以前は”サーヤ”と呼び親しまれた紀宮様は2005年に黒田慶樹さんと結婚し、現在は黒田清子さんとして生活されています。黒田清子さんと旦那の別居や離婚などきな臭い噂も漂っていますが、真相についてまとめたのでご紹介します。
この記事の目次
黒田清子のプロフィールや経歴&生い立ち
旧名は紀宮清子内親王(のりのみやさやこないしんのう)
黒田清子さんは元は日本の皇族で、今上天皇の第1皇女でした。母は皇后美智子様です。そのお顔立ちはまさに天皇家といった気品に満ちています。
皇室で民間に嫁ぐ方は少なくありませんが、紀宮様と呼ばれた黒田清子さんもその一人です。
黒田清子さんは最近ではめっきりマスコミや週刊誌などで取り上げられることも無くなりましたが、現在は何をされているのでしょうか?
ネット上で黒田清子さんについて調べると、”別居”や”離婚”など穏やかではないキーワードが出てきますが、元皇族の方に限ってそんなことがあるのでしょうか?
その真相をご紹介する前に、黒田清子さんの生い立ちや経歴からご紹介していきます。
黒田清子のプロフィールや生い立ち
黒田清子さんのご出生は?
黒田清子さんは1969年4月18日に、両陛下の第三子(第1女子)として誕生されました。体重は2,250グラムで、身長45.2センチと未熟児でしたが、健康状態は良好だったと伝えられています。
黒田清子さんのプロフィールはこちら。
続柄: 今上天皇第1皇女
称号: 紀宮(のりのみや)
全名: 清子
身位: 内親王 → 降嫁
敬称: 殿下 → 降嫁
お印: 未草
出生: 1969年4月18日 東京都千代田区宮内庁病院
配偶者: 黒田慶樹
父親: 今上天皇
母親: 皇后美智子
役職: 伊勢神宮臨時神宮祭主、玉川大学教育博物館外来研究員
引用:Wikipedia – 黒田清子
当時の皇太子夫妻にとっては黒田清子さんは唯一の内親王であり、女子であったためいずれは皇室から外れることを前提として育てられたそうです。
黒田清子の経歴
黒田清子さんは1973年に目黒区にある柿の木坂幼稚園に入園されるも1年だけ通い、その後学習院幼稚園に入園。それからも初等科から大学まで一貫して学習院に通われました。
鳥の観察が大好きな黒田清子
黒田清子さんは1992年に学習院大学文学部国文学科を卒業しました。その後、山階鳥類研究所非常勤研究助手を務めお給料を貰ったことは内親王としては初めてのことでした。
黒田清子さんは内親王としての公務を果たしながらも鳥類の研究に没頭し、1998年から2005年まで山階鳥類研究所の非常勤研究員を務めました。
皇族という立場を生かして、黒田清子さんは皇居の鳥類の研究に励み、平凡社の『日本動物大百科』でカワセミの項目を担当しました。
眞子さんの叔母上、黒田清子さんが鳥マニア(元・山階鳥類研究所非常勤研究員)ってのは皆おぼえてるよね?昭和知識だったか? pic.twitter.com/HGIm9XutMt
— 熊田プウ助 (@kumadapoohsuke) 2017年5月17日
他にも、黒田清子さんは盲導犬関連の公務にも精力的に活動されていました。
黒田清子と旦那・黒田慶樹の馴れ初めと結婚
黒田清子と旦那・黒田慶樹の馴れ初めは?
