元サッカー日本代表選手であり、現在は番組等で解説者として活動している福西崇史さん。
さわやかイケメンのルックスに反してそのラフプレースタイルは「さわやか893」と呼ばれ注目を集めた選手でもありました。
福西崇史さんのプロフィールと経歴、結婚した嫁の直子さんと2人の息子や離婚の噂、そしてマリーシア・ラフプレー特集や現在の活躍を総まとめしました。
この記事の目次
福西崇史のプロフィール
福西崇史、ネット上のあだ名は「さわやか893(ヤクザ)」
日本最高峰のボランチで「さわやか893」の福西崇史
福西崇史さんはジュビロ磐田やFC東京、東京ヴェルディなどで活躍した選手で、ポジションはMF(ミッドフィールダー)で、ボランチを務め日本代表選手でもありました。現役引退してからはサッカー解説者として活動しながらそのイケメンぶりを活かして雑誌などでタレント活動も行っています。
本名: 福西 崇史(ふくにし たかし)
愛称: フク
生年月日: 1976年9月1日
出身地: 愛媛県新居浜市
身長: 181cm
体重: 77kg
引用:Wikipedia – 福西崇史
福西崇史さんはジュビロ磐田の黄金期を支えた主力メンバーであり、日本代表選手として国際Aマッチに64試合出場して7得点挙げたストライカーですが、現在はサッカー解説者をしています。
福西崇史さんは天才的なボランチとして日本代表チームを支えた優秀な選手ですが、一方で引退後に自身のマネージャーからもイベントの場で「現役時代はラフプレーヤーで…」と紹介されるほど自他共に認める生粋のラフプレーヤーでした。
福西崇史さんはさわやかイケメンな風貌をしながらピッチ上での確信犯で行う”暴行”からレッドカードを貰って退場することも少なくなく、引退試合もラフプレーからのレッドカード退場での幕引きでした。
パンチ、キック、ラリアットとK-1選手さながらのラフプレースタイルに、福西崇史さんはネット上で「さわやか893(ヤクザ)」「ベビーフェイスアサシン」「磐田の若頭」の異名を取って話題になることが多く、現役引退して解説者になってからもラフプレーについて解説すると「説得力がある」と言われているようです。
福西崇史、小学生時代は体操でオリンピックを目指していた
福西崇史は両親に支えられてプロになった
福西崇史さんの両親について詳しい情報はありませんが、一人兄がおり4人家族だったようです。
福西崇史さんは小学校4年生の頃に地元の少年サッカースクールに入りサッカーを始めました。
同時に器械体操に打ち込んでおり、中学校にあがるまでは体操でオリンピックを目指していたことから、バランス感覚や跳躍力、柔軟性などにとても優れており後々サッカー人生を支えることになりました。
福西崇史さんが本格的にサッカーを始めたきっかけは1993年にJリーグが発足するという噂が流れ始めたからで、プロサッカー選手の職業が注目され始めたからのようです。
両親ともにサッカーの活動に協力的で、父親は兄には厳しい反面福西崇史さんは自由にしてくれたため伸び伸びとサッカーに打ち込めたようです。
福西崇史さんは1992年にサッカー強豪校の新居浜工業高校に進学し、当時のポジションはFWでした。
しかし、福西崇史さんは高校時代には実績を残しておらず、高校総体に高校3年生の頃に出場したものの敗退してしまい選手としてはまったくの無名でした。
しかし、総体県予選で当たった南宇和高等学校に注目選手がおり、ジュビロ磐田のスカウトだった石井和幸さんが見に来たところ、福西崇史さんのサッカーセンスが目に留まりスカウトしたことでプロ入りのチャンスを掴みました。
大学に行って4年後に「プロを目指そう」と言って実際になれる選手もいますが、僕はそういう“エリート”ではなかった。声をかけてもらえるチャンスはそうそうない、だから、今なれるならばなろうと選択しました。現役を引退した今となっては「大学に行っておいたほうがよかったかな」と思うこともありますけど(笑)。
引用:MELOS – 幼いころからボールを蹴ってきた“エリート”ではない、だからこそ器械体操の経験が自分の武器に。元サッカー日本代表・福西崇史(後編)【子どもの頃こんな習い事してました #10】 (1/3)
福西崇史、高校卒業後にジュビロ磐田に入団
ジュビロ磐田でボランチになった福西崇史
福西崇史さんはスカウトオファーを受けて1995年に高校を卒業するとジュビロ磐田に入団しました。
