昭和のトップアイドルとして活躍した野口五郎さんですが、親友だった西城秀樹さんとの生前の思い出について語っています。
野口五郎さんのプロフィール、結婚した嫁と子供(息子/娘)など、若い頃から現在までの活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
野口五郎のプロフィール
男性アイドル界を切り開いた“新御三家”
野口五郎さんは故・西城秀樹さんと郷ひろみさんとともに“新御三家”と呼ばれ、1970年代から男性アイドルの新しい形を切り開いたパイオニアのひとりでもありました。
2018年5月に亡くなった西城秀樹さんの一番の親友でもあり、歌手としての想いを引き継いで西城秀樹さんの分まで歌い続けています。
野口五郎さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 佐藤 靖(さとう やすし)
生誕: 1956年2月23日
出身地: 岐阜県
ジャンル: 歌謡曲、J-POP
職業: 歌手、俳優
活動期間: 1971年 –
レーベル: avex io
事務所: NPミュージック・プロモーション(デビュー時〜1986年6月)、オフィス・ジー(1986年7月〜現在)
引用:Wikipedia – 野口五郎
野口五郎の生い立ちと経歴・若い頃の活躍
野口五郎さんの名前は父親が勝手に決めた
野口五郎さんの本名である”佐藤靖”は元々家族で話し合って”直樹”にするつもりでしたが、父親が家族に内緒で役所に出生届を”靖”として提出してしまったそうです。
野口五郎さんの父親は保健所の公務員で早期退職してからは喫茶店経営をしており、母親は美容院を経営していました。
野口五郎さんの祖父は人形浄瑠璃の語り手である太夫であり、実兄の佐藤寛さんは野口五郎さんにも楽曲提供をしている作曲家です。
両親も元々歌手を目指してアマチュア楽団「青空楽団」に所属しており、そこで知り合って結婚しました。
音楽に縁の深い家庭で生まれた野口五郎さんは幼少期から家では常に音楽が流れていた環境で育ちました。
野口五郎さんは美空ひばりさんが大好きで後に”ソウルソング”だと語っている「リンゴ追分」が大好きだったようです。
野口五郎はプロ野球選手を目指していた
野口五郎さんは少年時代に野球に打ち込んでいましたが、怪我で脚を痛めてからはプロの道を諦めてギターに打ち込むようになりました。
野口五郎さんは地元の美濃市立美濃小学校に通っていました。
ギターは野口五郎さんが小学校1年生の頃に父親が買ってくれたそうです。
そして野口五郎さんは小学校4年生の頃には兄・佐藤寛さんが使っていたエレキギターを貰い練習していました。
小学校5年生の頃には野口五郎さんは『ちびっこのどじまん(フジテレビ系)』に出演してギターの弾き語りで優勝し、同級生をオーディションで選んでバンドを結成しました。
野口五郎さんはバンドの練習を農家の牛小屋の2階でしていました。
野口五郎さんは美濃市立美濃中学校に進学しましたが、芸能界デビューを目指して母親と上京したため台東区立台東中学校に転校し、その後芸能コースのある堀越学園高校に進学しています。
野口五郎さんは早い段階でギターの高い技術を習得していたため、中学校時代からキャバレーなどでいわゆる「ハコバン」として演奏を披露しており、ギタリストとして数々のエレキギターコンテストにも出演していました。
野口五郎、歌手を目指し中2で母親と上京
実力派の叩き上げだった野口五郎
野口五郎さんはアイドル歌手ということから事務所が育てて売り出したイメージがありますが、自ら高い技術で結果を出して勝ち上がってきた実力派でした。
野口五郎さんは1966年10月に放送された音楽番組『日清ちびっこのどじまん(フジテレビ系)』で荒木一郎さんの「今夜は踊ろう」を歌い優勝を果たしました。
これがきっかけで野口五郎さんは芸能界デビューのチャンスを掴みましたが、この時のエピソードを語っています。
