柏レイソルや日本代表で活躍したプロサッカー選手の工藤壮人さんが32歳の若さで死去し衝撃が広がっています。
この記事では工藤壮人さんの高校などの学歴や経歴、結婚した嫁や子供など家族、水頭症と過去の脳震盪との関係、病院の医療ミス説、死因などについてまとめました。
この記事の目次
- 工藤壮人のプロフィール
- 工藤壮人の学歴…出身高校は柏日体高等学校(現在の日本体育大学柏高校)
- 工藤壮人の経歴① 柏レイソル時代はエースストライカーとして活躍
- 工藤壮人の経歴② 柏レイソル退団後は国内外でプレーも目立った成績は残せず
- 工藤壮人の家族① 両親と3兄弟の5人家族で育ち幼少期からサッカー漬け
- 工藤壮人の家族② 結婚した嫁は一般の女性で馴れ初めは高校時代の情報も
- 工藤壮人の家族③ 子供は2018年生まれの娘が1人
- 工藤壮人は水頭症と診断され集中治療室で治療を受けていた
- 工藤壮人の脳震盪で病院に搬送された過去と水頭症との関連を疑う声も
- 工藤壮人が2022年10月21日に死去が発表されるも死因は公表されず
- 工藤壮人が水頭症の治療を行っていた病院
- 工藤壮人の突然の死去に病院の医療ミスを疑うような声も
- 工藤壮人の死因と新型コロナワクチンウイルスの関連を疑う声も存在
- まとめ
工藤壮人のプロフィール
工藤壮人のプロフィール
生年月日:1990年5月6日
没年月日:2022年10月21日(享年32歳)
出身地 :東京都杉並区(足立区としている場合も)
身長 :177cm
血液型 :O型
工藤壮人(くどう・まさと)さんは、「柏レイソル」、「バンクーバー・ホワイトキャップス」、「サンフレッチェ広島」、「レノファ山口」、「ブリスベン・ロアーFC」、「テゲバジャーロ宮崎」など、国内外のクラブでプレーしたプロサッカー選手で、2013年の東アジアカップでは、日本代表としても活躍しました。
ポジショニングのセンスに裏打ちされたストライカーとしての決定力の高さや、献身的なポストプレーや守備で高い評価と人気を得ていた工藤壮人さんですが、2022年10月21日に32歳という若さで死去され、ファンや関係者の間に悲しみが広がっています。
ここでは、そんな工藤壮人さんについてあらためて紹介していきます。
工藤壮人の学歴…出身高校は柏日体高等学校(現在の日本体育大学柏高校)
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工藤壮人さんの最終学歴は、「柏日体高等学校(現在の日本体育大学柏高校)」卒業です。
高校以前の学歴については、「足立区立保木間小学校」、「足立区立六月中学校」です。
工藤壮人さんは、小学4年生の時に柏レイソルのアカデミーに入り、学生時代はずっとサッカー漬けの日々を送られています。
小学生時代はボランチや右サイドバックとして活躍した工藤壮人さんでしたが、2003年春にU-15に昇格してFWにコンバートされ、中学3年生の頃にはストライカーとしての頭角を表しました。
2004年の日本クラブユース選手権(U-15)、高円宮杯全日本ユース選手権(U-15)に出場して結果を出し、柏U-18昇格。高校進学後も柏のユースでの練習と学業を両立するハードな日々を送られています。
高校時代は地中海国際サッカートーナメント、ビジャレアル国際ユースサッカー大会など海外でのプレーも経験し、第32回日本クラブユースサッカー選手権で大会得点王に輝いたのが決め手となり、2009年に柏レイソルのトップチームへと昇格しています。
工藤壮人の経歴① 柏レイソル時代はエースストライカーとして活躍
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柏レイソルのトップチーム昇格後の工藤壮人さんは、2010年シーズンからレギュラーに定着し、リーグ戦10得点を挙げる活躍を見せました。
2011年には7得点を挙げてチームのJ1リーグ優勝に貢献し、FIFAクラブワールドカップへの出場を果たし、第92回天皇杯優勝にも貢献しています。2013年は19得点を挙げ、ナビスコカップ決勝ではMVPも獲得。
その後、2015年シーズンまで柏レイソルの主力として活躍しました。
工藤壮人の経歴② 柏レイソル退団後は国内外でプレーも目立った成績は残せず
