麻生太郎さんは、福岡県出身で総理大臣経験もある現代の大物政治家のひとりです。私生活では1983年に千賀子夫人と結婚し、1男1女をもうけています。
ここではリアル華麗なる一族と言われる麻生さんの家系図や若い頃と大学など学歴、そして嫁・息子・娘など家族情報についてまとめています。
この記事の目次
麻生太郎のプロフィール&経歴
名前:麻生太郎(あそうたろう)
出身地:福岡県飯塚市
生年月日:1940年9月20日
出身校:学習院小〜学習院高等科
最終学歴:学習院大学政治経済学部
職業:衆議院議員
所属:自民党
当選回数:13回
麻生太郎さんは現職の衆議院議員で、これまでに内閣総理大臣や外務大臣などの要職を歴任しています。
2019年現在は副総理・財務大臣・内閣府特命担当大臣等に就任。自民党内では麻生派の会長であり、重鎮の一人です。
大学卒業後に海外留学し、その帰国後に実家の麻生産業に入社。1973年には麻生セメントの代表取締役になります。また同時期には並行して、クレー射撃の日本代表として1976年のモントリオール五輪に出場(41位)しました。
そして1979年に地元福岡の選挙区から出馬し初当選。その後1983年の総選挙で一度落選しますが、1986年には復帰を果たし、以降現在に至るまで連続当選しています。その当選回数は計13回。
1996年に初入閣。2001年に自民党総裁選に初めて立候補し、2008年の4度目の総裁選で勝利し自民党総裁に就任。2008年9月24日に麻生総理が誕生しました。しかし翌年の夏の総選挙で自民党が民主党に大敗すると、2009年9月15日に内閣総辞職となりました。
2012年に自民党に政権が戻ると、首相経験者としてはこれまで数人しかいない再入閣を果たすなど、未だにその存在感は健在です。
麻生太郎の家系図~リアル華麗なる一族出身で遠縁には安倍晋三もいた
麻生太郎、麻生家のルーツは藤原鎌足
麻生家のルーツ・藤原鎌足(中臣鎌足)
麻生家が100年以上前から福岡で営む麻生グループのHPによると、もともとのルーツは藤原鎌足の血筋であるとしています。
麻生家は今では菩提寺の川島正恩寺が消失し、過去帳なども灰に帰したためその記録も残っていないのが残念だが、同家に伝わるところによると大化の改新(六四五)で活躍した藤原鎌足の血筋を引き、藤原一族の流れをくんでいるといわれている。そして麻生家の名前の由来をたどると先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという。この地方には鎌倉、室町のころから麻生の姓を名乗る一族がいる。このように麻生家は古い士族の末裔であったが、いつのころからか村を治める庄屋(今でいう村長)になっていった。
引用:麻生百年史
麻生太郎の家系図
麻生家系図
麻生太郎さんのご先祖さまや親族には有名人が何人もいます。
・高祖父(母方)に大久保利通
・曽祖父(母方)に牧野伸顯
・祖父(母方)に吉田茂元首相
・妻の父は鈴木善幸元首相
・実妹信子の旦那は三笠宮寛仁親王
近い親族だけでも、超ビックネームが並びますね。
父方の麻生家
5代前:麻生太右衛門…現在の飯塚市地方の庄屋 |
高祖父:麻生賀郎…庄屋。多くの村を治める。家督引退後に石炭の事業に熱意を注ぐ。 |
曽祖父:麻生太吉…石炭採掘事業を始め、麻生商店(のちの麻生グループの源流)を立ち上げる。のちに石炭鉱業連合会会長、衆議院議員などを歴任。九州の炭坑王と呼ばれた。 |
祖父:麻生太郎…麻生商店の取締役。 |
父:麻生太賀吉…麻生セメント会長などを歴任した他、舅である吉田茂を補佐するため、一時期政治家として活動していたこともある。 |
本人:麻生太郎 |
弟:麻生泰…麻生会長、麻生セメント社長、九州経済連合会会長など。 |
(※麻生太郎さんには弟が二人・麻生次郎さんと麻生泰さんがいました。しかし次郎さんは、1964年におきたヨット遭難事件で亡くなっています)
以上のように麻生太郎さんは、母方も父方も超エリート・セレブ家系です。ネットではリアル”華麗なる一族”と呼ばれることも。
麻生太郎、安倍晋三とは遠い親戚関係
