NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』など時代劇を中心に活躍してきた大御所俳優の津川雅彦さんが2018年8月4日に心不全のためお亡くなりになられました。
津川雅彦さんと嫁の朝丘雪路さんの馴れ初めや結婚、娘の真由子さんの誘拐事件など、若い頃から現在までの活躍を総まとめしました。
この記事の目次
俳優・津川雅彦についてのプロフィール&生い立ち
旭日小綬章を受章した大御所俳優・津川雅彦
津川雅彦さんは時代劇を中心に活躍している大御所俳優であり、映画監督ですが、本名は「加藤雅彦」と言います。映画監督としては「マキノ雅彦」の名義を使用し、おもちゃ・絵本を取り扱う会社「グランパパ」のオーナーを務めている社長でもあります。
津川雅彦さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 加藤 雅彦(かとう まさひこ)
別名義: マキノ 雅彦
生年月日: 1940年1月2日
出生地: 京都府京都市
身長: 171cm
体重: 不明
血液型: O型
職業: 俳優・映画監督・芸能プロモーター・評論家
ジャンル: 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間: 1945年 –
配偶者: 朝丘雪路(1973年 – )
著名な家族: 真由子(娘)、澤村国太郎(父)、マキノ智子(母)、長門裕之(兄)、牧野省三(祖父)、その他はマキノ家を参照。
事務所: グランパパプロダクション
引用:Wikipedia – 津川雅彦
津川雅彦さんは競馬が好きなようですが、休日は乗馬をして過ごすなど根っからの馬好きのようですね。
その他、ゴルフや野球、スキー、スキューバダイビングをするなど津川雅彦さんはかなりアクティブな性格をしているようです。
津川雅彦さんは還暦を超えてもなお穴あきジーンズを履いたり、髑髏をあしらったファッションが好きな非常に若者志向の性格でも知られています。
こうした年齢とギャップのある若々しいファッションから女性に注目されると、津川雅彦さんは途端に合コン好きになってしまい、「合コンしないで何をやる!」と芸能界の大御所らと頻繁に合コンをしているようです。
合コン仲間には明石家さんまさんや奥田瑛二さん、高橋克典さん、宍戸開さんなどがいるようで、メールなどは絵文字を多用するのが好きなようです。
津川雅彦さんの現在までの活躍について生い立ちから詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
津川雅彦の生い立ち&経歴
津川雅彦の家系は芸能一家
津川雅彦さんの父親は歌舞伎役者の四代目澤村國太郎(本名・沢村国太郎)さんで、母親は女優のマキノ智子さんです。さらに6歳年上の兄は俳優の長門裕之さんで、嫁は女優の朝丘雪路さん、娘は女優の真由子さんと役者だらけの芸能一家となります。また、父方の祖父である竹芝傅蔵さんは歌舞伎俳優で、母方の祖父であるマキノ省三さんは日本初の劇映画を撮った「日本映画の父」と呼ばれる映画監督でした。
津川雅彦さんは生まれが芸能一家だったため、幼少期から父親・四代目澤村國太郎さんが主催してい劇団「新演技座」で子役として教育されていました。
津川雅彦さんは子供時代からよく撮影所に遊びに行っていたようですが、映画監督の溝口健二さんに言われて見学をずっと続けていたことで中学校2年生の頃に落第してしまい、同志社中学校に転校して2年生をやり直したそうです。
しかし、津川雅彦さんは役者にはなりたくなかったそうで、母親には新聞記者になりたいと言っていたそうです。
高校に上がると沢村家は東京に引越し、津川雅彦さんはバスケットボール部に所属しました。
津川雅彦さんの出身学校は京都市立御室小学校、洛星中学校→同志社中学校、早稲田大学高等学院→明治大学附属中野高校、文化学院短大卒業だということです。
津川雅彦、本格的な俳優デビュー
津川雅彦は16歳で俳優として本格デビューした
子役としてずっと舞台に出続けていた津川雅彦さんでしたが、16歳の時に1956年の日活映画『狂った果実』で本格的な俳優デビューを果たしました。
同作の原作者である石原慎太郎さんは、初主演作となった石原裕次郎さんの弟役を探していましたが、津川雅彦さんを知って一発で気に入り沢村家に出演依頼を出しました。
