現在の皇位継承順位第1位は、天皇陛下の弟である秋篠宮文仁親王殿下です。秋篠宮文仁親王殿下は、皇室の中では自由な生活を送ってきた人物であると言われています。
秋篠宮文仁親王殿下のプロフィールやご略歴、家系図や父親・母親の噂、身長やロン毛の噂、昔の子供時代のエピソードや若い頃は遊び人だったという噂、結婚した嫁の紀子様や結婚にまつわるエピソード・噂、3人の子供や孫についてまとめました。
この記事の目次
秋篠宮文仁親王は現在の皇嗣
秋篠宮文仁親王
出生日:1965年11月30日
称号:礼宮
身位:親王、皇嗣
秋篠宮文仁親王殿下は秋篠宮家当主であり、現在の皇嗣です。皇嗣とは、皇位継承順位第1位の人物です。
現在の天皇陛下の子どもが皇位継承順位第1位ならば、「皇太子」となります。秋篠宮文仁親王殿下は、天皇陛下の弟です。皇位継承順位第1位が弟の場合の呼び名が皇室典範にはないため、一般的な皇嗣という称号が用いられています。
学歴や略歴
秋篠宮文仁親王殿下は、ずっと学習院で学んでこられました。
・中学校:学習院中等科
・高校:学習院高等科
・大学:学習院大学法学部政治学科
・大学院(修士):オックスフォード大学大学院動物学科
・大学院(博士):国立総合研究大学院大学
また、次のような総裁職などに就いておられます。
・(公財)山階鳥類研究所 総裁
・(公社)日本動物園水族館協会 総裁
・御寺泉涌寺を護る会 総裁
・(社福)恩賜財団済生会 総裁
・(公社)大日本農会 総裁
・(公社)大日本山林会 総裁
・(公社)日本植物園協会 総裁
・(一財)家畜資源学術標本基金 総裁
・(公財)世界自然保護基金ジャパン 名誉総裁
・日蘭協会 名誉総裁
・特定非営利活動法人 全日本愛瓢会 名誉総裁
・日本水大賞委員会 名誉総裁
・(公財)日本ワックスマン財団 名誉総裁
・サイアム・ソサエティー 名誉副総裁
・東京大学総合研究博物館 特招研究員
・東京農業大学 客員教授
・オーストラリア博物館 名誉会員
ナマズの研究に熱心
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秋篠宮文仁親王殿下は、ナマズの研究に熱心に取り組んでいることでも知られています。「ナマズの殿下」と呼ばれていたこともありました。また、鳥類の研究にも取り組んでいます。
ナマズや鳥類の研究のために、タイやインドネシアなどに何度も訪れていらっしゃいます。『ナマズの博覧誌』という本を執筆されていて、さらに、鳥類や家畜に関する本も執筆されています。
秋篠宮文仁親王の家系図
秋篠宮文仁親王殿下の家系図は上記のものです。
・曾祖父:大正天皇
・祖父:昭和天皇
・祖母:香淳皇后
・父親:上皇陛下
・母親:上皇后陛下
・叔父:常陸宮殿下
・兄:天皇陛下
・義姉:皇后陛下
・妹:黒田清子さん
秋篠宮文仁親王殿下の兄は、現在の天皇陛下です。そして、父親が上皇陛下になります。皇室は日本で一番古い家系であり、男系継承をずっと行ってきましたから、秋篠宮文仁親王殿下の父親をずっとたどっていけば、紀元前660年に生まれた神武天皇までさかのぼることができます。
秋篠宮文仁親王殿下の家系図は2600年前までさかのぼることができますので、詳細な家系図を書こうと思ったら、膨大な大きさ・長さの家系図になるでしょう。
秋篠宮文仁親王の父親と母親は上皇上皇后両陛下
