解散してから個々の活動もあり、現在でも人気のあるバンドBOOWY。惜しまれながらも解散してしまったその解散理由とは!?
この記事では、BOOWYのプロフィールと人気曲、そして解散理由や再結成復活の噂など現在の状況をまとめてご紹介します。
BOOWYプロフィール
名前:BOOWY(ボウイ)
活動期間:1981年~1988年
メンバー:氷室京介(ボーカル)/布袋寅泰(ギター・コーラス)/松井恒松(ベース)/高橋まこと(ドラムス)
結成は1981年、群馬県高崎市出身の氷室京介さん、布袋寅泰さん、松井恒松さんを中心に結成されました。
初ライブ後にドラムの高橋まことさんが加入し、1982年にデビュー、デビュー当初は6人編成でしたが、同年秋に2人が脱退してしまい、以降は4人編成で活動をしていきます。
最近のロックシーンでは当たり前となった逆立てたヘアースタイルなどは当時は斬新で、ビジュアルからの支持も多く集め、一躍人気になります。
その人気から5thアルバム「BEAT EMOTION」と6thアルバム「PSYCHOPATH」は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録し、1987年にリリースしたシングル「MARIONETTE」は初登場一位を記録し、日本を代表するトップバンドとなります。
そんな人気も絶頂の最中、1987年12月24日に解散を宣言し、翌年1988年4月4日、5日に東京ドームで行った「LAST GIGS」にて解散してしまいます。
この解散ライブでは9万枚以上用意されていたチケットがわずか10分で完売してしまうと同時に予約の電話が殺到しすぎて、文京区の電話回線がパンクするという事態も起こりました。
その解散ライブを収録したライブアルバム「“LAST GIGS”」は、ライブ・アルバムとしては異例の150万枚のセールスを記録しています。
そのBOOWYの音楽性や斬新なビジュアルなどはバンドブームの火付け役となり、現在でもBOOWYに憧れているバンドマンは多くいます。
解散後も、ベスト・アルバムや未発表音源がリリースされると常にチャートの上位にランクインする程、現在でも人気のバンドです。
氷室京介(ボーカル)
名前:氷室 京介(ひむろ きょうすけ)
生年月日:1960年10月7日
血液型:O型
出身:群馬県高崎市
1982年、当時は氷室狂介という名前でBOOWYのヴォーカリストとしてデビューします。1987年12月24日にBOOWYが解散すると、1988年にはシングル「ANGEL」でソロデビューを果たします。
1994年以降には国外での音楽制作が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住しセルフプロデュースでソロ活動をしていきますが、2016年に行われたツアーでソロ活動も幕を降ろします。
布袋寅泰(ギター・コーラス)
名前:布袋 寅泰(ほてい ともやす)
生年月日:1962年2月1日
身長:187cm
血液型:B型
出身:群馬県高崎市江木町
BOOWYのギタリストとしてデビューし、BOOWY解散後はソロ活動、吉川晃司さんとのユニット・COMPLEX、また、ミュージシャンへの楽曲提供など幅広く活動しています。
また、海外では「HOTEI」名義で、イギリス、ドイツなどでアルバムをリリースし、海外での活動も多く見られます。その他にも映画やCMなどへ出演し、俳優としての活動も行っています。現在は家族と一緒にロンドンへで暮らしています。
松井恒松(ベース)
名前:松井 常松(まつい つねまつ)
本名:松井 恒二(まつい こうじ)
生年月日:1960年9月8日
出身:群馬県高崎市
身長:170cm
体重:57kg
血液型:A型
1980年に氷室京介と布袋寅泰がバンドを結成しようとしていることを知りBOOWYのメンバーとして活動をスタートします。
BOOWYでの活動終了後はスタジオ・ミュージシャンや布袋寅泰のライブサポートをしながら1989年には1stアルバム「よろこびのうた」を発表するなど、マイペースな活動を続けています。
BOOWYのメンバーの中でもBOOWY解散後も一番メンバー同士の付き合いの多いメンバーです。
高橋まこと(ドラムス)
名前:高橋 まこと(たかはし まこと)
本名:高橋 信(たかはし まこと)
生年月日:1954年1月6日
出身:福島県福島市
身長:170cm
体重:61kg
血液型:A型
知人に誘われて偶然見た新宿LOFTでの暴威(BOOWYに改名前のバンド名)のライブの後、ドラムを募集していることを知りオーディションに参加しドラムスとして加入します。
