日活ロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』で芸能界入りをした特殊な経歴を持つ女優の可愛かずみさん。
デビューから翻弄され、当時ヤクルト所属の川崎憲次郎選手との破局により自殺をしてしまいました。
可愛かずみさんの生前の活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
可愛かずみのプロフィール&生い立ち~女優としての活躍
芸能界に翻弄されて自殺した女優・可愛かずみ
女子高生時代にスカウトされて日活ロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』で芸能界入りをした異色の経歴を持つ可愛かずみさん。その後、ドラマ『トライアングル・ブルー(テレビ朝日系)』や『季節はずれの海岸物語(フジテレビ系)』で女優として活躍していました。
可愛かずみさんについて詳しいプロフィールはこちら。
本名: 久我 知子(くが ともこ)
生年月日: 1964年7月9日
没年月日: 1997年5月9日(32歳没)
出生地: 東京都杉並区
死没地: 東京都新宿区
身長: 161 cm
体重: 非公開
血液型: A型
職業: 女優、歌手、グラビアアイドル
ジャンル: 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間: 1982年 – 1997年
引用:Wikipedia – 可愛かずみ
1997年5月9日に当時ヤクルトスワローズに所属していた元プロ野球選手・川崎憲次郎さんのマンションから飛び降り自殺をして帰らぬ人となった可愛かずみさん。
その後、2014年4月11日に放送された番組『爆報THEフライデー(TBS系)』で可愛かずみ
さんの父親・竹三郎さんが出演し、死後17年間「遺書はない」と言われていた事実を覆す告白をしました。
可愛かずみさんの生前の活躍から自殺に至るまでの経緯について詳しく総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
#懐かしい事を言って下さい
— ヤスヤス (@teopepe) 2018年3月17日
大丸の屋上、毎週日曜に文化放送「サンデーミュージックスクェア」の公開録音やってた。
可愛かずみさん見たくて行った時の写真。
オスカルって誰だ?杏蔵? pic.twitter.com/7bAHviosyo
可愛かずみの生い立ち&経歴
可愛かずみは母親をほとんど知らずに育った
可愛かずみさんの両親は幼少期に離婚しており、1年ほど住んだ後に父親に引き取られました。2人姉妹で3歳年上の姉がいるようです。
可愛かずみさんは両親の離婚や父親の仕事の関係で子供時代は転校を繰り返していたようです。
しかし、可愛かずみさんは自らを「感化されやすい」と評しているように新しい環境に馴染むのが上手く、転校先でもすぐに友達はできていたようです。
可愛かずみさんは親しい友達ができると転校していたため父親に転校したくないと言っていたようですが、港区立三田中学校時代は3年間転校が無かったことから落ち着いて充実した生活を送れたようで「すごく暖かい生活だった」と語っています。
可愛かずみさんは中学校時代はバレーボール部に所属しており、高校名は不明ながら都内の女子高に進学したようです。
可愛かずみさんは小学校時代は転校が相次ぎ元気が無かったようですが、中学、高校時代と次第に生来の活発さを取り戻して明るい生活を送れていたようです。
高校時代にはレストランでアルバイトをしていたようで、母親とは幼少期の離婚以来生き別れていたことから3歳年上の姉が母親代わりだったことを可愛かずみさんは明かしているようです。
可愛かずみ、スカウトされて芸能界デビュー
高校時代にスカウトされた可愛かずみ
可愛かずみさんは元々芸能界には興味なかったそうですが、高校時代にスカウトされたことをきっかけにモデルクラブに所属しました。
可愛かずみさんは日活の宣伝用ポスターの仕事が入り引き受けましたが、後にヌードにならなければならない仕事だと聞かされて断ろうとしました。
しかし、オファーをした日活の担当者が酷く叱責されているのを目の当たりにした可愛かずみさんは同情心が沸いてしまい引き受けることにしました。
この時がそうだったかはわかりませんが、こうした叱責も女性に責任感や同情を買わせてアダルト業界に引きずり込む際にはよく使われる常套手段のようです。
