中日ドラゴンズの中継ぎ投手で、最高球速157km/hを武器に活躍するイケメン投手・浅尾拓也さん。
全盛期にはチーム初となる連覇に貢献するなど、相手チームにとっては絶望を感じさせる最強投手でした。
浅尾拓也さんが結婚した嫁や子供、そして2018年に「ハゲた」「老けた」と言われる現在について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
浅尾拓也のプロフィール&経歴
心優しく礼儀正しい天才イケメン投手・浅尾拓也
浅尾拓也さんはかつて少年のような童顔イケメン顔で女性ファンから「浅尾きゅん・浅尾キュン」と呼ばれていました。また、性格までイケメンであり、ファンから求められたサインはどんなに忙しくても全て書き、休日には児童養護施設や病院などに赴き子供達に勇気を与える慰問をしています。
本名: 浅尾 拓也(あさお たくや)
出身地: 愛知県知多市
生年月日: 1984年10月22日
身長: 182 cm
体重: 78 kg
投球・打席: 右投右打
ポジション: 投手
プロ入り: 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場: 2007年4月10日
年俸: 5,600万円(2018年)
引用:Wikipedia – 浅尾拓也
浅尾拓也、高校時代までは無名の選手だった
浅尾拓也は遅咲きの天才
浅尾拓也さんは知多市立八幡中学校時代は軟式野球部で捕手を務めていました。
その後野球の強豪校である愛知県立常滑北高等学校(現・愛知県立常滑高等学校)に進学して捕手をしていましたが、2年生の頃にチームが投手不足となったため浅尾拓也さんは投手に転向しました。
浅尾拓也さんは高校時代に国体や甲子園などへの出場経験は無いようで、高校卒業後は日本福祉大学に進学しました。
それでも浅尾拓也さんはしばらく愛知大学リーグの1部リーグではなく2部、3部リーグで出場しており、1部2部の入れ替え戦で勝利してチームの1部昇格に大きく貢献しました。
ここまで見ても、高校時代は完全に無名選手であり、後に中日ドラゴンズで天才の中継ぎ投手として恐れられる浅尾拓也さんの姿は想像しづらいかもしれません。
しかし、大学時代に毎年目覚しい成長を見せた浅尾拓也さんは大学4年生時には最高球速152km/hをマークするようになりプロ野球界からも注目が集まりドラフト候補に名前が挙がるようになりました。
浅尾拓也、ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団
浅尾拓也さんの獲得に最初に興味を示したのは東京ヤクルトスワローズと埼玉西武ライオンズでしたが、浅尾拓也さんが地元球団である中日ドラゴンズ以外なら東邦ガスに入って社会人野球に進むことを明かしたため、中日ドラゴンズから3位指名でオファーがあり入団が決まりました。
この考え方にも浅尾拓也さんの意志の強さ、人柄の誠実さなどが伺えるようです。
浅尾拓也さんは甲子園で活躍しそのままドラフト指名で卒業と同時にプロ野球界に入った選手らに比べると4年遅れでしかも野球選手としては細身で甘いマスクのため頼りなさげに映りましたが、大学4年間で磨かれた野球センスや身体能力は抜群のものを持っていました。
浅尾拓也さんは2007年4月10日の阪神タイガース戦でリリーフとしてプロ初戦を迎え、4月24日の広島東洋カープ戦で1回3奪三振で初勝利を収めました。
浅尾拓也の全盛期と転落~1軍復帰で全盛期の再来に期待の声
浅尾拓也、中日ドラゴンズの2枚看板として人気を博す!
岩瀬仁紀とともに中日ドラゴンズの2枚看板に
浅尾拓也さんは2007年の終盤に怪我により出場機会を失うも、2008年に復帰すると中継ぎ投手(セットアッパー)として抑え投手(クローザー)の岩瀬仁紀さん、先発投手とともに3人で中二ドラゴンズの最強投手陣として他球団に恐れられる存在でした。
浅尾拓也さんが平均球速149km/h、最高球速158km/hという圧倒的な球速に加え、高速フォーク、パームボール、スライダーなどを武器にする一方、岩瀬仁紀さんは類まれなコントロールと驚異的なスライダーを武器にしていました。
さらに、浅尾拓也さんは捕手時代の経験があることからバント阻止やゴロ捕球等のフィールディングも非常に評価が高く、牽制や走者を釘付けにする技術などと合わせてオールラウンドに高いセンスを発揮していました。
2010年にはそれまでに藤川球児さんが記録した日本記録を抜いて浅尾拓也さんは21試合連続ホールドポイントを記録すると同年内に立て続けにさらに2度の日本記録を塗り替え、連盟特別表彰(連盟特別賞)を受賞しています。
この活躍により浅尾拓也さんは同年に最優秀中継ぎ投手に選ばれてリーグ優勝にも大きく貢献しました。
浅尾拓也、中日ドラゴンズ2連覇に貢献!
