鹿島アントラーズをはじめ世界中のクラブを渡り歩き日本代表選手も務めた鈴木隆行さん。現在は少年サッカーの指導をしながらサッカー解説で番組に出演しています。
鈴木隆行さんのプロフィールと経歴や師匠と呼ばれる理由、結婚した嫁と子供、そして解説などで活躍する現在までを総まとめしました。
この記事の目次
鈴木隆行のプロフィール
鈴木隆行、ネット上のあだ名は「ノーゴール師匠」
本名: 鈴木 隆行(すずき たかゆき)
愛称: 師匠
生年月日: 1976年6月5日
出身地: 茨城県日立市
身長: 182 cm
体重: 75 kg
ポジション: FW
利き足: 左足
引用:Wikipedia – 鈴木隆行
鈴木隆行さんは鹿島アントラーズでプロデビューを果たし、39歳で現役を引退した元プロサッカー選手です。
ネット上では「ノーゴール師匠」「鈴木隆行師匠」と呼ばれ愛されています。
このあだ名だけ聞くと、日韓W杯で劇的ゴールを決めベルギー戦を引き分けにしたプレースタイルなどから言われているように感じますが、実は全くの逆なんです。
ネットでは一般社会における師弟関係を指す意味ではなく、2002年の日韓W杯から2003年にかけて、FWであるにもかかわらず、46試合(1790分)連続ノーゴールという記不名誉な記録を樹立。
このことから皮肉を込めてネット上では「ノーゴール師匠」と言われるようになりました。
最近露出が増えてるので師匠のこと知らない人のために貼っておきますねhttps://t.co/2DY1cTc3GU鈴木隆行 pic.twitter.com/jq6py14Al6
— えろパン亭✳︎やまだ丸 (@fat_boy_debu) June 23, 2018
サッカーにおいて「師匠」とは、どフリーで簡単そうなシュートを豪快に枠外に蹴り、時々すんごい難しいのを重要な局面で決めるFWのことです。フェルナンド・トーレスは師匠です。元祖は鈴木隆行です。
— Hoshiko (@josico) July 10, 2018
鈴木隆行、高2で鹿島アントラーズから注目される逸材に
鈴木隆行の詳しい家族構成はほとんど不明
鈴木隆行さんには姉がいることは分かっていますが、両親の仕事など家族についての情報はほとんど無いようです。
鈴木隆行さんは日立市立大沼小学校、日立市立泉丘中学校を経て茨城県立日立工業高等学校に進学し、1年生の頃から国体に出場、2年生の頃には地元のJリーグクラブチームである鹿島アントラーズにスカウトされるほど天才的な才能を発揮していました。
鈴木隆行さんは3年生の頃にはユースチームの日本代表に中田英寿さんらと選抜されその年代を代表するストライカーでした。
茨城県立日立工業高等学校はサッカー強豪校ではなくサッカーを本格的に指導できる人材がいなかったため、顧問の監督は鈴木隆行さんに練習メニューを作らせていたようです。
そのため、鈴木隆行さんは自分に必要なメニューを主体的に作っていたため、鹿島アントラーズに加入するまでは遊びのような状態だったと語っています。
鈴木隆行、鹿島アントラーズに入団とレンタル移籍
Jリーグの強豪チーム・鹿島アントラーズに加入
鈴木隆行さんは高校を卒業したJリーグ発足から2年目となる1995年に鹿島アントラーズに入団し、1996年10月16日に行われた第24節でプロデビューを果たしています。
鹿島アントラーズへの入団直後はトップチームの選手層厚さとレベルの高さから出場機会に恵まれず、当時の思いについて鈴木隆行さんは以下のように語っています。
まあ、プロに入る前はもちろんそうなんだけど、もう入った時に、鹿島アントラーズに入ってしまったんで、入った時にスタメンが日本代表とブラジル代表しかいなかった。それが普通だと思っていて、正直「こんなに差があるのか」ってずっとショックを受けていたよ。「こんなの絶対プロではやっていけない」って最初は思って。
そのため、鈴木隆行さんはジーコが出資して創設されたブラジル・リオデジャネイロ州の3部リーグ所属のクラブチーム、CFZ・ド・リオへ期限付きで1997年3月から9月までレンタル移籍しました。
鈴木隆行さんは21試合中7得点を上げて同チームを2部リーグへ昇格することに大きく貢献し、ジーコの期待に応える形となりました。
