サッカー出身のスポーツキャスターと言えば、だれを思い浮かべますか?バラエティもできるサッカー系スポーツキャスターの草分け的存在が水内猛さんです。
水内猛さんのプロフィールや若い頃からの仕事の経歴、嫁の小倉弘子さんとの馴れ初めや結婚、子供の人数、自宅での家事や年収と現在をまとめました。
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水内猛はスポーツキャスター
水内猛
生年月日:1972年11月19日
出身:神奈川県横浜市
身長:170cm
所属:ホリプロ
血液型:O型
活動:スポーツキャスター、元プロサッカー選手
水内猛さんは元プロサッカー選手で、現役引退後はスポーツキャスターとして活躍している男性です。
明るく親しみやすいキャラクターで、スポーツ関係の番組・メディアだけでなく、バラエティ番組にも出演するなど、幅広く活躍しています。
結婚した嫁は元TBSアナウンサーの小倉弘子さんで、夫婦円満で仲が良いおしどり夫婦としても知られています。
水内猛は若い頃はプロサッカー選手だった
「水内猛さん明るく楽しいスポーツキャスター」というイメージを持っている人は多いと思います。でも、若い頃はプロサッカー選手だったことを知っている人は少ないかもしれません。
プロサッカー選手だったと知っていても、現役時代の頃を詳しく知っている人は少ないのではないでしょうか。
水内猛さんの若い頃の経歴、サッカー選手としての経歴を詳しく見ていきましょう。
サッカーを始めたきっかけ
水内猛さんは、小学生の頃にサッカーを始めます。その頃は漫画の「キャプテン翼」が流行っていたこともあり、小学校の部活でサッカーを始めました。
ただ、小学生の頃の水内さんは野球もやっていました。野球はクラブチームに入っていましたので、実はサッカーよりも野球に力を入れていたんです。
子供の頃はサッカーよりも野球に力を入れていたのに、プロサッカー選手になることができたというのは、水内猛さんがいかにスポーツ万能でなんでもできるタイプだったのかが良くわかりますね。
高校で注目を集める
小学生の頃はサッカーよりも野球に力を入れていた水内猛さんですが、中学校に進学すると、野球を辞めて、サッカー1本に絞ることになりました。
サッカー1本に絞ることにした理由はサッカーが好きになったというわけではなく、進学した横浜市立汲沢中学校には野球部はなかったためです。物理的に野球を続けられなくなったので、自動的にサッカーに絞ることになりました。
中学生の頃からポジションはFW。当時から得点力はずば抜けていたとのことです。ただ、ドリブルで突破してゴールを決めるというタイプではなく、最後のワンタッチでゴールを決めるタイプでした。
高校は県立旭高校に進学します。旭高校はサッカー強豪校です。水内さんは高校選手権に出場したいから、強豪の旭高校を選んだそうです。1年生の頃からずば抜けた得点力は持っていたものの、体格差があり、なかなか試合に出してもらえないことが続きました。
レギュラーになれたのは、2年生の終わりごろからです。球技大会の時にサッカー部以外の同級生にいろいろな技を試したら、それが上手くいって、そのイメージのまま部活の練習をしたらメキメキ上達して、レギュラーになることができたそうです。
その後、3年生の時には全国高校サッカー選手権で全国ベスト8を達成し、大会優秀選手にも選出されています。
実業団からJリーグ
高校3年生の時に関東大会で準優勝をした水内猛さんは、三菱自動車からスカウトされて、高3の夏の時点で高校卒業後は三菱に加入することが決まっていました。
夏に先生から三菱からオファーがあることを知らされ、プロに参加することも表明していたのですぐに加入を決めました。
高校を卒業した1991年には三菱自動車工業に入社しました。当時はまだプロリーグがなく、実業団で社員選手としてプレーをする形です。1992年には浦和レッズに「社員選手」として入団します。そして、高卒3年目の1993年にはJリーグが華々しく開幕!