浅尾拓也さんは2011年には中日ドラゴンズの球団新記録となる79試合に登板し、7勝2敗10セーブ45ホールド、防御率0.41と優秀な成績を残して、2010年に続いて球団のリーグ連覇に貢献しました。
同時に浅尾拓也さんは2011年シーズン中に被本塁打ゼロを達成し、「セントラルリーグMVP」も獲得、シーズン通して先発が1度も無かった投手としてセ・パ両リーグ合わせて史上初となる「三井ゴールデン・グラブ賞」を受賞しました。
この浅尾拓也さんの全盛期と言える時期には年棒は2億6千万円に達しており、その少年のようなイケメンぶりも相まってアイドルのような人気を博していました。
浅尾拓也、全盛期の球速が出ず登録抹消選手に
スター選手の時代を終えた浅尾拓也
浅尾拓也さんは2011年にスター選手として脚光を浴びながらも生来の謙虚で誠実な性格は少しも色褪せることなく、球団の仲間への配慮から厚い信頼をされ、取材には平身低頭で丁寧に答え、ファンには休日を返上してでもサービスを忘れないなど、まさにプロ選手の鏡のような姿勢でした。
しかし、2011年の全盛期を超えた浅尾拓也さんは2012年からは思いもよらぬ不調に悩まされます。
浅尾拓也さんが中継ぎとしてマウンドに上がると負けを確信して帰ってしまう対戦チームのファンがいるほど圧倒的な武器になっていた球速は、2012年から原因不明の失速に悩まされるようになりました。
前年の神がかり的な活躍が嘘のように、浅尾拓也さんは武器を失って失点続きとなり、ついに同年5月14日には登録抹消となってしまいました。
浅尾拓也さんは同年12月4日に発表された「第3回WBC日本代表候補選手」の34人には選ばれたものの、最終メンバー決定の28人から漏れてしまいました。
そして、浅尾拓也さんは契約改定で年棒も4,000万円減の2億2千万円となりました。
浅尾拓也、右肩の故障で1軍登板がゼロに
浅尾拓也さんはプロデビュー当時から右肩に感じる違和感が不安要素だったようですが、2012年以降はその時限爆弾がついに爆発してまいました。
剛速球の武器を失い新しい戦い方を模索する中で、浅尾拓也さんは2015年には調子を少し戻して36試合に登板しまずまずの成績を残したものの、全盛期に比べれば半分程度の登板数であり、年棒も3分の1の7,350万円まで落ち込んでいました。
そして浅尾拓也さんは2016年についには1軍の登板がゼロとなってしまいました。
不調続きの時期に浅尾拓也さんは右肩の故障を治すために、肩の故障を克服した経験を持つ元福岡ソフトバンクホークスの守護神・馬原孝浩さんに助けを求め、肩の治療に専念しました。
馬原孝浩さんがそうしたように、浅尾拓也さんは血液をアメリカの医療機関に送って約90種類のアレルギー反応について分析してもらい、食の改善から体づくりを見直しました。
浅尾拓也さんは同時にストレッチに対する知識も深め、徹底的に故障をしない頑丈な体づくりに注力しました。
馬原孝浩さんは自身の体験からも浅尾拓也さんの気持ちに立って言葉をかけてくれたようで、その貰った勇気の恩返しとして結果で返すと浅尾拓也さんは決意を固めていました。
浅尾拓也、2017年に1軍復帰を果たす!
