1993年の大ヒット曲『君は僕の勇気』で一躍ブレークしたシンガーソングライターの東野純直さんの現在に注目が集まっています。
東野純直さんの引退理由、また結婚歴や子供の有無など現在までの活躍について総まとめしましたのでご紹介します。
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東野純直のプロフィール
自身の代表曲『君は僕の勇気』に翻弄された東野純直
東野純直さんは『ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日系)』のエンディングテーマだったセカンドシングル『君は僕の勇気』が30万枚のスマッシュヒットを飛ばして一躍ブレークしたシンガーソングライターです。
しかし、その後はヒット曲に恵まれずに東野純直さんは不遇な時代を過ごし、36歳の頃に突然音楽業界を引退してしまいました。
東野純直さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 東野 純直(あずまの すみただ)
生誕: 1971年8月25日
出身地: 鹿児島県鹿児島市
ジャンル: J-POP
職業: シンガーソングライター、プロデューサー、ラーメン通販店経営者
活動期間: 1993年 –
引用:Wikipedia – 東野純直
東野純直さんはセカンドシングル『君は僕の勇気』の大ヒットにより約8,000万円もの印税が入ってきたそうですが、当時21歳だったこともあり突然手に入れた大金に頭がおかしくなってしまったそうです。
そのため、東野純直さんはまた大金が入ってくると思い込むようになったようですが、その反面サードシングル以降はヒットに恵まれずに埋もれていってしまいました。
東野純直さんは売れない時期が続き、ついには36歳で自ら音楽の道から引退してしまいました。
東野純直さんは現在何をしているのか、これまでの活躍について生い立ちから詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
東野純直の生い立ち&経歴
東野純直の詳しい生い立ちは明かされていない
東野純直さんは家族構成や自身の生い立ちなど詳しい情報は公開していないようです。
東野純直さんは高校は、地元の鹿児島市にある鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校に通っていたと言われています。
東野純直さんは1992年10月の20歳の頃に「第1回MusicQuest’92世界大会」に出場して見事「審査員特別賞」を受賞しました。
翌1993年4月1日にファーストシングル『君とピアノと』で歌手デビューを果たすと、同年7月にリリースされたセカンドシングル『君は僕の勇気』で30万枚を超えるスマッシュヒットを飛ばしました。
さらに同曲を収録したファーストアルバム『Actor&Actress(アクターアンドアクトレス)』もヒットを飛ばし、東野純直さんは学園祭ツアーで全国10箇所を回りました。
- ちなみに、1993年にヒットしたアーティスト別の曲は10位まで以下の通りになります。
1位 YAH YAH YAH CHAGE&ASKA 240.8万
2位 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない B’z 193.2万
3位 ロード THE 虎 舞竜 188.7万
4位 エロティカ・セブン サザンオールスターズ 171.7万
5位 裸足の女神 B’z 165.3万
6位 負けないで ZARD 164.5万
7位 時の扉 WANDS 144.3万
8位 真夏の夜の夢 松任谷由実 142.1万
9位 揺れる想い ZARD 139.6万
10位 世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS 132.6万
日本の音楽界は1990年後半までにいわゆる”黄金期”を迎え、ミリオンヒット級の名だたる名曲が毎年数多く排出されましたが、東野純直さんはその後ヒット曲に恵まれずに不遇な時代を過ごします。
結局、東野純直さんはシングル5枚、アルバム3枚をリリースした後に1年間の音楽活動休止を発表します。
復帰後も東野純直を待っていたのは不遇な時代だった
