ハヤブサさんは、1990年代に活躍したプロレスラーです。2001年に試合中に起きたアクシデントで頚椎損傷の大怪我を負い、以降は復帰を目指しリハビリ等に励んでいましたが、2016年に突然死しました。
ここではハヤブサさんの素顔画像や嫁と娘など家族情報、2001年に起こった試合中の事故、そして死因についてまとめています。
この記事の目次
ハヤブサのプロフィール
リング名:ハヤブサ
本名:江崎 英治(えざき えいじ)
出身地:熊本県八代市
生年月日:1968年11月29日
没年月日:2016年3月3日(47歳没)
身長:183cm
体重:85kg
デビュー:1991年
職業:プロレスラー
ハヤブサ、1991年にプロレスラーとしてデビュー
ハヤブサさんは大学生時代に学生プロレスを始め、1991年にプロレス団体のFMW(大仁田厚が立ち上げた)に入団しました。その年の5月にはプロデビューを果たし、以降国内で活躍したプロレスラーです。
大仁田厚さん引退後のFMWでは新エースとして活躍し、また華麗な空中殺法を始め様々なプロレス技で観客を沸かせた正統派プロレスラーという評もあります。
ハヤブサさんはメキシコ遠征後の1994年に獣神サンダー・ライガーとの激戦、1995年の大仁田厚引退試合では相手をつとめ、グランドスラムにおけるvsザ・グラジエーター戦、ハヤブサさんが熱望し実現した1997年のvs小橋健太戦(※タッグマッチ)など様々な名勝負を生み出しました。
順調にプロレスラーとしての活動をしていたハヤブサさんですが、2001年に試合中の事故で頚椎を損傷し一時期は全身不随に(詳細後述)。
しかしその後もプロレス引退するようなことはせず復帰を目指し、地道に治療とリハビリに励みました。
またライブ会場やプロレスリング周辺で歌手活動など、さまざまな試みもしています。そして2014年頃には杖なしで数百米歩けるまでに回復し「5年後のプロレス復帰を目指す!」と宣言。そんなハヤブサさんの姿に誰もがその5年後に期待を寄せましたが、2016年3月にくも膜下出血によりこの世を去りました。
ハヤブサの素顔は超イケメン~覆面レスラーだった理由とは?
若かりし頃のハヤブサさんの素顔
写真は24歳頃の素顔のハヤブサさん。「江崎くん」ハヤブサオフィシャルブログより。
かなりイケメンだったハヤブサさん。
師匠である大仁田厚さんは、江崎さん(ハヤブサ本名)があまりにイケメンだったため、嫉妬して付き人から外したという逸話を持つほど…。なんでも夜のお店に行くと、女性が大仁田さんそっちのけでハヤブサさんのところに行ってしまったそうです。納得です。
2000年前後のハヤブサさん
1999年6月にマスク剥奪勧告を受け、素顔となり一時的に「H」と改名したハヤブサさん。当時30歳前後でした。
上の写真と比べると体がさらにがっちりしており、やはり男前。
頚椎負傷事故後のハヤブサさん。
こちらは2009年頃のものです。40歳前後。
ハヤブサさん
2015年に24時間テレビに出演した時のもの。
番組では、かつての盟友とともに後楽園ホールのリングに上がり、10カウントゴングを鳴らすという企画でした。本人的には「リスタート」という意味合いだったようですが、演出では「引退の儀式」などというテロップが入り、その後物議をかもしました。
以下は、かつてハヤブサさんがブログで語った”覆面レスラー”になった理由です。
マスクを覆るきっかけはメキシコへの武者修業だった。 いきなりメキシコ遠征告げられて何を準備していいか分からず、とりあえず『メキシコ』と聞いて思い浮かぶことをイメージしてみた 。 『サボテン』『テキーラ』『ソンブレロ』・・・いろいろ考えてる中で出てきたのが『マスクマン』だった。
マスクマンにとってマスクは自分の顔であり、自分の子供のような存在でもある。
『世界一自覚のないマスクマン』を自負するオレだって例外じゃない。 ましてやリングに立てば自分一人の物じゃなく、応援してくれるみんなの物になる。
だからくさい言い方になるけど、おれはマスクには自分だけじゃなくみんなの夢や希望が詰まってるんだと思ってる。 そういう意味でマスクマンは特別な存在じゃなきゃいけない・・・マスクを覆ってリングに立つからには、キャラクターへの思い入れとこだわり、そしてマスクマンとしてのプライドを持ってリングに立たなきゃいけないって思う
