全身の震えや痙攣、多汗に始まり、重度になると幻聴・幻覚や意識障害を引き起こす恐ろしいアルコール依存症。
末期では多くは肝硬変や肝臓がんを発症して死に至りますが、このアルコール依存症の症状と戦った経験を持つ芸能人について総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人1 俳優・石原裕次郎
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人2 歌手・美空ひばり
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人3 アイドル・山口達也
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人4 歌手・尾崎豊
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人5 女優・遠野なぎこ
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人6 俳優・坂上忍
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人7 アイドル、俳優・草なぎ剛
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人8 お笑い芸人・福田充徳
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人9 お笑い芸人・春一番
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人10 女優・川島なお美
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人11 女優・高橋由美子
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人12 お笑い芸人・河本準一
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人13 お笑い芸人・中川剛
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人14 漫画家・赤塚不二夫
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人15 俳優・萩原流行
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人16 歌手・郷ひろみ
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人17 小説家・太宰治
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人18 お笑い芸人・横山やすし
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人19 喜劇俳優・岡八朗
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人20 歌手・高田渡
- アルコール依存症の症状を持つ芸能人についてまとめると・・・
アルコール依存症の症状を持つ芸能人
酒豪が多い芸能界には潜在的にアルコール依存症が多い
昭和の時代には”男は酒が飲めてなんぼ”という風潮があり、芸能界では特に酒豪の武勇伝を持つ芸能人は男らしいという目で見られていました。平成に入り若手芸能人らにお酒が飲めない人が増えたことでこうした風潮は過去のものとなりつつあるようです。
酒豪で通っている代表的な芸能人のひとりに哀川翔さんがいますが、20代から30代の頃は年間360日は六本木で飲んでいたというほど酒好きで知られています。
さらにその上を行くのが2017年1月に脳リンパ腫のため亡くなった俳優の松方弘樹さんですが、やはりお酒と病気は切っても切れないもののようです。
現在までにアルコール依存症の症状と闘病した経験や噂を持つ、故人を含めた芸能人について総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
海外の役者さんがアルコール依存症になって治療して禁酒を守ってる話とか良く聴くけど、日本の芸能人はそういうこと隠すよね。隠しながら映画完成披露の度に鏡割させられてたり、舞台初日にお神酒配られてたりしたらと思うとゾッとする。
— 烏龍仔 (@oolong_dx) 2017年8月22日
あれ。アルコールや麻薬の依存症になる原因は“孤独”にあるという研究結果(その観点で対策を打ち出し、ポルトガルでは依存症患者を減らすことに成功してるとか)があったけど、てことは、芸能人やスポーツ選手やミュージシャンには孤独な人がたくさんいるってことか。
— Aoba (@hongo) 2016年11月22日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人1 俳優・石原裕次郎
昭和の大スター・石原裕次郎もアルコール依存症だった
石原裕次郎さんといえばドラマ『太陽にほえろ!』や『西部警察』などで知られる昭和を代表するスターでしたが、非常に多くの怪我と病気に苦しめられた一生を送り、最後は肝細胞癌により亡くなっています。
石原裕次郎さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)
生年月日: 1934年12月28日
没年月日: 1987年7月17日
出生地: 兵庫県神戸市須磨区
死没地: 東京都新宿区信濃町
身長: 178 cm
体重: 不明
血液型: A型
職業: 俳優、歌手、声優、司会者、モデル、実業家、ヨットマン
活動期間: 1956年 – 1987年
活動内容: 1956年:『太陽の季節』でデビュー。
配偶者: 石原まき子(北原三枝)
著名な家族: 父:石原潔、母:石原光子、兄:石原慎太郎
”タフガイ”や”ボス”の愛称で親しまれハードボイルドの代表として絶大な人気を博していた俳優の石原裕次郎さんですが、お酒と共に生きお酒により亡くなった破天荒な人生を歩んでいたようです。
石原裕次郎がアルコール依存症になった理由
石原裕次郎にとってアルコールは”水”だった
石原裕次郎さんのアルコール依存症ぶりが伺える有名な言葉として「ビールは酒ではない、水である」というものがあり撮影所にはビールがたくさん入った冷蔵庫が常設されていたそうです。
石原裕次郎さんは一日に日本酒をひとりで4升も空けてしまう人でした。
石原裕次郎さんはテレビドラマや映画の撮影所にビールの入った冷蔵庫があり、ひとつのシーンを撮影し終わる毎にビールをかなり飲んでいたと言われています。
それでも撮影に支障が出ることは無かったようなので、石原裕次郎さんが相当な酒豪であることが伺えます。
また、石原裕次郎さんはロケ地での宿泊先では必ず宴会で監督やスタッフ、共演者らにお酒を強要して一気飲みなどをさせ盛り上がっていたようです。
石原裕次郎さんは周囲がどれだけ吐いてグロッキーになってもお酒を勧める手を止めなかったそうです。
石原裕次郎さんは大量のお酒を飲んでは吐きを繰り返していたようで、肝臓をはじめとした臓器に相当な負担がかかっていたことでしょう。
石原裕次郎のアルコール依存症の症状
アルコール依存症により肝臓がんを発症して死亡した石原裕次郎
石原裕次郎さんは病気と怪我に悩まされた一生であり、多量の飲酒が祟り最後は肝臓がんを患って命を落としました。
