芸能界には学生時代に地元では有名なヤンキー・不良として知られていた男性、女性芸能人がいます。
生き残っていくのが難しい芸能界ではこうした”破天荒”な元ヤンキー芸能人は長く残っていく印象があります。
元ヤンキーだと言われた芸能人の武勇伝ランキングを総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性&女性
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編10位 保阪尚希
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編9位 GACKT
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編8位 綾小路翔
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編7位 織田裕二
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編6位 土田晃之
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編5位 黒瀬純
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編4位 佐田正樹
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編3位 赤井秀和
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編2位 つまみ枝豆
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編1位 宇梶剛士
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編10位 飯島直子
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編9位 加藤綾子
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編8位 大島優子
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編7位 重盛さと美
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編6位 武井咲
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編5位 木下優樹菜
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編4位 佐々木希
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編3位 矢田亜希子
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編2位 小泉今日子
- 【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編1位 和田アキ子
- 元ヤンキー芸能人の武勇伝ランキングをまとめると・・・
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性&女性
芸能界には意外な人が元ヤンキーだったりする
芸能人としてデビューする際にヤクザ映画やVシネマなどならいざ知らず、最初から破天荒なイメージを売りにする芸能人は少ないでしょう。ほとんどの俳優、女優、芸人などは爽やかなイメージで売り出す芸能人が大勢です。
しかし、中には学生時代に地元では有名なヤンキーとして知られていた芸能人がいますのでご紹介していきましょう。
現在はあからさまにヤンキーという風貌の人は激減しましたが、かつて1970、80年代頃にはヤンキー・暴走族などが一種のブームとなっていました。
ヤンキーの代表的なファッションとしては学生服で言えば短ランや長ラン、ボンタンなど、スケバン・ズベ公と呼ばれた女子学生はロングスカートを履いていました。
ヘアースタイルはリーゼントやパンチパーマ、女子学生ならパーマやストレート、”聖子ちゃんカット”などもいたようです。
現在でも治安の悪い地域の高校などにはこうしたファッションのヤンキーもいますが、ファッションは現代風にアレンジされてオシャレなヤンキーもたくさんいるようです。
この頃のヤンキーは限度を知らない人も多く事件が多発することもありましたが、元ヤンキーだと言われる芸能人にとっては武勇伝として盛り上がる話題にもなっています。
誰が一番凄い武勇伝を持っているのか、元ヤンキーだと言われる男性、女性芸能人をランキング形式で総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
ヤンキーやん笑 pic.twitter.com/DHTz1OPn3w
— りょーが (@ryogacb400) 2017年12月1日
深夜のコンビニ前に複数人でたむろしてるヤンキーはタンクローリーで踏み潰しても罪に問わない。みたいな法律作ってくれないとマジで行きたくなくなる。謎に全員でこっち見てくるやつ。あれなんだよ「○○じゃね?」ってちげーよ‼️‼️‼️‼️誰だよ‼️‼️‼️‼️‼️‼️死ね‼️‼️‼️‼️
— たんぽぽ学級末端組員 (@sinitqimeu) 2017年11月29日
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編10位 保阪尚希
保阪尚希のプロフィール
本名:保阪 尚希(ほさか なおき)
生年月日:1967年12月11日
出身地:静岡県静岡市葵区
身長:180cm
血液型:A型
職業:俳優、タレント、歌手、料理研究家、通販コンサルタント、レーシングドライバー
【元ヤンキー芸能人】保阪尚希の武勇伝
幼い頃に両親を自殺で亡くすという壮絶な過去を持つ保阪尚希さん。高校生の時にはボクシングに打ち込んでおり、喧嘩をしても負け知らずだったというエピソードを持っています。大人数のヤンキーに一人で勝ったこともあったんだとか。
【元ヤンキー芸能人】保阪尚希の画像
元ヤンキー芸能人・保阪尚希の画像①
残念ながら保阪尚希さんのヤンキー時代の画像はありませんでした。
元ヤンキー芸能人・保阪尚希の画像②
現在は通販業で大成功を収めている保阪尚希さん。過去にヤンキーだったとは想像もつきませんね。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編9位 GACKT
GACKTのプロフィール
本名:大城ガクト
生年月日:1973年7月4日
出身地:沖縄県
身長:180cm
血液型:A型
職業:シンガーソングライター、俳優
【元ヤンキー芸能人】GACKTの武勇伝
GACKTさんはヤンキー時代、なんと趣味が喧嘩というほどの筋金入りヤンキーだったそうです。物騒なことに当時はナイフも所持しており、相手に刺されたこともあったんだとか。ただの殴り合いの喧嘩がかわいく思えてくるようなエピソードですね。
【元ヤンキー芸能人】GACKTの画像
元ヤンキー芸能人・GACKTの画像①
一見おとなしそうにも見えますが、きっと当時は手がつけられないほどのヤンキーだったのでしょう。
元ヤンキー芸能人・GACKTの画像②
元ヤンだったこともあってか、GACKTさんはイカつめの格好がよく似合っています。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編8位 綾小路翔
綾小路翔のプロフィール
生年月日:1976年4月26日
出身地:千葉県君津市
身長:184cm
体重:59kg
血液型:B型
職業:歌手
【元ヤンキー芸能人】綾小路翔の武勇伝
現在もヤンキーそのものの見た目の綾小路翔さんですが、過去には本当のヤンキーと言える生活を送ってたようです。小学生時代にイジメにあい、やり返し始めたことからヤンキーに目覚め、中学生のときには喧嘩は日常茶飯事、万引きなどにも手を出していたんだとか。
【元ヤンキー芸能人】綾小路翔の画像
元ヤンキー芸能人・綾小路翔の画像①
スキンヘッドで眉も細く、ヤンキーらしい出で立ちの綾小路翔さん。
元ヤンキー芸能人・綾小路翔の画像②
ヤンキーをそのまま職業にできているというのはある意味すごいことだと思います。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編7位 織田裕二
織田裕二のプロフィール
本名:織田 裕二(おだ ゆうじ)
生年月日:1967年12月13日
出身地:神奈川県
身長:177cm
体重:78kg
血液型:A型
職業:俳優、歌手
【元ヤンキー芸能人】織田裕二の武勇伝
