名大関として知られていた貴ノ浪さんですが、2015年に43歳の若さで急死しており、その死因にはホテルで腹上死との噂まであるようです。
この記事では、貴ノ浪さんの結婚した嫁と子供など家族情報の他、腹上死説の真相についてまとめてみました。
この記事の目次
貴ノ浪のプロフィール
貴ノ浪貞博(たかのなみ さだひろ)
本名:浪岡貞博(なみおか ただひろ)
生年月日:1971年10月27日
出身地:青森県三沢市
身長:196cm
貴ノ浪、初代貴乃花にスカウトされて角界入り
貴ノ浪さんは、1971年10月に青森県三沢市内にある浪岡家の第3子として生まれてきており、父親は公務員をしていたようですね。
小学2年時から相撲を開始していた貴ノ浪さんですが、早起きが苦手だったため、朝稽古が必須な力士は志してはいなかったとか。
とはいえ、実寸2mを超えると言われている巨体ぶりが相撲関係者の目に留まり、初代貴乃花こと二子山親方(当時:藤島親方)が三沢市までスカウトにやって来るといったサプライズが起こったため、中学を卒業後に角界入りを果たすことになりました。
貴ノ浪の経歴~相撲ブームを支えた名大関として活躍
貴ノ浪、四股名の名付け親は初代貴乃花
角界入り後の貴ノ浪さんについては、二子山親方が1983年に創設した藤島部屋(後の二子山部屋)に入門することになりました。
当時の藤島部屋は、新興の相撲部屋だったこともあり、関取はおらず幕下だった安芸乃島さんが出世頭という状態でした。
そのため、体格に恵まれた貴ノ浪さんは、二子山親方より特に目をかけられていたらしく、「貴ノ浪」という四股名も親方が直々に付けたそうですね。
後に相撲界きってのガチンコ部屋として有名になる藤島部屋は、とにかく練習量が多かったそうで、貴ノ浪さんも1日100番もの猛稽古をこなす日々だったとか。
貴ノ浪、19歳の若さで新十両に昇進
恵まれた体格なうえ猛稽古を続けていただけあり、初土俵を踏んで以降の貴ノ浪さんは順調に番付を登っていくことになり、入門4年目となる19歳の時に新十両まで昇進しています。
しかしながら、貴ノ浪さんのことを「将来は大関や横綱の器」と目していた二子山親方は、「出世が1年遅い」と褒めてはくれなかったとか。
その後、師匠からの叱咤激励に発奮した貴ノ浪さんは、十両をわずか4場所で卒業し20歳の若さで初入幕を果たしており、1990年代の相撲ブームを牽引する人気力士の1人となりました。
私が相撲を好きになったきっかけの一つの若貴ブームの頃、同じ部屋の貴ノ浪関もめっちゃ好きだった。かわず掛けの体制になると、テレビの前でワクワクしてた!高校入学して初めて後ろの席になった子も相撲好きで、しかも中野新橋に住んでて貴ノ浪ファンで、一気に仲良くなった思い出が。
— どすこいすずこ (@suzukosan) 2015年6月22日
貴ノ浪、優勝2回在位数歴代7位の名大関
入幕後も順調に出世を続け22歳の時に大関に昇進するなど、二子山親方の期待に応え続けた貴ノ浪さんでしたが、同時代に2代目貴乃花さんや曙さんといった歴史に残る天才力士たちがいたため、横綱昇進の夢は果たせず終いでした。
横綱にこそ昇進出来なかった貴ノ浪さんですが、大関在位数は歴代7位となる37場所となっており、師匠である二子山親方と並ぶ2度の幕内優勝も記録しています。
貴ノ浪、現役引退後は二子山部屋の部屋付き親方に
2004年の5月場所を持って現役引退となった貴ノ浪さんですが、その後は「音羽山」の年寄り株を襲名して親方へと転身しています。
引退後の貴ノ浪さんは、二子山親方の実子である2代目貴乃花さんが継承し、貴乃花部屋に改名された旧二子山部屋の部屋付き親方となりました。
現役時代から温厚で社交的な性格だった貴ノ浪さんは、角界の近代化を目指す改革者だった貴乃花さんの右腕として、外交面でその辣腕ぶりを発揮。角界での貴乃花グループの勢力拡大に、多大な貢献をしております。
