「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格である横山裕史(宮野裕史)の現在への関心が高まっています。
この記事では横山裕史の女子高生コンクリート事件を起こすまでの生い立ち、両親や妹などの家族、飯島愛さんと同棲していたという噂、現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 横山裕史は女子高生コンクリート殺人事件の主犯格
- 横山裕史の生い立ち① 1970年4月30日に東京都葛飾区で長男として誕生
- 横山裕史の生い立ち② 小5でパンチパーマで木刀を持って学校に殴り込み
- 横山裕史の生い立ち③ 中学では一時的に更生し柔道で都大会2位
- 横山裕史の生い立ち④ 高校柔道部で先輩と顧問から体罰を受け再び不良化
- 横山裕史の生い立ち⑤ 高校を中退後は暴走族で犯罪を繰り返し保護観察に
- 横山裕史の生い立ち⑥ 同棲相手との結婚を目指してタイル工として働く
- 横山裕史の生い立ち⑦ 暴力団員のパシリになり銀座の生花店などでバイト
- 横山裕史の生い立ち⑧ 女子高生コンクリート殺人事件を起こす
- 横山裕史の家族① 父親の宮野良規は証券外務員で外に愛人がいた
- 横山裕史の家族② 母親の宮野静江はピアノ教室講師で息子への体罰も
- 横山裕史の家族③ 女子高生コンクリート殺人事件当時中学生だった妹
- 横山裕史が飯島愛と同棲していたという噂も
- 横山裕史の現在① 出所後はマルチ商法で儲けて羽振りが良かった
- 横山裕史の現在② 2013年に振り込め詐欺で逮捕されその後の消息は不明
- 横山裕史の現在③ 出回っている現在の画像は別人のもので誤情報
- まとめ
横山裕史は女子高生コンクリート殺人事件の主犯格
横山裕史(よこやま・ひろふみ)は、1988年11月から1989年1月にかけて発生した「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格です。
犯行当時18歳の少年だった横山裕史は、仲間の少年ら(逮捕されたのは横山裕史を含めて4人だが、100人近い少年少女が事件に関わったとも言われている)と、当時18歳の高校生だった古田順子さんを、東京都足立区綾瀬の住宅の一室に監禁し、約40日間にわたって口舌し難い暴行や強姦を加え続けて死亡させました。
さらに、事件発覚を恐れた横山裕史とその仲間らは、古田順子さんの遺体をドラム缶に入れてその上からコンクリートを流し込み、それを東京都江東区若洲の埋め立て地に遺棄しました。
その後、横山裕史と共犯者の小倉譲(現在は神作に改姓して神作譲、当時17歳)が、別の婦女暴行事件2件と20件にも及ぶひったくり事件で逮捕されます。
その取り調べの中で、横山裕史は「女子高生コンクリート殺人事件」を供述(取り調べていた刑事がカマをかけたところ、事件がバレていると勘違いし自供)し、供述通りの場所から古田順子さんの遺体が発見された事で事件が明るみに出ました。
発見された古田順子さんの遺体の凄惨な状況と、取り調べと裁判によって明らかになった事件のあまりにも非道な内容、そしてそれを行った犯人が10代の少年達だった事は社会を震撼させました。
ここでは、女子高生コンクリート殺人事件の主犯格である横山裕史の生い立ちと家族、出所後の現在を中心にまとめていきます。
横山裕史は改名後の名前で女子高生コンクリート殺人事件当時の名前は宮野裕史
横山裕史は「女子高生コンクリート殺人事件」を起こした当時は「宮野裕史」という名前でした。出所後に関西地方の保護司と養子縁組をして宮野から横山に苗字を変えています。
この記事では、現在の名前とされている横山裕史に統一しています。
横山裕史の生い立ち① 1970年4月30日に東京都葛飾区で長男として誕生
横山裕史は、1970年4月30日に東京都葛飾区内で長男として生まれ、両親と妹(女子高生コンクリート殺人事件当時中学生)の4人家族で育っています。
父親は証券会社に務める会社員、母親はピアノ教室講師と共働きで、家庭は裕福でしたが両親の仲は冷えており、親子関係も健全とは言えず円満ではありませんでした。