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秋篠宮文仁親王殿下の父親と母親は、上皇上皇后両陛下になります。
・母親:美智子上皇后陛下
これは日本国民ならだれもが知る事実ですが、同時に「秋篠宮文仁親王殿下だけ、なんか似ていない」と思ったことがある国民と多いと思います。
上皇陛下と天皇陛下、黒田清子さんはみんな似ていますが、秋篠宮文仁親王殿下はスラッとしていて、兄の天皇陛下や黒田清子さんとはあまり似ていないんです。
そのことから、秋篠宮文仁親王殿下の父親は違う人では?、母親は違う人では?という噂がでるようになりました。
父親は安西孝之の噂あり
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秋篠宮文仁親王殿下の父親では?と言われているのは安西孝之さんという男性です。写真で比べてみると、確かに似ているような気がします。
この安西孝之さんは昭和エンジニアリング社長であり、美智子上皇后陛下の妹である恵美子さんと結婚しています。つまり、美智子上皇后陛下の義理の弟ということになります。
これだけ近い関係だし、秋篠宮文仁親王殿下と安西孝之さんの顔が似ていることから、「もしかして・・・」という噂が出たのでしょう。
もし、なかなかお世継ぎが誕生していないのであれば、時代的なことを考えると、お世継ぎ誕生のために、そのようなことはあったのかもしれません。
ただ、上皇陛下と美智子上皇后陛下の間にはすでに男児(現在の天皇陛下)が誕生されています。だから、そんな恐ろしいたくらみをする必要はないのです。
当時の皇太子妃殿下である美智子さまと妹の夫である安西孝之さんが恋仲だったと仮定しても、常にSPがついて回る皇太子妃殿下は不倫ができるような環境ではなかったはずです。そのため、この噂はデマと断定して良いでしょう。
母親は加茂さくらさんという噂も・・・
秋篠宮文仁親王殿下の母親は加茂さくらさんではないか?という噂もありました。
加茂さくらさんは元タカラジェンヌの女優で、秋篠宮文仁親王殿下と目元がそっくりと言われています。
秋篠宮さん、何となく加茂さくらさんに似てますよね。
おたわむれの日といって奥さんの妊娠中なのか産後かはたまた定期的にか、いつかはわかりませんが、女性をあてがう事があるそうです。
それが加茂さくらだったと聞いたことがあります。
また、加茂さくらさんは秋篠宮文仁親王殿下がお生まれになる2ヶ月前から誕生後1ヶ月ほど、舞台の出演がなかったとも言われています。だから、加茂さくらさんが秋篠宮文仁親王殿下の母親では?と言われているのです。
ただ、これも単なる噂であり、信ぴょう性はかなり低いと思われます。秋篠宮文仁親王殿下は、確かに兄や妹と比べると、父親である上皇陛下には似ていません。ただ、母親である上皇后陛下の方に似たのだと思います。
秋篠宮文仁親王の身長やロン毛の噂
秋篠宮文仁親王殿下の身長は178cm
秋篠宮文仁親王殿下の身長は178cmと言われています。
秋篠宮文仁親王殿下の家族写真
秋篠宮文仁親王殿下の家族写真を見ても、身長が高いことがわかります。
秋篠宮文仁親王殿下 ロン毛の謎
秋篠宮文仁親王殿下について検索すると「ロン毛」というワードがヒットしますが、秋篠宮文仁親王殿下がロン毛だった時代はありません。
長女・眞子さんの結婚相手・小室圭さんのロン毛が関係?