大きな系図からわかりますが、麻生太郎さんと安倍晋三首相は遠い親戚にあたります。麻生さんから見ると「おばの夫のいとこの孫が安倍晋三」という関係性となります。
さらに13名もの歴代総理大臣と縁戚関係にあり、麻生さんは生まれながらの政治家家系となります。
安倍家と麻生家の両家を軸に系図を辿ると、吉田茂、鳩山一郎をはじめ、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、三木武夫、鈴木善幸、宮沢喜一、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫と、戦後の総理大臣のうち13人が繋がり、まさに日本政界のエスタブリッシュメント(支配階級)を構成する閨閥が構成されている。
この閨閥は皇室ともつながり、住友財閥、森コンツェルン(昭和電工)、日産コンツェルン(日産自動車)など多くの財界人、外交官、高級官僚、軍人を輩出してきたのだ。
麻生太郎、自宅は渋谷区松濤にある超豪邸
渋谷区松濤にある自宅は超豪邸
麻生太郎さんは高級住宅街で知られる東京・渋谷区松濤にある超豪邸です。また、別荘も全国各地にあるようです。
福岡県飯塚市の生家は約2万坪、廊下は100メートルほどあり、麻生によれば部屋の数は「いくつだったかなぁ」ということになる。あるとき、この家敷に婦女暴行犯が警察に追われて逃げ込み、あまりの広さに“山狩り”をしたとの伝説さえある。また、麻生は「オレは7軒別荘を持っているけど、2軒はまだ行ったことがない」と言ったこともある。さらに、麻生の東京・渋谷の一等地にある豪邸は1000坪を超える敷地
政界関係者からは、次のようなエピソードが聞かれる。
「父の太賀吉は、長男の麻生を後継者として特別扱いして育てた。夏休みの旅行などでも麻生は一等車、他の弟や妹は皆、二等車だった。そのくらいだから、周りで言葉を教えたり、物事に注意を与えるという人もいなかった。“好き勝手”が通った少年時代だった」
麻生太郎の若い頃~クレー射撃日本代表でモントリオール五輪出場経験も
子供時代の麻生太郎さん
面影がありますね。やんちゃそうです。
1976年に出場したモントリオール五輪
クレー射撃日本代表として出場し結果は41位でした。かっこいいですね。
政治家・麻生太郎
政治家になったのは39歳のころでした。
昔からの麻生節
話している感じは今と変わらないですね。
意外と美形で知られる麻生太郎さん
これは女性にモテたのではないでしょうか。
現在の麻生太郎さん
かつてのマフィアを思わせるファッショニスタ。
葉巻を愛する男
祖父の吉田茂さんも葉巻を愛する男だったそうですので、その影響も受けているのかもしれませんね。
麻生さんはアイス好き?
よくアイスを食べている画像がネットで出回っている麻生さん。好きなんでしょう。
アイスを食べる様子もさまになっています。
実はかわいいとネット人気あり?
アイス食べている姿も含め、おちゃめな笑顔・姿の麻生さんは、ネットの掲示板などでかわいいと評価されることも。
麻生太郎の学歴~小中高校・大学と学習院に通学
麻生太郎、学習院大学はほとんど通わずに卒業
学習院卒!
麻生太郎さんは、小学校3年生のときに福岡から東京に上京しました。
それまでは、麻生グループが運営する麻生塾小学校に通っていましたが、上京を機に学習院大学に編入し、以降も同院で過ごすこととなります。
学習院中等科・学習院高等科と進み、大学時には国立(官学)に行くことも考えたそうですが、結局は学習院大学でそのまま進学。大学時代は部活動に熱中し、お勉強は試験前だけでした。
「ひたすら横浜でヨット部の活動をしていたから、学校にはほとんど通っていなかったな(笑)。目白に来たとしても、学校の外で遊んでばかりだったよ」このように、体を動かすことに没頭していた麻生氏は、授業での思い出がほとんどないようだ。それでは、大学の試験をどのように切り抜けていたのか。「私は要領が良かったから、友達からノートを借りて、直前にテスト勉強して間に合わせていたんだ。とにかく、不可を食らわなければいい、という姿勢で乗り切っていたね」
麻生太郎に学歴詐称疑惑?…消された海外大学留学歴とは
履歴から消えた留学先?