横山裕史の生い立ち② 小5でパンチパーマで木刀を持って学校に殴り込み
横山裕史は、足立区立綾瀬小学校に通っていましたが、この頃からすでに素行の悪さが見られたようです。
当時の横山裕史は明るい性格で話が面白いという同級生からの評価もあったようですが、「悪い事はかっこいい」という曲がった価値観を持ち、小学5年生の時には髪型をパンチパーマにし、窃盗や喧嘩を日常的に行い、ヌンチャクや木刀などで武装して小学校に殴り込みをかけるような悪童でした。
ただ、6年生の時にできた勉強好きの友人に影響されて一時的に非行をやめ、小学校の卒業文集に以下の内容を書いています。
「少年院の院長になりたい。オレ、悪いことをいっぱいした。万引き、ケンカ、たいがいのことはやった。だから悪いことをやった奴の気持ちがわかる。オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる。オレに向いてるのはそういう仕事だと思う」
横山裕史の生い立ち③ 中学では一時的に更生し柔道で都大会2位
横山裕史は、足立区立綾瀬小学校を卒業後足立区立東綾瀬中学校へと進学しています。
一時的に更生していた横山裕史は中学では柔道部に所属して練習に打ち込んでいます。160cmの小柄な体格ながら軽量級の選手として活躍し、中学3年生の時には都大会2位という成績を残しました。
なお、「女子高生コンクリート殺人事件」の共犯である、小倉譲(この男も改名し現在は神作譲を名乗る。事件当時17歳)、湊伸治(事件当時16歳)、渡邊泰史(事件当時17歳)の3人は、この中学時代の後輩でした。
横山裕史の生い立ち④ 高校柔道部で先輩と顧問から体罰を受け再び不良化
中学時代に柔道で実績を残した横山裕史は、柔道のスポーツ推薦を受けて、1986年4月に東海大学附属高輪台高校へと進学しています。
横山裕史は高校でも柔道に打ち込み、1年生の時から先輩にも引けを取らない実力を見せて顧問からも期待をかけられましたが、それに嫉妬した先輩部員からの陰湿ないじめを受けるようになります。
横山裕史が先輩部員から受けたいじめは、何度も執拗に投げ飛ばされ、絞め技で失神させられる、ライターの火に可燃性の殺虫スプレーを吹き付けた炎を浴びせられるといった度を越したもので、横山裕史は次第に柔道にも集中できなくなっていったようです。
大会で結果を残せなくなった横山裕史は、顧問にも叱責されて体罰を受けるようになり、憂さ晴らしに街へ出て手当たり次第に喧嘩をふっかけて暴れるようになり、家でも暴れて物を壊したり、母親に暴力を振るって肋骨を骨折させる怪我を負わせたりするようになります。
そして、それから間も無く1年生の3学期で高校を中退してしまいました。
横山裕史の生い立ち⑤ 高校を中退後は暴走族で犯罪を繰り返し保護観察に
東海大学附属高輪台高校を中退した横山裕史は、自宅近くの足立区内のタイル工場「有限会社中村タイル」でタイル工見習いとして働き始めています。
ただ、同時期に地元の暴走族に入って暴走行為に参加して犯罪行為にも手を染めるようになり、1987年6月17日に建造物侵入、同年8月23日に傷害事件を起こし保護観察処分を受けています。
横山裕史の生い立ち⑥ 同棲相手との結婚を目指してタイル工として働く
上でも触れたように、横山裕史は高校中退後は足立区内のタイル工場「有限会社中村タイル」で働いていました。
当時の横山裕史は、暴走族に所属して犯罪行為をして保護観察を受けるなど非行少年ではあったものの、その一方で同棲していた交際相手(中学時代からの同級生で、女子高生コンクリート殺人事件共犯者の渡邊泰史の姉)と18歳で結婚するのを目標にして、1987年3月上旬から1988年8月下旬まで約1年半タイル工として真面目に働き200万円を貯めています。
ところが、横山裕史はタイル工の給料の安さに不満を漏らすようになって次第に仕事を怠けるようになります。
そして、運転免許証を取得するために通っていた自動車学校の合宿で知り合った暴力団関係者の紹介により、極東組関口一家桜誠会幹部の豊田倖一の使い走りとして働くようになり、そのままタイル工を辞めてしまいます。
横山裕史の生い立ち⑦ 暴力団員のパシリになり銀座の生花店などでバイト
