近年は俳優としての活躍も目立っている歌手の吉川晃司さん。
この記事では、吉川晃司さんの若い頃から現在までの活躍、元彼女の天海祐希さんとの破局、そして結婚した嫁と子供情報などを詳しくまとめました。
この記事の目次
吉川晃司のプロフィール&経歴
名前:吉川晃司(きっかわ こうじ)
本名:吉川晃司(きっかわ こうじ)
生年月日:1965年8月18日
出身地:広島県安芸郡府中町
身長:182cm
所属事務所:アクセルミュージックエンターテイメント
吉川晃司、高校時代はU-20日本代表に選出された水球選手だった
吉川晃司さんの少年時代に関しては、意外にも勉強はかなり出来た少年だったようで、広島を代表する名門である修道中学校(偏差値67)を受験し、合格した実績があります。
修道中学に入学した後の吉川さんは水球に打ち込むようになり、高校時代には全日本高校最優秀選手やU-20日本代表に選ばれるほどのアスリートに成長しております。
しかしながら、勉強面ではハイレベルな修道中学の授業についていけずに、入学早々に落ちこぼれたという吉川さんは、高校生になると部活と平行してバンド活動に入れ込むようになり、最終的には水球部を退部することになりました。
吉川晃司の若い頃~過激パフォーマンスでNHKを出入り禁止に
吉川晃司、芸能界デビューのきっかけは自作自演
広島でバンド活動に明け暮れていた高校時代の吉川さんですが、当時の目標は大手芸能事務所と契約をして、音楽の世界でスターになることでした。
そのため吉川さんは、スカウトの目に止まりにくい広島在住という地理的な逆境を克服するために、第三者を装いながら自身の売り込みの手紙を芸能事務所に送り続けるという、地道な努力もしていたそうですね。
そこで吉川が考えたのが、プロダクションのスカウトマンに広島へ来てもらうこと。吉川は、第三者になりすまし「広島に天才がいるぞ」という手紙を各プロダクションに送った。
頭脳プレーが功を奏し、渡辺プロダクションからスカウトがやって来てオーディションを受けることが出来た吉川さんは、当然ながらオーディションに合格しました。
当時の吉川さんは、水球の実績で慶應義塾大学への特待生入学も可能な立場だったそうですが、芸能デビューのチャンスを前に学生生活を続けるという選択肢はなかったようで、両親の反対を押し切って修道高校を中退し、東京に上京することになりました。
吉川晃司、若い頃はアイドル売りだった
高校3年に進級する直前に修道高校を中退し、東京にやって来た吉川晃司さんでしたが、デビューまでには少し時間がかかり、19歳の冬となる1984年2月に、シングル「モニカ」と映画「すかんぴんウォーク」の主演・民川裕司役で芸能界へ殴り込みをかけることになります。
当時の芸能界の流行に沿った形で、本人の望むアーティスト売りではなく、アイドル売りをさせられることとなった吉川さんですが、「モニカ」はオリコンの週間ランキングでは最高位4位ながらも1984年の年間ランキングでは22位に輝く大ヒットとなりました。
デビュー早々に人気アイドルに躍り出た吉川さんはその後もヒット曲を出し続け、1985年1月にリリースされたシングル「You Gotta Chance」では、オリコンの週間ランキングで最高位1位に輝きました。
吉川晃司、紅白歌合戦でギターを燃やして出禁となる
デビュー早々に人気アイドルとして芸能界で大成功を収めた吉川晃司さんでしたが、元々は広島ではバンド活動をしていた人物ですので、アイドルとは思えない尖った行動が目立っていた人物でもありました。
吉川さんの若い頃の武勇伝には、1985年に初出場した紅白歌合戦にて、歌唱中に肩から下げたギターを燃やしたり、出演時間をオーバーしてもパフォーマンスを続けるなど、放送事故同然の騒動を起こしたことがあります。
・白組なのに真赤な衣装で、酒(シャンパン)を撒き散らしながら登場し、さらに観客に向けて吹き出す。
・当初予定になかった、ステージから客席に降りる行為を行った上に、撮影中のカメラに衝突する。
・本来の出演時間をオーバーし、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行った。ただしギターを破壊するシーンは放映されることはなかった。
