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三木武夫の家系図と家族!嫁と子供や孫・自宅・死因や身長もまとめ

51年にわたり衆議院議員を務めた元内閣総理大臣の三木武夫さんの家族が話題です。

 

この記事では三木武夫さんの身長、家系図、大物政治家や実業家がずらりと並ぶ家族、嫁の睦子さんとの結婚と息子や娘ら子供達、孫の衆院選挙出馬、自宅の大豪邸の現在、死因などについてまとめました。

三木武夫のプロフィール

 

三木武夫のプロフィール

 

生年月日:1907年3月17日

没年月日:1988年11月14日(81歳没)

出身地 :徳島県板野郡御所村(現在の阿波市)

身長  :168cm

 

 

三木武夫(みき・たけお)さんは、1974年12月から1976年12月まで内閣総理大臣(第66代)を務めた人物です。

 

三木武夫さんは1937年に30歳で衆議院議員に初当選し、以降1988年に死去するまで19回連続当選し51年間にわたって衆議院議員を務め、首相になるまでに逓信大臣、運輸大臣、経済企画庁長官、科学技術庁長官、通商産業大臣、外務大臣、国務大臣、副総理、環境庁長官などを歴任した昭和の大物政治家でした。

 

三木武夫さんは50年以上にわたる議員在職中、一貫して金権政治の打破と政治浄化を訴え続け、利権や汚職にまみれた政治を批判しました。こうした清廉な姿勢は国民からの支持を集め、「クリーン三木」のニックネームで親しまれました。

 

2024年4月、三木武夫さんの孫の高橋永さんが、次期衆議院議員選挙に出馬する意向を固めた事が報じられ、これまでに多くの政治家を輩出している三木家の家系図も話題になっています。

 

 

三木武夫の身長

 

出典:https://static.amanaimages.com/

 

三木武夫さんの身長は「168cm」です。

 

一部ウェブサイト(大手メディアではなく個人ブログなど)では三木武夫さんの身長が160cmとされているものがありますが、川村学園女子大学教授の戸澤純子さんの研究論文「日本における総理大臣の身長と好ましさの関係」では、三木武夫さんの身長は「168cm」とされているため、こちらの数値の方が正確と思われます。

 

 

三木武夫の家系図

 

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三木武夫さんの家系図です。

 

上の家系図には記載しきれませんでしたが、三木武夫さんの父親は三木久吉という人物で、徳島県板野郡で肥料商を営んでいました。

 

三木武夫さんの嫁の三木睦子さんの家系が政治家の家系で多くの国会議員を輩出しています。

 

次の見出しから、上の家系図に記載した三木武夫さんの家族について順番に見ていきます。

 

 

三木武夫の家族① 嫁(妻)の三木睦子とは1940年に結婚

 

三木武夫の嫁・三木睦子のプロフィール

 

生年月日:1917年7月31日

没年月日:2012年7月31日(95歳没)

出身地 :千葉県勝浦市

 

三木武夫さんの嫁は三木睦子さんという方です。

 

三木武夫さんの嫁の三木睦子さんは、日本の15大財閥の1つに数えられた「森コンツェルン」の創始者で昭和電工の創業者である森矗昶(もり・のぶてる)の次女です。

 

三木武夫さんの嫁の三木睦子さんは、東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校)を卒業後、1940年23歳の時に三木武夫さんと結婚しました。結婚当時、三木武夫さんは33歳でした(当時はこの年齢差での結婚は別に珍しくはない)

 

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出典:https://upload.wikimedia.org/

 

三木武夫さんの嫁の三木睦子さんは、結婚後は政治家の妻としてその政治活動を支え、自身も社会活動家として幅広く活動しました。

 

三木武夫さんの死後、嫁の三木睦子さんはかなり左寄り(リベラル)のスタンスで活動するようになり、特に北朝鮮との関係改善の運動に熱心に取り組んで、1994年には訪朝して金日成主席(北朝鮮の先先代のトップ)と会見。金日成と最後に会った日本人だと言われています。

 

1995年には、元従軍慰安婦に見舞金を支給するための民間基金「女性のためのアジア平和国民基金」を呼びかけ人となり、2001年には北朝鮮政府から親善勲章第一級を授与されています。

 

