久子さまは1984年に憲仁親王と結婚し、皇族に入られた方です。憲仁さま亡きあとはその後を継いで、高円宮家第2代当主をつとめています。
ここでは久子さまの実家の家族情報や家系図、若い頃の写真、性格、語学力(英語・フランス語)、高円宮憲仁親王との馴れ初めから結婚まで、そして子供たちの事についてまとめています。
この記事の目次
久子さまのプロフィール
憲仁親王妃久子(のりひとしんのうひ ひさこ)
出身地:東京都港区白金
生年月日:1953年7月10日
高円宮家第2代当主
身位:親王妃
敬称:殿下
お印:扇
勲等:勲一等
久子さまは東京都港区生まれで、聖心女子学院初等科・中等科を卒業しました。高校からは父親の仕事のためイギリスに渡り、ケンブリッジ大学ガートンカレッジで学び、1975年に卒業し帰国したのちに翻訳会社に勤めています。
その後再び渡英し法律を修得。やがて皇族の公務に関連した通訳助手などをつとめるようになり、1984年4月のレセプションパーティーでのちの夫となる憲仁親王と出会い、同年12月に結婚(高円宮家創設)。
2002年に憲仁親王が亡くなると、高円宮家の第二代当主に就任しました。それと同時に憲仁親王がつとめていた複数の公務(名誉総裁職等)を引き継いでいます。
久子さまの公務では、とくにサッカー関連の活動が著名です。これまでに日韓W杯時の韓国訪問(戦後における皇族の韓国初訪問)、ロシアW杯時に代表激励のための露訪問(皇族としては102年ぶりのロシア訪問)などがあります。
久子さまの実家と家族…香川の旧家・鳥取家の出身で皇族とも関係が
皇族が結婚される際には、お相手の家柄が注目されることが多いです。そのほとんどが良い家柄で、久子さまの場合ももれなくそのうちの一人といえるでしょう。
久子さまの旧名は、鳥取久子(とっとりひさこ)。
久子さまの父親・鳥取滋治郎は、旧帝大卒の実業家で東邦物産専務やフランス三井物産社長、東海観光会長などをつとめました。
鳥取家は香川県三豊郡笠田村(現三豊市豊中町)にある旧家で、滋治郎の祖父・曽祖父は当時の多額納税者で大地主・資産家・実業家というお家柄です。
また滋治郎兄である綱太郎も、四国コカ・コーラボトリング社長などを勤めた実業家。
久子さまの母親・二三子は、外交官や宮内庁式部官をつとめた友田二郎の娘です。二三子の母親は曾我祐邦子爵の次女にあたり、曾我祐邦子爵夫人は貞明皇后(大正天皇皇后)の従兄弟にあたるそうです。つまり久子さまの家系は、高円宮家とも遠縁(※)ということに。
(※高円宮憲仁親王は、貞明天皇の子供である三笠宮崇仁親王の末息子にあたる)
久子さまの家系図…母方の友田家も公家・華族の系譜だった
久子さまの実家の家系図がないため、皇族の家系図をご紹介です。昭和天皇の末弟が三笠宮崇仁親王で、その息子の一人が高円宮憲仁親王。憲仁さまの兄である三笠宮寛仁親王の奥さんは、麻生太郎さんの妹である信子さまになります。
久子さま方の家系図は、すでに実家の家族欄で触れていますが、鳥取家は旧家です。
母方の友田家はたどれば、曾我祐邦の子爵家を始め当時の公家・華族などに連なるような系譜になります。
養子縁組も多いので迷子になりがちですが、Wikipediaなどを見るとかなり昔まで遡れそうな名家がたくさん出てきます。(たとえば公家の頂点に立つ家格・五摂家の一つである九条家、鷹司家など。)
久子さまの若い頃…イギリス留学中にゴシップ誌で芸者ガール姿を披露
久子さまの若い頃①
こちらは結婚した頃のものですね。久子さまの結婚は31歳ということで、当時の皇族の方としてはやや晩婚な感じでしょうか?
