「ノルウェーの森」、「海辺のカフカ」などの世界的ベストセラー作品で知られる作家の村上春樹さんが話題です。
ここでは村上春樹さんの作家デビューまでの生い立ち、両親や兄弟などの家族、子供、結婚した嫁との離婚の噂や原因などについてまとめました。
この記事の目次
村上春樹のプロフィール
村上春樹のプロフィール
生年月日:1949年1月12日
出生地 :京都府京都市伏見区
出身地 :兵庫県西宮市・芦屋市
村上春樹さんは、国内を代表する純文学作家で、世界的にも人気が高く、長年日本人作家の中ではノーベル文学賞の最有力候補と言われ続けています。
1979年、デビュー作「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞し、1982年に第3作目で自身初の長編小説でもある「羊をめぐる冒険」で野間文芸新人賞を受賞し人気作家となります。
1987年に発表した長編小説「ノルウェイの森」は、社会現象を起こすほどのベストセラーとなり、2009年までに発行部数1000万部を突破しています。
その他にも1985年の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、1994年の「ねじまき鳥クロニクル」、2002年の「海辺のカフカ」、2009年の「1Q84」など、次々とベストセラーとなる作品を発表。
世界中に「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的なファンがいる事でも知られています。
村上春樹の生い立ち① 幼少期から学生時代
村上春樹さんは1949年1月12日に京都府京都市伏見区で誕生しました。生まれて間も無く、父の仕事の都合で兵庫県西宮市夙川に移住。両親がかなりの本好きで、その影響を受けて村上春樹さんも幼い頃から読書家だったそうです。
村上春樹さんは、1955年に西宮市立浜脇小学校入学後、1961年に分離開校した西宮市立香櫨園小学校を卒業、1964年に芦屋市立精道中学校を卒業しています。
兵庫県立神戸高等学校に進学し1967年に卒業。高校時代は新聞委員会に所属していたそうです。1年の浪人後、1968年に早稲田大学第一文学部映画演劇科に進学しています。
村上春樹さんは、早稲田の学生寮である「和敬塾」に入寮しましたが、素行不良で半年ほどで放り出されたのだそうです。
村上春樹さんは初めての一人暮らしが楽しすぎて、飲んだくれては酔い潰れて誰かに寮まで運んでもらうという生活だったのだそうです。寮から出た村上春樹さんは、西武新宿線都立家政駅から歩いて15分ほどの「練馬の下宿」へと引越ししています。この下宿は、早稲田の学生課で見つけた家賃4500円敷金礼金なしの3畳の部屋だったそうです。
村上春樹さんはこの下宿に、1968年の秋頃から1969年春頃まで住んでいたようです。その後は、家賃7500円で6畳台所付きだったという三鷹のアパートへと引っ越されています。
大学生時代の村上春樹さんは、映画の脚本家を目指し、早稲田大学キャンパス内にある「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」で映画脚本を読みふけりシナリオの執筆などもされていたそうです。
ただ、大学へはほとんど行っていなかったそうで、新宿のレコード屋で深夜アルバイトをし、新宿のジャズ喫茶「ヴィレジ・ゲート」、「ヴィレジ・ヴァンガード」、「ダグ」、「オールド・ブラインド・キャット」などに入り浸る生活を送っていたのだそうで、1970年から1972年にかけては東京都千代田区水道橋のジャズ喫茶「水道橋スウィング」でアルバイトもされていたそうです。
村上春樹の生い立ち② 大学在学中に嫁の高橋陽子さんと結婚
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村上春樹さんは、1971年10月に高橋陽子さんという女性と学生結婚をしています。
村上春樹さんと嫁の陽子さんは大学の講義でたまたま隣同士の席に座った事がきっかけで交際するようになったと言われています。
この村上春樹さんの嫁の高橋陽子さんの実家は、文京区千石で布団屋を営んでいたそうで、村上春樹さん夫婦はしばらくの間、この嫁・陽子さんの実家に間借りしていたのだそうです。
この嫁・陽子さんの実家が建っている土地は、昔は徳川家の屋敷の庭の隅の方だったそうで、ちょうどその実家の真下には、かつて地下牢があったのだそうです。そのため、ここに住んでいた当時、村上春樹さんの嫁の陽子さんはよく幽霊を見たのだとか。