1988年8月下旬、タイル工を辞めて極東組関口一家桜誠会幹部の豊田倖一の使いパシリになった横山裕史は、豊田が銀座で経営していた生花店「フラワーフレンド」でアルバイトとして勤務しています。これは、スナックなどの水商売のお店に植物やお花を届ける仕事でした。
この生花店では、女子高生コンクリート殺人事件の共犯者である小倉譲(神作譲)も一緒にアルバイトをしていました。
横山裕史はその他にも、的屋(縁日や盛り場などでの露天商)、偽ブランド品の販売、、暴力団事務所の当番などの仕事をして暴力団と関わりを持つようになります。
そして、1988年12月11日頃に、この豊田倖一に勧められる形で、極東組の下部組織(青年部)という名目で「極青会」というグループを組織し自身が会長を名乗り、後に女子高生コンクリート殺人事件の共犯者となる小倉譲(神作譲)を事務局長に据え、湊伸治や渡邊泰史ら中学時代の後輩達の多くもこの極青会の構成員に組み入れていました。
ただ、当時は横山裕史も内心で暴力団組織とは距離を置きたいという気持ちがあったようです。しかし、辞めると言えるような雰囲気ではなく、この頃に横山裕史は現実逃避をするためにシンナーを吸引するようになり、シンナーを吸っている時しか楽しいと感じないような生活を送っています。
また、仲間らと街で見ず知らずの女性を襲って強姦するなどの性犯罪まで起こすようになり、同棲していた交際相手にも愛想を尽かされて破局しています。
横山裕史の生い立ち⑧ 女子高生コンクリート殺人事件を起こす
暴力団と関わるようになった横山裕史の生活はさらに荒れ果て、そして日常的に犯罪行為も繰り返すようになります。
1988年10月頃から横山裕史は、極青会にも入れていた中学時代の後輩の湊伸治の両親が共働きで不在がちである事に乗じて、その自宅2階の湊伸治の部屋を溜まり場にして仲間らと入り浸るようになりました。
共働きだった湊伸治の両親が不在がちである事に乗じて、足立区綾瀬7丁目8-6にあった湊伸治の実家2階、湊伸治の自室をたまり場にして入り浸るようになります。横山裕史や仲間らは、玄関は使わずに電柱や脚立を使って部屋の窓から出入りをしていました。
この湊伸治の部屋を拠点にし、横山裕史は、小倉譲、湊伸治、渡邊泰史ら仲間らと街で、女性を狙ったひったくりや車を使った強姦などを繰り返すようになりました。
そして、1988年11月25日、横山裕史と湊伸治はアルバイト先から帰宅途中だった当時18歳の高校生・古田順子さんを脅してラブホテルに連れ込んで強姦した上、小倉譲や渡邊泰史らも加わり、湊伸治の自室に連れ込んで監禁。
横山裕史らは、古田順子さんに対して激しい暴行や強姦を連日繰り返し、1989年1月4日までに外傷性ショックによって死亡させました。
横山裕史ら4人は、事件の発覚を恐れて古田順子さんの遺体をドラム缶に入れてコンクリートを流し込み、それをトラックで東京都江東区若洲の埋立地へと運んで遺棄しました。
そしてその後、横山裕史は別の女性への婦女暴行事件2件と、ひったくり事件20件の容疑で逮捕されました。そしてその取調べを受けた際に、担当刑事がカマをかけて言った「人を殺したらダメじゃないか」という言葉に、古田順子さん殺害がバレていると勘違いした横山裕史は犯行を自供。
半信半疑で捜査員が供述の場所調べたところ、コンクリート詰にされた古田順子さんの遺体が見つかり、「女子高生コンクリート殺人事件」が発覚ました。
以上が、横山裕史の女子高生コンクリート殺人事件を起こすまでの大まかな生い立ちです。
横山裕史の家族① 父親の宮野良規は証券外務員で外に愛人がいた
続けて、横山裕史の家族についても見ていきます。
横山裕史の父親は宮野良規という人物で、女子高生コンクリート殺人事件当時47歳でした。
横山裕史の父親の宮野良規は、証券会社勤務の会社員で証券マンを経て証券外務員として働いていました。
父親には外に愛人がおり、日頃から愛人宅に入り浸っていて家庭を顧みず、横山裕史が子供の頃から家族は崩壊気味であったという事です。
ただ、この父親は、高校時代に横山裕史が柔道部の顧問や先輩からの体罰を受けた時には、この事を裁判所に訴えるなど全く息子に対して関心がなかったというわけでもなかったようです。