学習院大学卒業後、麻生太郎さんは産業経済新聞への入社が決まっていましたが、1日も行かずに海外に渡ります(産業経済新聞は帰国後、1日も行かないまま退社)
海外での生活はどんな感じだったかというと、Wikipediaなどでは「スタンフォード大学留学」と紹介されています。
麻生太郎さんの公式HPで見ると、学習院大学卒業(昭和38年3月)以降、麻生産業株式会社入社(昭和41年8月)までの約3年間の動向に触れられていません。
しかし、かつての公式HPではその3年間について触れられていたといいます。
麻生太郎副総理だ。2004年時点での公式ホームページでは、昭和38年「学習院大学政経学部を卒業後、スタンフォード大学大学院(昭和38年~昭和40年)に留学」から昭和40年「ロンドン大学政治経済学院(昭和40年~昭和41年)に留学。帰国後に家業の麻生産業(現麻生セメント)に入社」と記載されていたが、2007年以降の公式ホームページでは、昭和38年「学習院大学政経学部卒業」から昭和41年「麻生産業株式会社入社」となっており、スタンフォード大学とロンドン大学という海外留学の経験が一切削除されている。
現在の公式HPを見てもわかる通り、それらの文言は削除されています(またネットなどに残る過去の学歴は「修了」という文字も)
何やら怪しい動きに感じますが、麻生太郎さんはスタンフォードやロンドンに行っていたことは確かなようです。
アメリカのスタンフォード大学大学院に留学し、政治学を学んでいた麻生氏。だが、ここでも吉田氏に振り回されてしまう。「マッカーサー元帥の葬儀でサンフランシスコを訪れていた祖父から、宿泊先のホテルに呼び出された時にルームサービスを頼むことになったんだ。その際に、私が喋った英語の訛りを祖父にたいそう驚かれてしまってね。それを聞いた親からも、麻生家にそんな学歴は不要だから帰って来い、なんて言われる始末だった。それで送金を止められ、飛行機にも乗れず、仕方なく船で2週間かけてなんとか帰国したよ」その後麻生氏は、改めてイギリスのロンドン大学政治経済学院に留学する。今度は伝統的な発音の英語に親しみながら、経営学を学んだ。
学歴詐称といえば、ショーンKさんの件で2016年にメディアが大騒ぎしました。
【学歴詐称】ショーンKの鼻整形&高校時代や昔の顔画像!週刊文春の内容も総まとめ|嘘の経歴にネット驚愕
さらに安倍晋三さんも、学歴について週刊誌で海外留学時の疑惑が言われています。それによると、確かに在学していたものの1978年の春・夏・秋期のみで、政治学専攻はしておらず、単位も全く足りていないため卒業せず、途中でドロップアウトしたとのことでした。
学歴詐称はショーンKだけじゃない! 安倍首相も「南カリフォルニア大学政治学科留学」を詐称しこっそり削除
これを見ると、麻生太郎さんは安部さんと同じような感じだったのではないでしょうか。今は突っ込まれるといろいろ大変ですからね。英語は実際ペラペラなようです。
麻生太郎の結婚した嫁は元首相の鈴木善幸の娘・千賀子さん
麻生太郎の嫁・千賀子さんプロフィール
名前:麻生千賀子
通称:麻生ちか子
出身地:東京都
生年月日:1950年5月30日
最終学歴:日本女子大学家政学部
麻生千賀子さんは、麻生太郎さんよりも約10歳年下です。
夫の政治活動のサポートはもちろんのこと、これまでに麻生グループのいくつかの企業で役員を、現在は株式会社麻生(グループ中核)で取締役を勤めています。
父は元首相の鈴木善幸さん。弟は自民党麻生派の衆議院議員・鈴木俊一さん。
千賀子夫人の生い立ちは、麻生太郎さんのような代々のエリートではないようですが、父親は元首相ということでやはり良いところのお育ちです。
父の鈴木善幸はのちに首相になったものの、本を正せば岩手県の水産学校を出、漁業組合組織で活躍、この「漁協」を地盤にして社会党から代議士になった。当選後、社会党から自民党へ転じた“異色”でもある。その3女である千賀子は日本女子大学を卒業、英語にたけたこともあり、鈴木が首相になると中国外遊などに同行し、政治家の妻たる呼吸、ノウハウを身につけていったものだった。
麻生太郎と千賀子さんの馴れ初めから結婚まで
馴れ初めはナマコ!