織田裕二さんはヤンキー時代、「3倍返しの織田」と呼ばれていたそうです。というのも、喧嘩で1発パンチすると織田裕二さんは必ず3発返してくる、というのが理由だったそう。人一倍負けん気が強かったのでしょう。
【元ヤンキー芸能人】織田裕二の画像
元ヤンキー芸能人・織田裕二の画像①
残念ながらヤンキー時代の織田裕二さんの画像はありませんでした。しかし過去にはヤンキー役を演じていたことも多く、リーゼントや服装もよく似合っていますね。
元ヤンキー芸能人・織田裕二の画像②
織田裕二さんといえば『踊る大捜査線』シリーズなどが有名ですが、この頃はまさか将来刑事モノで大ヒットするとは思ってもいなかったのではないでしょうか。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編6位 土田晃之
土田晃之のプロフィール
本名:土田 晃之(つちだ てるゆき)
生年月日:1972年9月1日
出身地:東京都練馬区
身長:183cm
体重:75kg
血液型:AB型
職業:お笑いタレント、司会者、コメンテーター
【元ヤンキー芸能人】土田晃之の武勇伝
土田晃之さんは、中高生時代にヤンキーだったことを公表しています。喧嘩が強く、高校生の時には停学処分を食らったりもしていたんだとか。大人になった現在も、時にヤンキー時代の名残のような言動を見せることも多いようです。
【元ヤンキー芸能人】土田晃之の画像
元ヤンキー芸能人・土田晃之の画像①
もはやヤンキー以外の何物でもない、見事に決まったリーゼントと鋭い目つき。
元ヤンキー芸能人・土田晃之の画像②
土田晃之さんは身長も180cm以上あるので、この風体で近寄ってこられた相手はさぞ怖かったことでしょう。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編5位 黒瀬純
2009年「M-1グランプリ」「THE MANZAI 2011」覇者のパンクブーブー・黒瀬純
黒瀬純さんはお笑いコンビ・パンクブーブーのツッコミ役ですが、相方の佐藤哲夫さんからは「誰からも好かれるキャラクターで羨ましい」と言われるほど明るくやさしい性格で知られています。しかし、実は黒瀬純さんは学生時代に暴走族だったことがわかっています。
黒瀬純さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 黒瀬純(くろせ じゅん)
生年月日: 1975年5月8日
出身地: 福岡県糟屋郡篠栗町
身長: 163cm
体重: 不明
血液型: O型
コンビ名: パンクブーブー
担当: ツッコミ
立ち位置: 右
黒瀬純さんは最近パンクブーブーとしてのテレビ出演は減ったものの、月収は160万円あるということを6月29日放送の『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』で明かしていました。
とはいえ、黒瀬純さんは貯金額は735万円と明かしたことから稼いでは使ってしまう浪費家だと思われ、元々暴走族だったころの破天荒な性格は抜けていないのかもしれません。
パンクブーブーの同期にバッドボーイズがおり、佐田正樹さんとは少なからず因縁があったようなので黒瀬純さんの武勇伝についてご紹介していきましょう。
【元ヤンキー芸能人】黒瀬純の武勇伝
黒瀬純は福岡の暴走族・悪死魔の元副総長だった
現在の爽やかで明るいイメージからは想像がつきませんが、黒瀬純さんは高校生時代に地元福岡で暴れまわっていた暴走族・悪死魔の副総長だったそうです。
黒瀬純さんのヤンチャだった時代の話が明るみになったきっかけは、福岡のローカル番組に出演した際に高校生の同級生から暴露されてしまったことにありました。
黒瀬純さんの当時の印象について同級生たちは「クラスでは大人しいが暴走族だった」「先生と取っ組み合いの喧嘩をしていた」など口々に語っており、挙句の果てには「年上の彼女が車で迎えに来て歓楽街に送ってもらっていた」と暴露し黒瀬純さんは苦笑いするしかありませんでした。
特に黒瀬純さんの武勇伝の中で際立っているのは、バッドボーイズ・佐田正樹さんが黒瀬純さんの弟を喧嘩で泣かせてしまったため激怒し、土下座で謝らせたというものがあります。
当時黒瀬純さんは中学3年生で佐田正樹さんは小学6年生なので力関係ははっきりしています。
しかし、その後の暴走族としての武勇伝は佐田正樹さんの方が上なので、黒瀬純さんは芸能界でお笑い芸人として同期になりどういう挨拶をしたのかが気になりますね。
黒瀬純は人気投票で暴走族の副総長になった
黒瀬純さんが暴走族・悪死魔の副総長になったのは面白くて人気者だったから投票で選ばれたと語っています。
黒瀬純さんが何故暴走族・悪死魔に入ったのかは不明ですが、語り口からするとそこまで凶悪な暴走族ではなくバイク好きな仲間内で始めた感じが漂ってきます。
そのためか、黒瀬純さんは暴走族が嫌いで早く抜けたかったようで、バイクの音もうるさいと感じていたようです。
また、黒瀬純さんは「近所のおばあちゃんがうるさいと思っているだろうな」と心苦しく思っていたようで、やはり根っから良い人だったようです。
【元ヤンキー芸能人】黒瀬純の画像
元ヤンキー芸能人・黒瀬純の画像①
残念ながら黒瀬純さんの暴走族・悪死魔時代の写真はありませんでした。
元ヤンキー芸能人・黒瀬純の画像②
この見るからにやばそうな佐田正樹さんを小学生だったとはいえ黒瀬純さんは土下座させたのですから凄いですね。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編4位 佐田正樹
黒瀬純に土下座させられるもその後のし上がった佐田正樹
先述の通り佐田正樹さんは小学校6年生の頃に黒瀬純さんの弟を泣かせて土下座させられてしまいました。しかし、その後は福岡県警も手を焼く暴走族・幻影の総長になり暴れまわっていたようです。
佐田正樹さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 佐田正樹(さた まさき)
生年月日: 1978年9月13
出身地: 福岡県糟屋郡篠栗町
身長: 173 cm
体重: 67 kg
血液型: A型
コンビ名: バッドボーイズ
担当: ツッコミ
佐田正樹さんは小さい頃はいじめられっ子だったそうですが、父親から映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズを「これを見て強くなれ」と教科書代わりに渡されたそうです。
そのためリーゼントヤンキーに憧れた佐田正樹さんはツッパるようになり始め、その過程で先述の黒瀬純さんの弟をボコってしまい黒瀬純さんの逆鱗を買ったようです。
しかし、その事件がきっかけで黒瀬純さんと佐田正樹さんは仲良くなり一緒に遊ぶようになったようですね。
【元ヤンキー芸能人】佐田正樹の武勇伝
佐田正樹は「幻影」の総長で「福岡連合」に加入していた
佐田正樹さんは相方の大溝清人さんとともに暴走族であり、福岡最大の暴走族連合である「福岡連合」でもありました。
父親の言いつけ通り『ビー・バップ・ハイスクール』を見てリーゼントをトレードマークにヤンキーになった佐田正樹さんは、福岡で最も最大勢力だと言われていた暴走族「幻影」の総長を務め、「福岡連合」の2代目総長を務めていたそうです。
佐田正樹さんは何度か警察のお世話になっており、中学校に2年生の頃に友達と閉店した時計店のショーウィンドウを叩き割って時計を盗んだそうです。
しかし佐田正樹さんは質屋に持って行くという安易な行動を取ったためすぐに足がつき、警察に逮捕されそうになりますがこの時は仲間がかばってくれたことで逮捕を免れたそうです。
高校生の頃には佐田正樹さん率いる1年生と2年生の30vs30の戦争で勝利を収めたり、楽しみにしていた修学旅行当日の朝に警察が自宅にやってきて逮捕されるなど派手な高校生活を送っていたようです。
佐田正樹の武勇伝は「山タイマン」が有名
「山タイマン」は佐田正樹さんが暴走族の中でのし上がった決闘方法で、佐田正樹さんと抗争中の敵対グループの総長の元に暴走族のOBがY32というフルスモーク仕様のいかにもな車で迎えに来て山頂まで連れて行き、タイマンを張って勝った方だけがその車で帰ってこれるというものです。
佐田正樹さんは山頂で敵対グループの総長をタイマンで下し、Y32に乗って200人の仲間が待つふもとに戻るとものすごい歓声で迎えられたそうです。
佐田正樹さんは「幻影」と「福岡連合」の総長を務めるようになり、高校3年生の頃には福岡の繁華街・中洲に行くと目上の黒服の人たちですら「佐田さん」と敬語を使って挨拶をしていたそうです。
佐田正樹さんは高校を卒業すると暴力団の若衆になるか就職するかの二択を迫られることになりましたが、本当にやりたいことを考えた時に「芸人」だったようで、すでに学校内で漫才を披露していた芸人志望の相方・大溝清人さんと組んで福岡吉本に入ったそうです。
【元ヤンキー芸能人】佐田正樹の画像
元ヤンキー芸能人・佐田正樹の画像①
佐田正樹さんの元暴走族時代に撮影したものかは不明ですがポン刀も喧嘩で使っていたのでしょうか?