ハヤブサの結婚・離婚歴~元嫁・晴美さんとの間に子供は2人
ハヤブサ、1997年に結婚するも2004年に離婚
ハヤブサさんの元嫁は晴美さん
一般の方のためか、画像はありませんでした。ハヤブサさんもイケメンでしたし、元奥様も素敵な方だったのではないでしょうか。
ハヤブサさんは、晴美さんという一般女性の方と結婚し、子供も娘が二人いました。しかし、頚椎損傷の大怪我を負ったあとに離婚しています。Wikipediaによると1997年に結婚・2004年頃離婚とあります。
ハヤブサさんが奥さんと離婚した理由や原因はわかっていません。ただ、やはりいろいろと問題があったのかなと思わせる記述が、ハヤブサさんのブログ上にあります。
以下、頚椎損傷事故後の回顧録としてハヤブサさんがブログに掲載したもの。
(2001年の事故後、約1〜2年後ぐらいの話のようです。)
オレが自宅に戻ってからのカミさんのストレスは相当なものだろう。
恥ずかしい話だが、彼女には怪我をする以前から苦労のかけ通しだった。
一年の半分は巡業で家を空け、家にいる間も飲みに出掛けては朝帰りといった具合いでほとんど家にはいない。
その上、女性関係も1人や2人ではなかった。
最低だそう言われても仕方がない。
実際、怪我をした時「罰が当たったんだ。」という人もいたくらいだったのだから。
そうやって好き勝手やった挙げ句に、怪我をして「一生寝たきりかもしれない」と宣告される。次は「いつ死んでもおかしくない」と告げられ、助かったかと思えば会社が倒産。普通に考えれば、この時点で離婚を切り出されても当たり前だと思う。
それでも頑張ってくれていたのに、オレが不十分な状態で自宅に戻って来たことで限界が来てしまったんだろう。この頃になると同じ家に住んでるにも関わらず、顔を会わすことはなくなっていた。
ハヤブサと元嫁・晴美さんの間に子供は娘が2人いた
ハヤブサさんと元嫁の間には、子供が2人います。1998年〜2000年頃に生まれているようで、ふたりとも娘さんです。
2013年には娘さんが高校受験だという話もしていますので、2019年現在はどちらも成人前後でしょう。
ちなみに娘さん達は以前父親とともにテレビ出演したことがあったようで、かなりかわいらしい子たちです。
娘たちと最近撮った1枚。マスク姿の次女がオレにソックリ(笑) pic.twitter.com/Hx7moA8unf
— ハヤブサ (@projecthayabusa) 21 août 2015
娘たちも来てくれてました♪
— ハヤブサ (@projecthayabusa) 23 août 2015
ありがとう!お父さんこれからもガンバります!(^^) pic.twitter.com/9lkW6BVi60
離婚後も娘さんたちとは交流があったようで、ブログなどでは時折その話題が出ていました。やはり子供たちはハヤブサさんにとって大切な存在だったようです。
「桃の節句」
男のオレ達にとってはそんなに思い入れのない日だったけど、娘たちが生まれてからはやっぱり特別な日になりました(^^)
まあ今はバツ付いちゃって一人暮らしだから、普通の日に戻っちゃってるけど(^^;
そんな(笑)娘たちが小さかった頃、よく一緒に行った蒲田駅ビル東急プラザの屋上遊園地が昨日閉園。小さな観覧車、娘たちにねだられてよく乗ったっけ(*^^*)
思い出の場所が無くなるってのは淋しいなあ(T-T)
今日は雛人形も雛あられもないけど、甘酒頂いて暖まろうかな♪
ハヤブサのプロレス中の事故~2001年に頚椎損傷の大怪我
ハヤブサの事故詳細【画像・動画あり】
2001年10月22日 試合で頚椎損傷の大怪我
ハヤブサさんは後楽園ホールにおける対マンモス佐々木戦で、ラ・ブファドーラ(ロープからのムーンサルトアタック)を失敗し落下。それが頚椎損傷の大怪我となった試合中のアクシデントでした。
※閲覧注意です。
事故当時の様子。
事故が起きたのは試合の13分すぎだった。マンモス・佐々木からペースを奪い、これからハヤブサの空中殺法が炸裂するかと思われた矢先だった。セカンドロープからムーンサルトを放とうとした瞬間、ハヤブサは足を滑らせ、そのまま落下。落ちた瞬間、鈍い音がそて、そのままハヤブサの体はピクリとも動かなかくなった。