BOOWY解散後は元ALLERGYのボーカリスト宙也を中心として結成されていたDe-LAXに参加しますが、De-LAXも解散してしまいます。
De-LAXも解散後はソロアルバム「楽しき人生」を発表し、その後De-LAXのギタリスト榊原秀樹さんと共にGEENAを結成します。
その後は再結成されたDe-LAXを中心に活動するものの2013年2月に脱退してしまいます。
BOOWY解散の真相
出典:i2.wp.com
人気絶頂期で解散してしまった解散理由としては、現在でもバンド側からの正式な発表はされておらず、時には不仲からの解散という噂も立ちます。
しかし、要因のひとつとして布袋寅泰さんが海外での活動を強く希望した事が挙げられます。
また、ブレイクする以前からバンド内で「トップに立ったら解散する」と決めていたそうで、それも理由の一つと言えるでしょう。
トップバンドになり、ブレイクしたことによりファン層も変わり、ロックバンドであるはずのBOOWYがアイドルのように扱われ始めた事などにファンとの温度差や違和感を感じ始めてしまったのだそうです。
現在も正式な解散理由に関しては発表されていませんが、決して不仲からの解散ではない様です。また著書「秘密」では「決してひとつの理由などではない。もしいま4人が集まり解散の理由を話したとしたら、きっと全員見事にバラバラなのではないかと思う」とも語られています。
BOOWY再結成で復活してほしいという声も多いが…
現在でも個々の活動や、世代を超えて人気のあるBOOWYですが、やはり復活してほしいとの声も沢山あります。
また、最近では「BOOWY20170807」という広告が出ており、そこから再結成するのではないか…?という噂もありますが、その真相もわかりました。
BOOWYの広告、思わせぶりすぎる👎
— 千鶴 (@chiduk3) 2017年6月9日
復活を期待して喜んだり泣いたり、休暇の申請もしようとしてたんだから…
BOOWY20170807の広告は復活の広告ではなく、ライブアルバムのリリースの広告だったそうです。意味深な広告から、この様にライブに行く気満々だった人はかなり悲しい気持ちになったでしょう。
安易に復活する安っぽいバンドじゃなくてホッとした(BOOWY
— あん子ちゃん (@salyu_m) 2017年6月8日
逆にBOOWYと言えば現在でさえも幻のバンドと呼ばれています。その幻のバンドが再結成するバンドではなくて良かったという声もあります。
確かに一時期過去に休止や解散してしまったバンドが復活する再結成ブームみたいなのがありましたが、そこでBOOWYも再結成していれば、幻とは呼ばれなかったでしょう。
BOOWYを生で見たいのですが、可能性はないですか?氷室さんも復活は有り得ないですか?詳しい方お願いします。
— コレア♂@B’z再始動! (@bz410) 2017年2月28日
また、BOOWYだけではなく氷室京介さんの活動休止も記憶に新しいですが、氷室京介さんに復活してほしいという声も多くありました。
BOOWY人気曲ランキング
そんな現在でもカリスマ的存在のBOOWYですが、BOOWYの人気曲ランキングを紹介していきます。BOOWYを知らなかった方も是非チェックしてください。
第三位「ONLY YOU」
1987年4月6日に発売された「ONLY YOU」がランキング3位です。
この曲はBOOWYの5枚目のシングルで、5thアルバム「BEAT EMOTION」からシングルカットされた曲でもあります。
現在でもカラオケで歌う人も多い曲となっていて、世代でなかった方も曲を聴けば聞いた事があるという人も多いでしょう。
第二位「B.BLUE」
BOOWYの4枚目のシングル、1986年9月29日に発売された「B.BLUE」がランキング2位です。
BOOWYとしては初のヒットを記録したシングルであり、テレビ番組「ザ・ベストテン」にもランクインしました。
第一位「MARIONETTE」
堂々のランキング一位は1987年7月22日にリリースされた「MARIONETTE」です。こちらも現在でもカラオケなどでよく歌われている楽曲でしょう。
しかし実はこの曲の制作時点では解散を決めており、氷室京介さん自身も「BOØWYの楽曲なら何でも売れるというならこれでも食らえという意識で書いた曲」と語っている曲です。
まとめ
BOOWYの再結成や復活は誰もが待ち望んだ事ですが、「BOOWY20170807」というのは復活ではないという事で残念な気持ちになったファンも多いでしょう。
しかし、伝説、幻のバンドと呼ばれるバンドなのでそのまま復活しないのもBOOWYらしく憧れられる理由なのかもしれません。
現在も個々での活動はされているので、個々の活動に注目していきたいですね。