「おかあさんといっしょ」の「たいそうのおにいさん」として人気を博した佐藤弘道さんですが、卒業後は体操教室などで大成功を収めたものの、病気が原因で下半身麻痺となり活動休止を余儀なくされました。
この記事では、佐藤弘道さんの嫁や息子など家族や年収情報の他、事故の噂や病気など現在についてまとめてみました。
この記事の目次
佐藤弘道のプロフィール【ひろみちお兄さん】
佐藤弘道(さとう ひろみち)
生年月日:1968年7月14日
出身地:東京都新宿区
所属事務所:太田プロダクション
佐藤弘道さんといえば、1993年から2005年にかけて、幼児向け番組「おかあさんといっしょ」にて「10代目たいそうのおにいさん」を務めたことでも知られるタレントです。
現在はタレント業の傍ら、幼児向け体操教室「らくがきっ子体操クラブ」を運営し、実業家として成功しています。
佐藤弘道の若い頃…怪我により体操選手の道を断念
佐藤弘道、高校時代の怪我により体操選手の道を諦めていた
佐藤弘道さんの実家は東京新宿「思い出横丁」で祖父の代より焼き鳥店を経営しており、地元では名の知れた老舗だとか。
そんな佐藤さんが幼少期に憧れを抱いた存在は、1976年に開催された「モントリオール五輪」にて、3つの金メダルを含む10個のメダルを獲得した男子体操日本代表であり、体操選手を目指すきっかけにもなりました。
その後、体操クラブに入った佐藤さんでしたが、本人的には学校の体育の延長くらいのノリだったそうで、本格的に体操を開始したのは、日本体育大学荏原高校に進学後だったそうですね。
日本体育大学荏原高校時代の佐藤さんは、高校1年時にドクターストップがかかるほどの大怪我も経験しています。
頭から落ちて頚椎、首の骨がずれちゃったんですよ。今でもワイヤーでとめてあるんですけどね。その怪我の影響で、もう2回宙返りとかは怖くてできなくなってしまったんですよ。
この時は、医師の静止を振り切って体操を続け、吊り輪で都大会6位の実績を残すこととなった佐藤さんですが、怪我のせいで高難易度の技にはチャレンジ出来ない現状に限界も感じ、高校限りで体操選手を引退することになりました。
佐藤弘道、体育教師を目指して日本体育大学に進学
高校時代に大きな挫折を味わうこととなった佐藤弘道さんですが、気持ちを切り替えて体育教師を目指すことを決意し、日本体育大学体育学部に進学しています。
大学進学後の佐藤さんは、体操部に所属して徒手体操にチャレンジしていた一方で、スキーやサーフィンに打ち込み、年中日焼けをしているような遊び人でもあったようですね。
一見すると青春を謳歌していたように見える佐藤さんでしたが、根はネガティブで落ち込みやすい気質だったらしく、部内では浮いた存在でもあったとも語っています。
佐藤弘道、大学時代に嫁・久美子さんと出会う
大学時代の佐藤弘道さんは、後の妻となる久美子さんとも出会っています。
2人の馴れ初めに関しては、同じ日本体育大学の体操部に所属していたところ、3年時に2人揃って部内の役員に選ばれることとなり、交流を深めることになったそうですね。
その後、部内の人間関係に悩んでいた佐藤さんが、チャキチャキの下町っ子だった久美子さんの明るさに惹かれていった一方で、久美子さんもチャラ男に見えて古風な一面があった佐藤さんの意外性に惹かれていき、交際に至ることになりました。
佐藤(久)「おやつの食べ方でも注意されました。『女子は女の子らしく、カップラーメンの汁は残しなさい』とか。同世代の男の子にそういう注意をされることってないですよね? それが新鮮だったというか、とにかく彼のことが気になってしょうがなくなっちゃった」
佐藤弘道、父親の病気を機に焼き鳥屋を継いでいた
大学を卒業後の佐藤弘道さんに関しては、世田谷区教育委員会の教育指導員やスポーツクラブのインストラクターなどをしていたそうですね。
しかしながら、大卒2年目の頃に父親が癌に倒れてしまい、祖父の代からの稼業を絶やすわけにもいかないと思い立った佐藤さんは、インストラクターの仕事を辞めて焼き鳥屋へ転身することになりました。
この頃の佐藤さんは、体操に対する未練などもなく、父親同様に店を繁盛させてやろうという野望に燃えていたとか。