しかし、福西崇史さんは入団直後にFWとしての出場機会に恵まれず中々デビュー戦に臨めませんでした。
そこで当時監督だったハンス・オフトからボランチでのプレーを提案され、始めは乗り気ではなかった福西崇史さんでしたが、同ポジションを担っていた名プレーヤーのドゥンガに教えて貰いボランチでプロデビューを果たしました。
福西崇史さんはスタミナやスピードに難有りと言われていましたが、ボランチに課されたゲームメイクをする判断力に長けていたことからジュビロ磐田の黄金期の主力として支えました。
しかし、福西崇史さんはJリーグきってのラフプレーヤーでもあったことから、次第に審判から要注意人物としてマークされるようになりました。
そして、2007年シーズンの契約に際して、若手選手をまとめるリーダーシップが発揮できていなかったという理由でジュビロ磐田から減棒提示されたことから退団を決意してFC東京へ移籍しました。
福西崇史、2002年に日本代表に初選出される
2002年に日本代表入りを果たした福西崇史
福西崇史さんは2002年の日韓ワールドカップに日本代表選手として選抜され、第2戦のロシア戦で国際Aマッチデビューを果たしました。
福西崇史さんは愛媛県出身者として初めてのワールドカップ出場者だったことから、同大会終了時に「文化・スポーツ賞」を受賞しました。
当時の日本代表監督を務めたジーコジャパンでは、負傷した稲本潤一さんが代表を外れたことで福西崇史さんがボランチのレギュラーを獲得しました。
また、2006年に2度目となるFIFAワールドカップ・ドイツ大会で2試合にスタメン出場しました。
福西崇史、FC東京へ移籍
福西崇史、2007年にFC東京へ移籍
福西崇史さんは初めての移籍でFC東京のプレースタイルに馴染むまではオフ・ザ・ボールの時間が増えましたが、それが返って全体の観察力を上げてプレーの幅を広げることにつながりました。
福西崇史さんはFC東京でも総合的に高い評価を得ていたものの運営側が高年棒により維持できなかったため最初のシーズン後に退団を余儀なくされました。
福西崇史、東京ヴェルディへ移籍と引退
2008年に東京ヴェルディへ移籍した福西崇史
福西崇史さんは東京ヴェルディでも主力メンバーとして活躍していましたが、FC東京と同様に東京ヴェルディが経営悪化により1年で契約の非更新を発表しました。
福西崇史さんは東京ヴェルディで引退試合となる第34節川崎フロンターレ戦に臨みましたが、相手側のコーナーキックをクリアした際に福西崇史さんが振った左手が寺田周平さんに激しく当たってしまい、審判はこれを乱暴なプレーとみなしてレッドカードを提示し、退場処分がそのままプロとしての引き際となりました。
東京ヴェルディはJ2に降格したものの、福西崇史さんはJ1チームでのプレーを希望していましたが、オファーが来たのはJ2の地元チーム・愛媛FCだったため2009年1月に現役引退を発表しました。
同年5月には福西崇史さんはJFAアンバサダーに就任し、Jリーグ公式戦に通算500試合出場を達成したことから功労選手賞を贈られました。
福西崇史、伝説と言われるラフプレーエピソード
”マリーシア”の重要性を説いていた福西崇史
”マリーシア”とはポルトガル語で「ずる賢い」の意味でサッカーではしばしばコンタクトプレー時の駆け引きで使われています。
福西崇史さんはマリーシアについてインタビューされた際に以下のようにコメントしています。
「いっぱいあります。わざと倒れるのもそうだし、時間稼ぎするのもそうだし。できればしない方がいいんでしょうけど、サッカーは結果が全てなので。ドゥンガから、いろいろ教えられました。この時間はシュートはいらないからボールをつなげとか、ボールが外に出ても相手に返すなとか。それをしなくて負けたこともあるので、僕は必要だと思っています」
つまり、福西崇史さんのラフプレースタイルはジュビロ磐田に入団してボランチにコンバートされた際にドゥンガに教えて貰ったという面も大きいようです。
MFが相手を中盤で潰すことは非常に重要なことであり、ゲームメイクをすることを課せられたポジションでもあるため福西崇史さんはトップクラスで戦うためにはマリーシアが不可欠だと痛感したのかもしれません。
それでは福西崇史さんの伝説的なラフプレー集のYouTube動画をご紹介します。
YouTubeより: 福西崇史の手癖の悪さ3連発!右フック、左裏拳、神の手ゴール!
