かつてサッカー日本代表選手として戦い、横浜F・マリノスにて「ミスターマリノス」と呼ばれた松田直樹さんですが、松本山雅FC所属時の2011年8月4日に急性心筋梗塞により死去しました。
この記事では、松田直樹さんの死因、離婚した元嫁や子供と現在、そして命日などを総まとめしました。
この記事の目次
松田直樹のプロフィール
松田 直樹(まつだ なおき)
愛称: マツ、マツさん、ナオキ
生年月日: 1977年3月14日
出身地: 群馬県桐生市
没年月日: 2011年8月4日(34歳没)
身長: 183cm
体重: 78kg
ポジション: DF
利き足: 右足
所属クラブ: 1995-2010 横浜マリノス/横浜F・マリノス、2011 松本山雅FC
松田直樹さんが小学校を始めたのは兄の影響で、杉並区立天沼小学校のサッカー部・天沼FCに通常は3年生からの入部が可能なところ、天性の運動神経から小学校1年生の頃に特例で入部を許可されました。
1年生ですでにリフティングが16回できていたことからも松田直樹さんの運動神経の良さがわかりますが、サッカー以外にも野球や水泳、バドミントン、ラグビーと様々なスポーツで誰よりも才能を発揮していました。
しかし、サッカーだけは1番になることができなかったため、松田直樹さんはサッカーにのめり込んでいくことになりました。
その負けず嫌いの少年は後に日本代表のDF(ディフェンダー)を背負うほど努力を重ね、当時は同じDFの中澤佑二さんと合わせて「鉄壁のディフェンダー」と呼ばれ日本の頼もしい守備として活躍しました。
また、松田直樹さんは古巣の「横浜F・マリノス」では”マリノス時代”から精神的支柱としてチームを支え、すべてのタイトル獲得に貢献したことから「ミスターマリノス」と呼ばれ愛されました。
第二の戦場として選んだ「松本山雅FC」でもチームの柱として活躍した松田直樹さんですが、2011年8月2日9時58分頃に、チームのホームである長野県松本市内にある梓川ふるさと公園で練習中に突然倒れ、搬送された病院で急性心筋梗塞のため意識が回復しないまま34歳の若さで死去しました。
松田直樹が34歳の若さで死去~死因は急性心筋梗塞だった
松田直樹、練習中に倒れ心停止状態で緊急搬送【2011年8月2日】
34歳という若さで死去した松田直樹
2011年8月2日9時58分頃に、松本市の梓川ふるさと公園にて松本山雅FCの練習に参加していた松田直樹さんは突然倒れ、信州大学医学部附属病院高度救命センターに緊急搬送されました。
松田直樹さんは練習場にいた看護師に心臓マッサージをされていましたが、病院に運ばれた時はすでに心肺停止の状態でした。
「大の字に倒れた松田を囲んで、『マツさん、マツさん起きろ!』と選手たちが叫んでいた。何が起きているのか、すぐには理解できませんでした」(松本山雅FCチームスタッフ)
松田が病院に運ばれた8月2日、松本山雅は、松本市内にある梓川ふるさと公園で練習を行っていた。ウォーミングアップとして行われた、15分間3kmのランニングを、「いつも通り」2周遅れでゴールした松田の胸を、突然激痛が襲った。
「次の練習が900m走だったため、その準備として脈拍を取りながらストレッチをしていたんです。そのとき松田が『やばい、やばい』と呻きながら崩れた」(前出チームスタッフ)
松田直樹、緊急搬送の2日後にこの世を去る【2011年8月4日】
病院に運ばれた時点で発作から50分が経過しており病院までの距離が致命的となりましたが、皮肉にも松本山雅FCは梓川ふるさと公園よりも信州大の敷地内にあるグラウンドの方がよく練習に使用していました。
梓川ふるさと公園にAEDが常備されていたか、もしくはこの日が信州大のグラウンドでの練習だったなら、松田直樹さんは助かっていた可能性もあるようです。
病院搬送後の松田直樹さんは、一時は途中心拍が微弱ながら戻ったようですが、意識を取り戻すことはなく急性心筋梗塞搬送から2日後の8月4日13時6分頃に死去しました。
松田直樹、死因は現役アスリートとしては稀な急性心筋梗塞
松田直樹のケースは3%と非常に稀だった
急性心筋梗塞の専門医の話では、松田直樹さんのようなケースは全体の3%と非常に希なケースだったようです。
「現役のアスリートが急性心筋梗塞になることは非常に稀です。元気な人ほど、その前兆を自覚しづらいんです。私の病院に運ばれる患者さんの9割以上は、肥満や慢性的な運動不足の方。喫煙者やストレスを抱えている人のリスクは高まりますが、松田さんのような30代のケースは全体の3%程度しかありません」