そうした努力が実り、浅尾拓也さんはまさに馬原孝浩さんに恩返しをするかのように2017年に1軍復帰を果たし、全盛期には遠く及ばないもののプロ野球史上として3人目、セ・リーグでは史上2人目となる通算200ホールドを達成しました。
しかし、その後浅尾拓也さんは2018年に再び1軍登板の機会に恵まれませんでしたが、同年8月に入り1軍の練習に参加したことが報じられました。
2018年8月13日に浅尾拓也さんが1軍の練習に合流していることが報じられました。
「やっと1軍で勝負できるな、と。(1軍の)中継ぎでも(立場は)一番最後だと思います。投げて、自分のために結果を出したいというのもあります。チームが勝っている場面で投げないとは思いますが、言われたところでしっかり投げたい」
浅尾拓也さんは全盛期の球速は取り戻せないものの、現在投げられる球速で新たな戦い方を模索していることをコメントしています。
「今は140キロが出るか出ないか。でも、その中での抑え方を考えてやっています」
浅尾拓也さんは球速という武器は失ってもそれ以外の野球センスは磨かれていると思いますので、新たな戦い方が確立されればまた恐れられる投手として復帰するかもしれませんね。
中日・浅尾拓也、復活の三者連続三振! #dragons pic.twitter.com/xyLdHqGFdZ
— のもとけ (@dnomotoke) 2018年9月2日
中日ドラゴンズ2018 9月2日 vs巨人 浅尾拓也 7試合目 セットアッパー復活への一歩 上位打線を3者連続三振 https://t.co/oVwI3Bs0j9 @YouTubeさんから
— Fleur (@fleur21) September 5, 2018
この重信に投じたパームが最高至高、これ以上の言葉はない
サファテが浅尾拓也の故障の原因は球団のせいと猛批判!
サファテの落合博満批判に浅尾拓也の回答
福岡ソフトバンクホークスの最強クローザーであるデニス・サファテがツイッターで浅尾拓也さんの不調の様子に「壊したのは中日ドラゴンズだ」として当時監督を務めていた落合博満さんを暗に批判しました。
デニス・サファテがこうした批判をしたきっかけは、野球記者のジョン・ギブソンがツイッターで「今の浅尾拓也を見ると悲しくなる」とツイートしたからでした。
これに反応する形でデニス・サファテは以下のようにツイートしました。
「あれはドラゴンズが犯した過ちだった。毎日イニングまたぎをやっていた。彼は私が今まで見てきた中でも最も優れた能力をもつ投手だったが、残念だ」。さらにハッシュタグをつけ「俺たちはロボットではない」「自分の肩を守れ」と訴えた。ヤクルトでクローザーとして活躍したトニー・バーネット(レンジャーズ)も「同意」と反応している。
このデニス・サファテの批判に対して野球ファンの間で賛否両論の物議が挙がっていますが、当の本人である浅尾拓也さんは中日ドラゴンズ、ひいては落合博満さんに感謝しているとコメントしています。
「サファテさんがそう言ってくれることは、素直にすごくありがたいです。でも自分は今でも使ってくれた落合(博満監督)さんや森(繁和。当時はヘッドコーチ、現監督)さんには感謝しているんです」
また、別のメディアでのインタビューでは浅尾拓也さんは以下のようにも答えています。
やっぱり自分を信じて使ってくれる気持ちに応えたいという気持ちが強かった。連投といってもそんなにむちゃくちゃだったとか、自分の中ではたいして連投したという感じはなかったですね。確かにそれがイニングまたぎとかになるときついんですけど、結局、毎日、肩をつくるのは一緒ですし、試合に行っちゃった方が楽なときも多かったので。
浅尾拓也さんは過去に「(野球人生が)太く、短くでも良いと思ってる」と壊れてしまうことへの覚悟を語ったこともあるようで、2011年までの全盛期の起用のされ方にまったく後悔は無いどころか感謝しているようですね。
サファテってクズだわ!
— 熱狂的竜党 (@dradra51kyoda) 2018年8月29日
浅尾がそれだけ信頼されていたと言うことやし、他球団の奴らが口出しするような事では無いと思うわ!