工藤壮人さんは2016年からは、アメリカ・カナダのメジャーリーグサッカーのバンクーバー・ホワイトキャップスへと完全移籍しプレーしています。バンクーバーでは1年間プレーし、17試合出場で2得点を挙げています。
2017年にはJリーグに復帰してサンフレッチェ広島へと移籍し18試合3得点の成績、2018年も広島でプレーし12試合1得点の成績を残しています。
2019年は、レノファ山口にレンタル移籍して27試合4得点の成績を残しました。2020年は移籍先が決まらず、母校の日本体育大学柏高校でトレーニングを続けています。
2021年は、オーストラリアのブリスベン・ロアーFCでプレーしましたが、14試合1得点の成績に終わっています。
2022年は、J3テゲバジャーロ宮崎に加入し、21試合に出場し3得点を挙げるなどレギュラーとして活躍を続けていましたが、2022年10月2日に体調不良を訴え、病院で水頭症と診断され、どう11日に手術を受けますが、その後容態が急変しICU(集中治療室)での治療を受けますが、回復せず、同21日に32歳という若さでこの世を去っています。
工藤壮人の家族① 両親と3兄弟の5人家族で育ち幼少期からサッカー漬け
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工藤壮人さんは両親と男ばかり3人兄弟の次男として5人家族で育っています。父親は聡さん、母親は恵子さんという方です。
父親の聡さんがサッカー経験者だった事から、工藤壮人さんと兄弟たちは皆、幼い頃にサッカーを始めています。
90年5月に生まれた工藤は男ばかりの3兄弟の次男。「壮絶な苦労もあるだろうけど、戦いに負けない人になってほしい」という意味を込めて、両親の聡・恵子さんは命名したという。
父・聡さんがサッカー経験者だったこともあり、息子たちは物心ついた時からボールを蹴っていた。
工藤壮人さんは小学校低学年の頃に、3歳年上の兄が柏レイソルのU-12チームのセレクションを受けるのに同行します。
工藤壮人さんの兄は惜しくも不合格となりますが、工藤壮人さんは兄の不合格が自分の事のように悔しかったのだそうで、「自分は合格して兄の分も活躍したい」という想いを強く抱くようになったそうです。
兄が柏レイソルU-12のセレクションを受けて落ちてしまったのを見て、自分も受けたいと思った。兄の分も自分がやる、という気持ちにもなりました。
工藤壮人さんは父の聡さんの指導で猛練習をし、小学3年生の冬のセレクションを受験しています。
兄が柏レイソルU-12のセレクションを受けることになり、工藤も同行。結局、兄は入れなかったが、「自分は絶対に合格したい」と本人は強い思いを抱いたという。
そこで工藤と父は3年冬のセレクションに向けて、家の前の公園で猛特訓を開始。特に本番2~3カ月前は熱の入りようが凄まじかった。
猛練習の成果と両親の後押しにより、工藤壮人さんはセレクションに合格し小学4年生から正式に柏レイソルのU-12チームに入団しています。
当時家族と住んでいた竹ノ塚から柏へ片道1時間以上かけて練習に通いながら、学校の勉強を両立させる事はかなりハードだったそうですが、工藤壮人さんはへこたれる事なく努力を続けられたそうです。
そんな両親の後押しのおかげで、工藤は柏のセレクションに合格し、4年から柏に通うようになる。高学年になったとはいえ、小学生が竹ノ塚から柏へ片道1時間以上かけて通って、レベルの高い練習をこなし、夜21~22時に帰る生活というのは、想像以上にハードだった。それでも本人はめげずにやり続けた。
当時の工藤壮人さんのサッカーへの情熱は強く、母親の恵子さんが土砂降りの雨の日に心配して「今日は休んだら?」と勧めても「絶対休まない」と言って1日も休まずに練習に通っていたそうです。
そんな母親の恵子さんも、サッカーにかかる費用や子供たちの学費を賄うために昼は事務、夜は飲食店の仕事をして工藤壮人さんのプロサッカー選手になる夢を応援されています。
母・恵子さんは日中に事務の仕事をこなし、夜には飲食店で働いて、息子の夢を応援した。
工藤壮人の家族② 結婚した嫁は一般の女性で馴れ初めは高校時代の情報も
工藤壮人さんは、柏レイソルで活躍していた2013年9月10日、23歳の時に埼玉県在住の一般女性と結婚されています。