早稲田高等学校に通っていた津川雅彦さんは新聞記者を目指していましたが、ちょうど夏休みだったことから軽い気持ちで出演を引き受けたそうですが、この作品で一躍注目されてブレークしたため日活映画の看板俳優となっていきました。
津川雅彦さんは当時は爽やかなイケメン俳優として人気を博していましたが、1958年のブレーク最盛期に松竹へ移ったもののヒット作に恵まれなかったことから次第に落ち目となっていきます。
フリーとなった津川雅彦さんは1969年にデヴィ・スカルノさんと不倫をしたことから世間で大バッシングを受けるようになり、芸能界から干されるようになっていきます。
しかし、『必殺仕掛人』『必殺仕置人』 など必殺シリーズの演出だった松本明さんから「世間から嫌われているんだから殺される役をやれ」と言われてゲスト出演するようになり、津川雅彦さんは悪人役で再ブレークを果たしています。
干される前までは正統派のイケメン俳優として活躍していただけに、津川雅彦さんにとって悪役はプライドを捨てることになりましたが、これが俳優として多くの学びがあったことを後年に明かしているようです。
津川雅彦の俳優としての活躍について
津川雅彦さんは非常に多くのドラマ、映画、舞台に出演してきましたが、1982年の映画『マノン』で「ブルーリボン賞助演男優賞」を受賞したことを皮切りに数多くの賞を受賞してきました。
津川雅彦さんの演技力は幼少期の舞台から培われ、映画監督・伊丹十三さんの作品に常連として出演する中でも厳しい演技指導を受けて演技力が磨かれていきました。
そして、津川雅彦さんは叔母からは「顔がいいから人の4倍芝居が上手くならないと認めてもらえない」と言われていたことから演技力を磨くことに余念が無かったようです。
津川雅彦さんは若い頃のイケメンから年を取るとともに濃い顔立ちになり、元々好色の津川雅彦さんは中年になって以降の個性的な好色中年役が最もハマり役となりました。
津川雅彦さんはジェームス三木さん、 渡辺淳一さんの作品の常連となっていましたが、この二人は伊丹十三さんと合わせて津川雅彦さんにとっての「三種の神器」的な存在であり、この3人の作品がなければ自分は成功していなかったと語っています。
津川雅彦さんと言えば時代劇でよく織田信長や豊臣秀吉など武将役として登場していますが、その中でも徳川家康については冷静な役と短気な役をそれぞれ違う作品で見事に演じ分けていました。
津川雅彦さんは2014年春の叙勲で、国から「旭日小綬章」を受章しました。
津川雅彦、保守活動家だった?
津川雅彦は保守派の活動家
津川雅彦さんは政治的思想が保守派として知られ、会合やイベントなどに参加しているようです。
津川雅彦さんは「みんなで靖国神社に参拝する国民の会」、「首相の靖国神社参拝を求める国民の会」の発起人でもあり、左翼的な民主党(現在の民進党・立憲民主党)や共産党などに批判的であり、自由民主党を支持しているようです。
1998年の映画『プライド・運命の瞬間』では津川雅彦さんは東條英機役を演じており、役作りのために東條家に訪れた際には遺族から「まるで東條英機が生き返ったよう」だとその風貌や性格の再現にお墨付きを貰っていたようです。
津川雅彦さんは当時、東條英機役を演じるにあたり朝日新聞の記者から「A級戦犯を演じることの是非」について質問され、「じゃあ君はどう思うのかね?」と厳しい口調で返したそうです。
津川雅彦さんの政治的・歴史的な人物の役は多く、2009年にはドラマ『落日燃ゆ(テレビ朝日系)』では戦後初の内閣総理大臣・吉田茂を演じました。
こうした役を演じてきた影響もあったのかもしれませんが、保守的な津川雅彦さんはブログで左翼批判をすることもあり、大江健三郎さんについても「中韓に媚びるエセ文化人の反日分子」だと批判したことがありました。
2012年7月15日からは番組を降板する三宅久之さんの指名により後釜として『たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ)』のレギュラーパネリストとなりました。
津川雅彦さんは2012年の自由民主党総裁選挙においては「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足して応援にあたった結果、安倍晋三さんは当選を果たして第96代内閣総理大臣に就任しましたが、津川雅彦さんのような影響力のある人物が支援したことも大きかったことでしょう。
津川雅彦が昔東条英機演じて叩かれた時に「彼は家族思いのいい人だった」って反論してたの思い出すぜ。人となりとかじゃなくて「何をしたか」を問われてるのに、ともかく矛先をずらしたいだけの人っていつも同じこと言うんだよな