秋篠宮文仁親王殿下の娘である小室真子さんの結婚相手・小室圭さんがロン毛にしていたことから、それに関係して「ロン毛」というワードが検索されたとみられています。
先日テレビに映った小室さんの“容貌”には、眞子さまに日ごろから仕える秋篠宮家の担当者も頭を抱えているという。
「いくら皇室を離れるといえど、眞子さまと一緒に会見をする時にあのロン毛の風貌はいくらなんでも失礼です。秋篠宮さまや紀子さまのご心境を考えるといたたまれなくなります。さすがに宮内庁から整えるように言われると思います」(秋篠宮家関係者)
なお秋篠宮文仁親王殿下は小室圭さんのロン毛について特に公ではコメントをしていません。
後述のように秋篠宮文仁親王殿下には昔ヤンチャだった時代があったので、ロン毛にしてたこともあったのではないかと思った人が多いようです。
秋篠宮文仁親王は昔はやんちゃな子供だった
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秋篠宮文仁親王殿下は、昔はやんちゃな子供だったというエピソードがあります。
兄の今上天皇は穏やかな性格だったのに対し、秋篠宮さまは暴れん坊と言われるほどの自由奔放なタイプだったようです。
学習院幼稚園では当時流行していた「タイガーマスクごっこ」でお友達を泣かせて、美智子さまが直々に相手の母親に何度も謝罪の電話をなさったという。元宮内庁職員が振り返る。
「秋篠宮さまが小学生の頃、飼っていたテンジクネズミ(モルモット)を池で泳がせようとして、死なせてしまったことがありました。ちょうど通りかかられた陛下に、秋篠宮さまは“池で泳がそうとしたら、死んじゃった”と。次の瞬間、陛下は黙ったまま秋篠宮さまを池に投げ込まれたのです。命の尊さを身をもって教えるためのものでした」(別の宮内庁関係者)
秋篠宮文仁親王殿下は、なかなかやんちゃなタイプだったことがわかります。黙ったまま秋篠宮殿下を池に投げ込んだ上皇陛下もすごいです。厳しくしつけられていたことがわかります。
秋篠宮文仁親王は若い頃は遊び人?
秋篠宮文仁親王殿下は、若い頃は遊び人だったと言われています。皇室の方、しかも皇位継承権を持つ方が遊び人なんてイメージしにくいですが、具体的なエピソードをご紹介していきます。
スナックなどで飲み会
出典:jisin.jp
秋篠宮文仁親王殿下は、常にSPがついていましたが、学生時代はSPを引き連れて、スナックなどでお酒を飲んでいたとのことです。
学生時代のサークルでスナックに行くようになり、夜遅くまで飲み歩くこともあったようです。
11時30分、お迎えの侍従が登場。秋篠宮さまは「ウチで飲もう」とご学友を誘って帰途に。ちなみに、この日の帰宅予定は10時。この間、店外に待機していたSPは10人ほどだった。
一般的な感覚だと、「遊び人とは言えないレベル」ですが、皇室の方が夜遅くまでスナックにいるというのは、ちょっと衝撃ですよね。
ガールフレンドが多い
秋篠宮さまはガールフレンドが多いと言われていました。一説によると、学習院大学時代は、7人もガールフレンドがいたと豪語していたのだとか。
ちなみに、学習院大学では秋篠宮文仁親王殿下は「パレスヒルズテニスクラブ」というサークルを主宰していました。このサークルは、秋篠宮さまの恋人探しのためのサークルだったという情報があります。
当時、秋篠宮は「パレスヒルズテニスクラブ」というサークルを主宰しており、キャンパスで気に入った 女子学生を見付けたら、必ず学友に命じてこのサークルに勧誘させていたのだ。そして、その勧誘された女性の一人が紀子妃だった。 当時の同級生がこう話す。
「この『パレスヒルズテニスクラブ』というのは、殿下の恋人選びのために作られた クラブだったんですよ。(略)紀子様が入ってからも、同時進行していた女性がいたんじゃないかな。
ただ、本当に7股をかけて交際していたのかどうかは不明です。
苦言を無視してひげを伸ばす!
