日銀総裁を10年にわたり務めてきた黒田東彦さんですが、先祖がさる有名大名・黒田官兵衛との噂もあるそうですね。
この記事では、天才と話題の黒田東彦さんの学歴と経歴、家系や結婚した嫁と息子、年収や自宅などをまとめました。
この記事の目次
黒田東彦は第31代日本銀行総裁
黒田東彦(くろだ はるひこ)
生年月日:1944年10月25日
出身地:福岡県大牟田市
黒田東彦、第31代日本銀行総裁だった
黒田東彦さんといえば、2013年3月に第31代日本銀行総裁に就任した金融行政家となります。
東日本大震災後のどん底な景気を救うべく日銀総裁の座についた黒田さんは、日本経済再生のために「量的金融緩和、質的金融緩和、長短金利操作」の3つの金融政策を実施しました。
・2013年4月:年率2%の物価上昇のために、日銀が国債を年50兆円ベースで購入する量的金融緩和を開始。
・2016年2月:銀行に企業や個人への融資を促すためにマイナス金利政策を導入。
・2016年7月:年率2%の物価上昇が果たせなかったため、、ETF(上場投資信託)の年間購入枠を3.3兆円から6兆円に拡大する質的金融緩和を実施。
・2016年9月:長短金利操作を導入し、長期金利を0%程度、短期金利をマイナス0.1%程度に誘導を開始。
黒田さんの金融政策については概ね成功しており、就任した2013年3月時は1万2365円69銭だった日経平均株価が、2020年には2万7444円17銭(年次)まで跳ね上がる成果を残しております。
その他、マイナス金利政策の副産物で円安が維持されたことで輸出産業の業績も絶好調となり、過去最高益を更新する企業が続出した他、名目GDPの方も2019年度までに60兆円以上伸びていたそうですね。
とはいえ、主目標である年率2%の物価上昇については、ほんの一時しか果たせなかったそうで、日本経済の宿病であるデフレ退治にまでは至りませんでした。
黒田東彦の経歴や学歴…在学中に旧司法試験に合格した天才だった
黒田東彦、超エリートコースを歩んできた
福岡県大牟田市生まれの黒田東彦さんですが、中学受験をして東京都世田谷区にある筑波大学附属駒場中学校に進学することになりました。
筑波大学附属駒場中学校といえば、全国1位の偏差値を誇る超名門進学校であり、高等部の生徒の半数は東京大学に現役合格をするといった実績を誇っています。
黒田さんの故郷である福岡にも久留米大学附設中学校といった超名門進学校がありますが、黒田さんは父親の転勤で小学生の頃に東京都に転居していたようですね。
筑波大学附属駒場中学校を卒業後の黒田さんは、そのまま高等部へ進学した後、東京大学に現役合格しています。
黒田東彦、東京大学では惜しくも首席卒業を逃していた
東京大学時代も引き続き優秀な学生だった黒田東彦さんは、合格率が2~3%だった文系最難関資格である旧司法試験に現役合格する偉業を達成しています。
とはいえ、そんな黒田さんも東京大学法学部では最高峰の頭脳ではなかったらしく、首席卒業を逃して2位の地位に甘んじていたとか。
その後、国家試験に合格してキャリア官僚となった黒田さんでしたが、この時も1位での合格を逃して2位でした。
1967年4月に大蔵省に入省して以降の黒田さんは、1969年にオックスフォード大学に留学しており、 経済学の修士号も得ているようですね。
黒田東彦、1999年に財務官まで出世するも2003年に退官していた
大蔵省時代の黒田東彦さんに関しては、気さくで愛想が良い性格だった一方で、デフレを放置する日銀の金融政策に対して公然と批判の声を挙げるなど頑固な一面もありました。
財務官時代には、後に後任となる溝口善兵衛国際局長(当時、現島根県知事)と、金融政策を巡って激しくやりあいました。財政規律・バランス重視で極めて保守的な通常の財務官僚たちとは一線を画し、黒田氏は積極攻勢派。金融緩和についても、『結果的にムダになってもやってみる、そういう姿勢を見せることに意味がある』というタイプ。
そのため、大蔵省でもやっかまれていた部分はあったそうで、本流の主計局ではなく傍流の主税局を中心にキャリアを形成していたそうですね。
それでも1999年には幹部ポストである財務官に昇進している黒田さんでしたが、財務事務次官レースからは脱落してしまったため、2003年1月に大蔵省を退省することになりました。
