元ボクシングの世界王者・渡辺二郎さんですが、山口組系極心連合会の相談役に就任したことで有名な人物です。
渡辺二郎さんのケンカ伝説や逮捕歴、島田紳助さんや伊東美咲さんとの関係、そして現在をまとめました。
この記事の目次
渡辺二郎のプロフィールと経歴
渡辺二郎(わたなべ じろう)
生年月日:1955年3月16日
出身地:岡山県生まれ、大阪府育ち
身長:166cm
渡辺二郎、大学卒業後にボクシングを始める
渡辺二郎さんといえば、大卒後にボクシングを始めながらも世界王者にたどり着いた異色の天才ボクサーとして有名な人物となります。
とはいえ、渡辺さんは格闘技未経験者だったわけではなく、追手門学院大学時代は日本拳法部に所属しており、世界4位の実績を残していたようですね。
当時の日本拳法では、階級制度が存在しなかったため、上位選手は重量級の選手ばかりだった中、軽量級の体格で世界レベルの強豪となった渡辺さんの腕っぷしの強さが伺えます。
大学を卒業後の渡辺さんは、追手門学院大学日本拳法部の監督に就任したものの、階級制の格闘技であるボクシングに興味を抱くこととなり、近所にあった「大阪帝拳」のジムに頼み込んで、アマチュアの大会に出場させて貰いました。
アマチュア大会では決勝まで進出するなど、後の世界王者の片鱗を見せつけた渡辺さんでしたが、自身が監督を務める拳法部の試合と日程が被ってしまい、決勝を棄権する羽目になったとか。
その後、「大阪帝拳」よりスカウト話が来てプロボクサーに転向することとなった渡辺さんですが、プロデビューまでの軌跡には物語染みた偶然があったことになります。
渡辺二郎、元WBA・WBC世界スーパーフライ級王者
24歳でプロデビューを果たした後の渡辺二郎さんですが、連勝街道をまっしぐらとなり、デビュー11戦目でWBC世界スーパーフライ級王座決定戦に挑むことになりましたが、韓国のキム・チョルホ選手の前に判定負けを喫してしまいます。
その1年後となる1982年4月に、今度はWBA世界スーパーフライ級王座決定戦にて、パナマのラファエル・ペドロサ選手相手に判定勝ちした渡辺さんは、以降は世界戦12連勝を記録する名王者として君臨することになりました。
しかしながら、当時は珍しかった大卒ボクサーという肩書に加え、格下相手には8分の力で勝ち切るクレバーなスタイルがボクシング記者たちの間で不評を呼び、「ハングリーさがない!」と批判を浴びることも多かったようですね。
その一方で、日本ボクシング界史上4位の世界戦勝利数を誇る渡辺さんは、お茶の間では人気王者であったようで、世界戦の最高視聴率は22.4%を記録しています。
渡辺二郎のケンカ最強伝説…ヤクザも恐れた大阪のヤンキーだった
渡辺二郎さんといえば、ヤクザも恐れた伝説のヤンキーとして語り継がれています。
中学卒業後は大阪屈指のヤンキー校であった私立浪商高校に進学し、水泳部に所属。浪商高校時代の渡辺さんは、シュートボクシングの創始者・シーザー武志さんと並び喧嘩最強伝説を誇るヤンキーへと成長し、数々の武勇伝を残すことになりました。
渡辺は自分からケンカを仕掛けることはなかったようですが、いったんケンカが始まったら周囲が引いてしまうほど一瞬で相手をボコボコにしてしまう。負け知らずでとにかく強く、その名前はヤクザ業界にまでとどろいていた。関西ヤンキー界のトップに立っていたシーザーですら、当時から一目置いていたほどです
まさに、関西ヤンキー界のビッグネームだった渡辺さんでしたが、高卒後に極道の道に入ることもなく、関西の中堅私大グループ「摂神追桃」の一角である追手門学院大学に進学しています。
渡辺二郎の現役引退後…山口組系極心連合会の相談役に就任
渡辺二郎、所属ジムへの不信感から極道の世界へ
ボクシングの世界王者として名声を手にした渡辺二郎さんですが、現役時代に既に山口組関係者と懇意になっていたとの情報も存在します。
