2017年7月に亡くなった作曲家の平尾昌晃さんですが、60億円という遺産をめぐり遺族間での遺産相続バトルが発生しています。
この記事では、平尾昌晃さんの家系図や嫁と息子(長男・次男・三男)の情報、遺産バトルの詳細をまとめてみました。
この記事の目次
平尾昌晃のプロフィール
名前:平尾昌晃(ひらお まさあき)
本名:平尾昌晃(ひらお まさあき)
出身地:東京都新宿区
生年月日:1937年12月24日
学歴: 慶應義塾高等学校中退
身長:172cm
デビュー時期:1957年
平尾昌晃、昭和歌謡を代表する大作曲家だった
元々はロカビリー歌手だった平尾昌晃さんは、1950年代後半から始まったロカビリーブームの勢いに乗り、「星は何でも知っている」や「ミヨチャン」といったミリオンヒットを残している人物でもあります。
歌手としても1流だったと言える平尾さんが本領を発揮したのは、作曲家の分野となります。
現在では実力派歌手として知られている布施明さんを人気歌手へと押し上げたのは、実は平尾さんの楽曲であり、デビュー当初の布施さんに「おもいで」や「霧の摩周湖」といったヒット曲を提供しております。
平尾さんの作曲家としての全盛期となったのは1970年代であり、小柳ルミ子さんや五木ひろしさん、アグネス・チャンさんなど、当時の人気歌手たちに数々のヒット曲を提供することになりました。
小柳ルミ子と大澄賢也の離婚原因や子供情報!現在は再婚している噂も総まとめ
そんな平尾さんの作曲家としての主要なヒット曲に関しては、下記の作品があります。
・草原の輝き(アグネス・チャン)売上44.5万枚
・愛の迷い子(アグネス・チャン)売上40.2万枚
・ふたりの日曜日(天地真理)売上44.7万枚
・よこはま・たそがれ(五木ひろし)売上64.2万枚
・長崎から船に乗って(五木ひろし)売上44.5万枚
・わたしの城下町(小柳ルミ子)売上134.3万枚
・瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)売上74.1万枚
・うそ(中条きよし)売上154.1万枚
・理由(中条きよし)売上42.6万枚
・カナダからの手紙(平尾昌晃・畑中葉子)売上70.0万枚
平尾昌晃、後進育成でも多大な功績があった
作曲家としても日本音楽界に多大な貢献のある平尾昌晃さんですが、1974年より運営していた「平尾昌晃ミュージックスクール」における歌手育成の功績も見逃せません。
「平尾昌晃ミュージックスクール」のOGに関しては、松田聖子さんや元モーニング娘の後藤真希さんが有名となりますが、女優の川島なお美さんも同校のOGだったというオマケ情報もあります。
松田聖子の顔は整形?昔・若い頃と現在の画像で比較!肌が不自然との噂も
その他の「平尾昌晃ミュージックスクール」の主要OB/OGについては、下記の人物たちがいます。
・狩人
・畑中葉子
・石野真子
・川崎麻世
・大沢逸美
・森口博子
・芳本美代子
・倖田來未
平尾昌晃の家族と家系図~歴代嫁は3人で16歳少女との不倫歴も
平尾昌晃の複雑な家族関係と家系図
一般人家庭でも揉めることが多い遺産相続問題ですが、平尾家でトラブルが起こった原因は、生前の平尾昌晃さんの女性関係の奔放さに元凶があったと言えます。
この項では、平尾さんの生前の婚姻歴に関して紹介したいと思います。
平尾昌晃の歴代嫁① 18歳だった服部暁子さんと最初の結婚
平尾昌晃さんは、1972年に18歳の短大生だった服部暁子さんと結婚しており、新婚早々に第一子となる長男が生まれるなど、子宝にも恵まれることになりました。
一方で家庭的な男性には程遠かった当時の平尾さんは、妻子のいる身でありながら、「平尾昌晃ミュージックスクール」の教え子であった歌手の小沢深雪さんとの不倫関係に陥ってしまいます。
服部さんが2人の不倫に気がついた1975年当時の小沢さんは16歳の少女でもあったため、二重の意味でショックを受けた服部さんは、同年の5月に息子を連れて平尾さん宅を飛び出してしまいました。
平尾昌晃、16歳少女との不倫発覚で服部暁子さんと泥沼離婚裁判へ