引用:ハヤブサさんが運命変えた事故直後に発した言葉「オレが命をかけたFMWを見捨てないでください」
ハヤブサさんのブログでは回顧録として、ご自身の記憶のなかの事故を綴っています。
回顧録はこちらから始まります→「ようこそ!(回顧録0001)」ハヤブサブログ
回顧録は事故からその後の様子まで克明に記されており、その当時の様子がよくわかります。
詳細はブログから見ていただければと思いますが、少し事故当時の状態をまとめると…
・試合前日に39度近い高熱を出し、当日も熱は下がらないまま試合出場。
・試合では後輩のマンモス佐々木さんの良さを引き出しつつ、自分の良さも見せたいという心意気があったものの、体は想像以上に動かずいつも以上にダメージもでかく、客席も乗っていないという焦りがあった。
・体調が悪く技がなかなかうまく決まらないなか、件のムーンサルトをするためセカンドロープへ…
続けてライオンサルトにつなごうとセカンドロープに飛び乗った瞬間、ロープが回って踏み切る足が外れた。ヤベッ!!!そう思いながら体を回そうと反射的に身体を反らす・・・目の前が真っ暗になった。
一瞬意識が飛んだ。しかしすぐに戻ってくる。冷たい感覚に全身が包まれていた。しかしそれ以外の感覚がない。全身痺れた感覚の中、なんとか自分の状況を把握しようとした。仰向けで胎児のような体勢・・・それがこの時の感覚だった。
・その後も体は動かず、呼吸もままらなくなり、かろうじてレフェリーに「無理」だという事を伝え、終了を告げるゴングが鳴る。
・死ぬのかと感じながらも会場にいる客席の戸惑いを感じたため、マイクをもらう。
出来る限り呼吸を整えて想いを絞り出す。
「ゴメンなさい ・・・ ちょっと・・・ 復帰するまで時間がかかると思うけど ・・・ ここに帰って来たいと思うから ・・・ その時まで ・・・ オレが命を掛けて愛したFMWを見捨てないでくれ ・・・ 」
精一杯の言葉だった。言葉と一緒に、悔しさと情けなさと涙が込み上げてきた。引用:「涼」ハヤブサブログ
「ハヤブサーっ!待ってるぞーっ!」
みんなの声が聞こえる。
「必ず帰ってくるから…」
心の中で繰り返していた。
そしてその後は病院に搬送されました。以上が、事故当時のハヤブサさんの様子です。
以前からハヤブサさんは飛び技などを得意としていましたし、2000年前後にはそれまでの積み重ねか膝に負担がかかっていたそう(wikiより)。それに加え前日からの体調不良ということです。
ハヤブサ、事故後は全身不随となるも歩くまでに回復
諦めないハヤブサさん。
病院に運ばれた後の様子。かなり絶望的にもなったようですが、そこで諦めないのがハヤブサさんです。
都内の病院に救急搬送され集中治療室に。医師の診断は、「頸椎を損傷している。3カ月以内に感覚が戻らなければ一生このままの状態が続くことも覚悟してほしい」」
光が見えたのは同じ年の12月。心臓手術をしたことで約1カ月半続いた高熱がスーッと下がってきました。手術後先生に具合を聞かれ、「最悪です」。そう答えた瞬間、「俺はしゃべることができるじゃないか」と気付いたんです。それまでは「体が動かない」ことばかり考えていたので、少し気持ちが楽になりましたね。同じタイミングでわずかに指先が動いた気がしました。「神経がつながっている。まだ(プロレスで負けを意味する)3カウントは入っていない」。闘志に火が付きました。「もう一度自分の足で立つ。そして必ずリングに上がる」。周囲にそう宣言し、前向きにリハビリに取り組み始めました。
リハビリでは意識と体の動きを合わせる訓練が続きました。思い通りにならない体にいらだちを感じたこともありましたが、新弟子時代の厳しいトレーニングを思い出し、「やればできる」と気持ちを奮い立たせました。15年3月に退院。看護師の手を借りながら5メートル歩いて病院を出ました。「ここからまだ長いな。もっと楽に、速く動けるようにならなければ」。地面を踏みしめながらそんなことを考えていました。
ハヤブサ、再びリングにあがるため必死のリハビリ
そしてその後、ハヤブサさんの目指すところは…リング復帰!
