成田3兄弟の末弟として有名だった成田緑夢さんですが、練習中の怪我によりオリンピック出場の夢を絶たれたものの、現在はパラリンピックの競技選手として活躍中です。
この記事では、成田さんの家族情報の他、練習中の事故や怪我情報に関してまとめてみました。
成田緑夢のプロフィール
名前:成田緑夢(なりた ぐりむ)
出身地:大阪市住之江区出身
生年月日:1994年2月1日
身長:173cm
学歴:上宮高等学校卒業
所属先:近畿医療専門学校
父親のスパルタ教育で育った成田緑夢(なりたぐりむ)
成田緑夢さんといえば、スノーボーダーの成田3兄弟の末弟として、少年時代から有名だったアスリートです。
1歳の時からスノーボードを始めるなど、英才教育を受けて育った緑夢さんでしたが、父・成田隆史さんのスパルタぶりは尋常ではなかったようで、日々の練習が学校教育よりも優先される環境だったとか。
父隆史さん(68)の「スパルタ指導」が今に生きた。小学校時代は兄童夢(どうむ)、姉夢露(めろ)と布団でバック宙を10回した後に朝食を取るのが日課。学校から帰ると、自宅屋上のトランポリンで父考案の“鬼メニュー”をこなした。「『巨人の星』の星一徹みたいだった。僕らは父に操作されていたマシンみたいで普通の小学生になりたかった」と激白した。
ちなみに、自宅屋上のトランポリンは、当初はスノーボードのエアトリックの練習用に設置されたものだったようですね。
スパルタ過ぎる父親から独立した兄・童夢と姉・メロ
父・成田隆史さんによって24時間生活を管理される日々に息苦しさを感じていたのは、成田緑夢さんだけではなかったようで、2005年に兄・成田童夢さんと姉・今井メロさんが家から飛び出して独立するという騒動が勃発します。
当時の緑夢さんは小学6年だったため、兄弟たちの独立にはついていかなったものの、この騒動により、スノーボード漬けの日々から開放されることになりました。
とはいえ、放課後に友達と一緒に遊ぶなどといった少年にとって当たり前の経験もせずに育ってきた緑夢さんにとっては、突然練習から開放されても特にすることが見つからず、ボーッとした日々を過ごすこととなったとか。
そんな緑夢さんの姿を見かねた母親により、実家の近所にあるトランポリン教室に通うことを進められた緑夢さんは、次第にトランポリンの魅力にのめり込み、本格的に競技に打ち込むことになったようですね。
トランポリン選手としての緑夢さんですが、中学2年の時に出場した全日本選手権で43位、中学3年時に出場した全日本選手権では22位と、競技開始早々から才能を発揮することになっております。
しかしながら、緑夢さんが発揮してみせた意外な才能ぶりが、子供たちに反乱を起こされてショックを受けていた隆史さんのやる気スイッチを再度オンにしてしまったようで、以降の緑夢さんは、再び父親の管理する練習漬けの日々に逆戻りしてしまうことになります。
トランポリンでも才能を開花させた成田緑夢
再度、父・成田隆史さんの管理下に置かれた後の成田緑夢さんですが、スノーボードの練習を再開した他、ウェイクボードなどにもチャレンジさせられる日々となりました。
そんな環境下において、上宮高等学校2年時にはトランポリンの全国大会で最高難度点を受賞するなど才能を伸ばしていった緑夢さんは、ロンドン五輪の日本代表最終候補に残るなど、五輪出場まで後一歩というところまで前進します。
トランポリンで、五輪金メダリストを超えた高校生が誕生した。今月8日まで行われた全国高校選手権(秋田)の男子個人で、成田緑夢(ぐりむ、上宮高2年)は歴代最高16・3点で最高難度点を受賞。06年トリノ五輪スノボード代表だった成田童夢(24)、今井メロ(22)の弟が、きょうだいとは違う競技で五輪の舞台を目指す。
トランポリン選手として遅咲きだった緑夢さんが急激に実力を伸ばした秘訣には、両足に重りをつけて宙返りの練習をするという、父・隆史さん発案の練習の効果なども大きかったようですね。
フリースタイルスキーの日本代表に選ばれた成田緑夢
2012年のロンドン五輪出場を逃した成田緑夢さんですが、同年の11月より開始したフリースタイルスキー・ハーフパイプでは、開始3ヶ月で日本代表に選ばれることになりました。
