今年でデビューから50周年の節目を迎えた歌手の沢田研二さんですが、かつての面影はどこへやら、現在では太りに太った姿から「劣化」の声もささやかれるまでになっています。
この記事では、沢田研二さんの昔の姿や「劣化」と言われる現在についてまとめています。
この記事の目次
沢田研二のプロフィールや若い頃の活躍
芸名:沢田研二(さわだ けんじ)
本名:澤田研二(読み同じ)
出身地:鳥取県鳥取市(育ちは京都府京都市)
生年月日:1948年6月25日
身長:171cm
デビュー:1967年
出身高校:京都府立鴨沂高等学校
最終学歴:京都府立鴨沂高等学校卒業
所属事務所:渡辺プロダクション
→ココロ・コーポレーション
沢田研二、ザ・タイガースのボーカルとして鮮烈デビュー
沢田研二さんは、「ザ・タイガース」のリードボーカルとして、1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビューしました。
2ndシングル「シーサイド・バウンド」で爆発した人気そのままに、続く「モナリザの微笑」「君だけに愛を」のヒットで一気にグループサウンズの頂点へと踊り出ました。その中でも端正なルックスの沢田さんは10代女子を中心に熱狂的な人気を博しました。
ザ・タイガース解散後の1971年、次なるバンド「PYG」に参加。それと並行して、同年11月1日にシングル「君をのせて」でソロデビューも果たしています。
1973年発売「危険なふたり」で、ソロ転向後初となるオリコン1位を獲得。第4回日本歌謡大賞を受賞するなど、その人気を確固たるものとしたと言われています。
1977年5月発売「勝手にしやがれ」で、第19回日本レコード大賞を受賞。嬉し涙を眼に溜めながら歌う彼の姿は今でも伝説として語り継がれています。
沢田研二の若い頃~国民的大人気スターとして絶大な人気を博す
沢田研二、中世的で端正なルックスに当時の若い女性は虜に
沢田研二さんは、中性的で端正なルックスと色気と声量を兼ね備えた歌声で、当時の若い女性から大人気のスターでした。
ジュリーが京都から上京、芸能界に第一歩を記したのは1967年のこと。
GS(グループサウンズ)ザ・タイガースのボーカルとして『僕のマリー』という曲でデビューしました。ジュリーの甘いルックスもあって、たちまちトップグループに上りつめたタイガースですが、71年GSブームが去ると活動わずか4年で解散。
ジュリーは他の人気GS、ザ・テンプターズ、ザ・スパイダースのメンバーたちと「PYG」(ピッグ)というスーパーバンドを結成し、これが後にバックを務める井上堯之(たかゆき)バンドの母体となりました。
71年『君をのせて』でソロデビューしたジュリーが、最初にオリコン1位を記録したのが73年の『危険なふたり』です。
GS時代の兄貴分、ザ・ワイルドワンズのリーダー・加瀬邦彦が書いた純国産ロックンロールで、TV出演時は井上堯之バンドが生演奏。
局が用意したオケの伴奏で歌うのが当たり前だった時代に自前のバンドで歌い、バンドサウンドをさりげなく一般に浸透させたのは大きな功績です。
引用:いくつ知ってる?永遠のロッカー・沢田研二のミラクルパフォーマンス! | ニッポン放送「しゃベル」 ラジオAM1242+FM93
出典:http://daikaibou.com/
昔の沢田研二さん。歴代No.1とも言われる色気の持ち主でした
しかし、現在では上記のような変わり果てた姿に。自身の楽曲のように「時の過ぎゆくままに」その身を任せた結果が、今の激太りだったのでしょうか。
出典:livedoor.4.blogimg.jp
昔の沢田研二さん
全盛期は福山雅治さんや木村拓哉さんに匹敵するほどの人気だったといいます。
出典:livedoor.4.blogimg.jp
昔の沢田研二さん
腰回りも細くスリムな体系であることがわかります。
当時はとても珍しかった「男性歌手でありながらメイクをしてステージに立つ」というパフォーマンスで、今のビジュアル系の走りとも言われるほどで、その証拠に、ヴィジュアルバンド「黒夢」のボーカルであった清春さんも沢田研二さんの大ファンだったことを公表しています。
1971年にザ・タイガースを解散した沢田研二は、ソロ歌手としての活動を始めます。ザ・タイガース時代からその中性的なルックスで注目されていた沢田研二でしたが、ソロ活動を開始してからは、メイクを施すようになりました。日本の男性歌手で女性のようなメイクをしてパフォーマンスを行ったのは、沢田研二が初めてではないかと思います。
ラメ入りのアイシャドウや濃いチークなどに合わせて沢田研二の衣装も過激にエスカレート、キャミソールやシースルーシャツでテレビ出演を行うことも。今でこそ男性アイドルやヴィジュアル・ロックバンドの衣装では見受けられることも珍しくありませんが、当時はお茶の間に大きな衝撃を与えました。