— masayanmk2病弱中年 (@masayanmk2) 2014年12月29日
津川雅彦、事業で6億5千万円の負債を抱え込む
子供向けおもちゃの会社を経営している津川雅彦
津川雅彦さんは自身も所属する芸能事務所グランパパプロダクションの代表取締役社長であり、おもちゃ・絵本の販売店「グランパパ」も経営していました。
津川雅彦さんは娘の真由子さんが生まれた時に、ドイツの木製おもちゃを取り寄せたことがきっかけで子供向けの安全なおもちゃが必要な時代が来るとして開業しました。
この津川雅彦さんの「グランパパ」は瞬く間に人気店となって全国展開するようになりましたが、経営規模の拡大に伴い経営難に陥り番組『新報道プレミアA(フジテレビ系)』で6億5千万円の負債を抱えていたことが明らかにされました。
津川雅彦さんは一時は倒産・破産まで追い込まれましたが、「グランパパ」を共同経営という条件で援助してくれる企業がが現れて借金を肩代わりしてくれたことで現在も存続しています。
津川雅彦さんの事業家としての夢は尽きず、1988年には北海道の旧国鉄広尾線が廃線となっていたため「幸福鉄道」として復活させ、さらに北海道広尾町にある牧場500ヘクタールあまりの広大な土地に100億円を投じて「夢の王国・サンタ愛ランド」を建設しようとしました。
津川雅彦さんは同テーマパークのシンボルとしてイギリス・スコットランドにある古城「ロックハート城」を購入して解体し、シベリア鉄道を利用して日本に運び込むという壮大な計画を立てました。
しかし、この津川雅彦さんの壮大すぎる計画に対して北海道広尾町が資金を巡って反対したことから頓挫してしまいました。
しかし、津川雅彦さんの夢に賛同した群馬県沼田市にある石材会社・サンポウの社長がお城を買収し、1993年には群馬県高山村に「大理石村・ロックハート城」として再現してテーマパークとして有料公開されました。
津川雅彦さんはこのお城の名誉城主に任命され、テレビや映画のロケ地としても利用されるようになりました。
津川雅彦さんはショッピングモール「自由が丘チルドレンミュージアム」や原宿にある「アイドルワンダーランド」の設立に関しても助力しているようです。
津川雅彦の長女誘拐事件について
津川雅彦の娘は誘拐事件に巻き込まれていた
1974年に津川雅彦さんの娘である真由子さんが誘拐されて身代金を要求される「津川雅彦長女誘拐事件(つがわまさひこちょうじょゆうかいじけん)」が発生しました。
事件は1974年8月15日午前3時に、東京都世田谷区にある津川雅彦さんの自宅2階から当時生後5ヶ月だった娘の真由子さんが誘拐されました。
犯人は身代金として500万円を第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)の偽名口座に振り込むように要求したため、津川雅彦さんは警察の指示により150万円を振込みました。
当時の銀行は印鑑さえ持っていけば誰でも銀行口座を作ることができた時代で、個人証明証の提示が必要なかったため偽名でも作ることができました。
この事件の発生から半日後となる17時には第一勧業銀行のシステムを作っていたSEが、急遽CD機から利用者を特定できるようにプログラムを書き換え、翌日には特定可能な状態にしていました。
これが功を奏して事件発生の翌日16日の正午に、第一勧業銀行東京駅南口出張所にあるCD機から犯人と思われる人物が29万2000円を引き出していたことが分かり、張り込みをしていた刑事が引き落としをした男性を現場で確保しました。
男性の持っていたカード番号と暗証番号が犯人のものと一致していたことから逮捕となり、犯人は自供を始めました。
津川雅彦さんの娘・真由子さんは千葉県我孫子市にあった犯人のアパートから発見され、同日19時15分に無事保護されました。
犯人の自供によれば、津川雅彦さんの自宅の間取りや家庭環境について週刊誌などから知識を得ていたようで、懲役12年6ヶ月の重い実刑判決が降りました。
そうそう、真由子さん。それまで嫌われてた津川雅彦さんがあまりにも心痛な様子に世間から同情され仕事が増えたとか(^_^;)
— メアリmary❁*. (@mary2065mod) 2018年2月27日
高島家の道夫さん殺害事件も当時は大事件だったでしょうね。
津川雅彦の結婚した嫁は朝丘雪路~2人の死去まで
津川雅彦&嫁の朝丘雪路に流れていた病気の噂
津川雅彦、朝丘雪路夫妻は現在病気中?