渡辺さんが山口組関係者と懇意になったきっかけについては、1986年3月に行われたWBC世界スーパーフライ級王座決定戦が関係しているとか。
この試合で、メキシコ人のヒルベルト・ローマン選手に敗れて、チャンピオンベルトを失ってしまった渡辺さんでしたが、敗戦の原因はセコンドのポイントの読み違えでした。
具体的には、10R終了時点でセコンドから「2ポイント勝っている」とアドバイスを受けた渡辺さんは、残りの2Rを流して試合を終えたところ、判定負けというまさかの結末を迎えてしまうことになりました。
この騒動をきっかけに所属先の「大阪帝拳」への不信感が芽生えた渡辺さんは、ジム関係者と距離を置き、山口組関係者と行動を共にする機会が増えて行ったと言われております。
渡辺二郎、引退後は山口組極心連合会の相談役に就任
現役引退後の渡辺二郎さんは、歴代のボクシング世界王者同様にタレントとして活躍していた時期もありました。
現役時代の絶大な知名度に加えて、知人に頼まれればギャラの安い仕事でも快く引き受ける義理堅い性格が功を奏し、タレント転身後の渡辺さんの年収は数千万円だったと言われています。
セカンドキャリアでも大成功を収めていた渡辺さんでしたが、タレントとしての華々しい活躍の裏で山口組系極心連合会会長・橋本弘文さんとの交流も深めていたとか。
良くいる暴力団と親しい芸能人とは一味違った渡辺さんは、極道の世界にどっぷりと漬かり切った結果、極心連合会の相談役の地位まで獲得することになりました。
極心連合会の設立者であり、「山一抗争」で名を挙げた叩き上げの武闘派であった橋本さんは、最終的には6代目山口組の最高幹部まで上り詰め「統括委員長」の地位を得るなど、日本有数の権力を誇る極道でした。
渡辺二郎と島田紳助の関係① 兄貴分としてトラブルを解決していた
渡辺二郎さんといえば、元司会者の島田紳助さんの兄貴分だったことでも有名となります。
渡辺さんが島田さんの兄貴分となったきっかけについては、右翼団体とのトラブルが原因でした。
島田さんは、1990年代後半頃に、関西テレビで放送されていた「紳助の人間マンダラ」で右翼団体を馬鹿にしたところ、稲川会系の右翼団体「大行社」に目を付けられてしまったそうですね。
「番組で紳助が、収録に遅れそうになってタクシーを飛ばしていたときに、前を右翼の街宣車が軍歌を流しながらトロトロ走っていたという話を始めたんです。紳助が『何トロトロ走っとんねんボケカス!』と怒鳴ると、街宣車からいかついお兄ちゃんがゾロゾロ出て一悶着あった、と」
紳助はこのくだりを思いっきり茶化しながら面白おかしくネタにした。
この時の出来事により、「大行社」関係者が関西テレビの方に街宣車で乗り込み、抗議活動を展開する事態にまで発展してしまったとか。
自身の悪ノリが起こしてしまった騒動に対して、島田さんは芸能界引退を口にするほど思い悩んでいたとも言われております。
そんな島田さんの窮地を救ったのが渡辺さんだったらしく、具体的には懇意にしていた山口組系極心連合会会長・橋本弘文さんに話をつけて、「大行社」との和解交渉役を担当して貰ったそうですね。
渡辺二郎と島田紳助の関係② 闇メール流出で島田紳助は芸能界引退
渡辺二郎さんは、島田紳助さんの芸能界引退原因になったことでも有名です。
渡辺さんは、2007年に「羽賀研二未公開株詐欺事件」で逮捕された際に家宅捜索を受け、警察に携帯電話を押収されています。
押収された渡辺さんの携帯電話には、島田さんからのメールが100通以上残されており、それが島田さんと反社勢力との交流の証拠となってしまったとか。
「二郎さんと会長に守られていると思うと、心強いです」