その他、明治大学の顧問や三木武夫記念館の館長などを務め、憲法9条の改正阻止を掲げる「九条の会」と憲法9条を中心とする憲法の価値を伝え広めるため全国で講演する「憲法行脚の会」の呼びかけ人にも加わっています。

 

三木武夫さんの嫁の三木睦子さんは2012年7月に95歳で亡くなっています。

 

故三木武夫元首相の妻で、護憲運動などで積極的な発言を続けた三木睦子(みき・むつこ)さんが7月31日午後0時34分、大腸腫瘍のため東京都内の病院で死去した。95歳だった。

 

引用:(おくやみ)三木睦子さんが死去 故三木武夫元首相の妻、護憲運動

 

 

三木武夫の家族② 子供(娘)の高橋紀世子は元参議院議員

 

三木武夫の子供(娘)・高橋紀世子のプロフィール

 

生年月日:1942年6月22日

没年月日:2020年2月22日(77歳没)

出身地 :東京都

 

三木武夫さんと嫁の三木睦子さんの子供は娘が1人と息子が2人です。

 

三木武夫さんの娘は長女の高橋紀世子さんで、1998年から2004年まで参議院議員を務めました。

 

三木武夫さんの娘の高橋紀世子さんは立教大学文学部を卒業後、全国発明婦人協会理事やアメリカの大学理事などを歴任。1998年の第18回参議院議員選挙に、徳島県選挙区から無所属(野党統一候補)として立候補し当選しました。

 

しかし、参議院当選から半年後にくも膜下出血に倒れて長期入院しており、体調面に不安があったため、協力関係にあった民主党徳島県連からの推薦を得られず、2004年の第20回参議院議員選挙では立候補せず政界を引退しています。

 

高橋紀世子さんは結婚しており、子供が3人(息子2人に娘1人)いて、三木武夫さんの孫にあたります。息子は長男が三木立さん、次男が高橋永さん、娘は長女の麻さんです。

 

三木武夫さんの孫である長男の三木立さんと次男が高橋永さんについては後述します。(娘の麻さんは一般の方で情報なし)

 

 

三木武夫の家族③ 子供(息子)の三木啓史は東洋製罐の名誉会長

 

三木武夫の子供(息子)・三木啓史のプロフィール

 

生年月日:1944年6月3日

出身地 :東京都

 

三木武夫さんと嫁の三木睦子さんの2人の息子のうち、長男は三木啓史(みき・ひろふみ)さんです。

 

三木武夫さんの息子の三木啓史さんは1944年6月3日の生まれで、早稲田大学理工学部機械工学科を卒業後、1970年に大手金属製品メーカー「東洋製罐」に入社。

 

1983年6月に東洋製罐の取締役に就任し、1986年6月に常務取締役、1989年6月に専務取締役、1990年6月に代表取締役副社長、1992年6月に代表取締役社長、その後、2009年6月に会長に就任し、現在は第一線からは引退し名誉会長を務めています。

 

三木武夫の次男は三木格

 

三木武夫さんと嫁の三木睦子さんのもう1人の息子は次男の三木格さんで、1951年の生まれで、山一證券を経て、日本オプティマーク・システムズで取締役営業事業部長を務めた後、大興電子通信株式会社の取締役常務執行役員を務めました。

 

 

三木武夫の家族④ 孫の高橋永は元博報堂社員で次期衆院選出馬を表明

 

三木武夫の孫・高橋永のプロフィール

 

生年月日:1975年8月30日

出身地 :東京都渋谷区

 

三木武夫さんには少なくとも3人の孫がおり、いずれも娘の高橋紀世子さんの子供です。

 

三木武夫さんの孫のうち、高橋紀世子さんの息子(次男)の高橋永さんが、次期衆議院議員選挙に徳島1区から立候補する意向である事がわかり話題になっています。

 

三木武夫さんの孫の高橋永さんは立憲民主党の徳島県連と協議し、公認を受けるか無所属で支援を受けるかなど話し合いを進めているとの事です。

 

次期衆院選の徳島1区に、三木武夫元首相の孫で、高橋紀世子・元参院議員の次男の高橋永(えい)氏(48)が立候補する意向を固めたことがわかった。16日、朝日新聞の取材に応じた高橋氏は、立憲民主党の公認を求めて同党県連幹部と複数回協議をしていると語った。

 

