伝説的AV男優でプロレスラーとしても活躍したチョコボール向井さんの現在が話題です。
この記事ではチョコボール向井さんの本名や生い立ち、出身や親など家族、高校や大学など学歴、若い頃の経歴や身長、体重、病気と引退、結婚の有無、現在のスナックバー経営などについてまとめました。
この記事の目次
- チョコボール向井のプロフィール
- チョコボール向井の本名は向山裕
- チョコボール向井の生い立ち
- チョコボール向井の出身は群馬県渋川市
- チョコボール向井の親などの家族
- チョコボール向井の学歴① 出身高校は「群馬県立渋川西高等学校」
- チョコボール向井の学歴② 大学には進学していない
- チョコボール向井の経歴と若い頃① 新日本プロレス練習生になるも1週間で退団
- チョコボール向井の経歴と若い頃② 1990年にデビューし男優界に変革を起こす
- チョコボール向井の経歴と若い頃③ AV男優の傍らでプロレスラーとしても活躍
- チョコボール向井の経歴と若い頃④ 2度の逮捕歴がある
- チョコボール向井の身長と体重
- チョコボール向井の病気は脳卒中で経営していたバーも閉店
- チョコボール向井はAV男優は2009年いっぱいで引退
- チョコボール向井はプロレスラーは2006年に引退も2013年に復帰
- チョコボール向井の結婚
- チョコボール向井の現在…病気から復活し新たなバーを再び経営
- まとめ
チョコボール向井のプロフィール
チョコボール向井のプロフィール
本名 :向山裕
生年月日:1966年12月25日
出身地 :群馬県渋川市
身長 :172cm
体重 :90kg
血液型 :B型
チョコボール向井さんは、1990年代から2000年代にかけて活動したAV男優で、同時期に活動した加藤鷹さんと共にAV男優の地位を押し上げた業界のレジェンドです。
チョコボール向井さんはAV男優としては約20年間活動し5500本以上のアダルト作品に出演し、元々はプロレスラーとボディビルを志し鍛え上げられた筋肉質の肉体が話題を呼び、その筋力と体力を活かして女優を抱え上げて性行為をする「駅弁」が代名詞でした。
AV男優の傍らプロレスラーとしても活躍しこちらも人気を獲得し、「駅弁」とかけた必殺技「駅弁固め」を開発し観客を沸かせました。
チョコボール向井の本名は向山裕

出典:https://assets.st-note.com/
チョコボール向井さんの本名は「向山裕(むかいやま・ゆたか)」さんです。
チョコボール向井さんは2004年にAV撮影をめぐって逮捕された際の報道では本名が向山裕さんである事が明らかにされています。
アダルトビデオ男優チョコボール向井容疑者(37)=本名向山裕=
チョコボール向井の生い立ち

出典:https://plaza.rakuten.co.jp/
チョコボール向井さんは、自身の生い立ちについては、幼少期は小児喘息、虚弱体質で家族にかなり過保護に育てられた事を明かしています。
しかし、そんな自分を変えたいとの思いがあり、小学校高学年から体を鍛えるために極真空手を習い始め、中学・高校でも空手を続けて極真会館の群馬支部で茶帯1級を取得されたとの事です。
また、高校の空手部に所属しながらプロボクシングジムにも通い、地元では知られた格闘技少年に成長したという事です。
チョコボール向井の出身は群馬県渋川市

出典:https://livedoor.blogimg.jp/
チョコボール向井さんの出身地は「群馬県渋川市」です。
チョコボール向井(ちょこぼーる・むかい)本名向山裕(むかいやま・ゆたか)1966年12月15日、群馬県渋川市出身。
チョコボール向井の親などの家族

チョコボール向井さんは自身の家族についてはほぼ何の情報も公開していません。
チョコボール向井さんの両親がどんな方なのかや、兄弟や姉妹がいるのかなども不明です。
チョコボール向井の学歴① 出身高校は「群馬県立渋川西高等学校」

出典:https://jice.homemate-research.com/
チョコボール向井さんの最終学歴は高校卒業で、出身高校は「群馬県立渋川西高等学校」(現在の群馬県立渋川青翠高校、最新の偏差値は44)です。
生い立ちのところでも触れましたが、チョコボール向井さんは高校時代は、空手部に所属し、極真空手の道場に通い、プロボクシングジムにも通うという筋金入りの格闘技少年だったようです。
チョコボール向井の学歴② 大学には進学していない