先述の通り、津川雅彦さんは事業の経営難により2008年末に長年住んでいた自宅一戸建てを売却し、津川雅彦さんは嫁の朝丘雪路さんと「卒婚」して別居する道を選択しました。しかし、2015年頃から二人には病気の噂が流れるようになったようです。
朝丘雪路さんは津川雅彦さんと別居を始めてから5年が経過した頃に、セリフを覚えられなくなって女優としての仕事に難儀するようになり、気力が著しく減退している様子だったそうです。
医師の診断では「老人性うつ病」だということで、朝丘雪路さんは娘の真由子さんと同居して介護を受けるようになったと言われています。
しかし、嫁の朝丘雪路さんがこうした状況に陥っても、津川雅彦さんは寄り添うことをしなかったと言われています。
津川雅彦さんの知人によれば、嫁の朝丘雪路さんの病院には付き添ったりもしていたようですが、娘の真由子さんと暮らす自宅には訪れることはなかったそうで、「嫁と娘は自立した」と語っていたそうです。
津川雅彦さん自身は嫁の朝丘雪路さんと娘の真由子さんが暮らすマンションから車で30分以上離れた借家で一人暮らしをしていたようです。
しかし、近隣住民の話によれば、津川雅彦さんは引っ越してきてからしばらくは犬の散歩をさせる姿を見せていたようですが、2014年頃から外に出てくることも少なくなり、洗濯物も干しっぱなしで一人暮らしが困難な状態に見えていたようです。
そんな父親である津川雅彦さんの窮状を娘の真由子さんが訪れて世話をするようになったようですが、真由子さんは卒婚した両親をそれぞれ面倒みなければならず大変な状況だったようです。
さらに朝丘雪路さんの老人性うつが悪化し、真由子さんが認識できなくなるほど痴呆も進んでいるようで、使用人を雇って何とか世話をしていた状況のようです。
津川雅彦は2017年に肺炎で入院していた
2017年11月にドラマ『アカギ(BSスカパー!)』の打ち上げに出演者である津川雅彦さんも参加していたようですが、ジャージ姿で鼻には医療用酸素ボンベのチューブが入った状態で酷く疲れている様子だったようです。
同作品で津川雅彦さんは主人公のアカギを追い詰める帝王役を演じていますが、1作目の頃は元気な様子だったものの、2作目となる本作では肺炎を患ったことで綱渡りの撮影だったようです。
津川雅彦さんは過去にも肺に関する病気を度々しており、1979年には両肺に巨大嚢胞ができたため除去手術を行い、2009年には肺炎から肺気胸を起こして倒れ入院するもすぐに舞台復帰しています。
その他にも、2004年に頚椎の変形を治す手術や、2011年に心筋梗塞で倒れてICUに入院、糖尿病も患っていることから津川雅彦さんは満身創痍の状態のようです。
津川雅彦さんは現在まで入院を13回、手術を10回受けていることを明かしています。
津川雅彦、妻・朝丘雪路との馴れ初めについて
朝丘雪路は4歳年上の姉さん女房
津川雅彦さんは17歳の時に妻の朝丘雪路さんと知り合いましたが、4歳年上ですでに結婚していたそうです。
朝丘雪路さんがすでに結婚していたことから津川雅彦さんは遊び目的で不倫をしていたようです。
しかし、次第に朝丘雪路さん惚れ込んでいった津川雅彦さんは「あなたの声の一言一言は口から出る真珠のようだ」だと口説き、朝丘雪路さんの実家に3日通いつめてプロポーズをしたそうです。
津川雅彦さんは当時日記をつけており、朝丘雪路さんについて「本命は松竹の朝丘雪路。顔はともかく心が良い」と書いていたのを後年に朝丘雪路さんに読まれ「顔はともかくとは何よ!」と酷く怒られたそうです。
超絶お嬢様の朝丘雪路。いつも買い物、勘定は「朝丘です」で済んでいた。店の人が後日屋敷に行って「お嬢様がこれだけお買い上げ下さいました」だから新婚時代先ず“お金を使う”って事がなかなか理解出来ずおつりの小銭をタンスか水屋に入れておいて津川雅彦が見つけた時に死ぬほど驚いたらしい。
