『火垂るの墓』を始めとした名作を世に送り出してきたアニメ映画監督・高畑勲さんが2018年4月5日に亡くなりました。
死因は肺がんで、葬儀や告別式は近親者で営まれ、5月15日にお別れ会を開く予定になっています。
高畑勲さんについて生前の活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
この記事の目次
- アニメ監督・高畑勲さんの死因は肺がんだった
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 10位「おもひでぽろぽろ」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 9位「かぐや姫の物語」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 8位「平成狸合戦ぽんぽこ」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 7位「パンダコパンダ」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 6位「セロ弾きのゴーシュ」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 5位「火垂るの墓」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 4位「柳川堀割物語」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 3位「ホーホケキョ となりの山田くん」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 2位「太陽の王子 ホルスの大冒険」
- 高畑勲監督作品 人気ランキング 1位「じゃりン子チエ」
- 高畑勲について総まとめすると・・・
アニメ監督・高畑勲さんの死因は肺がんだった
宮崎駿と並ぶ日本アニメ界の二大巨塔・高畑勲
高畑勲さんは宮崎駿さんとともにスタジオジブリを立ち上げ、宮崎駿さんをして「彼の通った後はぺんぺん草一本残らない」と言わしめるほどアニメ制作に情熱を注いできたアニメーション監督でした。
完璧主義者で毎作スタジオジブリの持てる力を限界以上に引き出して名作を作り続けてきた天才アニメ監督・高畑勲さんについて詳しく総まとめしました。
高畑勲さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 高畑 勲(たかはた いさお)
別名義: 武元 哲(たけもと てつ)
生年月日: 1935年10月29日
没年月日: 2018年4月5日(82歳没)
出生地: 三重県宇治山田市(現・伊勢市)
死没地: 東京都
職業: 映画監督、アニメーション演出家、プロデューサー
ジャンル: アニメーション映画、テレビアニメ
著名な家族
高畑浅次郎(父)
高畑昭久(長兄)
高畑三夫(次兄)
岩井俊二(縁戚)
事務所 畑事務所
引用:Wikipedia – 高畑勲
家族のことを一切明かさなかった高畑勲さん
高畑勲さんは毎年平和学習で上映され続けてきた『火垂るの墓』をはじめ、監督として携わってきた作品の全てが評価の高い天才的なアニメーション監督でした。
高畑勲さんは2018年4月5日午前1時19分にこの世を去ってしまいましたが、その死因は肺がんでした。
また、7人目の末っ子だった高畑勲さんは、生前からプライべートは絶対に明かさず結婚や子供の有無も一切不明です。
ちなみに映画監督の岩井俊二さんは高畑勲さん遠縁の親戚にあたります。
スタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんは高畑勲さんの死去について以下のようにコメントしています。
高畑監督が籍を置いたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「やりたいことがいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います」と追悼のコメントを発表。「宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会を執り行い、見送ることにしました」と報告した。
スタジオジブリを代表するアニメーション監督で、世界的な支持を得続けてきた巨匠の宮崎駿さんは、東映動画時代から50年共に激動の時代の中でアニメ制作をしてきた同士・高畑勲さんの死にコメントは発表しませんでした。
「まだその気持ちにはなれない」と、宮崎駿さんは人には想像できない悲しみに暮れているようです。
宮崎駿さんがスタジオジブリの中で、『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』、『天空の城ラピュタ』を始めとした代表作となるファンタジー映画が得意なのに対して、高畑勲さんは逆に現実社会のリアルを描くことに対して天才的なアニメーション監督でした。
