日本格闘技界のフィクサー的な存在である前田日明さんですが、少年時代には大阪府内に轟くレベルの不良だったとの伝説も残っています。
この記事では、前田日明さんの身長や若い頃と伝説・武勇伝の真偽、半グレからの嫌がらせ、歴代彼女や結婚した嫁と子供、そして太り過ぎで病気を心配される現在をまとめました。
この記事の目次
前田日明の身長や若い頃と伝説…武勇伝の真偽は?
前田日明(まえだ あきら)
生年月日:1959年1月24日
出身地:大阪府大阪市大正区
最終学歴:北陽高校卒
身長:192㎝
前田日明、不良伝説は「喧嘩の花道」発のデマだった
1980年代から1990年代にかけてプロレスラーとして一世を風靡した前田日明さんですが、少年時代には地元大阪で俳優・赤井英和さんと勢力を二分する不良だったとの伝説も残っています。
昔のヤンキーっていうと、島田紳助が真っ先に浮かんだけど、よくよく考えたら、若い頃の『赤井英和と前田日明が遭ったら大阪壊れる』という伝説があったから、昔のヤンキーの昔ってその頃の時代じゃないかな?
— キュービックさん@矢倉絶許マソ (@qbkqbk) October 3, 2013
とはいえ、こちらの伝説については、後にエンタメ界で大成功を収めた2人が同郷の同世代だったことから生まれた都市伝説らしく、少年時代の前田さんは不良ではなく大阪でも無名の存在でした。
このような不良伝説が生まれてしまった理由に関しては、スポーツジャーナリストの二宮清純さん著作の小説「喧嘩の花道」に、前田さんがモデルの番長キャラが登場していたことが原因だったようですね。
前田日明、不良ではなかったが喧嘩無双を誇っていた
少年時代に不良ではなかった前田日明さんですが、中学2年時に両親が離婚するなど、恵まれた家庭環境には育っていませんでした。
両親の離婚後は父親に引き取られた前田さんでしたが、育ち盛りの我が子を放り出して数か月間家を空けることもあった父親のせいで、親戚の家を回って食事にありつく日々を過ごしていたそうですね。
そんな前田さんが高校時代にハマったものは空手だったそうで、無想館拳心道館に通い黒帯を取得しています。
無想館拳心道館時代の前田さんは、兄弟子にけしかけられて街の不良に喧嘩を売ったこともあったそうですが、恵まれた体格に加えて物怖じしない性格が功を奏して無敗を誇っていたとか。
バットやナイフを振り回す相手にすらワンパンで勝利してしまう自分の強さに酔った前田さんは、大阪場所に来ていた相撲取りに喧嘩を売ろうと企てたこともありました。
しかしながら、番付の低そうな若手力士を物色していたところ、当時横綱だった輪島さんに出くわしてしまったため、握手だけして貰って帰って来ることになりました。
前田日明、新日本プロレスにスカウトされた理由は身長だった
高校を卒業後の前田日明さんに関しては、受験に失敗してしまったため、大学には進学していないそうですね。
この頃の前田さんは、アメリカで自身の空手道場を開くことを夢見ており、渡米資金を貯めるためにアルバイトに励んでいたとか。
そんな前田さんがプロレスの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのが、「新日本プロレス」のプロレスラー佐山聡さんでした。
後にタイガーマスクとして一世を風靡することになる佐山さんですが、当時は異種格闘技イベントに参加するための練習相手として、体が大きな空手家かキックボクサーを探していました。
そのため、空手関係者より「大阪にデカくて強い前田という奴がいる」との噂を聞きつけた佐山さんは、前田さんをスカウトしにやって来たそうですね。
ひょんなことからプロレスの世界と縁が出来た前田さんでしたが、本人はプロレスに興味がなかったため断ろうと思っていたところ、見栄えの良さにほれ込んだ「新日本プロレス」関係者に口説かれ、半ば騙される形で入団することになりました。
新日本プロレスの社長兼エースのアントニオ猪木に憧れて入団したのではなく、「モハメド・アリのジムと提携してるので一緒のジムに入ってボクシングのヘビー級チャンピオンも目指せる」と新間寿に言われたのが理由である。金を貯めなくてもアメリカに行け、ベニー・ユキーデと戦うこともできると考えていた。実際は提携の事実はなく、新間が半ばだました形で入団をさせた
引用:前田日明
前田日明の若い頃の経歴…団体経営でも頭角を現したプロレスラーだった