佐藤弘道「おかあさんといっしょ」オーディション秘話
佐藤弘道、恋人だった久美子さんの勧めでオーディションに参加
完全に焼き鳥屋の3代目モードになっていた佐藤弘道さんですが、当時恋人であった久美子さんが、「おかあさんといっしょ」の「たいそうのおにいさん」のオーディションの噂を聞きつけたことが、人生の一大転機となりました。
久美子さんに勧められるがままに、軽い気持ちでオーディションを受けることとなった佐藤さんでしたが、何の下準備もしていなかったせいもあり、課題を上手くこなすことは出来ませんでした。
目の前に子供がいるように歌を歌ってくださいと言われても、自分にはそんな経験がなかったので、音は外すし、うまく演技もできません。
とはいえ、他のオーディション参加者が俳優の卵や劇団員ばかりだった中で、唯一の体操経験者だったことが功を奏した佐藤さんは、「たいそうのおにいさん」に採用されるといったサプライズが待っていました。
オーディションに受かるとは思っていなかった佐藤さんは、一緒に店を切り盛りしていた母親に今後の身の振り方を相談したそうですが、「こんなチャンスはまずないんだから、とりあえずやってみれば」と、かえって背中を押されてしまったそうですね。
ちなみに、実家の焼き鳥屋に関しては、最終的には弟が後を引き継ぎ、現在も新宿「思い出横丁」で営業中だとか。
佐藤弘道、番組初収録日に父親が病死
倍率が数百倍とも噂される難関だったオーディションを突破した佐藤弘道さんですが、「おかあさんといっしょ」の初収録日に、闘病中だった父親が癌で他界してしまうといった悲劇も経験しています。
覚悟していたこととはいえ、肉親の死に対して多大なショックを受けた佐藤さんは、記念すべき初収録日のことは、何も覚えていないレベルのパニック状況になってしまったとか。
収録の初日、ガンを患っていた父が亡くなりました。
あまりの悲しみと、初めてのテレビ収録の緊張が重なって頭が混乱し、子供たちと一緒に体操していても、「実家のやきとり屋は誰が切り盛りするのか?」とか「葬式はどうするのか?」などの心配が次から次へと頭の中に浮かび、番組のことがあまり記憶にありません。
佐藤弘道の年収…タレント転身で最高年収は3億円に
佐藤弘道、おかあさんといっしょ時代はサラリーマン並みの収入だった
人気児童向け番組「おかあさんといっしょ」ですが、出演者たちの待遇の悪さや禁止事項の多さで有名となっています。
「おかささんといっしょ」出演者の禁止事項
・恋愛禁止
・NHK以外のテレビ出演禁止
・海外旅行禁止
・スキー禁止
・自動車運転禁止
・派手なネイル禁止
・立ち食い禁止
・斜め横断禁止
・新宿歌舞伎町への立ち入り禁止
佐藤弘道さんの場合も、「たいそうのおにいさん」時代は1年契約の契約社員の身の上だったらしく、毎日ほぼ休みなしの状態だったのにも関わらず、年収の方は同世代のサラリーマンよりちょっと上くらいの待遇でした。
佐藤弘道、タレント転身で最高年収3億円に跳ね上がる
佐藤弘道さんは、2005年4月に「おかささんといっしょ」を卒業した後は、タレントに転身しています。
転身後の佐藤さんについては、12年間「たいそうのおにいさん」を務めあげたことで得た知名度により、CM関連の仕事が次々に入って来るようになり、年収が3億円を超えていた時期もあったようですね。
ブラマヨから、前年(05年の芸能人)の長者番付でトップ10に入るぐらいの額で、推定で年収3億円、と説明されると、佐藤は否定せず、「スポンサーが大っきいですね」と笑顔。NHKをやめたことで障害がなくなり、契約できたCMなどの効果が大きく、推定3億円の年収だったことを事実上認めた。
年収が跳ね上がったことで、佐藤さんは都内にある億ションを買ったそうです。夢のある話ですね。
佐藤弘道の結婚した嫁とモラハラ疑惑の真相
佐藤弘道、1994年に大学時代からの恋人・久美子さんと結婚
佐藤弘道さんは、大学時代から交際していた久美子さんと、「たいそうのおにいさん」就任の翌年となる1994年に結婚しています。
