元サッカー日本代表の選手として活躍していた高原直泰さんは、現在沖縄に住んでいるようで、結婚していたものの離婚してしまったそうです。
今回は高原直泰さんの元嫁や子供、離婚理由や現在の活動についてまとめました。
高原直泰のプロフィール
名前:高原 直泰(たかはら なおひろ)
生年月日:1979年6月4日
出身:静岡県三島市
身長:180cm
体重:77kg
高原直泰さんのサッカーの経歴としては、ジュビロ磐田時代、ハンブルガーSV時代ア、イントラハト・フランクフルト時代、浦和レッズ時代、水原三星ブルーウィングス時代、清水エスパルス時代、東京ヴェルディ時代、SC相模原時代、沖縄SV時代と9つに分けられます。
1998年にジュビロ磐田に加入し、3月21日の開幕戦で途中出場し初出場・初得点を挙げ、2000年アジアカップでは優勝し、またベストイレブンに選ばれています。
2002年日韓W杯直前にエコノミークラス症候群を発症し落選してしまうものの、復帰後はJリーグアウォーズでMVP、得点王の二冠を獲得しました。
その後ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVのオファーを受けて完全移籍し、一年目で連続無失点記録を継続中だったオリバー・カーン擁するバイエルン・ミュンヘン相手に得点を決めるなどの活躍を見せました。
ただ、一時はレギュラーを獲得するものの、負傷を理由に欠場した時代もあり、FIFAコンフェデレーションズカップ2005にも出場出来ませんでした。
そして2006年5月、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ3年契約で移籍し、2006年ドイツW杯のメンバーに選出されます。
しかし、2007~2008シーズンはひざのケガでスタートが出遅れ、またフリードヘルム・フンケル監督との起用法における対立もあり、出場機会が激減してしまいます。
次に浦和レッズに移籍し、なんと移籍金は1億8500万円、年俸1億8000万の3年契約でした。しかし、フランクフルトで試合出場機会が減ったことによるコンディション不良などもあり、期待以上の働きをすることはできず2010年7月23日に韓国Kリーグの水原三星ブルーウィングスに完全移籍となりました。
水原三星ブルーウィングスでの期待は大きく、Kリーグ最大の人気カードである対FCソウル戦では2得点を決めシーズン終了後に自身のブログで「俺はこのチームで自分らしさを取り戻す事が出来たと思っています」とも語っています。
そして2011年、フロント主導でチーム改革を進める清水エスパルスから得点王を狙える大砲としてオファーを受け、1年契約+1年オプションの年俸2500万で完全移籍し、2012年12月、契約満了のため退団することが発表されました。
清水エスパルス退団後は東京ヴェルディからJ1昇格請負人としてオファーを受け、2013年1月に完全移籍します。しかし、開幕から出場機会に恵まれず3試合連続でベンチ外となってしまいます。
その後J3へ昇格したSC相模原へ期限付き移籍をし、2015年度のキャプテンにまで就任し、11月30日には契約満了による退団が発表されます。
SC相模原退団後、2016年に創設し、自身が代表を務める沖縄SVで代表兼監督兼選手を務めています。
高原直泰が結婚した嫁と子供の情報【奥さんの画像あり】
高原直泰さんは2015年の12月26日に神奈川県在住で家事手伝いの女性と結婚されています。嫁は一般女性ということで、情報などは出回っていません。
嫁とは結婚する約2年前から交際しており、ドイツ1部リーグのハンブルガーSVに所属する高原直泰さんのもとを何度も訪れていたそうです。
一般人なので情報は出回っていないものの、高原直泰さんの嫁は美人だということで一時はネット上を騒がせました。その嫁の画像がこちらです。
若干険悪なムードも漂っており、あまり良い雰囲気に見えませんがこの写真を見る限りは嫁は美人だというのがわかりますね。高原直泰さんに限らずサッカー選手の嫁は美人が多いと言われています。