黒田東彦、アジア開発銀行総裁を経て日銀総裁へ
大蔵省を退省した後の黒田東彦さんに関しては、内閣官房参与や一橋大学大学院経済学研究科教授を経て、2005年にアジア開発銀行の総裁に就任しています。
アジア開発銀行時代の黒田さんは、FRBのバーナンキ元議長とも親交を深めるなど、日本最高峰の金融行政家との威名を高めることになりました。
そんな黒田さんに、日銀第31代総裁の地位が巡ってきたのは2013年3月のことでしたが、当初は本命という扱いではなく、ダークホース的な存在でした。
下馬評では、同じ財務省出身でも次官経験者の大物・武藤敏郎氏(大和総研理事長)や、安倍首相の政策ブレーンで金融緩和積極派の岩田規久男・学習院大学教授などの名前も取り沙汰されていたが、首相が指名したのは、ダークホース的な存在の黒田氏だった。
黒田東彦、任期満了に伴い2023年に日銀総裁を退任
出典:https://www.zakzak.co.jp/
黒田東彦さんは2023年4月8日に、任期満了に伴い日銀総裁を退任しています。
2期10年という在任期間は歴代最長の記録のようですね。
4月7日に退任会見に臨んだ黒田さんは、「大規模な金融緩和は様々な効果を上げてきた。」と、緩和策が日本経済の改善につながったとの認識を改めて示しました。
一方で、2%の物価上昇という目標を達成できなかったことは「残念」だとも語っています。
黒田さんの後任の総裁には、経済学者の植田和男さんが就任しています。
黒田東彦の家系が凄い…有名戦国大名の黒田官兵衛の子孫だった?
黒田東彦、実は黒田官兵衛の子孫だった?
黒田東彦さんに関しては、黒田官兵衛の通称でお馴染みな戦国大名・黒田孝高の子孫との噂も存在します。
こちらの噂については、黒田さん本人が語った情報ではないため、家系図などが公表されたりしたことはないそうですね。
とはいえ、元仕事仲間だった津市議会議員・藤岡和美さんが黒田さん本人から直接聞いた話らしく、かなり信憑性の高い噂ではないかと思われます。
昨日の朝刊各紙には、日銀総裁人事に元上司の名前が挙がっていました。その方は、現在、アジア開発銀行(ADB)総裁の黒田東彦氏です。
元大蔵省財務官で、22~23年前、三重県総務部長に2年間在籍されていました。ご先祖は戦国時代の智将、九州の黒田藩主・黒田官兵衛(後に如水)と伺っています。
黒田東彦、麻生太郎との関係性とは?
黒田東彦さんは、政治家の麻生太郎さんと遠戚ではないかとの噂まで存在するようですね。
こちらの噂については、江戸時代は現在の福岡県飯塚市柏の森辺りの庄屋をしていた麻生さんの先祖の家に、黒田官兵衛の妹が嫁いだとの史実が発端でした。
そのため、遠戚であることは間違いがない黒田さんと麻生さんでしたが、以降は両家で血の交わりがあったとの話も聞かず、実質赤の他人レベルの血縁関係でもあるため、親戚付き合いなどはなかったように思われます。
黒田東彦、黒田官兵衛の子孫説のせいでおかしな陰謀論に巻き込まれていた
黒田東彦さんは、黒田官兵衛の子孫説のせいで、ツイッター上でおかしな陰謀論の的にされています。
こちらの陰謀論については、日本の現在の支配層が安土桃山時代から不変であり、庶民は搾取されているという代物なようですね。
「黒田東彦」が「黒田官兵衛」の子孫であることは確実のようです。
— fareast (@psk337) November 30, 2016
「竹中平蔵」が「竹中半兵衛」の子孫であることもほぼ間違いないでしょう。つまり、現在の「内閣府」は「豊臣秀吉」の家臣によってほぼ独占されているというわけです。「鳥越俊太郎」と「宮迫博之」がどちらも「大友宗麟の家臣の子孫
とはいえ、こちらの陰謀論に何故か巻き込まれてしまっている経済学者の竹中平蔵さんなどは、実家は和歌山県和歌山市にある商店という庶民の出なため、戦国の智将・竹中半兵衛さんの子孫である可能性は低いでしょうね。
また、黒田さんも両親がどのような方なのか記事になっていないた一介め、一介のサラリーマン家庭出身の可能性が高く、竹中さん同様に頭脳を武器に成り上がった庶民なのではないかと思われます。
黒田東彦の年収や自宅…年収のピークはアジア開発銀行時代だった
黒田東彦、年収は意外に低かった?
