米国が誇る世界的ロックバンド「リンキン・パーク」のリードボーカルを務めたチェスター・ベニントンさんが2017年7月20日に亡くなりました。
自宅で発見されたチェスター・ベニントンさんは首吊りによる自殺だとされましたが、その死因について、またチェスター・ベニントンさんの生い立ちなど過去から現在までを詳しくまとめたのでご紹介します。
チェスター・ベニントンのプロフィール&生い立ち
奇跡の歌声を持つチェスター・ベニントン
「リンキン・パーク」はリードボーカルのチェスター・ベニントンさんと、ラップを担当するマイク・シノダさんのツートップのボーカルで構成されていますが、チェスター・ベニントンさんの儚くも力強い声はまさに”奇跡の歌声”でしょう。
その声が誕生した裏側にはチェスター・ベニントンさんの過酷すぎる生い立ちが関係していたのかもしれません。世界中の「リンキン・パーク」ファンが悲しみに暮れていますが、何がチェスター・ベニントンさんを追い詰めたのかご紹介します。
チェスター・ベニントンさんのプロフィールはこちら。
出生名: Chester Charles Bennington(チェスター・チャールズ・ベニントン)
生誕: 1976年3月20日
出身地: アメリカ合衆国 アリゾナ州
死没: 2017年7月20日(満41歳没)アメリカ合衆国 カリフォルニア州ジャンル
ハードロック
ニュー・メタル
ポスト・グランジ
オルタナティヴ・ロック
オルタナティヴ・メタル
ヘヴィメタル職業: ミュージシャン,俳優
担当楽器: ボーカル, ギター, キーボード
活動期間: 1993年–2017年
レーベル: Warner Bros.
共同作業者: リンキン・パーク、ストーン・テンプル・パイロッツ
引用:Wikipedia – チェスター・ベニントン
「リンキン・パーク」は1996年に結成されたアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の6人構成のロックバンドで、チェスター・ベニントンさんが加入したのは結成から2年後でした。
2000年に発売されたファーストアルバム『Hybrid Theory(ハイブリッド・セオリー)』で一躍世界中で2,000万枚を売り上げてWビリオンヒットの大ブームを巻き起こし、「リンキン・パーク」は一気にスターダムへと駆け上がりました。
そして2003年3月に発売されたセカンドアルバム『Meteora(メテオラ)』はまさに神がかった領域での完成度から、全世界で1,000万枚以上を売り上げるビリオンヒットとなり、同アルバムの最後に収録されている曲『Numb』は、後にも先にも創り得ない最高傑作だと言われています。
その後もサードアルバム『Minutes to Midnight(ミニッツ・トゥ・ミッドナイト)』、フォースアルバム『A Thousand Suns(ア・サウザンド・サンズ)』と売上枚数は落ちていったものの、2017年までにリリースした「リンキン・パーク」の7枚のアルバムの総売上枚数は7,000万枚以上となり、グラミー賞を2度受賞しています。
「リンキン・パーク」の数ある名曲の中でも最高傑作とも言われる『Numb』の動画。
「リンキン・パーク」は近年、世界で巻き起こった異常なブームは沈静化し、かつての注目を集めることは少なくなりましたが、そうした中で2017年7月20日にチェスター・ベニントンさんが自宅で首吊り自殺をして自らの命を絶ってしまいました。
なぜ、これほどの栄光と巨万の富を手にしながら世を儚んで死を選んだのか、その理由についてまとめたのでご紹介します。
チェスター・ベニントンの生い立ち&経歴
チェスター・ベニントンの生い立ちは凄まじく過酷だった
チェスター・ベニントンさんというカリスマ中のカリスマアーティストが生まれた背景には、凄惨な生い立ちがあったようです。
チェスター・ベニントンさんは1976年3月20日にアメリカ合衆国アリゾナ州で生まれました。
父親は刑事で母親は看護師だったようですが、チェスター・ベニントンさんが11歳の頃に離婚してしまいます。
父親に引き取られたチェスター・ベニントンさんでしたが、実は7歳頃から一番年長の友達から性的虐待を受けており、それは13歳まで6年あまり続いたそうです。
心の傷を負ったチェスター・ベニントンは自分を壊し始める
長い期間性的虐待を受けていたチェスター・ベニントンさんは心的外傷ストレス障害(PTSD)を引き起こしていたのでしょう。自らを薬物などで壊し始めしまいます。
チェスター・ベニントンさんは過去にメディアのインタビューの中で、7歳頃から性的虐待を受けていたことを明かしましたが、それによると「自分の周りでおぞましいことがいろいろ起きていたことを思い出すと体が震えだすんだ」と答えています。
それにより心を病んでしまったチェスター・ベニントンさんは、16歳までにはLSDなどの危険な薬物やお酒を浴びるように飲み、みるみる内に容貌が荒んでいったそうです。