麻生太郎さんとの出会いは、千賀子さんの父親・鈴木善幸さんが首相の時(1980年〜1982年)。当時若手議員を鈴木家に招いて行われた親睦会において二人は対面しました。
そんなふたりは「ナマコ」をきっかけに、距離を縮めて行ったそうです。
父が総理大臣の時でした。1年生・2年生議員の方を家にお呼びして食事をする親睦会をしばしば開いていました。その中に主人もおりました。父は岩手県出身なので、地元の海のものが豊富で、母や私の手作り料理で皆さんをもてなしていました。
ある時、ナマコが出たんです。主人はナマコがまったく食べられない。母は「召し上がれ」「召し上がれ」ともてなすのですが、主人は苦手なナマコをそっと遠くに置くんです。すると母が「おいしいのにどうして召し上がらないの」って。それを3回ぐらい繰り返して。覚悟を決めて飲み込もうとした時に、私が「お嫌いなものをムリに勧めちゃ悪いわよ」って母に言ったらしいんです。それで主人は「おっ、天使が現れた」と思ったんだそうです。ですからナマコがきっかけです。
千賀子さんは、麻生太郎さんの「不良っぽいところ」を気に入ったそうですが、結婚したら本当に不良だったと再認識。けれどとても魅力的な人であるとも語っています。
そして麻生太郎さんと千賀子さんは、1983年に結婚。渋谷の聖ドミニコ教会で式をあげ、披露宴は600名の招待客とともに超豪邸の麻生宅のお庭で行われたそうです。
麻生太郎の嫁・千賀子さんは政治家の妻の鑑だった
麻生太郎さんには愛人疑惑が…
麻生財務相が2017年も「人の税金」で“愛人のクラブ”に792万円! 森友問題、公文書改ざんの渦中に(麻生本人は愛人関係を否定している)
正直、麻生さんにそういった方がいてもとくに驚きもありませんが、千賀子夫人は結婚直後からそんな夫をよく支えてきた方だそうです。
まず結婚1ヶ月後ぐらいに麻生太郎さんは選挙落選し「無職」に。千賀子さんは夫ともに福岡に移り住み、”政治家の妻”として各所に頭を下げて回ったそうです。その後の麻生太郎さんの出世の背景にも、千賀子さんの存在が欠かせません。
麻生は徐々に出世の階段をのぼっていったこともあり、忙しくてなかなか地元に帰れない中、夫人がよく地元に帰ってきていた。行事ごとは一人で切り盛り、田植え、稲刈りのときなどは車に長靴を用意しておき、田んぼに知った人を見つけると靴をはき替えて『お元気!』などと言いながら田んぼに入り、握手をするなど“全力投球”だった。地元では、『夫人あっての麻生。あの夫人なくば、以後の麻生はなかった』の声がある
麻生さんが総理時代には、疲れて帰ってきた夫に指圧してあげるなど、公私とものサポートをしてきたようです。
父もそうでしたけど、総理在任中は一日中、国民や政治のことを考えていて頭が冴えて眠れないようなんです。ですから、夜は私が父に指圧をして寝かせていました。 主人も総裁選挙の頃から眠れない日が続き、今でも40分くらい指圧をしています。いびきが聞こえて、ああ、寝たなと。疲れて帰宅した主人の背中を押しながら、「本当に大変で苦労しているんだな」と思うと、父の背中と重なり涙が出てきたことがありました。2人の背中から同じものが伝わってくるんですね。
麻生太郎に子供は息子と娘が2人~長男・麻生将豊は後継者?