石原裕次郎さんは1978年に舌下潰瘍を発症し、後に悪性腫瘍である舌癌だと診断されましたがその時は本人には告知はされず1983年に再発しています。
翌1979年には舌下白板症を発症し、1981年には『西部警察』のロケ中に石原裕次郎さんが背中と胸の激痛を訴えて病院に搬送され、解離性大動脈瘤と診断されて生存率3%と言われ絶望視されましたが奇跡的に生還しています。
長年のアルコール依存症が祟り、1984年には石原裕次郎さんは肝臓がんに犯され、1987年7月17日に肝細胞癌のために享年52歳で死去しています。
昭和の大スター石原裕次郎と美空ひばりはどちらも享年52歳。裕次郎は肝臓ガン、ひばりは慢性肝炎からの肺炎。やはりアルコール由来なのか。
— Mucca (@MUCCA8G) 2014年6月18日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人2 歌手・美空ひばり
”歌謡界の女王”と呼ばれた伝説の歌姫・美空ひばり
美空ひばりさんは代表曲『川の流れのように』を始め数々の名曲を世に送り出してきた歌謡歌手ですが、アルコール依存性だったことから晩年はお酒に苦しめられることになり無念の内に生涯を閉じることになりましたが、死の直前まで歌い続けたまさに”不死鳥”のような存在でした。
美空ひばりさんについてのプロフィールはこちら。
出生名: 加藤 和枝(かとう かずえ)
生誕: 1937年5月29日
出身地: 神奈川県横浜市磯子区滝頭
死没: 1989年6月24日
学歴: 精華学園高等部卒業身長: 147 cm
体重: 不明
ジャンル: 歌謡曲、演歌、ジャズ
職業: 歌手、女優
担当楽器: 歌
活動期間: 1949年 – 1989年
レーベル: 日本コロムビア
事務所: ひばりプロダクション
美空ひばりさんは昭和の激動の時代にまさに波乱万丈の人生を送っており、歌手として苦難の時代を生きていた頃に身内の不祥事や相次ぐ死、山口組との関係がマスコミに取り上げられるなど心労を重ねたことで酒に溺れていったと言われています。
美空ひばりがアルコール依存症になった理由
1980年代から美空ひばりは大切な人を次々と亡くした
美空ひばりさんがアルコール依存症に陥った理由は、歌手として評価を得始めた1980年代から最愛の母・喜美枝さんをはじめとした多くの大切の人を失った悲しみを誤魔化すためでした。
歌手の美空ひばりさんの後ろ盾となり実の父のように慕っていた山口組組長の田岡一雄さんが1981年7月23日に心不全で逝去し、悲しみに暮れる間もなくその約1週間後となる29日には一卵性親子とまで言われた最愛の母・喜美枝さんが脳腫瘍のため逝去しています。
一気に両親を失ったにも等しい不幸に、美空ひばりさんは悲しみの底に沈みましたが不幸はこれだけでは終わりませんでした。
1984年にはならず者だったとは言え弟のかとう哲也さんが心不全のため42歳の若さで逝去し、後年に息子の加藤和也さんが美空ひばりさんの養子に入っています。
同年には親交の深かった俳優・大川橋蔵さんが55歳の若さで逝去し、美空ひばりさんは絶望の内に元々好きだったお酒とタバコの量が増えて体を蝕んでいったそうです。
お酒の飲み方は異常で、一日にブランデー1本半の他焼酎など大量にお酒を飲み、「美空ひばりには神様がついているけど、加藤和枝(本名)にはいない」と毎朝4時頃まで浴びるように飲んで仕事に行っていたそうです。
美空ひばりのアルコール依存症の症状
毎日のような浴びるような酒を飲み肝硬変になった美空ひばり
美空ひばりさんは肝不全や肝臓がんの一歩手前と言われる肝硬変になり、間質性肺炎を併発してしまいました。
美空ひばりさんはアルコール依存症を克服することができずに飲み続け、1984年に福岡のコンサートの最中に体調不良で病院に運ばれ、重度の慢性肝炎と両側特発性大腿骨頭壊死症と診断されて闘病生活がスタートしました。
マスコミでは慢性肝炎と発表されたものの、実は美空ひばりさんは肝硬変に進行しており、非常に治癒が困難な状態にあったそうです。
それでも歌うことを辞めなかった美空ひばりさんは1988年に最後のコンサートとなった「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」を開催し、立つことさえ厳しい体調の中、100メートルもある花道を歩き切って舞台袖に入ったところで倒れるように養子の加藤和也さんに抱き抱えられ病院に搬送されました。
1987年には前述した石原裕次郎さんが52歳で死去しましたが、美空ひばりさんは1988年に最後のシングル『川の流れのように』をリリースし、翌年に52歳の若さで間質性肺炎による呼吸困難により死去しました。
アル中の平均死亡年齢は52歳らしい。美空ひばりさんもアル中特有の病気で亡くなられたとか。アルコールは身体から抜くのに3年、脳から抜くには5年だそうで、うーん無理
— なんすー (@CosMos_519) 2016年12月26日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人3 アイドル・山口達也
アルコール依存症を疑われたTOKIO、山口達也
山口達也さんはジャニーズグループ・TOKIOのメンバーですが、メンバーの中で一番トラブルが多いとも言われています。そして離婚騒動の中で疑われたのがアルコール依存症でした。
山口達也さんのプロフィールはこちら。
本名: 山口達也(やまぐち たつや)
生誕: 1972年1月10日
出身地: 埼玉県
身長: 167 cm
体重: 不明
ジャンル: J-POP
職業: 俳優、タレント、ミュージシャン、ベーシスト、司会者
担当楽器: ベース
事務所: ジャニーズ事務所
共同作業者: TOKIO
山口達也さんはTOKIOメンバーの中で唯一の既婚者でしたが3年におよぶ離婚騒動の末に、夫として未熟だったことを認めました。
山口達也がアルコール依存症になった理由
山口達也はアルコール依存症ではない
始めに言ってしまうと山口達也さんはアルコール依存症ではなく離婚のきっかけとして噂をされたということになります。
山口達也さんは2008年に5歳年下の元モデルの女性と結婚しましたが、2016年8月5日には離婚していたことが報じられました。
山口達也さんがアルコール依存症だったために離婚につながったと週刊誌「女性自身」により報道されていましたが、メガネにマスクという変装をして病院に通っていたことから疑惑につながったようです。
山口達也さんが離婚会見の時に、「家のことを全て嫁に任せて自分は趣味のサーフィンやお酒の付き合いばかりしていた」という旨を明かしており、不肖の夫だったことから離婚につながったと語っていました。
山口達也さんが飲み事が多かったことからもアルコール依存症を噂される要因になっていたようです。
山口達也のアルコール依存症の症状
山口達也はアルコール依存症を否定
ジャニーズ事務所の発表では山口達也さんは離婚による心労により病院へ通院していたようでアルコール依存症を否定していました。
山口達也さんはアルコール依存症を否定しているため症状なども公表されることはありませんでしたが、離婚会見直前に出演した番組『ZIP!』での眼帯姿が話題となりました。
マスコミは離婚での夫婦喧嘩により嫁に殴られたと騒ぎたてたものの、山口達也さんは「これが喧嘩による怪我だったらこっちから離婚を切り出している」と完全に否定していました。
しかし、山口達也さんはTOKIOメンバーの中でも黒い噂が絶えないことからも、お酒絡みの怪我ではないかと邪推されていたようです。
TOKIOの山口達也が、アルコール依存症で通院中?