福西崇史さんはK-1選手ではなくJ-1選手と茶化されるほどパンチやキック、ラリアットなど多彩な技で相手からKOを奪い沈めてきました。
福西崇史さんにインタビューをした記者が感じたのは、ラフプレーをしていた裏側では常にチームのことを考えた結果だったことがわかったようです。
いざとなれば手段を選ばないで相手を止める覚悟も持っていた。
だからこそ心配になる部分があった。
味方を救うためにプレーしても味方は理解してくれただろうか。
話を聞かせてもらいわかったのは、
福西はすべてを受け入れながらプレーしていたということ。
そして強気に見える表情の奥に、
プレーするため、もがき続けた姿があったことだった。
そして、福西崇史さんも元々短気な性格であることを認めながらも試合では冷静であり、チームのために相手を何が何でも止める必要がある際にラフプレーをしていたことを明かしています。
汚れ役って僕は必要だと思います。味方が助かるときもありますし。もちろん退場したら味方は困るので、そこはいつも謝ってました。それでも、退場になるリスクを冒してでも止めに行かなければいけない時もあるんですよ。
福西崇史さんは中村俊輔さんのようなゲームメイクをできるタイプではなかったため、自分にできることを考えた時に犠牲になってでもラフプレーで相手を止めることだったようです。
「さわやか893」と呼ばれながらもファンから親しまれていたのは福西崇史さんが常にチームのために貢献する姿勢を見せていたからなのでしょう。
福西崇史が結婚した嫁は2歳年上の直子さん~子供は息子が2人
福西崇史、嫁との間に子供は息子が2人~過去の流産激白も話題に!
福西崇史の嫁は福西直子
福西崇史さんは結婚時期は明かしていないようですが嫁は2歳年上の直子さんという名前で二人の子供がいます。
福西崇史さんと嫁・直子さんの間には二人の息子がおり、長男は龍太(りゅうた)くん、次男は翔太(しょうた)くんという名前です。
しかし、実は悠斗くんという子供も生まれる予定だったそうですが、直子さんが10ヶ月目の臨月に流産で亡くしてしまい、そのことが女性向け雑誌「VERY」で記事になっていたようです。
福西崇史さんは基本的に子供に強制する子育てはしたくないそうで、自身や嫁の直子さんの経験を元に幼稚園から体操と水泳を子供たちにさせていたようですが、その後すぐに父親の影響もあり二人の息子はサッカーを始めたそうです。
2018年現在、長男の龍太くんはサッカーを引退して別の道を歩み始めているようですが、次男の翔太くんは現在もクラブチームでプレーしているようです。
”福西翔太”という名前がその内日本代表選抜で聞ける日が来るかもしれませんね。
福西崇史、離婚の噂に反して趣味は「家族サービス」
中西隆裕さんは元ラフプレーヤーという経歴に反して趣味は「家族サービス」の良夫・良父であり、嫁の直子さんとも仲が良いことから離婚の可能性は無いようです。
今日はサッカー⚽️J3リーグSC相模原でDJ🎙今日はさがみはらドリームマッチということで、元日本代表選手達が集結。子供同士が同じ幼稚園の父兄のご近所さん、仲良しの福西崇史君と📸久しぶりの相模原でのDJ、ティファニーと楽しみます😊 pic.twitter.com/dhyyVyT2hx
— DJケチャップ(藤本芳則) (@ketchup120674) 2016年9月11日
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像特集
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像①
福西崇史さんの代表的なラフプレーのひとつですが、ボールを奪いに来た相手に右手で鼻パンを入れて悶絶させました。
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像②
福西崇史さんはボールを奪うためなら飛び蹴りが相手に突き刺さっても気にしないのでしょう。
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像③
福西崇史さんがボールを奪いに行く時はフック一閃をお見舞いするようです。
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像④
福西崇史さんのラフプレーのうまいところは相手が大怪我をしないギリギリのラインを攻めるところのようです。
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像⑤
海外の選手はラフプレー多いですが福西崇史さんはまったく引けを取らないでしょう。
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像⑥
福西崇史さんのラフプレーが凄すぎてこうしたパロディ画像も生まれるようです。
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像⑦
福西崇史さんは北斗百烈拳が使えるようですね。
福西崇史のマリーシア・ラフプレー画像⑧
しかし、こうしたラフプレーの数々はチームのためだということが前提にあるようです。
今日のNHKのサッカーの解説は「さわやかな外見でめっさえげつないラフプレー」をするせいで「さわやかヤクザ」とか「ベビーフェイスアサシン」と異名をとった福西崇史さんですね。
— ともぽーし@ねこまっしぐら (@tomo_poooohci11) 2018年6月19日
福西崇史の現役時代エピソードから分かる性格
福西崇史の現役時代エピソードから性格を探る
ネット上で公開されている福西崇史さんの現役時代エピソードから性格の傾向を探ってみましたのでご紹介しましょう。
中西隆裕は代表では走る、クラブでは走らない
- 中西隆裕さんには二つのモードがあり、クラブモードでは走らず、守備せず、攻撃ばかりして点を取りますが、日本代表モードでは献身的に走る、しっかり守る、攻撃を控えながらも点を取るそうで、クラブサポーターの合言葉は「クラブでも走れ!」のようです。
福西崇史はスタミナがないわけではない
- 福西崇史さんはスタミナ、スピードに難有りという評価ですが、2002年のガンバ戦で片翼の退場からワンボランチになったため福西崇史さんは中盤ラインの広大なスペースをカバーしきったことからスタミナが無いわけではないことを証明しました。そのためサポーターは「走れるなら走れ!」と言っていたようです。
福西崇史は生粋の「さわやか893」
福西崇史さんは2004年のドイツ戦でバラックに肘打ちをして主審にファールを取られましたが笑顔で「なんでだよー?」とアピールし、足元で喉元を抑えて悶絶しているバラックを見てさらに笑顔になったそうです。
福西崇史は仲間思い?
