1990年代の不良シーンの代名詞であった「チーマー」ですが、芸能人も被害にあうなど、そのハチャメチャぶりで伝説が残っています。
この記事では「チーマー」の意味や起源、チーマー出身の有名人・芸能人についてまとめてみました。
この記事の目次
チーマーの意味と起源…渋谷センター街を占拠して治安が悪化
チーマーの意味
チーマーに関しては、本人は自分たちのことを「チーム」と自称していたそうですね。
その後、東京の若者文化の象徴の1つとして報道されて行く内に、「team」に「er」を付けた和製英語「チーマー」がマスコミ内で生まれ、世間に定着することになりました。
チーマーは1980年代後半から勢力を拡大した都市型ヤンキー
特攻服にハチマチを締めた従来型の暴走族とは別路線を歩むこととなったチーマーは、外国製のアパレルに身を包み、お洒落な不良であることが特徴的でした。
チーマーの起源については、時系列的には1985年に青山学院大学の学生たちが作り、六本木を中心に活動していた「ウィナーズ」が元祖だったようですが、不良というよりは大学のヤリサーのノリの遊び人集団だったとか。
そのため、実質的なチーマーの元祖は、同じ1985年に明治大学付属中野高校の少年たちが作った「ファンキース」だと目されています。
「ファンキース」に関しては、現役男子高校生の身でありながら六本木のディスコでパーティを主宰しており、渋谷のセンター街に遊びにやって来た女子高校生たちにパーティー券を売りつけていたようですね。
活動内容的には、「ファンキース」も軟派なヤリサーの延長線上にあったと言えますが、「ファンキース」を母体に「ウォリアーズ」などの別チーマー軍団が派生して行ったことで、オリジンと見なされていることになります。
チーマー最盛期には渋谷センター街に100ものチームが存在
最盛期には、渋谷センター街に100ものチームが存在したと言われているチーマーですが、マスメディアからは都会の若者文化の象徴扱いされることになり、創作物の題材に使われる機会も多い状況でした。
・BOY(漫画)
・サイコメトラーEIJI(漫画)
・池袋ウエストゲートパーク(ドラマ)
・虚の王(小説)
チーマーの勢力拡大により渋谷センター街はスラム化
他地区の不良との抗争に加えて〇〇狩りの横行もあり、チーマー全盛期の渋谷センター街は、トラブルに巻き込まれることを恐れて、深夜営業をする店が激減することになります。
そんな渋谷センター街の治安が最も悪かった時期は、「宇田川警備隊」が横浜のバイカー集団「ジョーカーズ」との抗争に敗れて勢力を衰退させた後に台頭した「TOP-J」の時代でした。
この頃の渋谷センター街は、「人刺し指ゲーム」や「ワンパンゲーム」といった遊びがチーマー間で流行っており、遊びに来た一般人たちが被害に遭うことも珍しくない状況でした。
当時の渋谷センター街は怖くて近寄れない状態で、一般人は遠回りをして目的地に向かう人も多かったとか。
チーマーのファッション変遷…ロン毛、渋カジファッションの火付け役
初期のチーマーファッション
アメカジと呼ばれたチーマーたちのファッションに関しても、雑誌などで特集が組まれ続けた結果、いつしか渋カジと呼ばれる地位を確立し、1980年代後半から1990年代前半にかけて、若者の間で一大ブームを巻き起こしました。
・髪形→ロン毛のストレートかツーブロック
・キャップ→ベースボールキャップかバンダナ
・アウター→スタジャンか革ジャン
・シャツ→Tシャツかポロシャツ
・ズボン→ジーンズ
・靴→スニーカーかエンジニアブーツ
マスメディア経由でチーマー文化が広まるにつれ、チーマーの一般化現象も起こり、暴走族と同じように不良少年上がりのチーマーが激増、90年代中盤になるとファッションもヒップホップの流行もありダボダボしたファッションやヴィンテージ・ブームへと徐々に変化していきます。
91年のチーマーファッション
90年代中期のチーマー