引用:衆院選徳島1区に高橋永氏が立候補の意向 三木元首相の孫

 

三木武夫さんの孫の高橋永さんの経歴については、神戸大学を卒業後に大手広告代理店の「博報堂」に入社し2023年まで勤務されていたという事です。2022年4月からは会社の制度を使い、徳島県に移住して徳島大学で政治学を学ばれていたとの事です。

 

三木武夫さんは徳島県の出身で関係が深いため、徳島1区からの出馬に決められたのだと思われます。

 

 

三木武夫の家族⑤ もう1人の孫の三木立氏は徳島の伝統工芸・藍染め作家

 

三木武夫さんの孫のうち、娘の高橋紀世子さんの次男の三木立さんは、徳島県阿波市で伝統工芸の藍染めの作家をされています。

 

三木武夫さんの孫の三木立さんは、祖母にあたる三木睦子さんと養子縁組して三木姓になっています。これは、三木武夫さんの政治での男子の後継者がいない事を憂いた三木睦子さんが望まれたためだったようです。

 

そんな経緯もあり三木武夫さんの孫の三木立さんは1996年の衆議院議員選挙に東京7区から民主党公認で出馬しましたが落選しています。

 

その後、三木武夫さんの孫の三木立さんは「自分に向いた生き方をしたい」として、徳島の伝統工芸である藍染めの作家になりました。

 

 

三木武夫の家族⑥ 岳父は森コンツェルン創始者の森矗昶

 

三木武夫の岳父・森矗昶のプロフィール

 

生年月日:1884年10月21日

没年月日:1941年3月1日(56歳没)

出身地 :千葉県勝浦市

 

三木武夫さんの嫁である三木睦子さんの父親、つまり、三木武夫さんの岳父にあたるのが森矗昶(もり・のぶてる)という人物です。

 

三木武夫さんの岳父の森矗昶さんは、千葉県夷隅郡守谷村(現在の勝浦市)の漁業を営む家の生まれで、高津高等小学校を卒業後に父親のヨード製造事業を手伝い始めました。

 

その後、森矗昶さんは勝浦の池平粗製沃度工場で見習い工として修行し、1900年からは父親のヨード工場を任され、日露戦争での需要増加もあって順調に事業を拡大します。

 

1905年3月に豪農の娘の山口いぬさんと結婚し、三木武夫さんの嫁である三木睦子さんを含めて、6人の息子と3人の娘、合計9人の子供が生まれています。

 

森矗昶さんは、1922年に森興業株式会社を設立し、1926年に日本沃度株式会社(後の日本電気工業)、1928年に昭和肥料、1939年に昭和電工などを設立。20数社にまたがる「森コンツェルン」を形成し、日本初となるアルミニウムの国産化にも成功しています。

 

森矗昶さんは、実業家として辣腕を振るう一方で国政にも参画し1924年から1932年まで衆議院議員を3期にわたって務めています。

 

その後、森矗昶さんは、1940年後半から体調を崩し、1941年3月1日に56歳で自宅にて死去しています。

 

 

三木武夫の家族⑦ 元昭和電工社長、元衆議院議員の森曉は義兄

 

三木武夫の義兄・森曉のプロフィール

 

生年月日:1907年6月19日

没年月日:1982年2月12日(74歳没)

出身地 :千葉県勝浦市

 

三木武夫さんの岳父である森矗昶さんの長男で、嫁の三木睦子さんの兄にあたるのが、森曉(もり・さとる)という人物で、三木武夫さんにとって義兄にあたります。

 

三木武夫さんの義兄である森曉さんは、東京府立第五中学校、成城高等学校、京都帝国大学文学部卒業という当時としてはエリートコースをたどり、父親の森矗昶さんが創立した昭和電工の社長や千葉工業大学の理事長などを務めました。

 

森曉さんは、1946年に千葉県(旧千葉3区)から第22回衆議院議員選挙に立候補して当選し、日本自由党と民主自由党に所属して1952年まで2期にわたって衆議院議員を務めました。

 

その後、経営に専念するため政治家としての地盤は実弟の森清さんに譲って政界を引退し、日本冶金工業社長(父親の森矗昶が創立)、ナスステンレス社長、日本精線社長を歴任し、1965年には国家より功績を認められ藍綬褒章を授与されています。