— 暮維持 飛衛郎 (@crazypierrot_00) 2017年11月8日
津川雅彦、娘・真由子とはとても仲が良い
津川雅彦は娘・真由子を溺愛している
津川雅彦さんは娘の真由子さんが生まれた頃は仕事が少ない時期だったため子育てに積極的だったそうです。
さらに、1974年に真由子さんが身代金誘拐をされたことで、津川雅彦さんはそれ以降娘を溺愛するようになったそうです。
津川雅彦さんと娘の真由子さんは現在も非常に仲が良く、一緒に出かけることが多いようです。
また、津川雅彦さんは娘が30歳になるまで一緒にお風呂に入っていたそうで、恋愛相談を含めて何でも相談に乗っていたということで、毎日寝る前にベッドでおしゃべりをするのが日課だったようです。
津川雅彦さんは娘の真由子さんの父兄参観には忙しくても必ず出席しており、何処にでも連れて行っていたことから芸者と遊ぶ際にも連れていったことがあるようです。
津川雅彦さんは娘の真由子さんの彼氏や結婚相手を認めることはできず、一時は彼氏を弟子として預かったことがあったようですが、どうしても好きになれず別れさせたようです。
そのため、娘の真由子さんも芸能界では”異常なパパっ子”として知られているようで、現在までに結婚もしていないようですね。
津川雅彦さんちの真由子ちゃんは、真の愛を込めて育てられたんだ。
— くまはち (@MiTatsu119) 2018年2月7日
お母様よりしっかりしたお嬢さんに育ったのも、わかるなぁ…。
津川雅彦&嫁の朝丘雪路が死去
2018年4月27日、津川雅彦さんの奥さんである朝丘雪路さんが亡くなりました。朝丘雪路さん死因は当初は心不全と報じられていましたが、死因は「アルツハイマー型認知症」であったようです。
朝丘さんの死因がアルツハイマー型認知症と発表されたんです。夫の津川雅彦さんが、医師の診断書にそうあったと話し、この数年、自宅介護をしていたことを明かしました。しかし、死因が認知症と報じられることは珍しく、それで話題になっているのです。
それから3ヶ月後、2018年8月4日に津川雅彦さんも亡くなりました。死因は心不全と報じられていますが、津川雅彦さんは病気を患っていたので、何らかの病気が原因で死に至った可能性もあります。
映画「マルサの女」などで知られた俳優の津川雅彦(つがわ・まさひこ、本名加藤雅彦=かとう・まさひこ)さんが4日、心不全のため死去した。78歳。京都市出身。葬儀は近親者で済ませた。
津川雅彦の昔の若い頃のイケメン画像特集
津川雅彦の昔の若い頃のイケメン画像①
津川雅彦さんの昔の若い頃は現在の”おじいちゃん”的な印象から想像できないほどイケメンだったようです。
津川雅彦の昔の若い頃のイケメン画像②
ここまでイケメンだったなら津川雅彦さんは当時相当モテたでしょう。
津川雅彦の昔の若い頃のイケメン画像③
現在は個性派俳優ですが、昔の若い頃の津川雅彦さんは正統派のイケメンといった感じですね。
津川雅彦の昔の若い頃のイケメン画像④
津川雅彦さんは中年になってくるとイケメンから味のある顔立ちになってきたようです。
津川雅彦の昔の若い頃のイケメン画像⑤
元々早稲田大学高等学院など名門校に通っていた秀才のため津川雅彦さんは知的な顔立ちをしていますね。
津川雅彦の昔の若い頃のイケメン画像⑥
津川雅彦さんの40歳くらいの画像だと思いますが、少し現在の面影が見え始めているようです。
津川雅彦さんの若かりし頃めっちゃイケメンやん
— えごま (@ich_ribe) 2018年3月3日
津川雅彦の私生活エピソードから分かる性格
津川雅彦の私生活エピソードから性格を探る
ネット上で確認できる津川雅彦さんの私生活エピソードから性格の傾向を探ってみたのでご紹介しましょう。
津川雅彦の大好物は意外と庶民的?