引用:沢田研二は現在何をやっているの? | Ciatr[シアター]
日本全国を熱狂させた彼の楽曲の多くが各ランキングで上位を獲得しています。
1972年3月11日発売の「許されない愛」がオリコン最高位4位を記録し、ソロとして初のオリコントップ10入りを果たした。
1973年4月21日発売の「危険なふたり」が65万枚を売り上げソロ初のオリコン1位を獲得、第4回日本歌謡大賞を受賞(歌謡大賞歴代最高視聴率の47.4%を記録)
1975年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位、累計売上92万枚を記録し、沢田にとって最大のヒット曲となった。
1977年5月に発売された「勝手にしやがれ」はソロとして4曲目のオリコン1位を獲得。5週1位を保ち89万枚を売り上げた。
1978年を例にとると、年間のテレビ出演700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日。バックバンドをひきつれて1日3回もテレビに出演。バラエティ番組にも出演し、「お茶の間のアイドル」として活動した。
ミュージックフェア見ながら、一人で一緒に歌ってるのは私です。
— 智華 (@shimanoboru) November 10, 2018
ね、若い頃の沢田研二さんって、怖いくらい色っぽいんだよ。
前にニュースで騒がせたかも知れないけどさ、
奥さんとあれだけ信頼しあって、愛情がそのままって方って事は素敵だと思うの。
デヴィッド・ボウイも、そういうとこ好き。
最近、やっぱり沢田研二は偉大だなぁ、と再認識。
— ビート君 (@tF8W24wqvoPAQvS) July 16, 2018
若い頃のカッコ良さは今更だけど、70歳になった今でもマスコミに媚びず、TVから離れてライブしている姿は改めて感動する。
74年から毎年続けている全国ツアー、今年はなんと、ギタリストと二人きりのステージだというから凄い。#ジュリー pic.twitter.com/adpaaM4yZJ
若い頃の沢田研二はなぜちょいちょい弓矢を持たされるのか pic.twitter.com/Nt4y8BNnRs
— 原子蝶 (@r0j1ura) 2017年10月22日
若い頃の沢田研二ほんまシコい。 pic.twitter.com/LFWNtSomHP
— 平̶田̶第̶弐̶®︎B̶L̶D̶G̶ (@hlrqtq_2) 2018年12月14日
沢田研二の現在~昔の美しさはどこへ?劣化が叫ばれるまでに
沢田研二、現在は激太りで劣化しカーネルサンダー激似の声も
出典:http://majinews.com/
あの日の面影はどこへやら
当時を知るファンからすると愕然とするような激太り歌手になってしまった沢田研二さん。
出典:yukou15.com
腰回りもだいぶ太くなっていることがわかります。
沢田研二がカーネルサンダーにしか見えない pic.twitter.com/Tfw9Cx7B6Y
— ののゆき【富谷市非公式☆ネ申】 (@962900) October 18, 2018
沢田研二が
— たこママZ (@rkp9MoKIO0e9BMV) October 19, 2018
カーネルサンダーに
見えたよ~(笑) pic.twitter.com/aAMe06v71c
沢田研二の昔と現在の姿を画像で比べてみると…
沢田研二の昔→今
やはり太り過ぎている印象です。
昔は細くて色気たっぷりだった沢田研二さんですが、太ってしまった今でもカッコよさはかわらないとの声もあがっています。
しかし、あと少しでいいので痩せるともっと魅力的になるとの声もあるようです。
沢田研二ライブ中止で1番驚いたのは、芸能人からはほぼ、沢田研二をフォローするコメントしか聞けないこと、一般人とはかけ離れてると仰天した中で
— ララ (@lala20729400) October 19, 2018
同じ事務所の中尾ミエさんだけがTVで、ジュリーに「痩せればまだ、行ける。痩せろ!」と叫んでいた
沢田研二今昔。
— ジャスミン。 (@fnotes) June 29, 2018
もう誰? というルックスになっておられるジュリー。びっくりしたわ。
とても精力的にライブをしていると聞いて(しかもかなり入っているらしい)、一度はみてみたいものだと思っております。 pic.twitter.com/VrN9e18h0Q
沢田研二のライブ中止のニュースは中止になったことよりも今の姿に一番びっくりした😳70歳って…昔のこのイメージしかないねんけど…ジュリー pic.twitter.com/ZlM33zPp0u
— ぽんぴー🔰えっふー🙈🐚@渋谷DESEO (@ponpy_metal) October 17, 2018
沢田研二が激太りした原因は食生活?