前田日明、アントニオ猪木に騙されて「新日本プロレス」を退団した
1977年に18歳の若さで「新日本プロレス」に入団した前田日明さんですが、恵まれた体格と女性ウケの良い容姿で次世代のスター候補として期待されていました。
そんな前田さんが「新日本プロレス」を離れたのは25歳の頃だったそうで、新設されたばかりの「UWF」に移籍しています。
当時の「新日本プロレス」といえば、テレビ朝日のゴールデンタイムに中継されて高視聴率を連発していた人気団体だけに、若手ホープであった前田さんの移籍はかなり異例なことでした。
前田さんが約束された将来を捨てて「UWF」に移籍した背景には、「新日本プロレス」の社長兼スターレスラーだったアントニオ猪木さんの懐事情が関係してきていたそうですね。
設立の裏には当時、新日本プロレスのアントニオ猪木が起こした事業「アントン・ハイセル」の失敗により莫大な負債を抱えて、新日本がその補填をすることに対して新間寿と反猪木派社員が反目。新間が猪木の新たな受け皿として用意したのがユニバーサル・レスリング連盟(UWF)である。前田日明によると、クーデター事件により新たな資金源が必要になった猪木が、フジテレビと契約するために作ったという。
引用:UWF
前田さん曰く、アントニオ猪木さんに「俺も後で合流するから」と諭されて「UWF」へ移籍することになったそうですが、当の本人は送り込まれた部下たちを見捨てて「新日本プロレス」に残留してしまったとか。
前田日明、若くして挫折も味わっていた
前田日明さんが移籍した「UWF」については、1984年4月に旗揚げ興行が実施された一方で、アントニオ猪木さんの裏切りのせいで予定されていた「新日本プロレス」の主力レスラーたちの参戦も白紙となってしまったそうですね。
そのため、フジテレビに見捨てられて中継話も破断に終わってしまった「UWF」は、経済的な苦境により「豊田商事」のような怪しい筋の会社とのスポンサー契約を結ぶなど泥船状態でした。
それでも試行錯誤を重ねて、プロレス的なお約束事を排除したキックと関節技主体の競技スタイルを生み出すなど、日本における総合格闘技の始祖的な存在であった「UWF」でしたが、選手間の内紛もあり1985年9月を最後に活動を停止しております。
ちなみに、選手間の埋められない溝となった問題が、より格闘技ライクな団体へと進化するために興行を月1に限定したがっていた改革派と経営を考えて興行数を増やすことを望んでいた現実派との対立だったとか。
前田日明、「新生UWF」がブームになるも身内の裏切りに泣く
「UWF」の活動停止後は、「新日本プロレス」に復帰することとなった前田日明さんは、異種格闘技路戦などで話題を集めており、プロレス界の枠を超えたスター選手へと変貌することになりました。
その後1988年5月になると、「UWF」のリベンジにと「新生UWF」を旗揚げした前田さんでしたが、一大ブームを巻き起こした一方で経営陣の不正会計疑惑問題によりまたしても内部分裂が起こり、1990年12月に解散の憂き目となっています。
「新生UWF」解散後の前田さんは、残党を集めて新団体を設立しようと動いていたようですが、選手側も一枚岩ではなかったため反前田派に離反されてしまったそうですね。
解散後、前田が先頭に立って選手主体による新たな団体(俗に第3次UWFとも称された)を設立する方向に動き、1991年1月に前田の自宅マンションで藤原を除いた主力選手によるミーティングを行った。前田は結束を呼びかけたが、宮戸優光や安生洋二らから不満が噴出し、結局前田がその場で解散を宣言し、リングス、UWFインターナショナル、新UWF藤原組の3団体に分裂した。
引用:UWF
前田日明、自身の引退と「PRIDE」の引き抜き攻勢のせいで「リングス」が崩壊
紆余曲折を経て1991年に発足した「リングス」については、空手団体の「正道会館」と業務提携を結び、後に「K-1」のスター選手となった佐竹雅昭さんが参戦するなど、「UWF」よりもさらに格闘技色の強い興行でした。
WOWOWが中継を担当していたこともあり潤沢な資金があったため、世界各地の外国人選手の発掘にも積極的だった「リングス」は、エメリヤーエンコ・ヒョードルさんなど後に世界格闘技界のスターとなる選手も参戦していました。
とはいえ、1999年に40歳となった前田日明さんが現役引退したことに加えて、総合格闘技団体「PRIDE」に引き抜き攻勢をかけられ選手やスタッフ流出が続くなどしたせいで、「リングス」は世紀末頃より人気低迷に苦しむことになりました。