映画『JUNK FOOD-ジャンクフード』より。
そのときはアメカジだけでしたもんね。93年あたりのヴィンテージ・ブーム。我々の上の世代で渋カジがあり、それが終わったものの名残はあって。やっぱ当時はアメリカ寄りだった。そこからヴィンテージに行ったんだと思う。
生息地帯も渋谷センター街から新宿や池袋まで広がり、最終的には都外の不良集団がチーマーを名乗る状況にまでなっていきました。
チーマーの抗争事件…90年代中盤はエアマックス狩りが社会問題に
チーマーは宇田川警備隊の台頭で武闘派路線に変貌
80年代初期のチーマーについては、富裕層の少年たちを中心とした集団だったこともあり、悪ぶっていても暴力沙汰などは少なく、お金儲けや異性との交遊を目的とした学生サークルのノリが続いていました。
やり手なチーマーの中には、クラブでのパーティーの主催だけでは飽き足らずに、スキーツアーまで主催してお金儲けに精を出す実業家顔負けの少年までいたとか。
そんなチーマーが、暴走族と変わらない武闘派集団に変貌したきっかけは、「宇田川警備隊」が原因だったと言われております。
「宇田川警備隊」は、1980年代後半頃に渋谷区宇田川周辺に住んでいた不良少年たちを中心に結成されており、一時期は渋谷センター街の最大派閥になるほど幅を利かせていました。
特に2代目リーダーだったチャイさんは、原宿ラフォーレの看板にモデルとして登場したこともあるくらいカリスマ的な存在でした。
「宇田川警備隊」が支配者となって以降の渋谷は急激に治安が悪化することとなり、後ろ向きに歩いてぶつかった一般人に因縁をつける遊びが流行するなど、チーマーの暴君化が進むことにもなりました。
チーマーは抗争事件も起こしていた
武闘派路線化して以降のチーマーたちは、他地区の暴走族との抗争も開始しております。1980年代末から1990年代初頭にかけてチーマーたちの天敵となったのが、「三軒茶屋愚連隊」でした。
1980年代中盤頃に、関東連合系勢力の「三軒茶屋ブラックエンペラー」の後継チームとして発足した「三軒茶屋愚連隊」は、世田谷区三軒茶屋・三宿周辺を拠点とした不良少年集団だったとか。
抗争のきっかけとなったのは、本人たちも思い出せないような小さなトラブルだったようですが、対立後は「三軒茶屋愚連隊」が毎日のように渋谷に襲撃をかけて、拉致・リンチ事件が多発していたようですね。
やられっぱなしだったチーマー側も、各チームから喧嘩自慢を集めて「湖池屋」という武闘派グループを結成して反撃に出ます。
とはいえ、集団抗争に慣れていなかったチーマー側は、一般人を巻き込むド派手な襲撃事件を繰り返してしまったため、逆に警察の取り締まり対象となってしまい「湖池屋」のメンバーの大半が逮捕されるといった結末を迎えることになりました。
当事者同士では収拾が付かない状況となってしまったため、最終的には「関東連合」の川奈毅や両勢力のOBたちが和解交渉をまとめてています。
ちなみに、後に東京アウトロー界の怪人として君臨することになる川奈毅が、渋谷の不良利権に食い込んだきっかけは、この「三茶抗争」の和解交渉役の見返りだったと言われております。
チーマーは定期的に〇〇狩りを起こし社会問題になっていた
チーマーに関しては、他地区の不良たちとの抗争の他にも、定期的に〇〇狩りを起こしたことでも知られています。
渋谷センター街で起こった〇〇狩りといえば、1990年代中盤に社会問題化した「エアマックス狩り」が有名です。
とはいえ、それ以前にも「レッドウィングのブーツ」や「バンソンのライダースジャケット」といったチーマー間での人気アイテムが狩りの対象となり、強奪事件が相次いでいました。
特に標的となったのが、若者の間で一大ブームとなっていたアクセサリーブランド「ゴローズ」のアイテムだったようで、転売すると良い値段で売れることも手伝い、小遣い稼ぎに「ゴローズ狩り」をするチーマーたちが多かったそうですね。
チーマーは芸能人狩りも行っていた