高畑勲監督の年賀状に心臓がぎゅってなった。火垂るの墓、見てるの辛くて悲しくて大嫌いだった。そんな作品を真実から目を逸らさずに描いた人の言葉だからこそ、こんなに重くて力があるんだろうな…きっと。 pic.twitter.com/KIPRqcP7Ge
— Miiiii【しーちゃん】 (@SwLMRFWD) 2018年4月6日
天才アニメーター・宮崎駿さんとの関係
高畑勲さんの最大の偉業と言われるのが、世界に誇る天才アニメーター・宮崎駿さんを監督として世に送り出したことでした。
木敏夫氏も「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言している。
人間の“生”を見つめ、時代への痛切なメッセージと叙情感あふれる作風で多くの作品を生み出した高畑さん。訃報に伴い、改めて「高畑勲の最高傑作は?」という議論も活発化するだろう。確かにどの作品も珠玉の名作ばかりだが、高畑勲氏が生み出した最高傑作は、紛れもなく“監督・宮崎駿”なのだ。
2人のタイプの違う天才が切磋琢磨し、日本のアニメ業界は世界からリスペクトされるほどになりました。
高畑勲さんがいなければ、宮崎駿さんの成功がなかったのではないでしょうか。
高畑勲さんの死は多くのアニメファンにとって衝撃の大きいものでしたが、追悼する意味でも高畑勲さんが監督を務めたアニメ作品についてランキングTOP10に総まとめしましたのでご紹介しましょう。
高畑勲監督作品 人気ランキング 10位「おもひでぽろぽろ」
Yahoo!映画評価点: 4.01
『おもひでぽろぽろ』は岡本螢さん、刀根夕子さんによる漫画作品で、宮崎駿さんは「これはアニメ化するには難解で、高畑勲しか監督できない」として企画をスタジオジブリに持ち込み映画化が実現した作品です。高畑勲さんの得意とするリアリズムが徹底して描かれており、1966年当時の様子を深いリサーチの元ありのままに描いています。
『おもひでぽろぽろ』の主人公・岡島タエ子は27歳の東京の会社に務めるOLで、1982年の夏に休暇を取って一度遊びに行ったことがあった姉・ナナ子の夫の親類の農家に再び遊びに行きました。
タエ子は山形に向かう電車の中で、車窓から見える田園風景に自身が小学校時代に田舎が無かったことに寂しさを感じていた思い出に浸っていました。
姉・ナナ子の夫の農家に着いたタエ子は、家の長男であるトシオを始め田舎で農家を営む人々ののどかな生活に憧れを感じるようになります。
その気持ちを見抜いたトシオの祖母は、タエ子にトシオの嫁に入って貰って一緒に暮らすことを提案しますが、タエ子は軽い気持ちで田舎に遊びに来ていたことから良くしてくれる祖母やトシオらに罪悪感を覚えます。
それでも、タエ子は真っ直ぐなトシオの優しさに次第に勇気を貰い、トシオに惹かれて行くのでした。
高畑勲監督作品 人気ランキング 9位「かぐや姫の物語」
Yahoo!映画評価点: 4.01
この『かぐや姫の物語』は高畑勲さんの最後の作品であり、日本の監督作品として宮崎駿さんに次いで2番目に米アカデミー賞の「長編アニメ映画賞」にノミネートされた作品でした。制作費50億円、構想8年というアニメの中でも非常に大きな投資をした作品であり、まさに高畑勲さんの集大成とも言える作品になりました。
原作はもちろん日本古来から伝わる『竹取物語』で、本作『かぐや姫の物語』も翁が山に竹を取りに行くところから始まります。
翁は光り輝くたけのこを見つけ、そのたけのこの中から手のひらサイズの小さな女の子を取り上げ持ち帰ります。
すると、女の子は翁と媼に見守られる中みるみる内に普通のサイズの赤子になり、翁と媼はその女の子を”天からの授かりもの”として大切に育て始めました。
しかし、あまりに美しい女の子のため翁は”高貴な姫君”に育て、”貴公子に見初められることが姫の幸せである”と考え、宮中から招いた女官に躾を受けさせました。
「なよたけのかぐや姫」と名付けられたかぐや姫にとってそうした翁の考え方は窮屈でしたが、暖かい翁や媼、そしてかぐや姫をめぐって公家達が求婚騒動を起こす中、故郷である月への想い募り、葛藤の中でも地上の人間への親しみを深めていきます。
高畑勲監督作品 人気ランキング 8位「平成狸合戦ぽんぽこ」
Yahoo!映画評価点: 4.04
『平成狸合戦ぽんぽこ』は昭和40年代の都市開発が進む多摩ニュータウン(多摩市)で、人間が森を開拓するのを阻止するために狸たちが化け学(ばけがく)を使って戦いを挑む姿を描いています。この作品は高畑勲さんの原作であり、スタジオジブリにおいて宮崎駿さんに次いで初めての監督原作作品でした。
多摩市にある多摩丘陵で毎日平和に暮らしていた狸たちは、ある日人間たちが森を切り開いて「多摩ニュータウン」の建設を進め始めたことを知ります。