柏レイソルは11日、日本代表FW工藤壮人(23)が10日に入籍したと発表した。お相手は埼玉県在住の一般女性。
スポーツライターの小宮良之さんは、工藤壮人さんと嫁の結婚式に出席した際に、工藤壮人さんが嫁の父親と握手をする時の光景に強い印象を受けた事をスポーツナビのコラム記事の中で綴られていました。
今年1月、筆者はその工藤の結婚式に出席する機会があった。とても和やかで愛情に満ちた式だったのだが、新郎新婦が愛を誓う壇上、花嫁の父が工藤に愛娘を託すときの握手は、とりわけ強い印象を残した。端から見ても熱が伝わってくるほどで、工藤は妻となる女性の父の情感を、全身で受け止めているようだった――。
なお、工藤壮人さんの嫁については、高校時代に知り合い交際を続けてきた女性との情報があるようですが、これについては情報元の確認ができず真偽不明です。
工藤壮人の家族③ 子供は2018年生まれの娘が1人
工藤壮人さんは2013年に結婚した嫁との間に2018年12月15日に生まれた子供が1人います。
工藤壮人さんの子供は娘さんで、工藤壮人さんのインスタグラムでも顔出しでよく紹介されていました。
昨日、12月15日は娘の2歳の誕生日でした。
この半年、小さな成長を見逃すことなく、一緒に過ごせたことも、今となっては本当にラッキーだったと思っています。
いつもたくさん笑わせてくれてありがとう。
工藤壮人は水頭症と診断され集中治療室で治療を受けていた
2022年10月21日に32歳という若さでこの世を去った工藤壮人さんですが、死去の約3週間前の10月3日に病院で「水頭症」と診断されて手術を受けています。
しかしこの手術後に容態が急変し、ICU(集中治療室)に入って治療を受けていることが、10月18日に所属クラブ「テゲバジャーロ宮崎」から発表されていました。
J3テゲバジャーロ宮崎は18日、元日本代表FW工藤壮人(32)が水頭症の手術を受け、容体が悪化したためICU(集中治療室)にて治療中だと発表した。
クラブによると、工藤は2日の練習時間外に体調不良を訴え、翌3日に医療機関を受診し、検査の結果、水頭症の診断を受けて入院した。その後、11日に手術を受けて療養していたが、容体が悪化し、17日からICUにて治療に専念しているという。
工藤壮人が診断された水頭症とは
工藤壮人さんは「水頭症」と診断されたという事ですが、この水頭症は専門の医療機関の説明によると以下のような疾患だという事です。
水頭症とは脳室に髄液が過剰に溜まってしまったために脳を圧迫し、さまざまな症状を引き起こしてしまう疾患です。その中でもくも膜下出血や脳出血、頭部外傷、髄膜炎などの頭蓋内疾患に引き続いて起こってしまう続発性水頭症とは区別し、原因が明らかでないものを「特発性正常圧水頭症」と呼んでいます。
工藤壮人の脳震盪で病院に搬送された過去と水頭症との関連を疑う声も
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工藤壮人さんは、2016年5月11日、当時所属していた「バンクーバー・ホワイトキャップス」(カナダのプロサッカーチーム)での試合中に対戦相手の選手と衝突し、脳震盪を起こして病院に搬送された事があります。
MLS(メジャーリーグ・サッカー)のバンクーバー・ホワイトキャップスに所属するFW工藤壮人が、11日に行われたシカゴ・ファイアー戦で相手選手との衝突により負傷し、病院へ運び込まれた。クラブ公式サイトが同日に伝えた。
クラブの公式発表によると、工藤壮人さんはこの衝突によって脳震盪を起こしたという事です。口からの流血については、衝突の際に舌と唇を噛んだことによるものだったようです。
クラブによると、工藤は衝突により脳震盪を起こし、舌と唇も噛んでいたという。すでに意識ははっきりしているが、検査のためにバンクーバー市内の病院へ運び込まれている。
今回、工藤壮人さんが水頭症の症状に倒れた事と、この時の脳震盪の関連を疑う声も見られるようです。
工藤壮人が亡くなった。レイソル時代の、特にACLでのプレーは安心感があり、中韓の屈強かつ荒いDF陣からもバンバンゴールしていた。バンクーバー時代の試合中の脳震盪だかで離脱した記憶があるが、死因も関係あるのだろうか。
— たまご (@ut_tamago) October 22, 2022
術後リスクの一環か?
東京や大阪なら助かったとか言う人も出るだろうか?