その後、2002年にWOWOWに中継を打ち切られたことをきっかけに活動を休止することとなった「リングス」でしたが、無理な延命を図らなかったことが功を奏して、前田さんに借金などは残らなかったと言われております。
前田日明、「アウトサイダー」を主催して朝倉兄弟などを輩出していた
「リングス」解散後の前田日明さんについては、「ビッグマウス」や「HERO’S」といった格闘技系興行のスーパーバイザーに就任していたものの、2008年になると元不良たちを集めた格闘技イベント「THE OUTSIDER」を立ち上げています。
「THE OUTSIDER」に関しては、人気格闘家の朝倉未来さんや朝倉海さんを輩出した他、人気ユーチューバーのシバターさんも参戦していた時期があるなど、日本格闘技界に新風を巻き起こしたイベントでした。
しかしながら、東京五輪開催を控えて各種イベント施設が改修工事に入り会場不足となった影響もあり、2018年に活動を停止することになりました。
ちなみに、「THE OUTSIDER」活動停止後も前田さんと朝倉兄弟は交流があるようで、ユーチューバーとしても頭角を現した彼らと共演する機会もあります。
前田日明のトラブル…半グレグループ「強者」に嫌がらせをされたこともあった
前田日明のトラブル① 安生洋二に襲撃されて訴訟沙汰となった
興行の世界で生き続けただけあり、前田日明さんは暴力トラブルに巻き込まれたことも多い人間となります。
前田さんが巻き込まれた代表的な暴力トラブルについては、当時「UWFインターナショナル」に所属していたプロレスラー・安生洋二さんによる襲撃事件が挙げられます。
こちらの事件に関しては、元々は「リングス」と「UWFインターナショナル」の対抗戦が頓挫したことから生じた確執が原因でした。
1994年、リングスとUWFインターナショナルとの対抗戦の交渉が不調に終わったことに不満を募らせ「前田なんて前の(新生)UWFで終わった人間。堕ち行く己の価値をごまかすためにUWFインターを利用しようとした。高田さんを出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と挑発。一方、前田の側もプロレス誌で「安生と道で会ったらタダでは済まさん。家族の前で制裁を加える」と発言した。
引用:安生洋二
その後、小競り合いが続くことになった両者でしたが、1999年11月に行われた米総合格闘技団体「UFC」の日本大会の打ち上げ会場にて鉢合わせた結果、安生さんが前田さんを後ろから殴りつけ失神させる騒動が起こりました。
この時の事件では、前田さんが安生さんを刑事告訴して罰金刑が処せられるなど、プロレス界特有の場外乱闘では済まない結末を迎えることになりました。
前田日明のトラブル② 「強者」に嫌がらせをされたこともあった
前田日明さんは、興行の利権をめぐって半グレグループに嫌がらせをされたこともありました。
この時の騒動の発端については、前田さんが当時主催していた「THE OUTSIDER」が関西進出をはかった際に、大阪で同じ地下格闘技系イベントを主催していた半グレグループ「強者」に「縄張り荒しだ!」と因縁をつけられてしまったそうですね。
そのせいで、2013年9月に大阪市中央体育館で大会を開催した際には、「強者」関係者がリングに乱入する一幕もあったとか。
その後も「強者」一派の拳月に大会出場予定選手が脅迫されるなど、散々な目にあった前田さんですが、暴力で対抗することはなく警察に被害届を出して粛々と対応することになりました。
前田日明のトラブル③ 上井文彦にお金を持ち逃げされた
前田日明さんは、プロレス関係者に騙されてお金を持ち逃げされたこともありました。
前田さんが持ち逃げ被害にあったのは、2004年に設立された「ビッグマウス」というプロレス団体のスーパーバイザーに就任していた時期となります。
「新日本プロレス」の元役員・上井文彦が設立した「ビッグマウス」は、1年で2億円ほどの売上を記録した一方で、そのお金をすべて上井が持ち逃げした結果、解散の憂き目となってしまったとか。
・未払いのギャラ400万円
・未払いのグッズロイヤリティ400万円
・肩代わりした「ビッグマウス」社員たちの給料300万円