黒田慶樹さんは当時の紀宮様の次兄である秋篠宮文仁親王と友人だったため、紹介されて知り合ったそうです。また、同じ学習院初等科に通っていたため幼馴染でもあったそうです。
その後も黒田慶樹さんは秋篠宮家と親交が続いていたようで、「さんまの会」と呼ばれる親しい人での集まりごとにも呼ばれていたそうです。
そして、黒田清子さんは2003年1月に当時東京都職員だった旦那の黒田慶樹さんと再開しました。
秋篠宮文仁親王が恋のキューピッド役を務めたそうで、黒田清子さんと黒田慶樹さんの連絡手段であるメールの他、手紙については受け渡し役をしていたそうです。
もしかしたら黒田清子さんと黒田慶樹さんは幼少期からお互いに惹かれあっていたのかもしれませんね。
黒田清子、黒田慶樹と結婚
黒田清子さんは皇女としては皇室典範制定後初めて皇族・華族の出身者ではない一般人の黒田慶樹さんと結婚をしました。
黒田清子さんは2004年1月に黒田慶樹さんから正式にプロポーズされて翌月に両陛下に紹介をしました。
そして同年11月頭に黒田清子さんは旦那となる黒田慶樹との婚約内定を発表して世間を騒がせました。同9日に正式に宮内庁から婚約を発表する予定でしたが、新潟県中越地震と宣仁親王妃喜久子様がご逝去されたことで2度に渡る延期をしました。
12月30日に正式に婚約の発表がなされ、翌2005年3月19日に「納采の儀(婚約)」、10月5日に「告期の儀」が執り行われて、11月15日に帝国ホテルにて結婚式と披露宴が行われました。
なお、黒田清子さんは同年10月21日にAT限定の普通免許を取得しています。
天皇、皇后両陛下が内親王の披露宴に参加したのは初めて
日本の歴史上で、内親王の結婚式や披露宴などに参加したのは今上天皇・皇后美智子両陛下が初めてだということです。それだけ黒田清子さんのことを大切に思われていたのでしょう。
黒田清子さんと黒田慶樹さんは天照大神を祀った式場で厳かな式に臨み、披露宴では当時の石原東京都知事も参加して乾杯の音頭を取りました。
そして、披露宴のあった同日の午前の内に区役所にて婚姻届が受理されて、黒田清子さんは皇族の身分を離れて民間人となりました。
黒田清子は両陛下から信頼が厚い
黒田清子は両陛下からずっと厚い信頼を受けている
黒田清子さんは清子内親王であった頃に、天皇・皇后両陛下の良き相談相手であり、特に美智子皇后は黒田清子さんをとても頼りにして心の支えにしていたと会見で伝えられました。
また、黒田清子さんは旦那である黒田慶樹さんとの仲を取り持ってくれた次兄の秋篠宮文仁親王や皇太子徳仁親王からも頼りにされていたようで、秋篠宮文仁親王からは「頼りない自分たちを許して欲しい」と黒田清子さんへ言葉を送っていることが書籍「秋篠宮さま」で綴られています。
黒田清子さんは民間人となってからは旦那の黒田慶樹さんと慎ましい生活を送っていると言われています。なお、黒田清子さんと黒田慶樹さんの間には子供はいないようですね。
以下、黒田清子さんが伊勢神宮臨時祭主就任までの流れです。
年譜
1969年(昭和44年) – 誕生
1973年(昭和48年)12月17日 – 着袴の儀
1989年(平成元年)4月18日 – 勲一等宝冠章受章
1992年(平成4年)3月 – 学習院大学文学部卒業
1992年(平成4年) – 山階鳥類研究所研究助手
1998年(平成10年) – 山階鳥類研究所研究員
2005年(平成17年)11月15日 – 黒田慶樹と結婚、民間人となる
2012年(平成24年)4月26日 – 伊勢神宮臨時祭主就任
黒田清子の旦那・黒田慶樹の生い立ちや経歴など情報まとめ
黒田清子の旦那・黒田慶樹の生い立ち~学生時代
今上天皇の女婿にあたる黒田慶樹
黒田慶樹さんもまさか自分が天皇家と繋がりができるとは思っても見なかったでしょう。現在は東京都建設局公園緑地部利用促進担当課長という長い肩書きで活躍されています。
黒田慶樹さんは1965年4月17日に生まれました。出身地は公表されていないものの、学習院に通っていたことから新宿辺りだと思われます。
父親の黒田慶次郎さんは当時トヨタ自動車に勤務しており、母親は寿美子さんという方のようです。黒田慶樹さんには兄がひとりいるようですね。
黒田慶樹さんは1972年4月に学習院初等科に入学し、学友として秋篠宮文仁親王と出会いました。大学まで学習院だったようで、高等科では写真部や地理研究部、大学は自然文化研究部に所属していたようで、趣味がカメラというのもうなずけますね。
大学在学中に父の黒田慶次郎さんが亡くなったようですが、寿美子さんはご健在のようです。
黒田清子の旦那・黒田慶樹、三井銀行を経て都庁職員に
黒田慶樹、銀行マンから都庁職員へ
黒田慶樹さんはさすが学習院を出ているだけあって大学卒業後は大手銀行の三井住友銀行(当時合併前のさくら銀行)に就職したようです。そして1996年に退社し、1997年の32歳の時に都庁職員となっています。
黒田慶樹さんの年収はどれほどあるのでしょうか?
現在の三井住友銀行は平均年収が820万円と言われています。そして、都庁職員の平均年収も814万円とほぼ横ばい。
これでも比較的高給取りと言って差し支えないと思いますが、黒田慶樹さんは現在都庁職員としてどれくらい貰っているのでしょうか?