『日清ちびっこのどじまん』の司会者、大村崑の「黄金の人差し指」がなかったら今の自分はないとも話している。大村の「出たい人!」の呼びかけに周りが一斉に手を挙げる中で野口も精一杯手を伸ばし、指されてステージに出て行った。後に「実際は自分の周りが指されていたが、体が自然と前へ出て行った」と回顧している。
野口五郎さんがこの時の同期メンバーの中で唯一ライバル視していたのが、現在演歌界の顔のひとりである天童よしみさんだというのでレベルの高さが伺えます。
この『ちびっこのどじまん』に出演して優勝したことをきっかけに野口五郎さんは本気で歌手を目指し始め、美空ひばりさんの「リンゴ追分」を作曲した米山正夫さんに師事したいと考えて米山正夫さんが関わっていたオーディションに何度も出場していました。
そして、米山正夫さんに認められたことで野口五郎さんは中学2年生の頃に母親と一緒に上京しました。
野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹と共に”新御三家”と呼ばれトップアイドル歌手に
演歌歌手としてデビューした野口五郎
野口五郎さんは1971年5月1日に演歌歌手としてファーストレコード「博多みれん」で歌手デビューを果たしました。
この曲はまったく売れずに終わりましたが、野口五郎さんはポップス歌手に転向してセカンドレコード「青いリンゴ」をリリースするとたちまちスマッシュヒットを飛ばし、その甘いルックスから女性ファンを多く獲得しました。
野口五郎さんは1972年12月31日に『第23回NHK紅白歌合戦』に出場して「めぐり逢う青春」を歌いましたが、16歳10ヶ月での出場は当時最年少でした。
野口五郎さんは瞬く間に人気歌手となり1973年4月9日にリリースした「オレンジの雨」はオリコン週間チャートで初のベスト10入りを果たし、続いてリリースした「君が美しすぎて」は3位にランクインしてこの年の『第24回NHK紅白歌合戦』に2年連続出場を果たしました。
この頃から野口五郎さんは西城秀樹さん、郷ひろみさんらと並んで”新御三家”と呼ばれ、トップアイドル歌手の仲間入りを果たしました。
野口五郎さんの芸名の由来は富山県富山市から岐阜県飛騨市にまたがる飛騨山脈の一部である「黒部五郎岳」と「野口五郎岳」とどちらかを選ぶように言われた際に、選ぶなら高い山の方がいいと考えて後者を選びましたが、元々は「水城哲也」という芸名でデビュー予定だったようです。
現在は野口五郎さんの方が世間的な知名度を獲得しているため、「野口五郎岳」は野口五郎さんにちなんで名付けられた山だと勘違いする人もいるようです。
野口五郎さんはデビューした頃は、ライバルとして自分を過剰に意識してくる西城秀樹さんが嫌いだったようですが、次第に盟友としての意識が生まれ人柄を知る中で30歳頃から仲良くなったようです。
野口五郎、アイドル時代の苦労を語る
アイドル熱狂時代の苦労を語った野口五郎
野口五郎さんは2018年7月31日に放送されたバラエティ番組『おかべろ(フジテレビ系)』に出演し、アイドル時代に体験した苦労を語りました。
現在の熱狂的アイドルオタクが起こす騒動と言えばストーカーや脅迫などが多いイメージですが、当時のアイドルファンは現在よりも狂信的だったようです。
当時のファンは今よりもかなり熱狂的で、宿泊先のホテルにファンが集まり過ぎるために、そのホテルに出入り禁止になってしまい、「ホテルに泊まれないので、小さなホテルを貸し切るんですよ」と、苦労を明かす。飛行機や新幹線での移動も「ちゃんとした入口から入ったことがなかった」とファンを避けて別ルートから入っていたという。
時には、野口五郎さんがホテルで目を覚ますとベッドの周りに10人あまりのファンが取り囲んでいたこともあったようで、下手をすると事件に発展するような出来事もあったことを語っています。
野口五郎、バラエティタレントとして人気を博す
バラエティタレントの才能もあった野口五郎
野口五郎さんは1975年4月4日から1983年3月までバラエティー番組『カックラキン大放送!!(日本テレビ系)』レギュラー出演をしていましたが、これがバラエティタレントの才能を開花させたようです。