そのため、上井に対して裁判を起こして勝訴した前田さんですが、支払われたお金は350万円のみで残金については踏み倒されてしまったそうですね。
前田日明の歴代彼女情報…長与千種と交際していた時期もあった
前田日明の歴代彼女① 長与千種
前田日明さんは、「クラッシュギャルズ」としてもお馴染みな女子プロレスラー・長与千種さんと交際していた過去があったそうですね。
2人の仲に関しては、前田さんが長与さんに技術指導をしている内に親密な間柄に発展してしまったそうで、1980年代中盤頃に交際がスタートしたと言われております。
ただし、当時アイドルレスラーでとにかく異性からモテた長与さんは、複数のプロレス関係者たちと肉体関係にあったらしく、あまりの奔放さに前田さんは人知れず悩んでいたと言われております。
その後六本木のバーで一緒に飲んでいる時に、日頃の鬱憤が爆発してしまった前田さんは、長与さんに暴行を働く騒動を起こしてしまい、2人は破局してしまうことになりました。
前田日明の歴代彼女② 石田えり
前田日明さんは、1996年になると、今度は女優の石田えりさんとの熱愛スキャンダルが発覚しています。
石田さんといえば、映画「釣りバカ日誌」シリーズの浜崎みち子(初代)役やドラマ「金曜日の妻たちへ」の沢玲子役知られている売れっ子女優でしたが、当時は脇役にシフトしており一線から退いていました。
そのため、本来はワイドショーに騒がれずに済みそうな騒動だったものの、運悪くスクープ直後に2人が共演するトークショーがあったため、イベントに芸能レポーターたちがやって来るなど散々な目にあってしまったとか。
前田日明の歴代彼女③ 北斗晶
前田日明さんに関しては、元女子プロレスラーでタレントの北斗晶さんの憧れの人でもあったそうですね。
北斗さんのファンぶりは筋金入りだったそうで、一般人時代はファンクラブに入っていた他、女子プロレスデビューを飾った後は、前田さんにあやかり北斗晶(当時の本名:宇野久子)との芸名を名乗るようになりました。
前田日明の歴代彼女④ 英国人女性
前田日明さんは、「新日本プロレス」時代の1982年に英国へのレスリング留学を経験していますが、現地で白人の彼女を作っていたそうですね。
前田さんに白人彼女が出来たいきさつについては、世話役だったウェイン・ブリッジさんが親切にも色々な女性と引き合わせてくれたとか。
その中でウマがあった「ロイズ銀行」勤務の女性と交際するようになった前田さんでしたが、青春の良い思い出になっているそうですね。
「何気なく料理を作ってほしいと言ったら、『なんで私がそんなことしなきゃならないの!』って怒りだして、驚いたな。日本だと手料理をお願いされたら喜ぶ女性もいるくらいでしょ。これがライフスタイルの違いかと実感したね。でも、最終的には料理してくれるというのが、イギリス人のジェントリーなところ。
ちなみに、あくまでも留学期間中の短い恋の物語だったそうで、日本へ帰国する際に別れてしまうことになりました。
前田日明の結婚・家族情報…13歳年下の嫁と子供が1人いた
前田日明さんは、2006年12月に13歳年下のカメラマン・藤原佐知子さんと結婚しています。
2人の馴れ初めについては、佐知子さんが20歳の頃からの知り合いだったそうで、カメラマン志望だった佐知子さんの進路相談に乗るなどしていた結果、いつしか男女の仲になったそうですね。
ちなみに、2人の結婚については出来ちゃった婚だったため、2007年に長男の武慶(たけちか)くんが生まれているとか。
前田日明の現在…太り過ぎて病気が心配されていた
前田日明さんの現在については、引退したアスリートにはありがちな肥満状態にあり、ファンからは生活習慣病などを心配されています。
今のところこれといった大病は患ってはいない前田さんでしたが、長男が生まれた際に人間ドッグで脳を検査をしたところ、脳動脈瘤が発見されるなど一歩間違えたら早死にしていた可能性もあったようですね。
そんな前田さんの近年のトピックスに関しては、2019年12月よりユーチューバーデビューを飾っており、これまでに100万再生数を突破した動画が3本も出ている盛況ぶりとなります。
前田日明についてまとめてみると…
前田日明さんに関しては、日本格闘技界に巨大な足跡を残した一方で、身内の裏切りが続き損な役回りを演じる機会が多い状況だったようですね。
前田さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。