狸たちはなんとか人間たちの侵略を防ごうと三長老の元で集会を開き、化け学を駆使して人間たちを追い払う計画を練ります。
若い狸たちは日々化ける練習を積み、その決行の日が来ると妖怪の姿に化けて”百鬼夜行”として人間たちを驚かせるつもりが、逆に人間たちは新しいイリュージョンとして受け止められて拍手喝采のお祭りになってしまうのでした。
それでも狸たちは次の策を練り人間たちに立ち向かって行きます。
高畑勲監督作品 人気ランキング 7位「パンダコパンダ」
Yahoo!映画評価点: 4.16
『パンダコパンダ』は1972年12月17日に公開された『ゴジラ電撃大作戦』『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』と一緒に上映された作品で、『となりのトトロ』の原型とも言われています。1972年に日中友好の証として中国からパンダが贈られたことによる”パンダブーム”のために作られた作品でした。翌年3月17日には続編となる『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』が公開されました。
主人公の女の子・ミミ子は祖母が法事でしばらく家を空けるため一人暮らしが始まります。
祖母を送り出して家に戻ってみると、そこには人の言葉を話す小さなパンダが居て、すぐに父親のパンダも入ってきました。
パンダの親子はミミ子の家の傍にあった竹藪につられてやってきたことを話し、ミミ子は父親パンダのパパンダを父親、子どもパンダのパンを子供と位置付けて一緒に生活を始めました。
しかし、ある日ミミ子の家に警察が訪ねてきて、パパンダとパンを見て驚きますが、実は動物園から逃げ出してきて捜索中だったことが分かり、パンは逃げ出して迷子になってしまいます。
高畑勲監督作品 人気ランキング 6位「セロ弾きのゴーシュ」
Yahoo!映画評価点: 4.22
『セロ弾きのゴーシュ』は宮沢賢治の童話ですが、没後翌年の1934年に発表された作品でした。本作はスタジオジブリではなくオープロダクションの作品で、当時高畑勲さんが監督を務めて5年をつぎ込んで完成させた大作でした。1982年1月23日に劇場公開され、同月に「1981年度大藤信郎賞」にノミネートされて受賞しました。
主人公のゴーシュは町の写真館の楽団「金星音楽団」でセロ(チェロ)を担当していました。
ゴーシュは演奏会で披露する予定の曲『第六交響曲』の練習に励んでいましたが、とても下手だったためいつも楽長から怒られてばかりでした。
悔しい思いをしていたゴーシュでしたが、ある時カッコウや色々な動物たちが訪れてゴーシュにセロを演奏するようにお願いをしてくるのでした。
そうする内に上達したゴーシュは演奏会本番でも成功し、観客からのアンコールに楽長から指名を受けてしまいます。
高畑勲監督作品 人気ランキング 5位「火垂るの墓」
Yahoo!映画評価点: 4.32
『火垂るの墓』は野坂昭如さんの短編小説が原作となっており、自身の戦争体験を元に執筆されています。本作品は宮崎駿監督作品である『となりのトトロ』と同時上映されましたが、当初60分の中編アニメとして制作される予定だったため2本立てとして企画されました。この2本立ては「絶対にやってはいけない2本立て」としてネット上で語り継がれています。
時代は第二次世界大戦末期の1945年、主人公の少年・清太が駅舎で柱にもたれ掛かって栄養失調により餓死しかけているところから物語は始まります。
清太は元々兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)に住んでおり、父親は日本帝国軍の海軍大尉、そして美しい母親と可愛い妹・節子と暮らしていました。
しかし、神戸大空襲により母親が被災して亡くなり、清太と節子は親戚の家に身を寄せることになりますが、そこで叔母と折り合いが悪くなり家を出ることを決意します。
近くの池のほとりにある防空壕で清太と節子は新しい生活を始めますが、配給は途切れ、両親が遺してくれたお金はあるものの食料を手に入れるのは困難を極め、清太は畑泥棒や火事場泥棒をしてしのごうとしますが節子は栄養失調により次第に弱っていくのでした。
高畑勲監督作品 人気ランキング 4位「柳川堀割物語」
Yahoo!映画評価点: 4.4
『柳川堀割物語』は”水の都”として有名な福岡県柳川市を舞台とした1987年公開のドキュメンタリー映画です。本作品はスタジオジブリではなく宮崎駿さんの個人事務所・二馬力により製作された実写作品でした。
街の中を走っている水路が風情があって美しい柳川で、本作は現地に暮らす人々の水路との関わりと生活の知恵、そして時代の流れとともに風化しつつある堀割の再生を目指す人々の奮闘と思いを描いた作品です。
高畑勲さんは当初は全編アニメーション映画として製作を予定していたようですが、柳川を訪れてロケハンを行ったところ、堀割再生に尽力する柳川市職員の広松伝さんの話を聞いて感銘を受け、実写映画を中心にアニメパートを挿入するというドキュメンタリー形式の映画にすることを決めたそうです。