・その後も吉川のパフォーマンスが続き、次の歌順の河合奈保子はオーケストラをバックに、「デビュー」を歌う筈だった。ところが、「デビュー」のイントロが既に演奏されているにも関わらず、未だ吉川はバックバンドと共にステージ上に居残り続けていた。この要因により河合は、舞台に出ようとするタイミングがつかめずに、「デビュー」の出だしが歌えなくなり河合が怯える様子や、バックダンサー達も困惑の表情がテレビに放映。やむなく河合は演奏の途中から歌唱した(のち吉川サイドから河合へ直接謝罪している)。
引用:吉川晃司
駆け出しのアイドルが看板番組で起こしてしまったこの事件は、当然ながらNHKを激怒させ、吉川さんは出禁処分を受けてしまい、以降はしばらくの間NHKの番組に出演することが出来ませんでした。
吉川さんが紅白歌合戦という大舞台でこのような行動を取ってしまった原因には、レコード大賞などの当時の賞レースが腐敗していた現状に対して、大衆の注目が集まる舞台で抗議をしたいという意向があったようですね。
吉川はこの件を振り返って、「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延ばしている意識も全く無かった。ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」などと述べている。
引用:吉川晃司
吉川晃司、親友の尾崎豊や岡村靖幸と夜な夜な飲み歩く
芸能活動では尖った部分が目立っていた若き日の吉川晃司さんでしたが、プライベートでは持ち前の体育会系気質により、友人が多い人物でした。
当時の吉川さんは、アイドルとしてライバルだったチェッカーズやシブがき隊の面々とも交流があるなど、かなり鷹揚な性格の人物だったことが伺えます。
1980年代の吉川さんが特に仲の良かった親友には、歌手の尾崎豊さんや岡村靖幸さんがおり、3人で連れ立ってディスコやバーに行くことが多かったようですね。
酒好きの吉川さんや尾崎さんには、酔いつぶれて2人でゴミの集積場で眠っていたら、朝になって野次馬たちに発見されて騒がれた挙げ句、通学中の女子高校生に説教をされたというエピソードが残っています。
尾崎さんとよく飲みに行っていたという吉川。ミュージシャン仲間が集まるバーで一緒に飲んで帰る際、その店の階段を上がっていったところにゴミ収集袋が積んであった。夏場だったため、ビニールで出来ているゴミ袋はひんやりと冷たく、その気持ち良さに酔っていた2人は眠り込んでしまったという。
起きたら朝。そのゴミ集積場の隣はバス停で、何人か並んでいた。当時も人気を博していた2人だったが、キャーキャー騒がれながらもその中の女子高生らから「はずかしいから起きて下さい」「みっともないから起きた方がいい」などと説教を受け、すごすごと帰路についたと明かした。
吉川晃司、伝説のユニット「COMPLEX」にてアーティストとして飛躍
充実した芸能人生を送っていた吉川晃司さんですが、悩みもありました。
それは、1986年3月に発売されたシングル「MODERN TIME」以降は、自作曲中心の歌手活動になったのにも関わらず、世間からはアイドル扱いをされ続けたことでした。
そんな吉川さんのイメージを一変させるきっかけとなったのが、当時友人であった元BOOWYのギタリスト・布袋寅泰さんと結成したロックユニット「COMPLEX」となります。
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「COMPLEX」の活動期間は1989年から1990年までの短い期間でしたが、発売した2枚のシングルと2枚のスタジオ・アルバムすべてがオリコンの週間チャートで1位に輝いた他、東京ドーム公演も実現させるなど大成功を収めました。
しかしながら、活動の方向性の違いにより2人が大喧嘩して不仲となるなど、華やかな活動の裏では、色々なトラブルがあったようですね。
ソングライターとして急成長する吉川と、音楽の細部にわたるこだわりだけでなく、活動コンセプトやファッション、ビジネス面に至るまでをプロデューサー視点でトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いに発展して活動停止に至った。また当時、コンピュータを多く導入したサウンド作りを考えていた布袋と、COMPLEXのツアーで一流ミュージシャンによる生演奏で歌うことの楽しみを知った吉川との間に音楽性の根本的な違いが生じたことも休止の要因と言われている。
引用:COMPLEX
吉川晃司の元彼女は女優の天海祐希~結婚秒読みも破局の過去
吉川晃司、2003年に天海祐希と交際発覚も3年で終止符
吉川晃司さんといえば、かつては女優の天海祐希さんとの交際で話題になったこともありました。