久美子さんは、大学を卒業後はNHK「テレビ体操」に「体操のお姉さん」として出演していた時期もあったようで、「たいそうのおにいさん」のオーディション話もそちらの伝手で入手していたようですね。
「おかさんといっしょ」では、出演者のプライバシーは公開禁止の規則があったため、佐藤さんは、10年以上も家族の存在を隠しながら番組に出演し続けることになりました。
とはいえ、久美子さんは良き相談相手であり続けたそうで、「おかさんといっしょ」にマンネリ感を感じていた佐藤さんを励まし、降板を思い留まらせたこともありました。
子供達は毎回入れ替わるので新鮮なのですが、だんだんと新鮮味が無くなって、飽きてしまう時期がありました。
途中でやめようかと考え、妻に相談したら、「辞めるのは簡単。続ける方が難しいよ。相手から“今まで続けてくれてありがとうございました”と言われるまでがんばってみたら」と言われたのです。
佐藤弘道、嫁・久美子さんへのモラハラ疑惑もあった
優し気なイケメンである佐藤弘道さんですが、モラハラ疑惑も存在します。
元々、潔癖症の気があり、自宅の洗面所に専用のハンドタオルを20枚常備している佐藤さんですが、家事に対しても要求が厳しいタイプだそうで、料理中の久美子さんに口を出して自ら手本を見せ始めることもあるとか。
その他、久美子さんが畳んだ洗濯物の畳み方が汚いからと自ら洗濯物を畳みなおしたり、テレビを見ている最中にも汚れや埃を見つけると掃除をし始めたりと、佐藤さんの細かすぎる性格は留まるところを知らないようですね。
佐藤さんが細かすぎる性格になった理由については、母親のしつけが厳しかったことが原因だったそうです。
そのため、家事にやたらうるさい気質になってしまった佐藤さんでしたが、不満があっても久美子さんを怒鳴ったりすることもなく、あくまで自分で家事を代行するだけなので、「モラハラとは言えないのでは?」といった意見も多い状況となります。
佐藤弘道に子供は2人…息子がイケメンと話題に
佐藤弘道、イケメンと評判の息子2人は野球に打ち込んでいた
佐藤弘道さん・久美子さん夫妻には、1997年5月31日に長男・文哉さんが、2000年7月25日には次男・友哉さんが生まれています。
佐藤さんのブログやSNSに度々登場しており、イケメンと話題の息子たちでしたが、兄弟揃って野球少年として育っており、高校時代は父親の母校・日本体育大学荏原高等学校の野球部に入部し、寮生活を送っていたそうですね。
文哉さんは、その後日本体育大学に内部進学しており、軟式野球部に所属し副キャプテンを務めるなど、父親顔負けの体育系エリートに育つことになりました。友哉さんに関しても、詳しい情報はないものの、同じく日本体育大学に進学したと言われています。
すでに社会人になっている文哉さんと友哉さんですが、現在も家族そろって誕生日を祝うなど両親との関係は良好のようです。
佐藤弘道に事故の噂…逮捕されたのは別人だった
佐藤弘道さんには、交通事故を起こして警察に逮捕されたとの噂も存在します。とはいえ、実際の佐藤さんは、逮捕歴もなければ交通事故歴なども存在せず、不祥事にはまったく無縁の存在となります。
佐藤さんに事故&逮捕の噂が発生した原因については、「おかあさんといっしょ」で「うたのおにいさん」を務めた速水けんたろうさんが起こしてしまった交通事故を、佐藤さんが起こしてしまったと誤認している人間が少なくないようですね。
(いけね……先日事故って休業を余儀なくされたおにいさんは佐藤弘道さんではなく別の人だった…。)
— bg (@bitgleams) April 11, 2012
「だんご3兄弟」を大ヒットさせたことでもお馴染みの速水さんが、2012年7月に起こしてしまった交通事故に関しては、被害者が死亡してしまったこともあり、禁錮2年・執行猶予3年の判決が下る重大事件となりました。
それだけに世間の印象に残る形となり、佐藤さんにとって身に覚えのない噂が発生する原因になってしまったようですね。
佐藤弘道の現在① 幼児向け体操教室運営で大成功
佐藤弘道、幼児向け体操教室を運営する会社の社長だった
佐藤弘道さんは現在、幼児向け体操教室「らくがきっ子体操クラブ」を運営する有限会社SRCカンパニーの代表を務めています。