 

森曉さんは、1982年2月12日に74歳で死去しています。

 

 

三木武夫の家族⑧ 元衆議院議員で総理府総務長官を務めた森清は義弟

 

三木武夫の義弟・森清のプロフィール

 

生年月日:1915年10月8日

没年月日:1968年6月9日(52歳没)

出身地 :千葉県勝浦市

 

三木武夫さんの岳父の森矗昶さんの四男で、嫁の三木睦子さんにとっては弟にあたるのが森清という人物です。三木武夫さんにとっては義弟にあたります。

 

三木武夫さんの義弟である森清さんは、京都帝国大学理学部地質鉱物学科を卒業後、満洲鉱業開発を経て、日本冶金工業の取締役として社長を務めていた兄の森曉さんを補佐し、父親の森矗昶さんが創立した昭和火薬の社長も務めました。

 

1952年には、兄の森曉さんの地盤を引き継いで第25回衆議院議員総選挙に旧千葉3区から出馬して当選し、以降、1968年まで7期にわたって衆議院議員を務めました。この間、自民党の前身である自由党を経て自民党に所属し、行政管理、通産各政務次官を経て1966年の第1次佐藤再改造内閣では総理府総務長官として初入閣も果たしています。

 

自民党副幹事長、全国組織委員長も歴任するなど、当時の自民党内の有力政治家の1人で、自民党河野派に属すも1965年に河野一郎さんが死去すると派閥の運営方針をめぐり中曽根康弘さんらと対立して派閥を分裂させ自身の派閥森派を形成しました。

 

自民党の有力政治家として君臨した三木武夫さんの義弟・森清さんでしたが、衆議院在職中の1968年6月9日に52歳の若さで自宅にて急死しています。死因は腎性高血圧症で加療中だった所に、尿毒症を併発した事だと発表されています。

 

 

三木武夫の家族⑨ 元衆議院議員で環境庁長官の森美秀は義弟

 

三木武夫の義弟・森美秀のプロフィール

 

生年月日:1919年8月8日

没年月日:1988年5月15日(68歳没)

出身地 :千葉県勝浦市

 

 

三木武夫さんの岳父にあたる森矗昶さんの五男で、嫁の三木睦子さんの実弟にあたるのが森美秀(もり・よしひで)という人物です。三木武夫さんにとっては義弟という事になります。

 

三木武夫さんの義弟の森美秀さんは、玉川学園の玉川塾(専門部)を卒業後、父親の森矗昶さんの創立した日本冶金工業に入社し、その後、実業家として東亜精機代表取締役、苫小牧ファーム社長などを歴任。1949年の東京青年商工会議所(現在の東京青年会議所)の発足にも加わっています。

 

1968年に衆議院議員だった兄・森清さんが急死したため、その政治地盤を引き継ぐことになり、1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧千葉3区より出馬して当選を果たしています。

 

三木武夫さんの義弟の森美秀さんはその後、1988年まで7期にわたって衆議院議員を務め、自民党園田直派、義兄の三木武夫派(河本敏夫派)に所属して、衆議院大蔵委員長、自民党国会対策副委員長、副幹事長、大蔵政務次官、経済企画政務次官などを歴任し、1985年の第2次中曽根内閣第2次改造内閣にて環境庁長官に任命され初入閣を果たしています。

 

その後、衆議院議員在職中だった1988年5月15日に68歳で死去しています。

 

 

三木武夫の家族⑩ 衆議院議員で元法務大臣の森英介は義甥

 

三木武夫の義甥・森英介のプロフィール

 

生年月日:1948年8月31日

出身地 :東京都千代田区

身長  :178cm

血液型 :B型

 

 

三木武夫さんの義弟にあたる森美秀さんの長男は、現在、自民党所属の衆議院議員を務める森英介さんで、三木武夫さんにとっては義甥にあたります。

 

三木武夫さんの義甥である森英介さんは元々技術畑の人間で、東京学芸大学附属高校を経て東北大学工学部金属加工学科を卒業し川崎重工業に入社。川崎重工在籍時の原子力プラントの研究成果により、1984年に名古屋大学から工学博士号を授与されています。

 

1988年、父親の森美秀さんが衆議院議員在職中に死去したため、その地盤を引き継いで、1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧千葉3区から出馬して当選し、2024年現在まで11期にわたって衆議院議員を務められています。