同チームでのプレーを終えて鹿島アントラーズに戻った鈴木隆行さんは、1998年シーズンから今度はジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)にレンタル移籍しました。
鈴木隆行さんはJ1リーグへの昇格がかかったアビスパ福岡の昇格戦で得点を挙げてジェフユナイテッド市原のJ1残留に貢献しています。
その後、鈴木隆行さんは1999年からブラジル・リオデジャネイロ州2部リーグに所属するCFZ・ド・リオにレンタル移籍してプレーし、同年秋頃に鹿島アントラーズに復帰しましたが、2000年シーズンからは川崎フロンターレにレンタル移籍するなど、国内外のチームを渡り歩くことになり鹿島アントラーズへの定着は中々しませんでした。
川崎フロンターレでは調子が出ず鈴木隆行さは得点を挙げられずチームも不調続きとなり、ミーティングの席で選手を代表して運営企業の社長に意見したことが仇となり、鈴木隆行さんは出場機会に恵まれなくなってしまいました。
そのため鈴木隆行さんは鹿島アントラーズに復帰し、得点を挙げ続けて目覚しい活躍をするようになったことからレギュラーを獲得し、同シーズンのJリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の三冠に大きく貢献しました。
鈴木隆行、日韓W杯・ベルギー戦で伝説の「つま先」ゴール!
活躍が認められて日本代表選手に選抜された鈴木隆行
鈴木隆行さんは2001年に初めて日本代表に選抜され、同年4月25日に行われたスペイン戦で国際Aマッチデビューを果たしました。
同年に日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップでは、鈴木隆行さんはフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表チームのスタメンに選抜され、カメルーン戦で2得点を挙げる活躍を見せてマスコミなどから「シンデレラボーイ」と呼ばれて称賛されました。
この時の得点が後に本格的な海外挑戦をするきっかけにつながったことを鈴木隆行さんは語っています。
あそこで点を取って、取ってというよりも、(W杯に)出たことによって、このままじゃ絶対に上に上がっていけない、代表でも活躍できない、W杯でも活躍できない。ヨーロッパに出て行って、トップのそういう選手たちの中で生き抜いていかないと無理だなって直感して。考え方が変わったので、それはよかった。
やはり鈴木隆行さんといえば、日韓W杯での劇的同点ゴールの印象が強い方も多いのではないでしょうか?
2015年に現役引退を発表し、指導者としての道を進み始めた鈴木隆行。その名を聞いて思い出すのは、やはり2002年日韓ワールドカップ(W杯)でのゴールだろう。グループリーグ初戦のベルギー戦で、0-1とリードされて迎えた後半14分、小野伸二からの少し長くなったパスをつま先に当ててゴールに押し込んだ。
この劇的ゴールは鈴木隆行さんのその後の人生も大きく変えました。記事の冒頭であだ名が「ノーゴール師匠」と紹介しましたが、実はこの値千金の同点ゴール直前まで「公式戦20試合連続ノーゴール」(1590分)という不名誉な記録を更新中でした。
そして、この劇的ゴールによりノーゴール記録をストップさせ、ベルギーの1部リーグ所属の名門クラブ・ヘンクからオファーを受けて移籍するものの、2003年にはヘンクと選手提携を結んでいるヒュースデン=ゾルダーに移籍。
また、この時期に「ノーゴール師匠」と揶揄されるきっかけとなった46試合(1790分)連続ノーゴールという不名誉な記録を樹立しています。
鈴木隆行、鹿島アントラーズ復帰と海外再挑戦
古巣、鹿島アントラーズに復帰した鈴木隆行
鈴木隆行さんは2004年のJリーグ・第2ステージから古巣の鹿島アントラーズに復帰しました。
同年のFIFAワールドカップ一次予選ではジーコ監督率いる日本代表に怪我で抜けた久保竜彦さんの代わりに鈴木隆行さんが選抜されました。
FW(フォワード)陣の要として起用された鈴木隆行さんは3戦全てでゴールを挙げるなど貢献し、AFCアジアカップでは優勝に大きく貢献しました。
こうした活躍から鈴木隆行さんは2006年1月にセルビア・モンテネグロの名門クラブ・レッドスター・ベオグラードからオファーを受けて移籍しました。
