俳優の加藤剛さんが病気で死去しました。死因は病気胆のうがん、生前には激やせした姿が話題でした。
今回はそ加藤剛さんの死去、若い頃から現在までの様子、そして結婚した嫁と子供の情報などをまとめました。
この記事の目次
加藤剛プロフィール
名前:加藤 剛(かとう ごう)
本名:加藤 剛(かとう たけし)
生年月日:1938年2月4日
没年月日:2018年6月18日
身長:173cm
体重:70kg
加藤剛、早稲田大学在学中に芸能界デビュー
加藤剛さんは、静岡県榛原郡白羽村出身で父親は小学校の校長を務めており、家族には姉四人と兄、弟がいます。
加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百坪近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があるような家庭でした。
加藤剛さんはもともと俳優になろうと思っていたわけではなく最初は「何か演劇や映画に関係する仕事ができればいいかな」というレベルで、小石川高校在学中柔道部に入ってたものの、先輩が演劇もやっており「お前も手伝え」と命じられ舞台に立ったのが舞台に立つきっかけとなりました。
高校卒業後は早稲田大学文学部演劇科で演劇を学び、学内の劇団「自由舞台」で活躍します。そして、大学4年の時に二十倍の難関を突破して俳優座養成所に入り、芸能界デビューを果たします。
途中テレビドラマ「人間の條件」出演のため1年休学し「人間の条件」では「ぼくという裸身の素材にこの男の一生を忠実に刻み込んでゆくこと」で演じきり、原作者より「テレビ映画の優れた主演者」と評されたました。
更に27歳で正月公演で安部公房作「お前にも罪がある」で「男」を演じ、演出上傾いた舞台装置「男の部屋」上で2時間の連続演技を行う主役に抜擢されます。
長年に渡り一貫して演じ通した当たり役である「大岡越前」は1970年から「水戸黄門」「江戸を斬る」等とローテーションを組みながら、足掛け約30年間月曜8時を支え、TBSテレビの看板番組となりました。
「大岡越前」の終了後、「命のビザ」や「そして戦争が終わった」など現代史ドラマに進出しますが2018年6月18日80歳という年齢で死去してしまいます。
加藤剛の若い頃がイケメンと話題に!
加藤剛さんと言えば大岡越前のイメージが強いと思いますが、若い頃も凛々しい顔立ちでとてもかっこいい方でした。
そんな加藤剛さんの若い頃の画像がこちらです。
凛々しく男前という言葉がピッタリです。
大岡越前の貫禄ある雰囲気とはまた違いますが、この加藤剛さんもかっこいいです。また、この頃の雰囲気も真面目さが漂っているので、とても演技に真剣に取り組まれていたのでしょう。
加藤剛が80歳で死去~生前の激やせぶりと死因について
加藤剛、2018年6月18日に80歳で亡くなる
2018年7月9日、加藤剛さんが6月18日に亡くなっていたことが発表されました。
映画「砂の器」やテレビ時代劇「大岡越前」で知られた俳優の加藤剛(かとう・ごう、本名・剛=たけし)さんが6月18日午前10時11分、胆囊(たんのう)がんで死去したことが9日わかった。80歳だった。所属する俳優座が発表した。葬儀は家族で営んだ。お別れの会を9月22日、東京都港区六本木4の9の2の俳優座劇場で予定している。
葬儀は家族だけで営んだそうですが、葬儀に参列したかった方も多くいるでしょう。
加藤剛、死因の胆のうがんは本人に最期まで告げず…
加藤剛さんの死因に関しては、実は加藤剛さんもギリギリまで知らなかったのではないかと言われています。
頼さんによれば、今年3月に体調を崩し、病院で検査したところ、胆のうがんと分かったとのことでした。年末の先の番組に出演した時点では、ご本人はまだ、がんと知らなかったということになります。