水頭症を発症する原因の中に「頭部外傷」が含まれているため、2016年の脳震盪を起こした事故と今回の水頭症発症との関連性を疑う声が出るのも無理からぬ事かも知れません。
発生原因としては、髄液の[1]通過障害、[2]吸収障害、[3]過剰分泌のいずれかの状態によって引き起こされますが、最大の原因は髄液の通過障害であります。くも膜下出血・脳出血などの脳血管障害、脳腫瘍、細菌性髄膜炎などの感染性脳疾患、 頭部外傷、先天性の脳奇形、その他様々な原因で水頭症は発生します。
工藤壮人さんの脳震盪の過去と水頭症との関連性は不明ですが、サッカー選手を含む激しい競技をプレーするアスリートの安全のためにも原因の究明が望まれるところです。
工藤壮人が2022年10月21日に死去が発表されるも死因は公表されず
水頭症と診断され、病院のICU(集中治療室)で治療を受けていると報じられていた工藤壮人さんでしたが、最初の報道から3日後の2022年10月21日に、その日の14時50分に工藤壮人さんが死去した事が、所属クラブ「テゲバジャーロ宮崎」のオフィシャルサイトで発表されました。
このたび、弊クラブ所属の工藤壮人選手が、10月21日(金)14時50分に逝去いたしました。
工藤壮人さんの死因については公表されていません。
工藤壮人が水頭症の治療を行っていた病院
工藤壮人さんがどの病院で水頭症の治療を受けていたのかは公表されておらず不明です。
工藤壮人さんは当時、宮崎県に本拠を置く「テゲバジャーロ宮崎」に所属していた事から、宮崎県の病院だったのではないかと言われていますが実際のところはわかりません。
工藤壮人の突然の死去に病院の医療ミスを疑うような声も
工藤壮人さんは10月3日に水頭症と診断され、11日に病院で手術を受けた後に容態が悪化して17日に同病院の集中治療室(ICU)に入ったようです。そして、それからわずか4日後の21日に急逝されています。
工藤さんは今月2日、練習時間外に体調不良を訴え、3日に医療機関を受診して検査を受けた結果、水頭症と診断された。入院し、11日に手術を受けて療養していたが容態が悪化。17日から集中治療室(ICU)で治療に専念していることをクラブが18日に発表していた。
こうした経緯から、工藤壮人さんが亡くなったのは入院先の病院の医療ミスがあったのではないかと疑うような声が少なからず見られます。
元日本代表FW工藤壮人さんが死去 32歳 水頭症の診断、集中治療室での治療も及ばず J3宮崎が発表(スポニチアネックス)#Yahooニュースhttps://t.co/Y2MX2ZhhKK
— やきうひじき (@hijiki0877) October 21, 2022
おい医療ミスちゃうんかこれ。
今日日、水頭症で人なんか死なんぞ。
水頭症は放置すれば約半数が死亡する疾患だという事ですが、治療を受けた場合に死亡するケースは殆どないという事で、病院による医療ミスを疑う声が上がっているようです。
工藤壮人の死因と新型コロナワクチンウイルスの関連を疑う声も存在
工藤壮人さんの死因は公表されていませんが、新型コロナワクチンとの関連性を疑う声も上がっています。
新型コロナワクチン接種と水頭症の関連を示すようなデータもいくつか公表されているようなので、関連を疑う声が少なからず上がっているようです。
柏、広島、カナダ、オーストラリア、宮崎などで活躍した元日本代表FWの工藤壮人選手が水頭症で亡くなりました。
— ZENKO この茶番からの卒業特命担当大臣 兼 素顔デビューサポーター(電凸請負人) (@Ryuji_04_05) October 22, 2022
「新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要」
画像は80歳女性のものですが、これとの因果関係はないのだろうか。 pic.twitter.com/rsADnK1J1M
まとめ
今回は、2022年10月21日に32歳という若さで死去したプロサッカー選手の工藤壮人さんについてまとめてみました。
工藤壮人さんの学歴は柏日体高校卒業で、小学生時代から柏レイソルのユースチームに所属し、高校卒業とほぼ同時にトップチームへと昇格しプロサッカー選手になりました。
その後は、柏レイソルのエースストライカーとして活躍後、国内外でプレーした経歴を持ち、2022年シーズンはJ3テゲバジャーロ宮崎でプレーしていましたが、10月2日に体調不良を訴え、水頭症と診断され、それからわずか19日後の10月21日に他界されました。
工藤壮人さんの家族については、サッカー経験者の父親と母親、兄と弟の5人家族。2013年に結婚した嫁は埼玉県在住の一般女性で、その嫁との間には2018年に生まれた子供が1人いました。
工藤壮人さんは水頭症と診断された後、10月11日に病院で手術を受けましたが、その後容態が悪化し、17日にICUに入って治療を受けています。しかしそれから3日後の21日に死去した事から、病院の医療ミスを疑う声も上がっています。
また、工藤壮人さんは2016年にプレー中の接触で脳震盪を起こして病院に搬送された過去があり、それと水頭症の関連を疑う声も出ています。
死因が公表されていないこともあり、新型コロナワクチンとの関連を疑うような声もあるようです。