 

これまでに、労働政務次官(1994年、村山内閣)、厚生労働副大臣(2003年〜2004年、第1次小泉再改造内閣〜第2次小泉内閣)、自民党電源立地及び原子力等調査会会長(2007年)などを歴任し、2008年発足の麻生内閣にて法務大臣に任命され初入閣を果たしています。

 

その後も自民党の重鎮の1人として、自民党行政改革推進本部長(2011年)、自民党憲法改正推進本部長(2015年)、衆議院憲法審査会会長(2016年)、衆議院国家基本政策委員長(2019年)、衆議院政治倫理審査会会長(2020年)など、要職を務められています。

 

 

三木武夫の家族⑪ 元衆議院議員の松崎哲久は義甥

 

三木武夫の義甥・松崎哲久のプロフィール

 

生年月日:1950年4月14日

出身地 :東京都

 

2003年から2005年、2009年から2012年の2期、衆議院議員を務めた松崎哲久さんの母親は、三木武夫さんの岳父である森矗昶さんの三女にあたる松崎三重子さんです。松崎三重子さんは、三木武夫さんの嫁の三木睦子さんの妹にあたるため、松崎哲久さんは三木武夫さんの義甥にあたります。

 

三木武夫さんの義甥にあたる松崎哲久さんは、森矗昶さんが創立した日本冶金工業の常務取締役だった松崎正臣さんを父に持ち、東京都立日比谷高校、東京大学法学部、アメリカハーバード大学大学院修士課程修了という抜群の学歴を持ちます。在米中はハーバード大学日本研究所研究員も務められていました。

 

政治家としては、2003年の第43回衆議院議員総選挙に民主党から出馬して比例北関東ブロックで当選するも2005年の第44回衆議院議員総選挙で落選。

 

続く2009年の第45回衆議院議員総選挙では埼玉10区から出馬して当選するも、2012年の消費増税江尾めぐる政局にて、当時の野田内閣による消費増税法案に反対し、民主党に離党届を提出。民主党はこれを受理せずに松崎哲久さんを除籍処分としました。

 

その後、松崎哲久さんは政党「国民の生活が第一」の結党に加わり、日本未来の党に合流し、2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に埼玉10区から重複立候補するも落選し比例復活もなりませんでした。その後、2014年12月の第47回衆議院議員総選挙に生活の党(日本未来の党から名称変更)の比例北関東ブロックから立候補するも落選しています。

 

その後は自由党(「生活の党と山本太郎となかまたち」から政党名変更)の埼玉県責任者、衆議院北関東ブロック比例区第1総支部長、埼玉県総支部連合会代表などを務めましたが、現在は政治の世界からは姿を消しています。

 

 

三木武夫の自宅は東京都渋谷区の高級住宅街に建つ豪邸だったが現在は更地

 

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出典:https://presidenthouse.net/

 

三木武夫さんの自宅は「東京都渋谷区南平台町18-20」にある豪邸です。

 

三木武夫さんの自宅豪邸のある渋谷区南平台町は東京都内でも高級住宅地として知られています。

 

三木武夫さんが亡くなった後、この自宅は嫁の三木睦子さんら家族によって管理され、2012年までは自宅2階を「三木武夫記念館」として公開されていました。

 

東京・渋谷駅の喧騒を抜け、道玄坂を上ってゆくと、一転して閑静な街並みが現れる。かつては、有名政治家や映画監督が居を構えた渋谷区の南平台町は、日本屈指の高級住宅街だ。なかでも三木武夫元首相の邸宅はひときわ大きく、2階を「三木武夫記念館」として2012年まで元首相の書や絵画が展示されていた。

 

引用:渋谷の超高級住宅街の「400坪大豪邸」 三木元首相の邸宅を買い取った積水ハウスは何を建てるのか

 

2012年に嫁の三木睦子さんが亡くなった後は、この自宅豪邸は子供や孫らに相続されていましたが、2024年1月に積水ハウスが買い取って所有権が移っています。

 

「週刊新潮」(2024年5月23日号) で、三木武夫さんの孫である高橋永さんがこの自宅売却について取材に答えています。それによると、この自宅売却は三木武夫さんの家族や関係者が検討して決定した事のようです。

 