秋篠宮文仁親王殿下は20歳の頃から口ひげを伸ばされています。現在では秋篠宮文仁親王殿下のトレードマークになっていますが、当時は問題になったようです。
秋篠宮文仁親王殿下の侍従が苦言を呈し、侍従から宮内庁長官まで相談がいったこともあるのだとか。
たしかに秋篠宮殿下は寛仁殿下に憧れて“ちょいワル”を目指していた時期はあったように思います。あの髭も寛仁殿下に憧れてしたものだと聞いています。
三笠宮寛仁殿下は皇籍離脱騒動があったほど、皇族の中では異色の存在でした。秋篠宮文仁親王殿下はそのような寛仁殿下の「ちょいワル」に憧れていたのかもしれません。
宮中晩餐会よりタイへの研究旅行を優先
1996年にアメリカのクリントン大統領が来日し、宮中晩餐会が開かれました。宮中晩餐会は天皇皇后両陛下が国賓をもてなすために行われるもので、皇族は基本的に出席します。
しかし、1996年のクリントン大統領来日の時の宮中晩餐会に、秋篠宮文仁親王殿下は参加せずに、ナマズ研究のためにタイに行っていたのです。
通常なら、皇族として宮中晩餐会出席を優先するはずですが、タイに行ったのは研究ではなく、タイに恋人でもいたのではないか?もしくは羽を伸ばしに行ったのではないか?とも言われています。
タイのソープランドを見学
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秋篠宮文仁親王殿下はタイのソープランドに見学に行ったことがあります。
秋篠宮文仁親王殿下が23歳の頃、タイに行った際、地方にあるピサヌロークという町でホテルに泊まりました。このホテルの地下にソープランドがあるということで、秋篠宮文仁親王殿下はそのソープランドを見学したことがあるというのです。本当に、見学だけだったのでしょうか・・・。
ちなみに、日本で風俗通いをしていたという情報もあります。
吉原の高級ソープランドの売り上げの10%を宮様お一人ではじき出して非常に感謝され、吉原から『宮さまに特殊浴場協会の名誉総裁になっていただこう!』と打診されたこともあったそうですよ。」
これが本当だったら、秋篠宮文仁親王殿下の若い頃は、いわゆる「皇族」のイメージとはかけ離れた遊び人だったと言えるかもしれません。
秋篠宮文仁親王の嫁は紀子さま
文仁親王妃紀子
生年月日:1966年9月11日
出身:東京都(出生は静岡県)
身位:親王妃
お印:檜扇菖蒲
秋篠宮文仁親王殿下が結婚した女性は、紀子さまです。川嶋辰彦・和代夫妻の長女として、静岡県で生まれました。
その後、父親がアメリカに留学したことから、紀子さまも渡米し、幼少期はアメリカで過ごします。小学1年生の時に、父親が学習院大学助教授に就任したことから帰国して、日本の小学校に編入しましたが、小学5年生から約2年間は父親の仕事の都合でオーストリアで過ごしました。
再度帰国した後は、学習院女子中等科・高等科に進み、学習院大学に進学されています。そして、学習院大学大学院で学ばれている時に、秋篠宮文仁親王殿下と婚約・結婚しています。
3LDKのプリンセスとして「紀子様ブーム」に
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秋篠宮文仁親王殿下と紀子さまの婚約内定報道が出た後、「紀子さまブーム」が起こりました。
紀子さまはとてもかわいらしい方だったこともありますが、紀子さまは当時「学習院大学教職員用の共同住宅の3LDK」に住んでいたことで、一般家庭出身のプリンセス・3LDKのプリンセスと呼ばれるようになり、身近なプリンセスと人気になったのです。
ちなみに、家賃は33,000円と格安で、家にはテレビがなかったそうです。
といっても、紀子さまの父親は学習院大学の教授でしたから、本当の一般家庭ではなく、それまでの皇室に嫁がれた女性と比べると、「一般家庭に近い」という感じでしょうか。
それでも、紀子さまブームで紀子さまをモデルにしたアニメなども制作されました。
秋篠宮文仁親王と紀子さまは1990年に結婚
秋篠宮文仁親王殿下と紀子さまは、1990年に結婚されました。
学習院大学で知り合う
秋篠宮文仁親王殿下と紀子さまが出会ったのは学習院大学です。紀子さまは秋篠宮さまの1学年下でしたが、1985年に秋篠宮さまが主催していた「自然文化研究会」というサークルで知り合い、親密な関係になっていきました。