チーマーたちの〇〇狩りの対象はファッションアイテムだけには限らず、松村邦洋さんや出川哲郎さんといったいじられキャラの芸人たちがチーマーに絡まれる「芸人狩り」も大流行しました。
チーマーたちの芸能人狩りの対象は芸人だけには限らず、「バンドマン狩り」や「メタル狩り」など、アーティスト系の人間も散々嫌がらせを受けたようですね。
当時ジャニーズJrだった中学時代の櫻井翔さんも渋谷でチーマーからカツアゲ被害に遭い、ビンタをされた経験があるとか。
チーマーの衰退と現在…関東連合の台頭により自然消滅
チーマー衰退のきっかけは関東連合だった
チーマーの衰退のきっかけは「関東連合」だったと言われております。
東京の世田谷区や杉並区出身の少年たちを中心に結成された老舗暴走族だった「関東連合」は、特攻服を身に纏う古典的不良でした。
一方でそんな「関東連合」も、1990年代中盤頃には不良界のメインストリームから外れており、時代遅れの存在扱いされていたとか。
そのため、「残虐王子」と呼ばれた見立真一世代になると、不良界の頂点は自分たちであることを証明するために、「関東連合」は「チーマー狩り」を実行しています。
当時渋谷センター街の主だった「TOP-J」も「関東連合」には成す術もなく駆逐されてしまった他、新宿や原宿方面のチーマーたちも軒並み「関東連合」の脅威に晒されていたようですね。
ちなみに、当時の渋谷の不良利権は既に川奈毅が取り仕切り、私兵となる人種混合グループも存在したようですが、チーマー救出には動かず、7~8学年年下となる「関東連合」の後輩たちを取り込む選択をしております。
チーマーと入れ替わるように台頭したカラーギャングも絶滅
「関東連合」によりチーマーがカーストの上位から叩き落とされた後の東京では、「カラーギャング」と呼ばれる不良集団が流行し始めることになりました。
カラーギャングとは、アメリカのストリートギャングを模倣した日本の不良行為少年達の集団のことを言う。名前の由来はこれらのギャングと同様にチームカラーを身につけることからで、チーマーと呼ばれる非行集団から派生した集団である。
引用:カラーギャング
瞬間的に増えたカラーギャングでしたが、現在では彼らもほとんど姿を消しています。
ちなみにチーマーの本拠地だった渋谷センター街は、安室奈美恵さんの人気とともに90年代中盤から後期にかけてコギャルに占領されていきました。
チーマー出身の有名人・芸能人① 野尻佳孝
野尻 佳孝(のじり よしたか)
生年月日:1972年6月4日
出身地:東京都
職業:株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ代表取締役会長
高校時代には、学校ごとの統一革ジャンをチーマーたちに売りつける商法で1000万円以上を稼いだ経験もありました。
高校を卒業後は、明治大学に進学してラグビーに打ち込み、「住友海上火災保険株式会」に就職するエリートとなった野尻さんは、1998年に脱サラして結婚式関連会社「株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ」を起業。
その後の「テイクアンドギヴ・ニーズ」は、売上660億円超の東証一部上場企業となっています。
野尻さんの活躍ぶりはそれだけに収まらず、2017年にはブティックホテル「TRUNK(HOTEL)」を開業した他、2018年より母校・明治大学にて教授も務めるほどの大成功を掴んでおります。
チーマー出身の有名人・芸能人② 東幹久
東 幹久(あずま みきひさ)
生年月日:1969年8月12日
出身地:東京都渋谷区
デビュー当時の東幹久
東さんは、少年時代に「宇田川警備隊」所属のチーマーだったと言われておりますが、チーマーが凶悪化する以前の1988年頃に地元の渋谷でスカウトを受けて芸能人に転身しているため、これといった武闘派伝説はないようですね。