息子の横山裕史が女子高生コンクリート殺人事件を起こした事で、勤めていていた証券会社を退職しています。その後はトラック運転手の仕事をしていたとの情報が出ていますが、真偽はわかりません。
また、この父親は女子高生コンクリート殺人事件の裁判で横山裕史の有罪判決が確定した後、自宅を売却するなどして被害者の古田順子さんの遺族に慰謝料5000万円を支払っています。
横山裕史の家族② 母親の宮野静江はピアノ教室講師で息子への体罰も
横山裕史の母親は宮野静江という人物で、女子高生コンクリート殺人事件の当時は47歳で、夫(横山裕史の父親)とは同い年でした。
横山裕史の母親の宮野静江は、私立大学の音楽学部出身で、事件当時はピアノ教室でピアノ講師として働いて収入を得ており、父親が証券会社勤務という事もあって家庭は裕福でした。
ただ、両親が共働きという事と、父親が愛人宅に入り浸って自宅にあまり帰らない事などから、幼い頃の横山裕史は近所の家に預けられる事が多く、仕事を終えた母親が夜遅くに迎えに来るという生活でした。
横山裕史はそんな子供の頃について「家族で食事を取った記憶がない」と供述しています。
こうした家族の環境も影響してか、横山裕史は幼少時代、両親の金を盗んでは駄菓子屋にお菓子を買いに行く事があり、それを見つけた母親が靴べらで叩くなどの体罰をして叱るといった事がよくあったという事です。
また、この母親はかなり子供の教育に熱心だったようで、横山裕史を英語教室や公文式などの学習塾に通わせ、自分でも夜遅くまで勉強を見ていたそうです。
この母親も女子高生コンクリート殺人事件後にピアノ講師の仕事を退職しています。母親のその後については詳しい事は不明ですが、息子が女子高生コンクリート事件を起こしたのが原因となって夫の宮野良規とは離婚したとの情報も出ています。
横山裕史の家族③ 女子高生コンクリート殺人事件当時中学生だった妹
横山裕史には、小学1年生の時に生まれた妹が1人います。
裁判での検察側の冒頭陳述書によると、この妹は女子高生コンクリート殺人事件当時は中学1年生だったようです。ただ、事件当時11歳だったという情報もありどちらが正しい情報かはっきりしません。いずれにしても横山裕史とは少し歳の離れた兄妹でした。
年が離れていた事もあってなのか、父親は幼い妹ばかりを可愛がって横山裕史には関心を抱かなかったとの情報があり、この事が横山裕史の人格形成に影響を与えた部分もあったとも言われています。
この横山裕史の妹の現在については情報がなく不明です。
横山裕史が飯島愛と同棲していたという噂も
横山裕史に関する噂として、平成時代に活躍した人気タレントで2008年12月17日に36歳の若さで亡くなった飯島愛さんと交際し同棲していたというものがあります。
そして、飯島愛さんが亡くなる前年の2007年に突然芸能界を引退したのは、女子高生コンクリート殺人事件に飯島愛さんが関係していたからではとの噂も流れました。
この噂の内容は、女子高生コンクリート事件では古田順子さんに対し暴行や陵辱行為を行なった少年や少女達の中に当時16歳だった飯島愛さんがいたのではないかというものです。
飯島愛さんは自伝的小説「プラトニック・セックス」の中で自身の半生を明かしていますが、その中に、「高校1年生の時に埼玉県の八潮で同棲していた」との内容があります。ちょうど同じ頃、横山裕史も交際相手と同棲していましたが、その同棲場所は八潮市だったとの噂があります。
また、女子高生コンクリート殺人事件の被害者の古田順子さんの出身は埼玉県八潮市で、横山裕史らに絡まれ脅されて誘拐された場所は八潮市に隣接する三郷市でした。
飯島愛さんは東京都江東区の実家から中学生の頃に家出をしており、その後は生活費を稼ぐために銀座のホステスをしていたとの情報があり、当時、銀座のクラブなどに花を配達するアルバイトをしていた横山裕史と接点があったとの噂にもつながりました。
そして、飯島愛さんの銀座のホステス時代の先輩で、ノンフィクション作家としても活動していた倉地明美さんが、2008年4月にmixiの日記に飯島愛さんについて触れて下のような意味深な内容を綴りました。