しかも当時の中日の投手起用は、森さんが決めていたし、落合監督は関係無いんだわ。
個人的には、田中将大を酷使した星野監督の方が酷いと思う。#サファテ #浅尾拓也
浅尾拓也が結婚した嫁は高校の同級生~子供は息子が1人誕生
浅尾拓也、2009年12月に高校の同級生・古川沙帆里さんと結婚
2009年12月に高校同級生・古川沙帆里と結婚
浅尾拓也さんは、2009年12月28日に高校時代の同級生である古川沙帆里さんと結婚したことを翌29日に発表しました。
嫁・古川沙帆里さんはデザイン系の会社に勤務している和美人ということです。
浅尾拓也さんは嫁・古川沙帆里さんと結婚を決めた理由について以下のように語っています。
「(彼女が)仕事が終わってから家に来て料理を作ってくれたり、休みの日も朝から来てくれる姿をみて、食事の心配もなくなるし、一緒に暮らしたいなと思った」と、結婚を決意したという。挙式は来年オフの予定で「温かい家庭をつくって、これからも野球に集中して頑張っていきたい」と抱負を語った。
しかし、浅尾拓也さんと嫁・古川沙帆里さんの結婚までの道のりは波乱に満ちたものだったようです。
浅尾拓也、嫁とは破局・復縁をくり返していた
浅尾拓也さんと嫁・古川沙帆里さんは常滑北高等学校(現・愛知県立常滑高等学校)の1年生の頃に同じクラスになった縁で交際を始めました。
しかし、浅尾拓也さんと嫁・古川沙帆里さんは交際は長くは続かずわずか数ヶ月で別れてしまいます。
高校2年生の頃にクラスが別になりましたが、3年生で再び一緒になったことから浅尾拓也さんと嫁・古川沙帆里さんは1度目の復縁をしました。
高校卒業と同時に大学が別々となり離れてしまったため2度目の別れがありましたが、浅尾拓也さんが中日ドラゴンズに入団した年に嫁・古川沙帆里さんが再び復縁を希望して3度目の交際がスタートしました。
しかし、原因は不明ですが浅尾拓也さんと嫁・古川沙帆里さんは同年9月に3度目の破局を迎えましたが完全に関係が冷え込んでいたわけではないようで、上述の通り嫁・古川沙帆里さんが忙しい浅尾拓也さんのために仕事帰りに料理を作りに来てくれたりする内に浅尾拓也さんは一緒にいたい気持ちが目ばえて4度目の復縁をし、結婚に至りました。
浅尾拓也さんの熱烈なファンからは悲鳴が上がったようですが、とてもモテたであろう全盛期に嫁・古川沙帆里さんと復縁するあたり、とても一途で誠実な男性だということが伺えます。
浅尾拓也、2012年11月に第1子となる男児が誕生
2012年11月10日、浅尾拓也さんに第1子となる長男が誕生しました。
残念ながら子供の写真や名前は非公開のようですが、きっとお父さん似だったら、将来はイケメンでしょうね!
もしかしたら親子2代でプロ野球選手になんてことになるかもしれません。
浅尾拓也、球界No.1イケメンが「老けた」「ハゲた」と話題に
浅尾拓也、全盛期はアイドル並みの容姿に女性ファンが殺到
「板尾創路に似てる」と言われる浅尾拓也
浅尾拓也さんはプロデビューから活躍していた全盛期までは”球界一のイケメン”と言われてそのベビーフェイスで女性ファンの心を鷲掴みにしていましたが、不調から1軍を離れて姿を消し、2018年に再び1軍登録されて姿を見せた時に「老けた」「ハゲた」と散々言われているようです。
浅尾拓也さんが2018年に1軍の練習に参加した姿が女性ファンにとっては衝撃的だったようで、ネットメディアでは以下のように書かれています。
「今年で33歳。すでに結婚して5歳の長男もいます。童顔は老けやすいといいますが、かつてのベビーフェイスさが消えて、顔がオヤジになったという感じなんです。浅尾投手といえば“カッコ可愛い”というイメージが定着していたので、『5年でこんなに変わるの?』『すっかり別人』といった声も少なくありません。ネット上では板尾創路にソックリになったとも言われているようで、“板尾拓也”と呼ぶ意地悪な人もいるようです」
その浅尾拓也さんと板尾創路さんの比較画像がありましたが、確かに似てるようです。
浅尾拓也、老けて板尾創路にそっくりの声も
兄弟に見えるほど似てる浅尾拓也と板尾創路