東野純直さんは心機一転で復帰したのだと思いますが、それでも引退まで売れることはありませんでした。
1996年に復帰後はテイチクレコードから東芝EMIへ移籍し、同年5月9日に復帰第一弾となるシングル『深呼吸でゆく』をリリースしましたが、これも鳴かず飛ばずでした。
東野純直さんはコアなファンは獲得していたものの世間的に再ブレークすることはなく、2000年3月31日にはデビュー当時から7年間所属し続けていた財団法人ヤマハ音楽振興会から離脱しました。
東野純直さんは同年4月1日に所属事務所から移籍して、その後はソロからピアノスタイルトリオとなり3ピースバンド「AZ YOU LIKE」を結成して活動をスタートさせました。
- 2002年2月末には所属事務所だった有限会社メイ・キッスカンパニーが閉じることになったため一時的に東野純直さんのファンクラブの「MAGIC LAMP」も停止状態となりました。
しかし、東野純直さんは個人事務所として「Chest music works」を設立して同年5月1日から活動を再開させます。
音楽家、プロデューサーとして精力的に活動を続けた東野純直
東野純直さんは自身はヒットに恵まれなかったものの精力的に活動を続け、時期にプロデュース業に専念していきました。
2002年10月10日には東野純直さんのデビュー10周年記念となるセルフカバーアルバム『I am.』をリリースし、2004年6月30日には実に4年ぶりとなるオリジナルアルバム『Journal』をリリースして話題を呼びました。
同年7月15日にはコナミのゲームソフト『実況パワフルプロ野球11』のオープニングソング『PRIDE』の作詞と歌を東野純直さんが担当しました。
- 同年11月21日にはアニメ『機動戦士ガンダム』のEVOLVEシリーズである『GUNDAM EVOLVE../』で使用された東野純直さんの楽曲『Blac stars』が収録されているCD『GUNDAM EVOLVE MONTHLY THEME SONG 1』がリリースされました。
この頃から東野純直さんは自身の音楽活動と並行して、自身の所属事務所から初となるアーティスト・堀川千尋さんをデビューマキシシングルでプロデュースし、自身のファーストアルバムに収録していた『BIG GAME』を歌手のAkashiに楽曲提供するなどプロデュース業に力を入れ始めました。
TBS出てるラーメン屋の歌手の人、パワプロ11OPのPRIDE歌ってた人なのか(東野純直)
— たつろー (@iwatatsuro) 2018年3月16日
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ツアーとプロデュースに力を入れる東野純直
東野純直さんは2006年からもプロデューサー業に力を入れる傍らで自身のライブツアーも行っていきました。
2005年11月16日には11枚目となるアルバム『Key stone』をリリースして、東野純直さんは翌月から「東名阪ツアー」を敢行しました。
2006年からは「山形国際ムービーフェスティバル2006」のテーマソング『ノスタルジア』を歌っていた歌手・村井美樹さんのセカンドシングルのアレンジや、歌手・シオダマサユキのデビューシングル、歌手・arie(アーリー)のデビューシングルとセカンドシングルのプロデュースをしました。
東野純直さんは12月8日には1年ぶりとなる年末ライブ「ライブしわっす☆」を開催し、後にリリースすためのお試し盤として『泣いてる君と情けない僕の歌』の限定版を販売しました。
- 2007年4月1日に東野純直さんはデビュー14周年を迎えたことで表参道FAB(現・表参道GROUND)でライブを開催し、先行シングルとして『Light house/永遠』の限定版を販売しました。
東野純直さんは2008年に山寺宏一さんが所属している事務所・株式会社アクロス エンタテインメントに移籍し、同年10月1日にベストアルバム『GOLDEN☆BEST 東野純直〜アーリーシングルコレクション〜』をリリースしました。
- その後、東野純直さんは2009年6月3日にマキシシングル『731の朝』、2010年12月1日に5年ぶりであり12枚目のアルバムとなる『Loading myself』をリリースしましたが、その後突然音楽業界から引退してしまいました。
東野純直は逮捕された?