チョコボール向井さんは群馬県立渋川西高校卒業後は大学には進学せず、新日本プロレスの入団テストを受けて合格し、練習生として入団しています。
当時は新日本プロレスは絶大な人気があり、高校の同級生からは羨望の眼差しを浴びて盛大な送別会が開かれて送り出されたそうです。
チョコボール向井の経歴と若い頃① 新日本プロレス練習生になるも1週間で退団

チョコボール向井さんは群馬県立渋川西高校を卒業後は大学に進学する選択はせず、新日本プロレスに練習生として入団しました。
しかし、あまりにも厳しい練習に耐えかねて、腰を痛めた事もあって1週間ほどで逃げ出してしまったそうです。
チョコボール向井さんは新日本プロレスから1週間で逃げ出した事について、後に「人間関係もキツくて、(当時の自分が)子供だったんでしょうね」と語っています。
ただ、プロレスラーの夢は残していたそうで、いつかまたプロレスラーをやれる時が来るんじゃないかとそれから3年間ほどはトレーニングを続けていて、やり直しのきっかけを窺っていたそうです。
チョコボール向井さんは新日本プロレスから逃げ出した後は数年間は、住み込みの仕事や日雇いのアルバイト、ラブホテルやパチンコ店、ヘルスやソープのボーイといった風俗関係など仕事を転々としながら生活されていたそうです。
また、当時は体重が90kgくらいあったそうなのですが、20歳の時にボディビルに出会って大会にも出場するようになり、小さなジムでトレーナーのアルバイトをしながらトレーニングに励まれたそうです。
チョコボール向井の経歴と若い頃② 1990年にデビューし男優界に変革を起こす

チョコボール向井さんは23歳の時に人気AV女優が素人男性と絡む、クリスタル映像の人気シリーズの男優オーディションに挑戦。
20人くらいの応募者の中で、唯一、チョコボール向井さんだけが大勢の人がいる中で性行為ができる状態だったために合格し、1990年1月に当時の大人気AV女優だった樹まり子さん主演の「男優さん、いらっしゃい」という作品でAV男優としてデビューしました。
それまで、日本のAV男優は視聴者が感情移入をしやすいように中肉中背で個性の少ない方が定番でしたが、筋肉隆々で体を小麦色に焼いたゴリゴリの男優としてチョコボール向井さんが登場した事でこの常識が覆され、新たなムーブメントを引き起こしました。
チョコボール向井さんは当初はボディビルのトレーナーをしながらアルバイト感覚で男優をやろうと考えていたそうなのですが、デビュー半年で月に20〜25本のペースで出演する売れっ子男優になってしまったため、トレーナーの仕事を辞めざるを得なくなったのだとか。チョコボール向井さんはデビュー時から1本3万円と中堅クラスのギャラをもらっていたそうなので、若手の頃から1ヶ月で60万円〜75万円も男優の仕事で稼いでいたようです。
現在は人気AV男優の方は引き締まった筋肉質なタイプが主流となっていますが、その流れを作るパイオニアとなったのがチョコボール向井さんでした。
チョコボール向井さんはAV男優として絶大な人気を獲得し、チョコボール向井さんをメインとした作品も多数リリースされるほどでした。
チョコボール向井さんは2001年からはAV監督としても活躍し、AVメーカー「ホットエンターテイメント」内に自身のレーベル「向井」を設立してナンパものやカップルもの、風俗ものなど、多くのAV作品をリリースしています。
チョコボール向井の経歴と若い頃③ AV男優の傍らでプロレスラーとしても活躍

チョコボール向井さんはAV男優として人気を獲得した後、パンクラス関連のジム「P’s LAB」で修行し1999年にFMWでプロレスラーとしてデビューを果たしています。
FMWという団体はエンタメ路線で、一部のAV女優も出演していた事から男優も出したらどうかという話が持ち上がり、過去に新日本プロレス練習生の経歴を持つ人気男優であるチョコボール向井さんに白羽の矢がたち、声がかかったというのがプロレスラーデビューをした経緯だったようです。
ただ、エンタメ路線だったとはいえ、元々夢だったプロレス界に戻れたという意識があったチョコボール向井さんは真剣にプロレスに取り組み、AV男優とプロレスラーの二足のわらじを履いてそれぞれ第一線のプロとして活躍しました。当時は、チョコボール向井さんは毎月10試合くらいプロレスの試合に出場していました。
チョコボール向井の経歴と若い頃④ 2度の逮捕歴がある