サッカー選手はお洒落な選手も多いですし、美人な女性からモテるのも納得です。
またお二人の子供に関しては情報もなかったので、二人の間には子供はいないという可能性が高いです。嫁に関しても情報が出回っていないので、もしも子供がいても徹底的に情報が出回らない様にしているのかもしれません。
ただ高原直泰さんの子供がいればやはりサッカーなどのスポーツをやっていると思うので、その噂が出ないということは高原直泰さんに子供はいないのでしょう。
高原直泰と嫁の離婚理由
上記の嫁の紹介画像でも二人の険悪な雰囲気が感じられる画像でしたが、実際に高原直泰さんと嫁は離婚してしまっています。結婚から6年での離婚でした。
離婚の理由は夫婦生活のすれ違いだそうです。離婚したのは2011年と清水エスパレスに在籍していた時で、この当時は移籍も多く高原直泰さん自身もストレスも多かったでしょうし、それを支える嫁の苦労もあったでしょう。
また移籍が多くなれば収入も安定しなくなってしまうので、そういった部分も離婚の原因となってしまったのかもしれません。実際に高原直泰さんがテレビ番組に出演した際には「ピーク時と比べると30分の1くらいまで収入が減ってしまった」と語っています。
しかしこの様な環境の変化も高原直泰さん自身は特に苦労という様には思っていなかった様なコメントをしています。
「(普通は)どんどん待遇が良くなっていくんですけど、俺の場合どんどんハングリーになっていくんです。環境が」。チームの環境も自身の待遇も大きく変わった高原は自虐的にこう語ったが、そんな環境もまんざらではない様子だ。
高原直泰さんと結婚した嫁も、結婚当初はサッカー選手の嫁ということで華々しい生活を期待していたのかもしれませんが、高原直泰さんの移籍などを見守る上で、スポーツ選手との結婚に対しての現実を目の当たりにしたのでしょう。
それに加えて上記の高原直泰さんのコメントを見ると、環境が変わることでの不安よりも環境が変わることでの期待を感じるので、そういった生活に嫁もハラハラしてしまったのかもしれませんね。
いつまでも現役で何事にも挑戦する姿というのはカッコいい姿ではありますが、あくまでそれは第三者視点からのもので、夫婦となるといつまでも挑戦するというのは家庭が安定しないということでもあります。
結婚当初はそんな姿に心を打たれ、応援したくなったのかもしれませんが、それがいつまでも続くことで支えることに疲れてしまったなんて可能性もあります。
また、上記で二人に子供がいる可能性が低いということも紹介しましたが、高原直泰さんが忙しかった為に子作りをする時間すらなかったのでしょう。そういった一つ一つの不満がストレスとなり離婚に至ってしまったのかもしれません。
離婚自体も大きく取り上げられたわけではなく、ひっそりと離婚していたほどなので、離婚理由に関しても実際何が原因なのかというのはわかっていませんが、数々の細かい不満が積もってしまったのだと思います。
高原直泰は現在~沖縄に住み活動中
サッカーチーム「沖縄SV」で代表兼監督選手として活動
そんな高原直泰さんですが、現在は沖縄でサッカーチーム「沖縄SV」を作り、代表兼監督選手として新たな挑戦をしています。沖縄での活動にかける思いは強く、ただサッカーチームを運営するだけではなく、沖縄自体を盛り上げようとする活動も多く見せています。
「最後の仕事だと思って取り組んでいるし、残りの人生を懸けてやっていきたい。自分はずっとここにいてまっとうする。そのくらいの覚悟できたんです」
「その地域の活性だったり、コミュニケーションの場が沢山増えたり。そういうのは沢山経験してきたし、そういうものを地域で生み出せれば」
残りの人生を懸けてやっていくとまでコメントをしているので、このチームに対する熱意、沖縄にかける思いに関してはかなりの熱量があるのでしょう。
実際コメントでも言っている様に地域の活性化に関しても勢力的に取り組んでいる様です。