(娘の承子さまが現在34歳独身ですが)
若い頃の久子さま②
こちらはイギリス留学時代の28歳頃の久子さまです。イギリスのゴシップ誌にモデルとして、芸者ガールに扮して登場。このことからも久子さまは奔放な方だったのでは?という見方が存在します。
若い頃の久子さま③
婚約時代の久子さまと憲仁さま。久子さまは近年ではショートカットのイメージが強いですが、若い頃は基本的にセミミディアムヘアぐらいでした。
若い頃の久子さま④
こちらは婚約会見での久子さまです。美人ですね。
ちょっと昔の久子さま⑤
もうすでに末娘の絢子さままで生まれていますので、こちらは1990年代の家族写真になります。
久子さまの現在
久子さまの英語力…五輪招致での流暢なスピーチがスゴイと話題に
久子さまは語学力が皇族のなかでもっとも高いと言われています。近年では、2020年東京五輪招致の場(IOC総会)におけるスピーチが話題になりました。
東京五輪招致で、久子さまは流暢な英語とフランス語で”東日本大震災でのIOCからの支援を感謝する”言葉などを述べられました。
皇族という立場上、直接的な投票をお願いしていませんが(政治的な話になるため駄目だそう)、それでも一説には久子さまのスピーチが東京五輪招致を決定付けたと言われるほど素晴らしいものだったようです。
2020年夏季五輪開催地を決めるIOC総会での久子さま↓
もともと久子さまは父親の仕事関係で10代からイギリスに渡ったり、結婚前は通訳会社で働いたりしていました。
久子さまはイギリス時代にケンブリッジ大学ガートンカレッジで学び、また久子さまの実母は長年の功績を讃えられフランス最高勲章を2013年に受けた方。
(高円宮妃久子さま実母に仏最高勲章 鳥取二三子さん 文化の懸け橋)
そんな環境で生活してこられた久子さまは、英語はもちろんフランス語もお上手で、海外からもIOC総会での久子さまのスピーチは「英語もフランス語も本場の話し方」と絶賛されたほど。
またIOC総会という国際的な場での堂々としたスピーチ力・プレゼン力は、語学力以外のところでも評価されました。
スポーツ関連の公務が有名な久子さまですが、それ以外にもこういった語学力を活かした国際親善の場でも活躍されています。
五輪招致プレゼン動画をみたのだけど、高円宮妃久子さまの語学力は誇らしいな。
— kowas (@kowas) September 8, 2013
久子さまの性格…悪評が一切なくファッションセンスも評判だった
あまり悪い噂がない久子さま
さて久子さまのご性格はどんな感じなのでしょうか?
久子さまは、公務でのお仕事ぶりや家族に関する話題を見ると良い話が多いですね。たとえば高円宮憲仁さまが亡くなられてから、久子さまは皇族としての公務と育児をどちらも両立してきたという見方があります。
子育てにおける逸話を見てみると…。
「宮さまが亡くなられる前のことですが、久子さまは自らハンドルを握られ、お子さまがたのお稽古ごとの送迎もされていましたよ。
また絢子さまが幼稚園を卒園された際、謝恩会で保護者が『三匹の子ぶた』の寸劇をしたんですが、このとき久子さまは自ら“オオカミの親分”の役を買って出られて…。かぶりものまでお召しになって、“オラ! オラ!”なんて真剣に演じてくださいました。そんな久子さまに、出席した保護者はみんな感激していましたよ」(高円宮家の知人)
娘たちの結婚でも、その存在感を発揮したとか…。
天皇家の遠戚にあたる旧華族や代々政治家を輩出している名家の子息を招いて自然に出会えるようにしたり、パーティの後も、子どもたちだけで会う機会をさりげなく設けるようにしていました。そういった機会に恵まれていたからか、ご姉妹は『結婚相手をどう見極めるか』と話しあわれる機会もあったそうです。そのポイントの1つが『結婚後も家同士できちんと付き合えること』。
また皇族の方は注目度が高いためニュースや週刊誌などで、いろいろと報じられることがありますが、久子さまについては特に悪評やスキャンダルが大きく報じられたことはないようです。
傍系ということも影響しているかもしれませんが、ゴシップはやはり直系(天皇家・秋篠宮家)が多い印象。
ただこれまでに”若い頃の画像”でご紹介した久子さまの”芸者ガール”姿であったり、娘の承子さまの”奔放”報道などもありました。