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天海さんは宝塚の男役のトップスターとして活躍した人物であり、退団後はドラマ「BOSS」シリーズの主演・大澤絵里子役やドラマ「離婚弁護士」シリーズの主演・間宮貴子役でお馴染みの大物女優となります。
2003年に交際が発覚した2人の馴れ初めに関しては、天海さんが主演した舞台「阿修羅城の瞳」を吉川さんが観劇に行ったことをきっかけに交流が始まり、交際に至ったとか。
一時期は、天海さんの側から吉川さんに逆プロポーズしたとの噂まで飛び出し、結婚は秒読みかと思われていた2人ですが、共通の知人の冠婚葬祭に対して天海さんが不義理を働いてしまったことをきっかけに不仲となり、3年で破局することになりました。
「2人の知人の冠婚葬祭を巡り、天海が事務所側の意向もあって仕事を優先させたことで亀裂が生じ、3年ほどで終止符。それ以降、天海の熱愛報道は聞かれません。健康を損ねた時期もあり、マイペースで仕事をしたいという思いが強い。それに、天海に太刀打ちできる独身男性なんてそうそういませんからね。結婚したいと思えるほど尊敬できる男が見つからないのでしょう」(芸能記者)
吉川晃司、未だに天海祐希から共演NGを食らっている
一時期は「侍のような人」と天海祐希さんからおノロケられるなどしていた吉川晃司さんでしたが、破局後は天海さんから共演NGを食らっているそうです。
吉川さんが天海さんから共演NGを食らっていることが発覚したのは、2016年に公開された映画「さらばあぶない刑事」においてでした。
当初は、主演の舘ひろしさんの恋人役を演じる予定だった天海さんですが、吉川さんが映画のラスボスであるキョウイチ・ガルシア役を演じることを知り、出演を辞退してしまったとか。
ヒロインの役どころは舘の恋人役。当初は天海祐希(47)が演じる予定だったが、天海のかつての恋人だった吉川晃司(49)も出演することがわかり、オファーを断った。結果、菜々緒が抜擢されたというのだ。
破局の際に、2人の間によほどの感情的なしこりが残ってしまったということなのでしょうね。
吉川晃司、2011年に結婚した嫁は堀北真希似のバツイチ女性
吉川晃司、40代前半の医療関係の仕事をする女性と結婚していた
吉川晃司さんは、2011年6月に、女優の堀北真希さん似と言われている当時40代前半の一般女性Aさんと結婚しております。
Aさんは富山県魚見市出身の医療関係者の女性と言われており、吉川さんとの結婚前に離婚歴もあったそうですね。
吉川さんとAさんは2008年頃より交際に至ったそうで、2011年6月当時で2歳になる長女も生まれていました。
吉川さんが子供が生まれていたのにも関わらず、すぐにAさんと結婚をしなかった理由に関しては、本人が特に弁明をしていないため不明となっています。
しかしながら吉川さんは、以前から家庭を持ち生活感がついてしまうと、芸能人としてのスケール感がなくなるという持論を持っておりました。
そのため、仕事ファーストのためにあえて結婚という選択肢を取らずにいた可能性が高いと言えます。
また、吉川さんは当時から自身が所属する個人事務所「アクセルミュージックエンターテイメント」の社長をしていたため、結婚による女性人気凋落が事務所の経営に悪影響を及ぼすことを憂慮し、結婚への踏ん切りがつかなかったのかもしれませんね。
吉川晃司、結婚のきっかけは東日本大震災
吉川晃司さんといえば、2011年3月に起こった東日本大震災の復興支援のために、人知れずに被災地入りして、ボランティア活動に従事していたことでも有名な人物だったりします。
吉川さんが当初の予定を変更してAさんと結婚に至った理由には、被災地でボランティア活動をしていく内に、家族の大切さというものを痛感したことも大きかったようですね。
そのため、富山で暮らしていたAさんと長女を東京に呼び寄せて、堂々とした結婚生活を送る決心がついたとか。
吉川晃司の子供情報~1人娘は東京女学館在学中
吉川晃司、結婚時にはすでに2歳になる娘がいた
前述にもある通り、吉川晃司さんは結婚時点の2011年6月当時で、2歳になる長女も生まれていました。
結婚時2歳だった吉川さんの長女に関しては、現在は東京女学館小学校に通っていると噂されています。
東京女学館小学校といえば、松嶋菜々子さん・反町隆史さん夫妻の娘たちも通っていたと言われている芸能人御用達の学校であり、受験倍率は5倍以上の人気校となります。