Jリーグ元年は柱谷幸一や福田正博などの主力選手が負傷し、試合出場の機会に恵まれ、レギュラーを獲得しました。そして、この年はチーム得点王に輝きます。
そして、翌年の1994年には社員選手からプロ契約になり、プロサッカー選手になりました。
1996年シーズンからは旧JFLのブランメル仙台(現在のベガルタ仙台)に移籍し、1997年で現役を引退しました。
実業団時代から合わせると、出場試合数は93(J1は48、旧JFL43)、総得点28(J1は10、旧JFLは18)という成績でした。
若くして引退をした
水内猛さんが現役を引退したのは1997年のこと。当時まだ25歳でした。大きなけがをしたわけでもないので、かなり若くしての引退でした。
若くして引退した理由は「サッカーを辞めたら、テレビに出る仕事がしたい」と思っていたことです。選手としてはまだまだできる状態でしたが、テレビに出る仕事をするなら、辞めるなら早い方が良いし、みんなに覚えてもらっている状態で辞めた方が良いという考えたがあったそうです。
将来のビジョンがあって、引退を決断したんですね。
水内猛の仕事・経歴:スポーツキャスターとして
W杯出場を機に引退
25歳で現役引退を決断した水内猛さんは、芸能プロダクションのホリプロと契約します。現役引退を決断した理由は、前述のとおり、テレビの仕事がしたかったからです。
水内さんの叔父はミュンヘン夏季五輪バレーボールの金メダリストの大古誠司さんです。大古誠司さんは全日本男子チームの監督をしていたこともあり、その関係もあって、水内さんは川合俊一さんに憧れるようになります。
実は引退を早めに決めたのは川合さんの影響もありました。98年の日本代表に選ばれなかった事もありましたが、スポーツ界の人間だけどMCが出来たり、川合さんのようにマルチにやってみたいという想いもあり、早めに引退を決断しました。
引用:元浦和レッズ 水内猛【高校サッカー・前編】「シュートは基本ダイレクト」 | インタビュー | 高校サッカードットコム
川合俊一さんのようにスポーツ関係だけでなく、マルチに活躍できるようになりたいと思っていたんですね。また、1997年には日本が初のワールドカップ出場を決めましたが、この時は水内さんは日本代表に選出されなかったこと、さらにワールドカップでサッカー関係の需要が増えるという見込みもあり、タレントに転身しました。
水内さんはというと、日本代表がワールドカップ出場を決めたことで、現役を引退してタレントへと転身しました。まさに「機を見るに敏」としか言いようがありません。「生き方上手」と言ってもいいでしょう。ワールドカップ出場となれば、それを解説するなり、取材するなり、レポートするなりといったニーズが間違いなく増大すると読んだそうです。
引用:Jリーガーからキャスターへの鮮やかなサイドチェンジ。(ゲスト 水内 猛氏:第4回)|賢者の投資術 Powered by OPEN HOUSE|富裕層のためのウェブマガジン
水内猛さんは陽気で楽しいキャラクターのイメージが強いですが、実は冷静で優秀な戦略家なんですね。
バラエティもできるスポーツキャスターとして人気に
タレントに転身した水内猛さんは、当時は元Jリーガーのスポーツキャスターが少なかったこともあり、思った以上にサッカーの仕事をするようになりました。
まずはテレビ埼玉で「REDS TV GGR」という浦和レッズのサッカー番組のMCをスタートします。それ以外にもニュース番組のスポーツコーナーを担当したり、日本代表の試合のリポーターをするなど、積極的にメディアに出演していきました。
また、年に3回三菱重工の工場でのサッカー教室やJリーグ主催のサッカー教室に参加したり、自分でイベントを主催したりとサッカー関連・スポーツ関連の仕事をたくさん行っています。
幅広い活動をしている
サッカー関連の仕事で結果を出し続けた水内猛さんは、サッカー・スポーツ関連以外の仕事のオファーも増えていきました。