— あんなことやこんなこと (@et_ancon) 2016年10月28日
って何があった? 色々あるよね。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人4 歌手・尾崎豊
あらゆる葛藤を歌に変えてきた尾崎豊
尾崎豊さんは曲『15の夜』や『卒業』などで大人社会への反抗心を歌い、『シェリー』や『僕が僕であるために』などでは人生そのものへの葛藤を歌うなど、その繊細すぎる感性によりカリスマ的な人気をえる一方で自らを破滅に追い込んでしまいました。
尾崎豊さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 尾崎豊(おざき ゆたか)
生誕: 1965年11月29日
出身地: 東京都練馬区
死没: 1992年4月25日 東京都文京区千駄木 日本医科大学付属病院
学歴: 青山学院高等部中退
ジャンル: ロック、フォーク
職業: 歌手、作詞家、作曲家、編曲家、詩人、小説家、画家、実業家
担当楽器: ボーカル、ギター、ピアノ、ハーモニカ
活動期間: 1983年 – 1992年
事務所: マザー・エンタープライズ(1983年 – 1989年)、ROAD AND SKY(1990年)、アイソトープ(1991年 – 1992年)
尾崎豊さんは1970年代、80年代の学歴社会が顕著だった息苦しい社会に対する怒りをぶつける歌を歌い、若者の代弁者として熱狂的な支持を得たアーティストでした。
現在よりも大人社会からの圧力が著しかった当時を生きた尾崎豊さんは、繊細すぎる感受性が諸刃の剣となりカリスマアーティストとなる一方で薬物とお酒により自らを滅ぼしてしまいました。
尾崎豊がアルコール依存症になった理由
尾崎豊は覚せい剤とお酒に溺れていた
尾崎豊さんは1980年代まで圧倒的な支持を得ていたものの、自身の成長とともに音楽の方向性を見失い苦悩の時代を生きることになり、その果てに覚せい剤やお酒に溺れていってしまいました。
尾崎豊さんは二十歳の頃に曲を作れなくなりスランプに陥ったことから突然活動休止を発表して模索のために渡米しました。
しかし、元々尾崎豊さんは境界性人格障害や双極性障害を抱えていたと言われており、スランプのプレッシャーもありニューヨークでお酒と覚せい剤に溺れていたそうです。
尾崎豊さんは結果として体は次第にボロボロになっていき、帰国した後も事務所や音楽スタッフとの関係は最悪で何度も新作アルバムの制作がストップし、新曲発売もないままスタートしたツアーも途中で体調悪化のため中止となりました。
この頃尾崎豊さんは極度の人間不信から薬物とお酒に溺れ、アルコール依存症になっていたということです。
尾崎豊のアルコール依存症の症状
尾崎豊、母親の死や人間不信により死に向かっていった
尾崎豊さんは何度か自殺未遂をしていますが、母親が急死した1991年の翌年に後を追うように26歳の若さで死去してしまいました。
尾崎豊さんは1992年4月25日の朝に自宅から500メートル離れた民家の庭先で全裸で倒れているところを住民が発見して通報され病院に搬送されました。
病院では重大な病気の可能性があるため専門医に診てもらうように診断されて尾崎豊さんは妻と兄と一緒に自宅に戻りましたが、夜10時に容態が急変しそのまま亡くなってしまいました。
死因は覚醒剤中毒による肺水腫だと言われていますが、尾崎豊さんは複数の外傷を負って倒れていたことから何者かにリンチをされて薬物漬けにされて殺されたという説もあり、2年後にファン10万人が警察に対して再調査を嘆願しています。
昔、尾崎豊が言っていた。「嘘とアルコールは似ている。どちらも使いすぎると帰り道がわからなくなる。」
— とざきひろし@税理士 (@eatspiroshiki) 2017年10月23日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人5 女優・遠野なぎこ
摂食障害、強迫性障害、アルコール依存症で余命7年と宣告された遠野なぎこ
遠野なぎこさんは母親にひどい虐待を受けて育ったため重い心の病気を背負っており、摂食障害で過食嘔吐を繰り返したり、強迫性障害を持っている他、番組の人間ドックでアルコール依存症だと診断されて余命7年だと宣告されたようです。
遠野なぎこさんについてのプロフィールはこちら。
本名: 青木秋美(あおき あきみ)
別名義: 遠野 凪子(旧芸名)
生年月日: 1979年11月22日
出生地: 神奈川県川崎市
血液型: O型
職業: 女優
ジャンル: テレビドラマ、映画、舞台
活動期間: 1991年 – 1995年、1998年 –
配偶者: 一般男性(2009年5月13日 – 7月23日)、一般男性(元プロボクサー)(2014年5月5日 – 6月28日))
事務所: ワイルドビジョン
遠野なぎこさんは番組でも非常に情緒不安定な面を見せることがありますが、幼少期から母親から弟や妹と容姿を比較されて「醜い」と言われ続けたり、無理役子役として事務所に入れられ太らないようにと食べては強制的に吐かせられるなど児童虐待を受けて育ったようです。
そのため遠野なぎこさんは醜形恐怖症であり、現在も鏡で自分の姿を直視できないということです。
心の均衡を保つために遠野なぎこさんは過食嘔吐を繰り返す摂食障害に陥って激やせ、激太りを繰り返したり、休日はお酒を1日中飲んでいるアルコール依存症だと言われています。
遠野なぎこがアルコール依存症になった理由
遠野なぎこがアルコール依存症になった理由は母親
前述のように遠野なぎこがアルコール依存症になった背景には母親からの壮絶な虐待による精神不安があるでしょう。
遠野なぎこさんは母親からの虐待に加えて中学校時代にいじめを体験したことから強迫性障害に陥り、近年オフィシャルブログで闘病が続いていることを明かしていました。
普段自分自身を”醜い”と思っている遠野なぎこさんは、愛猫2匹と一緒にいる時だけは自分のことを「モンスター」だと思わなくて済むと語っているようです。
尋常ではないストレスに晒されて生きてきた遠野なぎこさんにとってアルコール依存症に陥るのはごく自然のことだったのかもしれません。
遠野なぎこのアルコール依存症の症状
番組で見せた手の震えに視聴者から批判が殺到
遠野なぎこさんは過去に『いきなり!黄金伝説。』に出演した際に異常な手の震えを見せていたことからアルコール依存症だと噂されるようになりました。