二郎さんとは元ボクシング世界チャンピオンで、極心連合会相談役の渡辺二郎のこと。紳助は渡辺を通じて橋本会長と知り合った。資料には自身が招いた右翼とのトラブルを解決してもらった橋本会長との親密交際をうかがわせるやりとりが100通以上、残されていた。
その後、渡辺さんの裁判経由で流出したメールを吉本興業側が入手し事情聴取したところ、島田さんは橋本弘文さんらとの交流を絶つことを拒否し、引退の道を選ぶことになりました。
渡辺二郎と伊東美咲の関係…島田紳助が送った「伊東美咲はアバズレ」メールの真相
渡辺二郎さんといえば、女優・伊東美咲さんの「アバズレ騒動」に巻き込まれたことでも有名となります。
「アバズレ騒動」に関しては、島田紳助さんが「伊東美咲はアバズレ」と誹謗中傷するメールを渡辺さんに送っていたことが、前述のメール流出事件の際に発覚したというものでした。
島田紳助が「小沢真珠はランク外で伊東美咲はアバズレ、一番綺麗なのは森泉」みたいなメールをヤーさんかなんかに送ってたってニュース自体はどうでもいいけどその面子の中で一番綺麗なのが森泉と主張する紳助センスに驚いたのです
— (@Gargantuagoccho) September 2, 2011
「週刊新潮」にスクープされたことで話題となった「アバズレ騒動」でしたが、世間では「伊東美咲を口説いて振られた島田紳助が腹いせに悪口を言ったのだろう」といった意見が主流派のようですね。
こんなメールを送られるということは、名前の挙がった女性たちとの面識はなかったように思われる渡辺さんですが、島田さんのせいでとんだとばっちりを受けてしまったと言えます。ちなみに伊東さんは島田さんの愛人の噂もこのメールが原因でしょう。
渡辺二郎と清原和博の関係…テレビ朝日の誤報で裁判に勝訴していた
渡辺二郎さんは、元プロ野球選手の清原和博さん絡みの誤報でテレビ朝日を訴えて勝訴した経験もあります。
こちらの騒動については、2016年2月に清原さんが「覚せい剤取締法違反」で逮捕された直後の「報道ステーション」にて、「清原和博は元ボクシング世界王者に暴力団関係者を紹介された」と報道されたことが始まりでした。
あくまで匿名の報道だったたものの、ネット上では渡辺さんと関連づける声が多数上がり、実際には清原さんとの交流がなかった渡辺さんにとって大きな風評被害となりました。
そのため、名誉棄損でテレビ朝日を訴えることとなった渡辺さんでしたが、2017年6月に勝訴を勝ち取り、150万円の賠償金を受け取ることになったそうですね。
テレビ朝日側は渡辺氏とは特定されないと主張したが、森田裁判長は過去の経歴などを基に「報じられたのが渡辺氏だと視聴者が連想するのは想像に難くない」と指摘。実際は渡辺氏と清原元選手に交友関係はないとして、報道内容が事実とは証明されていないと判断した。
渡辺二郎の逮捕歴がスゴイ…5度の逮捕と2度の服役経験
渡辺二郎の逮捕歴① 恐喝未遂罪
渡辺二郎さんの初めての逮捕騒動は、1995年に起こっています。
この時の渡辺さんは、金融機関への融資返済が滞っている債務者との交渉の場に同席し、「ワシが本気で殴ったらオマエ死んでしまうぞ」と恐喝した容疑で逮捕されてしまうことになりました。
当時の渡辺さんは、テレビ出演の他にも年数十本の講演活動をこなすイメージの良いタレントであったため、逮捕の一報には日本中が驚いたようですね。
ちなみに、あくまで恐喝容疑で実際には手を出していなかったことが功を奏し、起訴猶予処分で済んだ騒動でもありました。
渡辺二郎の逮捕歴② 銃刀法違反
渡辺二郎さんは、1999年になると、銃刀法違反でも逮捕されています。
この時の渡辺さんの容疑に関しては、殺人事件に使われた自動小銃の売買に絡んでいたという重いものでした。
そのため、島田紳助さんが情状証人として出廷したものの実刑判決は避けられず、2004年まで服役する羽目になりました。
渡辺二郎の逮捕歴③ 証人等威迫罪
