1980年代~1990年代に広島カープで活躍した大野豊さんは、先発としても抑えとしてもトップクラスの実力を持ったエース投手でした。
今回は大野豊さんの経歴、成績や年俸、パームなど球種、解説の評判と現在をまとめました。
大野豊のプロフィール
大野豊
生年月日:1955年8月30日
出身:島根県出雲市
身長:177cm
所属:広島東洋カープ
投球・打席:左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
活動:元プロ野球選手
島根県出雲市出身の大野豊さんは、ドラフト外で広島カープに入団後、先発投手として、またリリーフ・抑えとして活躍したピッチャーです。
史上最年長の42歳で開幕投手を務めるなど、通算22年と長く活躍した選手です。ずっと広島カープ一筋で、その野球人生のカッコよさから今なおカープファンから愛されています。
大野豊のドラマチックな経歴
大野豊さんの経歴をプロ入り前から見ていきましょう。
大野豊さんの経歴はなかなかドラマチックで、広島カープファンからは「映画一本作れる」と言われるほどなんです。
プロ入り前
出典:ameblo.jp
島根県出雲市出身の大野豊さんは、母子家庭で育ちます。
あまり裕福ではなく、中学卒業後は働こうと決めていましたが、家族にせめて高校は出てほしいとお願いされ、就職に有利という理由で出雲商業高校に進学しました。
出雲商業高校では野球部に入部した大野豊さんは、高校2年生からはピッチャーとして県内外から注目されるようになり、強豪の社会人野球チームからもオファーを貰います。
母を思い、地元企業で唯一軟式野球部があった出雲市信用組合に就職しましたが、プロ入りの夢を諦めきれず、高校の恩師を頼って、プロへの道を模索しました。
1977年2月、特別に広島カープの二軍キャンプで入団テストを受けられることになり、見事合格します。
つまり大野豊さんは、ドラフト外での入団であり、さらにはNPBでは珍しい軟式野球出身の選手だったんです。
広島カープ現役時代
広島カープに1977年に入団後、ルーキーであるプロ入り1年目の9月に早くも一軍登板のチャンスが巡ってきた大野豊さん。
しかし、防御率135.00という見たこともないような成績で大炎上します。この時、悔しさのあまり、泣きながら寮まで歩いて帰ったそうです。
そんな大野豊さんはプロ入り2年目に、南海からトレードで広島にやってきた江夏豊さんに「磨けば光る」と言われ、江夏豊さんに徹底的にしごかれることになりました。
かなり厳しい指導でしたが、実績のある江夏豊さんにマンツーマンで鍛えられたことで、大野豊さんは中継ぎに定着します。
そして江夏豊さんの引退後は、リリーフエースに抜擢され、着実に結果を残していきます。
プロ入り7年目に先発投手に転向してからもしっかり活躍し、先発転向1年目の1984年、チームを日本一に導き、1990年までの7年間で4度の二桁勝利、1988年には沢村賞も獲得します。
プロ入り15年目の1991年には再びリリーフに転向し、セ・リーグ優勝に大きく貢献し、胴上げ投手になっています。
1993年には、メジャーリーグのエンゼルスから年俸100万ドルでのオファーがありますが、年齢を理由に辞退、広島カープに在籍し続けます。
1995年には再び先発に転向し、42歳で最優秀防御率のタイトル、翌年には開幕投手を務めるなど、第一線で活躍し続けました。
そして、1998年に引退しています。
現役引退後
現役引退後の翌年、広島カープの投手コーチを務めた大野豊さんでしたが、チーム防御率が悪化したため、1年で辞任しています。
その後は解説者として活動していましたが、2010年には再び広島カープの投手コーチに就任しました。
しかし、この時もまた投手陣に故障者が続出し、チーム防御率が悪化したので、2012年オフで辞任しました。
大野豊の成績や年俸の推移
大野豊の成績
出典:ameblo.jp
大野豊さんのNPBでの成績を見ていきましょう。まずは、ルーキーイヤーから引退するまでの年別成績です。
登板数 | 勝 | 負 | セーブ | 防御率 | |
1977年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 135.00 |
1978年 | 41 | 3 | 1 | 0 | 3.75 |
1979年 | 58 | 5 | 5 | 2 | 3.84 |
1980年 | 49 | 7 | 2 | 1 | 2.71 |
1981年 | 57 | 8 | 4 | 11 | 2.68 |
1982年 | 57 | 10 | 7 | 11 | 2.62 |
1983年 | 49 | 7 | 10 | 9 | 3.51 |
1984年 | 24 | 10 | 5 | 2 | 2.94 |
1985年 | 32 | 10 | 7 | 2 | 4.06 |
1986年 | 15 | 6 | 5 | 0 | 2.74 |
1987年 | 25 | 13 | 5 | 0 | 2.93 |
1988年 | 24 | 13 | 7 | 0 | 1.70 |
1989年 | 19 | 8 | 6 | 0 | 1.92 |
1990年 | 27 | 6 | 11 | 3 | 3.17 |
1991年 | 37 | 6 | 2 | 26 | 1.17 |
1992年 | 42 | 5 | 3 | 26 | 1.98 |
1993年 | 31 | 3 | 1 | 23 | 2.37 |
1994年 | 42 | 4 | 2 | 18 | 2.40 |
1995年 | 22 | 7 | 5 | 4 | 3.07 |
1996年 | 19 | 5 | 4 | 0 | 3.93 |
1997年 | 23 | 9 | 6 | 0 | 2.85 |