遠野なぎこさんが同番組で異常な手の震えを見せていたことで一部の視聴者から「放送していいのか?」「完全にアル中だろ」と言った批判の声が上がっていました。
しかし、遠野なぎこさんはアルコール依存症と報じられていることにオフィシャルブログで反論し、「一度もアルコール依存症とカミングアウトしたことはない」としています。
アルコール依存症者は自身がアル中であることを認めたがらないという意見もあるようですが、もしかしたら遠野なぎこさんは禁酒とまではいかなくても減酒に成功しているのかもしれませんね。
遠野なぎこがアルコール依存症であってもなくてもどっちでもいいし、今まで散々誹謗中傷されてきたんだから笑い飛ばせよ。ちっちぇーなほんと。
— Li:ly-m51*** (@High2Summers) 2015年11月19日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人6 俳優・坂上忍
坂上忍はお酒を飲んで番組に出演する
坂上忍さんのアルコール依存症のエピソードで有名なのがメインMCを務めている番組『バイキング』で出演前後に楽屋でお酒を大量に飲んでいるということです。
坂上忍さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 坂上忍(さかがみ しのぶ)
生年月日: 1967年6月1日
出生地: 東京都杉並区
身長: 169 cm
体重: 不明
血液型: AB型
職業: 俳優、演出家、タレント、司会者、コメンテーター、映画監督、歌手
活動期間: 1970年 –
配偶者: 一般人女性(2001年 – 2003年)
著名な家族: 父:坂上精一郎、兄:坂上也寸志
坂上忍さんはアルコール依存症だと診断されたことをカミングアウトしているわけではありませんが、番組での顔色や言動、お酒の飲み方などから限りなくアルコール依存症だと言われています。
また、タバコの量も自著『スジ論 わたしのルールブック』で明かしたところでは1日に80~100本吸うようで完全なチェーンスモーカー、ヘビースモーカーのようです。
日常的に大量のお酒とタバコを摂取している坂上忍さんはいよいよアルコール依存症の平均寿命である52歳を迎えようとしていますが健康状態は大丈夫でしょうか。
坂上忍がアルコール依存症になった理由
坂上忍はギャンブル依存症でアルコール依存症
坂上忍さんはまさに破天荒という言葉が似合う人物で、約20年前には飲酒運転で電柱に衝突し、パトカーに20分間追いかけられて逮捕されており、長年アルコール依存症状態にあるようですね。
坂上忍さんは幼少期に父親が事業に失敗して2億円の借金を背負うことになり、子役として家計を助けていたようで、中学校時代にはいじめも経験して自殺を考えたこともあったそうです。
皮肉にも天職となった俳優という仕事を続けることになり、遅咲きとはいえ近年毒舌キャラとして再ブレークを果たしました。
坂上忍さんの芸能人性は波乱万丈だったようですが、客室乗務員と結婚しても極度の潔癖症やギャンブル依存症が祟って離婚に繋がるなど私生活でも苦難続きだったようで相当なストレスからお酒とタバコに溺れたようですね。
坂上忍のアルコール依存症の症状
坂上忍は目立ったアルコール依存症の症状はない
坂上忍さんはアルコール依存症であることをカミングアウトしているわけではなくあくまで噂として囁かれていますが、『バイキング』では坂上忍さんのお酒が原因で30人以上もレギュラーが入替っているようです。
2016年4月21日に発売された女性週刊誌「女性セブン」が報じたところによれば、坂上忍さんがMCを務める番組『バイキング』で降板が相次ぐ理由は楽屋でのお酒の付き合いにあったようです。
坂上忍さんは同番組の初回から酩酊状態で登場して話題になりましたが、本人によれば「お酒が入っているからこそモラルハザード的なことができる」ということです。
非常に繊細な性格をしている坂上忍さんは、突然再ブレークして注目を集めたことでお酒の力を借りないとプレッシャーに勝てなかったのかもしれません。
しかし、収録が終わるとスタッフや共演者と楽屋でお酒を飲むことも少なくないようで、それが嫌な共演者らは番組を降板し、当時NAOTOさんや関口メンディーさんなどEXILEメンバーもレギュラーを務めていたものの降板して以降は同番組への出演拒否をしていると言われています。
坂上忍が生放送でふざけてホラン千秋さんをセックス依存症呼ばわりした件ですが、彼に向かって「アルコール依存症でギャンブル依存症の坂上忍さん」と声をかけたらきっと顔真っ赤にしながら発狂すると思う。
— ドカ太郎 (@dameningen1gou) 2017年6月3日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人7 アイドル、俳優・草なぎ剛
元SMAPの草なぎ剛、”飲酒全裸事件”から禁酒を解禁している
草なぎ剛さんのお酒にまつわるエピソードで最も世間に衝撃を与えたのが2009年に起こした港区の公園での全裸で大騒ぎして逮捕された事件ですが、その後断酒をしたものの2014年には再びお酒を解禁したことを番組『SMAP×SMAP』で明かしました。
草なぎ剛さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 草彅剛(くさなぎ つよし)
別名義: チョナン・カン
生年月日: 1974年7月9日
出生地: 愛媛県
出身地: 埼玉県
身長: 170 cm
体重: 不明
血液型: A型
職業: 俳優・歌手・司会者・タレント
ジャンル: 映画・テレビドラマ・舞台・CM
活動期間: 1987年 –
事務所: ジャニーズ事務所(1987年 – 2017年9月8日)、株式会社CULEN(2017年9月22日 – )
2016年のSMAP解散を受けて草なぎ剛さんは2017年9月のジャニーズ事務所との契約満了を持って事務所を移りジャニーズタレントではなくなりました。
ソロのタレントとして俳優として活躍を続けている草なぎ剛さんですが、2014年にお酒を解禁して飲みまくっているということで、アルコール依存症が心配されています。
草なぎ剛がアルコール依存症になった理由
草なぎ剛はアルコール依存症ではない?