チェスター・ベニントンは必死に過去を忘れようとした
チェスター・ベニントンさんにとって性的虐待というおぞましい過去を忘れ去るために、必死に絵を描いたり、詩を書いたりしていたという。
また、母親不在で警察官として忙しい父親しかいない寂しい家庭環境もチェスター・ベニントンさんを追い詰めていったそうです。
そうした中でチェスター・ベニントンさんは音楽に強い興味を抱くようになり、イギリスの大物バンドであるデペッシュ・モードやストーン・テンプル・パイロッツなどに傾倒していったようです。
そして、チェスター・ベニントンさんは自ら「Grey Daze(グレイ デイズ)」というバンドを結成したことで音楽仲間ができ、鬱屈とした環境は改善されたかに見えました。
しかし、トラウマとなった過去を忘れることができなかったチェスター・ベニントンさんは必死に過去を忘れようとコカインやメタンフェタミンなど危険なドラッグに手を出し、酒に溺れる日々が続きアルコール中毒になっていたようです。
しかし、この頃にはチェスター・ベニントンさんは地元では2枚のアルバムをリリースするなど人気のバンドとして活躍していました。
チェスター・ベニントンさんは音楽活動を続けながらもデジタルサービス系の会社に就職し、22歳で嫁のサマンサさんと結婚するなど、サラリーマンとしての新しい人生がスタートしましたが、やはりプロのミュージシャンになることは諦め切れませんでした。
チェスター・ベニントン、プロデビュー
チェスター・ベニントン、「リンキン・パーク」に加入
チェスター・ベニントンさんは一度音楽を諦めかけていたようですが、人との出会いにより運命の歯車は回りはじめました。
チェスター・ベニントンさんは「Grey Daze」を脱退してからはしばらく次に加入するバンドが見つからずにいたためプロミュージシャンへの道を諦めかけていました。
しかし、そんな折にロサンゼルスにあるZomba Musicの副社長を務めるジェフ・ブルーさんがチェスター・ベニントンさんの才能に目をつけており、「リンキン・パーク」のボーカルオーディションに誘います。
チェスター・ベニントンさんは最後のチャンスのつもりで仕事を辞めて、嫁のサマンサさんを連れてカリフォルニア州へ移住し、見事に「リンキン・パーク」のオーディションにも合格しました。
しかし、晴れて「リンキン・パーク」のリードボーカルを務めることになったチェスター・ベニントンさんでしたが、レコード発売までの道のりは決して優しいものではありませんでした。
チェスター・ベニントン、苦難の末に成功を掴む
レコード会社となかなか契約が結べなかった「リンキン・パーク」
後の「リンキン・パーク」の活躍からすれば、この時契約を結ばなかった多くのレコード会社は悲鳴をあげたことでしょう。
当時、まだ結成して実績もなかった無名バンドの「リンキン・パーク」は、メンバーのほとんどが学校や会社などと両立しての音楽活動をしていたようです。
そのため、「リンキン・パーク」の活動はなかなか進展を見せず、ライブも毎回客入りが悪く存続の危機にすらあったようです。
そんな「リンキン・パーク」と契約を結ぼうというレコード会社は見つからず、42社から断られたと言われています。
しかし、「リンキン・パーク」の可能性を信じていたジェフ・ブルーさんが働きかけたおかげで、有名なワーナー・ブラザーズ映画が立ち上げた子会社のレーベル、ワーナー・ブラザース・レコードと契約を結ぶことに成功し、「リンキン・パーク」は晴れてCDデビューのチャンスをつかむことができました。
そして、「リンキン・パーク」は2年間の製作期間を経て、2000年10月に満を持してリリースされたデビューアルバム『ハイブリッド・セオリー』が世界中で2,000万枚売り上げるという驚異的な大ヒットを飛ばし、チェスター・ベニントンさんらメンバーは一気にトップバンドの仲間入りを果たしました。
チェスター・ベニントンは満身創痍だった
少年期から薬物と酒にまみれ、元々病弱でもあったチェスター・ベニントン
チェスター・ベニントンさんは「リンキン・パーク」で華々しい活躍をする中でも、幾度となく怪我や病気に悩まされていたそうです。
デビューアルバムから驚異的な売上を上げて、一躍世界のスターバンドにのし上がった「リンキン・パーク」はツアーに奔走することになります。
しかし、元々チェスター・ベニントンさんは病弱だったことから問題が起こったことも多く、決して順調な活動ではなかったそうです。
毎年開催されるアメリカのロックフェスティバル「オズフェスト」では、2001年に参加した時にチェスター・ベニントンさんは噛まれると組織を壊死させて死に至ることもあるドクイトグモに噛まれて大変だったようです。
また、セカンドアルバム『メテオラ』の製作時にも健康状態が悪化してスムーズに進まず、2003年の夏には細菌やバクテリアがチェスター・ベニントンさんの体全体に広がり臓器を攻撃し、背中や腹部への激痛を訴えたため9日間入院しています。