元ヤンキー芸能人・佐田正樹の画像②
佐田正樹さんは素手でのタイマンにより総長まで上り詰めていったようで福岡ではケンカ最強だったようです。そして2017年12月2日に佐田正樹さんの暴走族としての生き様を描いた映画『デメキン』が公開されます。
『デメキン』試写。芸人・佐田正樹が暴走族の総長をしていた頃の実話。若手が多数出演で山田裕貴の上手さが突出。目力もあるので、主人公のあだ名がデメキンと言われてもピンとこない。あの存在感で中学生時代を演じるのはさすがに無理があったが、流れで見せてしまう。#山田裕貴 #デメキン
— ちょこきゃりこ (@tyokokyariko2) 2017年9月26日
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編3位 赤井秀和
大阪の不良界では知らない者はいなかった赤井秀和
赤井英和さんは現在俳優として活躍しており、CMにも引っ張りだこな人気タレントとして活動しています。「アリさんマークの引越社」のCMでは家具だけではなくおばあさんも優しくおんぶして階段を上がる姿を見せていましたが、高校のヤンキー時代から年寄りや弱者には優しかったそうです。
赤井秀和さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 赤井 英和(あかい ひでかず)
通称: 浪速のロッキー
階級: スーパーライト級
国籍: 日本
誕生日: 1959年8月17日
出身地: 大阪府大阪市西成区
スタイル: オーソドックス
赤井英和さんは浪速高等学校に進学すると同時にボクシング部に入り、3年生の頃にはライトウェルター級で「インターハイ」と「アジアジュニアアマチュアボクシング選手権」を優勝するという実績を打ち立てます。
高校卒業後はプロ4戦目にして赤井英和さんはジュニアウェルター級全日本新人王に輝き、その後もKO勝利を12試合連続で重ねたことから「浪速のロッキー」と呼ばれるようになりました。
その後WBC世界スーパーライト級タイトルマッチに望みましたが敗北を喫してしまい、リベンジを果たすために臨んだ前哨戦で急性硬膜下血腫、脳挫傷という重篤な怪我を負ってしまい引退を余儀なくされてしまい、紆余曲折を経て俳優として活動を始めたようです。
【元ヤンキー芸能人】赤井英和の武勇伝
大阪に名を轟かせた喧嘩最強の赤井英和
赤井英和さんは元日本ランカーのボクサーというだけあって、高校時代であっても素人相手には喧嘩無敗を誇る強さを見せていました。
赤井英和さんの高校時代にヤンキーをしていた頃の武勇伝として有名なのは電車でのエピソードでしょう。
赤井英和さんは子分を従えており、電車に乗る際は「俺の電車」と決めた車両を子分にチェックさせて”調子に乗った”乗客がいないかを探していたそうです。
それを赤井英和さんは「世直し」と称しており、電車内で踏ん反りかえって座っているヤンキーやたむろして一般人の乗客に迷惑をかけているヤンキーを見つけると「風紀が乱れとるなぁ!」と足を蹴って回ったそうです。
ほとんどのヤンキーは赤井英和さんの存在を知っていたため逆らえずに従うしかなかったようですが、中には跳ねっ返りのヤンキーが向かってくると一人であれ複数であれ、「次の駅で降りろ」と指図してボコボコにするか、扉があいた瞬間に駅と車両の間に蹴落として笑っていたそうです。
年寄りのために席を開けさせた赤井英和
赤井英和さんはヤンキーが席を占領してお年寄りが座れずに困っていると先述の通り強引にどかせて席を譲っていたそうです。
また、赤井英和さんは自伝でも語っていますが、大阪で喧嘩が強いと言われるヤンキーがいれば道場破りのように出向いていって喧嘩でタイマンをしていたそうです。
しかも大阪内で一度も負けたことがなく、亀田三兄弟も「赤井を倒す」と言ってしまったばかりに赤井英和さんから殴り込みをかけられて撃沈しています。
前田日明さんも大阪で1万戦無敗を自称していた喧嘩最強のひとりでしたが、赤井英和さんとタイマンで衝突することは無かったようです。
【元ヤンキー芸能人】赤井英和の画像
元ヤンキー芸能人・赤井英和の画像①
赤井英和さんがヤンキー時代だった頃の画像ですが、高校生とは思えないかなり鋭い顔つきをしていますね。
元ヤンキー芸能人・赤井英和の画像②
トミーズ雅さんも日本ランカーのボクサーでしたが、赤井英和さんとスパーリングした時にあまりのパンチ力の強さに試合をしても勝てる気が全くしなかったそうです。
赤井英和が嘗て、電車の中で足を組んでるヤンキーの足を一人づつ蹴っていったという噺はあながち嘘じゃないと思う。
— 侍所 (@samurai_houshi) 2017年5月26日
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編2位 つまみ枝豆
経歴では一番ヤバいたけし軍団のつまみ枝豆
つまみ枝豆さんはビートたけしさんの弟子で構成された”たけし軍団”のひとりで、その中でも最も武闘派の人間だと言われています。一見優しそうな外見からは想像つきませんが、元々高校中退の暴走族出身で、その後過激派右翼団体に属するという危険な経歴があります。
つまみ枝豆さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 青木 隆彦(あおき たかひこ)
ニックネーム: ポポ(旧芸名)
生年月日: 1958年6月1日
出身地: 静岡県伊豆市
血液型: A型
身長: 170cm
体重: 不明
最終学歴: 静岡県立修善寺工業高等学校
師匠: ビートたけし
出身: お笑いスター誕生
コンビ名: カージナルス(1983年活動停止)
グループ名: たけし軍団
相方: ガダルカナル・タカ
芸風: 漫談、怪談、パフォーマンス
事務所: オフィス北野
活動時期: 1982年 –
他の活動: 俳優
配偶者: 江口ともみ
つまみ枝豆さんは非常に破天荒な経歴を持ちながら、実は実家が修善寺で山葵農家をしている名門の出であり、嫁は美人フリーアナウンサーの江口ともみさんです。
同じたけし軍団のガダルカナル・タカさんに誘われてお笑いコンビ「カージナルス」を結成し、草野球チームに助っ人として参加する内にたけし軍団に加わることになりました。
つまみ枝豆さんはビートたけしさんの付き人・運転手を2年間務めましたが、ある日ビートたけしさんと好きな車の話になりつまみ枝豆さんは「ベンツ」と答えたところ、翌日にビートたけしさんが800万円入った紙袋を渡して「これで買え」と言ったそうです。