公園での泥酔全裸事件が衝撃的だったことから草なぎ剛さんはアル中、アルコール依存症だという噂が立ちましたが、現在までにカミングアウトしたことはなくお酒はよく飲むものの健康被害も訴えていないようです。
草なぎ剛さんは2009年4月23日に公然わいせつ罪により逮捕されてしまいました。
当時草なぎ剛さんは赤坂の飲食店で知人と食事をしており、ビールや焼酎など大量に飲んでいました。
その後深夜2時頃にミッドタウンの自宅には戻らず港区の公園に立ち寄り、服や靴などを一箇所に脱いで置いておき、20回ほど大声で叫んでいたということです。
近隣住民の通報で駆けつけた警察官に取り押さえられると、草なぎ剛さんは「裸になって何が悪いんだ」と抵抗したそうです。
草なぎ剛さんは逮捕されるも翌日に釈放され謝罪会見を開きましたが、酩酊状態だったため何をしていたか記憶に無かったようです。
草なぎ剛さんは酒乱癖はあるものの、現在のところアルコール依存症ではないようですね。
草なぎ剛の公園の真ん中で
— 貝男〜ジョナゴールド🍎 (@kaioss364364) 2017年10月17日
泥酔状態・全裸状態で
叫ぶってどれ程ストレス発散なるか
正直やってみたい
アルコール依存症の症状を持つ芸能人8 お笑い芸人・福田充徳
相方・徳井義実とのコンビ格差からアルコール依存症になった福田充徳
福田充徳さんは相方である徳井義実さんとのお笑いコンビ・チュートリアルとしてブレークしましたが、その後番組に徳井義実さんだけが呼ばれることが増えたことに悩み、お酒に溺れてアルコール依存症になったそうです。
福田充徳についてのプロフィールはこちら。
本名: 福田充徳(ふくだ みつのり)
ニックネーム: 福ちゃん
生年月日: 1975年8月11日
出身地: 京都府京都市左京区
血液型: O型
身長: 174cm
体重: 不明
方言: 京都弁
最終学歴: 大阪学院大学経済学部
コンビ名: チュートリアル
相方: 徳井義実
芸風: 漫才・コント(ツッコミ)
立ち位置: 右
事務所: よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期: 1998年 –
配偶者: 既婚
チュートリアルは2006年に『M-1グランプリ』で優勝したことで一躍ブレークしました。
現在は『しゃべくり007』でチュートリアルとしてレギュラー出演し、スペースシャワーTVでは『チュートリアルの徳ダネ福キタル♪』の看板番組を持つなど安定した活躍を見せています。
しかし、相方の徳井義実さんはソロ芸人としてもレギュラー番組を7本の他、不定期出演番組も5本持っているのに対し、福田充徳さんはわずか1本となり完全にコンビ格差があると言えるえしょう。
福田充徳がアルコール依存症になった理由
徳井義実に置いていかれお酒に走った福田充徳
徳井義実さんが活躍を見せる一方で福田充徳さんは何もしない一日が多いことに悲観して浴びるようにお酒を飲むようになっていきました。
当時、福田充徳さんはマネージャーに対して「死にたい」というメールを送っていたようで現実逃避のため昼間から浴びるようにお酒を飲む日が続いたそうです。
うつ病も発症していたと言われる福田充徳さんですが、精神的に不安定な状態が続いていたことからチュートリアルとしての収録の合間にもお酒を飲み始め、「これはアカン」と思った徳井義実さんが話し合ったそうです。
福田充徳のアルコール依存症の症状
アルコール依存症一歩手前だった福田充徳
福田充徳さんはアルコール依存症による多量飲酒により2011年に急性膵炎を起こして入院し、退院した姿は激やせして痛々しい姿でした。
退院後の激やせした姿からガンを疑う声もありましたが、福田充徳さんはアルコール依存症の合併症である急性膵炎でした。
体重は45キロまで落ちたものの無事回復の方向へ向かい、2017年現在もアルコールと食事の制限をしながら闘病を続けているようです。
急性膵炎を発症した理由は、福田充徳さんは毎晩のようにビール2リットル、焼酎3杯など記憶をなくすまで飲んでいたということで、入院中は1週間点滴のみの生活が続き水が飲めなかったことから「毎晩水の夢を見た」と苦しい闘病生活を語っています。
福田充徳さんはノンアルコールビールなら飲めるのか…
— nikka (@nikapan) 2011年12月3日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人9 お笑い芸人・春一番
多くの人にお酒をやめるように言われながら最後までやめられなかった春一番
春一番さんは無類の酒好きであり2014年7月3日に47歳の若さでアルコール性肝硬変のため亡くなりましたが、前日までお酒を飲んでいたそうです。完全にアルコール依存症でした。
春一番さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 春花 直樹(はるはな なおき)
生年月日: 1966年8月13日
没年月日: 2014年7月3日
出身地: 神奈川県
血液型: A型
身長: 175cm
体重: 不明
師匠: 片岡鶴太郎
芸風: アントニオ猪木の物真似
事務所: アネット
活動時期: 1988年 – 2014年
配偶者: 既婚
春一番さんは元々「甘栗太郎」に務めていた会社員でしたが、芸人を志して片岡鶴太郎さんに弟子入りし、心酔していたプロレスラー・アントニオ猪木さんのモノマネだけで食べていました。
春一番さんのそのお笑いへの情熱はお笑い界の大御所・ビートたけしさんも目をかけ、アントニオ猪木さん本人とも交流がありました。
春一番がアルコール依存症になった理由
春一番のお酒の飲み方は尋常ではなかった
芸能界に酒豪は多いものの、春一番さんも指折りのひとりでありそのお酒の飲み方はビートたけしさんやダチョウ倶楽部の上島竜兵さんなども声を荒らげて止めることもあるほど大酒飲みだったようです。
春一番さんが亡くなった後にオフィシャルブログ「春一番闘魂伝笑ブログ」で嫁の春花綾さんが綴ったところによれば、春一番さんは若い頃は一日1リットルのバーボンを飲んでいたそうです。
それでも大酒飲みであることを自覚していた春一番さんは”酒スケ”と呼ぶ飲酒のスケジュールを作っていたそうで、「この日は飲む」、「今週は飲まない」と春花綾さんに伝えていたということです。
春一番さんはビートたけしさんの番組『お笑いウルトラクイズ』に出演していましたが、春一番さんのあまりの多量飲酒にビートたけしさんが心配してお酒をやめるように伝え、「酒をやめれば俺の番組で一生使ってやる」と破格の条件も出していたそうです。
他にも師匠の片岡鶴太郎さんやダチョウ俱楽部の上島竜兵さんらも心配して、わざわざ春一番さんの自宅に電話をかけて今日は飲んでいないかどうかを確認することもあったそうです。
春一番さんがアルコール依存症で痩せ細ってきた頃に、ビートたけしさんが心配して炊飯器を贈ったそうですが、春一番さんはそれでご飯を食べるのではなく熱燗やホットウィスキーを作るなど筋金入りのアルコール依存症だったようです。
春一番のアルコール依存症の症状
番組での”カレー粉”が原因で病気が多発した春一番
春一番さんは過去に『お笑いウルトラクイズ』でクイズに失敗してカレー粉の海に落とされてしまいましたが、カレー粉の刺激で皮膚病を発症してしまいそれから次々と重病を発症することになります。
春一番さんは皮膚病の投薬治療を受けて症状は次第に良くなっていったものの、薬の副作用で著しく体力が落ち、2005年に腎不全を患い入院しました。
入院した時点で春一番さんの肝臓、腎臓、膵臓は多量飲酒によりボロボロの状態で、3度にわたる手術を施したものの医者にとってはほとんど諦めざるを得ない状態だったようです。