野口五郎さんは当時のアイドル歌手としては珍しい三枚目で体を張ったギャグを見せてお茶の間の人気者になっていました。
しかし、元々は『カックラキン大放送!!』のようなバラエティ番組には出たくなかったようですが、プロデューサーに脅しを受けたことから野口五郎さんは芸能界に生き残るために出演を決めたようです。
『カックラキン』は最初は歌番組だと思って引き受けたが、初回の収録が終わった後にプロデューサーに「コント番組はあんまりやりたくないんで、辞めさせて下さい」と降板を申し入れが、プロデューサーから「分かった。降りるのはいいが、その代わり(これからの芸能活動が)どうなるか分かってるな」と言われ、芸能界を干されると思っておののいた野口はその場で「喜んでやらせてもらいます」と答えたという。後に「やったら楽しかった」と振り返っている
引用:Wikipedia – 野口五郎
この時はプロデューサーの脅しに屈した形でしたが、野口五郎さんはバラエティ慣れしたことから後に感謝したかもしれませんね。
野口五郎の結婚した嫁はタレントの三井ゆり
野口五郎、2001年に13歳年下の三井ゆりとの結婚を発表
女優・三井ゆりと結婚した野口五郎
野口五郎さんは2001年にタレントの三井ゆりさんと結婚しました。
野口五郎さんと三井ゆりさんの出会い・馴れ初めは、2000年に放送されたバラエティ番組『ものまね王座決定戦(フジテレビ系)』で共演をしたことがきっかけでした。
知り合って仲良くなった野口五郎さんと三井ゆりさんはすぐに交際に発展し、1年足らずで結婚しましたが、当時13歳差の年の差婚だったことからワイドショーなどで大きく取り上げられ世間の注目を集めていました。
野口五郎さんと三井ゆりさんは、2001年2月に北マリアナ諸島にあるロタ島で結婚式を挙げました。
結婚してからずっと野口五郎さんと三井ゆりさんはおしどり夫婦で知られており、ほとんど喧嘩もしたことが無いようで離婚危機にも無縁で来ました。
三井ゆりさんは夫婦円満の秘訣として、野口五郎さんの考えに対して「でも」や「だって」などの言葉で反論をしないことで喧嘩を起こらないようにしているようで、野口五郎さんを旦那として尊敬していることも明かしていました。
そんな”できた嫁”である三井ゆりさんに、野口五郎さんも「いつも支えてくれて感謝している」と語っています。
野口五郎の嫁・三井ゆりの経歴
三井ゆりはサッカー番組でブレイクした
三井ゆりさんは雑誌「週刊プレイボーイ」のイメージガールとしてデビューしました。
三井ゆりさんはデビュー後にサッカー情報番組『スーパーサッカー(TBS系)』でアシスタントキャスターを務めてブレイクし、以降1990年代には数々のバラエティ番組に引っ張りだこになり人気を博し、一時は「お嫁さんにしたいタレントNo.1」に選ばれるほど男性の心を鷲掴みにしていました。
三井ゆりさんは『東京フレンドパークⅡ(TBS系)』などにレギュラー出演して活躍する一方で、グラビアアイドルとしても人気を博し、写真集やDVDなどが売れていました。
清楚で知的な印象に加えて、レースライセンスやサッカー3級審判の資格などを持っており、そのギャップもまた三井ゆりさんの人気に拍車をかけたようです。
野口五郎の嫁・三井ゆりが劣化?「太った」「老けた」の声も…
芸能界復帰して「太った」「劣化した」と言われた三井ゆり
三井ゆりさんは野口五郎さんと結婚して子供を出産してからは長らく芸能界を離れていましたが、2006年頃に復帰してからは「太った」「劣化した」とネットで囁かれるようになりました。
三井ゆりさんは当時旦那の野口五郎さんからも「クリスマスツリーのような体型だね」とショッキングな言葉ももらっているようで、ネット上で「太った」「老けた」「劣化した」と話題になっていることを気にしていたようです。
芸能人ママのトークバラエティ番組みてて、この人誰だろう?って思ったら三井ゆりさんだった…老けた⁈
— S,aym (@karuha_aym) 2012年10月21日
旅サラダに三井ゆりさんが出てた。 んー…ちょっと老けたかしら… 21年前、彼女がまだキャンギャルだったころ……サインもらったことがあります。