元首相の孫にあたり、所有者の一人でもあった高橋永氏(立憲民主党から衆院選に立候補予定)に聞くと、

「三木武夫記念館の売却は、三木武夫を最もよく知る、私の母の世代の共有者が中心となって、長い時間をかけて検討し決定したものです」

 

引用:渋谷の超高級住宅街の「400坪大豪邸」 三木元首相の邸宅を買い取った積水ハウスは何を建てるのか

 

コストをかけて保存しておくよりは売却しようという判断をされたのでしょう。

 

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出典:https://www.dailyshincho.com/

 

積水ハウスはこの場所に共同住宅を建てる事を発表しており、2024年現在はすでに三木武夫さんの自宅豪邸は取り壊されて更地にされています。

 

 

三木武夫の死因はすい臓出血による心不全

 

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出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/

 

三木武夫さんの死因は「すい臓からの出血が原因の急性心不全」と発表されています。

 

三木武夫さんは、死去の2年前の1985年6月に脳内出血で倒れ、国立医療センターに緊急入院しました。それから1ヶ月後の1985年7月の第38回衆議院議員総選挙には体調不良をおして出馬して19回目の当選を果たしましたが、体調は回復せずに入院生活が続きました。

 

1987年10月には国立医療センターから三井記念病院へ転院し、その年にすい臓がんが見つかっていますが、年齢や全身の状態から手術は不可能と判断されています。それから1年後の1988年9月には肝臓にも影響が出るようになり、同年11月14日に議員在職のまま81歳で亡くなりました。

 

三木武夫さんの葬儀は1985年12月6日に衆議院と内閣の合同葬儀として日本武道館で営まれました。葬儀には当時の竹下登首相や社会党委員長(当時)の土井たか子さんら各界から約7300人が参列しました。

 

12月25日には、出身地の徳島県で県民葬も営まれました。

 

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出典:https://upload.wikimedia.org/

 

三木武夫さんのお墓は出身地である徳島県阿波市の神宮寺です。

 

 

まとめ 

 

今回は、1937年から1988年に81歳で死去するまで50年以上にわたって衆議院議員を務め、内閣総理大臣も務めた昭和の大物政治家・三木武夫さんについてまとめてみました。

 

三木武夫さんの身長は「168cm」で当時の日本人男性としては平均よりも少し高いくらいでした。

 

三木武夫さんの嫁の三木睦子さんの家系は多くの政治家を輩出しており家系図も話題になっています。

 

三木武夫さんの家族は、1940年に結婚した嫁の三木睦子さんと子供が3人です。

 

三木武夫さんの子供は息子2人と娘1人で、長女の高橋紀世子さんは元参議院議員で、息子のうち長男の三木啓史さんは実業家で現在は東洋製罐の名誉会長を務めています。次男の三木格さんは、大興電子通信株式会社の取締役常務執行役員を務められていた方です。

 

娘の高橋紀世子さんには3人の子供がおり、三木武夫さんの孫にあたります。

 

三木武夫さんの孫のうち、高橋紀世子さんの次男の高橋永さんが次期衆議院議員選挙に徳島1区から立候補する意向を示し話題となっています。もう1人の孫である三木立さんは、1996年の衆議院議員選挙に東京7区から立候補したものの落選し、その後は徳島県阿波市で伝統工芸の藍染めの作家として活動されています。

 

また、三木武夫さんの家族としては嫁の三木睦子さん側の一族が政治家家系で、岳父にの森矗昶さんは「森コンツェルン」を創業した実業家で戦前に衆議院議員を3期務めました。

 

義兄の森曉さんも衆議院議員を2期務め、その地盤を引き継いだ義弟の森清さんも衆議院議員を7期務め総理府総務長官も務めています。さらにその弟にあたる森美秀さんも兄たちの地盤を引き継ぎ、衆議院議員を7期務めて環境庁長官も務めました。

 

その他、義甥にあたる森英介さんは現職の衆議院議員で、現在も自民党の重鎮の1人として活躍されています。

 

三木武夫さんの自宅は東京都渋谷区南平台町にあった400坪の豪邸でしたが、現在は所有権が積水ハウスに移り、自宅のあった場所は更地にされているようです。

 

三木武夫さんの死因は「すい臓からの出血が原因の急性心不全」と発表されています。

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