東野純直が無免許運転で逮捕されたと噂された
東野純直さんが過去に『ワイドナショー(フジテレビ系)』で無免許運転で逮捕されたことが取り上げられたと噂が立っていたようです。
東野純直さんについてネットで検索をすると一時期「無免許 逮捕」という関連キーワードが表示されていたようで、『ワイドナショー』で取り上げられたという噂が立っていました。
しかし、実際は東野純直さんは無免許運転で逮捕などされておらず、『ワイドナショー』の司会を東野幸治さんが務めていたことから”東野”繋がりで情報が錯綜していた可能性があるようです。
東野幸治さんも無免許運転で逮捕された経歴はなく、恐らく他の芸能人が無免許運転で逮捕された話題を『ワイドナショー』で取り上げたことがあったのかもしれません。
また、一部では東野純直さんが2010年頃に表舞台から急に姿を消してしまったため、「逮捕された」と噂する人もいたことが影響しているとも言われているようです。
東野純直の引退理由と現在!ラーメン店経営や結婚など
東野純直、引退してラーメンの世界へ
東野純直はラーメン屋になっていた
東野純直さんは、引退した後はラーメン屋という新たな道に進むことになりました。
東野純直さんは36歳で音楽業界から引退した理由は、「これ以上恥をさらしたくなかったため潔く去った」という旨のことを語っています。
東野純直さんはセカンドシングル『君は僕の勇気』で大ブレークしたため、一発屋の汚名を自分自身で許せなかったのかもしれませんね。
一発屋でもとても凄いことですが、東野純直さんの真面目な性格がそれを許さなかったのかもしれません。
音楽業界を去った東野純直さんは、自身が常連として通いつめていたラーメン屋の求人に応募しました。
東野純直さんは社会人経験がまったくなかったことから履歴書を持参するという考えがなく、手ぶらで訪れた東野純直さんに店主は「履歴書は持ってこないし面接にしっかり答えられない」と第一印象はすこぶる悪かったそうです。
普通なら雇わないところを、お店が人手不足で困っていたことから東野純直さんは幸運にも雇ってもらうことができました。
TBS「爆報!」で、シンガーソンガライター東野純直がラーメン屋に転身して成功している話。ラーメンと音楽は似ているとか。麺が歌詞で、スープが音楽、厨房はステージだとか。つまり店は劇場だ。こういう考えでやると楽しいかもしれない。吹奏楽部のみんなも、音楽を通して学んだことを生かそう。
— ystkgknu (@fuetetsu) 2018年3月16日
東野純直、8年間の修行で自分のラーメン店を持つ
厳しい修行を8年積んで店を持った東野純直
東野純直さんはラッキーで入ったラーメン店で8年の厳しい修行を積んでラーメン店を開店するに至りました。
東野純直さんは2016年の44歳の頃に自分のラーメン店「支那ソバ 玉龍」を東京都・昭島市に開店することができました。
周辺は50店以上ラーメン店がある激戦区にも関わらず、東野純直さんのラーメン店は評判が良かったようです。
東野純直さんは成功した秘訣について「音楽制作とラーメン作りは似ていること」「麺が歌詞、スープが音楽、厨房がステージ」とミュージシャンらしい独特の感性を語っています。
そして、その後「支那そば 玉龍」はそのままに、東野純直さんはさらに世田谷にラーメン店「支那そば 燈灯亭」も開店しました。
東野純直さんのラーメン店を訪れたことがある人がブログで感想を綴っていましたが、お店の雰囲気や味はとても素晴らしかったようです。
清潔、広々、ほのかにおしゃれで、
ラーメン好きなわけじゃない私でも
とても居心地がよかった。昼間からクラプトンが流れてる
ラーメン屋さんなんて、新鮮すぎ。目の前で包んでくれるワンタンの
おいしいことおいしいこと。コクはあるけど後味あっさりな
スープの訳は、無化調のおかげらしい。
早くも常連さんに愛され、
町に根づいてる様子。地に足のついた素敵な店だった。
さすが音楽業界で一発屋であっても一時はスターになった東野純直さんは、ラーメンにかける情熱も音楽と同等のものがあったのでしょう。
東野純直、音楽活動を再開していた
東野純直は現在音楽活動を再開している
東野純直さんは所属事務所を何度か移籍しましたが現在も音楽活動を続けています。
東野純直さんは36歳の頃に音楽業界を一度引退してラーメン業界に飛び込みましたが、音楽業界にも戻ってきています。
ラーメン店を経営しながら、音源制作やアルバムのリリース、ライブ活動にも力を注いできました。
さらにラジオ番組のパーソナリティを務めたり、声優業にも挑戦したりと活動の幅を広げていたようです。
東野純直、結婚はせず子供もいない?