別居後の2人は、互いに弁護士を立てての離婚調停となりましたが、服部暁子さん側の慰謝料の請求額が1億5000万円とかなり高額だったため、平尾昌晃さん側が慰謝料の支払いを拒否するという泥沼の展開が待っておりました。
平尾さんの態度を不誠実だと受け止めた服部さんは、1975年7月になると、週刊誌記者を引き連れて平尾さん宅に向かい、小沢深雪さんとの不倫現場を激写させるという実力行使に打って出ています。
同年7月早朝、A子さんは週刊誌記者を連れて平尾の東京・渋谷のマンションに乗り込み、部屋にいた深雪を直撃。玄関から顔を出した途端、カメラのフラッシュがたかれた。
服部さんの復讐劇は見事成功し、16歳の若さで不倫スキャンダルの当事者となってしまった小沢さんは芸能界引退を余儀なくされます。
一方で家裁まで持ち込まれた離婚調停の方は、平尾さんの不倫スキャンダルが公になった効果は薄かったようで、慰謝料の大幅減額で決着がついてしまうなど、服部さんにとって期待外れの部分もあったようですね。
一方、ドロ沼化していた平尾とA子さんの離婚問題は家裁に持ち込まれた。76年1月、離婚調停が成立。慰謝料は1億5000万円から1600万円まで一気に下げられた代わりに、長男が成人に達するまで養育費を毎月15万円払うことで決着した。離婚原因は差し障りなく“性格の不一致”ということにされた。
平尾さんとの離婚後の服部さんに関しては、1981年に実業家の鹿内春雄さんと再婚しております。
鹿内さんといえば、後にフジサンケイグループの議長(会長)にまで上り詰めた大物となりますが、服部さん自身は夫の出世を見届ける間もなく、再婚の翌年となる1982年にくも膜下出血にて急死してしまいました。
平尾昌晃の歴代嫁② 不倫相手の少女・小沢深雪と再婚
服部暁子さんとの離婚後の平尾昌晃さんですが、1978年7月に不倫相手だった小沢深雪さんと再婚しております。
ただし、2人の再婚はできちゃった婚でもあったようで、同年の10月には平尾さんにとって第二子となる次男・亜希矢さんが誕生しています。
1981年3月には、三男・勇気さんも生まれるなど子宝にも恵まれた2人でしたが、結婚8年目となる1985年に離婚という結末を迎えることになりました。
平尾さんにとって2度目の離婚劇に関しては、平尾さん側に不貞があったというわけではなく、良くあるすれ違い離婚だったようですね。
離婚後の小沢さんについては、アメリカ・ニューヨークに移住した後に現地で再婚し、日本料理店の経営者になったという情報があります。
平尾昌晃の歴代嫁③ 元マネージャー女性と2013年に再々婚
平尾昌晃さんは、晩年となる2013年にはマネージャーであったMさんと再々婚をしております。
Mさんは、長らく平尾さんの内縁の妻的存在であったそうで、平尾さんの個人事務所である「平尾昌晃音楽事務所」の取締役でもありました。
「A子さんは50代で、身長は160cmくらいのグラマラスな体形です。気さくで明るいパワフルな女性で、事務所の取締役も務めているビジネスパートナーでした。彼女も平尾昌晃ミュージックスクール出身で、卒業後、20年以上も平尾さんのマネジャー的役割をしていたようです」(平尾さんの知人)
そのため、いわゆる終活婚でもあった2人の結婚に対して特に不自然な点もなかったわけですが、平尾さんが家族に相談もなくMさんと再々婚したことで、息子たちとの間に感情的なしこりが残ることにはなりました。
とはいえ、2015年に肺がんが発覚するなど、晩年は病に苦しむこととなった平尾さんの闘病生活を支えたのはMさんであることは間違いありません。
2017年7月に肺炎で亡くなった平尾さんの最後を看取ったのもMさんとなっており、平尾さんの葬儀後にテレビ番組に出演した三男・勇気さんもMさんへの感謝の言葉を述べておりました。
番組によると、平尾さんと再々婚のお相手は、4年前に婚姻届を出していたといい、坂上忍から「再々婚したお相手の方っていうのは…」と切り出されると「お母さんです」とキッパリ。「父が体調悪いときもずっと看病して側に(いてくれた)」と、献身的に看病していたと説明。
