笹井芳樹、更に小保方晴子という名前を聞けば誰でもすぐにSTAP細胞の話題が浮かぶでしょう。
今回は特に笹井芳樹さんにスポットを当て、死因から嫁や子供など家族、更に笹井芳樹さんの遺書の内容や小保方晴子さんへのメッセージの真意などに関して徹底的にまとめてみました。
この記事の目次
笹井芳樹プロフィール
名前:笹井 芳樹(ささい よしき)
生年月日:1962年3月5日
死没:2014年8月5日
出身:兵庫県
論文執筆の天才だった笹井芳樹
笹井芳樹さんは、日本の発生学者、医学者、京都大学再生医科学研究所教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター グループディレクター、同副センター長など様々な分野で活躍しました。
神経系の初期発生過程における遺伝子・細胞レベルの研究者として知られ、世界で初めてES細胞による網膜の分化誘導や立体的な網膜の生成に成功し、さらにES細胞から視床下部前駆細胞の分化誘導、脳下垂体の立体的な形成にも成功し、井上学術賞、山崎貞一賞、武田医学賞、上原賞などを受賞しています。
論文執筆の天才とも呼ばれ、センター全体の資金調達や神戸医療産業都市関連の事業でも活躍を見せ、文部科学省や科学技術振興機構の再生医療プロジェクトや委員会でも手腕を見せました。
2014年に発表・撤回されたSTAP論文により様々な責任が追及される中2014年8月5日首吊りによる自殺し、その死は国内外に衝撃を与えました。
京都大学医学部を卒業した笹井芳樹
1962年兵庫県に生まれ、愛知県立旭丘高等学校を卒業、親族の多くは医学方面に進んでいたこともあり、1980年には笹井芳樹さんも京都大学医学部へ進学します。大学では理学部教授であった岡田節人さんの講義を聞き、発生学にも興味を持ちました。
1982年から1986年にかけて、京都大学医化学第一講座で実験や研究の基礎を学び、1986年3月に京都大学医学部を卒業し、「一度医療を通して人間・生命の本質を感じる中で研究を選びたい」ということから同年6月より2年間の研修を受けます。
そして、「これからの医学に必要なことを肌で感じたい」という気持ちから、研修先は大学病院ではなく神戸市立中央市民病院を選びます。
神戸市立中央市民病院
笹井芳樹さんは研修を通して神経の難病に治療法や特効薬がないことを認識し、脳や神経系に興味を持ちます。臨床医としての研究に限界を感じたこともあり、基礎研究を志して1988年に京都大学大学院医学研究科へ入学し、中西重忠さんの元で研究に取り組み、複雑でありながら極めて精密に構築されている脳の不思議に魅了され、1993年に、京都大学博士を取得します。
・1986年3月 京都大学医学部卒業
・1986年6月 神戸市立中央市民病院研修医
・1988年4月 京都大学大学院医学研究科入学
・1992年4月 京都大学大学院医学研究科研修員
・1993年1月 京都大学博士を取得
・1993年3月 カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) 医学部客員研究員
・1996年6月 京都大学医学部助教授
・1998年5月 京都大学再生医科学研究所教授
・2000年5月 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター細胞分化・器官発生研究グループ ・グループディレクター兼任
・2003年7月 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター細胞分化・器官発生研究グループ ・グループディレクター専任
・2010年 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター器官発生研究グループ グループディレクター