しかし、お見舞いにきたアントニオ猪木さんが「病院で会うのはつまらねぇ、元気になったら飲みに行こうよ」と声をかけ、気合のビンタをお見舞いしたようで、春一番さんは気力が復活したのか奇跡的な回復を遂げて退院したと言われています。
春一番さんはその後も元気に番組出演や営業を続け芸人として活躍していましたが、2014年7月3日午前7時頃に一緒に寝ていた嫁の春花綾さんが隣で白く冷たくなっている春一番さんに気づき、110番通報して駆けつけた救急隊員に蘇生を施されたものの虚しくそのまま臨終となってしまいました。
春一番で思い出すのが、猪木のものまねの春一番さん。そういえば若くして亡くなったのだよなーと思い、まとめがあったので見てみるとそこには彼とアルコールの繋がり、、、、、って写真これアントキの猪木じゃねぇか!www
— LittleA (@ovation_guitar) 2017年2月17日
アルコール依存症の症状を持つ芸能人10 女優・川島なお美
ワインに傾倒していた川島なお美
川島なお美さんは2015年9月24日に胆管がんにより逝去してしまいましたが、生前は無類のワイン好きであり「私の血はワインでできている」というフレーズは話題となりました。
川島なお美さんについてのプロフィールはこちら。
本名: 鎧塚 なお美(よろいづか なおみ)
生年月日: 1960年11月10日
没年月日: 2015年9月24日
出生地: 愛知県守山市(現・名古屋市守山区)
死没地: 東京都
身長: 158cm
体重: 不明
血液型: AB型
職業: 女優
ジャンル: 映画、テレビドラマ、バラエティ番組
活動期間: 1979年 ‐ 2015年
配偶者: 鎧塚俊彦(パティシエ)
川島なお美さんが胆管がんの闘病中に激やせした姿で表舞台に登場した際には世間に大きな衝撃を与えました。
それでも堂々としていた川島なお美さんの姿が現在でも印象に残っている人は多いでしょう。
川島なお美がアルコール依存症になった理由
1日3食ワインを飲むことが普通だった
川島なお美さんはビールでも焼酎でもなくワインをこよなく愛しており、医者のドクターストップがなければ毎食のお供としてワインを飲んでいたほどだったようです。
川島なお美さんは酒豪だったようで、仕事のある日でも朝、晩にワインボトルを空けることは珍しくなかったようです。
自身の血がワインだと語るほど無くてはならないものだった川島なお美さんですが、医者によればお酒を常飲している人は慢性的に肝臓が炎症を起こしている状態でガンを発症しやすいということです。
川島なお美のアルコール依存症の症状
2013年8月の検診で胆管がんが見つかった川島なお美
川島なお美さんは肝臓の中にある胆管に腫瘍ができる胆管がんが見つかり、すぐに手術を勧められたものの拒否し、翌年1月末に命をあずけられると感じた医師により手術を受けました。
川島なお美さんはあらゆる治療を受けてがんを取り除くことに成功し、オフィシャルブログでも「完治した」と発表しましたが、2014年7月に再発してしまいます。
この時に夫であるパティシエの鎧塚俊彦さんには川島なお美さんの余命が1年未満であることを告げていたそうです。
自身の余命を知らなかった川島なお美さんはソロライブの復帰を目指して闘病していましたが、2015年9月24日に胆管がんのため54歳の若さで死去してしまいました。
https://t.co/PInKZBdP5c
— kyoyan山旅 音楽 動物etc^o^ (@kyoyan_o) 2017年10月8日
殺処分0を目指して 川島なお美さんの愛したワインとともに動物愛護基金を設立 pic.twitter.com/LZO0ONAtxS
アルコール依存症の症状を持つ芸能人11 女優・高橋由美子
酒豪女優で有名な高橋由美子
高橋由美子さんは日本テレビのバラエティ番組に出演した際、出演者でお酒を飲みつつの収録でしたが、飲みすぎにより一時退席し、生放送だったため放送事故のようにもなっていました。
高橋由美子さんについてのプロフィールはこちら。
本名:高橋 由美子(たかはし ゆみこ)
生年月日:1974年1月7日
出生地:埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)
身長:154cm
血液型:A型
職業:女優・歌手
ジャンル:テレビドラマ、映画、舞台、アイドル歌謡曲
活動期間:1988年 –
事務所:フリー
高橋由美子がアルコール依存症になった理由
とにかく普段からよく飲む
高橋由美子さんは「飲まない日を数えた方が早い」と自身でコメントしているほど、普段からかなりお酒を飲んでいるようです。生活にお酒がなくてはならないというのは、まさにアルコール依存症である証拠でしょう。
高橋由美子のアルコール依存症の症状
番組では記憶が飛ぶほど飲んでいた
酒豪タレントの一人として日テレの番組に出演した高橋由美子さんですが、他の誰よりもハイペースで次々にお酒を口にしていました。ビールや熱燗、シャンパンなど種類を問わず飲んで、最終的には記憶が飛んでいたそうです。
また、過去には朝までお酒を飲んで、知らず知らずのうちに自宅マンションのドアに挟まれながら寝ていたこともあったんだとか。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人12 お笑い芸人・河本準一
急性膵炎を経験した河本準一
お笑いコンビ・次長課長の河本準一さんは、毎日のようにお酒を飲んでいた結果からか、これまでに2度急性膵炎を経験しています。1度ならず2度もなってしまったというのは、お酒をやめたくてもやめられなかった証拠でしょう。
河本準一さんについてのプロフィールはこちら。
本名:河本 準一(こうもと じゅんいち)
生年月日:1975年4月7日
出生地:愛知県名古屋市緑区
身長:162cm
体重:58kg
血液型:AB型
職業:お笑い芸人
活動期間:1995年 –
配偶者:重元直美(元アイドル)
事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
河本準一がアルコール依存症になった理由
母親の生活保護費不正受給でバッシングも
毎日のように飲み歩いていた河本準一さんは、その酒好きが祟って急性膵炎を起こしてしまいます。
また、河本準一さんといえば後に自身の母親の生活保護費不正受給問題でバッシングを受けたことでも有名ですね。2度目の急性膵炎は、そのバッシングのストレスでまた酒を飲みすぎてしまったせいではないかとも言われています。
河本準一のアルコール依存症の症状
急性膵炎&食の変化
前述の通り、急性膵炎を2度も発症してしまった河本準一さん。それだけではなく、今では脂が多い食べ物は食べられなくなってしまったそうです。お酒の飲み過ぎは食べ物にも影響してしまうということですね。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人13 お笑い芸人・中川剛
3度の急性膵炎を経験した中川剛
お笑いコンビ・中川家の「お兄ちゃん」として知られている中川剛さん。お酒の飲み過ぎが原因とされる急性膵炎を3度も経験しています。
中川剛さんについてのプロフィールはこちら。
本名:中川 剛(なかがわ つよし)
生年月日:1970年12月4日
出生地:大阪府守口市
身長:157.8cm
血液型:B型
職業:お笑い芸人
活動期間:1993年 –
配偶者:既婚
事務所:吉本興業
中川剛がアルコール依存症になった理由
酒がない生活はありえない?