麻生太郎の長男・将豊
麻生将豊さんのプロフィール。
将豊氏は1984年生まれの34歳。大学在学中にITベンチャーを立ち上げ、福岡に戻ってからはトヨタ九州を経て2014年に麻生商事に入社。2018年6月に麻生商事の代表取締役社長に就任している。小学校の一時期を福岡で過ごし(後に東京の慶應幼稚舎に転入)、いまでは父親の太郎氏の足取りをなぞるかのように、飯塚JC(青年会議所)の専務理事を務めながら着々と地固めを進めているところだという(太郎氏は日本JC第28代会頭)。
麻生家長男ということで、麻生太郎さんの後継者なのでは?と目されています。実際に2009年の総選挙時には多忙な父の代わりに、出陣式を行ったと言われています。
2015年にはお医者さんの娘で元航空会社勤務の女性と結婚。
麻生副総理長男の結婚相手は北九州で医師の娘 元航空会社勤務の29歳
麻生太郎の長女・彩子
麻生太郎さんの娘は、彩子さんといいます。兄の麻生将豊さんよりも約3歳年下、東大文学部卒業、外国語も堪能な才女で、美術品のオークション会社に勤めていたとも。
将豊さんとは違い、麻生グループの要職に付いておらず、正確な画像なども出回っていません。
ネットなどで出回っている画像を一応ご紹介しておきます。
麻生千賀子さんと娘?
こちらはネットの掲示板などから出回ったと見られる画像です。
ただ彩子さんも麻生さんの選挙関連の手伝いをしたことがあったようですので、どこかで姿が捕らえられていても不思議ではありません。
また目撃談などによると、彩子さんは長身美人だそう。
彩子さんは2014年頃にフランス人と結婚したと報じられています。2014年の文春報道では、フランスの古城で豪華挙式だったとか。
長女の彩子さん(28)は東大を卒業し、一昨年にフランス人男性と結婚
麻生太郎の長女・彩子がネット界隈で注目されている理由
彩子さんは、あまり公式的な情報が出回っていませんが、一部ネット界隈では兄の将豊さんよりも注目されています。
それは彼女が2014年に結婚したフランス人と関係しています。それはネットで彩子さんと結婚したフランス人というのが、フランスのヴェオリア社幹部(ロスチャイルド系企業)とされるフレデリック・デボンさんだと噂されているから。
話が変わりますが、2018年12月に水道事業の民営化を可能とする水道方改正案が採決されました。
あまりテレビニュースでは見かけませんが、ネットなどでは海外の水道民営化の事例から料金の値上がりや水質悪化、水道管の事故などの危険性が指摘されるなどし注目を浴びています。
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麻生さんはこの水道民営化には大賛成の立場。そして外資のヴェオリア社(世界最大手の水メジャー)がすでに日本進出しています。ヴェオリア社は浜松市の下水道部門を対価25億円で運営権を取得しています。
ここで少し結びついてきますが、水道民営化賛成の麻生太郎さんが娘婿のヴェオリア社に利益誘導したという図式が極論ですが成り立つと言われているのです。
ただネットで転がっている情報では、そもそもヴェオリア社幹部=娘婿の明確なソースが不明ですので、今のところそれ以上でも以下でもありません。
麻生太郎さんが水道民営化に賛成しているということだけは確かです。
麻生太郎についてまとめると…
・麻生太郎はリアル華麗なる一族といわれ、遠縁には安倍晋三首相もいる政治家家系である
・麻生太郎は小学校から大学まで学習院に通い、その後スタンフォード大学やロンドン大学に留学している
・麻生太郎は1983年に元首相の鈴木善幸の娘・千賀子さんと結婚した
・麻生太郎に子供は息子と娘の2人おり、長男は後継者と目されている