渡辺二郎さんは、2007年6月になると、証人等威迫罪で逮捕されています。
この時の渡辺さんは、暴行事件を起こした知人を庇うために、被害者に被害届を提出しないように迫っていたとか。
ちなみに、処分保留で終わった騒動でもあったため、渡辺さんに前科などは付かなかったようですね。
とはいえ、度重なる不祥事を重く見た「日本ボクシングコミッション」は、渡辺さんのライセンスの無期限停止を決定し、ボクシング界からの追放処分を下しています。
渡辺二郎の逮捕歴④ 恐喝未遂罪
渡辺二郎さんは、2007年6月に、今度は「羽賀研二未公開株詐欺事件」に絡み逮捕されています。
羽賀は知人の不動産会社経営者・A氏に、「必ず儲かる」と医療関連会社のW社の未公開株購入を持ち掛け、3億7000万円を預かったが、その時すでにW社は経営破綻寸前で、上場どころか直後に倒産。その前からA氏に借りていた3000万円と合わせ、羽賀には4億円の債務があったが、羽賀は、これを1000万円でチャラにするよう暴力団関係者を使ってA氏を脅したのだ。
この時の渡辺さんは、元タレント・羽賀研二に対してお金の返済を求めるAさんを脅迫し、1000万円の示談金で賠償請求権を放棄することを迫っていたそうですね。
その結果、恐喝未遂罪で逮捕された渡辺さんは、懲役2年の有罪判決を受けることになりました。
渡辺二郎の逮捕歴⑤ 詐欺罪
渡辺二郎さんは、2012年11月になると、山口組系極心連合会会長・橋本弘文さんらと共に詐欺罪で逮捕されています。
この時の渡辺さんは、暴力団関係者の利用を禁止しているゴルフ場にて、身分を偽りプレーしたことで逮捕されてしまったようですね。
ちなみに、このようなケースが詐欺の要件を満たすかどうかはかなり微妙な話となっているようで、渡辺さんも不起訴処分になっています。
渡辺二郎の現在…山口組分裂騒動により極心連合会は解散
渡辺二郎さんの現在については、砂かぶり席で大相撲を観戦している姿が目撃されたり、ボクシング観戦をしている姿が目撃されたりと、出所後も元気にしているようですね。
とはいえ、2019年11月になると、渡辺さんが懇意にしていた橋本弘文さんが極道の世界から引退をしたうえ、山口組系極心連合会が解散するなど、渡辺さんの極道生活にも地殻変動が起こっています。
ちなみに、橋本さんが極道の世界から引退した原因については、山口組系弘道会会長であり6代目山口組の若頭を務める高山清司さんからの圧力が関係して来ていると言われております。
橋本さんが6代目山口組で冷遇されたきっかけに関しては、高山さんが服役中の2015年に起こった山口組分裂騒動で神戸山口組への合流に色気を出していたことが、裏切り行為と認定されてしまったようですね。
そのため、6代目山口組No2の実力者である高山さんが出所してきた2019年10月以降に、粛清の対象となってしまったとか。
そのような事情により懇意にしていた橋本さんは引退し、極心連合会も解散してしまったため、現在でも渡辺さんが極道の世界にいるのかどうかは不明となります。
渡辺二郎についてまとめると…
・渡辺二郎はプロボクサー引退後に、山口組系極心連合会相談役に就任した
・渡辺二郎は島田紳助の兄貴分で、芸能界引退の引き金となった人物である
・渡辺二郎と伊東美咲は全くの無関係であるが、島田紳助が送ったメールの中に「伊東美咲はアバズレ」と書いてあったことが原因で噂になってしまった
・渡辺二郎が相談役を務めていた極心連合会は山口組分裂抗争により解散した
渡辺二郎さんに関しては、類まれな才能を持ったプロボクサーだった一方で、極道の世界に足を踏み入れてしまったがために、すべての名声を失ってしまった人物ということになります。
渡辺さんが健やかな老後を過ごせることを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。