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力道山の死因!村田勝志に刺される最期とクズエピソード・嫁や息子と孫など家族も総まとめ

力道山さんといえば、日本プロレスの父と呼ばれた存在なれど、持ち前の気性の荒さから最後はヤクザ村田勝志に殺害されてしまった人物となります。

 

この記事では、力道山さんのプロフィールと経歴、クズエピソード、嫁と息子や孫など家族、そして刺される最期や死因と墓についてまとめました。

力道山のプロフィール

 

力道山(りきどうざん)
本名:百田光浩(ももた みつひろ)
生年月日:1924年11月14日
出身地:北朝鮮
身長:176cm

 

力道山、元力士だったものの素行不良で引退していた

 

 

「日本プロレスの父」と呼ばれている力道山さんに関しては、日本統治時代の北朝鮮生まれであり、本名はキム・シㇽラクと言いました。

 

そんな力道山さんが来日した理由については、相撲取りとなるためだったそうで、1940年に二所ノ関部屋に入門すると最終的には関脇まで昇進しています。

 

一流力士だった力道山さんでしたが、酒癖が悪く酔うとトラブルばかり起こした他、金銭トラブルなども抱えていたため、追放に近い形で1950年に大相撲を引退することになりました。

 

ちなみに、力道山さんが日本国籍を取得したのが大相撲引退直後だったようで、百田家と養子縁組したと言われております。

 

その後の力道山さんは、一時期はタニマチ筋の伝手で建築会社の現場監督をしていた時期もあったようですが、ナイトクラブで知り合った日系人レスラー・ハロルド坂田さんの誘いを受けてプロレスラーに転身したそうですね。

 

アメリカでの修行を経て1953年に日本プロレスを設立することとなった力道山さんは、始まったばかりのテレビ放送の追い風を受けて、日本に一大プロレスブームを巻き起こしています。

 

 

 

力道山、その稼ぎぶりも半端なかった

 

 

力道山さんが日本に巻き起こしたプロレスブームの勢いは凄く、1963年5月に放送された「WWA世界選手権・ザ・デストロイヤー対力道山」は、平均64.0%もの高視聴率を叩きだすなど、当時の日本No1人気のスポーツでした。

 

当然ながら力道山さんが社長を務める日本プロレスの売上もけた違いだったようで、1回の興行を打つ度に数百万円(現在の紙幣価値で数千万円)単位の売上があったようですね。

 

一躍大富豪へと躍進した力道山さんは、海外巡業に出向くたびに数台の外車を購入していたと言われております。

 

 

そんな力道山さんのお気に入りの愛車は「ベンツ・ガルウィング300SL」となっており、現在の紙幣価値で4000万円もする超高級車だったため、街中で白バイを見つけるとスピードをあげて見せつけていたとか。

 

 

力道山、交遊歴も豪華だった

昭和中期を代表するスーパースターだった力道山さんに関しては、その交遊歴も豪華なことで有名でした。

 

 

力道山さんの交友関係については、石原裕次郎さんや美空ひばりさんといった芸能界のトップスターだけには留まらず、政財界の大物たちにまで及んでいたと言われております。

 

そのため、日夜宴席に顔を出していたという力道山さんですが、本人的には家でゆっくりしたいという気持ちもあったとか。

 

力道山、実業家としての一面もあった

力道山さんといえば、プロレスラー以外にも実業家としての一面も持っていました。

 

 

力道山さんの事業として有名なものは、1961年7月より営業が開始した「リキ・スポーツ・パレス」と1961年8月に完成した「リキ・アパートメント」です。

 

「リキ・スポーツ・パレス」とは、地上9階地下1階のビルで、1階はボウリング場、スナックバー、2階はスチームバス、レストラン、喫茶店、ボクシングとレスリングのジム、3階から5階が円型の体育館でプロレス常設会場、6、7階は女子ボディビルジムといったスポーツ多目的ビルである。

4階には社長室があり、当然そこにいるのは、力道山である。

 

引用:第102回 力道山(その三)「実業家」として、スポーツ専用の多目的ビルを建てる日本人ばなれの発想

 