つまみ枝豆さんは有り難く受け取ったものの、1週間悩んだ末に「やっぱり自分で稼いだお金で買います」と言って800万円を返すと、ビートたけしさんは「お前ならそう言うと思ったよ」と言ったそうです。
この豪放でビートたけしさんらしいエピソードからもつまみ枝豆の男気が伝わってくるようです。
【元ヤンキー芸能人】つまみ枝豆の武勇伝
つまみ枝豆は高校中退の暴走族出身
つまみ枝豆さんの武勇伝は成人して以降からとんでもないことをしでかしますが、その暴力性は高校時代に暴走族をしていたことから培われたようです。
つまみ枝豆さんの武勇伝は他の元ヤンキー芸能人とは一味違っており、非常に生々しい話がたくさんあります。
まず、つまみ枝豆さんは高校中退後に過激派右翼団体「防共挺身隊」に属しており、川口市役所に街宣車で突っ込んだり、ソ連領事館に木刀を持って殴り込みをかけたりと事件を起こして逮捕され服役もしています。
縁あってたけし軍団に参加してからもつまみ枝豆さんの暴力性は衰えておらず、たけし軍団で飲みに行った際に酔っ払いに絡まれて表で喧嘩になった時、ビートたけしさんが自転車で殴ろうと必死に持ち上げている横でガダルカナル・タカさんとつまみ枝豆さんは割った割り箸を持って笑っていたそうです。
割った割り箸は先が鋭く尖るため人を刺すことができる凶器になりますが、笑いながらそれを実行できるつまみ枝豆さんらの喧嘩慣れは怖いですね。
フライデー襲撃事件の時に唯一呼ばれなかったのがつまみ枝豆
当時、ビートたけしさんが交際していた21歳の女子専門学校生がフライデー記者の執拗な取材で全治2週間の大怪我を負ったため、これに憤慨したビートたけしさんはその記者を殴るためにフライデーに襲撃をかけましたが、この時唯一呼ばれなかったのがつまみ枝豆さんでした。
ビートたけしさんの目的は彼女に暴行したフライデー記者を一発殴って落とし前を付け、その後たけし軍団で飲みに行く予定だったそうです。
しかし、ビートたけしさんはつまみ枝豆が本格的な武闘派であることをよく知っていたため連れて行くと殴るだけでは済まないと感じ、あえて教えなかったそうです。
事件後にビートたけしさんが逮捕されて拘置所に収監されたことで始めて事件を知ったつまみ枝豆さんは、ビートたけしさんに惚れ込んでいるためとても悔やんだそうですが、ビートたけしさんが呼ばなかった真意を知り「助けてもらった」と感謝したそうです。
実際、つまみ枝豆さんは事件を知った直後に駆けつけてフライデー記者を刺すために刃物を準備していたそうです。
【元ヤンキー芸能人】つまみ枝豆の画像
元ヤンキー芸能人・つまみ枝豆の画像①
つまみ枝豆さん曰く、この頃は勘違いしていたそうです。
元ヤンキー芸能人・つまみ枝豆の画像②
さすがに右翼団体時代のつまみ枝豆さんの写真は無いようですね。
お前ら、二度とつまみ枝豆さん馬鹿にしちゃいけないぞ。
— せっとさん (@HappySetUp) 2011年10月14日
たけし軍団入りする前はヤンキー、また暴走族でもあり、一時は右翼団体「防共挺身隊」に所属したこともある(仲間と語らって川口市役所に押しかけたり、木刀を持ってソ連領事館を襲撃した経験があるという)。また右翼時代に逮捕され服役した。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 男性編1位 宇梶剛士
芸能界で元最強ヤンキーは間違いなく宇梶剛士
宇梶剛士さんの武勇伝は有名なので説明するまでもないかもしれませんが、芸能界で喧嘩最強と言えばまず宇梶剛士さんの名前が挙がるでしょう。普段はニコニコと穏やかで優しい印象の俳優ですが、10代の頃はとんでもない暴走族でした。
宇梶剛士さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 宇梶剛士(うかじ たかし)
別名義:津村 浩(つむら ひろし)
生年月日: 1962年8月15日
出生地: 東京都新宿区
身長: 188cm
体重: 不明
血液型: B型
職業: 俳優、タレント
ジャンル: 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間: 1981年 –
配偶者: 既婚
著名な家族: 宇梶静江(母)、浦川治造(叔父)
宇梶剛士さんは生まれた時から5000gと大柄だったようですが、拓殖大学第一高等学校では野球部に入っておりプロ球団のスカウトが来るほど注目を集める選手だったようです。
しかし、宇梶剛士さんの人生が暴力に傾き始めたのは高校在学中に起こした傷害事件がきっかけで、宇梶剛士さんは少年鑑別所に入れられてしまいます。
出所後は高校を中退した宇梶剛士さんは一時は叔父の元で働き始めましたがすぐに投げ出し、やることが無くなったことで暴走族に身を置くようになります。
【元ヤンキー芸能人】宇梶剛士の武勇伝
まさに”破格”の喧嘩師だった宇梶剛士
宇梶剛士さんは188センチの巨体と生来の膂力にものを言わせて喧嘩無敗を誇り、まさにその武勇伝は江戸時代の剣豪・宮本武蔵のような破格のものでした。
宇梶剛士さんの日本人離れした体格と膂力は母親の血から譲り受けたもので、母親の宇梶静江さんがアイヌ民族だったことから宇梶剛士さんも北方民族の体の強さを持って生まれたようです。
そのため小学校時代からすでに周囲と比べて体格が良く、中学校の不良数人相手を軽くひねってしまうほど圧倒的な喧嘩の力を持っていました。
宇梶剛士さんはあまりに自分が強すぎるため弱いものいじめにしか見えず「勝った者損」になっていたため、自分よりも格下相手には絶対にタイマンを張らないと決めていましたが、中学校時代には十数人相手に喧嘩をして返り討ちにしています。
高校での野球部で先輩の暴力を許せずに告発したようですが、それが元で傷害事件に発展する喧嘩をしてしまったようです。
宇梶剛士、17歳で「ブラックエンペラー」の7代目名誉総長になる
高校中退後に日本最大組織と言われた暴走族「ブラックエンペラー」に入った宇梶剛士さんですが、三多摩地区のヘッドになると、すぐに本部に殴り込みをかけて7代目名誉総長にまで上り詰めてしまいます。
宇梶剛士さんは「ブラックエンペラー」加入後、その圧倒的な喧嘩力から三多摩地区のヘッドにすぐになり、その足で6代目名誉総長のいる本部に殴り込みをかけます。