引用:【ドクター和のニッポン臨終図巻】加藤剛さん、がんとうまく共生 揺らがぬ心まっとうした人生 (1/2ページ) – zakzak
何でも胆嚢がんは自覚症状がとぼしい病気で、加藤剛さんのように自分では気づかないうちに進行してしまっているということも多いのだそうです。
加藤さんがそうであったように、胆のうがんは、自覚症状がとぼしく早期発見が困難ながんの一つです。体重の減少、食欲不振、腹の右上あたりの痛みや膨満感、黄疸(おうだん)などが症状としては挙げられますが、これらの症状が出てきたときにはもう、かなり進行した状態である場合が多いのです。
引用:【ドクター和のニッポン臨終図巻】加藤剛さん、がんとうまく共生 揺らがぬ心まっとうした人生 (1/2ページ) – zakzak
ただ、自覚症状が発覚してから加藤剛さんは病院に行ったものの、迷惑をかけたくないという気持ちから公表を控え、入院している最中も舞台復帰を考えていたそうですす。
しかし6月18日、その日は朝から会話もでき、普段と変わらなかったものの容体が急変し、午前10時11分、家族にみとられながら息を引き取りました。
加藤剛、激やせぶりに心配の声もあがっていた
胆嚢がんが原因で亡くなってしまった加藤剛さんですが、元々亡くなってしまう前から加藤剛さんの激やせ具合に対して心配の声も多く挙がっていました。まず、その心配されていた姿がこちらの姿です。
画像だけでも激やせぶりがわかります。
年齢のせいで痩せてしまう部分もありますが、さすがにこの姿を見たらそれだけではないように見えます。
出演したテレビ朝日「徹子の部屋」での激痩せぶりがネット上で話題になり、ファンを心配させていた。
引用:加藤剛さん死去、劇団俳優座が正式発表 死因は胆のうがん、9月にお別れの会― スポニチ Sponichi Annex 芸能
激やせぶりは視聴者からもかなり多くの心配の声が挙がっていました。
加藤剛さん亡くなられたのか・・
— 5時に夢中!LOVE (@kanburia7) 2018年7月9日
昨年末、徹子の部屋に出てたけど、
ガリガリだったもんなぁ。
学生の頃の写真が、歌舞伎役者と言われてた、柔道部の部長にクリソツで笑ったっけ…(T-T)
ご冥福をお祈り致します! pic.twitter.com/qJpBnZXLqY
素敵な俳優さんだったよね。
— キヨシ@ワイバンジャイガサマソニラブシャトレジャー (@Kiyoakutsu) 2018年7月9日
ちょっと前の徹子の部屋に出てた加藤剛さんの痩せと老いぶりに1人涙目になっておったよ。
大岡越前は夕方の再放送かな?を干し柿齧りながら観てた記憶があるw
徹子の部屋に加藤剛さんが出演している!お痩せになったのがちょっと気になる。(;_;)大岡越前が大好きで、再放送も何回も観ていたなぁ。
— ごんまま (@tori3kuma3) 2017年12月19日
この激やせぶりは誰でも心配になってしまうでしょう。特にファンだった方は心配されたと思います。
加藤剛の結婚した嫁は女優の伊藤牧子
加藤剛、1968年に女優の伊藤牧子と結婚
加藤剛さんは1968年、女優の伊藤牧子さんと結婚しました。
二人は大学の演劇サークルで親しくなり、交際に至りました。元々は演劇サークルでも先輩後輩の関係だったそうですが、詳しい馴れ初めに関しては公表されていません。
名前:伊藤 牧子(いとう まきこ)
生年月日:1937年3月17日
出身:東京市四谷区(現・東京都新宿区)
伊藤牧子さんは女優、声優として活動、加藤剛さんとは早稲田大学演劇サークル「自由舞台」以来の付き合いだそうです。
声優として「ひょっこりひょうたん島」のダンプ役でブレイクを果たし、代表作としてテレビアニメ「かみなり坊やピッカリ・ビー」「ファイトだ!!ピュー太」、映画「わんわん忠臣蔵」「ガリバーの宇宙旅行」などがあります。