基本的に娯楽関連の事業に進出していた力道山さんですが、当時のプロレスラーが生命保険に入れなかった環境を変えたいと考え、保険業も展開していたとか。

 

 

力道山のクズエピソード① ジャイアント馬場から借金を踏み倒していた

 

 

力道山さんは、死後に同じプロレスラーのジャイアント馬場さんより「人間として何一つ 良いところの無い人でした」と酷評されるなど人間的な評価は散々でした。

 

力道山さんといえば、プロ野球をクビになった馬場さんをスカウトとして、国民的プロレスラーにまで成長させた恩人となりますが、死後に酷評されるようになった背景には金銭トラブルがあったようですね。

 

1960年代前半頃の日本はまだまだ経済大国としての地位はなく円が弱い時代だったため、日本に外国人レスラーを招聘するためにはドルによる直払いが原則でした。

 

そのため、日本プロレスの運営のために大量のドルが必要な立場であった力道山さんは、当時アメリカでスターレスラーとして活躍していた馬場さんよりお金を借りて、外国人レスラーの報酬に当てていたとか。

 

しかしながら、力道山さんは馬場さんからの借金を踏み倒してしまったそうで、恩師を信頼して証文を取っていなかった馬場さんは泣き寝入りをする羽目になりました。

 

馬場さんが踏み倒された借金総額は現在の紙幣価値で数千万円相当だったと言われており、力道山さんを怨むきっかけになってしまったようですね。

 

 

 

力道山のクズエピソード② ジャイアント馬場に嫉妬して嫌がらせをした

 

 

ジャイアント馬場さんが恩師・力道山さんを怨むようになった背景には、金銭トラブルの他に嫌がらせもあったと言われております。

 

当初は、馬場さんの野球選手としての経歴や体格をリスペクトして、しごきなどは一切しなかったという力道山さんでしたが、馬場さんがアメリカでスターレスラーとして活躍し凱旋帰国した後は、嫉妬心から嫌がらせをするようになったそうですね。

 

悪口レベルの行為が多かったと言われている力道山さんの嫌がらせですが、記者のいる公式な場でも構わずやられた手前、馬場さんもかなりうんざりしてしまったとか。

 

 

力道山のクズエピソード③ アントニオ猪木への虐待がヤバかった

 

 

力道山さんは、付き人時代のアントニオ猪木さんに虐待レベルのしごきをし続けた結果、死後になると「俺は力道山先生のような弱い物イジメはしない」と反面教師にされてしまったこともありました。

 

力道山さんの猪木さんへのしごきはかなり壮絶だったようで、虫の居所が悪いと所かまわず殴られたりもしたそうですね。

〇アントニオ猪木が力道山から受けたしごき一覧
・走行中の車から突き落とされる
・クルーザーに乗せられた後、海の真ん中で放り出される
・汽車で移動中にうたた寝をしたら腕に火の付いた葉巻を押し付けられた
・ヤクザの前で一升瓶の酒を一気飲みさせられる
・名前で呼んでもらえず「アゴ」呼ばわりされ続けた
・デビュー時に「死神酋長アントニオ猪木」とのリングネームをつけられそうになる

 

力道山さんより、ありとあらゆるレベルのしごきを受けた立場の猪木さんですが、本人の中で一番屈辱的だったのは、大勢のファンが押しかけていた巡業先の旅館の玄関にて、靴の履かせ方が悪いと靴ベラで殴られたことだったとか。

 

 

 

 

力道山のクズエピソード④ 木村政彦を騙し討ちした 

 

 

力道山さんのクズエピソードには、1954年に行われた柔道家・木村政彦さんとの「昭和の巌流島決戦」での騙し討ち騒動もあります。

 

 

全日本選手権も制し現役15年間無敗伝説を誇った木村さんは、引退後はプロ柔道家に転身しており、ブラジル遠征の際には、グレイシー柔術の始祖の1人であるエリオ・グレイシーさんに圧勝するなど、日本最強の男との異名を誇っていました。

 