「飯島だって脅されまくっていて大変だと思うよ。でも自業自得。人の未来を奪ったんだから。アイツだっていつまで命あるかわからないよ。普通に考えてあんなに急に引退するのは変でしょ?なべプロがお手上げになったんだよ。昔の万引きじゃないからね、人の命の問題だから無理だよ。出所してきた人もみんなヤクザだし。」
「人の未来を奪ったんだから」と、飯島愛さんが何らかの事件に関わりがある事を示唆しているような内容です。また、「出所してきた人もみんなヤクザ」とも書いていますが、横山裕史が出所したのは2009年のことでした。
この倉地明美さんの綴った意味深な内容も、飯島愛さんと横山裕史が交際していたという噂や、女子高生コンクリート殺人事件と関係しているという噂に関連づけられました。
飯島愛さんが突然芸能界を引退した理由は、飯島愛さんと女子高生コンクリート殺人事件との関係を知る何者かにそれをネタにして脅迫されており、当時所属していた「なべプロ(ワタナベエンターテイメント)」の手にも負えなくなり、飯島愛さんは芸能界からの引退を余儀なくされたためで、そしてその後、そのトラブルに関連する形で2008年12月に何らかの形で亡くなったという筋書きの噂が囁かれるようになりました。
色々と辻褄が合ってしまうように見えるのが怖いところです。ただ、横山裕史の実際の同棲相手は中学の頃から付き合っていた同級生(渡邊泰史の姉)である事が明らかになっているため、同棲相手が飯島愛さんだとするのは少し無理があるように思えます。
横山裕史の現在① 出所後はマルチ商法で儲けて羽振りが良かった
横山裕史は、女子高生コンクリート殺人事件の罪で、懲役20年の実刑判決が確定して服役していました。
そして、横山裕史は2009年に満期(未決勾留期間が算入されたため)で刑期を終えて出所しています。この時に元の宮野裕史という名前を養子縁組で横山裕史へと改名しています。
出所後の横山裕史は、東大阪市西石切町7丁目付近に2ヶ月ほど住んで保護観察を受けた後、埼玉県川口市蓮沼へと移住して宮内解体工業所で働き、その後は栃木県小山市、埼玉県川口市蓮沼を経て、茨城県西南西部で日研総業の派遣社員として茨城県古河市のキャノン化成で働き、その後は母親の経営する寝具店を手伝っていたとの情報が出ていますが、どこまでが真実かはわかりません。
その後は、2013年頃の住所は東京都多摩市だったと言われていますが、その後の足取りについては情報は出ていません。
「女性セブン」2018年9月13日号や、一部のゴシップ系雑誌などによると、出所した後の横山裕史はキックボクシングジムに通っていた他、後輩をバーベキューやキャバクラに連れて行き、BMWを乗り回し、高級腕時計やブランド品を身につけるなどかなり羽振りが良い様子だったということです。
横山裕史は暴力団とのつながりを利用してマルチ商法で稼いでいたと言うことですが、どこまで本当かは不明です。
「Aはキックボクシングのジムに通っていて、よく後輩をバーベキューやキャバクラに連れて行っていた。BMWを乗り回して高級腕時計やブランド品を身に着けていた。“暴力団とつながりがある”と吹聴していて、マルチ商法で儲けていたそうです。セックスの話が大好きで、“100均の縄で女を縛るのが好き”と自慢していた。“都内の振り込め詐欺グループには知り合いが多い”とも言っていました」
横山裕史の現在② 2013年に振り込め詐欺で逮捕されその後の消息は不明
出所後は羽振りの良い様子を見せていたとの情報も出ていた横山裕史でしたが、2013年1月に振り込め詐欺の容疑で警視庁池袋警察署に逮捕されています。
しかし横山裕史は取調べに完全黙秘し、証拠不十分で不起訴処分になっています。
主犯格のAは2009年に刑務所を出所した後、養子縁組をして名前を変えた。それから3年半後の2013年1月、振り込め詐欺の容疑で逮捕された。「無作為に全国の個人宅に電話をかけ、『パチンコ必勝法』の情報料名目で現金を騙し取る詐欺グループの一員とみられましたが、取り調べに黙秘を貫いて不起訴処分で釈放されました。Aは逮捕時に定職についておらず、アルバイト感覚で手を染めた可能性があります」(捜査関係者)