「父が亡くなるとき、地方の仕事があったんですけど、車で東京に向かっている時にマネジャーから今息を引き取ったと。でも奥さんはちゃんと(最期に)会えましたんで。ちゃんと最後までやってくれました」と母に感謝していた。
平尾昌晃に息子3人~三男・勇気はバカ息子キャラでテレビ出演
平尾昌晃の次男と三男には恩人となる育ての両親がいた
別れた2人の妻との間に3人の息子がいる平尾昌晃さんですが、小沢深雪さんと間に生まれた次男・亜希矢さんと三男・勇気さんは、離婚後に平尾さん側が引き取る形となっています。
といっても、平尾さんが男手1つで息子たちを育て上げたいうわけではなかったようで、息子たちを育ての親的な男女に預けていた時期もあったそうですね。
2度めの結婚は、1978年。兄と勇気が生まれた。妻は離婚後に海外で生活。多忙な昌晃さんに代わり、2人の面倒を見ていた女性がいたが、急逝。
兄弟は、名古屋にいた「育ての親」となる男女のもとに預けられた。「一人は名古屋市内でクラブ経営をしながら、事情を抱えた少年少女の面倒を見ていた女性。僕が15歳、兄が17歳で、将来に悩んでいたとき、方向転換させてくれた恩人です」(勇気)
クラブ経営者女性はかなり太っ腹な人物でもあったそうで、平尾さんから養育費を受け取ることもなく、亜希矢さんたちの面倒を見てくれたと言われております。
次男・亜希矢さんは現在は実業家として活躍中
平尾昌晃さんの子供たちの現在に関しては、次男の亜希矢さんは15歳で歌手デビューを果たしたものの、そちらの分野では芽が出ずに、22歳頃から裏方の仕事へと回ることになりました。
当初は、「平尾昌晃ミュージックスクール」の名古屋校の運営に携わっていた亜希矢さんでしたが、26歳頃に名古屋市内に「CLUBガルシア」というラウンジを開店したことをきっかけに、本格的に実業家に転身しております。
近年の亜希矢さんは、「CLUBガルシア」の他に、美容関連の商品やイベントを取り扱う「株式会社Arrow」や芸能プロダクション「Arrowエンタテイメント」などを経営しているそうですね。
三男・勇気は歌手で妻子持ちになっていた
三男の勇気さんも兄同様に歌手の道へと進み、23歳との時に「ハダカの☆楽園」という曲でCDデビューを果たすことになりました。
しかしながら、せっかくのデビューシングルもオリコン週間チャートで最高位46位に終わるなど売上不振だったため、勇気さんは、2枚のシングルをリリースした時点でメジャー契約を打ち切られてしまうことにもなりました。
メジャー契約打ち切り後の勇気さんですが、歌手活動の他に俳優やタレント業にも手を伸ばすようになり、現在まで現役の芸能人として活躍しています。
プライベートでは、2012年に名古屋市在住のモデル女性とできちゃった婚をした勇気さんには、2012年に長女・流音(るか)ちゃんが、2014年に長男・勇人(はやと)くんが生まれております。
異母兄弟である長男も他の兄弟たちと交流があった
平尾昌晃さんの長男に関しては、服部暁子さんの再婚により鹿内家の人間となったため、現在までに詳細な個人情報は出てきておりません。
ただし、過去の「週刊ポスト」報道により、平尾さんの長男が1990年代後半頃より芸能プロダクションを経営していたことは分かっています。
平尾さんと長男に関しても、以前にこのような父子4ショット写真が勇気さんのブログに投稿されていたことがあるため、没交渉というわけではなかったようですね。
平尾昌晃遺族に60億円遺産バトル~ひとり占め後妻ビジネスの声も
1年余りが過ぎた今年9月20日、ついに開戦の火蓋が切られた。平尾は1人目の妻との間に長男、再婚相手とも次男と三男をもうけた。その三男、ミュージシャンの平尾勇気(37)が、父親の結婚相手に対して法的措置に打って出たのだ。
「元マネージャーの妻は、昨年10月に平尾の後を継いで音楽事務所と著作権管理会社の代表取締役に就任。その取締役としての執行停止を求めて、東京地裁に仮処分申請したのです」(同)
三男は、妻の社長就任が正式な株主総会を経ていない違法なものだという主張。
三男・勇気側公認会計士は「後妻ビジネス極悪非道版」発言!