— Shizuki Mahito (@mahito11) 2015年5月9日
野口五郎の嫁・三井ゆり、テレビ番組の企画でダイエットに成功
三井ゆりさんは2014年6月2日に放送されたバラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話×しゃべくり007 合体SP』に出演した際にダイエット企画に参加しており、かつてグラビアアイドルとしての意地を見せて痩せることに成功しました。
見事にダイエットに成功した三井ゆり
三井ゆりさんは当時45歳ですが、グラビアアイドル現役を思わせるような腰のくびれを取り戻しました。
三井ゆりさんが見事なプロポーションを披露したことで、ネット上では「現役当時よりも綺麗」という声も挙がるようになり完全に汚名返上を果たしました。
一度野口五郎さんと三井ゆりさんは離婚が囁かれたことがありましたが、それは野口五郎さんがアルバム制作のためにスタジオに入り浸るあまり自虐的に「三井ゆりと会うこともない」「夫婦の危機だ」と冗談を言っていたためで、実際は離婚には縁遠く子供たちとの関係もずっと良好のようです。
野口五郎の子供は娘と息子が1人ずつ
野口五郎と三井ゆりの子供は2人
娘と息子が誕生
野口五郎さんと三井ゆりさんの間には、2002年に第一子となる長女・文音(あやね)さん、2004年に第二子となる長男・侑都(ゆうと)さんが誕生しています。画像は三井ゆりさんと侑都(ゆうと)さんです。
野口五郎さんは3人目の子供も希望していたようですが、三井ゆりさんから「結構です」とあっさり断られてしまったようです。
三井ゆりさんは子育てのため長らく芸能界を離れていましたが、野口五郎さんが多忙を極めてきたため育児がとても大変だったのでしょう。
野口五郎の長女・文音がピアニストに
出典:https://geitopi.com/
野口五郎さんと長女・文音さん
画像は2021年の文音さんですが、若い頃の三井ゆりさんに似た美しい女性に成長しているようです。
野口五郎さんは、文音さんが生まれる前から音楽の英才教育を受けさせていたことを、2022年5月放送の『ボクらの時代(フジテレビ系)』で明かしています。
音楽の才能が開花した文音さんは、国立音楽大学附属高校を卒業後に東京音楽大学へ進学し、ピアノを専攻しているとのこと。
現在では様々なコンクールで受賞するなど、ピアノの技術が高く評価されているようです。
野口五郎さんは29日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ系)で、子供に英才教育を受けさせていたことを明かしており、誕生前から聴診器のようなものを使って“ラ”の音を聴かせていたところ、誕生後にその音を聴くと笑ったといい、すぐにピアノを弾くようになったそうです。ピアノを始めたきっかけについては、3歳の時にグラスを鳴らして何の音?と聞いたところ、「少し低いシの音」と答えたため、すぐに楽器をやらせようと思ったと明かしています。佐藤文音さんは英才教育を受けた結果、様々なコンクールで賞を受賞しており、昨年開催の全国大会『SAKURA JAPAN MUSIC COMPETITION 2021ピアノ部門 高校生の部』では2位の成績を収めていました。
2022年、大学2年生でコンサートデビューも果たしており、文音さんの今後のピアニストとしての活躍に期待が集まっています。
野口五郎の長男・侑都がイケメン過ぎてスカウトの嵐
野口五郎さんの息子である侑都さんは野口五郎さん似のイケメンだと言われており、芸能事務所からも何度もスカウトされているようです。
また、歌手を目指しているようですが、しょっちゅう「歌手を目指しているのか」と人に言われることに少しうんざりしているようで、野口五郎さんが2017年4月に出演したバラエティ番組『メレンゲの気持ち(日本テレビ系)』で語っていました。
今日地元で野口五郎ファミリーみたんだけど息子がばりイケメンすぎておばさんハゲそうになりました