フリースタイルスキーのハーフパイプ競技は、2014年のソチ五輪から採用される予定となっていた新興競技だったため、スノーボードのハーフパイプ競技からの転向者となった緑夢さんには、国内にライバルらしいライバルがいなかったようですね。
さらには、世界の舞台でも2013年に行われたフリースタイルスキー世界選手権で9位、フリースタイルスキー世界ジュニア選手権で優勝と結果を残し続け、一躍世界レベルの有力選手に躍り出た緑夢さん。
このまま行けば、2014年のソチ五輪日本代表の座は間違いがないといった状況の緑夢さんでしたが、2013年の4月に起こった練習中の事故により、すべてを失ってしまうことになります。
成田緑夢はトランポリン練習中の事故で障害者となった
足を切断する危機だった成田緑夢
成田緑夢さんの身に、人生を一変させる事故が起こったのは、2013年4月となりました。
いつものように自宅でトランポリンの自主練に打ち込んでいた緑夢さんでしたが、その日に限って着地に失敗して、左膝が反対側に折れ曲がってしまうという大怪我をしてしまいます。
息子の事故の一報を聞き、病院に駆けつけた父・成田隆史さんは、医師から足を切断する可能性を示唆された他、「再び歩ける可能性は20%程度」などと、絶望的な情報を次々と打ち明けられることになりました。
13年4月。自宅でトランポリンの練習中にバランスを崩し、左足に重傷を負った。前十字、後十字靱帯(じんたい)断裂、半月板損傷、静脈破裂。担当医からは切断の可能性も示唆された。6カ月の入院生活で4度の手術を受けたが、腓骨(ひこつ)神経まひで左膝から下の感覚を失った。これがアスリートとして大きな転機にもなった。
手術やリハビリを経て、事故から半年後に退院した際の緑夢さんの左足の回復具合に関しては、自力歩行自体は可能なものの、30分も歩けばアイシングでケアをしないと激痛が走るといった状況だったようですね。
具体的には、緑夢さんの左足には、障害者等級6級と認定される軽度の障害が残ることとなりました。
退院後も無理やりスキーを父に強制された成田緑夢
退院後の成田緑夢さんですが、その1ヶ月後には、父・成田隆史さんによりアメリカの雪山に連れて行かれて、スキーをさせられる羽目となったそうです。
スキー靴を履くだけで痛みが走ってしまう状況だった当時の緑夢さんは、父親のスパルタぶりにとうとう反発して、人生初めてとなる反旗を翻すことになります。
リハビリを重ねて日常生活は取り戻しつつあったが、自由に歩くことは困難だった。雪山に連れ出そうとする父には反発。「五輪を目指すスポーツはやめたい。楽しみたい」。五輪とは無関係のウェイクボードに興じ、健常者の大会に試しに出た。船に引かれた水上スキーでバランスを取る競技で、想定外の優勝。これが大きな転機となった。
自分の意思で人生を歩き始めた緑夢さんですが、ウェイクボードの一般大会で優勝した際に、SNS上で貰ったとあるメッセージが、パラリンピックへの挑戦のきっかけとなりました。
ウェイクの一般大会で優勝したことを機に、障害を持った人から「勇気をもらった」とのメッセージをもらい、「誰かにいいに影響を与えることができるんだ」と、パラリンピックを目指すようになる。
パラリンピック出場を目標に再始動した成田緑夢
障害者仲間たちに希望を与えるために、パラリンピック出場を目指すことを決意した成田緑夢さんですが、2015年冬よりパラスノーボードを始めることとなりました。
パラスノーボードでは、スノーボードクロスとバンクドスラロームという2種目を選択することとなった緑夢さん。
こちらの分野でも著しい才能を発揮した緑夢さんは、2016-2017シーズンには、スノーボードクロスとバンクドスラローム共に、ワールドカップで優勝を経験しております。
その他、夏季のパラリンピック競技にもチャレンジしている緑夢さんは、パラ陸上の日本トップクラスの選手であり、走り幅跳びや走り高跳びといった競技にて、日本パラ陸上選手権の準優勝経験もあります。
ちなみに、普段の緑夢さんですが、高校卒業後は近畿医療専門学校にて柔道整復師として働いていたものの、現在は「superトランポリン」という大坂にあるトランポリン専門のスポーツジムに勤務中だそうですね。