グルメだと言われる津川雅彦さんですが、大好物にはハヤシライスやざるそば、すき焼きを挙げているようで庶民的な食べ物が好きなようです。しかし、大トロや鯛のかぶと煮、タラの芽の天ぷらなど料亭を思わせる食べ物も好物のようです。
津川雅彦は鶏肉が嫌い
津川雅彦さんは嫌いな食べ物として鶏肉を挙げていますが理由は不明です。また、ホルモンなど内臓は苦手なようで、貝類もダメだということで割と味覚は子供っぽいのかもしれません。
津川雅彦は大の甘党
津川雅彦さんはチョコレートを始め甘いものが大好きな甘党のようですが、糖尿病を患ってからは控えているようです。全国各地の名物お菓子を取り寄せるのも大好きなようですね。
津川雅彦は意外とお酒が嫌い
津川雅彦さんは酒豪のイメージを持っている人も少なくなさそうですが、実はお酒はほとんど飲まず、最初の一杯は付き合いで飲むものの2杯目以降は美味しいと思わないそうです。
津川雅彦は不健康な生活をしている?
津川雅彦さんは食べたい時に食べたいものを食べ、寝たい時に寝る生活をしているようで、特に健康に気遣う習慣は無いようですね。そのため現在までに糖尿病になり、度重なる入院を繰り返しているのかもしれません。
津川雅彦は面倒くさがりな性格?
津川雅彦さんは面倒くさがりな性格のようで、お風呂は服を脱ぐのが嫌いためあまり入らないそうです。
津川雅彦はトイレの中が癒しの空間
津川雅彦さんはトイレの中で新聞を読むのが好きで、毎朝スポーツ紙5紙、一般紙3紙の8紙を読んでいるそうです。長い時で2、3時間はトイレに篭って読んでいるそうです。
津川雅彦さんの私生活エピソードからわかる性格を一言で表すなら「自由奔放」と言ったところでしょう。
日曜日に若い時の津川雅彦が出てる映画観たのだが、顔とかオーラとか今とあまり変わりなくて、歪みのないいい人なのかも、と感心した。個人的には歪みのある人のが好きだけど。
— konomo (@n0mn0l) 2011年10月24日
@hima__neko 一般客と一緒にバイキングにいたから近かったー!話しかけたら普通に返してくれるし握手もしてくれて、すごくいい人だったよ!津川雅彦渋い。笑。
— なぎさ (@nagggy) 2012年3月26日
俳優・津川雅彦について総まとめすると・・・
映画『狂った果実』で一躍スターダムに駆け上がり、名脇役俳優として活躍してきた津川雅彦さんについて総まとめしてきました。
津川雅彦さんの昔の若い頃はかなりのイケメンであることが分かりましたが、娘の真由子さんは母親の朝丘雪路さん似のようですね。
日本の演劇界に大きく寄与してきた津川雅彦さんのご冥福をお祈りします。