チーマー出身の有名人・芸能人③ 速水もこみち
速水 もこみち(はやみ もこみち)
生年月日:1984年8月10日
出身地:東京都渋谷区
ギャル男時代の速水もこみち
渋谷区松濤出身のもこみちさんは、中学生の頃には既に同級生と喧嘩して病院送りにするほどの不良だったらしく、遊び仲間にはタレントのあびる優さんもいたとか。
その後、高校に進学したもこみちさんは、仲間と一緒に「芸人狩り」に熱中するようになり、特にタレントの松村邦洋さんを執拗につけ狙って嫌がらせをしていたとのネットの噂も存在します。
速水さんは年代的にもチーマーというより、渋谷のギャル男だったようです。
チーマー出身の有名人・芸能人④ 本宮泰風
本宮 泰風(もとみや やすかぜ)
生年月日:1972年2月7日
出身地:東京都足立区
東京・足立区出身だった本宮さんですが、少年時代は「アルファライン」というチームのリーダーをしていた時期もあったようで、渋谷のみならず池袋や新宿方面でも暴れていたようですね。
「アルファライン」は、かなりの武闘派チームだったようで、渋谷センター街でチーマーを相手に抗争を繰り広げていた時期もあったとか。
ちなみに、兄の俳優・原田龍二さんも「アルファライン」と一緒に喧嘩をする機会が多かったようで、当時の東京アウトロー界では伝説の武闘派兄弟だったと言われております。
チーマー出身の有名人・芸能人⑤ 魔裟斗
魔裟斗(まさと)
生年月日:1979年3月10日
出身地:千葉県柏市
チーマー時代の魔裟斗
魔裟斗さんは中学時代には既にグレており、仲間と一緒に街中をブラブラうろつくようなチーマーだったらしく、高校の方も数ヶ月で退学しています。
本来ならばそのまま半グレ一直線だった魔裟斗さんでしたが、喧嘩の足しになるかと思い始めたボクシングにハマり込み、更生のきっかけを掴んだようですね。
チーマー出身の有名人・芸能人⑥ 坂口憲二
坂口憲二(さかぐちけんじ)
生年月日:1975年11月8日
出身地:東京都
坂口憲二さんもチーマー出身と噂される有名人のひとりです。兄・坂口征夫さんがチーマーだったことと、チーマーを多く輩出した明治大学付属中野中学校・高校出身であることから噂が浮上したようですね。
また、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』では実際にチーマーのドーベルマン山井役で出演しています。
チーマー出身の有名人・芸能人⑦ Zeebra
元々、中学時代から六本木のディスコに入り浸るような不良だったZeebraさんでしたが、ドレスコードがあったため、次第に居辛く感じて渋谷のセンター街に足を運ぶようになり、チーマー化したようですね。
とはいえ、Zeebraさんはあくまでの黎明期のチーマーだったうえ、すぐにヒップホップにハマり17歳で渡米したこともあり、これといった武勇伝はなかったりもします。
チーマー出身の有名人・芸能人⑧ 若旦那
若旦那(わかだんな)
生年月日:1976年4月6日
出身地:東京都世田谷区
2018年から本名の新羅慎二(にら しんじ)名義でソロ活動している湘南乃風の若旦那さんですが、4つ年上の兄の友達に憧れてチーマーデビューしています。
その後、元関東連合で現在は宗教家の与国秀行さんの喧嘩を目撃したことで絶対に勝てないと悟り、高校2年の時にチーマーを引退したそうです。
チーマーについてまとめると…
・チーマーはロン毛や渋カジファッションを流行させた
・チーマーは関東連合の台頭により自然消滅、90年代後半には本拠地の渋谷センター街はコギャルの聖地に取って代わられた
・チーマー出身であることを堂々と公表している有名人には、若旦那や実業家の野尻佳孝がいる
チーマーに関しては、元々は富裕層のやんちゃな少年たちのサークル的な存在だったものの、ブームとなったことで、次第に一般の不良化していったという歴史を辿ったことになります。
以上でチーマーに関するまとめ記事を終了させて頂きます。