あまりにも太った姿に沢田研二さんは病気?との疑惑も浮上しましたが、太った原因は食生活と太りやすい体質にあるといいます。
40代になると段々と体重が増加し、50代中盤には現在のでっぷりとした肥満体になっていました。
若い頃はだいぶストイックな生活で無理に痩せていたそうですが、歳を取るにつれその意識が薄れていったそうです。
沢田研二の変わり果てた姿に昔からのファンの意見は?
コンサートドタキャン騒動で久々にテレビ出演
50年という時の流れの残酷さに驚かされるばかりですが、当時から彼を愛し続けているファンの方々は、意外にも現在の変わり果てた彼を受け入れているとされています。
68歳になっても、ジュリーは健在だ。オープニングでアップテンポの「ポラロイドGIRL」が流れると同世代女性を中心にした総立ちのファン5000人に迎えられた。場内を包む悲鳴のようなかん高い歓声に応えるように両腕を突き上げると、その後もステージを縦横無尽に動き回り、ジャンプも披露。口に含んだ水を勢いよく噴き出すパフォーマンスも見せた。「TOKIO」など大ヒット曲から最新曲「un democratic love」まで23曲で楽しませた。
デビューから50年が経過した今でもファンが5,000人集まるというエピソードに、昭和が生んだ大スターの輝きの凄さを感じざるを得ません。今若者に人気のアーティストの中で、50年後に5,000人を集められるだけの魅力を持った方がどれだけいるでしょうか?
沢田研二さんの絶大な人気ぶりを物語るように、特集が組まれたシニア向け女性誌の「ハメルク」は異例の部数を完売したとも言われています。
記事が載った「ハルメク」は書店では買えない直販制。元々「いきいき」として知られてきたが、16年4月に今の誌名に改めた。バックナンバーの販売は11月10日に始まり、1週間ほどで約600部、定期購読分と合わせて17万1000部が完売した。シニア向け女性誌としては異例の現象だ。沢田さんの特集を見たファンがブログで記事を紹介し注目が集まったようだ。
異例の売り上げ部数にも驚かされますが、何よりも(政治的な発言などが原因で)メディア露出が全くなかったにもかかわらず、これだけの部数を売り上げているということに驚愕せざるを得ません。
さすがは、日本歌謡曲の黄金時代にトップを駆け抜けたアーティストなだけのことはあります。
さ♫ 今宵は話題の沢田研二さんのライブin仙台に♫🎸🎙
— 熊倉一徳@カレンダーPJ*CF実施中⭐︎ (@kkuma3) November 3, 2018
開催の方向です^ ^ノ✨
70歳❗️スゴイ❗️ pic.twitter.com/ZvQHmatZoF
近年(4年前だけど)でもファッション雑誌で特集される沢田研二スゴイ。
— Julieturbo (@kameturbo) October 11, 2017
今年は50周年だからファッション雑誌が衣装の方面から、音楽雑誌が音楽の方面からジュリー特集してくれたら各10冊は買いますよ。
沢田研二の若い頃から現在までを総まとめすると…
・沢田研二が太り始めたのは40代で、50代中盤でかなりの肥満体になっていた。
・沢田研二は現在、白髪を染めずひげを蓄えた姿がカーネルサンダーに激似と言われている。
以上、沢田研二さんが「劣化」したと言われる現在や過去の栄光についてまとめました。
見た目には別人のように変わり果てた姿になってしまっている沢田研二さんですが、色気ある歌声と豊かな声量は依然として健在で、歌唱技術は年を経て磨きがかかったとさえ言われています。
20世紀を代表するトップアーティストの歌声を堪能したいという方はぜひ一度彼のライブに訪れてみてはいかがですか?