— はなばなマロン (@subaruryousuke) 2018年8月11日
野口五郎と親友・西城秀樹の突然の別れ
野口五郎、西城秀樹との思い出を語る
突然訪れた盟友との別れ
2018年5月16日に野口五郎さんの長年のライバルで親友の西城秀樹さんは急性心不全により63歳の若さで亡くなりました。
西城秀樹が死去…死因は韓国や脳梗塞|嫁と子供や闘病生活も総まとめ
西城秀樹さんの訃報から一夜明けた翌日に、野口五郎さんはショックのあまり関係各所に述べるコメントが見つからず「時間をください」とコメントしていました。
その後の西城秀樹さんの通夜で読み上げた野口五郎さんの弔辞を一部ご紹介します。
秀樹、君が突然、去ってしまったことを知ってから何日がたっただろうか。皆さんに「気持ちの整理がつくまでに少し時間をください」とお願いしたのだけど、どうやってこの現実を受け止めてよいのか。いまだに君の言葉を、いろんなことを思い出して泣いてばかりいる。秀樹との46年間は簡単に語りきれるものではありません。こんなふうに君への弔辞を読むなんて考えてもいなかった。
野口五郎さんにとって西城秀樹さんは兄のような存在であり、時には弟のようでもあり、そして親友でライバルだったと語ったことから、まさに家族を失ったに等しい悲しみだったようです。
かけがえのないライバルを失った野口五郎
野口五郎さんは2018年8月4日に放送されたラジオ番組『徳光和夫とくモリ!歌謡サタデー(ニッポン放送)』に出演し、デビュー当時から付き合いのあるパーソナリティの徳光和夫と一緒に西城秀樹さんとの思い出について語り合いました。
徳光和夫さんは野口五郎さんと西城秀樹さんの結婚式での司会を務めるなど二人ととても親交が深かったようです。
後半……
— MHB@US生活全然慣れる気がしない (@COOLMHB) 2018年8月18日
これ絶対に秀樹さん一緒にいる!マイクの前にいる!いつもの様に五郎さんを見ながら、一緒に歌ってる姿が見える!#西城秀樹 #野口五郎 #思い出のメロディー #氷川きよし #木村佳乃 pic.twitter.com/f8FIPJgz5M
野口五郎、西城秀樹がきっかけで副業の配信サービスが大成功
野口五郎は西城秀樹をバックアップする事業で成功した
野口五郎さんは2018年1月に放送されたバラエティトーク番組『バイキング(フジテレビ系)』に出演して、西城秀樹さんをバックアップするための活動で成功したことを明かしました。
野口五郎さんが”副業”として大成功を収めた「テイクアウト・ライブカード」は、西城秀樹さんが病気で体の自由が効かない状態でもファンのために全力で歌う姿に心を打たれて実行に移した事業だったようです。
野口の副業は「テイクアウト・ライブカード」。これはコンサートの秘蔵映像やアーティストのメッセージ、見終わったばかりのライブ映像などを配信するサービス。QRコード付きのカードを購入すると、ダウンロードできる。
昨年導入したドリームズ・カム・トゥルーのコンサートでは1枚1500円で発売したところ、3か月で1万枚以上販売された。このサービスの発案者である野口は特許も取得している。
2015年4月に西城秀樹さんの60歳を祝う「還暦バースデーライブ」が行われましたが、野口五郎さんはステージ上で動かない体にムチを打って懸命に歌う西城秀樹さんの姿に心を打たれてライブ配信サービスをして活動をバックアップしようと思い立ったようです。
このライブには野口五郎さんもサプライズゲストとして出演し、バースデーケーキを持ってステージに登場して感激で涙ぐんでいる西城秀樹さんに「1回だけ、恥ずかしいけど、抱いていいか?」とお願いすると、「なんだよ~」とちょっと照れながらもステージ上で抱き合いましたが、この時野口五郎さんは西城秀樹さんがギリギリの状態で立っていたことを知り胸が詰まる思いだったようです。
#思い出のメロディー
— Blue (@BlueSpiritBlues) 2018年8月18日
野口五郎が西城秀樹を歌う。
「ブルースカイ ブルー」。
並んだスタンドマイクが泣かせる。 pic.twitter.com/mFWgGYYtfk