「らくがきっ子体操クラブ」は正課体育指導・課外体操クラブを行っており、幼稚園や保育園とも提携中だそうです。
佐藤さんの体操クラブから、将来のオリンピック選手がいずれ現れるかもしれませんね。
佐藤弘道、多忙な中けがで入院していたことを明かす
佐藤弘道さんは、2019年3月上旬頃に、半月板損傷による入院を経験していたことをカミングアウトしています。
佐藤さんの膝に関しては、元々2018年の年末頃より違和感があったそうですが、年が明けて病院で検査したところ、左膝の内側の半月板が割れていることが発覚したそうですね。
当初は保存治療を選択した佐藤さんでしたが、仕事の都合上膝への酷使を避けられずに、トレーニング中にいよいよ身動きが取れなくなるまでに状態が悪化してしまったとか。
とはいえ、「らくがきっ子体操クラブ」の仕事が大忙しな佐藤さんは、大怪我があってもゆっくりと休むことも出来ず、同年の3月4日に病院で手術をした後、3月6日に退院するという強行スケジュールだったそうです。
佐藤弘道の現在② 脊髄梗塞による下半身麻痺のため活動休止
出典:https://rapt-plusalpha.com/
2024年6月13日、佐藤弘道さんが体調不良のため活動を一時休止することを発表しました。
佐藤弘道さんは6月2日に機内で体調を崩し、下半身麻痺となり歩けなくなってしまったこと、病名が「脊髄梗塞」であることを直筆の文書にて明かしています。
また、緊急入院をして投薬とリハビリの日々を過ごしているとの近況についても綴りました。
佐藤弘道さんが発症した脊髄梗塞は、脊髄に血液を供給する血管が詰まることで手足などが動かなくなる病気で、発症頻度の低い非常にまれな病気であるといいます。
症状としては麻痺とその進行、膀胱直腸障害、自律神経障害などで、ひどいと歩くどころか立つこともできません。脊髄は大動脈から枝分かれした血管によって栄養を補給されていますが、多くの場合は脊髄の腹側と背中側に沿って走る血管のうち、腹側の太い血管がつまることで起こります。症例が少ないことから、動脈硬化、動脈塞栓症、大動脈解離、ショックによる低血圧、血管炎から椎間板ヘルニアなど、原因もはっきりしていないのと同じ理由で、有効な治療法も確立されていません。
佐藤弘道さんは「『脊髄梗塞』は残念ながら有効的な治療法が無いことは知っています。今は全く歩けません」とも綴っていることからファンにも大きな衝撃が走り、SNS上には心配や応援のの声が相次ぎました。
しかし、佐藤弘道さんは約2ヶ月後の2024年8月20日には、リハビリを続けた結果、奇跡的に歩くことが出来るようになり無事に退院したことを報告しています。
出典:https://news.infoseek.co.jp/
元気そうな笑顔で自力で立っている写真もアップしたため、ファンからも安堵の声が上がりました。
ただ、佐藤弘道さんはこの時はまだ半身の麻痺やしびれが残っており、失ってしまった機能もあるため普通の歩き方は出来ない状態であったようです。
それでも「一日でも早く社会復帰が出来るように頑張ります」と前向きな思いを綴っていました。
佐藤弘道についてまとめると…
・佐藤弘道はタレントとしても大成功し、最高年収が3億円もあったことを明かしている
・佐藤弘道はの事故の噂はデマであり、交通事故を起こしたのはうたのおにいさんを務めた速水けんたろうである
・佐藤弘道は大学時代から交際していた久美子さんと1994年に結婚、家事全般に口出しをすることから“モラハラ疑惑”が浮上したこともあった
・佐藤弘道には子供は息子が2人おり、イケメンと話題になっている
・佐藤弘道は現在、幼児向け体操教室を運営する会社の社長も務めている
・佐藤弘道は2024年に脊髄梗塞による下半身麻痺のため活動を一時休止することを発表した
佐藤弘道さんは、「うたのおにいさん」を卒業後も順調なセカンドキャリアを送り、幸せな家庭も築いてきました。「脊髄梗塞」による下半身麻痺で活動休止を余儀なくされましたが、リハビリの結果、奇跡的に2ヶ月ほどで歩くことが出来るまでに回復しています。佐藤弘道さんには今後も無理せずリハビリを続け、いつかまたテレビなどで元気な姿を見せてほしいですね。