松田直樹さんは特に持病が無かったようで、2011年2月にチームで行われた健康診断では、胸部X線、心電図、血液検査などすべての項目で異常なしの判定が出ていました。
また、松本山雅FCのチーム関係者によれば、松田直樹さんが倒れた当日は特に顔色が悪かったということも無く、チームメイトで友人だった木島良輔さんも「異常は感じなかった。こんなことになるとは思わなかった」と語っています。
ジョギング中に松田直樹さんが苦しそうな素振りを見せた時も、最初はいつものようにふざけているだけだと思ったそうです。
松田直樹、移籍や離婚のストレスを抱えていた?
松田直樹は明るい性格の裏に心労を重ねていた?
松田直樹さんと長年親交があった記者によれば、長く在籍していた横浜F・マリノスから戦力外通告されて松本山雅FCに移籍することになったことに対し、環境の変化によるストレスを心配していたようです。
また、松田直樹さんは嫁と円満ではない離婚の仕方をしていたようで、3人の子供たちとも離れてしまった寂しさを抱えていたとも。
松田直樹さんのメンバーの話では破天荒で酒や夜遊びも好きなやんちゃな性格だったようで、このことからも本人が分からない内に病魔が忍び寄っていたのかもしれません。
松田直樹の突然死はスペインでも大きく報じられていた
サッカーを愛する世界各地でも松田直樹さんの死去は報じられ、当時の国際サッカー連盟会長だったゼップ・ブラッターさんは「日本代表の伝説的なディフェンダーだった」と追悼のコメントを発表しました。
2007年にスペイン代表選手でもあったアントニオ・プエルタさんが心疾患により亡くなったことから、同様の松田直樹さんの不幸について国営放送TVEのゴールデンタイムのニュース番組で報じています。
松田直樹の家族情報~離婚した嫁との間に子供が3人いた
松田直樹、離婚した嫁は告別式にも参加できず
松田直樹の元嫁は告別式に参加できなかった
松田直樹さんの告別式8月9日に故郷である群馬県桐生市の斎場で営まれました。
生前ともに日本代表選手として戦った盟友ら中田英寿さんや中山雅史さん、小野伸二さんや、元日本代表監督のフィリップ・トルシエさんらを含む約1700人が告別式に参列しました。
しかし、松田直樹さんの元嫁は告別式のある斎場の外から手を合わせるだけで焼香をあげておらず、それは松田直樹さんの母親である正恵さんから強く断られていたからでした。
元嫁は松田直樹さんと離婚後、一男二女の3人の子供たちと神奈川県内の実家で暮らしていました。
「病室前で、松田さんの母・正恵さんから、“あなたには病室にはいってほしくない”と面会を断られたそうです。それでなんとか子供だけでもとお願いして、子供たちは父親と対面を果たせたんです」
(中略)
「正恵さんにしてみれば、息子がこんなことになったのには、A子さんとの離婚問題も影響したのではと思っているんです。ですから、息子を苦しめたA子さんに対し、“あんたに死に水は取らせない”という思いだったのだと思います」
(中略)
「正恵さんから“葬儀には来ないで。参列は子供たちだけ”とA子さんはいわれたそうです」
ちなみに離婚の原因は松田直樹さんの度重なる女遊びだったとも報道されています。
松田直樹の子供のために安永聡太郎が「松田直樹メモリアル」設立するも…
松田直樹の親友だった安永聡太郎
松田直樹さんは3人目の子供が生まれた直後に離婚、元嫁のA子さんは幼い子供3人を女手ひとつで育てていくこととなりました。
この状況に松田直樹さんの横浜F・マリノス時代の同僚だった安永聡太郎さんは、遺された松田直樹さんの子供3人が将来困らないように「松田直樹メモリアル」を設立しました。
「追悼試合という形も初めて。『松田直樹』という冠を使うと、3人いる彼の一番上の子供に肖像権料が渡ることを知りました。僕は本気で彼の子供の面倒をみようと思っている。営利団体ではありませんが、3人の子供たちが20歳になるまで年に1回、こういう形の試合を行いたいと思っています」
しかし、2015年11月に発起人であった安永聡太郎さんは自身の夢のためにという理由で財団を離脱。松田直樹さんの子供のためと設立された「松田直樹メモリアル」は突然休止してしまいました。
「安永では利益にならない」とその企業の方に言われているのに。直樹の仲間達に酷い事をしておいて、直樹の仲間と偽り、AEDの講習会とかでアスリートに近づいていたりしているその企業の方の団体に、安永君の名前が。メモリアルの引き継ぎもないまま。直樹が可愛そうです。皆様、どう想いますか?