黒田慶樹さんはまず都庁で都市整備局総務部総務課係長という役職に就いていたようで、2009年には管理職選考に合格して翌年4月から東京都建設局公園緑地部管理課課長補佐に昇進しました。
そして、2012年4月には建設局第五建設事務所の用地課長に昇進したことが報じられています。
「黒田さんは、4月に建設局の課長補佐から課長に昇進しました。年収も1千万円に届きそ うですね。同時に部署も変わって、勤務地もこれまでの新宿区にある都庁本庁舎から、江 東区亀戸に移りました」(都庁関係者)
2012年時点で黒田慶樹さんの年収は1,000万円程度まで上がったことになります。どうやら課長クラスがこの金額だということのようです。
黒田慶樹さんはその後も2013年に都市整備局市街地整備部担当課長、2015年に東京都港湾局総務部団体調整担当課長と役職を変えていますが、いずれも課長クラスなので年収は横ばいでしょう。
そして、2017年4月1日に小池百合子東京都知事から新しい人事が発表されて、黒田慶樹さんも異動することなったようです。
「黒田清子さんのご主人、慶樹さんです。これまでの港湾局から建設局へ移ることになりました。公園緑地部の利用促進担当課長というポストで、飲食店の誘致など、都が保有する公園の活用法を検討する部署です。課長であることに変わりはないので、出世というより横滑りですね」
やはり新しい役職も課長止まりということで年収は横ばいの1,000万円くらいのようですね。それでも十分と言えば十分ですが元皇族の嫁である黒田清子さんのことを考えれば黒田慶樹さんはもっと稼ぎたいと思っているかもしれません。
黒田慶樹の趣味はカメラと自動車
黒田慶樹さんの趣味はカメラと自動車だと言われ、愛車はロータス・エリーゼともセブンとも言われていますがはっきりとした確証は無いようです。ちなみに、画像の車はエキシージのようです。過去に黒田清子さんがVWに乗っているところは撮られていました。
黒田慶樹さんは学生時代に写真部や地理研究部、自然研究部に所属していたため、当時からカメラはよく使っていたのでしょう。
2012年には家電量販店でカメラを物色する姿も目撃されているようです。
「黒田さんが見ていたのは、新型のカメラで値段は約40万円ほどです。顔なじみの店員に『亀戸に転勤になったんですけれど、新宿は乗換駅で毎日通るから、ちょくちょく今後も顔を出しますよ』と、笑顔で話していました」(居合わせた客)
また、黒田慶樹さんの愛車はロータスのエリーゼやセブンだと報じられていたようですが、実際の写真が無いため信ぴょう性は低いようです。もし本当だとすると車オタクかもしれませんね。
黒田清子と旦那・黒田慶樹が別居で離婚?子供はいない?
黒田清子と旦那・黒田慶樹に別居説が浮上した理由は?
黒田清子は旦那・黒田慶樹と別居している?
ネット上では黒田清子さんと夫の黒田慶樹さんが別居しているという噂が立っているようですが、そんなことがあるのでしょうか?
黒田清子さんと黒田慶樹さんの別居説が浮上した理由は、2012年に黒田清子さんが伊勢神宮の臨時祭主に就任したことに端を発するようです。
伊勢神宮の臨時祭主として 4月26日付で就任した 黒田清子(さやこ)さん(43歳)が 5月13日、外宮、内宮に それぞれ参拝し神様に 就任の奉告を行った。 天皇陛下の代わりに神宮の祭りを つかさどる神宮祭主。 現在は昭和天皇の四女、 池田厚子さん(81歳)が務めているが、 高齢であることから 黒田さんが補佐役となった。
伊勢神宮は三重県伊勢市にあるため、旦那の黒田慶樹さんは都庁職員のため黒田清子さんだけ引越したという噂が勝手に広まっただけだということです。
当然、黒田清子さんと黒田慶樹さんが別居するとなればマスコミや週刊誌がこぞって報道すると思われるので、世間で騒がれない噂は信じなくて良いということですね。
将来的には黒田清子さんが臨時ではない神宮祭主になる可能性は否定できませんが、それでも別居という手段は取らないでしょうし、周りも配慮すると思います。
黒田清子と旦那・黒田慶樹の離婚説もデマ?子供はいない?
離婚の噂には信憑性が全くない
さらに別居説と合わせて黒田清子さん黒田慶樹さん夫妻の離婚説まで飛び出しているようですが、当然まったく信ぴょう性の無い情報です。
別居説や離婚説などあたかも芸能人ネタのような話題が飛び出すのも、黒田清子さんが皇族を離れて民間人となったためでしょう。
さすがに悪質なネット中毒者も皇族批判を大々的にすることはできないでしょう。下手をすると不敬罪で3月以上5年以下の懲役を受ける可能性があります。
また、先ほども述べましたが、黒田清子さん黒田慶樹さん夫妻に子供はいません。
黒田清子の現在~今も質素な生活を送っていた
黒田清子は女性宮家創設を巡って皇族に復帰する可能性も?