しかも一人で本部に乗り込み6代目名誉総長の周りにいる側近全てを倒す自信があったと宇梶剛士さんは語っていますが、6代目名誉総長を含めて7代目の就任にふさわしいと認めてしまうほどなので宇梶剛士さんの圧倒的な力とカリスマ性は突き抜けたものがあったのでしょう。
しかし、宇梶剛士さんは暴走族同士の抗争の末に少年院に入れられる事件を起こし、その中でチャップリンの伝記を読んだことから俳優を志すようになり更生していったそうです。
現在は俳優としてユニークな役も演じられる名俳優に成長した宇梶剛士さんですが、人には言えないような暴力もたくさん奮ってきたのでしょう。
【元ヤンキー芸能人】宇梶剛士の画像
元ヤンキー芸能人・宇梶剛士の画像①
宇梶剛士さんの暴走族「ブラックエンペラー」時代の画像ですがやはり体格が大きいですね。
元ヤンキー芸能人・宇梶剛士の画像②
宇梶剛士さんは格闘家への道を歩んでも伝説を残していたかもしれませんね。
「暴走族とかが俳優とか芸能人になれるわけねーだろ!」っていうのを聞くたび宇梶剛士さんの逸話聞かせてやりたいし、宇梶剛士さんはもともと暴走族数万人をまとめ上げる総長だったことがあるってのも知ってほしい
— 徳川それとメフィ康 (@tamamo_fgo) 2017年5月21日
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編10位 飯島直子
飯島直子のプロフィール
本名:飯島 直子(いいじま なおこ)
生年月日:1968年2月29日
出身地:神奈川県横浜市港北区
身長:166cm
血液型:A型
職業:タレント、女優
【元ヤンキー芸能人】飯島直子の武勇伝
飯島直子さんは学生時代、学校の番長のようなものを務め上げるほどのヤンキーだったそうです。某バラエティ番組内で元ヤンを暴露されたのですが、視聴者からはどこか納得の声も上がっていました。
【元ヤンキー芸能人】飯島直子の画像
元ヤンキー芸能人・飯島直子の画像①
地面につくほどの長いスカートと座り方が、まさにヤンキーという感じです。
元ヤンキー芸能人・飯島直子の画像②
当時流行りの聖子ちゃんカットのようですが、この写真だけでも気の強さがよくわかりますね。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編9位 加藤綾子
加藤綾子のプロフィール
本名:加藤 綾子(かとう あやこ)
生年月日:1985年4月23日
出身地:埼玉県三郷市
血液型:O型
職業:フリーアナウンサー、女優
【元ヤンキー芸能人】加藤綾子の武勇伝
加藤綾子さんが通っていた中学校は、全学年にヤンキーグループがあったと噂されています。加藤綾子さんは「ベンジャー」というヤンキーグループのリーダーを務めていたとも言われており、現在の清楚な様子からは想像がつきません。
【元ヤンキー芸能人】加藤綾子の画像
元ヤンキー芸能人・加藤綾子の画像①
茶髪に細眉、濃いメイクと、ヤンキーというよりはただのギャルのようにも見えます。
元ヤンキー芸能人・加藤綾子の画像②
かなりヤンチャなイメージの強い画像ですが、加藤綾子さんは当時から人望があったそうです。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編8位 大島優子
大島優子のプロフィール
本名:大島 優子(おおしま ゆうこ)
生年月日:1988年10月17日
出身地:栃木県
身長:152cm
血液型:B型
職業:女優
【元ヤンキー芸能人】大島優子の武勇伝
大島優子さんはAKB48時代に演じたヤンキー役がやけにハマっていると話題になりましたが、それもそのはず。中学生のときは不良な生徒だったそうです。髪を染めたり、深夜のコンビニにたむろしたり…。また同じく不良の先輩と交際もしていたとのこと。
【元ヤンキー芸能人】大島優子の画像
元ヤンキー芸能人・大島優子の画像①
残念ながら大島優子さんのヤンキー時代の画像はありませんでしたが、過去に演じたヤンキー役は見れば見るほどピッタリです。
元ヤンキー芸能人・大島優子の画像②
座り方や目つきなどが非常に様になっていますね。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編7位 重盛さと美
重盛さと美のプロフィール
本名:重盛 さと美(しげもり さとみ)
生年月日:1988年9月4日
出身地:福岡県福岡市博多区
身長:152cm
血液型:B型
職業:タレント、元グラビアアイドル
【元ヤンキー芸能人】重盛さと美の武勇伝
ふわふわとかわいらしい雰囲気の重盛さと美さんですが、週刊誌に中学時代の写真が掲載されヤンキーだったことが明らかになりました。他のヤンキーとつるんだりもしており、証拠は十分なようです。本人は否定しているようですが、この写真を見てヤンキーではないと主張するのは少々無理があるのではないでしょうか。
【元ヤンキー芸能人】重盛さと美の画像
元ヤンキー芸能人・重盛さと美の画像①
特攻服を身にまとっている重盛さと美さん。誰がどう見てもヤンキーでしょう。
元ヤンキー芸能人・重盛さと美の画像②
重盛さと美さんは当時からモテモテだったそうです。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編6位 武井咲
武井咲のプロフィール
本名:武井 咲(たけい えみ)
生年月日:1993年12月25日
出身地:愛知県名古屋市港区
身長:163cm
血液型:A型
職業:女優、ファッションモデル
【元ヤンキー芸能人】武井咲の武勇伝
清純派女優として活躍している武井咲さんですが、意外なことに学生時代はヤンキーだったようです。黒髪ではあったもののかなりヤンチャそうな人たちとつるんでおり、ヤンキーらしいジャージを着用していました。インターネット上にもこれらの写真が多数広まり、元ヤンの過去を持つ武井咲さんに驚いた人も多かったようです。
【元ヤンキー芸能人】武井咲の画像
元ヤンキー芸能人・武井咲の画像①
一緒に写っている人達と、書かれている「我等友情永遠不滅成」という文字がヤンキー感満載ですね。
元ヤンキー芸能人・武井咲の画像②
右上に写っている黒髪の女性が武井咲さんです。単なるおとなしい生徒ではなかったことが想像できます。
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編5位 木下優樹菜
お笑いコンビ・FUJIWARAの藤本敏史を夫に持つ木下優樹菜