1998年 | 13 | 3 | 2 | 0 | 2.91 |
次に、通算成績を見ていきましょう。
・通算勝利数:148勝
・通算敗戦数:100勝
・通算セーブ数:138セーブ
・通算防御率:2.90
148勝138セーブという記録を見るだけで、先発でもリリーフでも両方で活躍したことがわかりますね。
100勝100セーブを達成したのは、大野豊さん以外には江夏豊さん、佐々岡真司さん、上原浩治さん、斉藤隆さんしかいません。
先発・抑えの両方で活躍するのはそれだけ珍しいことであり、難しいということですね。
大野豊さんの個人タイトルはこちらです。
・最優秀救援投手:1回
・沢村栄治賞:1回
大野豊さんは最優秀防御率もセーブ王も獲得しているんです。
大野豊の年俸
続いて、大野豊さんの年俸の推移を見ていきます。
・1978年:180万円
・1979年:400万円
・1980年:570万円
・1981年:750万円
・1982年:1100万円
・1983年:1440万円
・1984年:1440万円
・1985年:2300万円
・1986年:2640万円
・1987年:2640万円
・1988年:3900万円
・1989年:5300万円
・1990年:5300万円
・1991年:5100万円
・1992年:7500万円
・1993年:9100万円
・1994年:1億200万円
・1995年:1億1200万円
・1996年:1億1200万円
・1997年:1億700万円
・1998年:1億2000万円
大野豊さんの総年俸は10億5020万円です。ドラフト外での特別入団のため、契約金はありません。
ドラフト外でさらに時代的なこともあるので仕方ないかもしれませんが、入団当初の年俸があまりにも安いですよね。
大野豊の引退試合での球速や名言が話題に
出典:president.jp
大野豊さんは1998年に引退しています。
持病の血行障害に加え、同じ背番号24の巨人の高橋由伸さんに本塁打を打たれ、「エリートコースを歩んできた選手には絶対負けたくないと思っていたが、完璧に打たれた」と引退を決意。
引退試合では146km/hを計測し、まだまだ現役としてやれるという声もありましたが、潔く引退をしています。
大野豊さんの引退試合と言えば、大野さんの名言ですよね。「我が選んだ道に、悔いはなし!」という名言は、広島ファンの心を熱くしています。
大野豊が球種「パーム」を封印した理由とは
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大野豊さんが投げていた球種はこちらです。
・スラーブ
・フォーク
・スクリュー
・パーム
・真っスラ
・ドロップ
・シュート
8種類もの球種を投げ分けていた大野豊さんは、多くの変化球を駆使していたことから、「七色の変化球」と言われていました。
そして何と言っても、大野豊さんは珍しくパームを投げていました。パームとは、遅めのフォークのような球種です。
さらに大野豊さんのパームは、ストレートの時と投球フォームが変わらず、しかもバッターの手元で大きく沈む変化球だったので、打者にとって特に厄介な球種だったんです。
しかし、1992年に新庄剛志さんにこのパームボールでサヨナラホームランを打たれたことで、もう通用しないと悟った大野豊さんは、これをきっかけにパームを封印しています。
大野豊の解説の評判
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大野豊さんは、2012年に広島カープの投手コーチを辞任して以降、野球解説者として活動しています。
プロ野球OBは解説者として活動している人が多いですが、多くの解説者の中でも、大野豊さんの解説の評判は上々です。
やや広島びいきの解説ではあるものの、わかりやすく、的確だと言われています。
また、大野豊さんの解説が評判上々なのは、コーチ業があまりにもひどかったためとも言われています。
広島カープで投手コーチを2回務めていますが、どちらも防御率は悪化しています。
さらに、2004年・2008年の侍ジャパンの投手コーチも務めましたが、先発投手ばかり集めて、中継ぎのことは考えていなかったようで、北京オリンピックではメダルを逃しています。
現役時代の大野豊さんは本当にカッコよかったため、広島ファン・プロ野球ファンとしては、コーチ業で散々な結果に終わる姿を見たくない、叩きたくないという心理が働くようです。
つまり、投手コーチはせずに、解説者をしている方が安心して見ていられるという事情もあるようで、そのため解説者としての評判が上がるとも言われています。
大野豊の現在
大野豊さんは現在、主にNHKの野球解説者をしています。
コーチ業は2014年に阪神の臨時コーチをやっていますが、それ以降は投手コーチは務めていません。
また、2013年には野球殿堂入りを果たしています。
2020年で65歳になりますから、もう現場復帰はないかもしれませんね。
まとめ
大野豊さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、使った球種とパーム封印理由、引退試合での名言、解説者としての評判、現在の活動をまとめましたが、いかがでしたか?
・100勝100セーブを達成
・名球会入りはしていないが、野球殿堂入りはしている
・「我が選んだ道に、悔いはなし!」という名言を残している
・「七色の変化球」と言われるほどパームなどの球種が豊富
・コーチ業はダメだったが、解説者としての評判は上々
・現在も解説者として活動
今後、大野豊さんが現場復帰する可能性は低いかもしれませんが、今までのコーチでの失敗を払しょくするような、成功する大野豊コーチの姿も見てみたい気がします。