野口五郎、西城秀樹の子供たちのパパになる宣言も
野口五郎、遺された西城秀樹の子供たちのパパになる
野口五郎さんは2018年7月27日にブログを更新し、亡くなった西城秀樹さんの写真を公開するとともに遺された3人の子供たちのパパになることを宣言しました。
この日野口五郎さんはディナーショーで高知県を訪れており、西城秀樹さんのために作曲した「LOVE SONGを永遠に」を自身が立ち上げた「テイクアウト・ライブカード」のサービスで配信することを発表しました。
その後に西城秀樹さんの家族と食事をしたことも報告していましたが、遺された3人の子供のパパになることを宣言しました。
「昨日秀樹の家族と食事をして来ました。ゆっくり話が出来ました。食事の後ケーキ屋さんへ行きました。皆んな可愛くて可愛くて」(原文ママ)と述べ、西城さんの子供達の前で「今日から僕は5人のお父さんになる!」と宣言。自身にも2人の子供がおり、合わせて「5人」とのことで、「だから3人にとってはパパちゃんと五郎パパ!」と語った。
合わせて野口五郎さんは西城秀樹さんの長女と添い寝している写真や、西城秀樹さんが野口五郎さんの長女を抱っこする写真などを一部公開し、こうした交流の写真はいずれ公開することを約束して記事を締めました。
野口五郎の昔の若い頃の画像特集
野口五郎の昔の若い頃の画像①
野口五郎さんの若い頃はまさにジャニーズ顔負けのイケメンだったようです。
野口五郎の昔の若い頃の画像②
若い頃の野口五郎さんは西城秀樹さんや郷ひろみさんとは違い憂いを帯びたイケメンだったようです。
野口五郎の昔の若い頃の画像③
野口五郎さんは若い頃にロンドンブーツを流行る前から履いていたため「短足を隠すため」だと言われていたようです。
野口五郎の昔の若い頃の画像④
野口五郎さんは昔からバラエティ番組でも器用なトーク力を見せて人気を得ていたようです。
野口五郎の昔の若い頃の画像⑤
野口五郎さんは若い頃から2018年現在までに63枚のシングルを出すなど歌手としても精力的に活動を続けています。
野口五郎の昔の若い頃の画像⑥
野口五郎さんは若い頃から歌だけではなくギターのアルバムも出しています。
野口五郎の昔の若い頃の画像⑦
野口五郎さんは主に若い頃に紅白歌合戦に11回出場しています。
野口五郎の昔の若い頃の画像⑧
野口五郎さんは若い頃から俳優としてドラマや映画にも出演していましたが、2013年以降は出演していないようです。
又、見て泣いた。
— のん (@noheanonchi) 2018年8月18日
五郎さんの魂入った素晴らしい歌だった。
ホントに可愛くてイケメンな2人だなー#西城秀樹#野口五郎#思い出のメロディー #nhk pic.twitter.com/WdJtZFQMno
心が悶々としちゃう時は、やっぱりイケメン王子に癒されよう…💕
— まちるだ (@GORO_Love) 2018年8月15日
唇ペロって癖かな?
かーーわーーいーー(≧∀≦)#野口五郎#イケメン pic.twitter.com/Co4YeJswTg
野口五郎について総まとめすると…
・野口五郎は2001年、13歳年下のタレント・三井ゆりと結婚した。
・野口五郎の子供は娘と息子の2人で、長女・文音さんは音楽大学に進学し現在はピアニストとして活動しており、長男・侑都くんは何度もスカウトを受けるほどイケメンに成長している。
・野口五郎は、親友でライバルであった西城秀樹の死に悲しみに暮れるも、遺された西城秀樹の子供たちのパパになると宣言した。
1970年代から西城秀樹さん、郷ひろみさんと並んで”新御三家”と呼ばれ、アイドル歌手として一世を風靡してきた野口五郎さんについて総まとめしてきました。
2018年5月に46年来のライバルで親友だった西城秀樹さんが亡くなり、野口五郎さんは家族と同じくらいの悲しみに暮れていたようです。
野口五郎さんが西城秀樹さんの活動を少しでもバックアップしようと考えた「テイクアウト・ライブカード」は、CDが売れなくなった音楽界に新しいビジネスを生みだすことに貢献しています。
野口五郎さんの今後にも注目です。