スポーツマンNo.1決定戦に3回出場したり、各種バラエティ番組に出演するようになります。また、「育メン」として、NHKのEテレ「すくすく子育て」の司会をしたり、ドラマにチョイ役で出演したりしています。大ヒット映画の「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて」にも出演しました。
現役引退時に「川合俊一さんのようにマルチに活躍したい」という目標を、水内猛さんはしっかり達成したと言えるでしょう。
水内猛の嫁は小倉弘子
小倉弘子
生年月日:1974年9月4日
出身:東京都江東区
身長:174.3cm
所属:元TBS
血液型:A型
活動:元TBSアナウンサー
水内猛さんの嫁は、元TBSアナウンサーの小倉弘子さんです。小倉弘子さんは1997年にTBSにアナウンサーとして入社し、スポーツキャスターとして、またニュースキャスターとして幅広く活躍します。
入社以来、TBSの看板アナウンサーとして長年活躍していましたが、40代後半になると管理職になり、現場の仕事・アナウンサーとしての仕事が減っていったこともあり、2024年末でTBSを退社して、フリーアナウンサーに転身しました。
水内猛と小倉弘子の馴れ初め
番組で共演&友達関係
水内猛さんと嫁の小倉弘子さんが初めて会ったのは、番組で共演した時でした。
日曜日にTBSで放送していた『炸裂!スポーツパワー』という番組で顔を合わせました。
この時、水内さんは川合俊一さんや陣内貴美子さんらと楽しそうに会話していて、小倉弘子さんは「にぎやかな人」という印象を持っていたそうです。
その後も番組は違うもののTBS局内で顔を合わせることが多くなったり、2000年のシドニーオリンピックの取材で現地で偶然会ったりするようになり、スポーツ関係の仲間と一緒に食事に行くことがある「仕事仲間」「友達」という関係性でした。
松井秀喜の取材がきっかけ
友達だった2人の関係性に変化が訪れたきっかけは、野球の松井秀喜さんのメジャー移籍です。松井秀喜さんは2002年オフにメジャーのニューヨーク・ヤンキースへの移籍が決まりました。当然、日本のマスコミは松井のメジャー挑戦の取材をするべく、アメリカ取材を試みます。
しかし、この時は前年のアメリカ同時多発テロからのイラク戦争の影響で、マスコミのアメリカ行きが制限されていました。
水内猛さんも松井秀喜さんの取材に行く予定でしたが、「タレントをアメリカに行かせるのは危険」という理由から取材に行けなくなりました。一方で、TBSの局員だった小倉弘子さんは局を代表してアメリカに取材に行けることになったんです。
小倉弘子さんが取材した内容を水内猛さんが担当しているTBSのスポーツコーナーで放送すると、小倉弘子さんから「見たよ」という連絡が入りました。水内猛さんは取材内容を詳しく知りたかったこともあり、小倉弘子さんを食事に誘ったんです。
食事に誘って長谷部誠のナイスアシスト
小倉弘子さんを食事に誘った水内猛さんは、「さすがに2人きりは…」と思って、TBSの男性アナウンサーの駒田健吾を誘って3人で食事に行きました。
食事をした後、水内猛さんの知り合いがやっているお店に飲みに行くと、そこには偶然、浦和レッズの後輩だった長谷部誠さんと鈴木啓太さんがいました。
水内さんはチャンスと思って後輩2人にサインを出し、場を盛り上げてもらい、長谷部誠さんは水内さんのことをべた褒めした結果、水内さんと小倉弘子さんは付き合うことになりました。2人の後輩からのナイスアシストがあって、水内さんはTBSの看板アナウンサーと付き合って結婚することになったんですね。
水内猛は結婚式で厚底靴を履いていた
水内猛さんは小倉弘子さんと2005年4月14日に結婚し、翌年の1月7日に結婚式を挙げています。この結婚式では水内猛さんは15cmの厚底靴を履いてました。
1月7日になりました今日は結婚式を挙げた日になります❣️もう16年前になりますね引き続き、水内家をよろしくお願いしますします#結婚式記念日 #2006年 #16年前 #厚底ブーツ #15cm pic.twitter.com/bXUh0l5Vh1
— 水内猛 (@mizuuchitakeshi) January 7, 2022