承子さまの奔放スキャンダル報道は特大だったかもしれませんが、久子さまは総じて公務での活躍ぶりなどで良い印象を抱いている人が多いです。またファッションセンスの評判も良いよう。
少し前の写真になりますが、今年の思い出には欠かせない、高円宮妃久子さまによる埼玉かも場での外交団接待。陛下から、鴨場における伝統や鴨の種族についてのご説明を流暢な英語とおしとやかなお人柄で直々にご説明を受けました。日本の格別なおもてなしに心より感謝申し上げます。 pic.twitter.com/BGFkm6pVS8
— ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア臨時代理大使 (@TeimurazLezhava) December 30, 2019
高円宮さまのお言葉に「いい結婚とは1+1が2になるのではなく、5とか6、できれば10になる結婚」というものがあり、娘たちにもぜひそういう結婚を、と願ってこられた久子さま。久子さまの有り様をご覧になり、聡明に気品高く、努力家に生い育たれた絢子さま。きっとご両親のような素敵な家庭を…
— みかん缶 (@gomadofu_zuki) October 26, 2018
久子さまと数年前にカナダ訪問された絢子さまのカナダ国旗ファッション pic.twitter.com/Zsfln3fESB
— みずのみこ (@bluemoonstone17) September 3, 2019
久子さまの結婚…旦那の高円宮憲仁親王との馴れ初めと結婚生活
久子さまの旦那・高円宮憲仁親王のプロフィール
高円宮憲仁親王(たかまどのみやのりひと)
生年月日:1954年12月29日
没年月日:2002年11月21日(47歳没)
高円宮家初代当主
身位:親王
お印:柊
勲等:大勲位
高円宮憲仁さまは、大正天皇と貞明皇后の第四皇男子である三笠宮崇仁親王の末子です。学習院大学卒業後にカナダに留学し、帰国後からは公務の傍ら国際交流基金の嘱託職員として勤務。生前はスポーツの発展に尽力し、特に有名なのがサッカー関連の活動で、1987年からはサッカー協会の名誉総裁に就任しました。
しかし2002年にカナダ大使館でスカッシュをしていたところ、心室細動による心不全で急逝。憲仁さまの公務の多くは、久子さまが後継しました。またその死は、AEDの使用普及の大きなきっかけになったとされます。
久子さまと高円宮憲仁親王の出会いから結婚まで
久子さまの結婚秘話
久子さまと憲仁さまは、1984年4月23日にカナダ大使館でのレセプションパーティーで出会いました。
お2人は出会った時から、憲仁さまのご学友が久子さまの習うテニスのコーチをしていたこともあり、共通の知人や音楽、バレエ、国際交流などの話で盛り上がったそうです。
なお当時久子さまは通訳として活動しており、憲仁さまと出会う前に、その父親である三笠宮崇仁さまの公務で通訳・助手をつとめていたことがあります。
(名前のバランスを取るため、当時「鳥取恒久子」という名刺を使っていたとか)
それから久子さまと憲仁さまが幾度か会うようになると、父親である三笠宮さまが「うちの息子はどう?」と久子さまに尋ねられたといいます。
当初久子さまは「そんな家柄ではありません」と驚いたといいますが、歴史学者でもある三笠宮さまは久子さま自身も知らなかったという「曽祖母と貞明皇后はいとこ」関係を説明されたそう。
つまりこの時点で憲仁さまのお妃候補には入っていたと考えられますね。そして出会いから約1ヶ月後の1984年5月に、一目惚れした憲仁さまが「Will you marry me?」とプロポーズし、久子さまが「Yes」と応えられる形で結婚が決まりました。出会いからわずか1ヶ月ほどのスピードプロポーズだったようです。
また憲仁さまは鳥取家に挨拶に行った時に「皇室がなくなっても幸せにします」と、久子さまのお父様に伝えたそうです。
その後同年8月に婚約会見、同年9月17日に納采の儀(結納)、同年12月6日には結婚の礼が行われました。また結婚の礼と同時に高円宮家創設。
久子さまと高円宮憲仁親王の仲睦まじいエピソード
久子さまが語られる高円宮さまとの思い出エピソードはほっこりするものが多いです。
たとえば高円宮様から久子さまへの最初の贈り物は「指輪やブローチなどでもなく、根付だった」というもの。
根付はもともと久子さまが興味を持っていたもので、結婚後は夫妻揃って収集し、憲仁さまは「(久子さまから)根付病をうつされた」と言っていたほどだとか。でも夫婦で一緒の趣味を持つのは良いことですよね。