可愛かずみさんの容姿に惹かれた映画監督の渡辺護さんがオファーを出し、1982年に日活ロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』で芸能界デビューを果たします。
同映画は濡れ場のあるアダルト向けであるため、可愛かずみさんはさすがに引き受けるか迷いが生じたようですが、事務所からは次の仕事につながるという説得を受けたため、可愛かずみさんは「際どいラブシーンはしない」という条件付きで出演をしました。
この時、”可愛かずみ”という芸名は渡辺護さんにより名付けられており、その理由は「可愛いから”可愛かずみ”にした」ということです。
可愛かずみさんが出演したポルノ映画はこの一本で最後でした。
グラビアアイドルとして人気を博した可愛かずみ
可愛かずみさんはその後、映画『夜をぶっとばせ』やシブがき隊が主演をした映画『ヘッドフォン・ララバイ』に出演すると、知名度の獲得とともにグラビアアイドルとして人気を得るようになりました。
しかし、可愛かずみさんの芸能界デビューが日活ロマンポルノ映画だったことから、世間では”ポルノ女優”というイメージが抜けずに蔑まれる風潮がありました。
可愛かずみさんもこうしたレッテル張りには長年苦しんでいたようで、グラビアアイドルとしての仕事も本意ではなかったようです。
そのため、可愛かずみさんは脱ぐ仕事から脱却を図るために、1983年11月にそれまで所属していた事務所・オフィス・アンからマーカスに移籍しています。
大衆向けの映画『ヘッドフォン・ララバイ』の出演が決まった際には嬉しさのあまり台本を抱いて寝たという可愛かずみさんですが、事務所を移籍したあたりからそれまで「ポルノ女優」とどこか見下していた友人たちからも応援されるようになり、可愛かずみさんは本格派女優を目指して頑張り始めました。
「春感ムスメ」でシングルデビュー
可愛かずみさんは『天使のデザート』『メディテーション』などのアルバムでアイドル歌手デビューを果たしましたが、レコーディングの際にスタッフから「歌手じゃないんだから鼻歌を歌うように軽く歌えばいい」と指示されて、いかにもアイドルらしい歌い方を強要されたようです。
これは歌手としても本格的に臨みたかった可愛かずみさんにとっては不本意な指示であり、後年に和田アキ子さんは当時の可愛かずみさんの歌唱力について「ボイストレーニングを受けているアイドルよりも上手かったし、本格的に歌のレッスンをすればプロ歌手としても通用する」と太鼓判を押していたようです。
可愛かずみさんは事務所に恵まれなかったということがよくわかるエピソードでしょう。
グラビアアイドルとして一世を風靡した可愛かずみさんの写真集の多くには自殺をしてしまったことからも現在までにプレミアがついており高値で取り引きされています。
特に「アイドル」「光の中の少女」んどの初期の写真集については生前から高い人気を誇っています。
世間のみならず可愛かずみさんのファンは芸能界にも多く、ダウンタウンの松本人志さんやとんねるずの石橋貴明さん、高嶋政宏さんなどが熱烈なファンだったことを公言しています。
可愛かずみさんは1980年代から多くのバラエティ番組にも出演するようになり、1983年頃には『オレたちひょうきん族(フジテレビ系)』内の人気コーナー「ひょうきんベストテン」で中森明菜さんのモノマネを披露していました。
可愛かずみさんはバラエティ番組に引っ張りだこになり、歌番組のアシスタントなども務めることで売れっ子タレントの仲間入りを果たしました。
ひょうきんベストテンの可愛かずみのとこ連続で見てた。かわいい。
— 白飯 (@mesi_kuuna) 2018年3月11日
演技派女優へと成長した可愛かずみ
女優としても大成した可愛かずみ
可愛かずみさんは1984年以降はそれまで持たれていた「ポルノ女優」のイメージを払拭し、演技派女優として知られるようになっていきます。
可愛かずみさんは1984~1986年に放送されていたドラマ『トライアングル・ブルー(テレビ朝日系)』に出演し、女優としての地位を確立していきます。
可愛かずみさんは1992年には日活80周年記念作品となる映画『女猫〜美しき復讐者〜』で主演に抜擢され、名実ともに演技派女優として認められるようになりました。
この時に可愛かずみさんは少女時代からの象徴だった八重歯を抜いて、大人の女性の印象を強めています。
可愛かずみちゃんホント好き。めっちゃ好き!!!