中川剛さんは元々酒好きだったのでしょう。毎日のようにお酒を飲んでいたことで、アルコールを摂取しなければ気が済まないくらいに、もはや生活の一部になっていたのかもしれません。
中川剛のアルコール依存症の症状
急性膵炎を繰り返してしまう
お酒の飲みすぎて急性膵炎になってしまったとしても、完治してまたお酒を飲みたくなってしまうというのは典型的なアルコール依存症の症状です。中川剛さんは3度も急性膵炎を発症しているので、かなり重度だったのかもしれません。ただ現在は克服し、断酒できているようです。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人14 漫画家・赤塚不二夫
晩年はアルコール漬けだった赤塚不二夫
「おそ松くん」や「天才バカボン」などで知られる漫画家の赤塚不二夫さんも、アルコール依存症だったと言われています。
赤塚不二夫さんについてのプロフィールはこちら。
本名:赤塚 藤雄
生年月日:1935年9月14日
没年月日:2008年8月2日
出生地:満州国 熱河省灤平県古北口古城裡22号
死没地:東京都文京区
職業:漫画家
活動期間:1956年 – 2002年
赤塚不二夫がアルコール依存症になった理由
恥ずかしがり屋が原因?
実は赤塚不二夫さんは、若い頃は一滴もお酒を飲めなかったそう。後に漫画家として見事な成功を収めますが、極度の恥ずかしがり屋だという赤塚不二夫さんはお酒を飲まないと人と向き合えず、そこからどんどんお酒に溺れていったとされています。
赤塚不二夫のアルコール依存症の症状
手がブルブル震えるようになった
アルコール漬けになってからはお酒を手放せなくなり、テレビのインタビュー中にも焼酎のお湯割りを手に持っていたそうです。アルコール依存症の症状でもある手の震えが止まらなくなり、晩年には漫画どころではなくなっていたとか。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人15 俳優・萩原流行
うつ病でアルコール依存症だった萩原流行
2015年、不慮の事故により62歳で亡くなった俳優の萩原流行さん。うつ病を患っていたそうですが、それを紛らわすために日常的に大量の酒を飲んでアルコール依存症になっていたと言われています。
萩原流行さんについてのプロフィールはこちら。
本名:萩原 光男(はぎわら みつお)
生年月日:1953年4月8日
没年月日:2015年4月22日
出生地:東京都世田谷区
死没地:東京都杉並区
身長:173cm
血液型:O型
職業:俳優・タレント
ジャンル:舞台・テレビドラマ・映画
活動期間:1973年 – 2015年
配偶者:萩原まゆ美
萩原流行がアルコール依存症になった理由
忙しい毎日でうつ病→アルコール依存症に
萩原流行さんは俳優としての仕事がかなり忙しく、目まぐるしい毎日を送っていたところうつ病を患ってしまったそうです。そして気分を紛らわそうとお酒に手を出したところどんどんと量が増え、アルコール依存症になってしまったとされています。
萩原流行のアルコール依存症の症状
事故にはアルコール依存症は関係なし
萩原流行さんはうつ病でアルコール依存症という情報がメディアに出回ったことから、事故の原因はうつ病であるというような報道がされていました。しかし実際には接触した護送車が原因だと考えられ、当時護送車を運転していた男性警部補は書類送検されています。
もちろん、事故当時に飲酒していたわけではないようので、萩原流行さんには非はないでしょう。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人16 歌手・郷ひろみ
郷ひろみもアルコール依存症の噂
いつ見ても若々しい郷ひろみさんですが、健康を気遣って摂取し始めたお酒の量が徐々に増え、アルコール依存症になっているのではと言われていました。
郷ひろみさんについてのプロフィールはこちら。
本名:原武 裕美(はらたけ ひろみ)
生年月日:1955年10月18日
出生地:福岡県糟屋郡須恵町
身長:178cm
血液型:A型
職業:歌手、俳優、タレント
ジャンル:歌謡曲、J-POP
活動期間:1971年 –
事務所:バーニングプロダクション
郷ひろみがアルコール依存症になった理由
健康のためにアルコールを摂取し始めた
郷ひろみさんは元々、自身の健康のためにお酒を飲むようになったそうです。昔から「酒は百薬の長」と言われるくらいなので、郷ひろみさんなりの健康法なのかもしれません。しかしそれが徐々にエスカレートし、一時はアルコール依存症を疑われるほどの量を飲んでいたそうです。
郷ひろみのアルコール依存症の症状
現在は断酒に成功している様子
アルコール依存症を疑われていた郷ひろみさんですが、どうやら日常生活に支障をきたすほどではなかったようです。そして最近では断酒にも成功したとのこと。やはりお酒を飲んでいないときのほうが好調だったのかもしれませんね。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人17 小説家・太宰治
自殺未遂を繰り返しアルコール依存症でもあった太宰治
「走れメロス」や「人間失格」などで有名な小説家の太宰治さんは、何度も自殺未遂を繰り返したり薬物中毒になったりと激動の人生でした。そんな太宰治さんもアルコール依存症だったと言われています。
太宰治さんについてのプロフィールはこちら。
本名:津島 修治(つしま しゅうじ)
生年月日:1909年6月19日
没年月日:1948年6月19日
出生地:青森県北津軽郡金木村(現:五所川原市)
死没地:東京都北多摩郡三鷹町(現:三鷹市)
職業:小説家
ジャンル:人間の心理、古典や説話のオマージュ、人間の宿痾
活動期間:1933年 – 1948年