久子さまはのちに根付の研究家となり、現在は”高円宮家所蔵の根付”展示会が各地で催されることもあるようです。(※根付…江戸時代からある留め具。印ろうや巾着などの小間物を帯からぶら下げるための物)
高円宮憲仁親王が47歳の若さで急逝
仲睦まじそうな久子さまと憲仁さま
久子さまと高円宮さまの間には3人の子供が生まれましたが、2002年に憲仁さまが急逝。
生前は高円宮ご夫妻揃って、サッカーをはじめとするスポーツ活動の普及・発展に尽力し、憲仁さまが亡くなられた後はその遺志を久子さまが継いでいます。
ご夫妻に関してはあまり悪い噂を見ることもなく、天皇陛下と雅子さまのキューピット役も高円宮ご夫妻だったと言います。
久子さまの子供は娘が3人…長女・承子さまが奔放プリンセスと話題に
久子さまの娘① 長女・承子さま
承子(つぐこ)さま
身位:女王
敬称:殿下
お印:萩
勲等:宝冠牡丹章
生年月日:1986年3月8日
承子さまは高円宮憲仁さまと久子さまの第一子長女です。学習院大学卒業後にイギリス留学を経て、早稲田大学に入学し2013年に卒業しました。成年皇族としての公務参加はもちろん、大学卒業後からは日本ユニセフ協会の嘱託職員として勤務しています。
2020年2月現在、承子さまは高円宮家3姉妹のなかで唯一の独身です。過去にはイギリス留学時代の奔放スキャンダルなどが報じられていますが、現在は交際相手らしき人物との結婚がたびたび噂されながらも独身のままです。
久子さまの娘② 次女・千家典子
千家典子(せんげのりこ)
出身地:東京都港区
生年月日:1988年7月22日
最終学歴:学習院大学文学部心理学科
皇籍離脱前の身位等
身位:女王/敬称:殿下
お印:蘭
勲章:宝冠牡丹章
千家典子さんは高円宮憲仁さまと久子さまの第二子次女です。
2014年に皇籍離脱。それ以前は成年皇族として公務に参加。
2014年に出雲大社権宮司・千家国麿と結婚
典子さまは2014年に出雲大社の権宮司・千家国麿さんと結婚しました(皇籍離脱)。どちらも天照大神を祖先とする凄すぎるお家柄同士の結婚ということで話題になりましたね。
典子さまと千家国麿さんの出会いは2007年で、その頃から親睦を深め、2014年に結婚。もともと高円宮憲仁さまと千家家は交流があったことからの縁談だったという話もあります。
ただ一部報道によると、結婚後は別居などの噂が流れているようです。
「典子さま」と「千家国麿さん」不仲説 “夫の健康問題”と“頻繁な東京行”
2人の間にまだ子供はいません。
久子さまの娘③三女・守谷絢子
名前:守谷絢子(もりやあやこ)
出身地:東京都港区
生年月日:1990年9月15日
最終学歴:城西国際大学福祉総合学部
皇籍離脱前の身位等
身位:女王/敬称:殿下
お印:葛
勲章:宝冠牡丹章
守谷絢子さんは高円宮憲仁さまと久子さまの第三子三女です。
2018年に皇籍離脱。それ以前は成年皇族として公務に参加。大学卒業後には保育士・社会福祉士の資格を取得。
2018年に日本郵船社員・守谷慧と結婚
絢子さまは2018年10月に日本郵船社員でNPO法人”国境なき子供たち”理事を務める守谷慧さんと結婚しました(皇籍離脱)。
2人は2017年12月に久子さまの紹介で出会いました。もともと久子さまと守谷家のご両親は知己の仲で、”国境なき子供たち”などで途上国支援等を行っていた守谷慧さんを、福祉を学んでいた絢子さまと交流させようとした久子さまからのご紹介だったそうです。
2019年11月には絢子さまが第一子男児を出産。すなわち久子さまにとっての初孫が生まれています。
久子さまについてまとめると…
・久子さまは1984年に高円宮憲仁親王と結婚、娘を3人授かるも高円宮憲仁親王は2002年11月に47歳の若さで急逝した
・久子さまの娘3人のうち、次女と三女はすでに結婚しており皇籍離脱している
・久子さまは語学力が皇族のなかでもっとも高く、五輪招致IOC総会の流暢な英語とフランス語のスピーチが凄いと話題になった
・久子さまは悪評やスキャンダルがなく、ファンションセンスも評判である
久子さまは現在高円宮家第2代当主として精力的に活動されています。高円宮家のご活動ー宮内庁
ただ2020年3月に急性虫垂炎で手術をしたという心配なニュースも流れました。今後もお体に気をつけて健やかに過ごしていただければと思います。