「というのもね、貴乃花グループの相撲部屋には個性的な親方が多く、頑固で融通が利かない人ばかりなんです。貴乃花親方からして言葉足らずなタイプですから、その意図するところをわかりやすく説明する『広報担当』が必要ですが、音羽山親方は、その役をやっていた。一門が勢力を拡大できたのも、彼のおかげです」
本来なら、自分の部屋を設立してもおかしくない実績と人望を持っていた貴ノ浪さんが、貴乃花さんのサポート役に徹した背景には、2005年に病死した師匠・二子山親方より「お前だけは、貴乃花をよろしく頼む」と頼まれていたそうですね。
貴ノ浪の既往歴~現役時代から心臓病を患っていた
貴ノ浪、現役引退の理由は心臓病だった
古き良き時代の力士の1人であった貴ノ浪さんは、現役時代は1日3升のお酒を飲み、タバコも1日2箱吸うといった豪快な人物だったそうですね。
「あの頃から、豪快な飲みっぷりでした。日本酒なら毎日3升は飲んだ。ウイスキーをグラスピッチャーに注ぎ、氷を入れて飲むなんて当たり前。それでも二日酔いもせず、稽古に励んでいた」(前出・元力士)
そのため、病気のイメージとは無縁だった貴ノ浪さんでしたが、実際のところは、大関昇進後に心臓疾患を抱え込むようになり、騙し騙しの相撲人生になっていたとか。
現役末期となる2004年5月になると、入院するまで心臓の状態が悪化していた貴ノ浪さんは、5月場所自体には参加したものの、3日目に現役引退発表をすることになりました。
貴ノ浪、2006年には心臓が止まり死にかけていた
親方に転身して以降の貴ノ浪さんに関しても、心臓疾患に苦しむ日々は相変わらずだったようで、2006年1月末になると、巡業中に倒れてしまい青森県八戸市内の病院に搬送されています。
この時の貴ノ浪さんの症状はかなり重く、「急性呼吸不全、心房細動、敗血症」など7種類の病気を併発しており、一時は心臓が停止状態になるなど、一歩間違えれば死んでいたかもしれない状況だったようですね。
しかしながら、当時は34歳と体力的に余裕のある年代だったこともあり、手術をして持ちこたえることが出来た貴ノ浪さんは、同年の3月30日に退院し職場復帰を果たしております。
貴ノ浪、2014年には胃がんで手術を受けていた
現役時代より長らく心臓病に苦しみ続けていた貴ノ浪さんですが、2014年1月になると、今度はせきが止まらないといった体調不良に加えて、胸下にしこりが見つかるといった異変が起こったため、愛知県名古屋市内の病院で精密検査を受けています。
精密検査の結果、胃がんが発見されることとなった貴ノ浪さんは、世間には胃潰瘍が見つかったと発表した後、手術をして3ケ月ほどの入院生活を送ることになりました。
この時も術後の経過が良く、職場復帰することが出来た貴ノ浪さんでしたが、さすがに健康に気を使うようになり、お酒やたばこをきっぱりと辞めたそうですね。
貴ノ浪の結婚した嫁と子供について
貴ノ浪、2002年に6歳年上の元保育士・陽子さんと結婚
貴ノ浪さんは、2002年に6歳年上の名古屋在住の保育士・陽子さんと結婚しています。
2人は、貴ノ浪さんが幕下時代からの付き合いだったと言われているため、10年以上の長き交際の末に結婚したことになります。
父親が名古屋の病院長という名士の家系の生まれた陽子さんは、貴ノ浪さんとの交際後も上京することはなかったようで、基本的には「東京ー名古屋」間の遠距離恋愛状態が続いたようですね。
そのため、貴ノ浪さんが心臓病を患って以降は、陽子さんの父親の伝手を借りて名古屋市内で療養していた時期もあったらしく、「彼女の所へ入り浸っている」と勘違いしていた相撲関係者もいたとか。
貴ノ浪に子供は娘が1人いた
結婚後の貴ノ浪さんは、妻である陽子さんの意向なのか、名古屋市内に自宅を構えることになりました。
その後、2人の間には2004~2005年頃に第1子長女も生まれていたようですが、生活拠点を東京に移すこともなく、貴ノ浪さんが単身赴任状態で貴乃花部屋に通っていたようですね。
貴ノ浪が43歳の若さで死亡~死因はラブホテルでの腹上死と判明
貴ノ浪、2015年6月に急性心不全で死亡と発表される
貴ノ浪さんは、2015年6月20日に大阪市内のホテルにて急性心不全で亡くなっている姿が発見されることになりました。