- 福西崇史さんはアジアカップのバーレーン戦で遠藤保仁さんがファールを受けて退場した際に報復するかのようにファールをした相手選手の脚を思い切り踏みつけて痛みに悶絶している横で素知らぬ顔をしていたようです。
やはり福西崇史は仲間思い?
- 日韓ワールドカップ一次予選のインド戦でGKの川口能活さんが相手選手に蹴られたため福西崇史さんはその選手に肘打ちをお見舞いしたようです。
福西崇史は北朝鮮には容赦しない?
- 日韓ワールドカップ最終予選の北朝鮮戦で田中誠さんがファールをされて審判が気を取られている間に福西崇史さんはその相手選手にラリアットを喰らわせて素早く引き起こし、審判に笑顔で何も起こっていないことをアピールしました。ちなみに田中誠さんもファールを受けた際に偶然を装って相手選手にかかと落としを喰らわせましたが相手選手だけが退場になりました。
福西崇史は天才マリーシア
- 福西崇史さんは日韓ワールドカップ一次予選で不必要な極悪プレーを度々しているにも関わらず、予選を通してイエローカードは1枚しか貰っていません。
これらの福西崇史さんのラフプレーエピソードから分かる性格を一言で表すなら「仲間思いのドS」と言えるかもしれません。
もちろん単純に腹が立ったから手が出たという場合も少なくないようですが、福西崇史さんは仲間がやられるとその後に必ず報復をしていたようです。
福西崇史の現在~落ち着いた語り口が人気のサッカー解説者に!
福西崇史、現役引退後はNHKのサッカー解説者として活躍中
福西崇史さんは引退後にNHKのサッカー解説者として活動を開始。落ち着いた語り口で解説が聞きやすいと評判となり、2018年ロシアW杯のコロンビア戦の解説も務めています。
現役引退後はJFAアンバサダーを務めながら、サッカー解説者としての仕事を開始。2010年からNHKのサッカー解説者として活躍を始め現在に至ります。
滑舌の好い発音、落ち着いた語り口、誠実な人柄、紳士的でイケメンであることから、サッカー解説者としての人気を博しています。
引用:落ち着いた語り口で人気!解説者・福西崇史ってどんな人?
解説陣も熱くなってます✨
— 福西崇史 (@fukunishi_t) June 25, 2018
中山さんが1番だけど…笑#藤田俊哉 #中山雅史 #福西崇史 #元日本代表 #元ジュビロ磐田 #JPN #SEN #Worldcup2018Russia pic.twitter.com/zUO6LCyMrO
貴重な勝ち点1✨
— 福西崇史 (@fukunishi_t) June 25, 2018
勝てた試合かもしれないが、よくあの状況で追いついた👍
応援ありがとうございます😊#JPN #SEN #WorldCupRussia pic.twitter.com/SF9NmQ0bW3
福西崇史について総まとめすると…
・福西崇史は2歳年上の直子さんと結婚。子供は息子が2人いる。
・福西崇史は離婚の噂に反して、趣味は「家族サービス」である。
ジュビロ磐田からプロデビューし、日本代表選手としても活躍した名ボランチ・福西崇史さんについて総まとめしてきました。
福西崇史さんはおそらく日本サッカー選手の中でも最もマリーシアの重要性を体現していた選手かもしれません。
福西崇史さんが現役時代にはこうしたラフプレーを恐れて福西崇史さんとのコンタクトプレーを避けていた選手も少なくないようです。
現役引退して解説者になってからは「丸くなった」と言われる福西崇史さんですが、2016年にはJFA公認S級コーチの資格も取得しているため指導者になればマリーシアも教えるのでしょう。