— 松田直樹 姉 (@3333_naoki) April 27, 2016
色々とゴタゴタのあった財団ですが、現在は「松田直樹メモリアルNextGenerGeneration」として松田直樹さんの姉・松田真紀さんが理事を務めているようです。
松田直樹の突然死でAED常備義務化へ~命日には各地でイベントも
松田直樹の死後、日本サッカー協会がAED常備を義務化
松田直樹の死去はAED拡散の動きを生んだ
松田直樹さんはAEDがあれば命を落とさなかった可能性があることから、死去を受けて全国的に垣根を越えてAEDの普及が加速してきました。
そして松田直樹さんの悲劇を繰り返してならないと、日本サッカー協会はAED常備を義務化しました。
日本サッカー協会は松田直樹の悲劇を繰り返してならないと、今年度からJFLなど(Fリーグ、なでしこリーグ)に試合や練習におけるAED常備を義務付けることを決めた。
また、元同僚の河合竜二さんも松田直樹さんの無念とAEDの重要性を周知するために、「松田直樹メモリアルNext Generation」の一員として活動。Jリーグの各クラブではAED講習や救急講習が定期的に行われるようになりました。
松田直樹の命日には追悼試合やイベントも
松田直樹の背番号3をつけウォーミングアップ
松田直樹さんが亡くなった8月4日には毎年イベントが開催されています。
#松田直樹メモリアルフェス を無事に終える事ができました!ありがとうございました! pic.twitter.com/Q6cIh4aIbI
— 松田直樹メモリアルフェス (@matsudanaokifes) August 4, 2019
また、松田直樹さんが所属していた松本山雅FCはJ1前回王者である川崎フロンターレの本拠地・等々力競技場で試合に臨みました。
現在も現役で活躍している飯田真輝さんは、2011年8月2日に松田直樹さんが倒れた瞬間にその場にいた当時からのメンバーであり、尊敬する先輩の墓参りには年2回欠かさず礼拝し、特に命日にはその思いは特別なものがあったようです。
【再掲】8月4日、彼の命日に。
— ゲキサカ (@gekisaka) August 4, 2019
「サッカーを愛し、すべての情熱をささげた男 松田直樹」 pic.twitter.com/hf4S16z8P9
松田直樹について総まとめすると…
・松田直樹の死因は現役アスリートとしては稀な急性心筋梗塞だった
・松田直樹には離婚した嫁との間に一男二女の子供が3人いた
・松田直樹の悲劇を繰り返さないために日本サッカー協会はAED常備を義務化、命日にはイベントや追悼試合が毎年開催されている
元日本代表の「鉄壁のディフェンダー」と呼ばれた松田直樹さんの死について現在までの様子を総まとめしてきました。
日本を代表するスター選手と言えば中田英寿さんや本田圭佑さんなどMFやFWなどの攻撃的な選手が目立ちますが、DFでスター的な存在と言えば間違いなく松田直樹さんでしょう。