チョコボール向井さんはAV男優とプロレスラーの二刀流で活躍し絶大な人気を得ていましたが、そんな中で2004年に2度も逮捕される不祥事も起こしています。
チョコボール向井さんの1度目の逮捕は2004年3月で、東京六本木のハプニングバーでのイベントにゲスト出演した際に客の前でわいせつな行為を見せたとする公然わいせつ容疑での逮捕でした。
AV男優にしてプロレスラーでもあるチョコボール向井。加藤鷹と並び、男子諸君は誰でも知っているであろうカリスマ、チョコボール向井。残念ながら公然わいせつの容疑で逮捕されてしまったなり。
毎日新聞によると、東京都港区六本木のハプニングバー「ロック」で行われたイベントで、客の前でわいせつな行為を見せた疑いによる逮捕されたのだとか。
チョコボール向井さんは逮捕後に公然わいせつ罪で起訴され懲役5ヶ月執行猶予3年の有罪判決を受けています。
チョコボール向井さんの2度目の逮捕は2004年6月で、児童ポルノ禁止法違反容疑によるものでした。
女子高校生とのわいせつな行為を撮影したアダルトDVDを製造したとして、警視庁少年育成課などは23日までに、児童ポルノ禁止法違反容疑で、東京都目黒区駒場、アダルトビデオ男優チョコボール向井容疑者(37)=本名向山裕=ら男優4人と、練馬区南田中、アダルトビデオプロダクション経営村崎一徳容疑者(32)ら2人の計6人を逮捕した。
当時の報道によると、チョコボール向井さんらは2006年12月に練馬区内のスタジオで当時16歳の高校2年生とわいせつな行為をして撮影しアダルトDVDを製造し販売したという容疑での逮捕でした。おそらく、チョコボール向井さんは男優としてこの作品に参加していたのだと思われます。
ただ、チョコボール向井さんは「彼女が16歳だとは知らなかった。年齢を見抜けなかったのはプロとして甘かった」と説明しており、その後、チョコボール向井さんはこちらの事件では不起訴処分とされています。
チョコボール向井の身長と体重

チョコボール向井さんの公称身長は「172cm」、公称体重は「90kg」となっています。
身長に関してはそこまで変化はないでしょうが、体重についてはプロレスラー時代に公表されていたデータなので現在はかなり減量されているのではないかと推測されます。
ちなみに、チョコボール向井さんは病気で入院した際に体重が69kgまで落ちた事を明かされています。
体重は中高生の時以来の69キロまで落ちました。AV時代は85キロ、プロレスラー時代は90キロあったから、ガクッときました。
参考までに、上の画像はプロレスラーの保坂秀樹さん(身長180cm、体重110kg)とチョコボール向井さんが並んで立っているところです。
チョコボール向井の病気は脳卒中で経営していたバーも閉店

出典:https://www.news-postseven.com/
ネットではチョコボール向井さんと「病気」について検索がされているようです。
チョコボール向井さんの病気とは、2017年7月にチョコボール向井さんが脳卒中で倒れて入院した事を指していると思われます。
チョコボール向井さんは2017年8月に自身のSNSで病気(脳卒中)で入院した事を発表しました。
正式発表。チョコボール向井は、7月から脳卒中の病にかかり現在入院中です。お店は、とりあえず閉店しました。復活するために、皆さんの励ましの、メッセージお待ちしています。
— チョコボール向井 (@choco_family) August 14, 2017
チョコボール向井さんは自身が新宿2丁目で経営するスナックバー「チョコボールファミリー」(2006年開業)の店内で倒れたという事です。
チョコボール向井さんが後に語ったところによると、当時は20時の開店時間に合わせて1人で店内で準備をしていると段々と具合が悪くなり、左半身が麻痺してきたそうです。
なんとか開店はしたものの、最初のお客さんが来たところで踏ん張りが効かなくなりそのまま倒れてしまったのだそうです。そこでお客さんに救急車を呼んでもらい救急搬送され国立国際医療研究センターでのCT検査を受けて「脳出血」と診断されたとの事でした。
開店間もなくにお客さまが来たのが不幸中の幸い。立ち上がろうとしたら踏ん張りが利かず、そのまま崩れ落ちてしまって「救急車を」とお願いしました。自分じゃ何が起こっているのかわかりませんでしたね。
国立国際医療研究センターに運ばれ、CT検査などで「脳出血」と判明しました。右脳の前頭部の被殻出血でした。
チョコボール向井さんは病気で倒れたことで2006年から続けていたスナックバー「チョコボールファミリー」を閉店しています。
チョコボール向井はAV男優は2009年いっぱいで引退
チョコボール向井さんは2007年いっぱいでAV男優を引退しています。
チョコボール向井さんは2006年にスナックバーを開業しましたが、これによってお酒の量が増えて、翌日のAVの撮影に一睡もせずに朝から向かうというような生活を続けられていたそうです。
すると、さすがのチョコボール向井さんもED気味になってきたそうで、ED治療薬などに頼ってどうにか仕事を続けられていたそうです。
チョコボール向井さんは「こんなの飲むようになったら男優としてはもう終わりだな」と思い、引退を考えるようになったそうです。
そして、男優の区切りとなる20年で引退しようと決意し2009年いっぱいでAV男優を引退されています。
チョコボール向井さんのAV男優の最後の撮影は2009年12月27日だったそうなのですが、年末という事で経営していたスナックバーに団体客が入っていたため、撮影が終わると引退のセレモニー的なものもなく慌ててタクシーに飛び乗ってお店を開けたというエピソードが明かされています。
ラストの撮影だから、感動的に「お疲れ様でした」ってやらなきゃいけないのにそんな余裕なかった。射精した後に、礼儀として女優さんの顔は拭いてあげるの。それが終わった瞬間にダッシュ。すぐタクシー飛び乗って、何とかギリギリで、団体さん迎え入れて「いらっしゃいませ」って。
チョコボール向井はプロレスラーは2006年に引退も2013年に復帰