頭脳系エリート畑一直線の人生を歩んできた黒田東彦さんですが、年収の方は意外に低いという現実があります。
黒田さんのキャリア官僚時代については、財務官に就任していた頃に2300万円前後の年収を得ていたようですね。
ちなみに、退職金が手厚いとの噂のあるキャリア官僚ですが、黒田さんの退職金は5000万円前後だったのではないかと言われております。
その後就いたアジア開発銀行の総裁時代は、47万8000ドル(約5000万円)の年俸を得ていた黒田さんでしたが、この頃が人生で一番高収入な時期となりました。
日銀総裁に就任して以降の黒田さんの年収に関しては、3500万円程度であることが公表されています。
そのため、黒田さんの生涯年収については、現在のところ十数億円程度だとか。
黒田東彦、自宅は都内の高級マンションだった
黒田東彦さんは、2015年10月になると、東京都世田谷区にある高級マンションを購入しているため、現在の自宅はそちらになるようですね。
黒田さんの自宅については、世田谷駅から徒歩3分の好立地に加えて、豪華設備が整っているマンションとの話なため、中古物件だったものの1億円以上の購入価格になったのではないかと言われております。
洗面台やキッチンカウンターは天然の御影石。住宅設備にハイグレードの機器が使用されるインテリアは、豪華そのものである。
「大通り沿いにありながらも奥まった作りになっていて、外の喧騒もまったく気にならない。内装も床暖房完備。戸数が少ない分、変な人が入居してマンション価値が下がるなんてことがないように、入居希望者には一定の信用が求められます」
ちなみに、黒田さんが高級マンション以前に住んでいた物件はUR賃貸住宅となっており、かなり庶民的でした。
黒田東彦の家族情報…嫁と2人の息子がいた
黒田東彦、嫁の名前はクミコ
黒田東彦さんの妻情報については、一般人であるためクミコさんという名前以外は表に出て来ていない状況となります。
とはいえ、クミコさんは良妻のようで、転勤族だった黒田さんの勤務先に逐一ついていっていた他、明るい性格だとも言われております。
特に、奥さんは陽気な方で、年末に県庁下の漁連で、「藤岡さん、これ安いわよ!」魚をかざして大喜びで特売の買い物をされていた光景を、今でも思い出します。
黒田東彦、息子が薬物で逮捕されていた
黒田東彦さんに関しては、2人の息子がいることが判明しています。
黒田さんの息子たちについては、父親と同じエリート街道をまっしぐらとはいなかったらしく、長男と次男のどちらかは不明となりますが、合成麻薬LSDの所持で逮捕された過去があるそうですね。
黒田さんといえば、アジア開発銀行総裁時代は、フィリピンのマニラに自宅を構えていたため、そちらで悪い遊びを覚えたのかと思いきや、息子が逮捕されたのはキャリア官僚時代の1997年だったとか。
ちなみに、その後に財務官に出世しているため、息子の逮捕劇は黒田さんのキャリア形成には影響ありませんでした。
とはいえ、妻・クミコさんは、黒田さんが表舞台に出ると息子の過去が掘り起こされる可能性があると考え、日銀総裁就任を反対していたそうですね。
黒田東彦についてまとめてみると…
黒田東彦さんに関しては、抜群の実績を誇る金融行政家である一方で、息子に逮捕歴があるなど子育てについては上手くはいかなかったようですね。
黒田さんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。