木下優樹菜さんはFUJIWARAの藤本敏史さんと2010年8月28日に結婚してから二人の子供に恵まれ、現在はママタレとして活躍しています。しかし、中学校時代からヤンキーだったようで相当グレていたようですね。
木下優樹菜さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 藤本 優樹菜(ふじもと ゆきな)
愛称: ユッキーナ
生年月日: 1987年12月4日
出身地: 東京都葛飾区
血液型: A型
身長: 168 cm
体重: 54 kg
靴のサイズ: 24.5 cm
デビュー: 2006年
ジャンル: ファッション
モデル内容: 一般、水着
他の活動: バラエティタレント、歌手
事務所: プラチナムプロダクション
引用:Wikipedia – 木下優樹菜
木下優樹菜さんは安室奈美恵さんに憧れてアクターズオーディションや2001年に行われたモーニング娘。の新メンバーオーディション『モーニング娘。LOVEオーディション21』を受けましたがいずれも落選してしまいました。
この挫折がきっかけで木下優樹菜さんは中学校時代にグレてしまい、ヤンキーへの道を歩んでしまいました。
【元ヤンキー芸能人】木下優樹菜の武勇伝
タイマンで副番長まで上り詰めた木下優樹菜
木下優樹菜さんの育った地区は治安が悪く「ヤンキーの英才教育地区」と呼ばれていたそうで、ヤンキーになるかパシリになるか勉強して転校するかの三択だったそうです。
木下優樹菜さんはテレビで自身の中学校時代の武勇伝について語っていますが、タイマンを繰り返して副番長にまで上り詰めたということです。
また、当時の彼氏は地元では有名なヤンキーだったそうで、木下優樹菜さんは金髪のギャル系ヤンキーだったようです。
そして、過去に『今夜くらべてみました』に木下優樹菜さんが出演した際に、嫌いな女性のタイプを「誰にでもいい顔する人」だとして、学生時代にいじめたことを明かして視聴者からひんしゅくを買ったこともありました。
木下優樹菜の所属事務所はプラチナムプロダクション
デビューしたての頃に同じく元ヤンキーで女優の佐々木希さんと仕事で出会った時、「この人には勝てない、この人相当ヤバイ」と思ったそうです。
次に紹介する元ヤンキー芸能人が佐々木希さんですが、副番長だった木下優樹菜さんが恐れをなすオーラを放っていた佐々木希さんとは現在も家族ぐるみで付き合うほど仲が良いそうです。
【元ヤンキー芸能人】木下優樹菜の画像
元ヤンキー芸能人・木下優樹菜の画像①
ヤンキー時代の木下優樹菜さんの画像ですが、タバコを吸っているのでしょうか?
元ヤンキー芸能人・木下優樹菜の画像②
木下優樹菜さんは木刀でタイマンを張って副番長になったのでしょうか?
今日、ヤンキー集団にトイレを占領されて、トイレに行ったら覗かれるので行けれなくて、でもトイレには行きたくて困ってたら木下優樹菜さんが「おめーら、トイレにぐらい行かせてやれよ!!」ってヤンキーをけ散らかしてくれて、無事にトイレに行けたって夢を見ました。
— 優羽@diet (@yuu_diet_) 2017年12月1日
かっこ良かったです🙏💓笑
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編4位 佐々木希
お笑いコンビ・アンジャッシュの渡部建と結婚した佐々木希
2017年4月11日に渡部建さんと結婚して幸せの渦中にある女優の佐々木希さんですが、渡部建さんは元ヤンキーではないので先述の木下優樹菜さんをビビらせた佐々木希さんを扱いきれるのか話題になっていました。
佐々木希さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 渡部 希(わたべ のぞみ)
生年月日: 1988年2月8日
出生地: 秋田県秋田市
身長: 168 cm
体重: 非公開
血液型: AB型
職業: 女優・歌手・ファッションモデル
ジャンル: テレビドラマ・映画・CM
活動期間: 2006年 –
配偶者: 渡部建(2017年 – )
事務所: トップコート
佐々木希さんがグレてしまったきっかけは実はかわいそうな話で、中学1年生の頃に大好きだった父親が勤務中の交通事故で入院することになってしまいます。
父親は退院してから復職しようとするも会社から首を切られてしまい、強いショックを受けた父親は他に職を見つけることもできずに自殺してしまいます。
家族を路頭に迷わせてしまうという負い目があったのでしょう。
最愛の父親の死に心に大きな闇を抱えた佐々木希さんは真っ当な道に進むことができなくなりヤンキーへの道を歩むことになってしまいます。
【元ヤンキー芸能人】佐々木希の武勇伝
タイマン無敗を誇った佐々木希
男のヤンキーのタイマンならわかりますが、女性である佐々木希さんもタイマンで負け無しの喧嘩最強だったと言われています。
レディースの喧嘩が実際にどのような感じで行われているかわかりませんが、佐々木希さんはタイマンで無敗だったようで、当時秋田のヤンキー界で流行っていたタイマンで負けたら髪を切られる”髪切りデスマッチ”を受けたことが無かったそうです。
この話しが本当なら先述のように木下優樹菜さんが佐々木希さんを一目見て「やばい人」だと怖気付くのも分かりますね。
佐々木希、金髪でタバコを吸うプリクラが流出
佐々木希さんはヤンキー時代に髪を金髪や赤髪に染めたりしていたようで、タバコを吸いながらヤンキーの彼氏と撮ったプリクラが流出していました。
佐々木希さんは父親が亡くなった中学校1年生の頃から不登校気味になり、髪を金髪に染めてヤンキーグループに属すようになったようです。
父親が亡くなったということは家計が著しく厳しい状況になっていたのかもしれません。
佐々木希さんは憂さを晴らすように暴れていたようで、先述のとおり喧嘩に明け暮れてはタイマンで無敗を誇っていたそうです。
しかし、15歳の頃から秋田市にある秋田フォーラス内に入っているお店「流行屋」で佐々木希さんはアルバイトを始め、そこに偶然取材に来た『週刊ヤングジャンプ』のスタッフにスカウトされて芸能界入りを果たしています。
【元ヤンキー芸能人】佐々木希の画像
佐々木希がヤンキーになる前の画像
佐々木希さんは不登校がちで卒業アルバムの写真が撮れなかったためヤンキーになるまえの中学校1年生の頃の写真が使われたと言われています。
元ヤンキー芸能人・佐々木希の画像①
佐々木希さんが金髪ヤンキーだった頃の流出プリクラですがギャル系ヤンキーだったのでしょうか?