貴ノ浪、やっぱり心不全か。
— ちょこてぃっぷ😘 (@chocothipp) 2015年6月20日
力士は体大きくする為にたくさん食べないといけないから、それで心臓に負担がかかるって聞くよねぇ。
43歳の若さで急死した貴ノ浪さんの葬儀は、自宅のある名古屋市内の葬儀場で行われたそうで、元サッカ-日本代表・釜本邦茂さんなど、角界以外からも多くの著名人が参列していたようですね。
貴ノ浪、愛人と不倫中にラブホテルで腹上死していたことが判明
突然の訃報で世間を驚かせた貴ノ浪さんですが、死後1ヶ月ほど経つと、週刊誌などで「実は腹上死だった」とのスクープ記事が掲載されています。
「大阪にいる愛人とラブホテルでコトに及んでいる最中に、体調を崩して、そのまま帰らぬ人になったんです」
いわゆる「腹上死」である。しかもこの事実が週刊誌の記事で大々的に報じられてしまったのだ。明るく気さくな性格で、人望も厚かった音羽山親方だけに、その死因は世間に大きな衝撃を与えた。
「週刊新潮」などの記事情報をまとめてみると、死の前日に妻に「友達5人と会ってくる」と言い残して大阪へ向かったという貴ノ浪さんですが、実際は愛人と不倫する予定でした。
その後、大阪で一晩を過ごした貴ノ浪さんは、2015年6月20日の午前10時過ぎ頃に、(愛人と密会するために)豊中市走井にあるラブホテルを訪れています。
ラブホテルでは愛人と難なく合流出来た貴ノ浪さんでしたが、性行為に及び始めて間もなくすると、心臓の状態が悪くなってしまい倒れてしまったとか。
愛人の方も放心状態にはなっておらず、あわててフロントまで連絡をして救急車を呼んでもらったものの、救急隊が到着した頃には既に貴ノ浪さんは死亡していたようです。
ちなみに、2014年に筧千佐子による「関西青酸連続死事件」が発覚した影響もあり、貴ノ浪さんは死後に司法解剖に回されて薬物検査などが実施されることになりました。
貴ノ浪、AEDがあれば助かっていた?
本人もまさかのタイミングで亡くなってしまった貴ノ浪さんですが、「AEDがあれば助かったのではないか?」との専門家の声もあったようですね。
貴ノ浪さんが愛人と密会していたラブホテルは、部屋数53を数えるそれなりの規模の施設だったものの、一般的なホテルとは違いAEDなどは設置されていなかったとか。
そのため、生死を分けることになる発作後の数分間に有効的な処置を取ることが出来ずに、蘇生のチャンスを逃してしまう羽目になりました。
貴ノ浪、腹上死の原因は油断だった?
持病の心臓病に加えて胃がんを患うなどボロボロの体ではあった貴ノ浪さんでしたが、43歳の若さで腹上死をする羽目になったのは、油断があったのではないかという専門家の指摘もあります。
「親方は高血圧症や高脂血症などの持病を抱えていたということですから、心臓には常に負担がかかっていたわけです。そのうえ、不倫相手とラブホテルでの逢瀬となると、精神的興奮度が高まり、これまた心臓に悪い。ただ、薬を飲んで病気をコントロールしていれば、彼の若さで急性心不全になることはまずない。本人は“体調は悪くない”と高を括っていたのでしょう」
とはいえ、生前の貴ノ浪さんは、数種類の薬を服用している姿を相撲関係者に目撃されているため、普段からしっかりと体のケアをしていたのにも関わらず、不運に見舞われた可能性が高そうです。
貴ノ浪についてまとめると…
・貴ノ浪は2002年に6歳年上の名古屋在住の保育士・陽子さんと結婚、子供は娘が1人いたといわれている
・貴ノ浪は2015年6月に43差の若さで急死、当初の死因は急性心不全と発表されたが、その後の報道で愛人と不倫中にラブホテルで腹上死していたことが判明した
愛人との性行為中の腹上死という最後を迎えてしまった貴ノ浪さんでしたが、小学生の娘や改革の半ばだった相撲界のことを考えると、無念さの残る死だったことは確かでしょうね。
貴ノ浪さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。