また、1971年には紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞しています。
加藤剛に子供は2人~息子2人は俳優として活動中
加藤剛さんには息子が二人います。この息子さんは二人とも俳優をしているので、母は声優、父は俳優、息子も俳優と役者一家なのです。
長男は1975年6月21日に生まれ、次男は1980年7月16日に生まれています。
加藤剛の長男・夏原諒のプロフィール
名前:夏原 諒(なつはら りょう)
本名:加藤 大治郎(かとう だいじろう)
生年月日:1975年6月21日
出身:東京都
身長:177cm
血液型:A型
加藤剛さんの長男である夏原諒さんは音大出身という経歴の持ち主で、歌を得意としていますが、実際に通っていたのは声楽科ではなく、器楽科です。
大学卒業後にアルトサックス奏者として活動を開始しますが、2003年に俳優に転向し、テレビドラマをはじめ、旅番組、バラエティ番組、映画、舞台、CMなどと活躍しています。
更に父の加藤剛さんが主演を務める「大岡越前最終回スペシャル版」では親子共演も果たしています。
「夏原」という芸名は、誕生日の6月21日が夏至であることに由来し、本名の「大治郎」は、誕生時に加藤剛さんが舞台で演じていた剣客商売の登場人物・秋山大治郎に由来しています。
また、父の死に対して夏原諒さんはこのように語っています。
「誰に対しても平等に優しい父。いつもあの優しい笑顔で、周りにいる人たちもいつのまにかみんな笑顔になっているそういう人でした」と生前の故人を偲び、「こんな美しい生き方他に見たことがありません。父の戦争絶対反対の思い、私もしっかり受け継いでいきたいと思います」と結んだ。
引用:加藤剛さん長男・夏原諒が追悼コメント「こんな美しい生き方他に見たことがありません」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
父の気持ちも受け継ぐなど、長男として立派なコメントです。
加藤剛の次男・加藤頼プロフィール
名前:加藤 頼(かとう らい)
本名:加藤 小次郎
生年月日:1980年7月16日
身長:170cm
血液型:O型
加藤頼さんは劇団俳優座所属の俳優です。2013年1月に旧芸名の頼三四郎(らい さんしろう)から改名し、現在の芸名となりました。
2006年には松崎健さんらとRaiKenPlus(個人劇団)を結成し、大岡越前 -卯の花が咲くとき-ではRaiKenPlusが脚本を行い、第一部では、若かりし頃の大岡忠相を自身が演じることとなりました。
次男の加藤頼さんも父に対しての想いを語っています。
「父は目立ったことが好きではなく、家族葬にしてほしいという意向だったんです。病気がわかってからも弱音を吐くことはなく、微笑むように逝きました。息子の僕が言うのもなんですが、心から尊敬できる人でした」
引用:故・加藤剛さん、絶賛される生き様と“焼かない焼きそば”に大興奮のおちゃめな素顔 | 週刊女性PRIME [シュージョプライム] | YOUのココロ刺激する
次男としては尊敬出来る人というコメントです。息子から父として、そして俳優としても尊敬できる立派な父親であったことがわかります。
加藤剛について総まとめすると…
・加藤剛の子供は息子が2人おり、長男は俳優の夏原諒、次男は俳優の加藤頼である。
・加藤剛は2018年6月18日に80歳で死去した。死因は胆のうがんで、本人にはその事実を知らぬまま亡くなった。
・加藤剛は生前、あまりの激やせぶりにネット上では心配の声があがっていた。
最近は大御所俳優の訃報が多く、当時を知る人にとっては悲しい限りです。
息子さんも俳優として活動しているので、息子さんの演技する姿に加藤剛さんの姿が垣間見れることもあるでしょう。
ただ、今は悲しみが強いと思うので、無理せずに頑張って頂きたいです。そして、心からお悔やみを申し上げます。