大学時代の紀子さまは、秋篠宮さまが会長を務めていた自然文化研究会に所属し、毎年3~4回ある研修旅行にも必ず参加し(写真)、秋篠宮さまは「キコちゃん」と呼んで、とても気に入っていた。
宮内庁が発表したのは「自然文化研究会で出会った」というものでしたが、秋篠宮さまが紀子さまをキャンパスで見かけて気に入り、前述の「パレスヒルズテニスクラブ」に勧誘して知り合ったという噂もあります。
出会って1年でプロポーズ
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秋篠宮文仁親王殿下と紀子さまは交際し、愛を深めていきました。
「彼女はよく1人で東宮御所に遊びに行っていました。秋篠宮さまの運転するオレンジ色のフォルクスワーゲンで御所内をドライブしたりデートを重ねたりしていました」
「秋篠宮さまの部屋で2人きりで2~3時間過ごし、侍従が慌てることも何度かあった」
家(東宮御所)に遊びに行ったり、御所内や三浦海岸でドライブしたりしたようです。「家が東宮御所」というところを除けば、ごく普通の若者のデートですね。
そして、交際から1年後に秋篠宮文仁親王殿下はプロポーズしています。
翌年6月、常連だった目白のスナックの帰り道でのこと。秋篠宮さまは駅近くの交差点で信号待ちをしていた時、「私と一緒になってくれませんか?」とプロポーズされた。
紀子さまもプロポーズを了承し、通常ならば、そのまま婚約内定で納采の儀を行って、正式婚約、さらに結婚の儀という流れになりますが、紀子さまのご身分が釣り合わないなどの問題があり、婚約内定は延び延びになっていて、さらに昭和天皇が1989年1月に崩御されました。
喪が明けて納采の儀と結婚の儀
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1989年1月に昭和天皇が崩御され、喪中になりました。しかし、喪が明けていない1989年8月に婚約内定報道が出ました。
当時、「喪中に婚約内定?」という報道がありましたが、あくまで「内定」であり、さらに崩御されてから100日が過ぎていたことなどから問題ないということになったようです。
そもそも、皇室の服喪は三期に分けられ、第一期・第二期各50日の合計100日間を過ぎれば、その後の第三期は「心喪」という服喪形式がとられる。心喪とは、この期間中、天皇はじめ各皇族は公の行事には出席するが、神事のみ遠慮するという形式の服喪である。
そして、喪が正式に明けた1990年1月12日に納采の儀が行われ正式婚約となり、1990年6月29日に結婚の儀が執り行われ、秋篠宮文仁親王殿下と紀子さまは結婚されました。
秋篠宮文仁親王の結婚に関する噂
秋篠宮文仁親王殿下と紀子さまの結婚にはいくつかの噂があります。喪中なのに、なぜ婚約内定報道が出たのかを、その噂から考えていきます。
紀子様と結婚できないと皇室離脱?
秋篠宮文仁親王殿下は昭和天皇の喪が明けないうちから、紀子さまとの結婚を強く望まれていました。「紀子さんと結婚できないなら、皇籍離脱する」とまで言っていたようです。
〈えっ、礼宮さまが「皇籍離脱」だって……〉(「週刊朝日」1989年4月21号)
〈礼宮さま「皇籍離脱発言」の陰の「恋人」〉(「FOCUS」1989年5月12日号)
〈礼宮さま、川嶋紀子さん 皇室離脱を賭けた恋!〉(「女性セブン」1989年9月14日号)
本当に皇籍離脱をされたら困るから、昭和天皇の喪が完全に明けない中で、婚約内定となったのかもしれません。眞子さまが結婚を押し切ったのは、両親のこのような経緯での結婚があったからかもしれませんね。
紀子様が妊娠と堕胎?
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若い頃は遊び人と噂されていた秋篠宮文仁親王殿下ですが、実は紀子さまと交際している時に紀子さまが妊娠してしまったことがあったという噂があります。
さすがに、皇族ができちゃった結婚はできないので、この時は堕胎しますが、それを知った紀子さまの父親が秋篠宮文仁親王殿下や皇室にすぐに結婚をするように迫ったとされています。そのために、喪中でも関係なく婚約内定となったのかもしれません。
紀子さまの妊娠・堕胎はあくまでも噂ですが、もし本当なら、喪中でも婚約内定報道が出たのは納得できますね。
タイに愛人がいた?