15cmの厚底靴。かなり不安定そうに見えます。また、いわゆるシークレットシューズではなく、完全にわかりやすい厚底靴。なぜ、結婚式でこんな厚底靴を履いたのか?それは2人の身長差が理由です。
水内猛さんの身長は170cm。嫁の小倉弘子さんの身長は174.3cmです。嫁の方が身長が高いんです。この2人の身長差を面白く表現するために、水内猛さんは15cmの厚底靴を履いたのでしょう。
毎年結婚記念日には、SNSで結婚式の様子や厚底靴について、ユーモアを交えながら投稿していて、夫婦円満・愛妻家であることが伺えます。
水内猛の子供は3人
水内猛さんには子供が3人います。
・2008年3月8日:第1子(長女)誕生
・2012年5月22日:第2子(次女)誕生
・2018年1月17日:第3子(長男)誕生
嫁の小倉弘子さんは結婚前から子宮筋腫があり、「自然妊娠は簡単ではない」と宣告されていました。第2子は不妊治療を行ったものの、なかなか妊娠できず、妊活を諦めたタイミングで自然妊娠して授かりました。
また、第3子はまさかの妊娠発覚だったようです。嫁から妊娠を告げられた時、水内さんは「妊娠?誰が?」という反応でした。また、その時は車を運転していて信号待ちをしていましたが、嫁が第3子を妊娠したと知り、驚きと喜びで飛び上がったとのこと。
そんなに喜んでくれたら、妊娠を告げた嫁の小倉弘子さんも嬉しいですよね。
水内猛は自宅で家事を積極的にしている
水内猛さんは自宅で積極的に家事を行っています。
料理は小倉弘子さんの担当ですが、洗濯や掃除は水内猛さんがやることも多いんだとか。水内さんは結婚した時に「できる人ができることをやろうよ」って最初に小倉弘子さんに告げて、2人で協力しながら、自宅で家事・子育てをしているそうです。
お子さんが小さい時には自宅から保育園までの送り迎えも水内さんがやることもあり、夫婦2人で協力しています。だからこそ、夫婦円満なんですね。
水内さんは自宅で家事・育児に積極的に参加しているから、NHKのEテレ「すくすく子育て」の司会もやっていたのでしょう。
水内猛の年収は?
水内猛さんの現在の年収は不明です。
YouTubeチャンネルは収益化していますが、月収は数万円ほどなので、これはメインの収入ではありません。
タレント活動や講演会、サッカー教室などでの収入がメインの収入になるでしょう。
生活スタイルを見る限り、年収1000万円は軽く超えるはずです。
サッカー選手時代の年収は、YouTubeで語っていました。三菱自動車工業に加入した時は年収200万円程度。その後、プロ契約になると、試合に出ていなくても月50万円(年収600万円)はもらっていました。ただ、プロ選手時代は「トップレベルの選手」というほどではなかったので、年収は1000万円程度だったと思われます。
水内さんは引退後の方が年収は高かったはずです。デートで青のポルシェで登場したことがあると嫁の小倉弘子さんが語っていました。ポルシェに乗っていたということは、年収数千万円はあったはずです。
現在は年収数千万円まではいかなくても、少なくとも生活に余裕があるレベル(年収1000万円程度)はあることは間違いないでしょう。
水内猛の現在
水内猛さんは現在、「みずうち体操」というものを開発し、普及させようとしています。みずうち体操とは脳活性化メソッドの「シナプソロジー」と「KOBA☆トレ」をベースにした「100歳まで老いない脳と体を目指す」ための体操です。
水内さんはこの「みずうち体操」を普及させるために、メディアに出演したり、本を出版したりしています。
また、2025年5月に行われたイベントで、結婚20年目で初めて嫁の小倉弘子さんと共演を果たしました。小倉弘子さんがTBSを退社してフリーになったことで、今後は夫婦共演が増えていくかもしれませんね。
水内猛のまとめ
水内猛さんのプロフィールや若い頃のサッカー選手としての経歴、引退後の仕事の経歴と嫁の小倉弘子さんとの馴れ初めや結婚、子供の人数と自宅での家事分担、現在の仕事などをまとめました。
水内猛さんは今後、嫁の小倉弘子さんと共演して、「夫婦円満・愛妻家・良いパパ」としての仕事が増えていくと思います!