東京女学館小学校は、小学校ながら初年度納付金額は130万円以上かかるセレブ校でもあり、学校施設には室内温水プールまで整備されております。
森英恵さんがデザインしている東京女学館小学校の制服は、「渋谷の白鳥」と異名を取るほど可憐であるため、吉川さんの長女もさぞや可愛らしい制服姿を披露しているものと思われます。
吉川晃司の現在~存在感際立つ俳優としての活躍
吉川晃司、俳優として注目されたきっかけは三池崇史監督作品
1980年代後半から1990年代にかけて、俳優としての活動を封印していた吉川晃司さんですが、近年は、役者としての活動が目立っております。
俳優として注目されたきっかけは、三池崇史監督がメガホンをとった2000年の映画『漂流街』でのヤクザ役でした。
その翌年の2001年には三池崇史監督の映画『天国から来た男たち』で主演を務め、それ以降はドラマは他作品にも俳優として出演することが多くなりました。
2010年代の吉川さんの俳優活動に関しては、映画では「るろうに剣心」の鵜堂刃衛役や「さらばあぶない刑事」のキョウイチ・ガルシア役など、悪役を演じさせても堂に入った存在感を発揮しています。
基本的には映画での俳優活動がメインだった吉川さんですが、「八重の桜」の西郷隆盛役や「下町ロケット」の財前道生役など、人気ドラマの印象的な役柄を演じることもありました。
ここまで、専業ではない吉川さんが起用される理由は、専業俳優にはない独特のオーラや存在感だそうです。
俳優出身ではない“歌手兼俳優”の中ではかなり演技がうまいですし、何より歌手としてのキャリアを重ねる中で培ってきた、俳優にはない、歌手ならではの独特な存在感と言うか、オーラを放っています。単にうまいだけではなく、クールな中にある狂気とか、ちょっと危険な香りも出せる。
2018年になると吉川さんは、「黒書院の六兵衛」の的矢六兵衛役において、自身初の連続ドラマ初主演まで経験することになりました。
吉川晃司はボランティア活動にも熱心
吉川晃司、「平成30年7月豪雨」でも被災地へボランティアに
東日本大震災での地道なボランティア活動により、称賛の声が集まっていた吉川晃司さんでしたが、2018年夏に西日本を襲った「平成30年7月豪雨」においても、被災地に出向いてボランティア活動に励んでいたことが発覚しております。
平成30年7月豪雨とは、2018年(平成30年)6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に北海道や中部地方など全国的に広い範囲で記録された台風7号および梅雨前線等の影響による集中豪雨。同年7月9日に気象庁が命名した。
引用:平成30年7月豪雨
吉川さんが西日本各地でボランティア活動に明け暮れていたことが発覚したのは、現地で活動するボランティアたちの目撃情報からでした。
きっかけは上下黒ずくめにマスク、白いタオルを頭と首に巻いたいでたちの吉川がボランティアの輪に加わっている画像が「目撃情報」としてツイートされたこと。本人は、ボランティアについて公表もしていなければコメントもしていない。
そんな吉川さんのボランティアに対する持論は、マスコミ相手の売名行為的な活動でも、被災地の人々の助けになるならば否定すべきではないという達観したものです。
15日付で同サイトに寄せたコメントは「なんか騒がしいぞ~。」で始まり「ボランティアって、マスコミ同伴で炊き出しするもよしじゃない?被災地の状況を発信しながら関わるもよしじゃない?人それぞれ思う形は違うしね」と語っている。
自身は一切の売名行為をせずに、ひたすら被災地の復興支援をし続けている男の中の男である吉川さんですが、だからといって自分を高みに置いて他者へ説教するような行為はしない方針ということになります。
吉川晃司について総まとめすると…
・吉川晃司は2011年6月、40代前半のバツイチの医療関係の仕事をする女性との結婚を発表した。
・吉川晃司の子供は娘が1人で、現在は東京女学館に在学している。
・吉川晃司は女優の天海祐希と2003年に交際が発覚し、結婚秒読みともいわれるも3年で破局した。
見た目以上に男らしく、一本気な人間性である吉川晃司さん。
人と人との繋がりが大事と言われている芸能界において、50代になっても吉川さんの活躍が止まらない理由に関しては、 それだけ周囲の芸能関係者から敬意を集めているということなのでしょうね。
吉川さんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。