・2013年4月 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 副センター長
笹井芳樹の家族情報!嫁や子供について
これまでの笹井芳樹さんの経歴などを見る限りは研究に人生を費やしてきた人だということがわかります。しかし、その中でしっかりと家族を作り、子供もいたようです。
しかし笹井芳樹さんの家族に関しては全くと言って良い程情報がありません。
そもそも笹井芳樹さん自身もここまで有名な存在になったとは言え、芸能人やタレントではなく一般人の方ですから、笹井芳樹さんの名前がここまで知れ渡ったことすらも意外なことです。
最近になって笹井芳樹さんの嫁がコメントをすることなどもある為、結婚しているというのは確実です。
理科学研究所で自殺した笹井芳樹~死因に不審な点の噂も
首吊り自殺をした笹井芳樹
笹井芳樹さんは2014年8月5日午前9時、神戸市中央区にある理化学研究所発生・再生科学総合研究センターと通路でつながった先端医療センターの研究棟の4階と5階の間にある踊り場で、手すりにくくりつけたひも状のもので首吊りになった状態で発見され、医師が死亡を確認しました。
半袖シャツにスラックス姿で、踊り場には革靴とカバンが置かれていました。
同日午前11時3分、警察に通報後に搬送された搬送先の神戸市立医療センター中央市民病院で正式に死亡が確認され、兵庫県警察は自殺とみており、秘書の机や現場、自宅に複数の遺書が残されていました。
笹井芳樹さんの訃報に際し、理化学研究所の野依良治理事長と竹市雅俊センター長がコメントを発表し、さらに閣僚や科学技術振興機構 も声明を出し、山中伸弥さんや若山照彦さんも哀悼の意を表しました。
この笹井芳樹さんの自殺は日本国外でも大きく報道され、「ネイチャー」は編集主幹が「悲劇」「科学者コミュニティーの多大な損失」と声明を発表するとともに、同誌のニュースブログでも取り上げられました。
笹井芳樹自殺の不審点
笹井芳樹さんの死因に関しては自殺と公表されていますが、その死因に関してはいくつかの不審点があり、今でも本当は自殺ではないのでは?という説が囁かれています。
まず一つ目の不審点は発見された笹井芳樹さんの状態です。公表されている情報では「階段の手すりにひも状のものをかけて首を吊っていた」と報道されましたが、笹井芳樹さんは人が立ち入る可能性のあるセンター研究棟の階段を大胆にも選んでいます。
首吊りは失敗の可能性もあるので、そのことからも人が多く通るところでの首吊りは誰かしらに止められ、死にきれない状態で終わってしまうこともあるのです。
二つ目の不審点は死因鑑定をしていないということです。日本の法律では病院で死亡した場合には「死因鑑定」をする必要がないことになっているのですが、最初の報道では「笹井芳樹さんは先端医療センター内で亡くなった」とされています。
つまり、この場合は死因鑑定をしなければいけません。
しかし、その後訂正され「先端医療センターで倒れているのが発見され、医療センター中央市民病院で亡くなった」と訂正されているのです。
つまりは病院で亡くなっているから死因鑑定をしなくても良いということになってしまっています。
三つ目の不審点は都市伝説の様に言われるSTAP細胞の闇です。
小保方晴子さんが在籍していたハーバード大学のスポンサーは、秘密結社イルミナティの最上位、33階級にまで登り詰めたといわれるデイビッド・ロックフェラーが運営するロックフェラー財団です。
STAP細胞が実用化されれば膨大な金となり、既存の医療利権に大ダメージを与えることが考えられます。
笹井芳樹さんの死が、小保方晴子さんにさらなる精神的な痛手を与え、また「STAP細胞から手を引け」という警告だったとしたら?と考えることも不自然なことではありません。
笹井芳樹が小保方晴子へ残した遺書とは?