さらに、2007年10月にはオーストラリア・メルボルンでのライブで、ステージに飛び上がろうとした際にチェスター・ベニントンさんは手首に怪我を負うも、無理してライブをやり遂げた後に救急救命室に運び込まれたそうです。
チェスター・ベニントンの嫁と6人の子供
チェスター・ベニントンは2度結婚し、6人の子供のパパ
前述の病弱とイメージからは打って変わり、チェスター・ベニントンさんと元嫁・サマンサさんの間には1人の子供をもうけるも離婚し、その後再婚したタリンダ・ベントレーさんとは5人の子供をもうけています。
チェスター・ベニントンさんは1996年10月31日にサマンサさんと結婚し、2002年4月19日に第一子となる子供が生まれてドレイヴン・セバスチャンと名付けられました。
しかし、「リンキン・パーク」活動中にすれ違いから溝が大きくなり2005年に離婚。
その後、チェスター・ベニントンさんはヌード雑誌「プレメイト」でモデルをしていたタリンダ・ベントレーさんと再婚し、5人の子供に恵まれています。
チェスター・ベニントンさんは住まいとしてカリフォルニア州オレンジ郡のニューポートビーチに約1,840坪の広大な土地に豪邸を建てて家族8人で住んでいたようです。
チェスター・ベニントンはアル中だった
ヤク中でありアル中だったチェスター・ベニントン
チェスター・ベニントンさんは後に薬物中毒を克服し、インタビューで薬物を批判して啓発運動もしていますが、重度のアルコール中毒者でもあったようです。
チェスター・ベニントンさんはインタビューで、「かつては手の付けられないアル中だった」と語っていますが、近年はお酒を一切断っていたようです。
チェスター・ベニントンさんはお酒を一切飲まなくなった理由として、過去の自分に戻りたくないことを挙げており、それは新しい家族ができたことで心から守っていく覚悟が生まれたからなのでしょう。
チェスター・ベニントン、自宅で首吊り自殺により死去
2017年7月20日にチェスター・ベニントン死去
世界的カリスマアーティストの突然の訃報は2017年7月20日に発表されました。多くの人が悲しみに暮れ、生きることに悲観した人が後追い自殺しないようにと自殺予防の特設サイトまで急遽設けられました。
世界的人気を博したロックバンド「リンキン・パーク」のリードボーカルを務めたチェスター・ベニントンさんが、現地時間での2017年7月20日に死去したことがAP通信を始めとした複数のメディアにより報じられました。
享年41歳と非常に早すぎるチェスター・ベニントンさんの死の原因は、自宅での首吊り自殺だと見られています。
ベニントンさんは、アメリカ・ロサンゼルス近郊の自宅で死亡しているのが発見された。地元検視局は自殺とみて調査しているが、一部で報じられた「死因は首吊り」という情報については、検視局・消防当局ともに「詳しい調査を待たないと確定できない」としている。
引用:ハフィントンポスト – チェスター・ベニントンさん41歳で死去、自殺か 人気ロックバンド「リンキン・パーク」ボーカル
「リンキン・パーク」は2017年5月19日に7枚目のアルバム『One More Light(ワン・モア・ライト)』を発売したばかりでしたが、同年11月には日本公演を予定しており、日本の人気ロックバンド「ONE OK ROCK」とも共演する予定でした。
チェスター・ベニントンさんの死により、「リンキン・パーク」の公式ツイッターでは、チェスター・ベニントンさんが歌う姿の写真を公開したところ、現在までに約80万回のリツイートが起こっています。
— LINKIN PARK (@linkinpark) 2017年7月20日
チェスター・ベニントンさんが亡くなったことにより最も懸念されるのが後追い自殺ですが、日本でも過去に「X Japan」のhideさんが亡くなった時には60人あまりが自殺したと言われており、世界規模でカリスマ的な人気を誇っていたチェスター・ベニントンさんの死の影響は測りしれません。
ヤフー知恵袋にもチェスター・ベニントンさんの死を受けて悩み苦しんでいる人の質問投稿がありました。
私自身、何年か前まで薬物中毒者で(主に処方薬や市販薬)ミーティングに通いながら何とかクリーンを続け妊娠、出産、育児ノイローゼになりながらも薬やアルコールには一切逃げずに頑張ってきたつもりです。全ては家族、子供たちの為です。でもその背景にはチェスターの存在が大きくありました。彼も薬物中毒者でしたが克服して6人の子供持つ父親です。彼は私の憧れでした。陶酔していると言えばそれまでですが、彼が自殺した日から私の体は動かず、娘のリーメン治療の事もあり、とうとう先日長女のみ乳児院に一時保護という形になりました。
チェスター・ベニントンさんを追っての後追い自殺が懸念されていますが、チェスター・ベニントンさん自身も親友の後追い自殺だったと言われています。
チェスター・ベニントンはクリス・コーネルの後を追った?