横山裕史は「パチンコ必勝法」なるサイトの情報料の名目で現金を騙しとる詐欺のグループで、振り込まれた現金を引き出す「出し子」の役割をしていたようです。「出し子」は振り込め詐欺のグループの中でも最も末端であり、逮捕されるリスクが最も高い役割です。
この末端が黙秘した場合、トカゲの尻尾切りのように本体の詐欺グループの実態を掴む事は難しく、横山裕史が逮捕された詐欺事件も、完全黙秘によって大元の詐欺グループの検挙には至らず、横山裕史も証拠不十分で釈放という経緯になったようです。
ただ、振り込め詐欺の末端の役割を担う事を余儀なくされているという事は、現在の横山裕史は暴力団のつながりを活用して金を稼げる立場ではなくなっている可能性が高いように思われます。
この振り込め詐欺での逮捕以降の横山裕史の消息は不明で、現在どこで何をしているのかの情報は出てきていません。
横山裕史の現在③ 出回っている現在の画像は別人のもので誤情報
横山裕史の現在については、現在の顔画像だとして韓国系アメリカ人の総合格闘家でプロレスラーのジョー・サン氏の画像が拡散されていますがデマ情報です。
・@kanmuheishi @sinjoj @okada014 @jazzy_saxophone
— 手越 (@higanbana2019) September 14, 2016
韓国のプロレスラージョー・サン(ソン・ヒョンミン)の画像であり宮野裕史ではないよ 、広島の某団体のブログが流した間違った情報です pic.twitter.com/QbrhmEQAwD
横山裕史の本当の現在の姿は下画像だという事です。(2013年10月発売の「実話ナックルズ」に関係者から提供された写真として掲載されたもの)
なお、上の画像が掲載された「実話ナックルズ」の記事によれば、横山裕史はさらに改名しており、現在の名前のイニシャルは「K」だという事です。
まとめ
今回は、1988年11月から1989年1月にかけて発生した戦後最悪の少年事件の1つとされる「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格の横山裕史についてまとめてみました。
横山裕史は、たまたまそこを通りかかっただけの当時18歳の女子高校生だった古田順子さんを、脅してラブホテルへと連れ込んで強姦した上、当時たまり場にしていた仲間の自室に監禁し、仲間達と約40日間にわたって凄惨極まりないな暴行と強姦などを繰り返して死亡させました。
そして、横山裕史と共犯者らは、古田順子さんの遺体をドラム缶に入れるとコンクリートを流し込み、そのまま埋立地に遺棄しました。
横山裕史は当時18歳の少年でしたが、その凄惨な犯行内容から懲役20年の実刑判決が下されました。
そんな横山裕史の生い立ちについては、小学生時代から素行が悪く、パンチパーマ姿で万引きや喧嘩を繰り返し、武器を持って小学校に殴り込みをかけるなどしました。中学時代は柔道で都大会2位の成績を残し、スポーツ推薦で東海大学附属高輪台高校へと進学したものの、先輩や顧問からの体罰を受けて荒れるようになり、喧嘩や非行を繰り返した挙句に1年生の3学期で中退してしまいました。
その後は、暴力団組織と関わりを持つようになり、仲間らと共にひったくりや強姦事件を繰り返すようになり、「女子高生コンクリート殺人事件」を引き起こすに至りました。
横山裕史の家族については、証券会社の会社員だった父親、ピアノ教室講師だった母親、事件当時中学生だった妹の存在が判明しています。横山裕史の家族の現在については情報がなく不明ですが、出所後の横山裕史が母親の営む寝具店の手伝いをしていたとの未確認情報があります。
また、横山裕史が18歳の頃に、芸能界に入る前の飯島愛さんと同棲していたとの噂があり、飯島愛さんが女子高生コンクリート殺人事件に関与していたという噂も囁かれていますが、これはあくまでも真偽不明の噂です。
横山裕史の現在については、2009年に出所後はマルチ商法で稼いで、BMWに乗って高級時計やブランド品を身につけ、後輩をキャバクラに連れて行くなど羽振りが良い様子だったという事ですが、2013年に振り込め詐欺の出し子をして逮捕されたのを最後にその後の消息は不明です。