成田緑夢の家族~童夢やメロとは異母兄弟だった
成田童夢の兄はサブカルタレントの成田童夢
成田3兄弟の長兄として有名な人物が、トリノ五輪スノーボード・ハーフパイプ日本代表選手だった成田童夢さん(32)となります。
成田童夢の現在!結婚した嫁&妹と弟・父親や母親など家族情報まとめ
競技生活を引退後は、サブカルタレントを中心に活躍している童夢さんですが、2015年9月に芸能プロダクションおよびイベント企画会社を設立しているため、現在では社長という側面も持つ人物となっています。
ちなみに、会社設立は結婚のための下準備でもあったのか、同年の10月には5歳年下の一般女性と結婚をしている童夢さん。
「私、成田童夢は本日25歳一般女性の方と入籍したことをご報告させていただきます」と報告。お相手については「かねてよりお付き合いしていた相手の女性は、仮想世界でいうTVアニメ『WORKING!!』に登場するヒロイン『種島ぽぷら』のような方で、いつも明るい笑顔で私を支えてくれています。名前や写真は現実世界の方ですので、差し控えさせて頂きます」とテレビアニメのヒロインに例えて紹介していた。
現在までに、童夢さん夫妻の間に子供などは生まれていないようですね。
ちなみに、成田緑夢さんと童夢さんの仲に関しては、童夢さんが実家を飛び出して以降も、月に1度は一緒に食事に出かけるなど、良好な関係を維持しているとか。
波乱万丈すぎる成田緑夢の姉・今井メロ
成田3兄弟で最もスノーボーダーとしての才能があったと言われているのが、長女である今井メロさんとなります。
2004-2005シーズンに、スノーボード・ハーフパイプのワールドカップにて、種目別総合女王に輝いた経歴のあるメロさんは、2006年のトリノ五輪日本代表にも当然のことながら選出されております。
しかしながら、五輪のメダル候補として注目を集め、マスコミから大々的に特集をされた際に自作ラップまで披露した一方で、本番では34位という惨敗を喫してしまったことから、ネット上で「痛キャラ」として大バッシングを受けることとなったメロさん。
この時の精神的なショックが尾を引き、メロさんはトリノ五輪後に競技からフェードアウトすることになってしまいました。
その後のメロさんの人生の詳細に関しては、下記のリンク先の記事をご覧下さい。
要約すると、トリノ五輪の惨敗のショックでスノーボードからフェードアウトしてしまったメロさんは、一時期はキャバ嬢やセクシー女優になるほど迷走してしまいます。
私生活では、一般男性との2度の結婚・離婚を経て、一男一女(長男・瑠偉くん(7)と長女・真里愛ちゃん(6))の母となったメロさんですが、2人の元夫が共にヒモだったことや真里愛ちゃん出産直後に子宮頸癌を患ってしまったことで、生活保護を受給していた時期もあったとか。
現在のメロさんは、一時期のどん底時代から見事立ち直り、指導員免許取得のためにスノーボードの世界に復帰することになりました。
長いブランクを経てもメロさんの才能は健在だったようで、2017年の全日本選手権では見事優勝に輝いております。
その他、舞台女優としても活動を開始しているメロさんは、小劇団の舞台を中心に地道にキャリアを積んでいるようですね。
ちなみに、成田緑夢さんとメロさんの仲に関しては、メロさんが実家を飛び出して以降は没交渉となっている状況だったりします。
成田緑夢の母は元モデル・成田桂
これまでの記事の内容からも分かるように、成田緑夢さんはかなり複雑な家庭に育っています。
そのため、成田童夢さんや今井メロさんとは、実は異母兄弟という身の上だったりします。
童夢さんたちの母親に関しては、今井多美江さんという女性だったようで、1992年頃に成田隆史さんと離婚をして、次男の今井流星さんを連れて成田家を去っております。
その後、隆史さんと再婚をして緑夢さんを生んだ女性が、成田桂さんとなります。
ネット上でもイケメンという呼び声の高い緑夢さんの母親だけあって大変に美人な桂さんですが、実は元モデルという経歴を持っている女性だとか。