浅尾と板尾で名前の響きも似ていますが浅尾拓也さんはかつての童顔イケメンの名残は無く、完全に老化が進んでいるようです。
心なしか浅尾拓也さん生え際は交代しており髪の毛もくたびれた感じで「ハゲ」感が強調されています。
とはいえ、これはカメラ映りもあるようで、インタビューなどで見せる浅尾拓也さんの顔はやはりかつての童顔イケメンを思わせる雰囲気を見せています。
練習終了後、#ドラゴンズ 浅尾拓也選手のインタビューを収録しました。3日(月) #東海ラジオ #ドラヂカラ で放送予定です。#ガッツナイター pic.twitter.com/A3GPDedkR9
— 大澤広樹(東海ラジオアナウンサー) (@osawahiroki) 2018年9月1日
いつの間にかにわか広島ファンになってた後輩から「浅尾って顔だけであれだけ騒がれて凄いですよね」とLINEが来たから、浅尾拓也がどれだけ凄かったのか、どれだけ努力してるか、どれだけ苦労があったのか、自分の知ってる範囲で教えたらLINEの名前が「浅尾信者@竜党」みたいになっとる、、、
— りんご飴@竜党 次回9/17 (@Ringo_Dragons) 2018年9月2日
浅尾拓也が現地で観れる
— あこや 9/29ナゴド (@acoya310) 2018年9月1日
それだけで本当に嬉しい
彼がいれば何か起こるそんな気持ちになれる pic.twitter.com/JcYq2QrZ6D
浅尾拓也の現在~2018年9月に現役からの引退を表明
浅尾拓也、2018年9月29日の阪神戦を最後に現役生活にピリオド
引退会見に臨む浅尾拓也
イケメン野球選手として人気を博した浅尾拓也さんは、2018年9月29日の阪神戦を最後に12年間の現役生活に幕を閉じました。
セットアッパーとして活躍し、11年にセ・リーグMVPに輝いた浅尾拓也投手(33)が26日、今季限りでの現役引退を表明し、ナゴヤドームで会見に臨んだ。29日の阪神戦(ナゴヤドーム)で現役最後のマウンドにあがる。
浅尾拓也、現役引退後は2軍投手コーチに就任が決定
現役引退後の浅尾拓也さんは、そのまま古巣・中日ドラゴンズの2軍投手コーチに就任。いまだに人気は衰え知らずのようで、2018年12月22日に行ったトークショーではファンが殺到したそうです。
今季限りで現役を引退し、指導者となった中日浅尾拓也2軍投手コーチ(34)が22日、名古屋市東区のイオンモール・ナゴヤドーム前店でトークショーを行った。
人気は衰え知らずで、約500人のファンが注目。ファンの安全面を考え、一定金額の購入者に整理券を配ったが、2階エントランスにもファンがあふれていた。
今季限りで現役を終えた、史上最強のセットアッパー 浅尾拓也しかない#今年の推しの最高の一枚 pic.twitter.com/fD79u7tZOf
— 昇竜復活!with BLUE (@suzu_hirose20) December 30, 2018
浅尾拓也、山口鉄也、攝津正が同じ年に引退するのはさすがに一つの時代が終わった感がある
— かずま (@kazu4910) December 30, 2018
浅尾拓也について総まとめすると…
・浅尾拓也は、2011年シーズン途中から思うように球速が出ず不調に。右肩の故障もあり成績も年俸も低迷していった。
・浅尾拓也は、2009年12月28日に同級生の古川沙帆里さんと結婚した。
・浅尾拓也に子供は1人で、2012年11月10日に第1子となる男児が誕生している。
・浅尾拓也は球界NO.1のイケメンといわれ大人気だった容姿が「老けた」「ハゲた」とネット上で話題になっている。
・浅尾拓也は2018年9月に現役を引退し、中日ドラゴンズ2軍投手コーチに就任した。
中日ドラゴンズの最強中継ぎ投手として活躍し、2018年9月に引退した浅尾拓也さんについてまとめました。
かつて「球界一のイケメン」と言われながら不調とともに「老けた」「ハゲた」と言われる裏には、そうならざるを得ない相当な苦労を積み重ねてきたのでしょう。
現役引退は寂しいですが、今後は若手のために今まで培ってきた技術を伝授してほしいですね。