米国の偉大なシンガーでチェスター・ベニントンの親友・クリス・コーネルが自殺
チェスター・ベニントンさんが死去する2ヶ月前にクリス・コーネルさんもまた首吊り自殺により亡くなっていました。
チェスター・ベニントンさんが亡くなった2017年7月20日は、クリス・コーネルさんの誕生日でもあり、同じ首吊りという方法を選んだことからも後追い自殺の線が濃厚だと言われています。
チェスター・ベニントンさんはクリス・コーネルさんの息子の代父を務めるほど親しい仲だったようで、クリス・コーネルさんの葬儀ではチェスター・ベニントンさんがレナード・コーエンのハレルヤを歌い弔いました。
親友のクリス・コーネルさんが自殺したことに悲観して、チェスター・ベニントンさんも後を追ってしまったのでしょう。
「リンキン・パーク」は唯一無二のリードボーカルだったチェスター・ベニントンさんを失い、今後は無期限活動休止になるか新ボーカルを加入させるか、はたまた解散するかとネット上で議論が溢れています。
11月の来日公演ではもしかしたらチェスター・ベニントンさんを偲ぶ盟友が代理ボーカルを務めるかもしれませんね。
「ONE OK ROCK」Takaが追悼の意を示す
チェスター・ベニントンを尊敬していたTaka
11月の来日公演で「リンキン・パーク」と共演することが決まっていた「ONE OK ROCK」。ボーカルのTakaさんはチェスター・ベニントンさんの突然の死に悲しみを表しました。
若い世代を中心に絶大な人気を誇るロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカル、Takaさんはチェスター・ベニントンさんの訃報にインスタグラムで悲しみと感謝を伝えています。
「悲しすぎて。もう空っぽです。まだ信じられない。もうすぐ会えると思ってたのに」
引用:BuzzFeedNews – ワンオク「悲しすぎて。もう空っぽ」、ラッド野田「no..」…「リンキンパーク」チェスターさん訃報の悲しみ広がる
You will always be here in my heart. Thank you for everything Chester.
Takaさんのインスタグラムではチェスター・ベニントンさんとのツーショット写真とともに上記のメッセージが送られました。
和訳は「あなたはいつまでも僕の心の中にいる。ありがとう、チェスター」という意味になります。
他にも日本の有名アーティストたちがそれぞれの悲しみをツイッターで表しています。
チェスターが(T . T)
— TERU (@TE_RUR_ET) 2017年7月20日
リンキン・パークのボーカル、チェスターベニントンが、、亡くなられたって、、
— SHOCK EYE (@SHOCK_EYE_) 2017年7月20日
まじかよ、、、
今度の日本公演、、すげー楽しみにしてたのに、、
言葉が見つからない。壮絶な戦いがあったのだろう。安らかに。偉大なキャリアに敬意を。 https://t.co/R6Qu1J6wwT
— 金子ノブアキ Official (@KanekoNobuaki) 2017年7月20日
なお、「リンキン・パーク」のバンド名の由来となったアメリカ・カリフォルニア州・ロサンゼルスにある街、サンタモニカにあるリンカーン・パークを「リンキン・パーク」に改名するための署名運動が起こっているようです。
チェスター・ベニントンについてまとめると・・・
米ロックバンド「リンキン・パーク」のリードボーカルとして世界で圧倒的な支持を集めてきたチェスター・ベニントンさん。
2017年7月20日の突然の訃報に世界中が驚愕し、それぞれが追悼の意を表していますが、クリス・コーネルさんの死と合わせてしばらく癒えることはないでしょう。
クリス・コーネルさんに何があったのか、チェスター・ベニントンさんが何故後追い自殺をしたのかは不明ですが、想像が及ばないレベルでの人生との戦いがあったのでしょう。
今後の「リンキン・パーク」の活動については徐々に明らかにされると思います。