2018年9月25日、三男・勇気さんは都内で記者会見を開き、同席した公認会計士からは「後妻ビジネス極悪非道版」との発言もあがっています。
この会見では、公認会計士の発したパワーワードにネットが騒然。また、会見時の勇気さんの服装もだらしないとの声もあがっていますが、父親のジャケット、ネクタイ、チーフを身にまとい会見に臨んだそうです。
この日、勇気は父のジャケット、ネクタイ、チーフを身に着けて会見に臨んだが、この服ですら「なんで勝手に持ち出すんだ、これは事務所の物だから」とMさんにとがめられたというエピソードも明かされた。
後妻ビジネスの極悪非道版か#平尾昌晃
— のぼり湯 (@symk268) September 25, 2018
ん~、平尾昌晃さんの三男の身なりからは、クソガキ臭が漂ってる。後妻ビジネスなのかどうかは分からないけど、会見する時位は、百歩譲って金髪は仕方ないとしても、ネクタイ緩めるのはやめた方が良いと思うな。正しい事をして(言ってた)としても怪しく見えてしまう。
— nosalaryman (@nosalaryman) September 26, 2018
平尾昌晃の遺族たちの遺産相続バトルの争点とは?
平尾家の遺産相続トラブルの中で、勇気さんが問題視したMさんの不誠実な行為には、下記のものが挙げられています。
ちなみに、下記記事中のF社とは、平尾昌晃さんの著作権権管理会社であった「エフビーアイプランニング」のこととなります。
・Mさんは、平尾さんの会社から7000万円を横領した取締役を刑事告発しないばかりか、この取締役を平尾さんの一周忌に参列させた。
・F社は、平尾昌晃音楽事務所の株の大半を所有していたが、Mさんと平尾さんが結婚した5年ほど前、音楽事務所はF社所有の音楽事務所株をすべて850万円で買い、自社株とした。しかし、音楽事務所が所有する不動産だけで市場価値は8億円に上り、平尾さんの3人の子供が将来過半数の株を持つことになるF社による音楽事務所への支配を排除するため、Mさんが主導した。
・平尾さんの印税や著作権を管理するJASRACの相続同意書について、Mさんは勇気さんらに対し、複数人が受け取れる「共同用」は提示せず、Mさんのみが受け取れる「単独用」のみを提示し、継承者の欄は空白のまま勇気らにハンコを押させた。
・F社は昨年、株主総会を開いてMさんを代表に選任したが、株主である勇気さんに招集通知を出さなかった。
会見で焦点となったのはJASRACから支払われる年間約1億円にものぼる著作権料。Mさんはこれを単独相続し、平尾兄弟3人に書類に実印を押させ、1人で受け取ろうとしていたというのである。Mさんは「単なるミス」としているが、本人がJASRACに行って、単独用と相続人複数で分ける共同用の2種の書類をもらいに来ている事実があり、意図的な行為であることを告発。このほか葬儀の手配でバタバタの中、Mさんから「これ押さないとお金出ないから、やって」と言われ、押印した書類が10枚ほどあるという。
勇気さんからの告発に対するMさんの反論は、指摘されている不可解な行為はあくまで単純なミスであり、平尾さんの遺産を独占する意図はなかったというものでした。
一方、Mさんは24日反論コメントをマスコミ各社に送付し、著作権使用料を管理するJASRACの相続手続きで「単独用」を用意し、1人で遺産を受け取ろうとしたという勇気氏の主張には、「この手続に関しては初めてのことであったので、私の単純ミスでした。相続人4名が法定相続分で承継する手続をとりました」としている。
また、平尾昌晃氏の作った著作権などを管理する会社の代表取締役にMさんが就任した際の株主総会に長男と勇気氏が呼ばれなかったという主張に対しては「株主総会という手続をとらず、株主全員の話し合いで決めた」としています。
亜希矢さん:
父が亡くなって家族葬があったんですけど、去年の7月ですね。
その時に、Mさんも会社に残りたいというこだわりがあったので、間に入っていた弁護士さんが「Mさんと亜希矢さんで共同代表になりましょう」と。
そして「兄と勇気は、今年の1月になったら役員に入れましょう」と、去年の7月に一度まとまったんですよ。
亜希矢さん:
2人の判がないと何も出来ないという決議にしたんですよ。お墓や葬儀、チャリティや経営など全部2人の判でジャッジしていこうと。
僕は兄と勇気の思いを受けて判を押しますから、3兄弟の意見ですよね。それがいまだに僕は代表になっていない。
兄と勇気に関しては役員にもなってませんから…
株主総会前には“兄弟会議”が行われ、亜希矢さんは勇気のMさんへの感情にまかせた口ぶりを「冗談じゃない」といさめたという。「いきすぎていると思う。父の作品、ブランドを守っていくという方向に、みんな強い気持ちが一緒にある。1対1対2となっている考え方の違いを取り除いていきたい」と勇気、Mさんと長男&次男の図式を変えていきたいとした。
平尾昌晃は後妻に脅されて結婚していた?