— じょーん・ゆか (@joan_yuka) 2017年12月16日
10代〜20代前半のあどけなさも、立派な女優さんになった大人なかずみちゃんも、全部全部好き👏名前通り超かわいい♡ pic.twitter.com/q54oQ8E43J
可愛かずみと川崎憲次郎の交際が発覚~破局原因とは
婚約までいった川崎憲次郎との出会いと破局
可愛かずみさんは1995年に当時ヤクルトスワローズに所属していた元プロ野球選手・川崎憲次郎との交際が発覚してしまいます。
川崎憲次郎さんは元々可愛かずみさんの大ファンであり、可愛かずみさんの方が6歳年上だったもののしばらく交際は順調で、川崎憲次郎さんはマスコミの取材に対しても交際を認めていました。
しかし、川崎憲次郎さんが故障した頃から可愛かずみさんはすれ違いを起こすようになり、結局「怪我の治療に専念する」という理由によりふたりは破局をしてしまいました。
この破局の翌々年に可愛かずみさんは自殺により命を絶ってしまいます。
可愛かずみの遺書と死因~川崎憲次郎と破局で自殺した
可愛かずみ、川崎憲次郎の自宅マンションから飛び降り自殺
可愛かずみは川崎憲次郎との破局により自殺した
辛い芸能生活の中でも希望の光となるはずだった川崎憲次郎さんとの結婚への道が絶たれ、可愛かずみさんは自殺により命を絶ってしまいます。
1995年には可愛かずみさんは彼氏だった川崎憲次郎さんとの結婚が現実的になりつつありましたが、川崎憲次郎さんの故障によりすれ違いを起こして破局してしまいました。
そして1996年には可愛かずみさんは志村けんさんとのツーショット写真を週刊誌に報じられてしまいますが、可愛かずみさんは芸能界での友人が非常に多く、その中で志村けんさんとも『志村けんのだいじょうぶだぁ』繋がりで親交が深く、親友の川上麻衣子さんと3人で飲んで酔っ払い、雑魚寝をするほど仲が良かったそうです。
川崎憲次郎さんとの破局に加えて志村けんさんに乗り換えたかのように報じられた可愛かずみさんはストレスが限界に達し、1996年12月から翌年1月にかけてリストカットの自殺未遂を繰り返していきます。
1997年5月9日の午前中に可愛かずみさんは3度目のリストカットによる自殺未遂をしましたが、病院で手当を受けて食事で出されたドリアも完食していたため周囲の人はひとまず安心していたようです。
しかし可愛かずみさんは午後6時30分頃に留守番をしていた女性に「咳が出るから病院に行く」とだけ言い残して家を後にし、午後7時10分頃に川崎憲次郎さんが住んでいた目黒区駒場にあるマンションの7階から飛び降り自殺を図り自ら命を絶ってしまいました。
救急車到着時にはすでに心肺停止状態だった
可愛かずみさんが飛び降り自殺を図った4分後に通行人によりマンション前に倒れているところを発見されて通報されましたが、救急車が到着した頃には可愛かずみさんはすでに心肺停止状態でした。
可愛かずみさんは新宿にある東京医科大学病院に救急搬送されましたが、午後7時59分に死亡が確認されました。
事件の検証によれば、可愛かずみさんは自宅を出て真っ直ぐに川崎憲次郎さんのマンションに向かったようで、最初から自殺するつもりだったということです。
始めは事故としても調査されていましたが、すぐに可愛かずみさんの死因は飛び降り自殺によるものだと断定されました。
マンション7階の可愛かずみさんが飛び降りたポイントには、揃えられた靴と免許証、現金10万円が入ったシャネルの財布などが置かれていたようです。
可愛かずみさんは一度2階にあるエントランスに落下したようで、エントランスには落下痕がついており、可愛かずみさんがかけていたと思われるサングラスが落ちていました。
マンション1階にはコンビニが入っており、自殺現場を目撃した店員によれば可愛かずみさんは白いストライプのシャツを着ていて、死に顔は自殺した人とは思えないほど安らかなものだったようです。
当時、可愛かずみさんの遺書は見つかっていないと報じられていましたが、2014年4月11日に父親の久我竹三郎さんに宛てたメモが残っていたことが本人により明かされました。
可愛かずみの父が遺書の存在を明らかに
可愛かずみの父親が明らかにした遺書
2014年4月11日に放送された番組『爆報THEフライデー』に、可愛かずみさんの父親である・久我竹三郎さんが出演し、当時遺されていた遺書の内容を公開しました。
可愛かずみさんの死後17年が経過して、当時親友だった川上麻衣子さんが同番組に出演して可愛かずみさんの父親である久我竹三郎さんと久しぶりに対面しました。
久我竹三郎さんは川上麻衣子さんに「実は私宛にメモがあったんです」と打ち明けると、当時の可愛かずみさんの状況や遺書について語り始めました。
可愛かずみさんは自殺する5年ほど前からうつ病に苦しんでおり、過呼吸のために処方された大量の精神安定剤や抗うつ剤を常用していたそうです。