高畑勲監督作品 人気ランキング 3位「ホーホケキョ となりの山田くん」
Yahoo!映画評価点: 4.41
『ホーホケキョ となりの山田くん』は1999年7月17日に公開された映画で、スタジオジブリ作品として初のセル画を使わず全編デジタルでの制作をした作品でした。さらに、以外にも大作『もののけ姫』を上回る出資をしており、原作者・いしいひさいちさんの4コマ漫画のエピソードを繋ぎ合わせたオリジナルストーリーとして高畑勲さんの元で制作されました。
『ホーホケキョ となりの山田くん』はたかしとまつ子の結婚に始まり、のぼるやのの子ら子供の誕生と成長を、山田家の和やかな日常の中で描いています。
物語の中で時折松尾芭蕉や与謝蕪村などの俳句を挟み、独特の緩やかさと何気ない日常の中にあるささやかな幸せが感じられる心温まる作品になっています。
『ホーホケキョ となりの山田くん』は興行成績は振るわずにDVDの発売により結果的に黒字転換を果たした作品ですが、これはプロデューサーの鈴木敏夫さんが『もののけ姫』の次回作ということでスタッフがプレッシャーから萎縮しないようにという配慮から敢えて興行成績を落としたということです。
そして、この経験がスタジオジブリ作品の中で最も高い評価を受けた『千と千尋の神隠し』を生み出すことにつながったと語っています。
高畑勲監督作品 人気ランキング 2位「太陽の王子 ホルスの大冒険」
Yahoo!映画評価点: 4.48
『太陽の王子 ホルスの大冒険』は1968年7月21日に公開された劇場アニメで、高畑勲さんの初めてのアニメ監督作品でした。現在のような知名度はなく興行成績は振るいませんでしたが、後に中編、長編アニメに携わっていくための感触を掴んだ作品となりました。また、宮崎駿さんが初めてアニメ制作に携わった作品でもありました。
『太陽の王子 ホルスの大冒険』はアイヌ民族に伝わる伝承に基づいて制作された深沢一夫さんの人形劇『チキサニの太陽』を原作とし、舞台を「さむい北国のとおいむかし」と設定して制作されました。
悪魔グルンワルドの支配から息子を守るためにホルスの父親は他の人間に託し、すくすくと元気に育ったホルスはある日岩男のモーグに出会います。
モーグの肩には太陽の剣が刺さっており、ホルスがそれを抜くと「太陽の剣を鍛え直した者は太陽の王子と呼ばれるようになる」と教えられ、悪魔グルンワルドとの戦いに向けて太陽の剣を鍛えるために旅立ちます。
ホルスは悪魔グルンワルドの手下・大カマスとの戦いを乗り越え、村人達との協力により太陽の剣を鍛え上げ、ホルスは悪魔グルンワルドに戦いを挑みます。
高畑勲監督作品 人気ランキング 1位「じゃりン子チエ」
Yahoo!映画評価点: 4.58
『じゃりン子チエ』は原作者・はるき悦巳さんにより『漫画アクション』で1978年10月12日号~1997年8月19日号まで約19年間連載された漫画です。高畑勲さん監督の下、1981年4月に劇場アニメが公開されました。1981年秋からはテレビアニメとして放映が開始し、昭和後期の人気アニメのひとつになっています。
タイトルの「じゃり」とは「子供」を意味する俗語ですが、大阪市西成区西萩町を舞台にホルモン焼き屋を経営している男の子勝りな女の子・チエとそれを取り巻くユニークな面々による飽きない日常生活を描いています。
『じゃりン子チエ』は『サザエさん』や『ドラえもん』と同じように時代の経過はなく、チエは小学校5年生のままとなっています。
『じゃりン子チエ』の主要な声優にはプロを起用せずに関西出身の俳優や吉本興業所属のお笑いタレントなどが起用されました。
高畑勲監督の作品は多くの人々の原風景となって、観る人の心を優しく変え続けてきたように思います。お目にかかったことはありませんが、僕も高畑監督に変えられた1人です。ご冥福を心からお祈りいたします。
— 新海誠 (@shinkaimakoto) 2018年4月6日
#報ステ
— 但馬問屋 (@wanpakutenshi) 2018年4月6日
高畑勲監督(82)が死去
作品の原点になったものが戦争。
9歳の時岡山で空襲に遭い、両親とはぐれた体験。
「“和をもって貴しとなす”というのは素晴らしいが、ものすごく危険。個人一人一人が自分の意見を述べて、議論を深めてなんて体質は全然できてない。民主主義が身についていない」 pic.twitter.com/H03Zc1uw8S
高畑勲について総まとめすると・・・
・高畑勲さんは7人目の末っ子。また、プライベートは一切明かさず結婚歴や子供の有無は不明である。
・高畑勲さんの作品には名作が多い。
スタジオジブリのアニメーション監督・高畑勲さんについて総まとめしてきました。
高畑勲さんは宮崎駿さんとともにスタジオジブリの二大巨頭であり、日本を代表するアニメ監督のひとりでした。
高畑勲さんの突然の訃報は、各業界、ファンの衝撃は大きいものでしたが、高畑勲さんが遺した名作の数々はこれからもずっと語り継がれていくことでしょう。