(画像は2013年5月の小橋健太引退試合で、立った状態で開会宣言。)
リハビリを続けたハヤブサさんは、ゆっくりとながらも成果を出しました。立ち上がれるようになり、補助付きで歩けるようになり、2014年には杖を使い200メートルも歩けるようになったといいます。
ハヤブサさんご本人的に大怪我後は「長期欠場」している状態。
最近の記事では『元プロレスラー』とか『現役の時は・・・』みたいなのが多くて、引退したと思ってる人も多いみたいだけど、あくまでオレは『長期欠場中』だ。誰がなんと言おうが、一日も早く復帰戦をするために頑張ってる・・・「今できることを精一杯」それが今オレがやんなきゃいけないことだからね^^
プロレスラーのなかには、大仁田厚さんのように引退・復帰を繰り返す人がいます。
しかしハヤブサさんはそういった言動を”ファンや周囲の思いを裏切る”としてあまり快く思っていないようで、その分、彼の「長期欠場中」からの復帰へ向けての思いは誰よりも真剣だったのではと感じます。
2014年には「5年後に再びリングへ戻る」という決意を新たに…。
2001年10月22日。
あの日から今日で13年が経ちました。やはりオレにとっては特別な日です。
みなさんの声のおかげで、本当にゆっくりですが 少しずつ前に進んで来れてます。
本当にありがとうございます。
そして5年後の今日、もう一度コスチュームを着てリングに戻るために、これから少しペースアップしていこうと思っています。もちろん無理は禁物ですが、体調と相談しながらギリギリのところまで頑張っていこうと思います。
ハヤブサが2016年に突然死~死因はくも膜下出血だった
ハヤブサ、47歳の若さで2016年3月3日に死去
歌手・ハヤブサさん
大怪我後は復帰を目指しながら、ライブ会場やプロレスホールで歌手活動を続けていたハヤブサさん。
しかし、2016年突然死。
大怪我を乗り越え、復帰への決意を口にしていたハヤブサさんでしたが、志半ばでこの世を去りました。
プロレスラーで華麗な空中技で人気を博したハヤブサこと江崎英治(えざき・えいじ)さんが3日午後0時、くも膜下出血のため死亡したと4日、所属事務所が発表した。
亡くなる前後のハヤブサさんの様子。
所属事務所によると、歌手としても活躍するハヤブサさんは3日夜、都内の自宅近くの居酒屋でライブを予定していた。しかし、店に現れず、心配した店主が4日午前2時ごろ、ハヤブサさんの自宅を訪ねると、ベットの上ですでに息を引き取っていたという。ハヤブサさんは一人暮らしだった。亡くなったのは3日正午だった。
所属事務所ライトハウスエンターテイメントの皆川一代表は「持病もまったくない。健康そのもので昨日まで全く問題なかった。前兆もありませんでした」と語った。大好きな酒も断っておらず突然、体調が急変した模様だ。
ハヤブサの死因となったくも膜下出血とは?
くも膜下出血とは
くも膜下出血は、その発症者の約30〜50%が死に至る怖い病気です。一般的にくも膜下出血は突然発症し、ハンマーやバットで殴られたような激烈な痛みを伴うと言われています。出血量なども大きく関係しますが、予後が厳しく社会復帰できるまでに回復する人は約3割ほどだとされます。
くも膜下出血を来す危険因子としては、喫煙習慣、高血圧、過度の飲酒(1週間に150g以上の飲酒)が報告されており、それぞれの相対危険率は、1.9、2.8、4.7と過度な飲酒が最も危険な因子とされます。
引用:くも膜下出血
くも膜下出血に関する危険因子は、それ以外にも遺伝・ストレスなどが言われています。
くも膜下出血の危険因子はいずれも身近な習慣になりうるようなものばかり。ハヤブサさんの場合は大のお酒好きとして知られていましたし、タバコも昔は吸っていたようです。もしかしたら、遺伝的なところもあったのかもしれません。
一部では頚椎の事故と関係があったのでは、という声もありますが、いずれも因果関係は不明です。どちらにしろ、あまりに早すぎる名レスラーの突然死でした。
ハヤブサについてまとめると…
・ハヤブサは1997年に晴美さんと結婚、2人の娘を授かるも2004年に離婚した
・ハヤブサは2001年10月、プロレス中の事故で頚椎損傷の大怪我するもリング復帰を目指して必死のリハビリをしていた
・ハヤブサは2016年3月3日、くも膜下出血により47歳で突然死した
ハヤブサさんの故郷は熊本で、実家は小さな旅館を営んでいます。
その死後、ご実家の旅館にはハヤブサさんの形見とも言える白いマスクが飾られていたそうですが、2018年に盗難被害に…。その後も見つかっていないようですが、他の貴重なハヤブサグッズがご実家の旅館に届けられたそうです。
かつては華麗な技で多くの人々を魅了し、試合中の不幸なアクシデントで長期欠場を余儀なくされながらも、不屈の精神で復帰を目指したハヤブサさん。時に困難なことも多かったと思いますが、その生き様はまさにフェニックスであり本当のプロレス愛に溢れた人でした。