川上麻衣子さんは可愛かずみさんと同じマンションに住んでいたものの、可愛かずみさんの重度の薬物依存を支えることができなくなり、他のマンションに移らざるを得なかったようです。
可愛かずみさんが父親に遺した遺書には「体調が悪いのでパパにメモを残します」と書かれており、その大半は親友である川上麻衣子さんに宛てた内容だったそうです。
遺書の内容は川上麻衣子さんと一緒にいれたことが何より楽しかったという、心の拠り所にしていたことが明らかにされており、メモの締めくくりには「パパ、麻衣ちゃんをよろしくね」と書かれていました。
可愛かずみさんの遺書の内容を知った川上麻衣子さんは号泣し、可愛かずみさんの想いを感じながら生きることを告げました。
そして、川上麻衣子さんは可愛かずみさんが自殺する前日に「麻衣ちゃん元気?忙しいの?」と留守電が入っていたことを始めて公に明かしました。
当時、可愛かずみさんの通夜に参列した川上麻衣子さんは、取材の報道陣に対して可愛かずみさんが何度も自殺未遂を繰り返していたこと、「自殺なんて嫌だよね」とこぼしていたことを打ち明けると泣き崩れていたようです。
可愛かずみが自殺した当時の状況
可愛かずみさんが自殺した後に、東京医科大学病院にある霊安室には川上麻衣子さんや岡本かおりさんをはじめとする多くの友人が駆けつけたそうです。
可愛かずみさんの通夜には渡辺美奈代さんや渡辺めぐみさんなど、他の多くの友達も参列し、もっと相談に乗っておけば良かった、頻繁に気持ちを確かめておけば良かったと口々に後悔の念を語っていたようです。
そして、可愛かずみさんの通夜には幼少期に離婚してから生き別れていた母親も参列し、亡くなってから始めての再会となりました。
可愛かずみさんの告別式には2年前に撮影された写真が使用されていたようです。
可愛かずみさんの父親である久我竹三郎さんは「人生で一番虚しい日」だと語り、事務所の社長は「可愛かずみは本人が思っているよりずっと多くの人に愛されていた」と語りました。
可愛かずみさんの告別式を放送した芸能レポーターが「もうそっとしてあげたいですね」と言っていたことからも、可愛かずみさんがどれだけ芸能界に翻弄されてきたがわかる言葉でしょう。
可愛かずみさんが亡くなった翌日、可愛かずみさんは都内で自動車販売会社を経営していた社長と婚約しており、2ヶ月後に結婚をする予定だったことが明らかになりました。
可愛かずみさんの誕生日である7月9日を入籍日とする予定でしたが、その年は仏滅だったため七夕の7月7日に入籍する予定だったそうです。
そして、可愛かずみさんの柩には、その結婚式で着る予定だったウェディングドレスがかけられていたということでした。
可愛かずみちゃんに会いたくて仕方ないので今年こそはお墓参りに行ってきます。
— じょーん・ゆか (@joan_yuka) 2018年3月2日
明日、麻布にある可愛かずみさんのお墓参りに行く。
— ポンポン@夢だけ見てる (@ponponshowa) 2018年2月14日
可愛かずみの昔のかわいい画像特集
可愛かずみの昔のかわいい画像①
可愛かずみさんの水着グラビアの写真集はどれもプレミアが付いているようですね。
可愛かずみの昔のかわいい画像②
可愛かずみさんは容姿以外にも性格がかわいいと言われていたようです。
可愛かずみの昔のかわいい画像③
可憐で儚い可愛さが可愛かずみさんの魅力でしょう。
可愛かずみの昔のかわいい画像④
元祖メガネっ子は時東ぁみさんですが、可愛かずみさんもメガネっ子の要素があったようです。
可愛かずみの昔のかわいい画像⑤
可愛かずみさんは32歳で亡くなりましたが最後までその可愛さが人気でした。
可愛かずみの昔のかわいい画像⑥
可愛かずみさんはまさに昭和の美少女といった感じですね。
可愛かずみの昔のかわいい画像⑦
可愛かずみさんは40、50代男性にとっては天使のような存在だったでしょう。
可愛かずみの昔のかわいい画像⑧
可愛かずみさんはかわいい容姿が逆に仇となってしまった悲しい例かもしれません。
めちゃめちゃかわいい可愛かずみの写真集(この↓ショート期のもの)も見っけたんですが、六千円もしたので断念しました‥ pic.twitter.com/IIG5Qig4jI
— 慊いのはKの例 (@pepepenoK) 2017年5月16日
女優・可愛かずみについて総まとめすると・・・
・女優の可愛かずみ父親・久我竹三郎氏が2014年4月、テレビ番組で可愛かずみの遺書の内容を公開。遺書の大半が親友だった女優・川上麻衣子に宛てたものだった。
「ポルノ女優」という本意ではない形で芸能界に入り、翻弄され続けた人気女優の可愛かずみさんについて総まとめしてきました。
可愛かずみさんはまさに芸能界の闇に飲まれてしまった不幸なケースだと思いますが、人一倍努力家で真面目だったことから自分を追い込んでしまったのでしょう。
可愛かずみさんのような不幸な人が出ないためにも、今後は芸能界の裏で暗躍しているやくざが一層されるといいですね。