この時代、村上春樹さんと嫁の陽子さんは、昼間はレコード店、夜はジャズ喫茶でアルバイトをして2人で250万円貯められたそうです。
村上春樹の生い立ち③ ジャズ喫茶を開店
1974年、村上春樹さんは国分寺にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店しています。
嫁の陽子さんと2人で貯めた250万円と、両方の両親と銀行から借りた250万円の合計で500万円を開店資金としたそうです。
村上春樹さんは著書の中で、いつまでも嫁の陽子さんの実家に居候しているわけにもいかないので、最初は就職しようと思ったが、あまりにも仕事内容がバカバカしいので自分の力できちんとした仕事がしたいと思い、ジャズ喫茶開店を決意したといった内容を書かれています。
また、村上春樹さんはとにかくジャズが好きだったので、ジャズに関わる仕事をしたかったとも書かれています。
1975年に村上春樹さんは7年かけて早稲田大学を卒業されています。
1977年にはジャズ喫茶「ピーターキャット」を千駄ヶ谷へと移転しています。
そして、村上春樹さんは29歳だった1978年4月に、ヤクルトスワローズのプロ野球開幕戦を神宮球場の外野席で観戦しているときに小説を書こうと突如思い立ち、それから毎晩ジャズ喫茶を閉めた後に、台所のテーブルで「風の歌を聴け」を執筆されたそうです。
1978年の秋頃には「風の歌を聴け」を書き上げ、11月の「群像新人文学賞」に応募しています。
1979年、「群像新人文学賞」を受賞した「風の歌を聴け」は出版され、村上春樹さんは作家としてデビューを果たしました。30歳でした。
村上春樹の家族① 父親
村上春樹さんの家族についても見ていきます。
村上春樹さんの父は村上千秋さんという方で、京都府京都市蹴上安養寺の住職の家に生まれ、京都帝国大学文学部を卒業後に大学院に進み、国文学の研究者を目指されていたのだそうです。
その後、村上春樹さんの父の千秋さんは国語教師になり、中学教師として勤務されていました。また、僧侶としても働かれていたそうです。
村上春樹の家族② 母や兄弟
村上春樹さんの母の実家は大阪船場の商家で、バリバリの関西人だったようです。また、母も国語教師だったそうです。村上春樹さんの母の名前はミユキさんだと言われていますが、真偽不明です。
村上春樹さんの両親は2人は大変な文学好きだったそうで河出書房の「世界文学全集」と中央公論社の「世界の文学」を購読されていたそうです。
なお、村上春樹さんには兄弟はおらず、ひとりっ子だったようです。
村上春樹の子供は?
村上春樹さんと嫁の陽子さんの間には子供はいません。村上春樹さんは「僕は子供を持たない代わりに小説を書いていた」と発言された事があります。
また、ファンからの子供が欲しかったと落ち込み気味のファンからの質問に対して、村上春樹さんは「あなたが後に残せるのは、何も自分の子供だけではないはずですよ。」と答えて勇気づけています。
最近の海外メディアのインタビューで、子供を作らなかった理由を問われた際には村上春樹さんは「私の子供が私のことを嫌いになるのがわかりきっているから」とその理由を答えています。
村上春樹の嫁との離婚の噂やその原因とは
村上春樹さんが嫁の陽子さんと離婚しているとの噂があるようです。
この離婚の噂が出た原因は、2020年7月6日に、村上春樹さんがニューヨークで開催された退団イベントに出演した際に「小説家として大切なことは元妻について書かない事」と語られた事だったようです。
元妻との表現から村上春樹さんが嫁と離婚したのでは?との噂になったようですが、普通に考えれば、これは比喩的な表現だとすぐにわかるはずで、村上春樹さんが過去に嫁と離婚しているという事ではないでしょう。
まとめ
今回は、「ノルウェーの森」、「海辺のカフカ」、「1Q84」などの世界的ベストセラー作品で知られる作家・村上春樹さんについてまとめてみました。
村上春樹さんは京都府で生まれて兵庫県神戸市で育った生い立ちを持ち、早稲田大学在学中に学生結婚をしてジャズ喫茶を開店させ、29歳の時に突如思い立って書いた小説「風の歌を聴け」が新人賞を受賞して小説家デビューしました。
その後は、次々とベストセラー作品を生み出し、世界的な人気を得て、日本人作家で最もノーベル文学賞に近いとも評されています。
最近では村上春樹さんが嫁の陽子さんと離婚したとの噂が流れましたが、これは村上春樹さんが比喩的に「小説家として大切なことは元妻について書かない事」と発言された事が原因となったデマ情報でした。
今後の村上春樹さんの作品もとても楽しみです。