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編3位 矢田亜希子
押尾学と結婚、離婚した女優・矢田亜希子
矢田亜希子さんは清純派のイメージで女優として活躍してきましたが、本当の顔は正反対だと言われています。覚せい剤の所持と愛人を死亡させたことで逮捕されたアウトロー・押尾学さんと結婚したことからも裏社会とのつながりはやはりあったのかもしれません。
矢田亜希子さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 矢田亜希子(やだ あきこ)
生年月日: 1978年12月23日
出生地: 神奈川県川崎市
身長: 163cm
体重: 非公開
血液型: O型
職業: 女優
ジャンル: テレビドラマ、映画、CM
活動期間: 1995年 – 2006年、2009年 –
配偶者: 押尾学(2006年 – 2009年)
事務所: トヨタオフィス
矢田亜希子さんは2005年に放送されたドラマ『夢で逢いましょう』で共演して知り合いましたが、ドラマ中でも結婚しリアルでも結婚したため話題となりました。
その後、ハワイ旅行など矢田亜希子さんと押尾学さんの仲睦まじい様子は何度か報じられていましたが、2009年に押尾学さんが覚せい剤による逮捕を受けて離婚してしまいます。
矢田亜希子さんのイメージは押尾学さんのせいで著しく悪くなってしまったと言われていますが、そもそも押尾学さんのような男と結婚した矢田亜希子にもとんでもない過去があったと囁かれるようになりました。
【元ヤンキー芸能人】矢田亜希子の武勇伝
矢田亜希子は男好きの超軽い女だった?
矢田亜希子さんの地元である川崎での噂によれば、矢田亜希子さんは学生時代にかなりの遊び人だったと言われています。
川崎の地元民が囁く噂によると、矢田亜希子さんは学生時代に毎朝違う男と登校していたようで、次第に渋谷のチーマーと親しくなって幹部連中を取っ替え引っ替え関係を持っていたそうです。
完全にヤンキーになった矢田亜希子さんの放蕩ぶりはすごく、噂によるイメージが悪くなるのを恐れた事務所のトヨタオフィスは矢田亜希子さんの出身地である川崎を消したと言われています。
高校時代には矢田亜希子さんが目黒で万引きをしている姿を目撃したという人物の証言もあるなど、矢田亜希子さんの地元川崎での素行の悪さは有名だったそうです。
そして、月刊「ENTAME」や押尾学さんと結婚した時のワイドショーなどでも矢田亜希子さんは元ヤンキーだということが言われていたそうです。
矢田亜希子の致命的な武勇伝はない
矢田亜希子さんがヤンキーだと言われているのは非常に漠然としたものがあり、超軽い女だったというのも噂に過ぎませんので女優業を脅かすほどではないでしょう。
しかし、矢田亜希子さんが「消えた」「干された」と言われる背景にはやはり押尾学さんの覚せい剤逮捕があったようで、お似合いカップルだと思われていたこともあり矢田亜希子さんはイメージが急落して使われなくなっていったそうです。
また、オフィシャルブログでのステマやシャネル自慢など炎上させる記事を月に80本も投稿するなど人として下品な面も見せていることもとても影響しているようですね。
【元ヤンキー芸能人】矢田亜希子の画像
元ヤンキー芸能人・矢田亜希子
矢田亜希子さんのヤンキー時代の画像は無いものの、アウトローの押尾学さんとのツーショット写真からはどういう種類の人間かがわかりやすいでしょう。
元ヤンキー芸能人・矢田亜希子の画像
矢田亜希子さんはたとえ美人でも下品なイメージが一度ついてしまったため今後も再ブレークするのは難しいでしょう。
かつての矢田亜希子といい、広瀬すずといい、なんでいい女なのに「昔から不良好きでした」みたいなことになるのかね?矢田亜希子に至っては言うまでもなく。広瀬すずもいつかボロが出るぞ? #スティンガー秋月
— 秋月 (@_kuroisshiki) 2016年7月4日
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編2位 小泉今日子
長い間第一線で活躍する大女優・小泉今日子
小泉今日子さんはKYON2(キョンキョン)と呼ばれたアイドル時代から現在に至るまでずっとトップを走り続けている女優のひとりで、50代を超えてなお主演を張れる大女優だと言えるでしょう。酒豪でも知られており業界では”姉さん”的存在だと言われています。
小泉今日子さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 小泉 今日子(こいずみ きょうこ)
別名義: KYON2
生年月日: 1966年2月4日
身長: 153cm
体重: 非公開
血液型: O型
出身地: 神奈川県厚木市
職業: 女優、歌手、随筆家
ジャンル: 映画、テレビドラマ、舞台、アイドル歌謡曲、作詞家
活動期間: 1982年 – 現在
事務所: バーニングプロダクション
小泉今日子さんはアイドル時代は松田聖子さんと中森明菜さんの2強が活躍した直後に続く形でデビューして今日に至ります。
小泉今日子さんは30年以上のキャリアを持つベテラン芸能人ですが、1995年には俳優の永瀬正敏さんと結婚するも2004年に離婚。
現在まで再婚歴はありませんが、アラフィフになっても美貌は健在なので今後ラブロマンスが報じられる可能性はあるでしょう。
【元ヤンキー芸能人】小泉今日子の武勇伝
花の82年組として活躍したアイドルは元レディース総長
小泉今日子さんは堀ちえみさんや三田寛子さんなど”花の82年組”と呼ばれたアイドル豊作の年に活躍を始めましたが、実は泣く子も黙るレディースの総長でした。
小泉今日子さんは大ヒットシングル『なんてったってアイドル』で知られますが、その少し前までは地元の神奈川県厚木市でも最大勢力を誇っていたレディースの総長だったと言われています。
小泉今日子さんはレディースの総長として暴力と威圧感により支配しており、抗争に明け暮れていたそうです。
小泉今日子さんはこの時期にオーディション番組『スター誕生!』に出場したようですが、他の出場者がかわいい格好をしている中、一人だけ当時不良界で流行ったボンタンのようなジーンズを履いてヤンキー然とした出で立ちで会場に訪れて威圧感と存在感が際立っていたことは、芸能界での最初の武勇伝となりました。
小泉今日子は男のように竹を割った性格で酒豪