配偶者:津島美知子(1938年 – 1948年)
太宰治がアルコール依存症になった理由
境界性人格障害だった
実は太宰治さんは境界性人格障害であったと言われています。この障害は感情の波が激しくなったりするのが特徴で、太宰治さんはそれを隠すためにアルコールを摂取し始めたとされています。何かに依存することで、不安定な気分を抑えようとしていたのでしょう。
太宰治のアルコール依存症の症状
短編小説「禁酒の心」からもわかる酒好き
太宰治さんは「禁酒の心」という短編小説を残しています。この作品からもわかるように、当時はかなりお酒を飲んでいたようです。体に悪いと諌められると「酒を飲まなければクスリを飲む」とも言っていたそう。その後禁酒に成功したのかどうかは不明です。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人18 お笑い芸人・横山やすし
やすきよ漫才で有名な横山やすしもアルコール依存症
西川きよしさんとのお笑いコンビ、通称「やすきよ」で一躍注目を浴びるようになった横山やすしさん。1996年に亡くなりましたが死因は「アルコール性肝硬変」で、アルコール依存症が原因だと言われています。
横山やすしさんについてのプロフィールはこちら。
本名:木村 雄二(きむら ゆうじ)
生年月日:1944年3月18日
没年月日:1996年1月21日
出生地:大阪府堺市
身長:163cm
職業:漫才師、タレント
活動期間:1959年 – 1996年
配偶者:既婚(1度離婚)(妻は2008年没)
横山やすしがアルコール依存症になった理由
相方の参議院選当選がきっかけか
相方の西川きよしさんが参議院選に出馬し見事当選してからというもの、コンビの仕事が激減しアルコールの摂取量が増えていったという横山やすしさん。過剰なアルコール摂取により入院もしますが、懲りずに飲酒を続け番組に酒気帯びのまま出演したり、飲酒運転をしたりもしていました。
横山やすしのアルコール依存症の症状
「アルコール性肝硬変」で死去
誰もが認めるアルコール依存症だった横山やすしさんは、吐血により入院した際、医師より「このまま酒を飲み続けたら10年で死ぬ」と警告されていました。しかしそれを無視した結果、本当に10年後に「アルコール性肝硬変」により亡くなりました。亡くなった前日に大量にビールを飲んだことで、すでに弱っていた肝機能が急激に低下し死に至ったとされています。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人19 喜劇俳優・岡八朗
「奥目の八ちゃん」もアルコール依存症
喜劇俳優として知られていた岡八朗さんは、「奥目の八ちゃん」としても親しまれていました。しかし舞台裏ではその明るいキャラクターとは裏腹に、アルコール依存症やがんなどを抱えていたようです。
岡八朗さんについてのプロフィールはこちら。
本名:市岡 輝夫(いちおかてるお)
生年月日:1938年4月16日
没年月日:2005年7月26日
出生地:兵庫県尼崎市
職業:喜劇俳優
活動期間:1959年 –
岡八朗がアルコール依存症になった理由
緊張をごまかすために酒を飲んでいた
岡八朗さんは極度のあがり症で、緊張を紛らわすために出番前には毎回多量のお酒を飲んでいたそうです。元々酒好きでもあったようですが、いつしかアルコール依存症になってしまいました。またおそらく、妻を自殺で亡くしたストレスも飲酒量増加の原因だったのでしょう。
岡八朗のアルコール依存症の症状
急性膵炎も経験していた
岡八朗さんは、アルコール依存症を患ったことにより急性膵炎を発症したこともありました。後に克服したかと思いきや飲酒してしまったときには、娘から絶縁を宣言されてしまったそうです。長男もアルコール依存症だったそうで、すべての不幸の元凶は酒だったのだと思わざるを得ません。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人20 歌手・高田渡
酒を飲みながら歌っていた高田渡
フォークシンガーの高田渡さんは、無類の酒好きで有名でした。当然のように酒を飲みながらステージに立っていたようです。日本でもっとも酒が似合うフォークシンガー、と言っても過言ではないでしょう。
高田渡さんについてのプロフィールはこちら。
本名:高田 渡(たかだ わたる)
生年月日:1949年1月1日
没年月日:2005年4月16日
出生地:岐阜県北方町
職業:フォークシンガー
ジャンル:フォークソング、ブルーズ
活動期間:1968年 – 2005年
高田渡がアルコール依存症になった理由
無類の酒好きで有名
自他共に認めるアルコール依存症だった高田渡さん。もともとかなりの酒好きで、歌手としての活動中にも当然のように酒を片手に持っていたそうです。毎日のように飲んでいれば、アルコール依存症になるのも当然と言えるでしょう。
高田渡のアルコール依存症の症状
酒を片手に持ってのライブが当たり前
高田渡さんはお酒を飲みながらステージに立っていたため、歌いながら寝たり、途中で吐いてしまったりは珍しくはなかったそうです。ファンもそんな光景を楽しみにしていたんだとか。テレビや雑誌のインタビューでも、常に手元に酒があったようです。
アルコール依存症の症状を持つ芸能人についてまとめると・・・
アルコール依存症の症状と戦った芸能人、アルコール依存症により命を落としてしまった芸能人について総まとめしてきました。
芸能界はどんな人でも相当なストレスに晒されて活動していると思いますが、その救いとなるのがお酒である芸能人は数多くいるようです。
今回紹介した芸能人以外にもアルコール依存症だと言われている人はいますが、タバコとは違って本人以外に害を及ぼすことが無いためより自制することは難しいでしょう。