計6通の遺書を遺した笹井芳樹
笹井芳樹さんが遺した遺書は現場に4通、家に2通の計6通で公開されている遺書は小保方晴子さん宛、妻宛、実兄宛の3通となっており、残りの遺書は人事課長・総務課長宛と他二通は宛先不明となっています。
家族に宛てた遺書には、今までありがとうという感謝のことばと、先立つことについて申し訳ないというおわびのことばが書かれていたそうです。
また、みずから命を絶ったことについて、「マスコミなどからの不当なバッシング、理研やラボへの責任から疲れ切ってしまった」ということが記されていました。
そして小保方晴子さんへの遺書には「あなたのせいではない」「必ずSTAP細胞の再現に成功してください」と記されていました。
理研元研究者・小保方晴子プロフィール
名前:小保方 晴子(おぼかた はるこ)
生年月日:1983年9月25日
小保方晴子の現在の画像!父・母・姉など家族や最新情報も総まとめ
ハーバード大学医学大学院客員研究員、理化学研究所発生・再生科学総合センター客員研究員、同・細胞リプログラミング研究ユニットリーダーとして、胞子様細胞・STAP細胞の研究に従事、2014年1月に筆頭著者として投稿した論文がネイチャー誌に掲載され、「リケジョの星」として注目を集めました。
しかし、自身の博士論文も含めて論文不正や研究実態の疑義が問題となり、STAP細胞の論文は撤回され、12月21日付で理化学研究所を退職しています。
大手メディアによる大々的な報道により小保方の研究者としての行く末や自身による検証実験の行方が大きな注目を集めますが、研究内容のほかに人物像や記者会見、実験ノートに関する報道も耳目が集まり、多くの批判意見や擁護意見も世間を騒がせたことでも有名です。
小保方晴子さんは幼い頃から研究者を志し、生命や再生医療に興味を持っていたそうで、2002年4月、AO入試の一種である「創成入試」で早稲田大学理工学部応用化学科に入学し、卒業研究では常田聡さんの元で微生物に関する研究に取り組み2006年3月に、早稲田大学理工学部応用化学科を卒業しています。
笹井芳樹の嫁が小保方晴子への遺書の真意を告白
笹井芳樹の妻が激白「小保方氏に真意伝わっていない」
笹井芳樹さんが小保方晴子さんに送った遺書をそのまま見ればSTAP細胞の成功を祈る様なメッセージに見えますが、その遺書の真意を笹井芳樹さんの嫁が告白しています。
「主人の遺書にあった“新しい人生を歩んで下さい”という言葉。あれは、“あなたには研究者の資質がないから辞めなさい”という意味なんです。実際、主人は何度も言っていました。“彼女は研究者には向いてない。辞めたほうがいい”って。これが、彼女を間近で見てきた主人が最後に下した結論だったのです」
確かに受け取り方によっては「新しい人生」というのは「違う道へ」という意味にも受け取れるように思います。しかし、笹井芳樹さんの嫁がこの様に言うのには他の裏づけもあります。
「じつは主人が、小保方さんについて『研究者には向いていない』と言っていたことがあったんです。でも、彼女にはこうして文章を書く才能があったということなんでしょう。私も、なんとか前を向いて生きていきたいと思います」
なんと笹井芳樹さんは小保方晴子さんを研究者に向いていないと言っていたそうです。これが事実であれば、遺書の「新しい道」というのは嫁が言う様な真意なのかもしれません。
更に様々な報道の中での笹井芳樹さんと小保方晴子さんの関係に関してもコメントしています。
「笹井が仕組んで小保方さんにわざわざ割烹着を着せた、という報道もありましたが、あれも違う。そもそも主人は、女の人の服装やファッションには、まったくセンスがない人なので、そんな知恵が働くわけがありません」
引用:≪単独インタビュー≫「笹井副センター長」未亡人が初めて語った!“主人は小保方さんについて「研究者に向いていない」と”
この嫁のコメントから、この事件に関して新しい議論が展開されそうです。
まとめ
・笹井芳樹の死因には不審な点も多く、人目につく階段を死に場所に選んでいる点や「死因鑑定」されていない点など他殺説も上がっている。
・笹井芳樹は小保方晴子をはじめ計6通の遺書を遺している。
・笹井芳樹には嫁と子供がいるが詳しい家族構成は不明である。
一時世間を騒がせたSTAP細胞ですが、笹井芳樹さんの死に関しては家族の為にもあまり騒がないのが懸命でしょう。
しかし、遺書の真意などに関しては驚かされる部分も多いです。笹井芳樹さんがなくなってしまった今となっては何が真実なのかは全てわからないままとなってしまいました。