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タイが好きで、若い頃にはタイのソープランドを見学したこともある秋篠宮文仁親王殿下ですが、実はタイに愛人がいたと噂されています。
それを知った紀子さまの父親が激怒して、喪中でもすぐに婚約するように迫ったというわけですね。「娘を傷物にして、タイにも愛人がいるなんて!婚約しないなら、それをばらしてやる!」と言われたら、皇室と宮内庁は婚約内定を出さないわけにはいきません。
クリントン大統領来日時の宮中晩餐会を欠席してタイに行っていたのも、タイの愛人に会いに行っていたのでは?と言われるようになりました。
いつ頃からだったろう。秋篠宮はナマズの研究で名高いが、その研究のためにタイへたびたび行っていた。そのうち、秋篠宮がタイの女性と浮気をしていて、隠し子までいるという噂がメディアの間に広がったのである。
引用:なぜ秋篠宮家の心はバラバラになったのか 「佳子の乱」と「女性天皇容認」 (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
まあ、さすがにタイに愛人というのはデマだと思いますが、いろいろな遊び人の噂を聞くと、「ありえなくもないかな」と思ってしまいます。
秋篠宮文仁親王の子供は3人
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長女:小室眞子さん
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秋篠宮文仁親王殿下の長女は、小室眞子さんです。婚約内定報道からいろいろありましたが、2021年10月26日に小室圭さんと正式に結婚されて、皇籍を離脱されています。
秋篠宮文仁親王殿下はお2人の結婚にあたり、次のような文書を出しています。
また、皇室への影響も少なからずありました。ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ちでおります。(中略)今回、皇室としては類例を見ない結婚となりました。
今後は小室圭さんと一緒に渡米して、ニューヨークのメトロポリタン美術館で学芸員として働くという情報があります。ただ、小室圭さんはニューヨーク州の弁護士試験に不合格となってしまい、合格するまではパラリーガルとして働くことになるので、「ニューヨークでの生活は前途多難」と言われています。
次女:佳子さま
出典:j-cast.com
秋篠宮文仁親王殿下の次女は佳子さまです。佳子さまは、国際基督教大学を卒業後、2021年からは一般財団法人全日本ろうあ連盟に非常勤嘱託職員として勤務されています。
アイドルのような容姿で、ネット民からは人気が高い内親王です。
長男:悠仁さま
出典:bunshun.jp
秋篠宮文仁親王殿下の長男が悠仁さまです。悠仁さまは40年9か月ぶりの皇室でご誕生された男子で、今後皇室典範が改正されない限り、将来の天皇になることが決まっている方です。
2019年にはお茶の水女子大学附属中学校に入学しますが、机の上に果物ナイフを立てられる事件が起こりましたが、犯人は逮捕され、現在もお茶の水女子大学附属中学校に通われています。
秋篠宮文仁親王に孫はいない
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秋篠宮文仁親王殿下にはまだ孫はいません。小室眞子さんが結婚しましたので、今後孫が生まれる可能性は十分にあります。
ただ、小室眞子さんは既に皇籍を離脱しているので、眞子さんの娘は皇族にはなりません。祖父と孫としての血のつながりはありますが、あくまで「一般人」の扱いになります。
皇族としての「孫」は、悠仁さまがご結婚されて子供が生まれた場合になるでしょう。
秋篠宮文仁親王のまとめ
小室眞子さんの結婚で、再度注目を集めることになった秋篠宮文仁親王殿下の若い頃。秋篠宮文仁親王殿下の若い頃のエピソードを見ると、小室眞子さんの騒動も予測できたことと思えてきます。
もし秋篠宮文仁親王殿下の若い頃にSNSがあったら、小室眞子さんの時以上に大炎上していたかもしれませんね。