前述の緑夢さんのトランポリン事故の際には、桂さんが緑夢さんを抱きかかえて病院まで運んだという武勇伝が残っているほど、子供想いの優しい母親のようですね。
左膝下がまひする障害をもたらしたトランポリンでの事故直後、病院に運ぶため成田を抱えたのが桂さんだった。
父・成田隆史は「夢くらぶ」経営者
成田緑夢さんの父親は、この記事でも散々既出だった成田隆史さん(写真左)となります。
2020年現在70歳となる隆史さんですが、今でも現役バリバリに働いており、「夢くらぶ」というトランポリン教室を経営しております。
「夢くらぶ」に関しては、アスリート育成コースもあるようですが、ダイエットやフィットネスなどの健康増進方面のメニューに力を入れているようですね。
「夢クラブ」は元々はスノーボード教室だったという情報もあるため、息子の緑夢さんのトランポリン方面での成功により、商売替えをしたということなのでしょうね。
隆史さんには、ネット上で京都大学卒業などという噂も流れておりますが、ボクシングの亀田3兄弟の父・亀田史郎さんにも同じ噂が流れていた時期もあったため、おそらくはネットの愉快犯が流したデマなのではないかと思われます。
亀田史郎の嫁や子供&現在まとめ!しくじり先生最終回に出演
成田緑夢の現在~平昌パラリンピックで金メダルを獲得
パラリンピックで2つのメダルを獲得した成田緑夢
成田緑夢さんは、2018年3月に開催された平昌パラリンピックにおいて、「スノーボードバンクドスラローム」にて金メダル、「スノーボードクロス」にて銅メダルを獲得しております。
今大会から新たに加わったスノーボードバンクドスラローム男子下肢障がいでスノーボードクロス銅メダルの成田緑夢(ぐりむ、24=近畿医療専門学校)が待望の金メダルに輝いた。
成田緑夢(ぐりむ)(24)=近畿医療専門学校=は、父隆史さん(68)ら家族が見守る中、12日のスノーボードクロスで銅メダルを獲得した。「メダルの色ではない。夢の通過点を見せてくれた」。隆史さんはそう言って、息子の成長に目を細めた。
ちなみに、緑夢さんの晴れ舞台を応援するために、両親はもちろん、兄・成田童夢さんも平昌に駆けつけていたようですね。
東京パラリンピックを出場を目指す成田緑夢
悲願が叶い、現在人生の絶頂期を迎えていると言える成田緑夢さんですが、パラスノーボードに関しては、平昌五輪を最後に引退をする方針のようですね。
平昌パラリンピック・スノーボードバンクドスラローム男子下肢障害金メダルの成田緑夢(24=近畿医療専門学校)が27日、ユーチューブで同競技の引退を発表した。
20年東京五輪と同パラリンピックを本格的に目指すためで「金メダルを獲得を出来たことで、1歩前進出来たので、東京2020であったり次の1歩に全力で挑むため、今回引退を決めました」と理由を説明した。
次なる目標として、東京五輪と東京パラリンピックの同時出場を目指す意向の緑夢さんとなりますが、東京パラリンピックに関しては、パラ陸上やパラトライアスロンを選択するのではないかという憶測が流れております。
東京五輪に対しても、緑夢さんは射撃などで出場を目指すのではないかという噂が2017年より流れている状況なため、おそらくはそちらの種目での代表入りを目指しているのではないかと思われます。
さらに東京五輪も視野に入れている。狙う種目は陸上競技、射撃など複数から絞り込んでいる。「メダルの色が欲しいわけではない。影響力がほしい」。そんな常識にとらわれない道を進めば、より多くの人を勇気付けられると信じている。
まとめ
・成田緑夢は事故の当初、足の切断の可能性を医師から示唆されていた。
・成田緑夢の兄は成田童夢、姉は今井メロ。2人とは母親違う異母兄弟である。
若くして波乱万丈すぎる人生を送ってきた成田緑夢さんですが、逆境にも負けずに前へ前へと突き進むその鋼の精神は、まさにアスリートの鑑と言えます。
緑夢さんの不屈の精神を思えば、障害者の身でありながらも東京五輪に出場するという偉業も成し遂げられることと信じております。
緑夢さんの今後のさらなる活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。