1年間のプレーの後に、鈴木隆行さんは2007年1月19日に横浜F・マリノスへ完全移籍しました。
しかし、選手層の厚い横浜F・マリノスでは出場機会に恵まれず、鈴木隆行さんはベンチ入りさえできない不遇な時代を迎えました。
そして同年12月1日には横浜F・マリノスから戦力外通告を受けたため、東京ヴェルディが獲得に乗り出してオファーを出しましたが条件が良くなかったため鈴木隆行さんは固辞しました。
2008年2月にはアメリカのMLS(メジャーリーグサッカー・1部リーグ)所属のチーバスUSAからオファーを受けましたが、これも条件が折り合わず鈴木隆行さんは契約をせず、同年3月に米ユナイテッドサッカーリーグ(2部リーグ)所属のポートランド・ティンバーズに移籍しました。
鈴木隆行、水戸ホーリーホック入団と現役引退
地元茨城県の水戸ホーリーホックに移籍した鈴木隆行
鈴木隆行さんは2011年6月3日にJ2リーグ所属の地元チーム、水戸ホーリーホックへ移籍しました。
鈴木隆行さんが同チームへの入団を決めたのは同年3月11日に起きた東日本大震災で被災した地元の復興に貢献したいと考えたからで、自ら無報酬でアマチュアサッカー選手としての加入を希望しました。
この頃から鈴木隆行さんはただサッカーをするというだけでなく、人としての在り方について深く考えた上でサッカーをしていたことを語っています。
サッカーだけじゃなく人間的にも変わっていこうと強く思っていた時期だから。昔だったらサッカーだけをやっていればいいんだって思っていたけど、30歳をすぎたぐらいからそれじゃダメだと思って。それで終わってしまったらつまらない人生になってしまうかなと思って。自分の考え方をどんどん変えていこうと。例えばコミュニケーションをしっかり取るようにしようとか、他の選手に気を使ったりとかはどんどん変えていった。
そして、2012年からは水戸ホーリーホックとプロ契約を結びましたが、2014年シーズン終了後に戦力外通告を受けたことで退団し、2015年2月にジェフユナイテッド千葉に移籍しました。
しかし、出場試合は2試合のみで鈴木隆行さんはシーズン終了後に現役引退することを発表しました。
鈴木隆行さんはできる限りサッカーを続けたいと考えていましたが、2015年10月に新しいステップに進むことを望み現役引退を決めたそうです。
鈴木隆行さんは現役引退後は都内の少年サッカー団である清瀬VALIANTで監督として指導にあたり、2018年5月17日に日本代表チーム監督もできるJFA公認S級コーチを取得したことを発表しました。
鈴木隆行さんは今後Jリーグチームの監督や日本代表監督として就任する日が来るかもしれませんね。
鈴木隆行が結婚した嫁はモデルの橋本優子
鈴木隆行、2009年10月に橋本優子と結婚
鈴木隆行さんは2009年10月にモデルの橋本優子さんと結婚して話題になりました。
鈴木隆行さんと橋本優子さんが知り合ったきっかけは知人の紹介だったようで、鈴木隆行さんは元々橋本優子さんの大ファンで熱烈に求愛したようです。
橋本裕子さんは高校2年生の時、原宿でスカウトされ、その後はファッション雑誌『LUCi』の専属モデルとして活躍していました。
現在は、子育てをしながらモデル活動も継続しています。
鈴木隆行の子供は1男1女の2人
鈴木隆行、2010年2月に長女、2013年1月に長男が誕生
鈴木隆行さんと橋本優子さんは、2010年2月に第一子となる長女に恵まれ、2013年1月に第2子となる長男を出産していますが、名前は公表されていません。
鈴木隆行の長男
鈴木隆行の長女
鈴木隆行さんと橋本優子さんは美男美女夫婦としてユニクロのCMに出演したこともありました。
YouTubeより: ユニクロ 「フリースと今日も」
鈴木隆行の子供が天使すぎる
— UG (@soccerugfilez) 2018年1月13日
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像特集
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像①
日本代表選手はイケメンが少なくないですが、鈴木隆行さんはその中でも特にイケメンの部類でしょう。