今では一般人としての生活が完全に板に付いている黒田清子さんですが、両陛下の信頼が厚く女性宮家の創設の問題を巡って皇族に復帰する可能性も示唆されているようです。
どうやら2012年には黒田清子さんについてよく報道されていたようですね。
NEWSポストセブンでは以下のように黒田清子さんの生活の様子を報じています。
まだ寒さの残る3月下旬、都内のあるスーパーの野菜売り場。1袋20円のもやしに2本の手が伸びた。手と手が触れ合うと、ひとりの女性客がハッとした様子で、「失礼いたしました」と頭を下げた。エコバッグを抱え、化粧っ気もほとんどなく、ラフな普段着姿のその女性客は黒田清子さん(43才)だった。 決して贅沢することなく、少しでも安い食材を購入しようとする姿からは、どこにでもいる普通の主婦といった雰囲気が伝わってくる。
2021年にも質素な生活が報道されています。
黒田さん夫妻は現在、かつて多くの華族や皇族が住んでいた都内屈指のお屋敷街にほど近い〝億ション〟で静かに暮らしている。
清子さん自身も庶民的だそうで、マンションから目と鼻の先にある人気ディスカウントスーパーで買い物している姿が目撃されている。
「つつましやかにお過ごしのようです。警護もつけず、おひとりでスーパーに足を運び、生鮮食品など購入されています。店舗自体は広いんですが、高品質と格安が売りなので、コロナ禍でも大体混んでいます。庶民と一緒に買い物している姿を見ると、こちらが申し訳ない気分になってしまいます」(近所住民)
黒田清子さんは皇族時代は高級食材が当たり前だったと一般人は思いがちですが、皇族の食生活は一般人のそれと変わりがないどころか、むしろ慎ましいまであるようです。
特に、戦時中の元旦などは兵士たちを思いやって昭和天皇も香淳皇后も戦地食を食べたと言われるほど、国民を慮った食事を摂っているそうです。
中華やインド、ベトナム、メキシコ料理など一般人がやるようなグルメに舌鼓などは自由にできないようです。
黒田清子さんが皇族に戻る可能性がある?
黒田清子さんが皇族時代に天皇両陛下や皇太子殿下、秋篠宮文仁親王などから頼りにされていたほどの人なので、近年の女性宮家創設の話が浮上したことにより皇族に戻る可能性も出てきたという。
近年、テレビでもよく取り上げられる皇室の皇統存続の問題ですが、現在の皇室典範では皇族女子は一般男性と結婚すると黒田清子さんのように皇室を去る必要があります。
そのため、秋篠宮家の長男であられる悠仁様が成人を迎えられると、年の近い皇族がいなくなる可能性があるため、皇族減少を止めるためにも女性皇族が結婚後も皇室に留まることができるようにする制度として女性宮家の創設が検討されているわけです。
その有識者の中には黒田清子さんに皇室に戻っていただくように考えている人もいるということで、仮に皇室に戻られた場合は夫である黒田慶樹さんが公務を務める黒田清子さんのサポート役に回る必要が出てくるとも言われています。
その有識者のひとりである、歴史学者で帝京大特任教授の今谷明さんは次のように発言しています。
「いったん市民になっておられますので難しいことかもしれませんが、私としてはぜひとも清子さんに戻っていただきたい。何より両陛下が、清子さんのことを非常に頼りにされておられます。そういうかたに女性宮家の中心になっていただければと思ったのです」
ちなみに、黒田慶樹さんは都庁職員を辞める必要はないということですが、女性宮家の創設が実現に向けて動き出せば黒田清子さんも再び”紀宮清子内親王”と呼ばれる日が来るのでしょうか?
今上天皇陛下の生前退位もそう遠く無いと思いますので、近々大々的に皇室典範が改訂されるかもしれませんね。
黒田清子についてまとめると…
皇族時代に”紀宮清子内親王”と呼ばれた黒田清子さんについてまとめてきました。
現在の生活は慎ましくも夫婦で協力し、普通の幸せがある人生を送られているようです。
子供には恵まれませんでしたが、皇族だったなら満足に楽しめなかったことも今は楽しんでいることだと思います。
もしかしたら黒田清子さんはサブカル趣味も再燃しているのかもしれませんね!