そんな木村さんは、1950年代中盤に当時ブームだったプロレスの世界に足を踏み入れることになりますが、力道山さんの引き立て役にされ続けたそうですね。

 

そんな境遇に不満を持った木村さんが、新聞紙上で力道山さんに呼びかけて実現した一騎打ちが「昭和の巌流島決戦」となります。

 

帰国した木村はプロレスラーとして力道山とタッグを組み、1954年2月19日にはシャープ兄弟と全国を14連戦した。試合は日本テレビ、NHKによって初めてテレビ中継された。しかし、このシャープ兄弟とのタッグ戦において、木村は毎回フォールを取られるなど引き立て役とされたことに不満を募らせ、朝日新聞紙上で「(力道山相手にも)真剣勝負なら負けない」と発言した。この記事に力道山は激怒して結果としてプロレス日本一をかけ「昭和の巌流島」と称して両者が戦うこととなった。

 

引用:木村政彦

 

 

国民の注目を集めることとなった「昭和の巌流島決戦」ですが、プロレスがガチだと信じられていた時代背景もあり、スタ-選手として負けられない立場であった力道山さんからの提案により事前に引き分け決着で合意していました。

 

そんな中で約束を破り、試合中に不意打ちを仕掛けて来た力道山さんの前に、木村さんは成す術もなく敗れてしまうことになりました。

 

ちなみに、力道山さんに裏切られて赤っ恥を書いた形となる木村さんは、力道山さんのことを生涯怨み続けたようですが、結核に苦しんでいた妻の治療費のために和解し示談金を貰うと、プロレスを引退しています。

 

 

力道山の嫁と子供など家族情報…息子や孫たちもプロレス関係者だった

力道山、嫁は元キャビンアテンダントだった

力道山さんに関しては、建築会社の現場監督をしていた1950年に小沢ふみ子さんという女性と結婚していたようですが、すぐに離婚しているようですね。

 

 

その後の力道山さんは、1963年6月になると、17歳年下のキャビンアテンダント・田中敬子さんと再婚しています。

 

敬子さんの実家は、父親が神奈川県警の警視であり茅ヶ崎警察署長に就任しているなど、一廉の名士だったとか。

 

2人の結婚式に関しては、各界の名士たち3000人が集まる絢爛豪華な代物だったようで、総額1億円もの費用がかかったと言われております。

 

ホテルオークラにおける披露宴は、それは豪華なものであった。媒酌人は日本プロレスコミッショナーにして自民党副総裁であった大野伴睦夫妻と、京都府選出参議院議員の井上清一夫妻。政財界、芸能界、スポーツ界から3000人もの客が集まった。総費用1億円といわれている。
新婚旅行は、1ヵ月かけてヨーロッパからアメリカを回った。

引用:第103回 力道山(その四)総費用1億円の結婚式を挙げ、新婚旅行は1ヵ月。豪奢な幸福の後に……

 

 

力道山、力士時代に3人の子供が生まれていた

力道山さんは、正式に結婚していた小沢ふみ子さんや田中敬子さんとの間に子供は生まれていません。

 

一方で、力士時代に京都で知り合い交際していた女性との間に3人の子供が生まれており、そちらが力道山さんの直系の子孫となります。

 

 

力道山さんの長男に関しては、2000年に肝不全で亡くなった百田義浩さんとなります。

 

慶応義塾大学卒のインテリだった義浩さんは、父親の死後は「リキ・スポーツ・パレス」内にある「リキ・ボクシングジム」のオーナーに就任していた時期もありました。

 

その後、ジャイアント馬場さんが全日本プロレスを立ち上げた際に取締役として参画し、リングアナやプロレスラーとしても活躍した義浩さんは、馬場さんの死後に全日本プロレスが分裂した際には、分裂先のプロレスリング・ノアへ合流しています。

 

合流先のプロレスリング・ノアでも取締役を務めていた義浩さんでしたが、発足直後に病魔に倒れてしまい急死しております。

 

 

力道山さんの息子には、次男・百田光雄さんもいます。

 