どうやら高原は仲間とともに、土地を耕しているらしいのだが、ただ農業に勤しんでいるわけでないらしい。高原は「チーム事業のひとつとしてやっていきたい」と語っており、サッカーチームの収入源にしたいと思惑を明かしたのだ。
サッカーと農業、全くの別物に感じますが農業をやることでサッカーチームの収入源にするなど、そのアイディアはユニークで、地域活性化、サッカーチームの運営に関しても本気で取り組んでいるのがわかります。
他にも琉球大学、大高商事(那覇市)と共同で、県産のもろみ酢やシークヮーサー、黒糖を使った「アスリートドリンク」を開発したり、伝統工芸品の首里織と紅型を取り入れたポロシャツを開発したりと、実際に沖縄のものを使った開発にも多く関わっています。
コーヒー栽培に力を入れる
出典:https://dot.asahi.com/
地域活性化やサッカーチームの収入獲得のために、高原直泰さんが特に力を入れているのがコーヒーの栽培です。
高原直泰さんは漠然とハワイのコナコーヒーみたいにできたら面白いなと思ったようで、伝手を頼り、ジュビロ時代のスポンサーでもあった「ネスレ」に支援してもらったといいます。
そして2019年4月、沖縄SVとネスレによる、大規模な国産コーヒー豆の栽培を目指す「沖縄コーヒープロジェクト」が開始しました。
沖縄の耕作放棄地や農業従事者の減少という問題を解決し、新たな産業も作り上げるという壮大な取り組みとなっています。
「沖縄SVコーヒーファーム」は、基本的に高原を含めた沖縄SVの選手・スタッフによって運営されている。植樹などのときは選手・スタッフ総出で作業するが、普段は1部の選手が担当スタッフとなって苗木の世話をしており、彼らの給与をネスレが支援しているというスキームだ。
また、琉球大学の支援も受けている。農学部の施設を借り、教授のアドバイスも受けながら選手総出で種をまき、それを苗木に育てているのだ。
プロジェクト開始から3年が経ち、2022年の冬に本格的なコーヒー豆の収穫を迎える予定となっています。
高原直泰さんはカフェやコーヒーの集積所を作ることなど、今後の事業展開についてもかなり考えを巡らせているようで、最終的にはコーヒー栽培を沖縄県の産業の柱に育てるという目標を掲げているそうです。
名護市に加え、新たに提携を結んだうるま市でも耕作放棄地を活用した農場を整備し、焙煎機まで備えたカフェを出店する計画もあるという。
そしてコーヒー栽培を観光、ITと並ぶ沖縄県の産業の柱に育てるという最終目標のため、県内でのコーヒーネットワークの構築も始めた。
現在も様々なことに挑戦し続けている高原直泰さん。そのチャレンジ精神や生き様は日本代表の頃と変わらずかっこいいですね。
「いろいろな取り組みをする中でたくさんの方と繋がって、なんだかわからないうちにこうなってしまったんです(笑)。ただ、常にチャレンジしていきたいなという気持ちは持っていて、そのやり方が立ち位置によって違うだけ。選手だけの時代だったら、選手として精一杯のチャレンジをしてきたし、いつでも悔いがないようにやってきたつもりです」
引用:「お金にならないと意味がない」元サッカー日本代表・高原直泰43歳は今…沖縄でコーヒー農家になっていた「年間5000杯分が目標です」
まとめ
現在は沖縄に住み、沖縄の活性化とともに沖縄SVというチームを引っ張っている高原直泰さん。離婚もしてしまいましたが、一人で暮らす沖縄の生活は寂しいという気持ちもないそうです。
沖縄の家では愛犬と暮らしている様なので、離婚により寂しさも愛犬がいることで紛らわせているのでしょう。子供がいれば子供がいなくなってしまった寂しさもついてくると思いますが、子供はいない可能性が高いので、だからこそこの様に自由に活動できるのでしょう。
その自由さが裏目に出てしまい、離婚にも繋がったのだと思いますが、常に挑戦を続けてきている高原直泰さんなので、これからの活動も常に挑戦しながら向き合っていってほしいですね。
沖縄SVへの期待値もどんどん高まっているので、その期待を裏切らない様に頑張ってほしいです!