東野純直は現在も結婚しておらず独身
東野純直さんは2008年のワンマンライブで「結婚する予定はない」と語っていたということです。
東野純直さんが結婚しない理由は詳しくは語られていないようですが、音楽を追求するあまり恋愛を疎かにしてきたのかもしれませんね。
結婚をしていない東野純直さんには、子供もいないようです。
古い歌ですが、東野純直という人の【君は僕の勇気】という歌を聴いてみて下さい。
— ピノコ[*~*]喪中ッス (@unihotate_ponko) 2017年5月23日
ネガティヴだと恋愛や結婚が出来ないと思ったら大間違いですよ。
私の夫は、とってもネガティヴ野郎です💕
東野純直、ラーメン店を閉店しネット通販や音楽活動を行う

出典:https://akishimashi.com/
東野純直が経営していた「玉龍」
地元の人気店となった東野純直さんのラーメン店「支那ソバ 玉龍」ですが、他の飲食店と同様に新型コロナの影響を大きく受けることとなりました。
ラーメン店は良い時で年商1800万円を記録するほどであったようですが、コロナ禍で経営が厳しくなり、東野純直さんは国の支援策を活用して何とか耐え忍んでいたもののコロナ明け後も客足は戻らず2023年5月にお店を畳むことになりました。
お店は閉店となってしまいましたが、東野純直さんは現在は公式通販サイトで自身のラーメンのインターネット販売を行っています。
ラーメン店を経営していた頃は、味見のためにラーメンを毎日食べる生活を続けていたため、98キロにまで体重が増え糖尿病も患ってしまったという東野純直さんは、現在は添加物の入っていない食品を摂ったり運動をしたりと健康に気を使った生活を心がけているようです。
また、東野純直さんはラーメン店を閉店した2023年からピアノの弾き語りで全国を回るツアー「UTATABI」をスタートさせており、音楽活動も精力的に行っています。
2025年には、今後について「47都道府県すべてで弾き語りライブをしたい」、「電気もガスも水道もスーパーマーケットもない広大な土地で、自給自足生活をしたい。そこにピアノを置いて、ファンを呼んで歌いたい」との夢を語っていました。
東野純直の昔の若い頃に関する画像特集
東野純直の昔の若い頃に関する画像①
東野純直さんのデビューシングル『君とピアノと』のCDジャケットですが爽やかなイケメンですね。
東野純直の昔の若い頃に関する画像②
東野純直さんの代表曲で30万枚を売り上げたセカンドシングル『君は僕の勇気』のCDジャケットですが、これ以降ヒットが出ませんでした。
東野純直の昔の若い頃に関する画像③
『トゥナイトII(テレビ朝日系系)』、『ドォーモ(九州朝日放送)』のエンディングソングだった5枚目のシングル『愛し方も分からずに』です。
東野純直の昔の若い頃に関する画像④
東野純直さんがブレークした21歳の頃の写真とラーメン店店主をしていた46歳の頃の写真です。
今日は、職場のミーティングだったので、予約してさっき観ましたw
— ☆まいち☆ (@mai0728s) 2018年3月16日
AZファイティン(•̀ᴗ•́)و ̑̑
あっ!チケット買ってなかった~
8月のチケット買わなくちゃ!!#東野純直 #AZ pic.twitter.com/0P7DhmPNs4
東野純直について総まとめすると・・・
『君は僕の勇気』でブレークし、その後売れなかったことから音楽業界を一時離れラーメン店を経営していた東野純直さんについて総まとめしてきました。
東野純直さんはラーメン店店主として成功を収めましたが、コロナの影響を受けお店を畳み、現在はネット通販でラーメンを販売しています。
音楽活動にも力を入れていますので、今後の活躍にも期待しましょう。