森村学園高等部卒業後に日本プロレスに入団している光雄さんは、全日本プロレスやプロレスリング・ノアなどのリング上がり続けた生き字引的プロレスラーである一方で、全日本プロレスやプロレスリング・ノアの副社長を務めた実業家でもあります。

 

 

力道山、孫もプロレス関係者だった

 

 

力道山さんの孫に関しては、次男・百田光雄さんの息子の百田力さんが、プロレスラーとして活躍中です。

 

元々は日本大学卒業後に、プロレスリング・ノアの練習生になっていた力さんですが、デビューには至らずにスポーツ・インストラクターをしていた時代もありました。

 

その後、天龍プロジェクトで練習生をした後、2013年に行われた「力道山没50年追悼記念興行」にてプロレスデビューを飾ることが出来た力さんは、現在は全日本プロレスやプロレスリング・ノアなどのリングで活躍中だとか。

 

 

力道山さんの孫については、長男・百田義浩さんにも娘がいたそうで、プロレスリング・ノアにて広報兼通訳をしていたとか。

 

 

力道山の最期…ナイトクラブで村田勝志に刺される/死因と墓について

力道山、ナイトクラブで村田勝志に刺される

 

 

力道山さんは、1963年12月8日の夜に、東京・赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で住吉一家系大日本興業組員・村田勝志さんと口論になった末に、腹部をナイフで刺されています。

 

1963年12月8日午後10時30分に、遊興中の赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、暴力団住吉一家傘下の大日本興業構成員であった村田勝志と、足を踏んだ踏まない、で口論になり、馬乗りになって殴打したところ、村田に下から登山ナイフで腹部を刺された。

 

引用:力道山

 

自ら因縁をつけた喧嘩ということもあり、警察沙汰にせずにその場で応急処置を受けた後は自宅に帰宅したという力道山さんですが、事件翌日になると体調が悪化したこともあり、山王病院に入院し腹部を十数針縫う手術を受けることになりました。

 

しかしながら、術後の経過が悪く腹膜炎による腸閉塞に陥った力道山さんは、同年の12月15日に再手術を受けたものの容態が回復せずに急死の憂き目となってしまいました。

 

 

力道山、死因は穿孔性化膿性腹膜炎だった

 

つまらない喧嘩のせいで命を落としてしまったことになる力道山さんですが、死因については穿孔性化膿性腹膜炎と公表されています。

 

 

しかしながら、「2度目の手術後直後に、付き人に命令して持ってこさせたお寿司やお酒を暴飲暴食したせいで容態が急転して死亡した」といった噂が流れるなど、力道山さんの死因については異説が流れ続けている状況が存在します。

 

力道山さんの死因には、「2度目の手術の際に麻酔科医が気道確保に失敗して窒息死した」との医療事故説も存在したりするようです。

 

とはいえ、これらの説については、特に根拠もないため都市伝説の一種として捉えるのが正解なのかもしれません。

 

ちなみに、力道山さんの死後に傷害致死の罪で立件されることとなった村田勝志さんには、懲役7年の実刑判決が下ることになりました。

 

 

力道山、墓は池上本門寺にあった

 

 

死後の力道山さんに関しては、東京都大田区にある池上本門寺に立派なお墓が建てられています。

 

 

また、力道山さんが生前に運営していた「リキ・スポーツパレス」については、死後も遺族が運営していた時期があったものの、経営難に陥り買収された後に取り壊されてしまい、現在は「ヒューマックス渋谷ビル」というオフィスビルになっているとか。

 

 

一方で東京都赤坂にある「リキ・アパートメント」は、現在も取り壊されずにマンションとして機能しており、2LDKで7480万円の価格で中古物件が売り出されていたりもします。

 

 

力道山についてまとめてみると…

 

 

力道山さんに関しては、昭和を代表するスーパースターの1人だったものの、好戦的な性格が災いして、予期せぬ死を迎えてしまったことになります。

 

力道山さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。

 

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記事へのコメント

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  1. 力道山は朝鮮人だったそうですね。 だから日本人に厳しく性格も歪んでいたの でしょう。

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