな時があれば、どんな時であれ、年も関係なく引退しようと。サッカーに関しては失礼なことなくやっていかないといけないなと自分の中では決めていた」と明かした。“その時期”とは「去年の終わりごろ」だったという。ラストシーズンと位置付けた今季は、「相手チームのサポーターにも挨拶したい」という思いから、「ちょっと消えかかっていた炎を、最後のエネルギーに変えて」プレーしたと語った。
闘莉王さんが引退を決意した理由として、「炎が消えかかっていた」ことを挙げています。
また、引退会見では、家族のことにも言及していました。
1998年にブラジルから日本に渡り、約22年もの間日本を中心に生活してきましたが、ブラジルに帰国するたび両親の歳の取り具合を見て、すごく罪悪感を感じたそうです。
特に、両親の世話は妹がしており、妹にばかり世話をかけていたことに責任を感じていたようです。
家族への思いを明かしたときには、何度も言葉を詰まらせ、目元をハンカチで拭った闘将。今後については「まだ考えてないです。とりあえずブラジルに帰って、たくさんビールを飲んで、たくさん肉を食べて、10キロくらい太って、皆さんが少しでも笑ってくれるような姿を見せられればいいなと思ってます」と冗談交じりに話し、笑いを誘ったが、まずは家族とゆっくりと過ごすことになりそうだ。
故郷ブラジルで牧場経営
出典:https://www.nagoyatv.com/
闘莉王さんは引退後、両親との時間を大切にするために故郷ブラジルに帰国し、現在は牧場を経営しながら第二の人生を送っているそうです。
広さ40ヘクタールほどの広大な土地で、馬や肉牛などを育てているといいます。
また、ホテルやマンションなどの経営にも携わり忙しい毎日を送っているようですが、現在も日本での思い出は片時も忘れることがないと明かしていました。
いつかは日本に戻り、サッカーに関わることで恩返しをしたいとも語っています。
「本当に日本のサッカーに感謝しきれないくらい感謝しているので、何かの形で恩返ししないといけないのかなと。いつかはまた日本に戻って、自分ができることはサッカーに関わる事だと思うので、そういったことも含めて考えていかないといけないなと思っている」
YouTubeやInstagramのアカウントを開設
闘莉王さんは現役引退後にYouTubeやInstagramのアカウントを開設し、ブラジルから情報を発信し続けています。
YouTubeではブラジルでの生活の様子を公開する他、日本のサッカーについて語ることもありファンを喜ばせているようです。
現在も日本のサッカー界のことを気にかけてくれており、指導者として戻ってきてほしいとの声もあがっている田中マルクス闘莉王さん。今後については分かりませんが、まずは家族との時間を大切にしながら第二の人生を楽しんでほしいですね。
闘莉王TV公式(@tuliotv04) • Instagram写真と動画
まとめ
・田中マルクス闘莉王は、2010年から所属していた名古屋グランパスを2016年1月に一度退団。ブラジルに帰国したが、同年8月に同クラブに復帰したものの11月に再退団。
・田中マルクス闘莉王は、2017年1月京都サンガF.C.に電撃加入が発表され日本サッカー界にカムバックした。しかし、2019年12月1日に引退を発表した。
・田中マルクス闘莉王は引退後はブラジルに帰国し牧場を経営しており、YouTubeやInstagramでも情報を発信している。
田中マルクス闘莉王さんの嫁や子供、退団や引退、近況についてまとめてみました。
惜しまれながら引退し、現在は故郷ブラジルで家族と共に生活する闘莉王さん。SNSでも情報を発信してくれていますので、今後の動向を見守っていきましょう。
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