出典:https://sports-pctr.c.yimg.jp/
チョコボール向井さんはプロレスラーは2006年12月に1度引退していますが、2013年に復帰しています。
チョコボール向井さんは、プロレスラーを引退する理由として「頚椎ヘルニアの悪化による手の痺れ、平衡感覚の欠如」をあげ、「納得のいく練習もできず体の張りも低下している、ベストな状態で試合ができない」と説明されています。
その後、2013年6月のIWAジャパン・新宿FACE大会にて約6年半ぶりに一夜限りの復活を果たしましたが、その後はプロレスラーとしては活動されていません。
チョコボール向井の結婚
チョコボール向井さんは結婚はしておらず独身です。
チョコボール向井さんはこれまでにも結婚歴はないようです。
チョコボール向井の現在…病気から復活し新たなバーを再び経営

チョコボール向井さんは2017年に病気(脳卒中)で倒れ、その際に経営していたスナックバーを閉店しました。
しかしその後、チョコボール向井さんはリハビリに励んで医療関係者も驚くような驚異的な回復力を見せて4ヶ月で退院。さらに、退院してから1ヶ月後にはすぐに渋谷区幡ケ谷にスナックバー「チョコボールファミリー(chocoball family)」を復活開店させました。
チョコボール向井さんは現在もスナックバー「チョコボールファミリー(chocoball family)」を経営しています。
チョコボール向井さんのバー「チョコボールファミリー(chocoball family)」の場所は「東京都渋谷区幡ヶ谷2-8-5 近藤ビル B1F」です。
まとめ
今回は、1990年代から2000年代にかけて活躍した伝説的なAV男優でプロレスラーとしても活動したチョコボール向井さんについてまとめてみました。
チョコボール向井さんの本名は「向山裕」さんで、群馬県渋川市の出身で、少年期は極真空手やボクシングに打ち込んだ生い立ちを持ちます。
チョコボール向井さんの親や家族に関する情報は公開されていませんが、幼少期は体が弱かったために過保護気味に育てられたと明かされています。
チョコボール向井さんの学歴は「群馬県立渋川西高校」卒業で、高校卒業後すぐに新日本プロレスに練習生として入門したため大学には進学していません。
チョコボール向井さんは新日本プロレスからは1週間ほどで逃げ出してしまい、アルバイト生活を経てAV男優としてデビューした経歴を持ちます。AV男優としてカリスマ的な人気を獲得したチョコボール向井さんは、プロレスラーとしてもデビューし、二刀流で活躍しました。
チョコボール向井さんの身長は172cmで体重は90kgでしたが、引退後に病気(脳卒中)で倒れて入院した際に体重が69kgまで落ちた事が明かされています。
チョコボール向井さんはプロレスラーは2006年で、AV男優は2009年で引退されていて、現在はスナックバー「チョコボールファミリー(chocoball family)」を経営されています。結婚はしておらず独身のようです。



