芸能界に酒豪は多いもののその話のほとんどは男性芸能人ですが、小泉今日子さんはまるで男のような酒豪で知られているようです。
過去にインタビューでスチャダラパーのBoseさんが語ったところによると、小泉今日子さんとは20年来の飲み友達でよく飲みに行くそうですが、一言で「めちゃくちゃ飲む」と言っていたそうです。
リリーフランキーさんも「代官山には小泉今日子が落ちていることがある」と川柳のように詠むほど小泉今日子さんの飲み方は基本的に潰れるまではしごして飲み続けるそうです。
オシャレなバー以外にも下町のこ汚い飲み屋などでも飲むような場所を選ばない豪放さがあるようで、小泉今日子さんはたとえお酒で死んでも本望だと思っているのかもしれませんね。
【元ヤンキー芸能人】小泉今日子の画像
元ヤンキー芸能人・小泉今日子の画像①
小泉今日子さんのヤンキー時代の画像かはわかりませんが、レディースの総長時代も相当カリスマ性で人気が高かったことでしょう。
元ヤンキー芸能人・小泉今日子の画像②
業界では小泉今日子さんがタバコを吸う姿が迫力があるため目を伏し目がちになってしまうと言われています。
最近大注目の小泉今日子。溢れる文才に魅了されています。キョンキョンは同年代。ヤンキーなアイドルとも言われていましたが、歳を重ねるごとに美しさも増し役柄にも生き方が滲みでている感じがします。書評集でも戦争の恐ろしさを綴っています。 pic.twitter.com/qQqvm5GWnB
— 後藤 まさみ(ごとう 真左美) (@gotou_masami) 2016年11月25日
【元ヤンキー芸能人】武勇伝ランキング 女性編1位 和田アキ子
”芸能界の女帝”はやはり学生時代も女帝だった
芸能界の女性芸能人の中で最も不良の武勇伝が多いのが現在も”芸能界の女帝”と呼ばれる和田アキ子さんでしょう。学生時代は大阪では知られた不良(スケバン、ズベ公と言われた)で、まるで映画のような生い立ちを持っています。
和田アキ子さんについてのプロフィールはこちら。
出生名: 金 福子(きん ふくこ、Kim Bokja)
別名: 金海 福子(帰化前の通名)
帰化後の旧姓: 和田 現子(わだ あきこ)
再婚後の本名: 飯塚 現子(いいづか あきこ)
生年月日: 1950年4月10日
出身地: 大阪府大阪市天王寺区舟橋町
身長: 174 cm
体重: 不明
学歴: 城星学園高等学校中途退学
ジャンル: J-POP、歌謡曲、ソウル、R&B、ジャズ
職業: 歌手、タレント、女優、司会者、ラジオパーソナリティ、実業家
活動期間: 1968年 –
事務所: ホリプロ
和田アキ子さんは芸能界の女番長のような存在でもありますが、若い世代は和田アキコさんが名歌手だったことを知らない人も少なくないようです。
「和製リズム・アンド・ブルースの女王」のキャッチコピーで1968年に歌手デビューした和田アキ子さんは2枚目のレコード『どしゃぶりの雨の中で』が17万枚を売り上げて一躍人気歌手となりました。
その後、和田アキ子さんは『紅白歌合戦』の常連になるなど活躍を見せますが、この成功までの道のりは決して平坦ではなく、厳しい生い立ちとヤンキーとして大阪で名を馳せた波乱万丈な人生があったようです。
【元ヤンキー芸能人】和田アキ子の武勇伝
和田アキ子は在日朝鮮人2世で社会の差別に耐えてきた
和田アキ子さんの母親は朝鮮人であることから和田アキ子さんは在日朝鮮人2世として生きてきましたが、当時は現在以上に差別が酷かったことでしょう。
そうした背景があるためか、和田アキ子さんは幼少期から歌手に憧れながらも、一方で大阪では知られたヤンキーとして名を馳せていたようです。
和田アキ子さんが日本人ではないことを知ったのは中学生の頃だということを『週刊文春』のインタビューで語っていますが、相当なショックを受けてたこともグレてしまった要因のひとつだったのでしょうか?
和田アキ子さんの父親が柔道場を開いていて和田アキ子さんも稽古をつけられていたことから中学校に上がる頃には初段でしたが、父親が非常に厳しく鉄拳制裁の日々だったため和田アキ子さんは反発して中学校2年生の頃に不良になったと言われています。
和田アキ子さんはその体格と柔道で培った力を利用して子分を従え、大阪ミナミの繁華街を縄張りにして「ミナミのアコ」と呼ばれ恐れられていたそうです。
中学生にして喫煙・飲酒は当たり前で和田アキ子さんは麻雀にものめり込み、一日に200本のタバコを吸っていたと言われていますので恐ろしい10代ですね。
正義感が強く、人情家だった和田アキ子
和田アキ子さんはいわゆる悪事を働くタイプの不良ではなく、曲がったことが嫌いな正義感の強い不良だったようです。
和田アキ子さんのヤンキー時代のエピソードの中に、大阪ミナミの繁華街で地方から来ていた人たちが恐喝されて殴られているところを助けてあげ、お金を持っていなかったため泊まる宿を手配して、帰郷する旅費まで捻出してあげて見送ったというものがあります。
和田アキ子さんは芸能界に入った後も後輩らに対する横暴なエピソードがたくさんありますが、基本的に人情家で面倒見のよい性格をしているようです。
【元ヤンキー芸能人】和田アキ子の画像
元ヤンキー芸能人・和田アキ子の画像①
和田アキコさんの不良時代の写真は残っていないものの、歌手時代のこの写真からもかなり迫力のあるヤンキーだったことが伝わりますね。
元ヤンキー芸能人・和田アキ子の画像②
「和製リズム・アンド・ブルースの女王」というキャッチコピーで歌手デビューした和田アキ子さんですが、ヤンキー時代は大阪ミナミのヤクザから可愛がられていたのかもしれませんね。
結局ヤンキーやなってゆわれる事が今一番好かん。
— ゆうちまる (@yudai877831877) 2017年3月22日
短気な性格もなおしていっきょるつもり。仕事にせよ人間関係には特に我慢する事を意識しとる。
和田アキ子の人間性に憧れてもう10年、自分は男やゆわれ続けてきたけど黒人の歌手みて太くて男みたいな女がどっしり構えて気持ち良さそうに歌いよる所
元ヤンキー芸能人の武勇伝ランキングをまとめると・・・
芸能界で元ヤンキーだと言われている芸能人の武勇伝の凄さ順にランキング形式で総まとめしてきました。
今後も男性、女性芸能人ともに1位は宇梶剛士さんと和田アキ子さんのヤンキーぶりを上回る芸能人は出ないかもしれませんね。
そもそも暴走族の名前も昔ほど聞かなくなり、ヤンキー自体が天然記念物になりつつある現在、そのうちヤンキー文化は無形文化財に選ばれるかもしれません。