勇気さんが兄に諌められるほどMさんに敵対的な態度を取るようになった背景には、父・平尾昌晃さんとMさんの結婚が圧力婚だった疑惑が浮上してきているせいも大きいようですね。
「昌晃さんの没後、勇気くんは再々婚について調べた。結婚の証人の一人は、昌晃さんが40年来のつき合いをしていた同年代の女性。
女性から勇気くんは『マネージャーだったMさんが、“結婚してくれなかったら、暴露本を出す” と昌晃さんを脅して結婚した』と聞いた。勇気くんは、父は脅迫されて結婚したと考えるようになった」(同前)
しかし、Mさんの友人は、脅迫を否定する。
「Mさんは昔、『先生から何度も結婚してくれと言われているが、私でいいのか躊躇している』と言っていました。結婚は5年前、箱根に行った帰りに、役所へ行ったようです。昌晃さんは生前、『3度めだし、公表はしないけど、身内にはちゃんと伝えた』と言っていたと、Mさんから聞きました」
後妻が平尾昌晃の資産管理会社の取締役を解任へ
平尾昌晃さんの遺族たちの遺産相続トラブルに関しては、2018年9月26日に行われた「エフビーアイプランニング」の株主総会にて、Mさんが取締役から解任されるという動きがありました。
総会後、勇気や代理人弁護士らが会見し結果を報告。音楽出版社の総会では勇気、平尾さんの長男(45)と次男の亜希矢氏(39)、そしてMさんの4人が取締役に就任する議案が出されたが、Mさんは選任されなかった。その後、息子3人による取締役会で代表取締役に亜希矢氏が選ばれた。
一方で「平尾昌晃音楽事務所」の方は、裁判の結果を待ってから株主総会を開くべきという勇気さんの主張が通り、議案が決議されることはなかったようですね。
一方、個人事務所の総会については、元々音楽出版社が85%の株を所有していたが、Mさんが不当に売買し、個人事務所の自己株にしたと勇気側が主張。所有者が確定するまで総会を保留、継続することになった。
「平尾昌晃音楽事務所」の株式の所有者をめぐる争いに関しては、東京地裁からは2018年10月に和解勧告が出ており、勇気さん側の対応に注目が集まっております。
作曲家の故・平尾昌晃さん(享年79)の遺産相続をめぐる問題で、三男で歌手の平尾勇気(37)が、平尾さんの妻で元マネジャーのMさんの職務執行停止を求める申し立てについて9日、東京地裁で第1回の審尋が行われた。双方の代理人弁護士が出席。勇気の所属事務所によると、地裁は和解を勧告した。
平尾昌晃遺産バトルについて総まとめすると…
・2018年9月25日、三男・勇気の記者会見では、同席した公認会計士は「後妻ビジネス極悪非道版」と言い放った。
・2018年9月26日、株主総会が開かれ平尾昌晃氏の後妻・Mさんが著作権管理会社の代表取締役から退き、次男の亜希矢さんが新代表取締役に選ばれた。
・後妻・Mさんと息子3人は和解の明言を避け、遺産相続バトル解決は今後も継続の模様。