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像②
鈴木隆行さんは金髪の髪型が多かったため現在の本田圭佑さんのような立ち位置でしょう。
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像③
鈴木隆行さんは昔の若い頃は”孤高の点取り屋”と言われていたことからも本田圭佑さんと重なります。
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像④
鈴木隆行さんは現役引退後に少年サッカーチームである清瀬VALIANTでコーチを始めましたが指導者になることは元々微塵も考えていなかったようです。
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像⑤
鈴木隆行さんは数多くの国とチームでプレーをする中で多くの人に触れて現役引退後はサッカーに関する仕事をしないともったいないと思い始めたようです。
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像⑥
鈴木隆行さんは最後に現役最後に所属していたジェフユナイテッド千葉にいた時からたまに子供たちにサッカーを教えていたようです。
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像⑦
鈴木隆行さんが少年サッカーチームから指導者のキャリアをスタートさせた理由は海外で多くの指導者と話をするうちに子供のコーチから始めた方がいいと言われたからのようです。
鈴木隆行の昔の若い頃のイケメン画像⑧
鈴木隆行さんによれば現在の子供は昔に比べてスキルの高い子が多いようで日本がサッカー強豪国になる日もそう遠くないのかもしれません。
鈴木隆行の現在~S級コーチライセンスを取得!
鈴木隆行、「ノーゴール師匠」のS級ライセンス取得に期待の声も!
引退後は清瀬VALIANTにて少年サッカーの指導や、テレビでサッカー解説の仕事をしていた鈴木隆行さんですが、2018年5月17日にJFA公認S級コーチのライセンスを取得しました。
理事会はJリーグの監督を務める資格となる公認S級コーチに元日本代表の鈴木隆行氏(41)を認定した。S級ライセンス保持者は465人となる。
このS級ライセンスは日本サッカー界で最高峰のライセンスで、Jリーグの監督をするためにはこのS級ライセンスが必須となっています。
この最難関のライセンス取得にネット上では期待の声も上がっています。
鈴木隆行師匠にS級ライセンス取得おめでとうございますとお伝えください https://t.co/JtVF9VX2Yr
— _(:3」∠)_@アスリートですから (@buenasuerte31) May 19, 2018
日曜はニッパツの試合後、鈴木隆行師匠のS級ライセンス取得祝いを盛大にする。本人はいません pic.twitter.com/yW4qgC7fJN
— _(:3」∠)_@アスリートですから (@buenasuerte31) May 18, 2018
鈴木隆行師匠は良い監督になりそうなんだよなあ。今年でS級ライセンス取れるらしいし、来年以降の動向が楽しみ。
— シュガー (@sub_3) January 19, 2018
鈴木隆行について総まとめすると…
・鈴木隆行はイケメンJリーガーとして女性から人気を博した。
・鈴木隆行は2009年10月にモデルの橋本優子さんと結婚した。
・鈴木隆行には1男1女の子供が2人いる。
鹿島アントラーズでプロサッカー選手となり、世界のクラブチームを渡り歩き日本代表選手も務めた鈴木隆行さんについて総まとめしてきました。
鈴木隆行さんと嫁の橋本優子さんの子供には長男がいますのでいつかプロサッカー選手になる日が来るかもしれません。
鈴木隆行さんは現役引退後はトップチームの監督もできるJFA公認S級コーチのライセンスを取得していますので、いつかはJリーグ、日本代表の監督になる日も来るかもしれません。
最も強い影響を受けた監督はフィリップ・トルシエ監督のようで、鈴木隆行さんは日本人の特徴を生かした攻撃的なスタイルの名監督になるでしょう。