若者のカリスマと呼ばれた伝説的ミュージシャン尾崎豊さんの嫁と子供が注目されています。
この記事では、尾崎豊さんの嫁である尾崎繁美さんの顔画像や結婚、尾崎豊さんと斉藤由貴さんの浮気騒動、尾崎豊さん死亡後の尾崎繁美さんの行動、そして同じくシンガーソングライターとして活動を始めた息子の尾崎裕哉さんについてまとめています。
尾崎豊のプロフィール
名前:尾崎豊(おざき・ゆたか)
出身地:東京都荒川区
生年月日:1965年11月29日
没年月日:1992年4月25日(満26歳没)
血液型:B型
デビュー:1983年
学歴:青山学院高等学校中退
尾崎豊さんは、1983年にデビューしたシンガーソングライターで、1992年(26歳時)に急逝しています。
10年にも満たない活動期間でしたが、「15の夜」や「卒業」、「I LOVE YOU」など数々の名曲を世に送り出し、10代のころは、世の不条理を訴えかけるような歌詞が話題を呼び、若者のカリスマとして知られるようになります。
尾崎豊さんはデビューまもないころから人気を集めましたが、20歳になるころには方向性に悩み、無期限活動休止をしたり、覚醒剤取締法違反で逮捕されたり、人間関係にも悩み始めたと言います。ただこの頃に結婚、子供も生まれるなどプライベートの充実もあってか「愛」についての歌も多くなり、スランプを抜け完全復活したかのように思われました。
しかしそんな矢先、1992年の急逝となりました。
尾崎豊さんの死因は、覚せい剤の過剰摂取による肺水腫であると公表されています。ただその死について不可思議な点も多く、死因にまつわるさまざまな説も出回っています。
尾崎豊の嫁・尾崎繁美について…斉藤由貴との不倫騒動後も離婚せず
尾崎豊さんの嫁は、尾崎繁美さんという女性です。繁美夫人とは、尾崎豊さんが22歳のときに結婚しています。
豊さんは22歳で結婚し、23歳でパパになった
20歳前後から一時期スランプ状態になっていたという尾崎豊さんですが、プライベートでは、22歳のときに繁美さんと結婚し子供(裕哉)も設けています。
尾崎豊さんの嫁画像。
尾崎豊さんの嫁画像。
尾崎豊さんは、これからの音楽の方向性を確認し完全復活とも称されましたが、繁美さんにとって穏やかな結婚生活は長く続きませんでした。
それは、尾崎豊さんが女優の斉藤由貴さんと不倫したためです。
二人の出会いは1990年に入ってからの雑誌の対談で、すぐに仲を深めたと言います。
斉藤由貴さんと尾崎豊さんの不倫。
二人が知り合ったのは、90年代に入って最初の年。1990年11月発売の雑誌『月刊カドカワ』上での対談がきっかけでした。
この時、初めて接点をもったわけですが、尾崎にとって、斉藤は既に特別な存在だったといいます。何でも、彼が覚せい剤不法所持で留置所生活をしていた際、彼女のグラビアに慰められたのだとか。
かくして、出会った2人はすぐに意気投合。雑誌が発売された僅か2ヶ月後には、北海道で仲睦まじく肩と顔を寄せ合う姿を一般人に撮られており、その写真が雑誌『Friday』に掲載されます。尾崎は1988年に結婚している身だったので、いわばこれは不倫旅行。時代を代表するポップスター同士の不貞行為は、当然、大きな波紋を呼びました。
この不倫騒動の果てに嫁の繁美さんと離婚話も出たと言いますが、その後は関係修復。尾崎豊さんは斉藤由貴さんと決別しました。
これから家族3人での生活が改めて始まるかと思いきや、1992年に尾崎豊さん急逝。
尾崎豊の死去や遺書の内容…嫁・尾崎繁美の行動も話題に
その後幼い裕哉くんを連れて繁美夫人は渡米しています。理由は、「カリスマ尾崎豊の死」にまつわるさまざまな憶測を受け、身の危険を感じたためだと言われています。
奥さんとの不和が原因とも報道され、尾崎家には嫌がらせの電話が殺到しました。“子供を誘拐する”という脅迫まであったそうです。Aさんは、“日本にいられる状態ではない”と、幼い裕哉さんを連れて渡米しました
一方で尾崎豊さんの遺産相続に関して、尾崎豊さんの実父ともめていたとも。
奥さんと尾崎豊さんのお父さんは、亡くなった後の遺産問題などで争っていたはず。
2011年には尾崎豊さんの遺書が公開され、かつて嫁の繁美夫人が夫とともに苦悩した過去なども明かされています。(上部は遺書の一部を抜粋)
さようなら 私は夢見ます。
死の1カ月後、もう1通の遺書が見つかっていた。尾崎さんの母絹枝さんの遺影の脇に置かれていた。繁美夫人と1人息子裕哉さんへの愛情を示し、惜別とも取れる言葉が記されていた。
私はただあなたを愛する名の神でありつづける。
皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。
加賀氏は94年に繁美夫人を繰り返して取材し、死の20日前に睡眠薬を飲み夫婦そろって死のうとした経緯などを聞いていた。
※加賀氏はジャーナリストで、尾崎豊さんの死にまつわる取材をしていた。
この遺書に対して、嫁の繁美夫人からの”返信”も話題になりました。
昨年11月発売の同誌に掲載された尾崎さんの「遺書」への返信として書かれたもので、「天からずっと、この20年、見守っていてくれてありがとう。私はいつも、尾崎豊の魂を感じながら、あなたが導き、照らしてくれている今を、大切にそして、幸せに生きています。志高く、笑顔を絶やさずに」などとつづっている。
近年の画像も、関係者のブログで閲覧できます。
尾崎豊の子供は1人…息子の尾崎裕哉も歌手として活動
尾崎豊さんには、嫁の繁美夫人との間に息子が一人います。
それが、尾崎裕哉さんです。
2016年7月16日に出演した音楽番組「音楽の日」で、父尾崎豊さんの名曲「I LOVE YOU」と、自身が作曲した「始まりの街」を披露しています。
トーク場面では、父尾崎豊さんについて語る場面も。
尾崎裕哉がテレビで歌唱するのは今回が初めて。司会を務める中居正広とのトークでは、「どことなくお父様に似ていると言われるのでは?」との問いかけに、「そうですね。最近はよく言われます」と答えた。さらに、「自分は何のために音楽をやるのかの葛藤が大きかった」「父親の分も力強く生きたい」などと話し、ステージに向かった。
「音楽の日」で、最高視聴率をマークするなど視聴者からの注目も高かったようです。
幼少時をアメリカで過ごしたという裕哉さんは、日本における尾崎豊さんのカリスマ性を知らずに育ったと言います。しかし、やはり親子・・・同じ道を歩むことを決めたようです。
小学生の頃、ふとしたきっかけで父のことを知り、インターネットで調べ、曲を全て聴くようになったという。裕哉が中学に上がると、彼が紛れもなく“尾崎の息子”であることを、Aさんは思い知ることになる。
「ある日、母子でカラオケに行った時のこと。裕哉さんは父親の曲を完璧に歌い上げたそうです。声質から息継ぎまで、父親とまったく同じで、Aさんは驚愕したといいます」
以後、裕哉はギターやピアノといった楽器に興味を持ち、自分で演奏するようになった。
ファンやネットからも、かつての歌声を思い出すという絶賛の声も。
尾崎豊さんのファンですが、周りに知ってる人がいないので、繋がってくれると嬉しいです。この前の、音楽の日で、尾崎さんの息子さんを見て、尾崎裕哉さんのファンにもなりました。
— KYOUKA (@KYOUKA381976781) 2016年7月22日
よろしくお願いします。 pic.twitter.com/fl6kpwMAKz
尾崎豊の息子尾崎裕哉が父と母へ向けて書いた曲。声も父親と似てるし感動したわー pic.twitter.com/mtLkaZDOrB
— はま (@Hy0127Ryuji) 2016年7月17日
尾崎豊の息子やっべえな!すごいドキドキするわ
— 遠 藤 (@kmENDakn) 2016年7月17日
同じシンガーソングライターとして大きすぎる存在を父に持つ尾崎裕哉さんですが、これからはさまざまな分野の音楽にチャレンジしていきたいそうです。
裕哉は「父親との記憶はほとんどない。でも、家族から意外とソフトな性格で優しい人だと聞いている。僕もそういうタイプ」と自身を重ね、「まずは父親のように熱く人に訴えかけられる偉大なアーティストになりたい。でも父親は通過点。僕はロックだけじゃなくて、今の時代にあった音楽もやっていきたい」と自然体だ。
震災などのボランティア活動もしてきた尾崎裕哉さんは、その経験を通して音楽でできることをやっていきたいとも。
そこから抜け出すきっかけとなったのが、「“父ができなかったこと、やり残したことってなんだろう?”と考えたとき、音楽を使ってもっと社会にいいことをすることなんじゃないか」と気づいた高校時代だった。
その考えのベースには、アメリカでのホームレス支援活動、さらに大学時代、東日本大震災の被災地でボランティア活動を行ったことも影響しているという。
そうして生まれた彼の志は、“音楽で社会問題を解決したい”というもの。5月16日には、「僕が出ることで、少しでも多くの人に伝われば」という気持ちで、児童労働問題解決への尽力でノーベル平和賞を受賞したカイラシュ・サティヤルティ氏らと共に、トークイベント『ゲリラシネマ』にも参加した。
すでにワンマンライブなども開催している尾崎裕哉さん。
これからの活動にも注目です!